日本語で「あそこに敵がいると、彼が言った。」となるのは、「話し手」がその出来事が起きた時間に自分を持っていき、出来事と同じ時間を共有するから時制の一致はしないのであり、彼が言ったのは過去の事実であるので過去形で表しているのである。 ところが英語が「He said that there were enemies over there.」となるのは、「話し手」の視点はいつでも現在にあって変わらず、出来事を今から見て判断するから、それぞれの出来事が「He said」と「there were enemies over there」と過去に起きたのでそのように表現しただけなのですよ。だからもしも今でも、「あそこに敵がいる」が事実ならば、その英文は「He said that there are enemies over there.」となるんだよ。このことを知らない日本の英語学習者がほとんどだと思うけど、英語にも「時制の一致」という規則はないんだよ。覚えて欲しいのは、日本語は話し手が出来事の起きた時間まで自分で行っちゃって報告するという形式をとり、英語は話し手が現在にとどまった視点で全ての出来事を報告するという形式をとるんだよ。これだけ知っていれば「時制の一致」なんて簡単なんだよ。
川端康成が書いた雪国での一文「トンネル抜けると雪国であった(The train came out of the long tunnel into the snow country)」文章を見せて日本語話者と英語話者にどんな場面を想像しましたか?と質問した話がある 日本語話者は、トンネルを抜けて雪が一面に広がる風景を電車の中から見ている状況を想像した 英語話者は、電車がトンネルから雪が一面に広がる場所へと出て行く風景を空の上から見ている状況を想像した ここからも日本語はFPSで英語はTPSだとわかる
日系米国人の英語話者です。チャンネル最高に面白いです!ずっと聴いてます。 英語が神の視点というのは、少し疑問に感じました。人類史上、狩猟採集→言語の発達→農耕の始まり→富が生まれる→専門職業の発達→神官の出現→宗教の発達、と神が生まれるのは言語が出来てから大分後ではないでしょうか?神が生まれるずっと前から言葉があったのだとすると、神の視点で言葉が話されるということがあるのかなあ、と疑問に感じました。実際、「驚かしちゃった?」は、”Did I surprise you?” と主語が I であって、驚かしているのは神ではないですよね。「あの本に感動した」は、”That book moved me.” と、これも感動させたのは本であって神ではありません。ましてや、個人の意思が重要視される西洋において、人の心や感情の全てが他の存在(例えそれが神であっても)によって支配されているという思想は受け入れられにくいように思います。 時制の一致も、” を加えれば一致させなくてもよいわけで (例えば、He said “It is dangerous!”) 日本語と英語でそんなに違うのかなぁ?と思いました。
I have two sons. と「私は2人息子がいる」の違いは言語の機能的な面での差があるとも思えます。日本語にhaveと一致する言葉がないからというのも利用なのではないでしょうか。 英語と同じ同じ印欧語に属するロシア語でも「所有する」「つかむ」「支えておく」という言葉はあってもhaveに完全に相当する言葉はなく、時間がある、本がある、煮たりの息子がいるという意味の言葉は日本語とほぼ同じ表現です。
気になって調べましたが、面白いですね 英語ではThe train came out of the long tunnel into the snow country.と訳されるそうですが、そこから視点が違っていて、 原文そのままだと「何がトンネルを抜けたの?」と感じてしまい、日本人なら自然にできる主人公の視点に立つことができないとか。
大学院を受験するために全訳をつける練習していたときに、英語の先生が
「haveの文を『持っている』と訳したら一発で落ちる。絶対に『ある』と訳せ。」って言ってたのを思い出した
英語をそのまま訳すと違和感のある日本語になるのは、行為文だからだったなのかー!と納得
昔、英語は神の視点で、日本語は虫の視点だと聞いたことがあります。
川端康成の雪国の冒頭、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という文章を読んだ日本人と外国人に、そのときの絵を描いてもらうと、日本人は列車の窓から見える景色を描くけど、外国人は列車がトンネルを抜けつつある様子を真上からドローンのような視点で描いたと聞いたことがあります。
すごい
俺にもトンネルから抜け出した瞬間の一人称を想像できてしまった。
へー!とっても面白い。
翻訳の仕方でもイメージが変わりそう
そう言えば俳句の視点配置もそうでしたね。小さいことに焦点を当てて、そこから心象とか風景に拡大していく。それが美徳になるんですかね。
住所の書き方と逆になるのかな? 日本だと大→小だけど、欧米だと小→大。
日本人が会議報告をする際「こう決めました」ではなく「こうなりました」といった表現を好むのは水野さんのお話で整理がつきますね。
西欧のような個人主義と日本が相容れないのは受け身な言語による所もあるかもしれないですね!今回もとても面白かったです!
ドアを閉めます→ドアが閉まります
お茶を淹れました→お茶がはいりました
日本語と英語の違いについて、「視点の違い」だけでスパッとなるほどと思った。
オノマトペの多さも視点の違いによるものなのかな。
英語だと行為文にしたいから、動詞がどんどん増えていく。
日本語だと状態文でいいから、擬態語がどんどん増えていく。
英語のオノマトペの多くが動詞の形を取ってるのもこれで納得
そうですね。英語だと泣くという動詞がどんどん細かく分かれていきますね。動物の鳴くも動物ごとに鳴くの動詞がいちいち有りますね。
日本語だとそんな細かな動詞が多数存在せず、シクシク泣く、ウエーンと泣く。ネズミがチュウと鳴く。牛がモーと鳴く。動詞はあまり増えません。
@@ankurage あぁ、目から鱗
日本語のオノマトペも動詞と関連しているのも多く、熱い/あつあつ ねばる/ねばねば 揺れる/ゆらゆら など多数存在する。
日本語は「虫の視点」であることから、自然と生活の色,音,匂いの表現が豊かであり、オノマトペをありありと生き生きと表現する。
皮膚感覚も「神の視点」ではとても得られない細やかさだ。
と、言語学者 金谷武洋という方の著書に書かれていたのを読み、個人的に腑に落ちました。
日本語で「あそこに敵がいると、彼が言った。」となるのは、「話し手」がその出来事が起きた時間に自分を持っていき、出来事と同じ時間を共有するから時制の一致はしないのであり、彼が言ったのは過去の事実であるので過去形で表しているのである。
ところが英語が「He said that there were enemies over there.」となるのは、「話し手」の視点はいつでも現在にあって変わらず、出来事を今から見て判断するから、それぞれの出来事が「He said」と「there were enemies over there」と過去に起きたのでそのように表現しただけなのですよ。だからもしも今でも、「あそこに敵がいる」が事実ならば、その英文は「He said that there are enemies over there.」となるんだよ。このことを知らない日本の英語学習者がほとんどだと思うけど、英語にも「時制の一致」という規則はないんだよ。覚えて欲しいのは、日本語は話し手が出来事の起きた時間まで自分で行っちゃって報告するという形式をとり、英語は話し手が現在にとどまった視点で全ての出来事を報告するという形式をとるんだよ。これだけ知っていれば「時制の一致」なんて簡単なんだよ。
コメ欄見る限り俺含めようやく今多くの人間がこの良質チャンネルを発見したようだなぁ。めっちゃ面白いです。
「カメラがパシャパシャ切り替わる」がわかりすぎて激しく頷いてしまった。
昔、アメリカ人が、「私が本を読んでいたと、彼は帰って来た。」とか「私はテレビを観ていたながらご飯を食べた。」と、不必要な時制の一致をさせた変な日本語をしゃべっているのを聞いたことがあります。
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
フランス語の再帰代名詞なんかはまさに神視点なんだな
フランス語だと自分の名前を言う時に「私は私を〜と呼んでいます」と言う文になる
それスペイン語でも一緒です!
分かるの漢字の意味が分かりました、私はよく解るのほうがピッタリくるのでよく使っていましたが、意味が解ると分かるで納得です、アハ体験みたいでいつも楽しみに聞いています、ありがとうございます。
視点に関しては、道に迷った時もそうですね。
英語だと“Where am I ?“ つまり「私はどこ?」
さらに「道に迷った」も”I’m lost” つまり「私が失われた」
まるで上方から自分を見下ろして探している感じ。
英語はカーナビ見てる感じな気がしますよね!!
あーわかりやす
ここはどこ?にならないってことかぁ
@@納豆さん-s5o 英語も話せるハンガリー人です。日本語の「ここはどこ?」という言い方、そしてその裏にある視点の違いを今まで全然把握できませんでしたが、日本語が一人称という仮説で何とか納得しました。
「ここはどこ?」というたびにする不思議な気持ちもいずれなくなるかな
逆に、言語の違いこそが信仰のありかたを規定してきるのではないか?と何となく思いました
それ、思った。
こういう発想すこ。
英語学習初期で出会うsurprise もそうだけど、I was born in〜のbe bornで衝撃を受けたなぁ…産まれるが受動態⁈と言うのから日本語と英語では視点、感覚的なものが既に違うんだなぁ…って衝撃受けたなぁ…
比較言語学楽しい!
「産まれる」は日本語でも受動態では?
日本語も英語も元は産む/bearだけど生まれる/be bornの形でばっかり使うから勉強しないで感覚で使ってるとそれが元のように感じてしまう
このチャンネルを紹介してくれたyoutubeに感謝。。。
日本語と英語はそもそも言語のレベルから『「である」ことと「する」こと』だったわけですね、非常に興味深いです
丸山真男ですね。
ありがとうございます!
友人に紹介されて視聴し始めましたが、とても興味深くて面白いです。続けてくださいね^^
英語の解説動画を見るより英語の理解が深まった感がある気がする
はじめまして。
最近このチャンネルを知り、お二人のユーモアと教養あふれる語り口を聞いて一瞬にしてファンになってしまいました。
英語がTPS(荒野行動)的で、日本語がFPS(COD)的という説明はすごくわかりやすくて目から鱗でした。
ひとつ気になったのですが、英語の祖先にあたるラテン語やゲルマン語の人達って元々はバリバリ多神教なはずで、文法の違いを信仰体系に求めるのは飛躍しすぎなのでは?と感じてしまいました(素人考えですみません)。
英語学習の初歩でこういったことを説明されてたらもっと理解が深まったのなと思った
でもこれを「なるほど,そういうことか」って受け入れるためにはある程度の英語教養が必要だから,全くの初学者に「英語の視点について〜」って説明してもたぶん全然「分かりやすい」とはならないと思う。
@@cmplstofB ある程度勉強してからまた勉強し直すと新たな発見があったり、理解できなかったところが理解できるようになったりするのもそれですよね
日本語はカメラを切り替えるようなものという言葉を聞き、ああ確かにと思いました。自分が本を読めないなと感じたときは、大抵英語のように俯瞰して見てしまっています。日本語の特性がそもそも一人称的なので、三人称的に読んでしまうと上手く想像することができないんですよね。
ですが、この話を聞いてから一人称的な読み方を普段より意識してみました。その結果、本当に文章がすらすら入ってくるし、まるで想像した世界に自分がいるような感覚になるんですよね。貴重なお話をいただけました。ありがとうございます♪
面白いなー
日本人は本当に「自分以外の視点に立つ」ことを無意識にずっとやってるんですね
英語系の考え方だとそれも「自分の視点から相手の立場を見る」になるのかな
欧米人にとって、日本の子どものいる夫婦が、お互いを「お父さん」「お母さん」と呼ぶのがすごく不思議、という話を思い出しました
ごく自然に子どもの視点で家族を見てるんですよね
場の中心を常に意識して
そこを視点にしてるのかな
敬語がそういう感じですよね
英語母語話者で僕の国にも子供の前で夫婦がお互いに"Mom" "Dad"と呼ぶのは普通です
@@gisopolis77
それ子供が小さい時に分かり易くするためだったりしない?
日本だと子供がいない場所でも子供が大きくなってもそう呼び続けることが結構ある
英語の理解にも役立つためになるお話しでした!ありがとうございました!
日本語だと「車のハンドルの前に座る」だけど英語だと「sit behind the steering wheel」になる
これは英語だと神視点(上から)だから、車の進行方向を「前」とした時に運転手はハンドルの「後ろ」に座ってるからbehindを使うんだっては話を某生徒に手出した予備校講師がしていた
誰だろ
モノ、コト、、、それから言語も比較対象こそが面白さの核なのだと気づかせていただいた。優れたチャンネル。それから
、画面の字幕の出し方に視聴者へ言葉の楽しさを伝えたいという「愛」を感じました。
私は純日本人ですが、英語も話します。
寝てる時に見る夢の話ですが、日本語で夢を見るときは自分自身の視点で見ています。でも英語で夢を見るときは、夢の中の自分を空の上にいる別の自分が見ているような視点の夢を見ることが多いです。
そういえば旧約聖書にも「神がその心を頑なにさせた」って表現あるな。
そのあと神が頑なにさせときながら言うこと聞かなかったとか言って罰するんだけど
「カメラの視点」の話はすごく面白いですね
「視点」の違いの直接的な原因はなんだろうか、と考えましたが、その地域の環境・遺伝子プールの違いではないかと思いました
言語が誕生した地域の民族の遺伝的な性格特性と、その言語の構造の間になんらかの傾向があったら面白いですね
それから「分かる(理解する)」が「分割する」と同じだという話は聞いたことがありましたが
前回のソシュールの話を聞いたおかげでやっと腑に落ちました
一種のカタルシスを感じていてすごく気持ちがいいです。ありがとうございます
日本語はほぼ全て存在文
(例)「ありがとうございます」「さようなら」
英語はほぼ全て行為文
(例)「Thank you」「See you」
日本人が書いた海外旅行記をその現地語に翻訳する授業があったが、いちばん悩んだのが「体言止め」。まず話者が何を言いたいか一旦かみ砕き、視点を変えて言い直さないといけないが、主観的な気持ちを代弁するって一筋縄ではいかない。いつも作者に「どういう意味で誰が誰にそう言ってますか」と聞き返したくなる。今思うと、それが「カメラ切替」だったってことね。
Podcast版で運転中に聞かせてもらっています。面白いので聴き続けたいと思います。
昔から感じていたモヤモヤをスッキリさせてくれました。「愛している」と"I love you"はなんか違うと。「存在」目線と「する」目線の違いだったのですね。面白いです。
それで言うと、like→好き(である)も英語の感覚的には好むとなるのかもしれませんね。
「象の鼻は長い」から見始めました。
こんな面白い学問があるんですね。
これからも楽しみにしてます。
たぶん三上さんは日本語のCall of Duty、英語の荒野行動の視点を説明してくれたのかなって思いました。
神の視点であれば主語(誰がやったか)は必要そうだし、視点が移動していくなら主語は必要無さそう(その視点の人が主語になる)です。
「理解」の「解」も同じように分けるという意味ですね。
分解とか解体とかね
酒飲みながら二回目視聴中。あと2,3回は楽しめそう。
英語必ずⅠ入るからFPSやんと思ったけど、日本語は一人称視点だから主語の私を省略できる、英語は三人称だから説明のために主語が必須、ってことか
英語と同じ印欧語でもロシア語は動詞や形容詞(形容詞が述語として使われる場合)の変化形で主語の数と人称が分かるので主語が類推できます。誰がやるかを明示しなければならないとき以外は主語は結構省略されます。主語がいるか要らないかは一人称的観点か三人称的観点かの違いというよりも、それぞれの言語の機能的な問題によると思います。
@@mcv1653 主語が類推できるから略してるだけで日本語とか韓国語みたいに主語が何かは話者の解釈次第みたいなことできないからなぁ
「神」仮説にゾクゾクした者です。
以前NHKで流し見していたアラビア語講座で、動詞の基本形が「三人称男性単数」だと聞いた時に、一神教を生んだ源はこれかもと(後で別でかじった情報によればヘブライ語も同じらしいし)一人で考えていたので、他にも似た説があると知って嬉しくなりました。
今はフランス語を勉強していて、天気の表現で「Il fait beau」のようなパターンが出てきます。普通の文法用語で言えば「非人称」なのでしょうが、文字通り「神が晴れの天気を作っている」というのが元なのかなと考えたりします。
英文法と日本語文法の比較が、フランス語の複雑な時制の理解に役立ちそうな気がしておりますので、今後ともお世話になります。
あ、大事なポイントが抜けていました。
アラビア語・ヘブライ語の動詞の基本形、「三人称男性単数の《過去形》」だという話でした(そもそも「なぜ過去?」と思ったから「神」に辿り着いたんだった...汗)。
無宗教な俺が英語を苦手なのはしょうがないってことだな。
ということは、ご先祖様視点で文法を考えればいいのか。
日本語はFPSで英語がTPS
この考え方を学生時代に知りたかった
整然と分かれた状態になったことから、分かるってのはすごく腑に落ちた。
じゃあ、英語のunderstandも足元に整然と独立して立てられた状態ってところからきてるのか!
と思ってググってみたら、色んな説があって、結局、整然と別れた状態にはならなかった。
引きの為に例えたCoDと荒野行動に本人達がしっくり来てなくて自分らが引きづられる形になってるのおもしろい。
そしてもう当時ほど流行ってもいないのでこちらにもそんなに刺さらないw
川端康成が書いた雪国での一文「トンネル抜けると雪国であった(The train came out of the long tunnel into the snow country)」文章を見せて日本語話者と英語話者にどんな場面を想像しましたか?と質問した話がある
日本語話者は、トンネルを抜けて雪が一面に広がる風景を電車の中から見ている状況を想像した
英語話者は、電車がトンネルから雪が一面に広がる場所へと出て行く風景を空の上から見ている状況を想像した
ここからも日本語はFPSで英語はTPSだとわかる
It was a snow country when train came out of tunnel. みたいに訳せば日本語の意図に近づくわけで。
@お前さぁ、 列車の中からの視点なのかバーズアイなのか、という観点ならこれで十分表現できている。要するに英語にも色々表現のやり方があるってこと。
@@azkensuke 仰る通りです。コメ主の書いた英訳は川端の意図を正確に表せていません。
但し、英訳する際には、その文章の持つ端的さ(のようなもの)も表したいと考えます。その場合、「トンネルを抜けると雪国であった」をコメ主のように訳したくなる気持ちは分からないでもないです。
動画の言うとおり英語だと視点を切り替えるのに不向きなので、切り替える際には、表現がクドくなるということは言えるかと思います。
因みにこの訳はサイデンステッカーって人の訳だというのを付け加えておく
この文の主語はなんだ…と
英訳者が頭を抱える有名文ですね
主語をtrainにおいたのはやむ無しの選択かなと思います
日本人が思うような電車に乗ってる人視点に訳そうとすると、今度は「それ誰…?」を定義しなくてはならず…
英語大変
物理を数字で説明するとか社会を言語で説明するような、研究の対象と手段が異なるものは分かりやすいけど、言語学って研究の対象も手段も共に言語だから混乱しそう。
この話、高校の頃に知りたかった~~~!!!
まんま、
なんで「驚いた」じゃなくて「驚かされた」って言わなきゃいけないんだ!どっから日本語とズレたんだ!
って思ったのが言語学に興味持ったきっかけだったから
なるほど
日本でこれだけ擬人化文化が花開いでるのは
こういう側面もあるのかもしれません
英語的な見方だと擬人化の発想は出て来なそうに思います
日系米国人の英語話者です。チャンネル最高に面白いです!ずっと聴いてます。
英語が神の視点というのは、少し疑問に感じました。人類史上、狩猟採集→言語の発達→農耕の始まり→富が生まれる→専門職業の発達→神官の出現→宗教の発達、と神が生まれるのは言語が出来てから大分後ではないでしょうか?神が生まれるずっと前から言葉があったのだとすると、神の視点で言葉が話されるということがあるのかなあ、と疑問に感じました。実際、「驚かしちゃった?」は、”Did I surprise you?” と主語が I であって、驚かしているのは神ではないですよね。「あの本に感動した」は、”That book moved me.” と、これも感動させたのは本であって神ではありません。ましてや、個人の意思が重要視される西洋において、人の心や感情の全てが他の存在(例えそれが神であっても)によって支配されているという思想は受け入れられにくいように思います。
時制の一致も、” を加えれば一致させなくてもよいわけで (例えば、He said “It is dangerous!”) 日本語と英語でそんなに違うのかなぁ?と思いました。
私も同様のことを思いました。この分野について素人ですが、神などの抽象的概念より先に言葉がありそうですし、言語の歴史的変遷もいろいろとあると思います。言葉一つで片づけるにはあまりに雑なように感じました。
個人の思想の話は68革命に関わってるんじゃないですか?ヨーロッパって宗教がめちゃ強かったはずです。神視点とかは三人称視点の説明の例にしか聞こえません笑
神視点については神がやってるってことじゃなくて神から見て記述してるって話してるのでは?
日本語は人の視点だから「この本は私を感動させた」なんて絶対言わないよ
英語を学んでいる学生ですが、とても英語の世界観を理解しやすくなりました!ありがとうございます
英語
『俺は時間を握ってるぜ』
日本語
『時間? ああ、余ってるみたいですよ』
存在文については、
昔ネットで「所有の概念に関して、英語やフランス語は『haveの言語』、日本語やロシア語は『isの言語』」
と読んだことがあり、興奮して、ロシア語をやっている友達に聞いてみたところ、「そうですが、それがどうかしましたか?」
と興味なさそうに返されたので、それ以上何も聞けませんでした。いつかロシア語も勉強したいです。
その友達草
へ〜〜〜っ!いろんな説の内のひとつではあるんだろうけど、ずっと英語に感じてたモヤモヤが晴れたわ!「英語と日本語で同じことしゃべっててもそもそもの視点が違う」なんて考えたことなかった。
ゲームとしては英語圏ではFPSが売れて、日本ではTPSが人気ありますよね。
おそらく日本ではキャラを操ってるという感覚が強いからだと思いますが、言語の視点と逆なのは面白い。
SIRENの視界ジャックなどは、まさに日本語的であるような気がします。
文法上は一人称視点の日本のほうが、他者からの視線を気にする社会ってのも面白いなぁ
自分の視点に他人が写り込んでいるように、他人から見られているのではないか。という潜在意識があるのかもしれないですね。
逆に英語的には、自分も他人も神から見てそこにあるもので、彼らには過剰な自意識が薄い可能性があると。
面白いですね。
目から鱗です。
視点を切り替えるという行為が、ある意味文外を読み取っていることになり、だからハイコンテクストに通ずるんですかね。
神の視点で記述しなければならないと、誰も神の視点に実際に立つことはできないから、言葉を尽くさざるを得ないのかも。
単数複数の捉え方の違いとかも聞いてみたいです!
宗教観からくる言語構造の違いは私も考えていたのでとても面白かったです。性格についても同じようなロジックが成り立つと感じます。
ゲルマン人も初期のローマの人も一神教ではなかったので一概には言えない気がするなぁ…
英語は神の視点から見ている状況について記述する
→英語で単に"時間がある"と言ってしまうと、"世界のありとあらゆる時間という概念全てを含んだものがある"という意味になってしまう
だから"I"という個人を指定しその人の動作であるとしないと、その人にとって時間があるという正確な意味に限定できない
そうなると、日本語が論理的ではない、とされてしまうのは本質的に当たり前なんですね複数人で共有しやすい第三者視点で状況を記述する英語と、自分の視点から見た状況をそのまま記述する日本語。
複数人で共有できる抽象度の話をする(論理的な話をする)場合においては英語のほうが使い勝手が良さそう
でも日本語のほうがより身体から自然に出てきているように思え、その魅力も感じます
超楽しい、このチャンネル
日本人がデフォルメされた絵に違和感を覚えないのもピカソの凄さがわからないのも視点が切り替わる日本語の影響なんだろうな。
日本語は映像的である(熊谷高幸)
という本を昔読みました
英語は常に管理者を意識していると考えると面白いですね
英語は全体を俯瞰的にまとめているメカニズムを採用していて、
日本語は俯瞰する構造が強制じゃないので、そのつど視点を好きにつなぎ合わせた用法ができる
一神教的な言語と多神教的な言語という解釈もできて面白かったです
日本語においてカメラの切り替えがあるからこそ一人称の語彙が発達した、みたいなことも言えそうですね(因果の方向は逆かもですが)。
I have two sons. と「私は2人息子がいる」の違いは言語の機能的な面での差があるとも思えます。日本語にhaveと一致する言葉がないからというのも利用なのではないでしょうか。
英語と同じ同じ印欧語に属するロシア語でも「所有する」「つかむ」「支えておく」という言葉はあってもhaveに完全に相当する言葉はなく、時間がある、本がある、煮たりの息子がいるという意味の言葉は日本語とほぼ同じ表現です。
すごいわかりみ
日本語は没入言語なんですね
英語を学んできましたが、たくさんのことが腑に落ちました。ありがとう。
四千頭身のなるほどが好き
そんなに似てない……。
私も都築君ににてると思ってました笑
「いいね」を10回は押したい。
1回じゃ足りない。
自分のツボにハマりすぎのチャンネル。
英語を習った時、天から降ってきたitとかあったなあ。
It is 〜
「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」金谷武洋(類型論、日本語教育)著2014
には日本語の特徴を英語仏語と比較しながら詳しく書かれています。素晴らしい名著です。
本のタイトル気持ち悪っ
@@ああ-b3t2i
返信ありがとうございます。本のタイトルは著者に関係なく出版社が決める
と聞いています。何れにせよ本は中身が全てです。日本のためになる本です。
金谷さんの本めっちゃ面白いですよね!でも、その本はタイトル気持ち悪すぎて読んでませんでした..今度読んでみます!
@@majormajormajormajor1378 著者に決定権ないの?.......
比較文化的な話にもなって大変興味深いですね。 例えば、説得する、という行為は、私がxxを説得する、という構図が西洋では普通ですけど、日本では、共感してもらう、という構図になる傾向になりますよね。
surprise, interest, confuse, impressなどは、自分の意思で行ったわけではなく勝手に引き起こされた感情だから受動態になる気がしております
視点が違うというより、物事の起点・原因を明らかにしている感じ
それもそうですね。
僕の解釈を書かせてもらいますが、
日本語では「驚く」という原型の単語で自分の心の動きを表しています。(自動詞)
英語の「surprise」という原型の単語では自分の心の動きを表せず、受動態にする事で、「驚かせられた」という表現ができる様になりますね。(他動詞)
この文法や表現の違いは、視点や考え方(宗教観)が違うことによって生じたのであろうというのが、動画内の説では無いでしょうか。
そこいら全部ラテン系言語からの借用語だからねぇ。
古文が英語っぽい感じがしたのって書き手が見ていたことを書いたものだからなのかも
憑依できるか憑依できないかの差だと思ってました
最近,このチャンネルを知り過去動画を拝見しております。
今回の動画では日本語と英語で宗教的視点が違うから文法が変わったとのことでしたが,逆も考えられるのでは?
文法のパターンが違うから日本は自然中心的な考え方になる認知傾向になり、英語は一神教的思想を受け入れやすいとか。
他の言語との比較が必要だと思うのですが,言語学的には認知・文化・文法の三点は現在どのように影響し合っていると考えられているのでしょうか。
すごくおもしろいです!
玲音がこのコメントしてるの面白すぎる
ヨーロッパの言語の原型ができた頃にはヨーロッパは多神教でしょ
日本語と外国語の差が端的に出るのが「言葉責め」かなw
あちらだと比較を中心に組み立てるw
It rains.も神を前提をしている説がありますよね。
ゲームしながら倍速で聞いてたらぜんぜん理解できなかったので、標準で最初から聞きなおしましたw
宗教と結びつけるのはさすがに仮説としても隙がありすぎると断っておきべきでは。コメント欄見ると本気にしてる人もいるようだよ
小説や書物になると、日本語の方が三人称多くて、源氏物語とか…、英語は一人称書きが多いのが面白い。
日本語を勉強してる英語圏の方や、
英語を勉強してる日本語圏の方は
この話を聴いておくとすんなり理解できるところがあるかもしれないですね。
何だか、図面の一角法と三角法に通じるものを感じました。
ちなみに米国も意外と第三角法だったり...(小声)
@@ankurage さんへ
米国は三角法が主なんですね。
ヨーロッパでは一角法の方が主流だと思うので、そちらを意識していました。
荒野行動もCall of Dutyもやったことないから全然ピンと来なくて分かりにくかったけど動画終盤2人もどっちがどっちか迷ってるの草
突然オススメに出てきた#10からこれ見るとおもしれぇ〜〜〜〜!!!!
時間があるの主語は?に違和感がw
追記
変なハッシュタグになった...
# の後が1桁か2桁の数字ならタグにならないんよね
#10 みたいに数字の後に空白入れればいける
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)
0:11 日本語はCOD、英語は荒野行動
3:04 ホントだ
「日本語はすごく複雑で、そんな言語を生まれた時から耳にして今こうして使っているみなさんなら、言語を学ぶ力があると思いますよ。」
みたいなニュアンスのことを話している人がいた。「うわあ、その視点すげえ!」ってなっていて、この動画みて「これや!」ってなっている。
だって別に英語を日本語に直訳しても意味が通るけどその逆は「は?」ってなるもん。
日本のアニメを見た日本語を母語としていない人々は、そりゃ日本語を勉強したいって思うかもしれない。俺は母語だったからこそ違いが気になって西欧言語に憧れて撃沈しているけれど。
日本人が there is 構文を多く使うのはこの考えが根付いてて、それを英語にも当てはめてしまってるからじゃないかな
ある/いる=there be
みたいに教える教育が悪い気もする
英語は「責任言語」であり、日本語は「(無責任ではないものの)責任所在曖昧言語」。
川端康成の雪国の冒頭のシーンを絵に描かせるとはっきりわかるらしいですね。
気になって調べましたが、面白いですね
英語ではThe train came out of the long tunnel into the snow country.と訳されるそうですが、そこから視点が違っていて、
原文そのままだと「何がトンネルを抜けたの?」と感じてしまい、日本人なら自然にできる主人公の視点に立つことができないとか。
面白そう!俺も調べよ〜っと
これ、洋楽のSeptemberとかLast Christmasみたいな曲の歌詞にも影響してそう
日本語の失恋ソングは主に追体験なんだけど、上の二つは失恋を思い出してる自分って曲だよな
心理学部生なので心理学用語を使わせて頂きます。英語はサーヴェイマップ的で、日本語はルートマップ的である。
日本語の物語は大好きですが、宿題で出た英語の物語などはなんか分かりづらく話も面白くない…と思ってました。
多分視点がずっと俯瞰で外から話を眺めているだけなのを何となく感じ取って話に没入できなかったんですかね
想像したい映像は1人称なのに上手くそれを想像できなくて、映像にモヤがかかっている感じというか。
逆にこの説を聞いて、そういうもんだと思って英語長文を読めばもう少し楽しく読めるのかなー、
今更嫌いな英語を勉強しようとは思えないけど笑
そういや、動詞の単純な終止形、「みる」「聞く」とか、普通の会話でそれで文が終わること、まずないよな…
英語の?の部分が理解出来ました。つまり宗教に基づいた発想ですね。
日本人は、あくまで自分の視点が前提だから“私”といった主語が省けるんですね。
最近、文脈を読めない日本人が増えてる、と言う人がいますけど、日本語の理解も中途半端、英語の理解も中途半端だからなのかな?と思いました。
英語の小説の翻訳本で、時制の一致に忠実にいちいち過去形にしていて、本当に翻訳の専門家なのか?置き換えれば良いってものじゃないでしょと思うことがある。
その翻訳者は日本語を知らないのでしょう。日本語を日常話す日本人だから訳せるなんてのは勘違い。
字幕好きだ
スペイン語(ロマンス語)には日本語的な視点、”山が見える”もあるし、英語的ば視点もあるし、面白いですね。
"〜が好き" って表現とかそうですよね。(es) me gusta 〜 と好みの対象を主語にしていて、英語のi like よりも日本語の感覚に近いと言えるかも。
1年近く前の動画にいうのは野暮かもしれないけど、
この回は、ちょっと学術的ではなく、言語俗説レベルのものが多すぎるかなぁ。
誰かが言えば「説がある」のかもしれないが、証明のしようがないし、
動画中で述べられた傍証のようなものも、英語周辺の印欧語に限っても、異なるものも多いです。
ところで、haveは、実は日本語への直訳不能な動詞の一つですよね。
「持っている」ですって?
これは、持つ+て+いる で、持つ動作の結果が存続していることを言っているだけで、
英語で言うとhave gotに相当する現在完了形の表現。
動詞love、like、rememberなんかも、対応する直訳表現がない。
昔英語習ったときに天気も引っかかっていたのですが、これも神視点、自然視点の影響なんですかね。
It rains..., It snows...に対して雨が降る、雪が降る。
普通に疑問なんですが、
岡田斗司夫さんのTH-camで聞いた話では、昔、ヨーロッパ諸国は、日本と同じ多神教だったときいたのですが、
なら、なぜ日本と同じ多神教だったのに、ヨーロッパ件の英語は神視点になっているのでしょうか。
また、それがマリア信仰がおこってから変化したなら、言語の視点的解釈?もそんな百年単位で変化するのでしょうか?
キリスト教に限らず、一神教イデオロギーは一種の精神の病気ですからね。欧米で多神教の歴史言語文化について、真剣に研究しているのは古代史研究者か印欧語研究者ぐらいです。ヨーロッパ各地では古代の多神教の聖地の上にキリスト教教会が建てられました。ドイツでルターの反ローマ・カトリックの宗教改革が起きたのも、ナチスドイツが古代ゲルマン宗教を模倣したのも、偶然ではありません。
さまざまな視点から感想や意見が飛び交うこのコメント欄が楽しすぎる
ただ発信者の内容だけで終わらない感じが、SNSのたまらないところよね。
神と言語表現との関係は面白い考え方ですね。ただ、英語などインドヨーロッパ語の基本型は、セム系の一神教が出てくる以前に形成されたのではないでしょうか。
そこは、一神教的な概念がもともとあったがまだ実体化し(宗教として形になって)ていなかっただけと考えれば良いのではないでしょうか。もともと一神教が受け入れられやすい下地があったから一神教が普及したし、言語構造も神視点が根本にあるように発展したと。
コメントいただき、ありがとうございます。インドヨーロッパ語が広がった地域では、ギリシャ・ローマ、北欧、インドなど、紀元前の時点で大部分の地域が多神教でした。たとえばローマでのキリスト教迫害の歴史などを見れば、ローマ人にはセム系の一神教的な考え方は受け入れ難かったはずです。ですので、インドヨーロッパ諸語の成立に一神教的な考え方が影響しているとは、にわかには信じがたいです。もちろん多神教でも「神」の概念はあるので、「神の立場から自分を見る」ことは多神教でもできると思います。ただ、そうすると、なぜ多神教(神道)の日本では、そういう見方をする言語にならなかったのか、という新たな疑問が湧いてきます。
重要な事、インドは多神教ですよ。
次の#6を見たら、最後の部分で堀元さんが気づいてました。