ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
小林さんの江戸弁が耳から離れない…😅
とても勉強に成ります。小林と河上の対談、本を読んだだけではその人物は分らない。喋り方や声を聴いてこそ、その人間のアウトランイがわかる。
私もそう思います。この対談や九大での録音などを聞いてから、小林の著作の読み方が変わりました。ただこうした現象は私達の想像力の貧困さや迂闊さから来るようにも思えます。何かを読む時、いつも文字の向こうにこうした得難い関係や執着や筆舌に尽くせぬ美しい人達がいることを忘れたくないですね。
いやぁ素晴らしい音源をありがとうございます恥ずかしながら最近になって小林秀雄先生の偉大さに気付き濫読をしています感無量です
初めてコメント致します。お二人の肉声をお聞きして涙が出ました。小林秀雄さんの講演のテープは聴いて居ましたからお声は承知しておりましたが、リラックスした日常会話レベルは初めてお聞きしました。でも小林さんの文章は私にとっては心の声です。有難う。
対談の後、河上が帰った後、小林は「河上は死ぬよ」とさめざめと泣いた。
郡司勝義さんの「小林秀雄座談」という文章に書いてあったエピソードですね、それ。
こう言う話方をする人ってなぁ、めっきり居なくなったね。いや、懐かしいね。
素晴らしい対話を記録し、You Tubeにアップロードして戴きありがとうございます。2021.6.20.
何回も何回も繰り返し聴かせて貰っていますが、歴史が人を造るとおっしゃっておりますが、歴史認識をどの角度から見るかによって180度変わって来るので、身に得る事は難しいしと、小林先生がおっしゃるのがよく分かります。二人の会話は、ほのぼのとしていたが、最後の小林先生の悲痛な呻きが、二人の深い交わりを感じ、羨ましくもあります。
貴重な録音をありがとうございます。以前、小林の書いた随筆「酔漢」を読んで爆笑したものですが、こうして肉声を聞くことができて、胸がジンジンしました。
明示35年生まれのお二人、素晴らしい対談ありがとうございます。今の日本人に全くない感覚が随所にあり歴史や文化に対する洞察が素晴らしいですね。今に踏襲されない無念さを感じます。
こんな関係の友達がほしかったなあ
なんかね、その場に同席して黙って聴かせてもらっているイメージした。なんか小津安二郎作品にエキストラで出演できた気分になった。
以前から聞きたかった対談。貴重な音源をアップしていただき、ありがとうございます。
家のどこかにCDがありますが、悲しくって何度も聴けず行方不明です。
このおじいちゃんたち仲良すぎるなめっちゃ微笑ましい笑笑
切ない気持ちになりますね
レベルは違うけれど、ふと大昔、丸の内の居酒屋を思い出した。商社の人って結構議論好き多くて大学の教授以上の生きた知識があった。ドイツやアメリカやイギリスに滞在していた連中の会話を思い出した。もう何十年も昔。
お互い信頼関係ができてて羨ましい!
氏のどのような難解な批評よりも、よく伝わってきます。実人生ってのは難しい まさに、柳田さんの祠の事件と同じと思う。小林さんだって予想はついていても、こればっかりは人生初の体験だから河上さんの弱り様は切なかったと思う。
最後の所が、とりわけ、いいですね。
昭和54年7月24日の対談。同じ明治35年生まれのふたりはこのとき77歳。河上さんはこの対談の翌年の秋に亡くなられた。享年78歳。
なんということだろうね 言った通りに 自分にはこれ映像が浮かんできて ちゃぶ台に差し向かいお話していく一本の映画にしか感じられない そうなるとラストシーンで泣いてしまう 小津作品のよう
河上:お前、今日、どうしてこんなに俺を小林:んっ なんで? 1:03:50
ありがとうございます
なんだか終わりが切ない...
モコ これが今生の別れでいいと言った後での河上さんの、「お前と会いてえな、もっと」が切ないですね。
こういうのを親友と言うのでしょうね。
こうゆう人生を噛み締めながら生きてる者同士の会話を生身で聞いてみたいししてみたい。
小林「え~と、ちょっと待ちなさいよ」河上「なんだ、考えるのか?」小林「うん、ちょっと考える」河上「まぁ一杯飲もう」まるで小説のような語り合いこれだけで今の時代にはない良い味がある。
20:15
こんなに目を閉じて聴いていただけで映画をひとつ観終わった気分になったのは初めてでした…ラストシーンは涙出ましたよ
知らん奴には知らせる事は出來ん、といふ定理 24:1042:5844:56 「ヴァレリイぢやなくて俺だよ!」ドストエフスキー 48:2051:50 歴史はエモーション『わが小林秀雄 』59:151:03:50 徹太郞モテ期到來
まだ聞いてないけど、有難い話が聞けそう。
20201221視聴いたしました。たもり、おもいだしました。『ありがとう、とお礼をいった、ことがない。』赤塚不二夫へ。大人と大人の会話だなあー。『徳川の人物が明治に乗りうっている。』なにとは、いえず、大事な話だな。ハーバートノーマン。おぼえておきます。どっかで、聞いたおぼえがーー。いろいろと、かんじました。アップ、ありがとうございます。
河上徹太郎は小林秀雄にとって無二の存在なんですが、なぜか評価は低いですね。全集とて新たに出ませんし、著作も僅かしか入手できません。弟子の吉田健一も同様で全集は絶版ですね。ちなみに中村光夫も死後はあまり注目されない。夭折した中也や富永太郎は仕方ないにせよ、小林を取り巻いた文学の衛星群はもっと評価されても良いと思います。かろうじて大岡昇平だけは読まれているようですが。
「君知ってる?」と発した河上が間髪!「失礼だなぁっ」と自問する!意に介さず座談は進む!若ければこんなことが殴り合いのきっかけなんだろうなぁ。
小林は漫画家の杉浦茂を可愛いがっていた。
座談会ではあるが実に知的な飲んべえによる高尚な酒飲み話。酔っぱらった自分を思い出すと更にレベルの差を感じる。しかし、酩酊した時は小林秀雄の方が酒癖は悪かっただろう。後半、小林は河上を賞賛しているような、絡んでいるような。これが小林秀雄の酒癖かと考えた。
なんとも愉しい心地良い料亭での対談でしたよ。アップ有難うございました。
勧 君 金 屈 卮満 酌 不 須 辞花 発 多 風 雨人 生 足 別 離
何処で音源ば調達したとか!?
雑誌『考える人 2013年 05月号』の付録CDではないでしょうか
41分ぐらいで出てくる「ドンネ」とはなにを指す言葉なのでしょうか?
donnéとはフランス語で直訳すれば「与えること、与えるもの」を指します。哲学におけるドンネは認識活動における思考の前提とされていますが、小林のいうドンネはより個人的な感覚与件のようなものです。ベルクソンのいう直覚によってのみ得られる全的な存在のことを指しているはずです。「君は僕というドンネを見つけてくれた」。この言い分に、自分の実在を発見し、全的に救済してくれた河上へのこの上ない謝辞があると私は理解しています。
ありがとうございます!『意識の直接与件論』でのdonnéesと同じことでしたか。不勉強で申し訳ないのですが、小林さんの全的な存在ということは、このドンネというのは、『物質と記憶』でいうところの純粋記憶とほぼ同義といっていいのでしょうか?つまり、ドンネとは小林さんの持続する魂(?)を指すのでしょうか?
capslockshiftさん全く同じ思いです84才
速記しているあの女性は誰だろう。2021.6.20.
徂徠は孔子だね。宣長は徂徠から学ぶところ多々あった。我が意を得たりです。
礼楽はふるまいか?思志か?
番号知らねぇよ通い帳じゃあるまいし笑
はあ、辛いなあ。年取ったなあ。ワロタ
身にうる?面従腹背など無しっうこと?
小林さんの江戸弁が耳から離れない…😅
とても勉強に成ります。小林と河上の対談、本を読んだだけではその人物は分らない。喋り方や声を聴いてこそ、その人間のアウトランイがわかる。
私もそう思います。この対談や九大での録音などを聞いてから、小林の著作の読み方が変わりました。ただこうした現象は私達の想像力の貧困さや迂闊さから来るようにも思えます。何かを読む時、いつも文字の向こうにこうした得難い関係や執着や筆舌に尽くせぬ美しい人達がいることを忘れたくないですね。
いやぁ素晴らしい音源をありがとうございます
恥ずかしながら最近になって小林秀雄先生の偉大さに気付き濫読をしています
感無量です
初めてコメント致します。お二人の肉声をお聞きして涙が出ました。小林秀雄さんの講演のテープは聴いて居ましたからお声は承知しておりましたが、リラックスした日常会話レベルは初めてお聞きしました。でも小林さんの文章は私にとっては心の声です。有難う。
対談の後、河上が帰った後、小林は「河上は死ぬよ」とさめざめと泣いた。
郡司勝義さんの「小林秀雄座談」という文章に書いてあったエピソードですね、それ。
こう言う話方をする人ってなぁ、めっきり居なくなったね。いや、懐かしいね。
素晴らしい対話を記録し、You Tubeにアップロードして戴きありがとうございます。2021.6.20.
何回も何回も繰り返し聴かせて貰っていますが、歴史が人を造るとおっしゃっておりますが、歴史認識をどの角度から見るかによって180度変わって来るので、身に得る事は難しいしと、小林先生がおっしゃるのがよく分かります。
二人の会話は、ほのぼのとしていたが、最後の小林先生の悲痛な呻きが、二人の深い交わりを感じ、羨ましくもあります。
貴重な録音をありがとうございます。以前、小林の書いた随筆「酔漢」を読んで爆笑したものですが、こうして肉声を聞くことができて、胸がジンジンしました。
明示35年生まれのお二人、素晴らしい対談ありがとうございます。今の日本人に全くない感覚が随所にあり歴史や文化に対する洞察が素晴らしいですね。今に踏襲されない無念さを感じます。
こんな関係の友達がほしかったなあ
なんかね、その場に同席して黙って聴かせてもらっているイメージした。
なんか小津安二郎作品にエキストラで出演できた気分になった。
以前から聞きたかった対談。貴重な音源をアップしていただき、ありがとうございます。
家のどこかにCDがありますが、悲しくって何度も聴けず行方不明です。
このおじいちゃんたち仲良すぎるなめっちゃ微笑ましい笑笑
切ない気持ちになりますね
レベルは違うけれど、ふと大昔、丸の内の居酒屋を思い出した。商社の人って結構議論好き多くて大学の教授以上の生きた知識があった。ドイツやアメリカやイギリスに滞在していた連中の会話を思い出した。もう何十年も昔。
お互い信頼関係ができてて羨ましい!
氏のどのような難解な批評よりも、よく伝わってきます。
実人生ってのは難しい まさに、柳田さんの祠の事件と同じと思う。
小林さんだって予想はついていても、こればっかりは人生初の体験だから河上さんの弱り様は切なかったと思う。
最後の所が、とりわけ、いいですね。
昭和54年7月24日の対談。同じ明治35年生まれのふたりはこのとき77歳。河上さんはこの対談の翌年の秋に亡くなられた。享年78歳。
なんということだろうね 言った通りに 自分にはこれ映像が浮かんできて ちゃぶ台に差し向かいお話していく一本の映画にしか感じられない そうなるとラストシーンで泣いてしまう 小津作品のよう
河上:お前、今日、どうしてこんなに俺を
小林:んっ なんで? 1:03:50
ありがとうございます
なんだか終わりが切ない...
モコ
これが今生の別れでいいと言った後での
河上さんの、「お前と会いてえな、もっと」が切ないですね。
こういうのを親友と言うのでしょうね。
こうゆう人生を噛み締めながら生きてる者同士の会話を生身で聞いてみたいししてみたい。
小林「え~と、ちょっと待ちなさいよ」
河上「なんだ、考えるのか?」
小林「うん、ちょっと考える」
河上「まぁ一杯飲もう」
まるで小説のような語り合い
これだけで今の時代にはない良い味がある。
20:15
こんなに目を閉じて聴いていただけで映画をひとつ観終わった気分になったのは初めてでした…
ラストシーンは涙出ましたよ
知らん奴には知らせる事は出來ん、といふ定理 24:10
42:58
44:56 「ヴァレリイぢやなくて俺だよ!」
ドストエフスキー 48:20
51:50 歴史はエモーション
『わが小林秀雄 』59:15
1:03:50 徹太郞モテ期到來
まだ聞いてないけど、有難い話が聞けそう。
20201221
視聴いたしました。
たもり、おもいだしました。
『ありがとう、とお礼をいった、ことがない。』赤塚不二夫へ。大人と大人の会話だなあー。
『徳川の人物が明治に乗りうっている。』
なにとは、いえず、大事な話だな。ハーバートノーマン。
おぼえておきます。
どっかで、聞いたおぼえがーー。
いろいろと、かんじました。
アップ、ありがとうございます。
河上徹太郎は小林秀雄にとって無二の存在なんですが、なぜか評価は低いですね。全集とて新たに出ませんし、著作も僅かしか入手できません。弟子の吉田健一も同様で全集は絶版ですね。ちなみに中村光夫も死後はあまり注目されない。夭折した中也や富永太郎は仕方ないにせよ、小林を取り巻いた文学の衛星群はもっと評価されても良いと思います。かろうじて大岡昇平だけは読まれているようですが。
「君知ってる?」と発した河上が間髪!「失礼だなぁっ」と自問する!意に介さず座談は進む!若ければこんなことが殴り合いのきっかけなんだろうなぁ。
小林は漫画家の杉浦茂を可愛いがっていた。
座談会ではあるが実に知的な飲んべえによる高尚な酒飲み話。酔っぱらった自分を思い出すと更にレベルの差を感じる。しかし、酩酊した時は小林秀雄の方が酒癖は悪かっただろう。後半、小林は河上を賞賛しているような、絡んでいるような。これが小林秀雄の酒癖かと考えた。
なんとも愉しい心地良い料亭での対談でしたよ。アップ有難うございました。
勧 君 金 屈 卮
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
何処で音源ば調達したとか!?
雑誌『考える人 2013年 05月号』の付録CDではないでしょうか
41分ぐらいで出てくる「ドンネ」とはなにを指す言葉なのでしょうか?
donnéとはフランス語で直訳すれば「与えること、与えるもの」を指します。哲学におけるドンネは認識活動における思考の前提とされていますが、小林のいうドンネはより個人的な感覚与件のようなものです。ベルクソンのいう直覚によってのみ得られる全的な存在のことを指しているはずです。
「君は僕というドンネを見つけてくれた」。この言い分に、自分の実在を発見し、全的に救済してくれた河上へのこの上ない謝辞があると私は理解しています。
ありがとうございます!
『意識の直接与件論』でのdonnéesと同じことでしたか。
不勉強で申し訳ないのですが、小林さんの全的な存在ということは、このドンネというのは、『物質と記憶』でいうところの純粋記憶とほぼ同義といっていいのでしょうか?
つまり、ドンネとは小林さんの持続する魂(?)を指すのでしょうか?
capslockshiftさん全く同じ思いです84才
速記しているあの女性は誰だろう。2021.6.20.
徂徠は孔子だね。宣長は徂徠から学ぶところ多々あった。我が意を得たりです。
礼楽はふるまいか?思志か?
番号知らねぇよ通い帳じゃあるまいし笑
はあ、辛いなあ。年取ったなあ。ワロタ
身にうる?面従腹背など無しっうこと?