【特別インタビュー】弘法大師・空海が残した密教からわかる理想の世界|高野山金剛峯寺 執務公室長 藪邦彦 × 小名木善行
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024
- 【目次】
0:33 弘法大師が求めた理想とは
2:55 弘法大師が描いた世界
7:36 日常に生かせる密教の教え
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前半の動画はこちら
• 【人生が豊かになる】密教に学ぶ欲との向き合い...
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空海さんは改めて偉大だと思いました。
その教えは多くの人から伝わっていて、密教というものを学んでいない者にも理解できる不思議さがありました。
3日前に生まれて初めて高野山に行ってきました。スゴく山深い中にある高野山。自然と一体になる感じや生かされている感じ、そんな不思議な空気を感じる不思議な場所でした。私ごときの拙い言葉で言い表すにはあまりにも高野山は偉大すぎます。
貴重なお話をありがとうございました✨
なんで静かな口調ながら優しく力強く、説得力がある話し方、語り方なんだろう。密教という事と、何やら怪しく聞こえますが、通常社会を理解するのに役立つ為のアイテムの様な気がしてきたなぁ··羽根の様にとは良く言ったなぁ··
言葉では言い表すことが非常に難しいですが、凄く勉強になります。
是非、高野山に行ってみたい!
是非、高野山へ行かれてください。この機会が御縁だと思います。🙇♀🙏
ご縁やご恩という言葉は外国にはない、言い表せない日本語と言われています。
巡りめぐって、全てのものに自分は生かされていることに感謝し尊ぶ、この仏教から来た日本の言葉を、大事にしていきたいですね。
真言密教というと貴族だけの秘密の教えというイメージが強かったのですが、国家鎮護、全ての日本人の幸せを切に願ってくれていた空海さんだったのですね。
同行二人。
お大師様は、私達に寄り添っていてくださる。
ありがたいですね。
南無大師遍照金剛🙏✨
3年前から宇宙からの教えを寝ても覚めても教えられました。そして今まで教えてきた事は密教と言うものだと、知らされました。宗教は知らないけど高野山へいつかは行ってみたいです。
般若心経と理趣経の真髄、菩薩の心をもてば煩悩を仏の心へ浄化させる教え。発菩薩心。神仏習合の思想は大切です。😊 南無大師遍照金剛 合掌
先日不思議な夢を見ました。境内で全く面識の無い男性から密教、密教ですよと言われ一緒に参拝する夢でした。教科書くらいしか密教なんて見ることも言葉にする機会も無いのになぜ急に?となりました。気になりすぎて本日高野山ではありませんが、東寺へ行かせて頂きました。まるで答え合わせのようでした。弘法大師に呼ばれたんだと、あの夢の男性は大師だったのではないかと。そして大日如来様の前に立つと涙が自然に出てきました。いくつもお寺には行っていますが、お逢い出来て本当に嬉しいという気持ちになれたのは初めてです✨ 行けて良かったです。ぜひ次は高野山に行って大師の心に思いを馳せたいと思いました。素晴らしいお話しをありがとうございました✨
脳天の上、20センチくらいのとこで パチンと弾けた。
その瞬間から、おやじが大好きになった。すべてのこだわりが消え
理屈抜きでおやじが好きになった。2010年7月23日 熱中症で救急搬送
薄暗い待合室で待ってる時のことだった。次の瞬間、意識が戻った と
医師に呼ばれた。浅草 観世音菩薩が、理屈抜きで好きです。おやじは、3年後 他界。
素晴らしいお話
ありがとうございました。
なぜだか涙がこぼれてとまりません
そうですか、伝わるんですね☺
高野山へは行かれましたか?是非足を運ばれてください。🙇♀🙏
いつもありがとうございます
宗教はかつて政治の深く関与していました
今はなぜか分かたれています
仏様の世界を作るのが政治の仕事だ思いました
政治家こそ宗教家であるべきではないでしょうか
まさに仏さまの世界を創り出す仕事を全ての人々がされますように祈るばかりです
日本において政治と宗教を分けたのはアメリカですよね。
当時のアメリカは、日本の強さは信仰にあると思っていた。天皇を神とする信仰を持っていて、その神が政治的実権を持っているからアメリカを含む白人社会は東南アジアの植民地を全て失ってしまった。だから天皇から政治的実権を奪い、最終的には天皇を処刑するつもりでいたんですよね。
で、日本に政教分離をさせた当のアメリカは、議会では発言をする時には聖書に手を置いて誓いを立てるんですから矛盾していますが、日本ではその矛盾は言わない。
天国?密教に天国て概念は存在するの?
このおじいちゃんは密教わかってるのか?
どの宗派とか別にして修行された方のお話は
いつもありがたいお言葉が詰まってますね。
同行二人。覚えておきます。
お大師様いつもありがとう。
大変勉強になりましたありがとうございます
南無大師遍照金剛感謝です。
ありがとうございます!
かつて弘法大師空海が、虚空蔵菩薩求聞持法の真言を100万回唱え終わった時、明星が口に飛び込んだという経験をして 虚空蔵菩薩と一体になった。それが実体験だったのだろうね。言葉では伝えられない事だから、人は追体験しなければ理解できないでしょうね。
小名木さんの相槌が、ちょっと的外れなような........藪様のお話は本当に感動的なので、もったいない気がします。
ん~~~面白かった。
何が?と言うと
TH-camでディスカバリーチャンネルを見てると 西洋と東洋の自然への畏敬の念の持ちかたへの入り方の違いがある事がわかって、面白かった。
聞くだけでいいす。
聞く美しさを体現してください。
真言は一緒にやりましょうと言ってるイメージ
身・口・意を調えて、大欲を持てるわたくしでありますよう、何卒、導かせ賜へ。結実成就成さしめ賜へ。南無大師遍照金剛🙏😌。
みんなの喜びを自分の喜びにする。
この世は日々修行で自分の行いで天国にも地獄にもなると思います^ ^自分はこの世は天国と思っています。
そう、薬物の混入や嫌がらせや暗殺なんてしてちゃダメなんですよ。
日本人は 我想う故に我無し(武田邦彦) 人間は言葉で考えたり喋ったりするのですが キリスト教信者はこれは自分が想っているということが前提となっています。なぜなら彼らは言葉は神が発声してると考えてるからです。間違ってる 正しいということではなくて 欧米のひとはみんな同じ考えなのです。主語を必ず入れる喋り方 此れを観ても分かります
インドの歴史
ヨーガ以前
紀元前2500-1500年頃の彫像
ヨーガの起源には不明な点が多く、その成立時期を確定することは難しい。ヨーガの起源を最も古くに見るものは、紀元前2500年-1800年のインダス文明に、その遠い起源を持つとするもので、これは20世紀初頭の考古学者達によって考え出されたものである[78]。1921年にモヘンジョ・ダロとハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらは、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈した[78]。そこから宗教学者エリアーデも、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした[78]。近代に至るヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている[78]。日本で出版されているヨーガに関する書物でも、インダス文明にヨーガの起源をみるとする立場を取るものも多い。
しかし、佐保田鶴治も指摘するように、このような解釈は、あくまで推論の域を出ないものであるという[79]。インダス文明には、文字らしきものはあっても解読には至っておらず、文字によって文献的に証明することのできない、物言わぬ考古学的な史料であり、全ては「推測」以上に進むことはできない、と佐保田は述べている[79]。また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている[80]。近年、このようなインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており[81]、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。
インダス文明は、アーリア人のインド侵入とともに衰退したともいわれる。アーリア人が紀元前12世紀頃に編纂した『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダの時代には、「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としてのヨーガを指す用例はない[82]。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている[83]。その後、先住民(ドラヴィダ人)の土着信仰がアーリア人の正統バラモン思想圏に取り入れられる中で、瞑想や修行を基礎とする宗教的な行為としてのヨーガの思想実践が発展していったと思われる[16]。
広義のヴェーダ文献の最後に当たるのが、ウパニシャッド(奥義書)であり、バラモン教の一群の聖典を指す言葉である[84]。ウパニシャッドの基本思想は、多様多彩で変化し続けるこの現象世界には、唯一不変の実体(ブラフマン、梵)がその本質として存在し、人間の個体の本質(アートマン、我)はブラフマンと同一であるという梵我一如の思想である[84]。個人の本体は大宇宙の本体と同一であり、何らかけたところのない自身の本体を把握する者は、大宇宙の本体を我が物とできると考えられた[84]。こうした実感は、ウパニシャッドの哲人たちにより詩のような形で断片的に語られていたが、徐々に論理的に整理されていった[84]。
ウパニシャッドの時代では、単語としての「ヨーガ」が見出される最も古い書物は、紀元前500年-紀元前400年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[85]。この書では、ヨーガという語は「ヨーガ・アートマー」という複合語として記述されているが、そのヨーガの意味は「不明」であるという[85]。紀元前6世紀から4世紀に成立したと考えられる『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの実践はまだ明確に定義されていない[86]。
紀元前5世紀には、ガンジス川平地で政治的経済的な発展があり、小さな国の首領だったものクシャトリア(王族・武士)階級は、新たに生まれた都市の支配者層になり、ヴァイシャ(商人)階級は、経済発展に伴って富を蓄積し力を得た[87]。世襲の祭祀階級であったバラモンは、諸神崇拝の祭祀・呪術を担っていたが、その祭祀主義は形式化し、それまでの権威を失っていた[87]。クシャトリアとヴァイシャは、バラモン階級の人々と同様またはそれ以上の社会的地位を彼らに与える新しい宗教に関心を持った[87]。世俗を離れて出家しさまざまな新しい思想を展開する宗教者たちが現れ、彼らは沙門(サマナ、励む人の意味)と呼ばれた[87]。このような中生まれたのが、仏教とジャイナ教であり、開祖のブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦。紀元前5世紀頃)とマハーヴィーラはともにクシャトリヤ出身で、紀元前5世紀頃の人物である[87]。仏教とジャイナ教は、ともに正統バラモン教からは異端とされている。
「させていただく」という言葉は水商売の世界から来たものと思い込んでいたが大本はこちらの方であったのか?抵抗なく聞くことが出来ました。
曼荼羅ー2
種類(形態)
曼荼羅はその形態、用途などによってさまざまな分類があるが、まず以下の2形態に大別される。
密教経典に基づき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示したもの[1]
金銅製の法具「供養曼荼羅」。日本密教およびネパール密教では使用されない、チベット密教独自の法具。
1に属するものは、材質面からは、以下のような形態に分類される。
紙や絹布、寺院などの壁面に顔料を用いて描いたもの[3]
砂曼荼羅:壇を作り、その壇上に、宝石などを砕いたり、彩色した様々な色彩の砂を用いて描いたもの[4]
立体曼荼羅:諸尊や楼閣を、鋳物や塑像で造立し、曼荼羅の形式に配列したもの[4]。日本密教では、この形態を 羯磨曼荼羅(かつままんだら)と称する。京都・東寺講堂に安置される、大日如来を中心としたの21体の群像は、空海の構想によるもので、「羯磨曼荼羅」の一種と見なされている。「羯磨」とはサンスクリット語で「働き、作用」という意味で、チベット仏教では羯磨曼荼羅(かつままんだら)は、日本密教における金剛界曼荼羅九会の供養会に相当するものに対する呼称として使用される[5]。
また、主尊と眷属たちの形態の描写方法からは、次のように区分される。
大曼荼羅 - 経典の主尊をはじめとする諸仏の像を絵画として表現したもの。
三昧耶曼荼羅(さまやまんだら、さんまや-) - 諸仏の姿を直接描く代わりに、各尊を表す象徴物(シンボル)で表したもの。諸仏の代わりに、金剛杵、蓮華、剣、鈴などの器物が描かれている。これらの器物を「三昧耶形」(さまやぎょう)と言い、各尊の悟りや働きを示すシンボルである。
法曼荼羅 - 諸仏の姿を直接描く代わりに、1つの仏を1つの文字(サンスクリット文字、梵字またはチベット文字)で象徴的に表したもの。仏を表す文字を仏教では種子(しゅじ、あるいは「種字」とも)と言うことから、「種子曼荼羅」とも言う。
2の「供養曼荼羅」は、チベット仏教および仏教化したチベットの固有宗教ボン教に置いて「曼荼羅供養」の際に用いられる法具で、円形の銅盆1と大小の銅輪3、「勝幡」1より構成される[6][7]。
種類(用途)
宗教的実践(灌頂、成就法の修習)からは、次のように分類される。
創作されたもの
(1)砂曼荼羅:→前節を参照
(2)絵画の曼荼羅:→前節を参照
禅定により生起されたもの:成就法を実践するに際して、観想のうえで生起したもの。楼閣と、その各所に布置された本尊・諸尊という形式をとる場合が多い。
身体曼荼羅:2のうち、とくに行者自身の身体の各部位を曼荼羅の諸尊そのものとして生起したもの
1は、灌頂の際に使用される。 2および3は、密教行者が成就法各種を実践する際に観想のうえで生起される。曼荼羅の主尊と行者が一体となる行法の舞台となる。
立体曼荼羅は、初心の行者が2を生起する際の参考資料にはなるが、灌頂の儀式や成就法の実践には使用されない。
種類(内容)
インド密教の歴史は、5・6世紀を萌芽期とし、13世紀初頭のインド仏教滅亡までの約800年間にわたり、さらに初期密教・中期密教・後期密教の3期に区分される[8]。
初期密教:密教がインドに現れてから、『大日経』、『金剛頂経』などの、組織的な密教が成立するまでの時期。
中期密教:7世紀。初期密教の完成形として『大日経』、のちに後期密教に発展していく『金剛頂経』などが登場する時期。
後期密教:8世以降。『金剛頂経』系の密教が発展していく。
初期密教の経典と曼荼羅
この時期の経典を、日本密教では「雑密経典」、チベット密教では「所作タントラ」に分類する[9]。本尊となる尊格や中心的テーマにしたがって文殊・観音・金剛手・不動・ターラー・仏頂、総・雑部陀羅尼などに分類される[10]。これらの経典にもとづく曼荼羅では、日本でもなじみの深い仏たちが整然と描かれている[2]。
中期密教の経典と曼荼羅
この時期の経典を、日本密教では「純密経典」、チベット密教では「行タントラ」および「瑜伽タントラ」に分類する。
胎蔵曼荼羅を説く『大日経』系の密教が、行タントラに相当する[9]。根本タントラとして『大日経』が位置付けられ、『金剛手灌頂タントラ』や『三三摩耶荘厳タントラ』などが含まれる[11]。チベット仏教の胎蔵曼荼羅が、『大日経』の所説により忠実に描かれているのに対し[12]、日本密教では、独自のアレンジの度合いが大きい[13]。
金剛界曼荼羅を説く『金剛頂経』、『理趣経』系の密教が、瑜伽タントラに相当する[9]。『金剛頂経』は、十八会十万頌といわれる膨大な密教経典の総称をいうが、このうちの「初会(しょえ, 第一部)」のみを指す用法もある[14]。二十八種の曼荼羅を説く[15]。日本密教の「金剛界曼荼羅」は、『金剛頂経』の「金剛会品」の曼荼羅6種、「降三世品」の曼荼羅2種に、『理趣経』の曼荼羅を付け加えて「九会(くえ)」としたものである[15]。
後期密教の経典と曼荼羅
『金剛頂経』以後に成立した後期密教の経典群[9]は、チベット仏教では「無上瑜伽タントラ」として最上位の評価を付されている[9]が、日本には一部を除き伝来していない[9]。チベットでは、さらにこれを「父タントラ(方便タントラ)」(ぶ- )、「母タントラ(般若タントラ)」(も- )、「不二タントラ(方便般若不二タントラ)」(ふに- )に分類する[16]。日本密教では胎蔵・金剛界の両部を不二とするが、チベットでは無上瑜伽に父(方便)と母(般若,智慧)をたて、これを不二とする[17]。
父タントラ(方便タントラ)は、『秘密集会タントラ』(グヒヤサマージャ・タントラ)を根本タントラとする部類と、ヤマーンタカの部類に分けられる[17]。父タントラを代表する曼荼羅には、『秘密集会』の阿閦金剛三十二尊曼荼羅、ヤマーンタカ類のうち、ヴァジュラバイラヴァ十三尊曼荼羅がある[1]。
母タントラ(般若タントラ)は、へーヴァジュラ類、ダンヴァラ類、デムチョク・アーラリ類、サマーヨーガ類などに分類される[17]。曼荼羅は、ヘーヴァジュラ九尊曼荼羅、サンヴァラ六十二尊曼荼羅などが名高い[1]。
不二タントラ(方便般若不二タントラ)には、『文殊師利真実名経』(もんじゅしりしんじつみょうきょう)と『時輪タントラ』(カーラチャクラ・タントラ)が含まれる[17]。
日本密教独自の分類
日本では、根本となる両界曼荼羅と、別尊曼荼羅とに大別されている。
両界曼荼羅 - 「両部曼荼羅」とも言い、「金剛界曼荼羅」「大悲胎蔵曼荼羅」という2種類の曼荼羅から成る。「金剛界曼荼羅」は「金剛頂経」、「大悲胎蔵曼荼羅」は「大日経」という、日本密教では根本経典として扱われる経典に基づいて造形されたもので、2つの曼荼羅とも、日本密教の根本尊である大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置している。密教の世界観を象徴的に表したものである。なお、詳細は「両界曼荼羅」の項を参照。
別尊曼荼羅 - 両界曼荼羅とは異なり、大日如来以外の尊像が中心になった曼荼羅で、国家鎮護、病気平癒など、特定の目的のための修法の本尊として用いられるものである。修法の目的は通常、増益(ぞうやく)、息災、敬愛(けいあい、きょうあい)、調伏の4種に分けられる。増益は長寿、健康など、良いことが続くことを祈るもの、息災は、病気、天災などの災いを除きしずめるように祈るもの、敬愛は、夫婦和合などを祈るもの、調伏は怨敵撃退などを祈るものである。仏眼曼荼羅、一字金輪曼荼羅、尊勝曼荼羅、法華曼荼羅、宝楼閣曼荼羅、仁王経曼荼羅などがある。
チベットにおける分類
チベット密教では、日本密教のように、大日経の胎蔵曼荼羅と、金剛頂経の金剛界系の各種曼荼羅が、突出して重んじられるようなことはない。
サルマ派3派(サキャ・カギュ・ゲルク)
チベット仏教の4大宗派うち、ニンマ派をのぞく3派(サキャ・カギュ・ゲルク=サルマ派)は、プトン・リンチェンドゥプの所説にもとづき、密教の経典(=タントラ)を四分する。
小名木さんが解説するには無理が有りますね。修行者にしか解らない体験できないものではないでしょうか。
聞き手がどうあるかまで教えて下さり、ありがとうございました。
聞き手が話し手より前に出ると本当に不快ですね。
曼荼羅―3
所作タントラ
行タントラ
瑜伽タントラ
無上瑜伽タントラ
ニンマ派
ニンマ派では、寂静・忿怒百尊曼荼羅が代表的である[1]。寂静42尊と忿怒58尊から成り、両者で一対とされる[1]。 ニンマ派に特徴的な埋蔵経典を集成した『埋蔵宝典(リンチェン・テルズー)』には、埋蔵経典に解かれた曼荼羅327点が収録されている[1]。
密教曼荼羅以外の神仏の集会(しゅうえ)図の呼称
日本では、以下のような、密教の経典・儀軌に基づく曼荼羅以外の、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、曼荼羅の呼称を冠して使用する派生的な用法がある。
浄土曼荼羅 - 浄土(清らかな国土)とは、それぞれの仏が住している聖域、理想的な国土のことで、弥勒仏の浄土、薬師如来の浄土などがあるが、単に「浄土」と言った場合は、阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すことが多い。浄土曼荼羅とは、「観無量寿経」などの経典に説く阿弥陀浄土のイメージを具体的に表現したものである。この種の作品を中国では「浄土変相図」と称するのに対し、日本では曼荼羅と称している。日本の浄土曼荼羅には図柄、内容などから大きく分けて智光曼荼羅、当麻曼荼羅、清海曼荼羅の3種があり、これらを浄土三曼荼羅と称している。
垂迹曼荼羅 - 日本の神道の神々は、仏教の諸仏が「仮に姿を変えて現れたもの」だとする思想を本地垂迹説という。この場合、神の本体である仏のことを「本地仏」と言い、本地仏が神の姿で現れたものを「垂迹神」と言う。特定の神社の祭神を本地仏または垂迹神として曼荼羅風に表現したものを垂迹曼荼羅と言う。これにも多くの種類があり、本地仏のみを表現したもの、垂迹神のみを表現したもの、両者がともに登場するものなどがある。代表的なものに熊野曼荼羅、春日曼荼羅、日吉山王曼荼羅などがある。それぞれ、和歌山県の熊野三山、奈良の春日大社、比叡山の鎮守の日吉大社の祭神を並べて描いたものである。
宮曼荼羅 - 本地仏や垂迹神を描かず、神社境内の風景を俯瞰的に描いた作品にも「曼荼羅」と呼ばれているものがある。これは神社の境内を聖域、浄土として表したものと考えられる。この他、仏教系、神道系を問わず、「曼荼羅」と称される絵画作品には多くの種類がある。
法華曼荼羅-法華経の世界を図や梵字、漢字などで表したもの。天台宗、真言宗などで用いられる。
大曼荼羅- 日蓮の発案したもので、題目の周囲に漢字と梵字で釈迦や多宝如来などの仏・菩薩、仏弟子、中国天台宗の先師賢哲、インド・中国・日本の神々などの名号を配置したもの。また中央の題字から長く延びた線が引かれる特徴から髭曼荼羅とも呼ばれる。日蓮を宗祖と仰ぐ諸宗派で本尊として用いられる。
チベットでは、「密教の経典・儀軌に基づく曼荼羅」ではない仏菩薩・歴代の論師・宗祖が集会(しゅうえ)するツォクシン(ཚོགས་ཤིན། ཚོགས་ཞིང་།)というタイプの仏画がある。仏陀から根本ラマ(རྩ་བའི་བླ་མ་)に至る師資相承の系譜を図示したもので、三世の諸仏・守護神(イダム)・護法神(チューキョン)などがこれを囲繞する。六加行法の第4次第「聖衆の世界の観想」(ཚོགས་ཞིང་གསལ་བདབ་པ་�)に置いて使用される[18][19]。
曼荼羅供養の法具としての「曼荼羅」
チベット仏教における供養の一種に「曼荼羅供養」があり、この供養に用いられる金銅製の法具も「曼荼羅」と称する。 この供養では、この法具「供養曼荼羅」(もしくはこれを代用する印契)を用いて、十方三世の諸仏に捧げる供物とする。
供養曼荼羅は、銅の盆と数センチ幅の直系の異なる銅輪3、左記の銅盆上に銅輪3組を用いて盛り付けるための「宝石」(または「洗米」)、頂上におく「勝利の幡」から構成され、須弥山を中心とする全世界を象徴する[20]。
曼荼羅ー1
曼荼羅
(マンダラ、梵語:मण्डल maṇḍala、チベット語:དཀྱིལ་འཁོར་(キンコル, dkyil 'khor))とは、密教の経典に基づいて主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像[1]。密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表し[2]、その種類は数百にのぼる。古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。漢字による表記のバリエーションとして「漫荼羅」や「曼拏羅」、「曼陀羅」等があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。
日本では、密教の経典・儀軌に基づかない、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、曼荼羅の呼称を冠する派生的な用法が生じた。またチベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、「曼荼羅」の呼称が使用されている。
語源
「曼荼羅」は、サンスクリット語 मण्डलの音を漢字で表したもの(音訳)で、漢字自体には意味はない。なお、मण्डल には形容詞で「丸い」という意味があり、円は完全・円満などの意味があることから、これが語源とされる。中国では円満具足とも言われる事がある。
インドでは諸神を招く時、土壇上に円形または方形の魔方陣、マンダラを色砂で描いて秘術を行う。色砂で土壇上に描くため、古い物は残っていないが、チベット仏教などでは今でも修行の一環として儀式、祭礼を行う時に描かれる。
・みつごん‐じょうど〔‐ジヤウド〕【密厳浄土】 の解説
大日如来がいる浄土。大乗密厳経に説く、三密で荘厳された浄土で、密厳国・密厳仏国ともいう。真言宗では、このけがれた国土そのままが密厳仏国であると説く。
・一切衆生悉有仏性
いっさいしゅじょうしつうぶっしょう
生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており,すべて悟りうるという仏教の思想。諸説もあって,なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) ,草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) ,精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。大乗仏教の『涅槃経』にみえる句。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル大辞泉「一切衆生悉有仏性」の解説
一切いっさい衆生しゅじょう悉有仏性しつうぶっしょう
生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質をもつということ。涅槃経に説く。一切皆成。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
ヨーガー3
「ヨーガ」という言葉
サンスクリット語のヨーガ (योग) は、「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」という意味の動詞 根√yuj(ユジュ)から派生した名詞で、「結びつける」という意味もある[12]。つまり語源的に見ると、牛馬を御するように心身を制御するということを示唆しており、「軛(くびき)」を意味する英語yokeと同根である。『リグ・ヴェーダ』では、精神統一や瞑想を意味する yoga の用法はほとんど見られない[57]。バラモン階級を中心に伝承されたのは祭式(祭儀)や呪術を中心とする信仰であり、アーリア人が祭祀に行うことで目指したのは yoga-kṣema(労働と休息、獲得と所有)であり、一般的に言うと「幸せ」「快適」であったといえる[57]。この場合の yoga は、幸せを獲得することであった[57]。「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」から派生し、乗り物、実施、適用、手段、方策、策略、魔術、合一、接触、結合、集中、努力、心の統一、瞑想、静慮(じょうりょ)という意味がある[4]。最初は具体的にものを結び付けるという意味で使われ、次いで抽象的なものの結びつきについて使われるようになり、さらに心と対象との結びつきを意味するようになったと考えられる[4]。
ヨーガが発展し体系化していった初期には、心を三昧に結び付けるというように「結合」「合一」を意味しており、『ヨーガ・スートラ』は「ヨーガとは心の作用のニローダである」(第1章2節)と定義している[16][58](ニローダは静止、制御の意[59])。森本達雄によると、それは、実践者がすすんで森林樹下の閑静な場所に座し、牛馬に軛をかけて奔放な動きをコントロールするように、自らの感覚器官を制御し、瞑想によって精神を集中する(結びつける)ことを通じて「(日常的な)心の作用を止滅する」ことを意味する[12]。
ヨーギニー女神の像、10世紀
日本では一般に「ヨガ」という名で知られているが、サンスクリットでは「यो」(ヨー)の字は常に長母音なので「ヨーガ」と発音される[† 4]。漢訳は相合、成、摂、成就、精勤修行など、音訳は瑜伽(ゆが)[4]。中国で瑜伽は瑜伽行唯識派の呼称でもあったため、区別のためか、修行法としてのヨーガを指す言葉としてはあまり使われていない[60]。
古典ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)やハタ・ヨーガという時のヨーガが指しているのは、行法でありその体系であった。古典ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』よりも新しいヨーガを伝える『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典でもあるが、ここでのヨーガの用法は『ヨーガ・スートラ』より広く、宗教実践の道や方法、修行全般をも意味すると解釈できる[61][16]。仏教ではヨーガという言葉は、修行の正しいあり方といった意味でも使われていた[62]。
ヨーガの行者は日本では一般にヨーギーまたはヨギと呼ばれるが、ヨーガ行者を指すサンスクリットの名詞語幹は男性名詞としてはヨーギン (योगिन्、瑜祇)、女性名詞としてはヨーギニー (योगिनी、瑜伽女) であり、ヨーギーはヨーギンの単数主格形(日本語にすると「一人の男性行者は」)に当たる[63]。インド研究家の伊藤武によると、サンスクリット語のヨーギニーに「ヨーガをする女性」の意味はない[64]。現代日本ではヨーガを行う女性を俗にヨギーニと呼ぶことがあるが、前述のようにサンスクリットでは「ヨー」は常に長母音なので、女性名詞はヨーギニー (yoginī) であってヨギーニではない[65]。ヨギーニは英語読みに由来する発音だと説明する本もあるが[66]、英語の発音は /'joʊgəni/ (ヨウギニ)または /'joʊgəniː/ (ヨウギニー)である。ヨギーニという日本固有の新しい呼称には、ヨーガに付いたオウム真理教のイメージを払拭しようというヨーガ関係者の意図があるようである[49]。
修行者は男性であった[† 5]。タントリズムの性的ヨーガにおいて、男性行者の性行為の相手をする女性がヨーギニーと呼ばれていた[† 6]。南インドで、親が娘を神殿や神(デーヴァ)に嫁がせる宗教上の風習デーヴァダーシー(神の召使い)の対象となった女性もヨーギニーと呼ばれた[75]。彼女たちは伝統舞踊を伝承する巫女であり[76]、神聖娼婦、上位カーストのための娼婦であった[75][77](1988年まで合法であった[75])。
・三業(さんごう)
身・口・意の三つで起こす「業」(ごう)のこと(仏教用語) →「三業 (仏教)」を参照。
三業(さんぎょう)
料亭・待合茶屋・芸者置屋の三業種の総称 →「花街」項を参照。三業から待合を除いたものを二業という。
・三密(さんみつ)とは密教の用語で、「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「意密・意(こころ)に曼荼羅の諸尊を観想する」の総称[1]。一般の仏教でいう三業にあたり[2]、また仏の場合を指し、三密加持によって相応する[3]。法身の動きと衆生の動きとが一致するのを「無相の三密」といい、身に印を結び、口に真言を唱え、意に本尊を念ずるのを「有相の三密」という。
空海の『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)によると、
「それ如來の説法は、必ず文字(もんじ)による。文字の所在は六塵(ろくぢん)その体なり。六塵の本は法仏の三密すなはちこれなり。平等の三密は、法界に遍じて常恒(じゃうごう)なり」 訳:そもそも如來の説法は、必ず文字によっている。文字の所在においては、六塵(見えるもの・聞こえるもの・嗅げるもの・味わえるもの・触れられるもの・考えられるもの)がその主体である。六塵の本質は宇宙の真理たる仏の三密(身体・言語・意の神秘的な働き)にほかならない。(如来の)差別のない三密は、法界(全世界)に満ち満ちており、永遠である。[4]
とある。空海の「真言」では、大日如来を象徴とする宇宙の根源から発せられた人間の声すべてのこの世界の音を理解し、体得し、それと同一になることで、自分だけではなく、すべての衆生の救済を目的としていた。すなわち「情報としての言語」ではなく、「叡智としての言語」としての「真言」を語ろうとしており、「言語」を正確に発音し、正しく理解することが必要とされたのである。
・三密
さんみつ
仏教用語。秘密の三業(さんごう)(身(しん)・口(く)・意(い)によって行われる理想的行為)の意。すなわち身密・語密(口密)・意密(心密)の三で、おもに密教でいう。顕教(けんぎょう)では、凡人では推し測れない仏の三業をいうが、密教では、仏の三業は体(たい)・相(そう)・用(ゆう)の三大のなかの用大(真如(しんにょ)の働き)であって、衆生(しゅじょう)の三業もまたその隠された本性においては仏の三業とまったく同じであるとして三密という。
[小野塚幾澄]
「真言」はインドからーなるほど。しかし、それは土地柄(原型なる言葉ー木の枝葉のように派生したゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教また、それぞれの言葉の枝)やその仏教、言葉だけでは達しえない奥の真理の領域、その中で日本に戻りて奥の真理の再発見、確認をしたのではないかなあ。
ビルゲイツに聞いて欲しいこのお言葉。
間に合わないかも。。。
中国で真言宗の起源をたずねますと、一行阿闍梨と言うかたが善無畏にたぼらかされて、法華経にしかない義を真言宗に入れたということであります。
大日如来は、あくまでも八相作仏の相を持って出現する実仏ではなく、理仏であります。
高野山真言宗僧侶になるのに、いくら高野山にお金払うか知ってるか?得度15万、授戒5万、前行10万、加行65万、保証人になってもらうお礼に20万、教師になったら60万、毎年2万。なんぼいい事言っても、金金金、課金課金の世界。空海が伝えたいものは何なのか。。。
大学と比較して考えれば、安いなと
🗾🏠👃阿弥陀🎯🏹🏹因縁🙈🧵回し👣👣延命👃⛩🎯🎍🎍👻🗻🗻
🧵🧵結び👃🥨吉🛕🎯👃🎌🎌🎌因縁🖊🖊学👃門🎍🎍🎍美👩🎯好👣👣掛かり🎍🎍曲がり
今の坊さんがなにしてくれるのか 弘法大師様みたいに全国を回って池を作ったり人を救ったりしてくれるのか?
ただお経読んで話するだけ?
お釈迦様の本懐は法華経であります。天台宗の一行が善無畏にたぼらかされて、大日経に法華経にしかない一念三千の義があるかのようにして、大日経琉を作成したのであります。
大日経はあくまでも方便の教え、仮の教えでであります。真実の教え、実大乗教は法華経であります。
本懐である法華経を倒す教えなので、一家にあっては長男がたたない、早死にしてしまうなどの現証が出てしまうのであります。
養子縁組なども多いと聞きます。
私の父方は真言宗であります。
17:00
頭で不可能と言う人は、まだ人生が始まっていないのである。