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「無限にある人生もほんの一瞬」まさにそうです。まぶた閉じるほどの速さ。最後のコメント「聞けるうちにいっぱい聞いておいた方がいいですね」私も本当にそう思います。我が家に残るアルバムを開くと、ご先祖様でありながら、もう、どんな方で、どんな関係で、どんな人生を送られた方か、今となっては誰も語ってくれなくなりました。お仏壇に手を合わせながら、世の無常を感じ、自らの不肖を詫びるばかりです。いつも、小田急TIME様の感性がとても心に響きます。ありがとうございました。
無限にあると思った人生も振り返ってみると一瞬ホントにこれですね
"もっといろいろ聞けたのにな"それはものすごくわかります。両の祖父母も当然のごとく亡く、数年前に父すらも失って、最後の伯父も行ってしまい。もっと皆から懸命に聞いて、記憶すべきだったことが、すでに失った後になってしまいました。悲しいです。
表紙がエジプト模様のアルバム 同じものが我が家にも現存します。80年,90年刻みで永々と次の世代に受け継がれていく営み気が遠くなりそうです。
お母様はご昭和9年生まれなら私の母親と同じですね。写真の裏に丁寧にメモ書きしていて几帳面な方だったんすね。それにとても達筆ですね。
大好きなアルバムシリーズ❣️しかも小田急TIMEさんの御先祖様だなんって🥰私もやってみたい。
板橋区民としては、興味深いですね。一昨日氷川神社通ったばっかり。
お疲れ様です。今回はご先祖さまの若い頃のアルバムですね!
懐かしい雰囲気が分かる私は小学校1年の集合写真ですが無くなり今回紹介され私は懐かしい時代が私にも有ったんだよねと思い出す一人だけど今もがんばって生きてます
ジーンときた。ノスタルジックな表現のセンス抜群だと思う。
いつも楽しみに拝見しています。10:05 「六中寮」とありますが、これは現在の都立新宿高校(当時の第六中学校)が保有していた水上寮のことですね。高校時代に合宿で利用しましたが、2014年に取り壊されました。疎開先の施設として利用されていたのは知りませんでした。懐かしいです…。
ご先祖様と我が父はほぼ同年代とても思います。今年の10月で90歳。耳は遠くなりましたが、元気に杖も使わず歩いております。古いアルバムがありますが、元気なうちに色々話を聞かねばと思いました。水上の現況に言葉がありません。かつては上越特急の停車駅。新幹線が通らないことも影響しているのでしょうか。
写真はいいですね 今はデジタル化されてほぼ写真はありませんがこうして裏面に説明を書いておけば未来の人が足跡を探してくれるかもと思うとわくわくします
6:14 後列の人たちの着ているのは国民服です。背広を仕立て直したりして作っていたようです。戦中の新聞にも国民服関連の記事や広告をよく見かけます。右の人はネクタイをつけているように見えるので、戦後の写真ではないでしょうか。戦中なら国民服だけで慶弔全てに行ける、ということになっていたので省略されているはずです
9:09隠れていたのは女の子?『私も写ろうかな』と思っていたのでしょうか?可愛い❤️
戦前は、学校に軍人さんが常駐していたと思います。教練などがあったのでは❓
いつも拝見しております。動画最後の言葉…なんだか胸にジーンと響きました。小田急TIMEさんの言葉だから響いたのだと思います。祖母や祖父に聞く事は出来ないけれど、母や父ならなんとか聞けるかもしれないので聞いてみようと思えました。有難うございました。
04:55の植物園での集合写真をグーグル検索に掛けるとヒマラヤスギが多数ヒットするので樹種はヒマラヤスギではないかと思います。園内でヒマラヤスギを探せばいいかもしれませんが、80年ほど前ですからね杉も年寄りになっていますね^^ちなみに新宿御苑のヒマラヤスギもヒットしました。
ちょうどこの動画の1年前まで大山に住んでいました。まさか小田急TIME様のご先祖さまが近所に住んでいたとは、、、世の中狭いですね。
2:16これだけはっきり撮れていたら、大きめの虫メガネで一人ひとりの表情をじっくり見ていけば、ご先祖さまに出会える気がします。
お疲れ様です、最近ですがよく思うのは写真自体が貴重さが無くなった事とデータ化されていて、アルバムもデータとして保存が進んで、私自体も以前の写真データはちゃんとまとめてなく、無くなったものが大半だと思います。パソコン保存は機器がダメになったり、外付けハードども使えなくなり中のデータがダメになったものとか多いですよね。近年はデータを外部に貯めていくことも出来るので良くなってきていると思いますが、なにしろ以前と違い沢山溜め込むって事だけが多く、カメラで撮ったりスマホで撮ったり処理ってむずかしいですね。昔の写真が貴重であった時代は確実にアルバムに張り付けるって今は憧れになってきてます。
ふと、何世代前から「ご先祖」と呼ぶのが正しいのだろうかと考えつつ、祖父母の写真整理をしながら見入ってしまい、手がお留守になっております。
私の個人的な感覚では祖父母より前だと思うのですが、、。この写真の方がご先祖様と呼ばれるなら小田急TIMEさんてよっぽどお若いのかな?
ご先祖様の話は聞けなくても、小田急TIMEさんのご身内は、皆様立派に人生を全うされたということではないでしょうか。今回のアルバムがその証拠だと思います。たとえ、語り継ぐことはなかったとしても、私達も人生を・・・・・・・。
国民学校のクラスは男女別だったのですね。
人生は一瞬の瞬き
僕は昭和5年生まれの父から本人のこと、祖父、祖母のことを聞いて書き残していますよ。しかし、祖父は寡黙だったので父もあまり本人から話は聴いてなかったようで自分が子供の頃の記憶の範囲内でしか分からないのが残念です。二重橋の前では100年近く前に30前後と思しき祖父も記念写真撮ってましたね。
御先祖さまは、亡き父と同い年のようです。
いつも動画ありがとうございます😊ところで氷川神社のあの写真の謎の人物は一体…
二重橋前で記念写真を撮ったのは二回有ります、ひとつは中学の就学旅行で、昭和44年5月、二回目は社会人となってから、両親が上京してはとバスのツアーに参加したとき。
ご先祖様と言うのがちょっと謎です。最後の説明でお父様ではないとするとはて誰でしょうか。年代からするとてっきりお父様だと。小石川植物園の写真の二枚目はここで出会った軍人らしいと言われましたが、私は教師たちではないかと思いました。女性たちはいかにも教師っぽいです。遠足に同行した先生たちではと思います。それにまったく知らない人たちを大事なアルバムに残すでしょうか。
きっと御祖父様かなぁ、と。私(60代)の両親がこの頃小学生だったので。。
左の人は軍服でしょうが中央、右の人の服は国民服ですね
私も引率の先生方だと思います。戦後数年は衣服も不足していたので戦中の国民服や軍服を着ている人は多かったようですね。
(子供達が写っている)集合写真の左端上の男性と二枚目右上の男性は同一人物に見えます。前者はそのクラスの担任の教師だと(常識的には)考えられるので、やはりご指摘の通り、後者の男性は「引率した教師」、そして前列の女性陣も他のクラスの教師たちという気がします。左の人はいかにも軍服のままなので、当時常駐していた軍人さんかもしれませんが....
ご先祖様は戦争も潜り抜け苦労して苦しい時代を生き抜いておられた事でしょう!今は平和、便利過ぎるか?知らんけど。
前に、同僚の御祖母様のアルバムを見せてもらった事があります。遠足の写真に、赤ちゃんをおんぶした人が写っていました。誰と聞いたら、ばあやですと、流石!お嬢様学校!修学旅行にマミヤは当たり前でローライを持って来た持って来た人もいたらしいです。ローライは当時車1台分はしたんじゃないでしょうか?
冒頭のご先祖様の小学校の写真が1946年って存命の親父が16歳の時だからご先祖って違和感ありすぎだわ
実家にばあ様の持ってた古いアルバムがあるけど、亡くなった時に全部燃しちったかな?あのアルバムが積み上がった辺りには、「霧島昇ベスト(LP)」や、「帰ってきたヨッパライ」「花の首飾り」のジャケットといった、レコード類もあったんだけど・・・
「無限にある人生もほんの一瞬」まさにそうです。まぶた閉じるほどの速さ。最後のコメント「聞けるうちにいっぱい聞いておいた方がいいですね」私も本当にそう思います。我が家に残るアルバムを開くと、ご先祖様でありながら、もう、どんな方で、どんな関係で、どんな
人生を送られた方か、今となっては誰も語ってくれなくなりました。お仏壇に手を合わせながら、世の無常を感じ、自らの不肖を詫びるばかりです。いつも、小田急TIME様の感性がとても心に響きます。ありがとうございました。
無限にあると思った人生も振り返ってみると一瞬
ホントにこれですね
"もっといろいろ聞けたのにな"
それはものすごくわかります。
両の祖父母も当然のごとく亡く、
数年前に父すらも失って、
最後の伯父も行ってしまい。
もっと皆から懸命に聞いて、
記憶すべきだったことが、
すでに失った後になってしまいました。
悲しいです。
表紙がエジプト模様のアルバム 同じものが我が家にも現存します。80年,90年刻みで永々と次の世代に受け継がれていく営み気が遠くなりそうです。
お母様はご昭和9年生まれなら私の母親と同じですね。写真の裏に丁寧にメモ書きしていて几帳面な方だったんすね。それにとても達筆ですね。
大好きなアルバムシリーズ❣️しかも小田急TIMEさんの御先祖様だなんって🥰私もやってみたい。
板橋区民としては、興味深いですね。
一昨日氷川神社通ったばっかり。
お疲れ様です。今回はご先祖さまの若い頃のアルバムですね!
懐かしい雰囲気が分かる私は小学校1年の集合写真ですが無くなり今回紹介され
私は懐かしい時代が私にも
有ったんだよねと思い出す
一人だけど今もがんばって
生きてます
ジーンときた。ノスタルジックな表現のセンス抜群だと思う。
いつも楽しみに拝見しています。
10:05 「六中寮」とありますが、これは現在の都立新宿高校(当時の第六中学校)が保有していた水上寮のことですね。
高校時代に合宿で利用しましたが、2014年に取り壊されました。
疎開先の施設として利用されていたのは知りませんでした。懐かしいです…。
ご先祖様と我が父はほぼ同年代とても思います。今年の10月で90歳。
耳は遠くなりましたが、元気に杖も使わず歩いております。古いアルバムがありますが、
元気なうちに色々話を聞かねばと思いました。水上の現況に言葉がありません。
かつては上越特急の停車駅。新幹線が通らないことも影響しているのでしょうか。
写真はいいですね 今はデジタル化されてほぼ写真はありませんがこうして裏面に説明を書いておけば未来の人が足跡を探してくれるかもと思うとわくわくします
6:14 後列の人たちの着ているのは国民服です。背広を仕立て直したりして作っていたようです。戦中の新聞にも国民服関連の記事や広告をよく見かけます。右の人はネクタイをつけているように見えるので、戦後の写真ではないでしょうか。戦中なら国民服だけで慶弔全てに行ける、ということになっていたので省略されているはずです
9:09隠れていたのは女の子?『私も写ろうかな』と思っていたのでしょうか?可愛い❤️
戦前は、学校に軍人さんが常駐していたと思います。教練などがあったのでは❓
いつも拝見しております。
動画最後の言葉…なんだか胸にジーンと響きました。
小田急TIMEさんの言葉だから響いたのだと思います。祖母や祖父に聞く事は出来ないけれど、母や父ならなんとか聞けるかもしれないので聞いてみようと思えました。有難うございました。
04:55の植物園での集合写真をグーグル検索に掛けるとヒマラヤスギが多数ヒットするので樹種はヒマラヤスギではないかと思います。園内でヒマラヤスギを探せばいいかもしれませんが、80年ほど前ですからね杉も年寄りになっていますね^^
ちなみに新宿御苑のヒマラヤスギもヒットしました。
ちょうどこの動画の1年前まで大山に住んでいました。まさか小田急TIME様のご先祖さまが近所に住んでいたとは、、、世の中狭いですね。
2:16これだけはっきり撮れていたら、大きめの虫メガネで一人ひとりの表情をじっくり見ていけば、ご先祖さまに出会える気がします。
お疲れ様です、最近ですがよく思うのは写真自体が貴重さが無くなった事とデータ化されていて、アルバムもデータとして保存が進んで、私自体も以前の写真データはちゃんとまとめてなく、無くなったものが大半だと思います。
パソコン保存は機器がダメになったり、外付けハードども使えなくなり中のデータがダメになったものとか多いですよね。
近年はデータを外部に貯めていくことも出来るので良くなってきていると思いますが、なにしろ以前と違い沢山溜め込むって事だけが多く、カメラで撮ったりスマホで撮ったり処理ってむずかしいですね。
昔の写真が貴重であった時代は確実にアルバムに張り付けるって今は憧れになってきてます。
ふと、何世代前から「ご先祖」と呼ぶのが正しいのだろうかと考えつつ、祖父母の写真整理をしながら見入ってしまい、手がお留守になっております。
私の個人的な感覚では祖父母より前だと思うのですが、、。
この写真の方がご先祖様と呼ばれるなら小田急TIMEさんてよっぽどお若いのかな?
ご先祖様の話は聞けなくても、小田急TIMEさんのご身内は、皆様立派に人生を全うされたということではないでしょうか。今回のアルバムがその証拠だと思います。たとえ、語り継ぐことはなかったとしても、私達も人生を・・・・・・・。
国民学校のクラスは男女別だったのですね。
人生は一瞬の瞬き
僕は昭和5年生まれの父から本人のこと、祖父、祖母のことを聞いて書き残していますよ。しかし、祖父は寡黙だったので父もあまり本人から話は聴いてなかったようで自分が子供の頃の記憶の範囲内でしか分からないのが残念です。二重橋の前では100年近く前に30前後と思しき祖父も記念写真撮ってましたね。
御先祖さまは、亡き父と同い年のようです。
いつも動画ありがとうございます😊
ところで氷川神社のあの写真の謎の人物は一体…
二重橋前で記念写真を撮ったのは二回有ります、ひとつは中学の就学旅行で、昭和44年5月、二回目は社会人となってから、両親が上京してはとバスのツアーに参加したとき。
ご先祖様と言うのがちょっと謎です。最後の説明でお父様ではないとするとはて誰でしょうか。年代からするとてっきりお父様だと。小石川植物園の写真の二枚目はここで出会った軍人らしいと言われましたが、私は教師たちではないかと思いました。女性たちはいかにも教師っぽいです。遠足に同行した先生たちではと思います。それにまったく知らない人たちを大事なアルバムに残すでしょうか。
きっと御祖父様かなぁ、と。私(60代)の両親がこの頃小学生だったので。。
左の人は軍服でしょうが中央、右の人の服は国民服ですね
私も引率の先生方だと思います。
戦後数年は衣服も不足していたので戦中の国民服や軍服を着ている人は多かったようですね。
(子供達が写っている)集合写真の左端上の男性と二枚目右上の男性は同一人物に見えます。前者はそのクラスの担任の教師だと(常識的には)考えられるので、やはりご指摘の通り、後者の男性は「引率した教師」、そして前列の女性陣も他のクラスの教師たちという気がします。左の人はいかにも軍服のままなので、当時常駐していた軍人さんかもしれませんが....
ご先祖様は戦争も潜り抜け苦労して苦しい時代を生き抜いておられた事でしょう!今は平和、便利過ぎるか?知らんけど。
前に、同僚の御祖母様のアルバムを見せてもらった事があります。遠足の写真に、赤ちゃんをおんぶした人が写っていました。誰と聞いたら、ばあやですと、流石!お嬢様学校!修学旅行にマミヤは当たり前でローライを持って来た持って来た人もいたらしいです。ローライは当時車1台分はしたんじゃないでしょうか?
冒頭のご先祖様の小学校の写真が1946年って存命の親父が16歳の時だからご先祖って違和感ありすぎだわ
実家にばあ様の持ってた古いアルバムがあるけど、亡くなった時に全部燃しちったかな?
あのアルバムが積み上がった辺りには、「霧島昇ベスト(LP)」や、「帰ってきたヨッパライ」「花の首飾り」のジャケットといった、レコード類もあったんだけど・・・