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すいません 昭和41年の間違いでした。ご指摘してくださった方々、ありがとうございます
1966年(昭和41年)は、六十年に一度の丙午(ひのえうま)といって出生率が一時的に急落した年だ。丙午に生まれると縁起が悪いという古い迷信が高度成長期の日本社会を覆いつくしたのだ。お蔭で1966年4月2日~1967年4月1日生まれの人は当時の受験地獄の中でも楽な受験ができた。まぁそうは言っても現在のポストゆとり世代ほどの少子化ではなかったし、当時は浪人生もたくさん吹き溜まっていたので、今ほど楽な受験ではなかった。ちなみにA宮妃(メトロポリタン美術館非常勤職員M子の母親)とKK母(wanna-be NYベンゴシの母親)が共に1966年生まれな点で何やら禍々しいものを感じてしまう。次の丙午は2026年(令和8年)だが、只でさえも低迷している出生率が更に急落するのだろうか。
お父さん、もう亡くなられてるのですね。写真の中ではこんなに若くはつらつとしてるのに。寂しさもありますが、それも含めて写真は色々なことを語ってくれますね
昭和…懐かしい素敵な思い出を見ました✨輝かしいです。一時、時間を忘れてしまいました。ありがとうございます。
ぼくも以前自分が赤ん坊のころ1年ほど住んでいた写真でしか知らない社宅を探して見に行きました。木造平屋でこの時はもう誰も住んでいませんでしたが当時のままで残ってたので記憶にないのに何故か感慨深かったです。
なんだろう。縁もゆかりもない人と場所の写真。なのに観ていて涙が出てきた。写真の女の子は自分と同世代ということもあるかもしれない。でもそれ以上に感情移入できるその時代、そのときの日本を思い起こし、泣けてくるのかもしれない。写真のご主人はすでに亡くなっているが他の方はお元気というところで涙腺は決壊した。縁もゆかりもない人と場所なのに。小田急TIMEさんの『皆様お疲れ様です 小田急TIMEです』という声、優しいピアノのBGMがまた胸に沁みます。そして一枚の写真、一冊のアルバムから紐解かれる写真の中に写し出されている人々の生きた軌跡の探訪。自分も自分の親が生きた時代の軌跡を辿ることをライフワークとしているので、小田急TIMEさんのシリーズは本当に感情移入しながら、毎回涙をこらえながら古き日本の残影を共に辿らせてもらっております。これからも楽しみにさせていただきます。今回も素晴らしい動画をありがとうございました。
赤ちゃんを抱っこしているお父さんの笑顔が素敵ですね 従姉妹さんが履いている靴、当時はこういうのがよそ行きでした😊
当時こんなワンピースを買ってもらうのがすごく嬉しかったんですよね。エナメルの靴かな?私も持ってた。ピアノの発表会用に。素敵なお父さんですね。
私は昭和26年に赤羽西5丁目で生まれました。この八幡さまで七五三をしました。階段で千歳飴の袋を持った写真があります。懐かしい・・
小田急TIME様おススメに動画が表示されたので視聴しました。30年ほど前に赤羽に住んでいたので、赤羽八幡神社へ参拝したことがあります。その時購入したであろうお守りも持っています。しかし、参拝した時の記憶はほとんどありませんでした。ところが何と、小田急TIME様の動画を視聴して記憶が蘇りました。私は最初の上り坂から境内に入り、参拝後に右側の階段を降りてきました。境内から見た鉄道の風景、階段の下にある石碑の風景。全て思い出しました。小田急TIME様、素晴らしい動画を公開してくださりありがとうございます。感謝しています。
涙が出てきて、、、困りました。
こちらのチャンネルの動画を見ると何か心がすごく切ないような懐かしいような気持ちになります。これからも動画を楽しみにしております。
とても懐かしい思いで拝見しています。私は北海道出身ですが、私の子供達も将来この様になっていくんだなぁって少し寂しくなります。が反面懐かしくも思います。毎回楽しみに拝見しています。ありがとうございます。
このような内容の動画をもっと見たいです。
なんでだろう。全然知らない土地の映像なのになんだか胸が熱くなります。☺
赤羽駅も変わったねえ。よく利用してた1970年代は、京浜東北線が少し高いところにあって、東北線・高崎線、赤羽線に乗り換えるには跨線橋で下に降りて行くんですよね。駅回りも随分と変わったんでしょうね。今度行ってみようかな。
赤羽駅周辺は、区画整理されてだいぶ様変わりして寂しいですがこの動画でホントにタイムストップした感覚になります😊 私は翌年の昭和42年生まれ。代々のお墓があるお寺が赤羽で、とても懐かしく拝見しました。一時帰国した際には、訪れたい場所のひとつです。
なんとも根気のいる作業。でも見つけた時の嬉しさはひとしおですね!お裾分けいただけて感謝です。ちなみに1966年は昭和41年ですね。写真の赤ちゃんとは同学年かも(笑)
私も昭和41年生まれ。「丙午」です。
今回も素敵でした。二度と戻らない日々。胸が苦しくなるような熱くなるような懐かしさ。過去のアップされた、確か多摩川園前とか東京駅周辺などの動画があったような記憶があるのですが、削除されたのでしょうか?気になります。
デジカメで沢山の写真を撮るのも良いのですが、昔は決められた枚数の中で良い場所を選んで(ポーズを決めてパシャ)そして緊張の時が過ぎた後、写真の人達がどんな会話をしたのか、想像するのが楽しいです。
一枚の写真から 場所を探すのは 大変ですね。ありがとうございます🙏🍀🌹
赤羽というか実際は隣町の志茂に生まれ育ちました。1967年生まれで同じような時代ですね。参道の写真で直ぐに八幡神社だと判りました。JR各線が高架化される前は、開かずの赤羽大踏切で待たされていると、この参道近辺が一望できた記憶します。たった一枚の写真がその日その時を語るんですね🥲。ご紹介ありがとうございました。
昭和五十年代に赤羽商業を受験した者です確かに踏切有りましたねバスも混んでいた記憶があります赤羽商業は大谷が嫁さんと出会った味の素トレセンだと思います
確かに過去の一時点にこの場所でこうして笑顔でいた人たちがいたのだ、忘れられていてもこの人たちの思いは確かにあったのだ。うまく言えないが、そんなことを強く思わされました。あらゆる場所がそうなんだろうけれど。
赤羽とこの階段の写真で八幡神社とすぐわかりました。毎日ここを通って通学していたので。昔放映していた柔道一直線はここで撮影していました。なつかしいです。赤羽線の時代ですね。
写真、映像はもちろん、電車の音、セミの声、全てがじんわりときます。時代を経て変わってしまったもの、変わらないもの、自分も今という時の流れの中にいながら、それをちょっと外から眺めているような、それがどこか切ない感じを生むのでしょうか。動画を作る過程にも、ドラマを感じることができました。次回も楽しみにしております。
近所なので、今年もこちらの神社に初詣に行きました。色々な方の思い出が詰まった場所なんだなと感慨深くなりました。素敵な動画ありがとうございます。
なんだか良い写真。少し傾いてるけど構図もキレイで、絵みたいな。。
良い写真ですね。私はこの神社へは行った事はありません。しかしこの懐かしさと切なさは何だろうな?不思議な気持ちです。ありがとうございます。
初めて声を聴きました。渋いですね。いつも有難う御座います。
登録者延びてますね。こんなに素晴らしいチャンネルですからね。
今回の動画、大変感激しました。ぼくもどうやって場所を特定しているのか知りたかったのですが、まさかご自身で一から情報収集しているとは思いませんでした…本当にありがとうございます。毎回アップを楽しみにしていますので、大変かとは思いますが、できるだけ長くがんばってください!
探偵の様。何年前まで写真遡ったことあるのかな?タイムリープものいいですね。
なんか泣けてきます。
とても良かったです。good🍑
赤羽台、桐ヶ丘、並木通り……この辺の雰囲気好きなんですよねお歩きになられていた辺りにあるプチモンドのクリームが溢れんばかりのフルーツサンドはまだあるのでしょうか…
お父様と八幡様のお導きでしょうか。お嬢さんにとっての大切な場所がまたひとつ出来たのでしょうね。そしてそんな幸せのお手伝いが出来るなんてとても素敵な事です
良い声されてますね。音楽と共に聴いていて、落ち着きます。小田急TIMEさんの動画をいつも拝見させてもらってます。人モノ文化の歴史を今の技術を使って探し当て、再現されるのは本当に尊敬します。これからもよろしくお願いします。
ご両親も健在なのかな?父親の嬉しそうな表情が素晴らしい。
元地元民です。写真が出た瞬間に八幡神社を思い出しました。私が生まれた頃、この写真が撮られた数年後ですが、まだ新幹線の高架もトンネルもありませんでした。この境内には戦前にあったレール跡がまだ残っていました。トンネル工事反対!みたいな催しにも連れていかれたこともあります。東北線なども高架されてしまってますが、当時は地上を走ってましたね。私も数年前に久しぶりに訪れましたが、ジャニーズファンの影響で、やたらと若い女性の参拝客が多くびっくりしたものです。
休みの日に都内を散歩していますが、この動画は大変参考になります。ありがとうございます。
昭和41年ですと私の小中学校の後輩のエレファントカシマシの宮本浩次が生まれた年です。
いつも楽しく拝見させていただいております。転勤で昨年より東京都民になりました。小田急TIMEさんの動画を見て休日は史跡巡りをするのが楽しみです。これからも時間旅行を味わえる動画を宜しくお願いします。
こんばんは🤭いつもありがとうございます🥳
微妙な年代と比べるのでそれが好きです。自分は昭和48年生まれなので興味深々で見ています。
こういう過去を遡る旅もいいものですね😉
赤羽ってあたしの地元だ。しかもここほぼ毎日通ってる!
いつも調査大変だろうなって思ってましたが、改めて凄いなぁ〜って思いました。結構時間かかるんでしょうね。
例えば今回のようなケース見て思ったのですが、調べて欲しいと依頼を受けて調査する事もあるのですか?
たまに視聴者の方から写真頂くことありますよ。ただ写真の場所が判明しない時もありますし、東京近郊でないと土地勘がないので探すのは難しいかもです
有難うございます、凄いなぁ〜、大変な作業だなぁ〜って思いながらいつも楽しみにしています。
動画によっては、持ち主の分からないアルバムや写真の撮影場所を特定したものも幾つかあったので、それはひたすら主様がお探しになったんでしょうね。プロファイリング力が素晴らしいです!!
ナレーションお上手ですね。控えめな感じがお声からも出ていて、やはり動画と比例するものですね。今後も時々ナレーション付きバージョンも良いのではないでしょうか?😊
素晴らしいです!私もPCやTVなどで古いムービーを見ていると気になってストリートビューで見つけたりしています。世田谷区役所が建て壊しに入りました。先月子供の頃の遊び場だった区役所に2度行って色々撮影してきました。第一庁舎は1960年頃建てられたのでちょうど私と同世代です。
優しい音楽、穏やかなナレーション。とても温かい気持ちになりました。1966年生まれです。これからも楽しみにしております
1966年生まれの者です。自分が生まれた頃にタイムスタンプしたようでした。どうもありがとうございました。
初めてコメントします。いつも楽しく視聴させて頂いています。モノクロ写真がカラーになる所がいつも感動してしまいますね。BGMも心地良く内容と調和していて引き込まれてしまいます。動画が出来上がるまでの大変さがよくわかり、より一層楽しめました。ナレーションが入るのも楽しいですね。またよろしくお願いします。
他人のスナップで何がせつなくだよ、真っ赤な他人でさ(笑)
全く同感です。モノクロからカラーに変わると又違う感覚になりますよね。他人様の写真でも郷愁と切なさは否めません。本当に語りもBGMも心地よいです。
なんか、いろんな人たちに「ありがとう」です。ありがとうのリレーが時間と共に拡がって行ければいいですね。(ノ_・。)
毎回楽しく拝見させていただいております。私は3歳まで大田区大森に住んでおりました。少し前から住んでいた場所を特定したくて、色々とやっております。手持ちの写真から特定できればと思いました。参考にさせて頂きます。また新しい動画待っています。
聞きやすいガイド、とても良かったです。また音声付きの動画を載せて頂けると嬉しいです。
感動。自分が昭和40年3月生まれ、御依頼者さんと同世代と言うのもありますが…
自分もこの写真で赤羽と聞いて、この階段を思い浮かべました。ですが、赤羽八幡は、東北新幹線・埼京線の開通の際、移転してるんですよね。この階段がそれ以前からあったものかはわかりませんが、ちょっと怪しいなと感じました。
いつもありがとうございます。😊小田急を通勤で利用していることもあり、チャンネル登録して楽しく拝見しています。今回は初めてお声を聞けて、ビックリしましたがなんだか嬉しく思いました。これからも、動画を楽しみにしております。
赤羽線の存在を知らない世代が増えている事が悲しいです🤔🤔
赤羽線、もちろん知っています。また、赤羽の事を「アカバ」と呼んでました。昭和30年生まれです。
素晴らしい動画をありがとうございます。その後、写真のご家族・親類の方々が現在の同じ場所、同じ構図で(お父様は遺影で)お写真を撮られていたらイイなぁ。私も同年代…過去の写真の場所とか紐解いてみたくなりました。
しっとりして、趣のある素晴らしい動画ですね。心にしみました。ナレーション&編集も👍です。チャンネル登録させていただきました。
懐かしい場所です。八幡神社の坂を上に上がった隣には星美学園があります。学園の下を新幹線が通り抜けています。初詣に何回か行ったことがあります。手前の神社に上がる車道は昔は在りませんでした。
赤羽といえば今話題『ひろゆき氏』の地元ですね🙋昔の赤羽駅は『長い階段』のイメージですね😙
こんにちはちょこちょこ拝見してます^_^この年、僕もこの年に生まれてます。白黒時代です^_^僕は神保町生まれで随分と街は変わってしまってるけど、要所要所はまだまだ残ってる街です。これからも続けてくださいね♪
幼少期に赤羽の西口に成りますが昔の袋町と言う場所に住んでました星美学園の坂下近辺でした.現在はすっかり変わってしまい八幡神社でタ-ザンごっこ等して遊んだ思い出が有ります.赤羽一番街は良い飲み場所ですよね.又行きたいですよ.
昔、遠野に行った時、古い古民家か神社か忘れましたが、ズラーッと肖像画と肖像写真(全て遺影になっている)が懸けてあるのを見てビックリしたことがあります。切ない気持ちよりも、時を経て睨まれているような感じがしてしまって、圧倒されました。先祖は大切に敬わなければいけないというのはこういうことなのかと思いました。
涙が出ます。
私もこの動画をみつつ、グーグルマップのストリートビューからその場所を自分で探して見たりしてます。ちなみに1966年は昭和41年ですね。あ、指摘されてる方いらっしゃったんですねぇ。
1966年は昭和41年ですよ😁
この赤ちゃんが56歳だと思うと時の流れは不思議だなぁ
この神社かと思いますが、小さい頃から電車に乗ると見える「古い料亭のような建物」が気になっています。遅く写真の階段の右手にある、狭い階段を上がった先にあると思います。私も行ってみようかな。
1966…自分が生まれた年です。
このシリーズ作ったら凄く人気でる。
すげ
ひろゆきが知らない頃の赤羽。駅の北側は起伏がちで、かつてはいくつもの谷が刻まれていたそうですね
同い年の方です厄災と言われている丙午。昭和のアナログから現在のデジタル早いもので還暦までって寂しくなるので頑張って生きていきましょう。
あぁ~、今も昔も国際興業バスのときわ台駅行きは上り坂にあるのか~ここ西口は女優の吉田日出子さんと自分にとっては思いでの場所なんだよな~新幹線が出来てから大分変わってしまったけど。昔は米軍の引き込み線とか残ってて、驚いたけど今は遊歩道になってるのか~昨日、ちょっと車でドライブしてきましたよ。日出子さん、まだ生きてるのかな~??
素敵な動画楽しませて頂きました。しかしながらケチを付ける訳ではありませんが2枚目の写真から場所の特定をされてたら先に階段を探すよりも断然容易だと思いましたがひょっとして実際はそうされたのですか?
実は場所が特定できてから写真の持ち主に話したところ「そういえばどこで撮ったか分からない神社の写真もある」と教えていただきました。そのため神社部分はもう一回現地に赴き撮影しております。でも思えば神社より、階段の方が特徴的だったので探しやすかったですね。
合掌
訂正昭和41年が、1966年です。昭和42年が、1967年です。私は、昭和42年1月月生まれです。もうすぐ、56歳になります。昭和41年の丙午の人達と同級生でした。小学校入学の時は、1クラス32~35人でした。
ナレーション入りだとより良かったですよ。
1966年は昭和41年 丙午です。56歳ですね。同級生です。
プロセスが面白いです。
写真の入手経路も気になります
いにしえの時を感じます。
ご両親様ご健在なのでしょうかね?変わらずひっそりと歴史の中にたたずんでいるものはそれだけで雄弁です。人って見守られているんだと言う事がわかりますね。その階段の途中にご両親の夢がまだ残っているようでいい写真ですね。
男👨は、企業戦士として頑張ってたのかな?
自分探しの旅なんかノスタルジックになってしまうな。
数年前にこの場所を訪れた事があります。赤羽で階段のある神社?という事で私も真っ先に八幡神社が思い浮かびました。
南無八幡大菩薩
お母さんの姉 正確には伯母では?
阪和線TIMEとか南海沿線TIMEとかしてもらわれへんやろか?近頃年のせいかノスタルジーにひたる日々ですので関西方面も是非宜しくお願いします。
すいません 昭和41年の間違いでした。ご指摘してくださった方々、ありがとうございます
1966年(昭和41年)は、六十年に一度の丙午(ひのえうま)といって出生率が一時的に急落した年だ。丙午に生まれると縁起が悪いという古い迷信が高度成長期の日本社会を覆いつくしたのだ。お蔭で1966年4月2日~1967年4月1日生まれの人は当時の受験地獄の中でも楽な受験ができた。まぁそうは言っても現在のポストゆとり世代ほどの少子化ではなかったし、当時は浪人生もたくさん吹き溜まっていたので、今ほど楽な受験ではなかった。ちなみにA宮妃(メトロポリタン美術館非常勤職員M子の母親)とKK母(wanna-be NYベンゴシの母親)が共に1966年生まれな点で何やら禍々しいものを感じてしまう。次の丙午は2026年(令和8年)だが、只でさえも低迷している出生率が更に急落するのだろうか。
お父さん、もう亡くなられてるのですね。写真の中ではこんなに若くはつらつとしてるのに。寂しさもありますが、それも含めて写真は色々なことを語ってくれますね
昭和…
懐かしい素敵な思い出を見ました✨
輝かしいです。一時、時間を忘れてしまいました。
ありがとうございます。
ぼくも以前自分が赤ん坊のころ1年ほど住んでいた写真でしか知らない社宅を探して見に行きました。
木造平屋でこの時はもう誰も住んでいませんでしたが当時のままで残ってたので記憶にないのに何故か感慨深かったです。
なんだろう。
縁もゆかりもない人と場所の写真。
なのに観ていて涙が出てきた。
写真の女の子は自分と同世代ということもあるかもしれない。
でもそれ以上に感情移入できるその時代、そのときの日本を思い起こし、泣けてくるのかもしれない。
写真のご主人はすでに亡くなっているが他の方はお元気というところで涙腺は決壊した。
縁もゆかりもない人と場所なのに。
小田急TIMEさんの『皆様お疲れ様です 小田急TIMEです』という声、優しいピアノのBGMがまた胸に沁みます。
そして一枚の写真、一冊のアルバムから紐解かれる写真の中に写し出されている人々の生きた軌跡の探訪。
自分も自分の親が生きた時代の軌跡を辿ることをライフワークとしているので、小田急TIMEさんのシリーズは本当に感情移入しながら、毎回涙をこらえながら古き日本の残影を共に辿らせてもらっております。
これからも楽しみにさせていただきます。
今回も素晴らしい動画をありがとうございました。
赤ちゃんを抱っこしているお父さんの笑顔が素敵ですね 従姉妹さんが履いている靴、当時はこういうのがよそ行きでした😊
当時こんなワンピースを買ってもらうのがすごく嬉しかったんですよね。エナメルの靴かな?私も持ってた。ピアノの発表会用に。
素敵なお父さんですね。
私は昭和26年に赤羽西5丁目で生まれました。この八幡さまで七五三をしました。階段で千歳飴の袋を持った写真があります。懐かしい・・
小田急TIME様
おススメに動画が表示されたので視聴しました。
30年ほど前に赤羽に住んでいたので、赤羽八幡神社へ参拝したことがあります。
その時購入したであろうお守りも持っています。
しかし、参拝した時の記憶はほとんどありませんでした。
ところが何と、小田急TIME様の動画を視聴して記憶が蘇りました。
私は最初の上り坂から境内に入り、参拝後に右側の階段を降りてきました。
境内から見た鉄道の風景、階段の下にある石碑の風景。
全て思い出しました。
小田急TIME様、素晴らしい動画を公開してくださりありがとうございます。
感謝しています。
涙が出てきて、、、困りました。
こちらのチャンネルの動画を見ると何か心がすごく切ないような懐かしいような気持ちになります。
これからも動画を楽しみにしております。
とても懐かしい思いで拝見しています。私は北海道出身ですが、私の子供達も将来この様になっていくんだなぁって少し寂しくなります。が反面懐かしくも思います。毎回楽しみに拝見しています。ありがとうございます。
このような内容の動画をもっと見たいです。
なんでだろう。
全然知らない土地の映像なのに
なんだか胸が熱くなります。☺
赤羽駅も変わったねえ。よく利用してた1970年代は、京浜東北線が少し高いところにあって、東北線・高崎線、赤羽線に乗り換えるには跨線橋で下に降りて行くんですよね。
駅回りも随分と変わったんでしょうね。今度行ってみようかな。
赤羽駅周辺は、区画整理されてだいぶ様変わりして寂しいですがこの動画でホントにタイムストップした感覚になります😊 私は翌年の昭和42年生まれ。代々のお墓があるお寺が赤羽で、とても懐かしく拝見しました。一時帰国した際には、訪れたい場所のひとつです。
なんとも根気のいる作業。でも見つけた時の嬉しさはひとしおですね!お裾分けいただけて感謝です。ちなみに1966年は昭和41年ですね。写真の赤ちゃんとは同学年かも(笑)
私も昭和41年生まれ。「丙午」です。
今回も素敵でした。
二度と戻らない日々。
胸が苦しくなるような熱くなるような懐かしさ。
過去のアップされた、確か多摩川園前とか東京駅周辺などの動画があったような記憶があるのですが、削除されたのでしょうか?気になります。
デジカメで沢山の写真を撮るのも良いのですが、昔は決められた枚数の中で良い場所を選んで(ポーズを決めてパシャ)そして緊張の時が過ぎた後、写真の人達がどんな会話をしたのか、想像するのが楽しいです。
一枚の写真から 場所を探すのは
大変ですね。ありがとうございます🙏🍀🌹
赤羽というか実際は隣町の志茂に生まれ育ちました。1967年生まれで同じような時代ですね。参道の写真で直ぐに八幡神社だと判りました。JR各線が高架化される前は、開かずの赤羽大踏切で待たされていると、この参道近辺が一望できた記憶します。たった一枚の写真がその日その時を語るんですね🥲。ご紹介ありがとうございました。
昭和五十年代に赤羽商業を受験した者です
確かに踏切有りましたね
バスも混んでいた記憶があります
赤羽商業は大谷が嫁さんと出会った味の素トレセンだと思います
確かに過去の一時点にこの場所でこうして笑顔でいた人たちがいたのだ、忘れられていてもこの人たちの思いは確かにあったのだ。
うまく言えないが、そんなことを強く思わされました。
あらゆる場所がそうなんだろうけれど。
赤羽とこの階段の写真で八幡神社とすぐわかりました。毎日ここを通って通学していたので。昔放映していた柔道一直線はここで撮影していました。なつかしいです。赤羽線の時代ですね。
写真、映像はもちろん、電車の音、セミの声、全てがじんわりときます。時代を経て変わってしまったもの、変わらないもの、
自分も今という時の流れの中にいながら、それをちょっと外から眺めているような、それがどこか切ない感じを生むのでしょうか。
動画を作る過程にも、ドラマを感じることができました。次回も楽しみにしております。
近所なので、今年もこちらの神社に初詣に行きました。色々な方の思い出が詰まった場所なんだなと感慨深くなりました。素敵な動画ありがとうございます。
なんだか良い写真。
少し傾いてるけど構図もキレイで、
絵みたいな。。
良い写真ですね。
私はこの神社へは行った事は
ありません。
しかしこの懐かしさと切なさは
何だろうな?不思議な気持ちです。
ありがとうございます。
初めて声を聴きました。渋いですね。いつも有難う御座います。
登録者延びてますね。こんなに素晴らしいチャンネルですからね。
今回の動画、大変感激しました。ぼくもどうやって場所を特定しているのか知りたかったのですが、まさかご自身で一から情報収集しているとは思いませんでした…本当にありがとうございます。
毎回アップを楽しみにしていますので、大変かとは思いますが、できるだけ長くがんばってください!
探偵の様。何年前まで写真遡ったことあるのかな?
タイムリープものいいですね。
なんか泣けてきます。
とても良かったです。good🍑
赤羽台、桐ヶ丘、並木通り……この辺の雰囲気好きなんですよね
お歩きになられていた辺りにあるプチモンドのクリームが溢れんばかりのフルーツサンドはまだあるのでしょうか…
お父様と八幡様のお導きでしょうか。お嬢さんにとっての大切な場所がまたひとつ出来たのでしょうね。そしてそんな幸せのお手伝いが出来るなんてとても素敵な事です
良い声されてますね。
音楽と共に聴いていて、落ち着きます。
小田急TIMEさんの動画をいつも拝見させてもらってます。
人モノ文化の歴史を今の技術を使って探し当て、再現されるのは本当に尊敬します。
これからもよろしくお願いします。
ご両親も健在なのかな?
父親の嬉しそうな表情が素晴らしい。
元地元民です。写真が出た瞬間に八幡神社を思い出しました。私が生まれた頃、この写真が撮られた数年後ですが、まだ新幹線の高架もトンネルもありませんでした。この境内には戦前にあったレール跡がまだ残っていました。トンネル工事反対!みたいな催しにも連れていかれたこともあります。東北線なども高架されてしまってますが、当時は地上を走ってましたね。私も数年前に久しぶりに訪れましたが、ジャニーズファンの影響で、やたらと若い女性の参拝客が多くびっくりしたものです。
休みの日に都内を散歩していますが、この動画は大変参考になります。ありがとうございます。
昭和41年ですと私の小中学校の後輩のエレファントカシマシの宮本浩次が生まれた年です。
いつも楽しく拝見させていただいております。転勤で昨年より東京都民になりました。小田急TIMEさんの動画を見て休日は史跡巡りをするのが楽しみです。
これからも時間旅行を味わえる動画を宜しくお願いします。
こんばんは🤭いつもありがとうございます🥳
微妙な年代と比べるのでそれが好きです。自分は昭和48年生まれなので興味深々で見ています。
こういう過去を遡る旅もいいものですね😉
赤羽ってあたしの地元だ。しかもここほぼ毎日通ってる!
いつも調査大変だろうなって思ってましたが、改めて凄いなぁ〜って思いました。結構時間かかるんでしょうね。
例えば今回のようなケース見て思ったのですが、調べて欲しいと依頼を受けて調査する事もあるのですか?
たまに視聴者の方から写真頂くことありますよ。
ただ写真の場所が判明しない時もありますし、東京近郊でないと土地勘がないので探すのは難しいかもです
有難うございます、凄いなぁ〜、大変な作業だなぁ〜って思いながらいつも楽しみにしています。
動画によっては、持ち主の分からないアルバムや写真の撮影場所を特定したものも幾つかあったので、それはひたすら主様がお探しになったんでしょうね。
プロファイリング力が素晴らしいです!!
ナレーションお上手ですね。
控えめな感じがお声からも出ていて、やはり動画と比例するものですね。
今後も時々ナレーション付きバージョンも良いのではないでしょうか?😊
素晴らしいです!私もPCやTVなどで古いムービーを見ていると気になってストリートビューで見つけたりしています。世田谷区役所が建て壊しに入りました。先月子供の頃の遊び場だった区役所に2度行って色々撮影してきました。第一庁舎は1960年頃建てられたのでちょうど私と同世代です。
優しい音楽、穏やかなナレーション。とても温かい気持ちになりました。1966年生まれです。これからも楽しみにしております
1966年生まれの者です。自分が生まれた頃にタイムスタンプしたようでした。どうもありがとうございました。
初めてコメントします。いつも楽しく視聴させて頂いています。モノクロ写真がカラーになる所がいつも感動してしまいますね。BGMも心地良く内容と調和していて引き込まれてしまいます。動画が出来上がるまでの大変さがよくわかり、より一層楽しめました。ナレーションが入るのも楽しいですね。またよろしくお願いします。
他人のスナップで何がせつなくだよ、真っ赤な他人でさ(笑)
全く同感です。
モノクロからカラーに
変わると又違う感覚になりますよね。他人様の写真でも郷愁と
切なさは否めません。
本当に語りもBGMも心地よいです。
なんか、いろんな人たちに「ありがとう」です。
ありがとうのリレーが時間と共に拡がって行ければいいですね。
(ノ_・。)
毎回楽しく拝見させていただいております。
私は3歳まで大田区大森に住んでおりました。
少し前から住んでいた場所を特定したくて、色々とやっております。
手持ちの写真から特定できればと思いました。参考にさせて頂きます。
また新しい動画待っています。
聞きやすいガイド、とても良かったです。
また音声付きの動画を載せて頂けると嬉しいです。
感動。自分が昭和40年3月生まれ、御依頼者さんと同世代と言うのもありますが…
自分もこの写真で赤羽と聞いて、この階段を思い浮かべました。
ですが、赤羽八幡は、東北新幹線・埼京線の開通の際、移転してるんですよね。
この階段がそれ以前からあったものかはわかりませんが、
ちょっと怪しいなと感じました。
いつもありがとうございます。😊
小田急を通勤で利用していることもあり、
チャンネル登録して楽しく拝見しています。
今回は初めてお声を聞けて、ビックリしましたがなんだか嬉しく思いました。
これからも、動画を楽しみにしております。
赤羽線の存在を知らない世代が増えている事が悲しいです🤔🤔
赤羽線、もちろん知っています。また、赤羽の事を「アカバ」と呼んでました。昭和30年生まれです。
素晴らしい動画をありがとうございます。その後、写真のご家族・親類の方々が現在の同じ場所、同じ構図で(お父様は遺影で)お写真を撮られていたらイイなぁ。私も同年代…過去の写真の場所とか紐解いてみたくなりました。
しっとりして、趣のある素晴らしい動画ですね。
心にしみました。
ナレーション&編集も👍です。
チャンネル登録させていただきました。
懐かしい場所です。八幡神社の坂を上に上がった隣には星美学園があります。学園の下を新幹線が通り抜けています。初詣に何回か行ったことがあります。手前の神社に上がる車道は昔は在りませんでした。
赤羽といえば今話題『ひろゆき氏』の地元ですね🙋
昔の赤羽駅は『長い階段』のイメージですね😙
こんにちは
ちょこちょこ拝見してます^_^
この年、僕もこの年に生まれてます。
白黒時代です^_^
僕は神保町生まれで随分と街は変わってしまってるけど、要所要所はまだまだ残ってる街です。
これからも続けてくださいね♪
幼少期に赤羽の西口に成りますが昔の袋町と言う場所に住んでました星美学園の坂下近辺でした.現在はすっかり変わってしまい八幡神社でタ-ザンごっこ等して遊んだ思い出が有ります.赤羽一番街は良い飲み場所ですよね.又行きたいですよ.
昔、遠野に行った時、古い古民家か神社か忘れましたが、ズラーッと肖像画と肖像写真(全て遺影になっている)が懸けてあるのを見てビックリしたことがあります。切ない気持ちよりも、時を経て睨まれているような感じがしてしまって、圧倒されました。先祖は大切に敬わなければいけないというのはこういうことなのかと思いました。
涙が出ます。
私もこの動画をみつつ、グーグルマップのストリートビューからその場所を自分で探して見たりしてます。ちなみに1966年は昭和41年ですね。あ、指摘されてる方いらっしゃったんですねぇ。
1966年は昭和41年ですよ😁
この赤ちゃんが56歳だと思うと時の流れは不思議だなぁ
この神社かと思いますが、小さい頃から電車に乗ると見える「古い料亭のような建物」が気になっています。
遅く写真の階段の右手にある、狭い階段を上がった先にあると思います。
私も行ってみようかな。
1966…自分が生まれた年です。
このシリーズ作ったら凄く人気でる。
すげ
ひろゆきが知らない頃の赤羽。駅の北側は起伏がちで、かつてはいくつもの谷が刻まれていたそうですね
同い年の方です厄災と言われている丙午。昭和のアナログから現在のデジタル早いもので還暦までって寂しくなるので頑張って生きていきましょう。
あぁ~、今も昔も国際興業バスのときわ台駅行きは上り坂にあるのか~ここ西口は女優の吉田日出子さんと自分にとっては思いでの場所なんだよな~新幹線が出来てから大分変わってしまったけど。昔は米軍の引き込み線とか残ってて、驚いたけど今は遊歩道になってるのか~昨日、ちょっと車でドライブしてきましたよ。日出子さん、まだ生きてるのかな~??
素敵な動画楽しませて頂きました。しかしながらケチを付ける訳ではありませんが2枚目の写真から場所の特定をされてたら先に階段を探すよりも断然容易だと思いましたがひょっとして実際はそうされたのですか?
実は場所が特定できてから写真の持ち主に話したところ「そういえばどこで撮ったか分からない神社の写真もある」と教えていただきました。
そのため神社部分はもう一回現地に赴き撮影しております。
でも思えば神社より、階段の方が特徴的だったので探しやすかったですね。
合掌
訂正
昭和41年が、1966年です。
昭和42年が、1967年です。
私は、昭和42年1月月生まれです。
もうすぐ、56歳になります。
昭和41年の丙午の人達と同級生でした。
小学校入学の時は、1クラス32~35人でした。
ナレーション入りだとより良かったですよ。
1966年は昭和41年 丙午です。56歳ですね。同級生です。
プロセスが面白いです。
写真の入手経路も気になります
いにしえの時を感じます。
ご両親様ご健在なのでしょうかね?
変わらずひっそりと歴史の中にたたずんでいるものはそれだけで雄弁です。
人って見守られているんだと言う事がわかりますね。
その階段の途中にご両親の夢がまだ残っているようでいい写真ですね。
男👨は、企業戦士として頑張ってたのかな?
自分探しの旅なんかノスタルジックになってしまうな。
数年前にこの場所を訪れた事があります。
赤羽で階段のある神社?という事で私も真っ先に八幡神社が思い浮かびました。
南無八幡大菩薩
お母さんの姉 正確には伯母では?
阪和線TIMEとか南海沿線TIMEとかしてもらわれへんやろか?近頃年のせいかノスタルジーにひたる日々ですので関西方面も是非宜しくお願いします。