Well, I believe it was necessary to take ming dynasty china, before Spanish take Ming dynasty. Fortunately, Spanish navy fleet lost in battle against English, so Spanish had no chance to take Ming . Hideyoshi had some interview Spanish Crew member about Spain's plan. If everything fine with Spanish plan, Ming's Grand army will invade Japan for Spain.
この動画にある朝鮮出兵もだけど、秀長が生きていれば秀次の縁者の皆殺しも止めていた可能性が高い。
秀長が52歳(当時としては早死ではないけど)で亡くなったのが滅亡の始まりと言っても過言ではない。
いや秀長も粛正対象になっていたかもしれない。殺しはしないが改易蟄居もあり得る。
晩年は秀長と秀吉は仲悪かったんだってな
秀長が有能なだけに晩年の秀吉は秀次秀長秀保らの結束に脅威を感じ結局は親族を潰そうとするだろう。
彼は長く苦楽を共にした相手を斬り捨てることに何の痛痒も感じないし、その判断を後押しして豊臣弱体化を図る大名も少なくないはず。
秀頼の誕生こそが豊臣政権を一代で終わらせた要因と言う歴史の皮肉。
九州征伐以後、秀吉の秀長への当りはキツくなるし、人望、コネのある秀長に警戒感が出てきた。天正16年以後は更に露骨な嫌がらせを始めてる。とてもじゃないけど、賢弟の諫言に従う兄弟関係なんか崩壊してた。
権謀術数は秀吉の力だと思いますが、秀吉の人たらしの部分は裏に秀長がいた。というよりも、実質的には秀長の手柄だったのでしょうね。
秀吉はドラマで語られる様な大らかで懐の広い人間ではなく、猜疑心が強く、狭量で、異様なまでに出世欲が強い人間だったのを、秀頼という人間が上手く隠し、秀吉と部下を上手く繋ぎ止めていたと思う。
もしもの話は、してもしょうがない、時間は戻りません、むなしくなるだけ、未来の話をしよう。
秀吉の朝鮮出兵は、資源や版図の獲得目的もあるが、そもそものスペインによる、明や朝鮮、ゆくゆく日本への、東アジア征服の構想に、対抗するため、緩衝地帯が必要との地政学的な意図と認識してました。なので、ちょっとこの動画のifのストーリーに微妙な違和感を覚えました。
これが最近の通説になりつつありますね正直このままでは明がスペイン等の海外列強に植民地になる可能性が高く
それを明が耐えていたので日本の九州を宗教的に制圧してキリスト教の形で明に侵攻する計画が上がっていました
秀吉は結果的に明に一定の橋頭堡を築き日本と明両方に一定の武力を持つ、要は一度ではこの日本と中国の経済圏を落とせない状況
これを作り出そうとしました、単純な話で日本は当時世界の端でした、ここには列強も簡単に手を出せない
瞬間火力ではそれなりの結果を出せたとしても列強といえども2回勝利する事は難しいからです
正直日本の力を結集して明を同盟国とした後マニラを落とせば極東は磐石となるでしょう
まぁそんなことを言っていますが、そもそも秀吉の時代はスペインは内乱が激しく日本に攻める事なんて不可能です
逆に、言えばこの好機を明は全く認識していない間抜けな連中であり秀吉はそれを熟知して最終的にマニラに兵を進めようとした
スペインはマニラに現実世界では秀吉の派兵があるのでは?と思いスペイン本国に派兵を願う書簡を送りますが難しいとの返答をもらっています
このIFは結果的にはありうる話ですが、別に明を攻めた後でも十分可能なプランです、むしろ明の協力を得た形でのマニラ進行は現実的であり
実現の可能性の高いIFだったと思います、ですが明の協力が無い状況ではかなりの博打だったでしょう
何れにせよ、重ねて言いますが当時のスペインは内外混乱中だったので当時世界の端である日本に何かをする余裕は無かったでしょう
そして、、その状況でも明は劣勢だった、困った隣国です
朝鮮出兵では無く蝦夷平定に力を入れて蝦夷、樺太、千島の支配を確立したと思います。
スペイン、ポルトガルの東アジア植民地支配の派遣止めの為ですが。
秀吉は、日本国を守る為であった。
もし秀吉が朝鮮出兵をせず、フィリピン、ベトナム、インドネシア、タイに日本の軍事力を振り向けていたら、世界史は大きく変わっていたことだろう。スペイン、オランダは優れた科学技術を保有していたが、スエズ運河がない時代、帆船の輸送力のみでは、日本の軍事力と対抗するのはとても無理な話だろう。日本人はアジアにおいて、とてもに大きな影響力をもったはずだ。唯一の障害はキリシタン政策の変更とそれを利用した柔軟な外交だと思う。当時、カソリックとプロテスタントは、お互い見つけ次第、殺し合うほど仲がわるかった。
逆に言えば日本の軍事力を恐れ欧州列強は海軍技術を与えず日本に逆に鎖国した、とも言えるんですよね
これが解消されるまで江戸時代が終わるほどの時間がかかったともいえるし
@@漫画太郎-j2d 日本が鎖国をした最大の理由は徳川一族の日本支配を長く安泰にするため。社会の安定を目的とした士農工商のカースト制や長子相続をつくった。カースト制は不条理だが社会を安定させる力がある。決して平和を追求したためではない。ある意味、信長がきらった中世に逆戻りしてしまった。しかし商人達は近代化に進む事を止めようとはしなかった。
戦略と兵站と兵の心理が整っていなかった。 どうせなら伴天連の謀略も利用していれば良かったのだが、人材不足だった
秀吉が王(属国)で納得するとは思えない。
オランダも英国も結構植民地拡大をやってたのだが。日本には割りと穏やかな接近だったな。その頃は。やっぱり鉄砲の総数がヨーロッパ全土を上回っていたというのが知れ渡ってたからかな。
航海を舐め過ぎ、フィリピン辺りは海賊も嵐も多いよ、辿り着く船もないと思う
家康は1回も登場しませんでしたな。
秀長は有能な事は間違いないけど、最終的には秀吉の意向に逆らうような事は絶対にしない
最終的には全力で朝鮮出兵に当たったと思われる
ただその場合、それはそれで指揮系統の一本化がなされていなかったという点が解消されるから、ソウル攻略後の歴史が変わった可能性はあるかもしれない
天皇の存在を無視しすぎです。
秀吉が王になることはない。
信長の夢が明征服やから、秀吉はそれを受け継いだだけだよ!
誰に言われてもやるやろ!
メチャメチャ面白かった😊凄いif考察です👏
秀長は耶蘇教にメロメロの利休よりだから無理がある。
欧米系のifだと蝦夷・千島→カムチャッカ→アリューシャンから西海岸カリフォルニアへ進出するのに対して日本は南方進出のifが多いよね
お国柄なのか、大東亜共栄圏の思い出なのか
欧米系のifは一番現実的な方法だし、個人的には最もベストな事だと思いますね。
野心と自信に溢れる人間の元に、実戦経験豊富な将兵と武器が大量に余ってたんだから、そうなっても不思議じゃないよね。
北進策の場合、そこに基地を作ったり入植させるのが難しい。何しろ米小麦が生産できないし、海も結氷するから船の行き来も難しい。暖房する燃料の問題もある。日本が蝦夷地に本格的に入植できたのも、明治時代以降に寒冷な土地でも栽培できるジャガイモの生産、鉄道開発で北海道内にある鉱山から石炭を輸送することで燃料の確保がしやすくなったのが大きい。産業革命と近代的農業が導入されないと、北国の本格的な開発は難しいかと。
あれ、久々のグッドエンド。
戦国大名の武力や国力を削ぐためでしょう。
戦人を少なくするためには大きな戦をするのが1番。良い感じで家康にバトンを渡せたよね。
利休の弟子は南蛮贔屓だから
利休と秀長の退場は必然。
Well, I believe it was necessary to take ming dynasty china, before Spanish take Ming dynasty. Fortunately, Spanish navy fleet lost in battle against English, so Spanish had no chance to take Ming . Hideyoshi had some interview Spanish Crew member about Spain's plan. If everything fine with Spanish plan, Ming's Grand army will invade Japan for Spain.
貿易ルートは諸刃の剣なんだよなぁ…
面白かったです。朝鮮出兵でなくフィリピンとは(笑)
ifもの、ということなので詰まらん突っ込みはしません。
世界史で見れば愚業ではない。
古い資料の情報ですね。
南方ばかりではなく、北海道や千島、樺太まで行ってそう。
朝鮮出兵は出兵したことではなく恩賞に対して不満があっただけで、出兵自体に文句があった訳ではない。
愚か。以外の表現はないよね。
あと石田三成の撤退命令の遅れ
今回の動画を見させていただきましたが、朝鮮出兵では、なく朝鮮との貿易をしていれば、豊臣政権は、もっと安泰だったと思います。
豊臣秀吉本人が史実より長生き出来たら、豊臣政権は、盤石だったと思います。
マニラを落とすことでかなり早い段階で大東亜共栄圏が実現しそうですね
秀次事件が無かった場合、秀頼と対立する図式はあったと思う.......中国で言えば、明の建文帝と永楽帝同士の内紛みたいなことが起こったんじゃないかと。どちらも卑賎から成りあがった初代って意味で。
果たして愚行なのか?明の属国ということをスペインなどに見せびらかすことになる。豊臣家からしたらマイナスだが、日本の歴史からするとプラスの行動
まじでそれ。
朝鮮なんてどうでも良かったのよ。
勝てもしない戦をする時点で愚行
IFなので何を考えるのもありなんですが、これではほぼ秀長・秀次生存IFになっている気がします。 この2人の死に纏わる「国内」の乱れが豊臣の没落の主因であり、2人がしばらく健在なら、たとえ朝鮮出兵をしていても(早めに講和するなどで)史実ほど豊臣政権は力を失わなかったでしょう。 なので、どうせなら秀長が遺言として出兵を止め、秀次も諫めのために腹を切る、くらいの設定にして欲しかったです。 それでも朝鮮出兵さえなければ豊臣は存続できたか?という意味で。
『出兵をするなら』また
『未来永劫断念するなら』
今しかない。
数年後出兵はあり得ないと思う。
当時戦国時代終盤、兵力動員数は世界一最大級。
天下統一後内政を充実してしまえば、戦争に動員させる事は
幕末の旗本8万騎を見れば不可能なのは明らか。
大阪の陣でもあまり働いてなかったらしい。
ヨーロッパの最新の造船技術を学んでから、琉球、台湾を征服してから大陸に上陸するべき。確か亀井琉球守・台州守とかいたのに実際にそのルートを採らなかったのが不思議だ
マニラ攻める前に、琉球と台湾の領土化が先では?軍船や商船の中継地として琉球と台湾の港湾の整備と統治の安定は必要。史実より早く琉球王国を服属させ、それに続いて台湾入植をするとなると、マニラ攻めする前に秀吉の寿命が尽きそう。
チムールや豊臣秀吉が征服できなかった明。満洲族の清の中華制圧には秀吉の朝鮮出兵による明の弱体化の影響も大きい。ひょっとしたら明は近代まで存続、ロシアの南下は万里の長城まで至ったかも。清が台頭しても明との関係もあることで、その後の日本の難波時代?(豊臣時代)や近代史にも大きな影響があったと思われます。
ティムールは明との決戦前に亡くなってるので、征服できなかったのと少し違うような…
@@つば九郎先生-t5i念頭に在ったのは(本能寺の変で斃れた)信長と同様、IF世界線で有り得たという意味を含みんでいます。そう信長も忘れて居ましたね。信長の明攻略IF動画興味有りますね。
こうなりますかぁ
江戸時代が平和で庶民の文化が発展したところは良いものの、ほとんどの期間が総じて金がなくて賄賂や改革の繰り返し、天災・飢饉がしょっちゅうで大変だったのを考えると、(海外派兵は置いといて)うまい具合に貿易で経済を回せる政権だったほうが後々の世界におけるポジション的に良かったのかなと想像してしまいます
どうでしょうか?
当時は貿易=西洋諸国の時代です。
西欧諸国との貿易には自然とキリスト教が付随してきます。
そうなれば、史実のような安定した国家運営は難しいと推測します。
それは、キリスト教が入った地域を見れば分かるかと。
秀吉が明王朝から日本国王に任じられるとは、日本が明の属国になることだ。もしスペインが明と不可侵条約を結べば、秀吉は勝手にフィリピンを攻撃できなくなる。秀吉が明と戦ったことは決して愚行ではない
足利義満も日本国王だったろ。
義満『虎(蒙古)を退治せよ』
一休『絵から虎を追い出して下さい』
まさしく絵に書いた虎だ
沖縄はいつの間にか日本領になったのか
面白かったです!でも家康や政宗、官兵衛が野心を隠し続けて秀吉に黙って付き従うとは思えないような気がします…。
フィリピンが日本の領土になり母国語が日本語になっていたかもね😊
国内に割譲する土地は残ってないからなぁ。海外に手を伸ばすしかなかったんじゃないかな?
茶器以上に価値のある物を作るか北海道の北部の樺太など北方領土を開拓する手もあります。
徳川は別に海外行ってないやん。
徳川は西軍の領地を没収してるし、江戸時代中も大名廃絶してるし。
@@abeshiminatogawa3232 それは豊臣系の大名が関ケ原で西軍を形成する事で、国内で没収できる領地が生まれたからでは? 現に関ケ原の論功行賞では、多くの東軍大名が領地増などの利益を得ていますし。
@@abeshiminatogawa3232
覇権がイギリスやオランダに移りつつあった時代なので、スペインより先に中国大陸に進出する必要がなくなったからだと思う。
最初から愚かな行為という決めつけ。浅いif動画
この動画を見させていただきました。
朝鮮出兵と豊臣秀次事件が無ければ、豊臣政権は、江戸時代まで磐石だったと思います。
豊臣秀長が江戸時代に生存出来たら、もっと繁栄出来たので、秀吉・北政所夫婦に子供が沢山生まれたら、
徳川将軍家と共存出来たと思います。
秀吉の朝鮮出兵で明も弱体化し、清誕生の契機になりましたが、明も続いたでしょうね。ただ、豊臣英次と秀頼との間で後継者争いが起こり、どちらが勝っても豊臣家が弱体化し、結局は徳川の天下になってしまうと思います。
秀次がどうなるかにもよる
今回の動画を見させていただきました。関白の豊臣秀吉が室町幕府の三代将軍・足利義満と同じように貿易を行なっていたら、豊臣政権が摂関家となっていたと思います。
尚、江戸時代に豊臣摂関家と徳川将軍家と言う設立され、豊臣摂関家と徳川将軍家が共存できれば、日本の政治がもっと発展したと思います。豊臣秀長と豊臣秀次は、豊臣政権の
超優秀な人材であり重鎮である事がよくわかりました。
後、秀吉自身が多くの男子が生まれる事、前田利家が江戸時代まで生存出来ること、
色々イフストーリーをご覧いただきましたが、血筋や親族の存在がとても重要な事がよくわかりました。
先ほどもお話ししましたが、豊臣秀長と前田利家が江戸時代まで生存出来たら、豊臣政権は、安泰だったと思います。
まぁやってる事はウクライナ侵攻と変わらんからなw
ちょっと違うでしょ。
ロシアはNATO加盟国との間に緩衝地帯が欲しいので、ウクライナを自国領土にする気など、そもそも有りませんよ。
ロシアがウクライナ侵攻を始めたのは、ウクライナを侵略する為では無く、支持率が落ちたゼレンスキー大統領が国民の不満を逸らす為に『ロシアは脅威だ』とか『NATOに加盟したい』と言い続けたので、『ロシア批判をやめろ』と脅したが止めなかったからですよ。
ロシアの元傀儡国家だったウクライナが堂々とロシア批判を続けている事をほおって置いたら、旧ソ連構成国も同調しロシアの国際的な立場が弱くなる事が必至でしたし、ロシア連邦から離脱を表明する共和国が出て来るでしょうから、プーチン氏以外の誰が大統領だったとしても、それなりの軍事行動は取って居た筈です。
今回の動画をまた見させていただきました。
もしも朝鮮出兵が起こらず、秀次事件が無ければ、豊臣秀吉が日本国王と認められていたら、豊臣政権は、磐石だったと思います。
どうだろう。
豊臣政権が無事ではなく、貴族側に立ったのは問題だと思う。
摂政関白は本来は貴族間ので持ち回りで回していたのに、そこに身分卑しい豊臣家が入り込む余地があるのだろうか?
確かに、豊臣家に財力、武力がある内は良いでしょうが、その力が衰えたら?
恐らくは、貴族、武士の両方からの反発で短期政権に終わると思います。
一方、征夷大将軍についた徳川家は、武家の棟梁という正当性のもと、全国の武力を手中に収めています。
朝廷に対して、圧倒的な武力を背景に朝廷を表面上は奉っても、実質は首根っこを抑え込んだ感じです。
秀吉には国を治める思考が欠けていたので朝鮮出兵が無くても、たいして変わりはなかったと思います。
家康は謀反・反乱が多い三河の地で育ち、恩賞や地位を与えるだけではなく家臣の心をしっかりと掴みむことで優秀な人材育て上げたので盤石な治世が行えた。
しかし、秀吉は心から信用できる家臣、国のために働ける家臣の育成ができていなかったので幕府のようなものはできなかったでしょう。
この世界線だと中世の段階で日本が世界史の世界の飛び込んでいるから激アツ展開ですね
もし関ヶ原の戦いがなく家康が天下人になったら? どうでしょう?
多分家康だって唐入りしていたと思います
恩賞を与える土地がないですから
恐らく、領国統治が悪い、敵対行動をしている、法度違反という難癖をつけ改易して新しい領主を据えるやり方で済ます。恩賞に不満ある奴は潰す。正史と変わらないでしょう。唐入りの願望が家康にあれば話は別ですが。
大政所はともかく
秀長があと20年は長生きしてくれたら
だろうな。
そうすれば、あらゆる悲劇が回避できだろう。
結局のところなんだろ
秀吉って棚ぼた天下だったのか(光秀けしかけたか)知らんけど
日本史には秀吉のやったことって検地と刀狩りとこれだけだけど
天下で何をしたかったのかの構想が全くないんだよね・・。
家康にも言えることなんだけどさ
と考えると信長が死ななければどれだけまだマシな国作れてたんだろうって
あの時代の既得権益嫌いぬいて全部ぶっ壊すだけでもかなり違ってたと思う
@rekishi-jikkuri様の検証、めちゃくちゃアツイです。これからもよろしくお願いいたします。