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5:45〜この時のフジTVがBS(浜島さん)に密着取材していた番組があったんだけど、浜島さんが推したタイヤを(ルカ・バドエルに『ク◯タイヤ』と呼ばれた)当時からめちゃくちゃ気になってた。多分、ワザと『ケーシングをしならせる』タイヤを作ってみたんだろうけど…決勝用のスペックを決めて工場の生産調整に苦慮した浜島さんとか(大人になってみると共感できる)見てて楽しかった番組でしたね。
自分、アロンソが今も走っている事にビックリしました(笑)。
一番の問題は2005年、特にタイヤ交換禁止レギュへの見通しが甘すぎた事ですかね。F2003-GAの発展改良型であるF2004が大成功しちゃったせいで、『2005年も同じ流れでいけるいける』ってなっちゃったのかな。
フェラーリはレギュレーション変更に弱い傾向ある組織F2004はGAのネガな部分を潰しただけでF2002に近い車リヤエンドのリデザイン
大規模テストとか今はもうできないだろうし、この頃のレギュレーションがやっぱりいいなあ
F2002が優秀すぎて無理に変えようとしたらピーキーになっちゃった逆にF2002を真似て作った他チームのマシンは安定性があって結構速い結果として互角の勝負になってしまったという
2004年フランスGPの4ストップはミハエルの真骨頂のようなレースでしたね。雨やSCが絡まない4ストップで優勝したレース、ドライバーなんて他にいたのかな?
04年は、02年の再現を観てるような感じでしたね。そして、だんだんF1の規制が強くなって、モンツァテストのようなことができなくなると…
妥協のなさが良くも悪くも失敗を招く結果になってしまいましたね…2003年は進化する他チームに押され、2004年は無双するもそこに全力を注いだ結果、2005年は1勝止まり。チャンピオンを決めた瞬間で翌シーズンに向けての準備を進めていたらきっと結果は違ったでしょうね…
パドックの風景観てると皆GAのサイドポットに注目してたのがだった
タイヤ開発に遅れが無かったらどうなっていたでしょうかね、そして20年前の2004年シーズンはBARホンダが未勝利ながらもコンストラクターズランキングでフェラーリワークスに次ぐ二位になる大躍進を見せたシーズンなんですよねぇ。^^y
低レベルな混乱が少なくてかつ拮抗したシーズンが続くという意味では2007年が最高のバランスだった。
この頃のフェラーリ・BSは、本気で全戦優勝を狙っていたんでしょうね。
2004年は全勝狙ってたと後からロスブラウンがインタビューで話してましたね
2003年の車はコーナーごとにアンダーオーバーのバランスが変わるトンデモピーキーマシンだったようで。2004年の圧勝に繋がるものではありましたが、2005年のフェラーリ専用BS潰しレギュはどうしようもありませんでした。当時ピットインすると大勢のクルーがタイヤ交換せずに座って眺めてるだけというのが異様に見えましたよ
正確には高速コーナーでダウンフォースがいきなり抜ける悪癖があって苦戦してましたがそれを隠してシーズン乗りきったから翌年の圧勝劇に繋がりますリヤ周りの空力処理を少しマイルドな設計に戻したのがF2004です
フェラーリは「俺たち」が良く似合う。
総集編見直したら、2004年強過ぎて弛んでるなぁと思った。
……この頃のフェラーリは常勝していたという事で、あぐらをかいてしまってた、という事でしょうか。これを聞くと、なんか1991年当時のマクラーレンの話を思い出します。この時のマクラーレンはセナが開幕戦のアメリカGPからモナコGPまで4連勝していたのですが、その直後のカナダGPからウイリアムズのマンセルとパトレーゼが急に強くなってしまって、セナが手も足も出ずに全く勝てなくなった話によく似ています。これは当時のマクラーレンがウイリアムズの動向を警戒・分析するのが甘かったのが原因なのですが、セナが勝てなくなった事については『こんな事ならセナが開幕4連勝なんてしない方が良かった。マクラーレンは完全に(ウイリアムズに)油断していた』と、当時のジャーナリストが発言していたそうです……。
レギュレーション大幅改定の年(05年、09年、14年)にフェラーリが1勝すら出来ずに大爆死するジンクスの始まりかもな。
2026年大丈夫かな...個人的にはRBPTよりはマシ感があるけど。
@@Railton-bb RBPT→約束されたGP2エンジンフェルスタッペンガチギレ離脱ホンダ→流石に最初から強いとは思えないメルセデス→14年の改定で1番成功したが、RBにすら苦戦してる今季とか見てるとうーんルノー、アウディ→オワコンフェラーリ→もしかしたら26年あるのか…
ニューウェイを獲得できるかどうか次第だと思う。
昔なにかの雑誌で見たんですが、2003年の不振は当時マクラーレンが高速コースで優位性を見せており、フェラーリも高速コースで優位に立とうとして空力を攻めたが、コースを設計する際にドライバーの安全を考え、高速コースや高速コーナーが減った為空力性能が生かせず成績が落ちた、らしいですよ。
エイドリアンがフェラーリに加入したら再びフェラーリの黄金期到来だな
あの組織はそんなに単純ではないから長い事タイトル取れてないんだよ
箸にも棒にも引っ掛からなかったアレジ時代のティフォシにとっては、こんなの凋落でもなんでもない。ちょっと最近勝てないなぁ・・・程度(笑)
GAはロングホイールベースが災いしたって聞きましたが...
2003年のフェラーリ不振は色んな意見があれど、ライバルドライバーの奮起は無視できないと思う。この年はなんだかんだ言ってもバリチェロ以外はみんなイキイキしていた印象がある。
2004年踏んだり蹴ったりなフェラーリ推しのブリヂストンやフェラーリ自体にはレギュレーションになってたんですね💦4ピット作戦や極力スタートから逃げきり戦法セットアップでの作戦に他のチームから苦情がきたのかな💦いつかのブラバムBMWの二の舞に💦この辺の03年あたりもフェラーリ確かに後ろばっさり感ある💦リア軽すぎても小回りはよくともアンダーを出した時に お釣りきちゃうかも💦やびくもに軽量化依存しすぎも車体全体の剛性力を落としてしまいかねないのに…相当焦って開発してたんかな…💧いろいろ革命的な技術は取り入れてはいたとはいえ💧
GAもF2004も革新的な技術は何も入ってないマシンですよ!細かい部分を少しずつブラッシュアップして作ってた車です敢えて言うならF2002でツインクラッチのギヤボックス積んできた程度です
@@仝紳士な変態仝 あ〜💦いろいろ聞き慣れないのがあったからつい。
剛性落ちるような軽量化はしないしアンダーとかお釣云々とかそういう低次元の話しではないです次元の高いレベルでの話。
当時「勝ち過ぎた(出来高払いの)ミハエルへのボーナスがチーム予算圧迫して(開発費が足らず)翌年低迷する。」なんて笑い話が有った。
そんな事実はないけどね(笑)
F2003-GAの「GA」は、2003年1月に亡くなった元フィアット会長のジャンニ・アニェッリのイニシャルにちなんでいるもしもジャンニ氏がフィアットの社長を務めていた時代にフェラーリを傘下に置いていなければ、フェラーリは70年代辺りでレース活動のための資金が枯渇し、解散していたかもしれない
ブリヂストンタイヤ使用チームが2つだけになって開発が進まなかっただけだと思いますね。タイヤが同じならず〜っと強いままだったと思います。
5:45〜
この時のフジTVがBS(浜島さん)に密着取材していた番組があったんだけど、浜島さんが推したタイヤを(ルカ・バドエルに『ク◯タイヤ』と呼ばれた)当時からめちゃくちゃ気になってた。
多分、ワザと『ケーシングをしならせる』タイヤを作ってみたんだろうけど…
決勝用のスペックを決めて工場の生産調整に苦慮した浜島さんとか(大人になってみると共感できる)見てて楽しかった番組でしたね。
自分、アロンソが今も走っている事にビックリしました(笑)。
一番の問題は2005年、特にタイヤ交換禁止レギュへの見通しが甘すぎた事ですかね。F2003-GAの発展改良型であるF2004が大成功しちゃったせいで、『2005年も同じ流れでいけるいける』ってなっちゃったのかな。
フェラーリはレギュレーション変更に弱い傾向ある組織
F2004はGAのネガな部分を潰しただけでF2002に近い車
リヤエンドのリデザイン
大規模テストとか今はもうできないだろうし、この頃のレギュレーションがやっぱりいいなあ
F2002が優秀すぎて無理に変えようとしたらピーキーになっちゃった
逆にF2002を真似て作った他チームのマシンは安定性があって結構速い
結果として互角の勝負になってしまったという
2004年フランスGPの4ストップはミハエルの真骨頂のようなレースでしたね。雨やSCが絡まない4ストップで優勝したレース、ドライバーなんて他にいたのかな?
04年は、02年の再現を観てるような感じでしたね。
そして、だんだんF1の規制が強くなって、モンツァテストのようなことができなくなると…
妥協のなさが良くも悪くも失敗を招く結果になってしまいましたね…2003年は進化する他チームに押され、2004年は無双するもそこに全力を注いだ結果、2005年は1勝止まり。チャンピオンを決めた瞬間で翌シーズンに向けての準備を進めていたらきっと結果は違ったでしょうね…
パドックの風景観てると皆GAの
サイドポットに注目してたのがだった
タイヤ開発に遅れが無かったらどうなっていたでしょうかね、そして20年前の2004年シーズンはBARホンダが未勝利ながらもコンストラクターズランキングでフェラーリワークスに次ぐ二位になる大躍進を見せたシーズンなんですよねぇ。^^y
低レベルな混乱が少なくてかつ拮抗したシーズンが続くという意味では2007年が最高のバランスだった。
この頃のフェラーリ・BSは、本気で全戦優勝を狙っていたんでしょうね。
2004年は全勝狙ってたと後からロスブラウンがインタビューで話してましたね
2003年の車はコーナーごとにアンダーオーバーのバランスが変わるトンデモピーキーマシンだったようで。2004年の圧勝に繋がるものではありましたが、2005年のフェラーリ専用BS潰しレギュはどうしようもありませんでした。当時ピットインすると大勢のクルーがタイヤ交換せずに座って眺めてるだけというのが異様に見えましたよ
正確には高速コーナーでダウンフォースがいきなり抜ける悪癖があって苦戦してましたがそれを隠してシーズン乗りきったから翌年の圧勝劇に繋がります
リヤ周りの空力処理を少しマイルドな設計に戻したのがF2004です
フェラーリは「俺たち」が良く似合う。
総集編見直したら、2004年強過ぎて弛んでるなぁと思った。
……この頃のフェラーリは常勝していたという事で、あぐらをかいてしまってた、という事でしょうか。
これを聞くと、なんか1991年当時のマクラーレンの話を思い出します。
この時のマクラーレンはセナが開幕戦のアメリカGPからモナコGPまで4連勝していたのですが、その直後のカナダGPからウイリアムズのマンセルとパトレーゼが急に強くなってしまって、セナが手も足も出ずに全く勝てなくなった話によく似ています。
これは当時のマクラーレンがウイリアムズの動向を警戒・分析するのが甘かったのが原因なのですが、セナが勝てなくなった事については『こんな事ならセナが開幕4連勝なんてしない方が良かった。マクラーレンは完全に(ウイリアムズに)油断していた』と、当時のジャーナリストが発言していたそうです……。
レギュレーション大幅改定の年(05年、09年、14年)にフェラーリが1勝すら出来ずに大爆死するジンクスの始まりかもな。
2026年大丈夫かな...個人的にはRBPTよりはマシ感があるけど。
@@Railton-bb RBPT→約束されたGP2エンジンフェルスタッペンガチギレ離脱
ホンダ→流石に最初から強いとは思えない
メルセデス→14年の改定で1番成功したが、RBにすら苦戦してる今季とか見てるとうーん
ルノー、アウディ→オワコン
フェラーリ→もしかしたら26年あるのか…
ニューウェイを獲得できるかどうか次第だと思う。
昔なにかの雑誌で見たんですが、2003年の不振は当時マクラーレンが高速コースで優位性を見せており、フェラーリも高速コースで優位に立とうとして空力を攻めたが、コースを設計する際にドライバーの安全を考え、高速コースや高速コーナーが減った為空力性能が生かせず成績が落ちた、らしいですよ。
エイドリアンがフェラーリに加入したら再びフェラーリの黄金期到来だな
あの組織はそんなに単純ではないから長い事タイトル取れてないんだよ
箸にも棒にも引っ掛からなかったアレジ時代のティフォシにとっては、こんなの凋落でもなんでもない。
ちょっと最近勝てないなぁ・・・程度(笑)
GAはロングホイールベースが災いしたって聞きましたが...
2003年のフェラーリ不振は色んな意見があれど、ライバルドライバーの奮起は無視できないと思う。この年はなんだかんだ言ってもバリチェロ以外はみんなイキイキしていた印象がある。
2004年
踏んだり蹴ったりな
フェラーリ推しのブリヂストンやフェラーリ自体にはレギュレーションになってたんですね💦
4ピット作戦や
極力スタートから
逃げきり戦法
セットアップでの
作戦に他のチームから苦情がきたのかな💦
いつかのブラバムBMWの二の舞に💦
この辺の03年あたりもフェラーリ
確かに後ろばっさり感ある💦
リア軽すぎても
小回りはよくとも
アンダーを出した
時に お釣りきちゃうかも💦
やびくもに軽量化依存しすぎも車体全体の
剛性力を落としてしまいかねないのに…
相当焦って開発してたんかな…💧
いろいろ革命的な
技術は取り入れては
いたとはいえ💧
GAもF2004も革新的な技術は何も入ってないマシンですよ!
細かい部分を少しずつブラッシュアップして作ってた車です
敢えて言うならF2002でツインクラッチのギヤボックス積んできた程度です
@@仝紳士な変態仝 あ〜💦いろいろ聞き慣れないのが
あったからつい。
剛性落ちるような軽量化はしないし
アンダーとかお釣云々とかそういう低次元の話しではないです
次元の高いレベルでの話。
当時「勝ち過ぎた(出来高払いの)ミハエルへのボーナスがチーム予算圧迫して(開発費が足らず)翌年低迷する。」なんて笑い話が有った。
そんな事実はないけどね(笑)
F2003-GAの「GA」は、2003年1月に亡くなった元フィアット会長のジャンニ・アニェッリのイニシャルにちなんでいる
もしもジャンニ氏がフィアットの社長を務めていた時代にフェラーリを傘下に置いていなければ、フェラーリは70年代辺りでレース活動のための資金が枯渇し、解散していたかもしれない
ブリヂストンタイヤ使用チームが2つだけになって開発が進まなかっただけだと思いますね。
タイヤが同じならず〜っと強いままだったと思います。