【ゆっくり解説】 崇禎帝 大明帝国の崩壊を食い止めようとした皇帝 【明】
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2021
- 明王朝最後の皇帝崇禎帝の生涯と滅亡に向かう末期の明朝について語ります。
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滅び行く組織の動きって、独特の面白さがあって好き。当事者たちにとってはたまったもんじゃないが。
崇禎帝に最期まで付き従った王承恩は宦官には珍しく忠烈の臣として、あの徳川光圀も高く評価しているとのことです。こう言ってはなんですが、猜疑心の強さで殆どの家臣から見放された崇禎帝にとって、最期まで付いてきてくれた家臣が1人でもいた事は幸せだったのかもしれませんね。
皮肉なものだ・・・明朝最後の忠臣の象徴ともいうべき人物が、洪武帝が最も警戒した宦官だったとは・・・
そう感じる事ができたなら、ここまで見放されはしないでしょうけどね。
猜疑心の強い皇帝でしたが、一方で当時の明朝はもう信用できるに値する人材が枯渇していたこともありますからねぇ。
王承恩はそういった意味では、中国人ですが我々日本人が忘れてはならない志をまさに命を懸けて見せてくれたと思います。
個人の力では国の運命はどうにもならない
という例でしょうか
万暦以前の国力と臣下なら全然違う結果だったと思う
皇帝としては「普通」の器だったんだな……
傾国の君主は「普通」ではとても務まらないということがわかった
崇禎帝の終わり方はなんというか小説的で美しさを感じさえしますね。これはそれだけ記録が残っていたのか、後の世の歴史編纂でそれだけ美しく書かれたのかな。
崇禎帝は兄が相次いで亡くなったから即位したわけで、ちゃんと帝王教育を受けていたわけではないんですよね。
そのため若いうちに人脈を育てるといったこともできず、信頼が置ける人物が宦官しかいなかった。
彼は朱元璋や永楽帝のような英傑ではないただの凡人だったので、勤勉であることしかできませんでした。
もし16世紀半ばあたりに即位してたら、名皇帝になって明の中興の祖として評価されてたかもね。「皇帝の器としては【普通】だが、勤勉」というだけで明にとっては貴重
この時期の明はほんと絶望のベリーハードモードだよね・・・。
敵対勢力のヌルハチのカリスマ力だけでもヤバいのに、モンゴルまで清に吸収されて・・・。
ベリーハードどころかルナティック
おまけにせっかく持っていたSSR級人材を自ら処分ときたもんだから勝てる訳ない
戦場では勝てないから搦手で攻めるホンタイジがたまらない。
魏忠賢みたな極悪人が首をつって比較的安易な方法で死に、袁崇煥のような有能な忠臣が残酷無比な凌遅刑でズタズタに殺されるという天道是非。
崇禎待ってました。
俺も崇禎の猜疑心は若年の頃の魏忠賢時代が影を落としているものと見ています。
袁崇煥の件も経験不足の所に袁のアンチに周りをガッチリ固められている状況ではホンタイジの謀略などとても躱しきれるものでは無かったでしょう。
余りに悲惨な運命は彼一代で終わらずに倅(朱慈煥)まで引き継がれてしまったらしく、康熙帝の時代に70代まで生き永らえたのに考えられない様な嫌疑で(あの康熙が⁉)凌遅刑にされてしまったのも目を覆わんばかりです。
満洲族の天下がほぼ決まりかけていた時期に三藩の乱を経験した康熙帝は大多数を占める漢民族統治の難しさや根強い漢民族からの異民族支配への反発を身をもって経験した。
本人にその気が無くとも叛乱の旗印にされかねない貴種はやはり根絶やしにしなくてはという意識は当然強いはず。
もっと時代が進み満洲族による中華支配が固定化すると明朝末裔を生かしても大勢に影響無いから叛乱を唆した張本人だけ処罰するねで済むけど。仕方ないね。
消したかっただけなら斬首で十分のはず
袁崇煥が刑死したと言うのが明の終わりを印象づける
賢臣を用いながら疑心が勝るのは、何というか崇禎帝の褒められ無さを体現している様に思える
魏忠賢時代があったからってのが大きいと思う。これがなければ袁崇煥を斬ることもなく忠臣の数も多かった筈
朱元璋からの血筋、玉座の位置にいる人間の特性の両方持ち合わせるとこの末路を辿るのだろうか。
正しい臣下見出すこと、これがどれ位偉大な能力か、反面教師になりますね。
劉邦、この点だけは外さなかったよねぇ。
創業のときの功臣は評価しやすい。
群雄に過ぎない時代からの部下で、かつ天下を統一できた勢力であり、さらに裏切らず天下統一までしたがった者だけが歴史に残るから。
明日の命もわからない状況をともにしたものなら信用できる。漢の功臣だって韓信を除けば、多くは旗揚げ当初からの参加者。
李世民もこの才能があった。一流は一流を見抜くってのは、真実ですね。
明を滅ぼした当の李自成ですら「崇禎帝は暗君ではないんだけどなぁ・・・」みたいなこと言ってるのが何とも空しくなる。
崇禎帝がもうちょい誠実な人に囲まれて育っていたらもう少しはマシな対策が取れていたかしら・・・
やはり袁崇煥の末路がそのまま明と崇禎帝の末路。呉三桂を筆頭に裏切りが頻発したのもわかる。でもただのアホ皇帝ってわけではないのが悲しい。特に公主の話は悲惨すぎんよお…李自成がちゃんと弔ってくれたのがせめてもの救いか…
崇禎帝はこの苦しい時期に文字通り全身全霊で明にこの身を捧げて尽くし倒して、ヌルハチを実質戦死に追い込んだ
袁崇煥を敵側のホンタイジが流した讒言を信じて処刑してしまったけど、もうこの時期の明はもう
袁崇煥裏切りルートも十分あり得る位兎に角絶望が蔓延ってたしホント虚しいよね。
中国だと、「忠臣ではあるが、『謀反の疑いあり』という讒言をついつい信じる主君に嫌気がさし、
本当に謀反・下野する」奴も結構いる。
袁崇煥は相当な忠臣だわ。
@@user-ng8mx2jd7j 袁崇煥は北斉の名将斛律光や蘭陵王高長恭と重なりますね。国に忠義を尽くし国防に務めながらも敵国の計略に乗せられた君主によって処刑されるに至るまで。
鳥人間さんの知識量には驚かされます...。検索しても出てこないことも多くて本当に助かります。
素朴な疑問なのですが、どうしてこんなにも詳しいんですか...?
新書なども相当読み込んでると思いますよ。古代中国王朝に関しては中公新書が結構いい本を複数出してるのでおすすめです。
図書館に通いましょう
こんな情報を簡単に知れる現代って最高だな
23:08
黒い服着てるドルゴンマジで格好いいし悪役感ある
ドルゴン
いや、ワイは、漢民族に優しくしたり、皇帝の墓も荒らさんかったで
明の、崇禎帝の最期は「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がとてもしっくりくる惨めさ。
崇禎帝は現代に例えるなら、やる気はあるが無駄な会議が多く部下を叱責してばかりの、経営の傾いた元名門企業の最期の社長といった風情だ。
正統帝や万暦帝みたいな明の継投が酷すぎるんだよね。
明の末期は待遇の悪さから、後金(清)にヘッドハンティング(引き抜き)される
武将も多かったと聞きます。
今まさにそういう人物が父親が一代で築き上げた会社を崩壊に導い
てく過程を見てますね
某大きなモーター会社
無駄な会議をなくすための会議をやる ダメ企業 みたい
李自成が丁重に葬っているのが何故か印象に残った。
崇禎帝来ましたね。
この皇帝の評価は難しい。すでに滅亡まっしぐらの明朝末期を支えきれず最後の皇帝となってしまったところだけ間違いない。
現在的な視点から歴史を評価すれば裏目、裏目が出てしまったのは間違いない。しかし、朝廷にあって、いまのようにTVニュースを見ることができるわけでもなく、内廷も外廷も誰も信用できない中で、人間不信に陥ってしまうのはやむを得ないと思う。袁崇煥のことも朝廷や北京民衆から叛逆の上奏があれば「そう」と信じてしまっても仕方がない。
結局、疑心が過ぎたのではなく、疑心を抱かずにはいられなかった環境の問題も大きいと思う。
万暦帝より前に即位していれば、明朝中興の祖と評価されるくらいの業績を成し遂げたのではないだろうか。
うーんこの明王朝最高や!段々熟んでドロドロしていき、最後はぼとりと地に堕ちる果実の様な妖しい魅力がワイを惹きつける…。
頑張り屋さんだけど別段優秀なわけでもなく、跡を継いだ時点でもう王朝の命脈が尽きていた何とも不憫な人ですねぇ。
お前様のような明朝好きは存外多い。拙もその一人
俺も
明朝最高です!ヾ(*´∀`*)ノ
明が一番好き。次が清
人を疑うことをしない君主はダメだけど、疑い過ぎる君主もダメなんだよね……
「過ぎたるは及ばざるが如し」ですね。
@@user-gv7qp3mn3k 崇禎帝の場合は、仕方なかったとは言え「過ぎたるは及ばざるに如かず」(by大久保利通)でした。
万暦の時代に崇禎帝が統治して張居正とタッグを組めていたら、というIFが頭を過ぎりますね。
ガチガチにしごき上げる張居正と教えを真面目に学ぶ崇禎帝なら明はもっと持ち堪えていたかも。
景山公園を観光した際、崇禎帝が自らを掛けたという木が残されていました。
中華の皇帝が最後には首を吊り死を選ぶというのは盛者必衰の言葉を思わずにはいられない・・・
実はあれが二代目
オリジナルは江青に四旧と見なせて、撤去された😥
明朝文化はまだ漢民族の植民地である韓国で継続されています。
「真に恐れるべきは有能な敵より無能な味方である。」
ナポレオンのこの名言は、古今東西に通用する。
鳥人間様、今回もありがとうございました。
崇禎帝が恐らくどれほど努力しても、復興する事はなかったとは思います。既に命脈は尽き果てており滅ぶのも時間の問題ではあったのでしょう。
彼の猜疑心も、彼自身の若年期の混乱の中で増幅した結果であり一概に責める事は出来ない気がしますね。
同感だよ。崇禎帝はあまりにも過酷な運命を背負わされた人物だった。
最後に娘たちに掛けた言葉が悲しすぎる。
王朝にしろ建物にしろ、何代にもわたって傾き続けて、倒れる間際になって支えようってこと自体が無理なんだよなあ。どれだけ太い柱を用意しても、倒れ始めている建物を支えることができないように、どれだけ英明賢君であっても崩壊が加速している王朝をたてなおすことはできない。無事な部分を纏めて切り離すことはできるかもしれないが、元には戻ることはないんだよなあ
@@MsSyage
「無事な部分を纏めて切り離すことは出来るかもしれないが〜」
国家にそれやって成功した例って歴史にあったっけ?
@@shinburo8111 成功例はないけど、延命措置ではあるよ。晉や南宋みたいにね。その程度しか打つ手がないってこと。
@@shinburo8111
植民地全部放棄した日本とかその例だよ
あとなんだかんだで今まで続いてる中華民国
これが滅びの美学か…
末期の王朝ってなんでこんなに魅力的なんだろうか
生まれた時代が悪すぎたとしか言いようがない。
この点はフランスのルイ16世に通じるものがある。
後、よろしければ袁崇煥も紹介して欲しいです。
袁崇煥の最期に泣いてしまった。。。
崇禎帝には崇禎帝なりの、とてつもない苦悩があったんですね…。
祖先の行いを一気に背負うことになり、信用できる人間も本当に多くはなかったにしろ、信用してよい人間は内から外から狙われるのは地獄でしたね。
それでも、明朝なのか崇禎帝なのかは分かりませんが、最後までついていく人がいるというのは、彼の人徳のひと欠けらが成しえたものだったのかな、と思い拝見させていただきました。
李自成も、風見鶏のように時勢で左右される官僚や人民が欲しかった訳ではなく、むしろ崇禎帝と彼を慕う人々をそのまま受け入れられれば、まだ清に対抗できたかも…。
結果として、李自成は自分を苦しめた人間たちを引き込み、形上でも救おうとした人をやっつけた形になった訳で、一種の世の中の不条理を感じましたねぇ。
しょうがないとしか言いようがない 滅亡へのドミノはすでに倒されており「誰がこの王朝を滅ぼしてくれるのか」という感じだったのかもしれない
長く続いた王朝の最後の王(皇帝)が本当の昏君って例は案外少ないですよね
崇禎帝と朱元璋は、似ているのと同時に非常に対照的だと思います。
始まりと終わり。
共に生を受けたのは王朝の末期。
一方は生まれながらに全てを失い、全てを手に入れた男。
もう一方は、生まれながらに全てを手にし、全てを失った男。
そして二人とも猜疑心の塊で部下に過酷。
とても興味深いです。
まあ、子供のころから魏忠賢とか見てたらそう(人間不信……てかこの場合は『臣下不信』というべきかw)なるわな😃💡(納得した笑)
高校の受験世界史では、この様な政治情勢や戦略分析はされない。大学受験には必要が無いからである。
だが、そのせいで殆どの高校生は歴史の深層に触れないまま世界史を修得したと評価される。これが歴史教養の軽薄さに繋がる。私も経験した事だが、我が国の高校生は真の教養教育を与えられて居ないのです。
勿体ない事です。
その通りだと思います。
歴史ってドラマだと思うんですが、その中に「なぜ王朝が滅び、交代していくのか」「滅びるまでの過程に何があったのか」という現代に通じる教養があるのですが、学校教育ではなかなかそこまでたどり着けないです。
このような良質な歴史解説動画を見ることが出来る時代に生きているのは、とても幸せだと思います。
真の教養なんて与えたら自分たちに楯突くようになるんだから政治家は与えないよ
込み上げるなあ〜。
しかもこんな哀愁漂う秋に動画出しやがって〜🥲
末路は悲惨だが、部下を過酷に扱い過ぎた、自業自得の感は否めない。
しかしそういう点も含めて、明の皇帝らしい人物だなぁと思います
多疑に始まって多疑に終わったのか、運命を感じさせる
崇楨帝面白かったです😃
一生懸命やったのはわかりますが、明朝末期の敗戦処理はあまりにもキツいですね。李自成も崇楨帝は特別に暗愚ではないと認めてますしね。
崇楨帝の猜疑心は朱元璋や永楽帝の明朝の遺伝なんかなと思ってしまいます
ホンタイジの死で明が期待した清の内部分裂が起きるどころか、内部分裂を回避するために一致団結して明にぶつかる方へ舵取りされたのが皮肉ですね
猜疑心が強すぎて誰も信用できなくなってかえって大いに欺かれる事になるのがなんとも皮肉極まりない
凌遅刑はいくらなんでも流石にないでしょうよ。
裏も取らずにいきなり臣下を凌遅刑に処す辺り、もう崇禎帝と明朝の終わりが見えますわ。
270年続いた帝国が自分の代で滅びるなんて、どれほどの無念だったんだろうな。察するに余りある。
朱元璋に申し訳ない気持ちと絶望で一杯だったろうな…。だが殉死を強いたわけでもないのに最期まで付き合ってくれた友人が一人でもいてくれたってのは、幸せやな。
日本にも同じような猜疑心の強さでせっかく優秀な弟たちに恵まれたのに本人の死後3代で完全に耐えた家がありました。
源頼朝の家です。
源頼朝と崇禎帝は猜疑心で家を最終的に絶家させたという意味ではよく似ている。
奥州藤原氏とかもそうですかね?
義経は兎に角範頼は惜しいですね
29:55~崇禎帝が最期に首を吊って自害したのは『松の木』だったと言われている(らしい)んですが
この『松の木』というのにもおそらく意味があって
古来中国で高貴な人の墓に植える木というのがそれぞれ身分によって決まっており
「天子⇒松、諸侯⇒柏、大夫⇒柳、士⇒楡」とされていました
つまり、崇禎帝は墓など望むべくもない最悪の事態に至ったこの時、最後の瞬間においても大明帝国の皇帝、大中華の天子であるという「節度」と「矜持」そして「冷静な思考」(ひっくるめて平たく言って『見栄』(^_^;))を維持していたわけです😘
崇禎帝が描いた計画通りに事が動かぬと
自身ではなく臣下を断じた辺り、
表向き聡明なように見えて
実は王莽のような意識高い系の暗君かな
万暦帝がもう少し賢かったとしても
崇禎帝の代で滅ぶ運命だったのかも
現場を知らない、妙に頭だけは良い意識高い系は ただの"困ったちゃん"
@@001lonestar7 中華皇帝って宮廷にいなきゃならず、現場に出られないのよ。
@@yuten1992 さん
現場を知る努力はして欲しいかな。
@@yuten1992 日本も足利将軍は公家化してからは将軍自らが出陣するのに朝廷も動員しためんどくさい儀式やらなきゃいけなくなって、信長が義昭に親征させられなかったという話もありますね。
@@yuten1992
永楽帝は自分も戦場出てた
(長男を摂政として残していった)
将官のピンハネは笑えない。ピンハネをした彼らも明自体が滅びれば自分たちの身が危うくなることは分からなくはないだろうに、それでも目先の金銭を選んでしまうものなのだろうか?
その程度の人間しか残らなかった。そして、そう言う人間を処分できたのは三藩の乱までかかってしまった。
いざとなったら投降しちゃえばいいからね
皇帝は国無くなったら一族終わりだけど臣下にそういうのはない
それがわかってたから、臣下を信じられなかった部分もあると思う
滅びの時期になって、創業の賢君と(良くも悪くも)似た人物が現れる点では徳川幕府みたい
ただ徳川幕府とは比べられない程に人材の枯渇と腐敗が凄まじかったんだなぁ
まぁ後世から見たらある意味中華史上最も面白い時代なんですがねぇ
慶喜は「こういう時期だからこういう人でないと」として、前将軍からの指名もひっくり返して選ばれましたからね。危機対応の体制がかえって傷口を広げるパターンですね。
社員は悪くありませんから!
明の滅亡から三藩の乱で清の時代が確立するまで、濃い時代ですね。袁崇煥、ドルゴン、呉三桂。他にも魅力的な人物が多いですね。
明のことは結構勉強していたつもりでしたが、妖しげな香の話は知りませんでした。
目から鱗です。
崇禎帝の動画、ありがとうございます。
袁崇煥が皇太極の計略に填められて、無実の罪で処刑される場面は北斉の斛律光が韋孝寛の計略で殺された故事に驚くほど似ていますよね…。
皇太極も中国の歴史には通じていたと思うので斛律光の故事を参考にしたと思いますけど、崇禎帝は自分がその計略を仕掛けられるとは思ってはいなかったんでしょうね。
李自成も崇楨帝は暗愚ではなく一生懸命やったのは認めてましたね。
司馬遼太郎の『韃靼疾風録』を読んで知ってたけど、袁崇煥が可哀想すぎる
今日の鳥人間さんの写真かわいい!
疑いすぎた結果ダメになるパターンですね…
最後までいてくれた宦官の方の人生も少し気になるところですね…
味方さえまるで信じない崇禎帝がガチで忠誠心を評価したのが「正史に列伝ある唯一の女性」秦良玉だった。(彼女自身、処刑覚悟で身辺整理してたが…)
崇禎帝は部下や業績の不振の原因を自分で見に行かないで、何だこの数字は!とキレ散らかしている上司のように映りました。5:20のエピソードも香りの方向を辿って確認しに行こうよと思います。(公務が忙しいのでしょうけど…)在位17年で宰相が50人もの人物が就任する「崇禎の五十相」なども多疑以前に狭量から来るものなのでしょう。これでは部下がこの人の為にとは動かないです。生い立ちなど同情できる所もあるのでしょうが、自業自得と思う所の方が強いです。
本人が有能でも一人で国を治めることはできないわけだから人を見る目を養い重要な業務を任せられる忠臣を作らないといけなかったんでしょうね。
危険が差し迫っているときに我が身可愛さで悪さや、お金を渋るって…
ほんとにこの時期の明は本当だめだったんやなぁ…
中国人にとって皇帝への忠誠より自分の一族を後世に繫ぐ事の方が重大だからね
皇族は国が滅べば族滅ほぼ確定だけど貴族や将軍はそうでもないしね
袁崇煥が後金に寝返るくらいなら寧遠城を死守するわけがないことすらわからなかったのだろうから、英邁な君主の素質があったとしても、発揮できなければないのと同じだ。自分は学生時代に中国旅行で紫禁城に行き、景山にも案内された。そこでガイドが「崇禎帝はこの木で首吊り自殺をしたと伝えられています」と説明を受けたのが懐かしい。首を吊るときの崇禎帝は、春秋時代の呉王夫差がそうだったように、あの世で袁崇煥に会わせる顔が無いと思ったのだろうか。
崇禎帝には洪武帝の馬皇后、イワン4世のアナスタシアのような皇后はいれば・・・時代は変わったかもしれません。
疑い深いなら疑い深いなりに、何が必要で何が不要か、正常な判断力と正確な知識、それを与える人材を見極める能力があればね......
でも、本人もこれだし、全部腐敗してたらもう駄目だ(*_*)
明朝の人物繋がりで、土木の変の後、モンゴル軍と戦い、これを撃退しながらも、処刑された悲劇の宰相・于謙もやって欲しいです。
崇禎帝も見たかった動画で
やっぱりいつも通り面白い動画でした~!ありがとう~!
あと、盛り上がるBGMの曲名
わかるようでしたら教えてクレメンス…!
甘茶の音楽工房様の「イカロスの墜落」でございます!
@@c-history
ありがとうございます!
次の動画も楽しみにしてます!
@@c-history
すみません
やばい雰囲気になる時のbgmも教えてくれませんか🙇🏻♂️
余りにも悲し過ぎる最期
最も壮大なのは南宋最後の戦いでしょう。左丞相が幼い皇帝を抱えて海に飛び込む場面は、三部作にすると虚構の『ロード・オブ・ザ・リング』よりもずっと見応えがあります。中国は5000年の歴史があり、三部作の大作映画にできる要素が非常にたくさんあります。
マルクス・アウレリウスにすらなれなかった崇禎帝…
アントニウス・ピウスの超劣化版の万暦帝…
個人でどうにか出来ることと出来ないことが同時に押し寄せてくる絶望感が凄まじいですね…
だから王朝末期はクセになる…(ビクンビクン)
北京紫禁城北側に、景山公園、明思宗殉国処があります。当時の首吊りした木は何代目かの物ですが、崇禎帝の自殺当時が偲ばれます。メイシャン煤山と明時代は呼ばれていたようで、非常時用に石炭が埋めてある山だどか…北京故宮行った時は皆さんも足を伸ばしてみてください。^^
おー楽しみにしてた崇禎帝だ。
登場した時期といい最後といい本当にかわいそうだと思う。
リクエストなんですが、北京政府の人物とかチベットのソンツェン・ガンポとかダライ・ラマ13世を解説してほしいです。
Thanks!
ご支援ありがとうございます!
いつも励みになっております……!!
ありがとうございます!
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まことに励みになっております!
亡国の最後は本当に辛い、心がキシキシと痛む…。
崇禎帝「そなたは何の因果で、皇帝の家に生まれてしまったのか・・」
愛娘に剣を振るう・・😭😭
宋の神宗「そなたは何の因果で、皇帝になってしまったのか・・」
あの世で六男にぼやく・・😵💫😵💫
1.魏賢忠が綺麗に粛清したお陰で政務に取り組む臣が1軍半か2軍レベル
2.崇禎帝本人も魏賢忠の影響で人を信頼・信用することができない状態
3.その上崇禎帝個人の処理能力を上回る数多くの内外の諸問題
状況も非常に厳しい上に、崇禎帝に関しては運も味方しなかったのは非常に痛かった
袁崇煥を処刑せずに後金(清)との戦いに集中させて時間を稼ぎ、内乱を何とか治めたら
ワンチャンあったかな・・・という印象です
批判はあるにせよ、最後まで明を守ろうとした姿勢は評価しなければいけませんね
×魏賢忠 ○魏忠賢
安能務先生の『中華帝国志』下巻で、崇禎帝が首をつる直前に王承恩が易者に占いを立てる提案をして待ったをかけ、景山を降りて高名な易者に占ってもらうが、結果は散々。見料を払って急ぎ戻るも、口実を作って逃げたと思った崇禎帝はすでに首を帯びにかけた後だった……という話がありました。なお、このエピソードは演劇・講談の世界の話らしいのですが。
敗戦して処刑は、敵にすぐ降伏するようになるという弊害がある
今回は冒頭の茶番の切れ味が、いつにも増してヤベェ…(笑)
やる気と能力はあったのかもしれないが、資質を伴っていなかった、という印象でしょうか
全てが崇禎帝の責任とは思いませんが、トップが他人を信頼して仕事を任せるコトの出来ない組織はキツいでしょうね…
肖像も動画の冒頭では
「万暦帝に比べて聡明っぽく描かれてんな~」
と思えましたが、次第に目に狂気を感じるように…
その点では世宗嘉靖帝の前期の治世に繋がるところもあるかもですね
24:36 大谷翔平が出てきて死ぬほど笑った
大谷選手のとなりの笑福亭笑瓶(しょうへい)のことは、知らない方が多いのですね。
関西では割と名前が通っているのですが😥
最近ペース凄いですね!
南宋の滅亡と明の滅亡がよく比較されますが、明は官吏の地位やその命が軽い傾向にあります。
だから、滅亡時には多くの官吏が、「智伯に使える前の豫譲」のような対応をしたのだと感じました。
石刻遺訓で士大夫の言論の自由が保障されてた宋と明とじゃな
官僚層のなんとか国を守ろうという気概は違うよね
袁崇煥を処刑したあたり、秀次を切腹させた秀吉と被るねえ。それで求心力を急速に失っていく点も。
抗い難い運命の星のもとの生まれた「彼」の中華皇帝としての重すぎる十字架...それを十分すぎる程、感じさせて下さる内容に、うp主の創作意欲を感じさせて頂きました(いいえ、創作ではないのですね、歴史的事実と共に歩むその姿勢を感じました)
感謝いたします。
今孔明と言われた袁崇煥を残忍な、凌遅刑で処刑したので、臣下や人民が離反してしまいましたね。まんまとヌルハチの離反の計略に引っ掛かって‥有能な敵より、無能な味方が一番たちが悪い。
真面目で平凡な人が、滅亡確定の王朝の皇帝になったと言う感じですね。
色々欠点はありますが、奮闘したことは認めてあげたいです。
逃げた皇子のうち、朱慈煥は70代まで生き、告発によって清に凌遅刑で殺されました
1708年 75歳でしたね 明の復活を企図した廉でだったかな
@@user-xy9um9xy2n 「謀反を起こした事実はないが、謀反の心を抱かなかったことはないとはいえない(朱某雖無謀反之事,未嘗無謀反之心)」 なんというか岳飛の「莫須有(あったかもしれない)」罪と同じぐらい理不尽ですね…
それでも崇禎帝はホノリウスとは違うと言いたい!
確かにどちらも能臣をむざむざと処刑してしまったが、せめて自分で動こうとしてるしな…
にしてもローマも中華王朝も「名君」「暗君」の差がハッキリしてる(凡君は埋もれるからしょうがないが)。
それにしても、英明で忠実な社稷の臣とはなんと得難きことか。
嗚呼、悲しきかな。
ホノリウスは領民すら見捨てたからな
その一点だけでも崇禎帝の方が100万倍はマシ
袁崇煥の解説動画も見たくなるのう
この真っ正面からの肖像画って明末あたりから流行り始めた構図なんですかね
世界的に見てもかなり写実的な絵やし証明写真みたいな感じにしたかったんやろか
言われてみれば………そういう視点で肖像画を考察するなんて考えた事も無かった………
時代・洋の東西も違いますが「ヒトラー最期の12日間」を思い出しました。
即位3年で袁崇煥を処刑とは、
この皇帝に忠義を尽くしても、決して信頼されないと誰もが思うだろう。
決断は速かったが、その決断は悪手ばかり、
皇帝を諌めたら、不興を買いかねないと思えば、従うのが賢明と考えるか。
絶対王政を目指すのは分かるが…
力足りぬ王では悲しいかな…
それが自身で理解していたのか微妙な所…
やること成すこと下手を打ち最期まで『何故だ』と思い続けながら生きてきた印象…
首を吊った崇禎帝とそれを見て跪く王承恩の絵を見ると悲しくなってくる😢
袁崇煥を処刑した一事だけでも、崇禎帝は亡国の君主の悪名を免れないだろう・・。秦の胡亥、西晋の懐帝など、敵と味方の区別ができない奴が、亡国の君主の条件の一つではと思ってしまう・・。
小氷河期のアジア圏は日本も含め地獄だなあ…
自国が急速に傾いているのを知りつつ何もしなかった帝室の諸王たち・・・
革命期のブルボン家の面々と同レベルの不甲斐なさ
ありがとうー
やることなす事すべて裏目に出る姿に涙が出ますよ…。
無能な働き者呼ばわりされる事もありますが
もう状況や周囲の人間が末期過ぎて、仮に崇禎帝の能力が
洪武帝や永楽帝級だったとしても復興は無理だったんじゃないでしょうか。
「碧血剣」で王承恩が「世が世なら洪武・永楽と並んだ」と評していたのを思い出しました。
流石に洪武・永楽は褒め過ぎでも、大半の明朝の皇帝や亡国の君主よりは優れた人だと思います。
「無能な働き者」論も、貴君の言う様に状況が誰が何をしても駄目だったと思います。
私は、救急治療が可能であることに同意します。もし救急治療が行われた後、数代の皇帝が善政を行えば、明朝の国力は回復する可能性があります。
また、中国の歴史においては、永楽帝が北京に都を遷したことが、明朝の国運短命化の原因であるという説も存在します。
李自成、最後の皇帝を皇后と一緒に丁寧に埋葬したり結構情に厚いところがあったんやな。
もう少し、臣下を信頼して大事な仕事を任せて結果を受け止めきれる度量があれば、明王朝ももう少し長く続いたかな?
袁崇煥の最期は悲惨ですが、独裁皇帝の怖さは科挙出身の文官であったから、余計に避ける知恵は発揮できたはずだ、とずっと想っていました。
しかし北虜南倭をほぼ独りで抑え込んだ武官の戚継光は、功がより巨大なのに生き残った事(失脚の憂き目は見たが取り敢えず自然死らしいので)を考えると、自身を莫迦に見せる事に失敗したから殺されたか、あるいは明王朝自体に功臣を受け入れて用い続ける余裕がもはや無かったのだ、と観るようになりました。
戚継光が上司の朱紈・胡宗憲が海賊の王直もろとも処分されたことを目の当たりにしたのなら「女性にだらしがなく、奥さんの尻に敷かれた上、浮気を配下の責任にして逃げ切ろうと企んだ」悪評を故意に流布させたとも観られるし、曹操と同様『悪評なんかタダだ。任務・天命を果たす事が第一。』と考えた程の人でなければ、新しい剣法や兵書を著すことなんか出来まいよ、と考えられるので。
国を売って財産を築いた忠(?)臣や外戚が、最期、国の滅亡と共に滅びるの好き。
万暦帝をやってほしいです
疑心暗鬼になると大概駄目になる皇帝大杉
崇禎帝が即位した時点ではもう手遅れだったのは事実だろうな。仮に手遅れでなくても存在感のある清の台頭で華北では苦戦が続いただろうけど。
崇禎帝はあまりにも、あまりにも登場が遅すぎました。それにつきます。
せめて鄭成功と邂逅できていれば・・・・・いや、あの疑り深さではなぁ・・・・・
でもまともな感性の持ち主があの碌でもない環境で成育したら疑り深くもなるよなぁ。
弘治帝の次くらいに皇帝になれてれば名君になれた人だと思います。
疑うこと自体は悪くなくて疑った結果が排斥なのが良くないんだよなー
権限の分散とか制度的な異動とか税制とかシステムで対処すれば明君になれたかもしれない