【解説】苫米地用語「抽象度」 の使い方とは?【苫米地英人/本要約】

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  • เผยแพร่เมื่อ 29 ต.ค. 2024

ความคิดเห็น • 5

  • @ジェット-l2j
    @ジェット-l2j 10 หลายเดือนก่อน +1

    苫米地博士の本のことより、動画作成者の思想がわかる動画

  • @mono-t8x
    @mono-t8x 8 หลายเดือนก่อน

    抽象度 この概念、もし広くこの世界に定着させられたら悲しい交通事故死も減らせる事にも繋がりません?現実が変わる事を祈るばかりです❤

  • @iq2947
    @iq2947  ปีที่แล้ว +1

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  • @hironohara6753
    @hironohara6753 10 หลายเดือนก่อน +2

    3S は song じゃなくて screen.

  • @user-hs6oz7dn2g
    @user-hs6oz7dn2g 3 หลายเดือนก่อน

    しかし、リアリティが高いからと言って証明にはならないというのであれば、この世に証明できるものなんで一つもないということと同等ですよね。それは論理構造として暴論だと言わざる負えません。あくまで言語で表現される定義は人間のリアリティを基準としたものであって、私という概念がないというのであれば、自由も何もないと言い換えても良いということになります。そうではなく、私という概念を過剰に意識することによって生まれる社会悪を私は許せないというような表現が用いられるべきだと思います。そこに、その発話者の、意志があるからです。あらゆる表現はその本人がそう思っている、或いはそう信じているという本能的なものの含めたある種の思考の委託、、というか共感?によって成り立っているからです。ですので逆に言えば、私なんかないと言っている人が行っている私が私なのであって、どこまで拡大解釈するかどうかはあまり関係がないと言えます。私の定義の限界ラインを聞いている、或いは限界ラインがここ(私)だけどこの問題については、、、みたいな会話をしているわけではないからです。つまり一般意思の範囲で想定される私の話をしているので、厳格な境界線を引く必要がない状態で成り立つ私という意味になります。