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昭和最終期生まれですが、この中のおもちゃのいくつかは遊びました。今は何でも危険と最初から規制されますが、昔は遊びの中からやってはいけないことを学んだ。
そう考えると、本当にこの国は自由が無くなりましたね。ある意味、北朝鮮と同じような社会構造になってしまってるのではないでしょうか?
昭和38年生まれのジジイです。私は名古屋の南の方の地域でしたが、映像とは呼び名が違ってました。映像の爆竹と言われてるモノが2B弾、それ以前に売られていた一本が倍の太さが有り、全体に桜の柄の入った超強力だったモノが爆竹(爆弾)でした。映像の2B弾はクラッカーと読んでいました。私たちの遊び方は投げっこや、カエルなどを吹っ飛ばすのと、根性試しで手に持って爆発させると言うと言うこともしてました。小学校低学年だった私でもクラッカーで「手バク」はヘッチャラでしたが桜柄の爆弾は痛くて泣いてしまいましたねー笑それ以外にも危険な遊びばかりしていましたが、良い思い出ですね(^^)
昭和のキッズは危険が大好き。動画にある、おもちゃは定番アイテム。児童公園の5mほどの金網を平気で乗り越えていました。落ちて大怪我するそんな鈍い奴はいませんでした。危険なことは百も承知でやってるから、集中力と身のこなし養えました。
桜の柄の爆竹有りましたね、強力でした🎉束で点火すると 勿体ないからほぐして一発ずつ鳴らしてました、手に持って点火して投げたりしましたが、中には異常に導火線が早く燃えて破裂するのが多々ありまして、指の指紋が裂けた事有りました😅👍
@@kn977 σ( ̄▽ ̄)が小学生の頃は「爆竹」を「ダイナマイト」って呼んでたな。
確かに、あの導火線が無いヤツはクラッカーって呼んでましたね。あと、癇癪玉は、手やスリングショット(当時はパチンコって呼んでた)でコンクリの壁やアスファルトの地面に当てて破裂させていました。アレを手で投げて破裂させるのには結構な力とコツが必要で、年上のガキ大将に貢ぎ物をして習ったりしていました。銀玉でっぽうは後期になるとレミントンライフル型のレバーアクションの高級品が出て、ばねの圧縮がレバー式になったのをよいことに強化ばねを仕込んで遊んでいました。飛距離も10m以上になって至近距離で壁に当てると銀玉が砕け散って弾痕みたいになったのは思い出ですね。あとハンドガンタイプでは巻き玉鉄砲とのハイブリッドもあり、結構リアルな音がして人気でした。その後銀玉が樹脂製になって学校で禁止されました。エアガンは「空気銃」って名前で銃弾は今のペイント弾ではなく鼓型の物が主流でした。野良猫やハトを撃つ奴がいたため、すぐに禁止されました。
@@IkatarouTokyo 鼓弾エアガンは良く当たりました。釘や針を刺し込んで針銃化できました。タンスにドスッと突き刺さりました。癇癪玉、投げるの難しかったんですか?壁に投げたら、簡単に爆発しました。銀ダンは分解してバネを広げて簡単にパワーアップ。一昔前に出た「ニュー銀ダン」(マルイ)は普通のエアガン並みに良く当たります。10歳モデルなので威力はありませんが。
2B弾以外は全部やった。危ない遊びをして限界を見極めることを知った気がする。今の子どもはそういうことしてないから限界を知らなくて加減をできない人がいて怖い
危ない遊びをして、怪我したり火傷したりして、痛さや怖さを実感しましたね。それと親に叱られて殴られる事も当たり前でしたし。
そうそう子ども、いや人間が育つには毒が必要なんだ。低学年で刃物を使って指を切って流血。痛い痛い!そうやって刃物の怖さを身体で知った。指の傷痕は還暦過ぎた今でも残っている。だから、刃物を人に向けるなんて恐ろしくて出来ない。火遊びも散々やった。やけどもした。それで火の扱い方を学んだ。火の怖さも。
今では子供の世界だけじゃなくて大人の世界でもそう。カッターさえも使用禁止
今42歳だけど、爆竹で普通にカエル爆弾とかしてました(今思うとひどいけど)あとは人になげたりが普通の遊びでした。あとは爆竹ではないけど、かんしゃく玉を道路にまいて爆発させたり。ロケット花火をお互い人に向けて発射したり、勇気試しといって持ったまま爆発させたりと今思うとひどい遊びでしたが、みんなやっている遊びでした。あとはここで紹介された遊びは昆虫採集セットを以外は全部やってました。
エアガンとモデルガンを混同していませんか?
昔はフル金属の排薬莢(薬莢にBB弾とか詰める)タイプあったんよ赤い方々が改造してテロに使ってたり893や節度ないガンマニア関係で禁止になった
@@gvuygfdhdxh 動画に出てくる昭和46年の規制の頃は、まだエアガンもBB弾も無かったでしょ。競技用の空気銃ならあっただろうけど。
動画はガバガバというより曖昧な表現なので現在の国内規制(自主規制含む)エアガンは火薬を使えない、BB弾の威力は0.98J(ジュール)以下に制限、外装部品に金属パーツは使えない(グレーゾーンだが海外製にはメタルパーツのものもある)。それさえ守ればバネやネジなどをのぞく内部部品の鉄以外の金属(アルミや真鍮、亜鉛合金など)の使用に制限なし、外装色の制限なし。モデルガンに使用できる素材はネジ・バネ類をのぞいてはプラスチックか亜鉛合金で作らなければならない。金属薬莢(真鍮可)と火薬を使えるけれど弾を発射できないように銃身には特殊合金製のインサート(栓)を入れなくてはいけない。また撃発機構は薬莢後端を叩くことで火薬を発火させてはならない(実弾が撃てないように)。そして金属製モデルガンの場合は黄色もしくは金色に塗装しなければならない。
実際MGCという今は亡きメーカーのリボルバータイプのモデルガンはある改造すると実弾撃てるように出来たんだよね。細かい製法は言えないけど5mmベアリングを撃ち出して5m先のコーラ缶を撃ち抜けました。そういやこの会社はライフルタイプのエアガンをちょっとした改造で本物の銃弾撃てるように出来たのが凋落のきっかけでしたっけ。
@@芝鯖ロン削り出しで22口径専用のチャンバーを作るのが簡単と言う環境はなかなかないべ😅
昭和44年生まれなので2B弾は経験ありませんが、爆竹はよく遊んでました。たまに導火線の燃焼速度が妙に速いのが有って、持ってる間に爆発した事が何度かあります。あの痛みと心臓のバクバクで、少量とは云え火薬を扱ってるんだという事が身に沁みたものです。銀玉鉄砲も懐かしいですね。私は威力は無いけど、横からマガジンを差し込む機関銃タイプの物が好きでした。一番威力が有ったのは、ダミーの銃身の下から弾が出る、コイルスプリングを使った物でしたね。
爆竹でまったく同じ経験しました。なかなか良い破裂音しますからかなりの衝撃がありしばらく指に違和感が残りました。自分も2B弾は知りませんでしたが、爆竹より一回りデカいクラッカーというのがありました。
@@しろくまJクラッカーというのは3Bのことでしょうか。素晴らしい爆弾おもちゃ、2B弾が店から消えて、代わりに売られていたのがクラッカーでした。本体に「3B」とプリントしてありました。一本一本いちいち、火を着けねばならないので面白くなかったですね。直ぐに店頭から消えました。爆竹は威力が凄まじかったのでメチャメチャ面白かったです。樹脂製の弓矢も面白かった。ミシン針を括り付けたら、壁にドスッと突き刺さりました。つまり「本物」に出来たのです。
昔の銀玉の玉は銀色が手についちゃうんだよな
銀玉の代わりにダンコムシ入れたことある😅
@@cheyenne7924セミ、カエル、トンボ、ダンゴムシの消費した命だけで地獄行き確定する自信があるw
かんしゃく玉をよく車のタイヤにセットしたり、歩道橋の上から道路にばら撒いて遊んでる子供が多かった
運動会とか陸上競技のスタートの時に使うピストルに詰める紙製の火薬を木槌とかハンマーで叩いたら、鼓膜が破れそうな凄い音で眼の前で火花が散った感じでした!中学時代、部室でやったら凄い事になりました!
道路において車に轢かせるのはやってました。
やった!やった!
壁に投げつけてたな。バンッの爆発音が心地よかったですたい。
スリングショットっていう強力なパチンコで発射すると壁に当たったとき拳銃弾が兆弾したような音がするんだよね。
爆竹は導火線を解いて一発づつにして遊んでいたな。
かんしゃく玉とは少年の証!?これは地面や壁に投げつけ破裂させる事が多かった。でも小学校入る前後の子供では投げつける速度が遅く、かんしゃく玉が破裂しない。これを鳴らせるようになる事は一人前の少年になった証!
転んで自爆は聞いた事がある
@@芝茶 さん。浮気がバレて自爆したことが有るwww😅
エアガンや銀玉鉄砲の部分だけ見ましたが出鱈目もいいとこ。1971年にエアガンなんてありませんよ。正確には覚えてませんが75年位から7㎜鼓弾のエアガンが登場して85年位には6㎜BB弾使用機種が主流になっています。モデルガンと混同してるんじゃないですか?銀玉鉄砲が銀玉より一回り大きいBB弾使用の物の登場で消えていったとか言ってますけどそもそも6㎜BB弾より銀玉の方がわずかにデカいんですよ。なので既存の銀玉鉄砲はそのままで使用弾がBB弾(廉価品)に変更になっただけです。使ってる画像も内容を無視した「なんかそれっぽい適当な画像」だし酷すぎませんか?
同意!
銀玉鉄砲は、至近距離でも痛くも痒くもないでしたからね……そもそもパワーが無さすぎて、弾が真っ直ぐ飛ばない😂
小学生の頃、爆竹でよく遊びました😊 悪い子は、アリの巣粉砕したりしてましたが、私はもっぱら投げっこをしてました(あんまり変わらないか😂)。投げる前に自分の手で鳴ってしまうことを「手バク」と言ってました。私は一度、手バクしてしまいましたが、幸い、なんともありませんでした😅家庭用花火とかは、湿気気味が一番危険ですね。あれぇ?なんて絶対に覗いたりしちゃダメです😆
同じ事してました〜カエルの肛門に刺してる奴もいたようん◯に沢山刺して導火線を繋いで爆発したこともありますおもちゃにも着けて爆破したけど、思ったほど壊れなかった
エアガンとモデルガンは違います。昭和46年規制はモデルガンの規制、当時いまのようなリアルなエアガンなどありませんでした。
@@こんちには-h3nカエル爆破はよくやってましたね
昭和32年長崎生まれの悪ガキですドッキリシール時代は世代では無いですがその他はリアルタイム遊戯者です2B弾は水中でも消える事なかったので、水中に投げ込んで遊んでました爆竹は長崎の文化ですから今でも爆竹の音を聞くとソワソワします精霊流しの時は両手に2百束くらいをまとめて持って、タバコで火をつけ鳴らしながら上空へ投げてましたタイミング悪かったら指か無くなったと思うくらいの衝撃でしたよそれでも爆竹は辞められないです知り合いのトコで精霊流しやる時は花火師をかって出て、今も現役で爆竹鳴らしてます精霊流しの時は100m程進むだけで10万円くらいの爆竹は鳴らし終えますよ今でも夏場に子供達が広場で鳴らして遊んでますがほとんどの大人は何も言わないパトカーも素通りするしまだまだ長崎は爆竹天国です爆竹……………最高!😂ど昭和の爺さんでした
両親が長崎市出身なので、夏休みに両親が帰省した時に墓参りで花火をするのが定番でした。ロケット花火を『やびや』と呼んでいて、地面に挿して点火する方式ではなく、手持ちの棒切れの先端から発射させる方式だったので、大人がやる危険な遊びに見えました。
@tokyo_moon6983 基本、やびやは指で挟んで火を着けるものです打ち上がる瞬間に指の力を緩めて離す遊びですねただ、大人の遊びではなく子供の頃からの定番でしたよお盆の時期は、お墓でしますね大人が墓掃除したりお供えを準備してる横で遊んでました長崎で「やびや」とはエンピツのキャップみたいなのに導火線が付いてるだけの「ピュ〜」っと鳴るだけのを言いますちなみに「矢火矢」と書きます
丁寧で詳細な解説ありがとうございました。40年前の記憶で、曖昧な点もありましたが、手持ち花火以外は触らせて貰えませんでした。精霊流しで爆竹を持たせて貰ったのは28年前でしたが、これを最後に現在に至るまで花火をする機会はありません。
@@tokyo_moon6983 そうでしたか30年ほど前までは、精霊流しの時は沿道でも一般人が爆竹やれてました観光客に爆竹の手ほどきをしたくらいですよ(笑)県外の孫達か帰省しても、花火の時は私に近寄りません腰の袋に爆竹がたんまり入っているからでしょうか夏になって子供達が爆竹で遊びだすとこちらもソワソワしてきます根っからの爆竹っ子の血が黙っていないのです🤭
大人になって隣の子と花火やったときは、ロケット花火、空に投げてましたね。男子やり投げ言うて。空中で火薬に点火するので、ロケットの空中発射がリアルに体験できました。
爆竹🧨は無いと困る代物です山に入る際にラジオ・爆竹・熊よけ鈴がセットですね!逆効果もありますが山で人が捨てた弁当🍱等をあさっていれば学習して爆竹・熊よけ鈴で寄って来ますが対外は逃げまして爆竹も束で使わないと駄目ですよバラして一本で使っても意味があまりないですよ山の必要アイテムと言ってもさしつかえないですね!
自分は今でも山歩く時はレミントンダブルデリンジャー(不二子ちゃんがスカートの下に隠しているアレ)のモデルガンを持ち歩いてますw小型ながらモデルガンとしては一番デカい音するんですよね。
火薬は法律改正で規制が厳しく成ってしまいつまらなくなったな❗️玩具煙火には必ず花火をほぐして中の火薬を出してはいけませんって注意書きが有ったな。撃発で音や火花を出す平玉や巻玉では物足りずスタ管(運動会のスターターピストルで、使う紙雷管。スポーツ用品店で普通に買えた)使ったよな。
昔雑誌の投稿コーナーで、爆竹に火を付けた状態で放り投げ、空中で爆発させる遊びをやってたら、手の中で爆発して大火傷したという話を見たことあります。また、小さな鉄パイプの中にBB弾を入れ、反対側に爆竹を詰め込んで爆発させて発射するという凄いヤバい遊びをしてた友達がいました。なんでも、廃棄自動車の窓ガラス(強化ガラス)に向けて撃ったらガラスに穴が空いたとのこと。人に向ける前に試し撃ちして良かったというべきか
昭和46年生まれですが、2b弾ありましたよw田舎なんでスッとぼけて作ってたんでしょうねw
71年の銃刀法改正のターゲットになった拳銃タイプのモノは「エアガン」じゃなくて「モデルガン」でっす。当初は銃腔を塞いで白or黄色で着色するのが義務付けられただけだったモノが年々規制が厳しくなり現在に至る。最近は実銃の撃発機構に近いものを持っていると樹脂製の玩具でも摘発されてます。
まあ実際銃身に砲金パイプをある加工して突っ込むと実用可能な銃に出来ますからね。
なんで白か黄色? と思ったが、ある日モデルガンの広告を見て、疑問は氷解した。その広告には、ブラスやシルバーに鈍く光るモデルガンが掲載されていた。白色は銀色を含み、黄色は金色を含む、ということだったのである。
円盤発射するやつ当時めっちゃ欲しかったなぁ
エアガンは昭和より平成の方がガッツリ売れてたイメージ。
昭和期のオッサンですが、うーん、確かに危険かもしれないですが、これらを通じていろんな事を学んだ気がするよ。近年の若年層はこういった経験が足りないから予測もできない、加減もわからない、そんな気がするよ。
同感です。 危険な遊び、取っ組み合いの喧嘩、体罰のごく一部は、より深刻な過ちに対する予防接種みたいな点があったと思います。 現代でも代りのものがあればいいのですが。
子供に「きれいなもの」しか見せない触れされない大人こそ実は最も危険な存在かもしれませんね。
昔はBB弾じゃなくて鼓弾だったと思います
あったあった!東京マルイで出てた組み立てキットのトイガンで使われていた
6mmのBB弾のキットガンも有りましたよ。自分は其のコルトパイソン357の2.5インチとワルサP38を持ってました
エアガン買えず安いバネ銃派だったので、鼓弾の頭に粘土と紙巻火薬仕込んで遊んでましたw
@@takesi5128 友人が持ってたオートマグが鼓弾で友人は鼓弾に虫ピン刺して小動物を標的にしてましたからこわいなと思いました。
@ckd22268 確かにコケシ型の弾に針とかを刺して銃口から弾を中に入れて猫とかに向けて撃ってた奴居ましたね其が原因で販売中止になったって話も
2B弾か〜、マンホールに入れてたな〜。ボフッて音がたまらんかった。
エアガンと言えば80年代は組み立て式のエアガンやモデルガンが流行ってましたよね。値段も手頃でテルテル坊主みたいな形のプラ弾をマガジンに装填するやつです。更にそれのソフトタイプの弾丸を薬莢にセットしてリアルなアクションを楽しむモデルも好きでした。
つづみ弾ですね。
東京マルイの「作るモデルガンシリーズ」や「スポーツターゲット銃SSシリーズ」などですね。エルエスの銃の1/1のプラモデルもありました。
2B弾以外は全部遊びましたw銀玉鉄砲はバネを強いものに換えたりして威力を上げたら、空き缶が凹むくらいになったけど、強度不足ですぐに壊れましたw同じ事やって怪我をして親に怒られた人もいました。
銀ダンの改造は皆やってたんですね。私は針金をくるくるっとしたようなスプリングを広げて威力高めました。モーゼルHsCのデザインでした。
かんしゃく玉はパチンコと組み合わせて完成形であり、まあ危険が危ない代物だったなw
危険が危ない……ドラえもんかな?
ロケット花火の先端にかんしゃく玉をセロテープで固定して、壁に向けて撃ってました。ランチャーは拾ってきた塩ビパイプで自作w
缶蹴りの 缶の中に入れてた
パチンコ自体がかなりヤバイですからね。パチンコ玉を飛ばして車の窓ガラスを貫通ささせた奴とか居ましたし。
革製ランドセル目掛けてカンシャク玉をパチンコで飛ばす悪ガキがいて、学校指定の化繊布製では爆発しないからとよく的にされてた。男同士なら構わないけど、女の子に撃って泣かせて校長先生に呼ばれてたなw
自分の頃はエアガンではなく銀玉鉄炮だった。後、セロハンテープみたいに火薬が撒かれていてそれを火薬を鳴らすための銃に入れて「パンパン」と音を鳴らして遊んでいたしその火薬をロケット状のおもちゃのピストン部分に火薬をつめて上に彫り上げて落下してきた時の音を鳴らして遊んでいた。
かんしゃく玉懐かしいね爆竹よりは音が小さいのでそこまで危険じゃないし、踏みつけるだけで音が出るので、火がいる爆竹より使いやすかったですね
サムネのエアガンデマじゃんか。頼むからデマ広げないでくれ。エアソフトガンは合法だよ
爆竹は、火薬を取り出して、ビーズが入ってる小さくて硬いプラスチックの容器に詰めて、蓋をテープで止めて密閉して蓋に穴を開けて、導火線を刺して点火すると小型のダイナマイトみたいに危険です!
爆竹はやり方次第でいろんな遊びしたな。
小学生の頃に2チームに分かれて爆竹とロケット花火を投げあったり飛ばしたりして遊んだよ(笑)
爆竹は牡丹の描かれている箱だった。紙巻火薬ってのもあったな。モデルガンで発火させたり、ストライカーロケット(先に1発挟んで空に投げて落ちてきたら地面に当たって弾ける)や色々な用途に使われてた。梅雨時は湿気やすいので天日干し必須
爆竹の種火には蚊取り線香が最適だった、と、当時の先輩が言っていました。
確かに蚊取り線香を使うと導火線の先端に火を着け易くて良かったですね。ロケット花火やドラゴンと言った導火線タイプの花火への着火には導火線の先端に火を着けれるので良かったですね。ライターだと風とかで火が揺れて、先端では無い場所に火が着いてしまい逃げる暇無く爆発なんての有るからね
昭和50年代前半、エアガンと言えば「デタッチャブル 」が有名だった😅持ち運ぶ際はアタッシュケースにバラバラに格納されているが、使用する時に組み立てるとスコープ付きのライフルになった😎プラスチック製の弾だったが、至近距離で直接当たると赤く腫れ上がり結構痛かったし、目に当たると失明する危険性も充分あったと思う😨
「デタッチャブル」と「アッセンブリー」が有りましたね、どちらも同じ商品の名前替え。今のBB弾のエアガンとは威力は比べ物にならないほど弱く、撃つと弾の軌道(ヘロヘロと螺旋を描く)が見える程度の弾速でしたが、フルセットの物は確かに格好良かったですね。マスダヤの製品だったと思います。
エアーガンは、日々進化を続けていますが数年前に使用目的を間違って無防備な人やペットや車などに撃つ事がありました!その後BB弾の初速に規制を導入されました!でも俺は、今でもサバイバルゲームを愛して楽しくサバイバルゲームをしています!
懐かしい!駄菓子屋に色々売ってたな~ 毎日が学校終わって駄菓子屋って流れだった安いエアガンも売ってたけど、子供からすればちょっと高かったからいつも銀だま鉄砲とかミニ四駆のローラーみたいな円盤を射出する鉄砲で遊んでた
田んぼで捕まえたカエルにかんしゃく玉を食わせて踏み潰す遊びが流行ってた。飛び散ったモツの綺麗さで芸術点を競ってたんだ。
こっわw
爆竹はバラして火薬を取り出すと爆弾の原料になります導火線も再利用出来ますし気軽に販売は危ないです
バラして笹に詰めて遊んだな〜、後は野焼きがウザい所にソレを仕込んだり。
劇画家の小林源文は、子供の頃に江戸紫(海苔の佃煮)の瓶に爆竹の火薬を詰めて導火線に点火して、爆発させたら足にガラスの破片が刺さったと自著の武器と弾薬に描かれていました。
ビックリマンの初代のシールの事を友人に言うと「そんなのウソ!そんなの無い!」と言われて寂しかった。取り上げていただきありがとうございます。
爆竹は着火しても1~2秒で破裂するので使い勝手が悪かった。時限式の2B弾は当地では3本で10円と高価だけど遊び勝手が良かった。コーラ・ジュース瓶を集めて換金し、2B弾を買ってましたね。
昔の子供は瓶を拾い集めてお店で換金して小遣いにしてたりしましたねえ。
かんしゃくだまはスリングショットで飛ばすと飛距離も出るし着弾して音が出るから平成初期でも遊んでた子供が多かったむしろ今でも買えて危険なおもちゃは「スリングショット(パチンコ)」だと思うよ砂利より小さい小石で車凹ますくらいなら余裕の威力だもんw
爆竹ねぇ2B弾は知らないけど、導火線が編んでる部分をほどいて一発ずつ点火出来る様にして遊んでたな、当時んで点火する時にもコツがあってライターじゃなく蚊取り線香を用意したらいいのよ、理由は考えてみて
爆竹は一つづつバラバラにして遊んでたな。点火は蚊取り線香を使ってた(マッチとかライターでいちいち点火するより効果的なんで)川の橋の上に仕掛けて導火線の燃える時間と水面に落ちる時間がぴったり合うと水面に落ちて水しぶきが上がる遊びも良くやったw導火線の火薬を抜いて導火線に火を付けると導火線の紙が数分後に燃えて時限爆弾になるw川のあぜ道のアリの巣に仕掛けて爆発させてたwカエルの口に咥えさせるのは流石にやらなかったよエアーガンはBS銃で当時はBB弾じゃなくてつづみ弾だったなつづみ弾の後ろからまち針を指すと命中率が上がるので良くやってたけどめっちゃ危ないw木製の的には良く当たって刺さったw
2B弾程では無いけれど、昭和40年代の爆竹は一回り大きかった気がする。
金属製のエアガンじゃなく金属製のモデルガンですね。銃身を黄色に塗るってのもありました。3:00 関西では「ドンパン」って言ってました。友達の背中に投げてましたよ~。「火薬ロケット」ってのもありました。投げて地面に落ちたら火薬が「ばーーーん❣」誰も怪我なんかしなかった。。。
「黄色」ってのを拡大解釈して金属製モデルガンは金色になったらしいです。
2Bとかんしゃく玉がお気に入りでしたね!かんしゃく玉は人に当てても破裂はしなかったねもっと固いものでないと破裂しないから意外に危険ではなかった。ただ、沢山ポケットに入れるとこすれて破裂なんてことも・・・2Bは互いに投げ合って少々の危険性はあった!これらがなくなってしまったのはほとんどがPTAからの圧力だったんではないかな? 知らんけど・・・
2Bダンは70年代田舎に行ったら大量にありました。田んぼの鳥をおいはらうみたいで、昆虫セットは当時100円で買いました。最近8000円のクワガタが死んだので思い出しました。昔は金属製のモデルガンが売っていて貫通力がすごいと板でも貫通すると友達が言ってました。最近でもうちの近所でひろい屋のおっさんが金属のモデルガンひろってその時持ち物検査されて西成警察署につれていかれたそうです。その本人に聞きました。今はあかんそうです。
36年生まれの若人です。爆竹は、カエルの肛門に差し込んで点火🔥かんしゃく玉を壁にぶつけたり、道路にバラ撒いたり、銀玉鉄砲で、昆虫を狙ったり高学年になると、エアーガンでコンバットをしたり。(戦争ごっこ)
私も子供の頃は近所の駄菓子屋で爆竹を買っては友達と一緒に鳴らしまくってました。導火線を繋ぎ合わせては数本の爆竹を一纏めにして、一気に多くの爆竹を鳴らしては楽しんだ事が有りました。蛙の口に爆竹を咥えさせて、導火線に火を着けては蛙を空高く投げて〖空爆〗させた友人も居ました……。癇癪玉はソノ儘地面に叩き付ける様にして鳴らしたり、パチンコで癇癪玉を飛ばしては車庫や小屋に打つけて鳴らして遊んだりもしました。
紙火薬をロケット状の先端に挟んで掘り投げて地面に落ちて音がする 商品名は忘れた
確かロケットペンシルって名前だったような気が。売ってたおっちゃんに棒手裏剣とか教えてもらった思い出。
昆虫採集セットは、恐怖意外の何物でもない……と、思っていたが、今、販売されてなくて良かった〜😂
傘の柄が1本・パチンコ玉・爆竹ほどいて単発にしたもの1個で「銃」完成。大工の息子の儂は銃床(ストック)を木でリアルに作って羨ましがられたな。発射は引鉄でなくマッチ点火。もののけ姫に出てくるあれの小型版。
ロケット花火にカエル結んで飛ばしてた。鉄砲のおもちゃは銀玉鉄砲でよく遊んでた。
こち亀の両津勘吉が子供の頃に遊んだ玩具
初期のこち亀で、節分の豆まき用の豆にかんしゃく玉を混ぜて、寺井に投げつけた話を思い出しました。
2B弾はギリ使った事無いけど爆竹は導火線に火をつけて投げようとしたらヤケに早く導火線が燃えて手の中で爆発してえらく痛かったあと犬のうんこに爆竹刺して爆破したりして遊んだりしました、その時も導火線がヤケに早く燃えて飛び散ったうんこを浴びるリスクがあったエアガンはバネ足したりして強化して友達撃ったりしてました
ギリ昭和だけどガチャポンのカプセルにBB弾と爆竹を入れて作った爆弾がエグかったw
小学生の時に爆竹とロケット花火の棒を折って曲げて、導火線に線香をとりつけて時限爆弾とかいって担任の先生の家にセットした事がある。と、同時に車のタイヤに癇癪玉をセット!懐かしい思い出
金属製モデルガンは金色に塗られることが多いです。エアガンは1ジュール以上の銃は規制対象となります。
日本の中華街等で使う爆竹は、カラのドラム缶に爆竹を投げ込んで鳴らすのが普通になっている。音は大きいが火災の恐れが少なく後処理もラクなので…。
59歳のジジイです10歳の時に耳元で爆竹が鳴り、それ以来難聴と耳鳴りに苦しめられました
昭和の金属製のモデルガンって加工すれば実弾も撃てました。なんて話も昔ありましたね(^-^;
そのモデルガンをベースに、かなり補強改造しないと暴発して自分が危ないけど確かに作れたって話し有りますね
まぁ~少し改造すれば実弾を撃てましたけど、薬莢のとこを補強しないと危なっかしくてねぇ~・・・・
実銃(回転式)でも、安さを実現するためにフレームを金属製モデルガンと同様の亜鉛合金(ジンクダイキャスト)で作った、チャーターアームズ社のブルドッグと言う製品が有りましたが、それでもシリンダーは鋼鉄で作る事で、実弾を撃てるようになっています。発売当時の実売価格は日本円で1万円以下、いわゆるサタデイナイト・スペシャル(土曜の夜に犯罪に使われるから)と言われる種類の拳銃です。「.44マグナムを撃てる最も安価なリボルバー」というのが売り文句だったそうですが、フレームの耐久性は謎でした。
まぁ…良くも悪くも野蛮な時代だったな…ただ…逆に当時の感覚で現代のスマホを子供が持っているのも危険だと思うぞ…不特定多数の人間と簡単に接触出来るという事に余りにも慣れすぎてるけど…やはり本質的には危険な事だよな2B弾がどうこうのレベルじゃ無いくらいに
かんしゃく玉はゴムパチンコで飛ばして破裂させるのがセットです。2b弾は知らないけど少しお値段高めのロケット花火をペンチで潰して火薬を取り出して栄養ドリンクに詰め込み導火線つけると手製爆弾なって遊んでましたw
昔は花火をほぐして爆発物を作るといった火薬遊びは普通にしてましたね。今じゃ問題児どころか火取法違反&テロリスト扱い。
昔、小学校時代で爆竹を使って遊んでいたよ。😮
2B弾懐かしいなあ?小さい、子供の、ころ駄菓子屋で、売っていた、点火して少し時間が、経って、多きな、音を、出した。子供の、頃を、思いだす、とにかく、懐かしい。
爆竹バラして1本に…導火線が短くて素敵なスリル山一抗争の頃にかんしゃく玉を車の前後に仕掛け(スーパー駐車場)、前進で発報、後退で更に二発で付近は騒然とした…
昭和51年生まれですが、爆竹は良く遊んでましたね。当時学校にあった焼却炉の中に大量に入れて怒られてましたよ。
銀玉鉄砲っていうと弾の他に巻き込みされた赤い帯状の火薬玉も装填する弾の発射に合わせてパンッって炸裂音が鳴るヤツもあったな赤い火薬玉で思い出したけど、これシート状のものも売ってましたね18:29のヤツに、このシートから一辺切り取って頭に仕込んで投げ上げると落下時に炸裂音がするというものわたしたちのところではかんしゃく玉よりこっちを使うのが主流だったなぁ
昭和54年生まれ。小学生の頃夏休み前にもらうしおりに「2B弾で遊んではいけません」というような事が書かれていたけどBB弾の事かと思ってたよ
かんしゃく玉を道路に撒くの楽しかったな~
昆虫採集セット ちょー懐かしい🎉でもそれを使っても昆虫に『カビ』がよく出た💦
2B弾は、私は知らないのですが、鶴瓶師匠が「昔、遊んだよ」って以前のトーク番組でおっしゃってました。
火薬系は家の焼却炉に放り込んだり道路に撒いたりと犯罪としか思えない遊び方してた。親、教師、警察、知らないおっさんなんかにぶん殴られてた。規制されて当たり前かと思う。
4:35 俺が小学生時代はBB弾ではなく、ラッパ型のタマだったが、遊んでるときに黒目に当たって失明寸前にまでなった事故があったために一切の所持を学校が禁止していました。(なった生徒は失明こそ免れたけど、視力低下に悩まされた)
つづみ弾ですね
そう言う名前なんですね?!初めて知りました!!!
2B弾は本当にビンとか割れる威力なので使い勝手が悪かった印象。爆竹の房をほぐして1本づつ使って遊んでました。かんしゃく玉は同じく駄菓子屋で売ってたパチンコ(今で言うスリング)で長距離狙撃とかやってましたwエアガンや銀玉鉄砲も遊んだけど、昆虫採集キットだけは使わなかったなあ。高かったし、虫嫌いだったし。
当時( S40年代)のエアガンは、18歳未満でも購入できて、リンゴに突き刺さる、フロンガスのタンクによっては砕くぐらいの威力ありましたね。ドイツのMP40とかアメリカのM1とか、人気ありましたが、お年玉でやっと買える高額でしたが、子供でも買えたのが、今は懐かしいです。
爆竹ねえ……昭和50年前後電光砲とか火皮砲(注:「砲」は火へんなのだが文字盤になかった)とかが10円、20円で売っていた。説明文には「火をつけたらすぐにはな水てください」って書いてあった。たしかに「れ」と「水」は似ているわな。
当時の地元の小学校では男子の間でなぜか飛び出しナイフが流行っていましたが、ズボンのポケットに入れて持ち歩いていた誰かが転んだ際に刃が飛び出して自分の足を刺したとかで全面禁止になりました。蛇足ですが、邦画「突入せよ!浅間山荘事件」のメイキング映像で、かんしゃく玉を使って赤軍派の銃弾が警備車に当たる様を表現してましたね。
折りたたみ式のカミソリカッターではなく?
@@柴雅人 様折り畳み式ですが、ボタンを押す事でバネの力で一瞬で刃を開く事が出来る構造のナイフが作られてた時期が有ったんですよ。今でもドライバーや櫛に形を変えたものや、梱包開封用や緊急時にシートベルトを切断するための特殊な形の刃(刺したり切りつけたりできない、フックナイフと言う形)の物は生き残っていますね。武器として非常に有用なので、昔の映画では不良少年の持ち物として定番でした。今では日本ではもちろん、アメリカでもほとんどの州で違法です。ただ、手が片方しか無い等、ハンディキャップのある人でも片手で刃を展開できるため、農業や倉庫作業に使う為に特例として所持を認められることは有るようですが。
@@zerosam1943 成る程。丁寧に、分かりやすく教えて、くださり、ありかとうございます😊
@@zerosam1943 成る程な〜。
かんしゃく玉、爆竹は小学校の頃よく遊んだ、かんしゃく玉は車のタイヤの下に置いたり、爆竹は友達と自転車に乗って投げ合いして遊んだ、今では残酷な話だけど缶の中にかえるを大量に入れ爆竹で爆発させた1回だけだけど、今は爬虫類、両生類など大好きでペットにする位だからあの頃の自分嫌い
銀玉鉄砲はオシロイバナの種も飛ばせましたねぇ。
昆虫採集セット。防腐剤?を入れた状態の注射器を誤って足の指に落としてしまいました。浅く刺さった程度でしたが暫く痺れがとれませんでした。
@@ポチモン 赤いキャップの瓶と青いキャップの瓶ひとつは殺虫剤でひとつは防腐剤と言われてたが両方とも中味はおなじ少量のアルコールを水で溶かしたもの
銀玉鉄砲が弾自然に還るは1番環境には優しかったんだな今のカラーbbはプラだから帰らないし😅かんしゃく玉はパチンコで飛ばして遊んでた思い出だなw
リボルバー式の火薬拳銃は今でもコメリの害獣対策コーナーで売られている
夏に近所の綿半(ホムセン)で見かけて「ふぉぉぉぉぉ!?」ってなってました
オモチャ売り場にも有るにはあるよ😊
かんしゃく玉は道路に撒いて、通った車が踏んで、運転手の顔を見るのが楽しかったw爆竹はガンプラや車のプラモを爆破するという謎の遊びしてた動画にはないけど、リボルバーの火薬鉄炮はお祭りで毎回買ってた。
トイテックのキャリコやP90 ,バルカンなどを作っていました。当時はまだゴーグルはポリカーボネイトの物しかなく網ゴーグルを初めに出したのはわたしの提案が元でした
田舎のガキは着火した爆竹投げたら投げ返してきた。あとトンボに爆竹つけて放したりしましたね。
かんしゃく玉を見なくなってから、熊が山を下り始めたんだよな(笑)昔は、夏って言うと、すぐに花火とかやってて、火薬の匂いが染みついてたんだろうなぁ
2B弾懐かしい。1956年生まれなんですが小学校低学年でもマッチで箱の横で擦って投げることしてたなあ。川に投げ込んでも爆発。近所の軍隊経験のあるおっちゃんもいろいろ教えてくれた。
昔エアガンでバイクの風よけ撃ち抜いて遊んでた😅今思えば超危険だったよな〜!
昭和44年生まれなので2B弾は名前しか知らないけど、他の物は全部遊んだ事が有ります。
昆虫採取セットの防腐剤と殺虫剤が実は色付き水だと知った時の驚きと落胆は未だに覚えています。
爆竹は1本1本ほぐして火を着けてからいつまで持っていられるかのチキンレースが流行ってたな(昭和56年生まれ)
自分が子供の時(小学生)2B弾という名称でなく、確かクラッカー(マッチみたく火を点けて数秒後に爆発)と言ってた気が。爆竹も動画内と同様の爆竹とそれの2倍の太さの爆竹があった。あと爆竹の火薬を(一箱分)取り出し、それをボールペンの容器にギチギチに圧縮して詰めて爆発させて遊んでたなぁ、結構な威力はあった(笑)
小学生の頃みんなでカネを出し合い、駄菓子屋で爆竹とロケット花火を大量に買って川で遊んでた。飽きてくると焚き火をして近所の爺さんに怒られたりした。コンクリートで擦ると火がつくロウマッチで遊んだりもしたなぁ。
2B弾以外は全部やったなぁ☺︎爆竹は結構残酷な事やった事ある人いっぱい居ると思います。エアガンよりガスガン買ってサバイバルゲームやってました☺︎ペイント弾使って☺︎
火薬の匂い好きだったなー
「アメリカンクラッカー」で紐が切れて、玉がタンスにぶち当たったことがあった。もし逆に飛んでたら障子のガラスが割れてたなあ。
爆竹の思い出。小学校高学年の頃だったと思う。小学校の放課後、友達といっしょに近所の高校に遊びに行った。夏の日で、校舎の窓はどれも開け放ってあった。高校のお兄さんお姉さんはまだ授業中で先生の話を聞いてるのが遠くに見えた。校庭で40発ぐらいの束の端に火をつけた。 バババババ!とすごい音が機関銃のように響いて、校内全員の顔がこっちに向けられた。子供心にま、まずいとひるんでいると、1人の先生が飛び出してきた。その後の記憶はもうないが、深夜まで両親に死ぬほど怒られた記憶だけ残ってる。
昆虫最終セットに入ってたのは防腐剤と殺虫剤だと思う。2B弾は既に「クラッカー」になってたな。重りを付けて着火、水中に投じ爆発させて遊んだ。
全部遊んだ事あります😅懐かしいですね。エアガンは今もサバゲーで使ってます。
昭和最終期生まれですが、この中のおもちゃのいくつかは遊びました。今は何でも危険と最初から規制されますが、昔は遊びの中からやってはいけないことを学んだ。
そう考えると、本当にこの国は自由が無くなりましたね。ある意味、北朝鮮と同じような社会構造になってしまってるのではないでしょうか?
昭和38年生まれのジジイです。
私は名古屋の南の方の地域でしたが、映像とは呼び名が違ってました。
映像の爆竹と言われてるモノが2B弾、それ以前に売られていた
一本が倍の太さが有り、全体に桜の柄の入った超強力だったモノが爆竹(爆弾)でした。
映像の2B弾はクラッカーと読んでいました。
私たちの遊び方は投げっこや、カエルなどを吹っ飛ばすのと、根性試しで
手に持って爆発させると言うと言うこともしてました。
小学校低学年だった私でもクラッカーで「手バク」はヘッチャラでしたが
桜柄の爆弾は痛くて泣いてしまいましたねー笑
それ以外にも危険な遊びばかりしていましたが、良い思い出ですね(^^)
昭和のキッズは危険が大好き。
動画にある、おもちゃは定番アイテム。
児童公園の5mほどの金網を平気で乗り越えていました。
落ちて大怪我する
そんな鈍い奴はいませんでした。
危険なことは百も承知でやってるから、集中力と身のこなし養えました。
桜の柄の爆竹有りましたね、強力でした🎉
束で点火すると 勿体ないからほぐして一発ずつ鳴らしてました、手に持って点火して投げたりしましたが、中には異常に導火線が早く燃えて破裂するのが多々ありまして、指の指紋が裂けた事有りました😅👍
@@kn977
σ( ̄▽ ̄)が小学生の頃は「爆竹」を「ダイナマイト」って呼んでたな。
確かに、あの導火線が無いヤツはクラッカーって呼んでましたね。あと、癇癪玉は、手やスリングショット(当時はパチンコって呼んでた)でコンクリの壁やアスファルトの地面に当てて破裂させていました。アレを手で投げて破裂させるのには結構な力とコツが必要で、年上のガキ大将に貢ぎ物をして習ったりしていました。銀玉でっぽうは後期になるとレミントンライフル型のレバーアクションの高級品が出て、ばねの圧縮がレバー式になったのをよいことに強化ばねを仕込んで遊んでいました。飛距離も10m以上になって至近距離で壁に当てると銀玉が砕け散って弾痕みたいになったのは思い出ですね。あとハンドガンタイプでは巻き玉鉄砲とのハイブリッドもあり、結構リアルな音がして人気でした。その後銀玉が樹脂製になって学校で禁止されました。エアガンは「空気銃」って名前で銃弾は今のペイント弾ではなく鼓型の物が主流でした。野良猫やハトを撃つ奴がいたため、すぐに禁止されました。
@@IkatarouTokyo 鼓弾エアガンは良く当たりました。
釘や針を刺し込んで針銃化できました。タンスにドスッと突き刺さりました。
癇癪玉、投げるの難しかったんですか?
壁に投げたら、簡単に爆発しました。
銀ダンは分解してバネを広げて簡単にパワーアップ。
一昔前に出た
「ニュー銀ダン」(マルイ)は普通のエアガン並みに良く当たります。
10歳モデルなので威力はありませんが。
2B弾以外は全部やった。
危ない遊びをして限界を見極めることを知った気がする。今の子どもはそういうことしてないから限界を知らなくて加減をできない人がいて怖い
危ない遊びをして、怪我したり火傷したりして、痛さや怖さを実感しましたね。それと親に叱られて殴られる事も当たり前でしたし。
そうそう
子ども、いや人間が育つには毒が必要なんだ。
低学年で刃物を使って指を切って流血。
痛い痛い!
そうやって刃物の怖さを身体で知った。
指の傷痕は還暦過ぎた今でも残っている。
だから、刃物を人に向けるなんて恐ろしくて出来ない。
火遊びも散々やった。
やけどもした。
それで火の扱い方を学んだ。
火の怖さも。
今では子供の世界だけじゃなくて大人の世界でもそう。
カッターさえも使用禁止
今42歳だけど、爆竹で普通にカエル爆弾とかしてました(今思うとひどいけど)あとは人になげたりが普通の遊びでした。あとは爆竹ではないけど、かんしゃく玉を道路にまいて爆発させたり。ロケット花火をお互い人に向けて発射したり、勇気試しといって持ったまま爆発させたりと今思うとひどい遊びでしたが、みんなやっている遊びでした。あとはここで紹介された遊びは昆虫採集セットを以外は全部やってました。
エアガンとモデルガンを混同していませんか?
昔はフル金属の排薬莢(薬莢にBB弾とか詰める)タイプあったんよ
赤い方々が改造してテロに使ってたり893や節度ないガンマニア関係で禁止になった
@@gvuygfdhdxh 動画に出てくる昭和46年の規制の頃は、まだエアガンもBB弾も無かったでしょ。
競技用の空気銃ならあっただろうけど。
動画はガバガバというより曖昧な表現なので現在の国内規制(自主規制含む)
エアガンは火薬を使えない、BB弾の威力は0.98J(ジュール)以下に制限、外装部品に金属パーツは使えない(グレーゾーンだが海外製にはメタルパーツのものもある)。
それさえ守ればバネやネジなどをのぞく内部部品の鉄以外の金属(アルミや真鍮、亜鉛合金など)の使用に制限なし、外装色の制限なし。
モデルガンに使用できる素材はネジ・バネ類をのぞいてはプラスチックか亜鉛合金で作らなければならない。
金属薬莢(真鍮可)と火薬を使えるけれど弾を発射できないように銃身には特殊合金製のインサート(栓)を入れなくてはいけない。
また撃発機構は薬莢後端を叩くことで火薬を発火させてはならない(実弾が撃てないように)。
そして金属製モデルガンの場合は黄色もしくは金色に塗装しなければならない。
実際MGCという今は亡きメーカーのリボルバータイプのモデルガンはある改造すると実弾撃てるように出来たんだよね。
細かい製法は言えないけど5mmベアリングを撃ち出して5m先のコーラ缶を撃ち抜けました。
そういやこの会社はライフルタイプのエアガンをちょっとした改造で本物の銃弾撃てるように出来たのが凋落のきっかけでしたっけ。
@@芝鯖ロン削り出しで22口径専用のチャンバーを作るのが簡単と言う環境はなかなかないべ😅
昭和44年生まれなので2B弾は経験ありませんが、爆竹はよく遊んでました。たまに導火線の燃焼速度が妙に速いのが有って、持ってる間に爆発した事が何度かあります。あの痛みと心臓のバクバクで、少量とは云え火薬を扱ってるんだという事が身に沁みたものです。銀玉鉄砲も懐かしいですね。私は威力は無いけど、横からマガジンを差し込む機関銃タイプの物が好きでした。一番威力が有ったのは、ダミーの銃身の下から弾が出る、コイルスプリングを使った物でしたね。
爆竹でまったく同じ経験しました。
なかなか良い破裂音しますからかなりの衝撃がありしばらく指に違和感が残りました。
自分も2B弾は知りませんでしたが、爆竹より一回りデカいクラッカーというのがありました。
@@しろくまJクラッカーというのは3Bのことでしょうか。
素晴らしい爆弾おもちゃ、2B弾が店から消えて、代わりに売られていたのがクラッカーでした。
本体に「3B」とプリントしてありました。
一本一本いちいち、火を着けねばならないので面白くなかったですね。
直ぐに店頭から消えました。
爆竹は威力が凄まじかったのでメチャメチャ面白かったです。
樹脂製の弓矢も面白かった。
ミシン針を括り付けたら、壁にドスッと突き刺さりました。
つまり「本物」に出来たのです。
昔の銀玉の玉は銀色が手についちゃうんだよな
銀玉の代わりにダンコムシ入れたことある😅
@@cheyenne7924セミ、カエル、トンボ、ダンゴムシの消費した命だけで地獄行き確定する自信があるw
かんしゃく玉をよく車のタイヤにセットしたり、歩道橋の上から道路にばら撒いて遊んでる子供が多かった
運動会とか陸上競技のスタートの時に使うピストルに詰める紙製の火薬を木槌とかハンマーで叩いたら、鼓膜が破れそうな凄い音で眼の前で火花が散った感じでした!
中学時代、部室でやったら凄い事になりました!
道路において車に轢かせるのはやってました。
やった!やった!
壁に投げつけてたな。
バンッの爆発音が心地よかったですたい。
スリングショットっていう強力なパチンコで発射すると壁に当たったとき拳銃弾が兆弾したような音がするんだよね。
爆竹は導火線を解いて一発づつにして遊んでいたな。
かんしゃく玉とは
少年の証!?
これは地面や壁に投げつけ破裂させる事が多かった。
でも小学校入る前後の子供では投げつける速度が遅く、かんしゃく玉が破裂しない。
これを鳴らせるようになる事は
一人前の
少年になった証!
転んで自爆は聞いた事がある
@@芝茶 さん。
浮気がバレて自爆したことが有るwww😅
エアガンや銀玉鉄砲の部分だけ見ましたが出鱈目もいいとこ。
1971年にエアガンなんてありませんよ。
正確には覚えてませんが75年位から7㎜鼓弾のエアガンが登場して
85年位には6㎜BB弾使用機種が主流になっています。
モデルガンと混同してるんじゃないですか?
銀玉鉄砲が銀玉より一回り大きいBB弾使用の物の登場で消えていったとか
言ってますけどそもそも6㎜BB弾より銀玉の方がわずかにデカいんですよ。
なので既存の銀玉鉄砲はそのままで使用弾がBB弾(廉価品)に
変更になっただけです。
使ってる画像も内容を無視した「なんかそれっぽい適当な画像」だし
酷すぎませんか?
同意!
銀玉鉄砲は、至近距離でも痛くも痒くもないでしたからね……そもそもパワーが無さすぎて、弾が真っ直ぐ飛ばない😂
小学生の頃、爆竹でよく遊びました😊 悪い子は、アリの巣粉砕したりしてましたが、私はもっぱら投げっこをしてました(あんまり変わらないか😂)。投げる前に自分の手で鳴ってしまうことを「手バク」と言ってました。私は一度、手バクしてしまいましたが、幸い、なんともありませんでした😅
家庭用花火とかは、湿気気味が一番危険ですね。あれぇ?なんて絶対に覗いたりしちゃダメです😆
同じ事してました〜
カエルの肛門に刺してる奴もいたよ
うん◯に沢山刺して導火線を繋いで爆発したこともあります
おもちゃにも着けて爆破したけど、思ったほど壊れなかった
エアガンとモデルガンは違います。昭和46年規制はモデルガンの規制、当時いまのようなリアルなエアガンなどありませんでした。
@@こんちには-h3nカエル爆破はよくやってましたね
昭和32年長崎生まれの悪ガキです
ドッキリシール時代は世代では無いですが
その他はリアルタイム遊戯者です
2B弾は水中でも消える事なかったので、水中に投げ込んで遊んでました
爆竹は長崎の文化ですから
今でも爆竹の音を聞くとソワソワします
精霊流しの時は両手に2百束くらいをまとめて持って、タバコで火をつけ鳴らしながら上空へ投げてました
タイミング悪かったら指か無くなったと思うくらいの衝撃でしたよ
それでも爆竹は辞められないです
知り合いのトコで精霊流しやる時は
花火師をかって出て、今も現役で爆竹鳴らしてます
精霊流しの時は100m程進むだけで
10万円くらいの爆竹は鳴らし終えますよ
今でも夏場に子供達が広場で鳴らして遊んでますが
ほとんどの大人は何も言わない
パトカーも素通りするし
まだまだ長崎は爆竹天国です
爆竹……………最高!😂
ど昭和の爺さんでした
両親が長崎市出身なので、夏休みに両親が帰省した時に墓参りで花火をするのが定番でした。
ロケット花火を『やびや』と呼んでいて、地面に挿して点火する方式ではなく、手持ちの棒切れの先端から発射させる方式だったので、大人がやる危険な遊びに見えました。
@tokyo_moon6983
基本、やびやは指で挟んで火を着けるものです
打ち上がる瞬間に指の力を緩めて離す遊びですね
ただ、大人の遊びではなく
子供の頃からの定番でしたよ
お盆の時期は、お墓でしますね
大人が墓掃除したりお供えを準備してる横で遊んでました
長崎で「やびや」とはエンピツのキャップみたいなのに導火線が付いてるだけの「ピュ〜」っと鳴るだけのを言います
ちなみに「矢火矢」と書きます
丁寧で詳細な解説ありがとうございました。
40年前の記憶で、曖昧な点もありましたが、手持ち花火以外は触らせて貰えませんでした。
精霊流しで爆竹を持たせて貰ったのは28年前でしたが、これを最後に現在に至るまで花火をする機会はありません。
@@tokyo_moon6983
そうでしたか
30年ほど前までは、精霊流しの時は沿道でも一般人が爆竹やれてました
観光客に爆竹の手ほどきをしたくらいですよ(笑)
県外の孫達か帰省しても、花火の時は私に近寄りません
腰の袋に爆竹がたんまり入っているからでしょうか
夏になって子供達が爆竹で遊びだすと
こちらもソワソワしてきます
根っからの爆竹っ子の血が黙っていないのです🤭
大人になって隣の子と花火やったときは、ロケット花火、空に投げてましたね。
男子やり投げ
言うて。
空中で火薬に点火するので、ロケットの空中発射がリアルに体験できました。
爆竹🧨は無いと困る代物です山に入る際にラジオ・爆竹・熊よけ鈴がセットですね!逆効果もありますが山で人が捨てた弁当🍱等をあさっていれば学習して爆竹・熊よけ鈴で寄って来ますが対外は逃げまして爆竹も束で使わないと駄目ですよバラして一本で使っても意味があまりないですよ山の必要アイテムと言ってもさしつかえないですね!
自分は今でも山歩く時はレミントンダブルデリンジャー(不二子ちゃんがスカートの下に隠しているアレ)のモデルガンを持ち歩いてますw
小型ながらモデルガンとしては一番デカい音するんですよね。
火薬は法律改正で規制が厳しく成ってしまいつまらなくなったな❗️玩具煙火には必ず花火をほぐして中の火薬を出してはいけませんって注意書きが有ったな。撃発で音や火花を出す平玉や巻玉では物足りずスタ管(運動会のスターターピストルで、使う紙雷管。スポーツ用品店で普通に買えた)使ったよな。
昔雑誌の投稿コーナーで、爆竹に火を付けた状態で放り投げ、空中で爆発させる遊びをやってたら、手の中で爆発して大火傷したという話を見たことあります。
また、小さな鉄パイプの中にBB弾を入れ、反対側に爆竹を詰め込んで爆発させて発射するという凄いヤバい遊びをしてた友達がいました。なんでも、廃棄自動車の窓ガラス(強化ガラス)に向けて撃ったらガラスに穴が空いたとのこと。人に向ける前に試し撃ちして良かったというべきか
昭和46年生まれですが、2b弾ありましたよw
田舎なんでスッとぼけて作ってたんでしょうねw
71年の銃刀法改正のターゲットになった拳銃タイプのモノは「エアガン」じゃなくて「モデルガン」でっす。
当初は銃腔を塞いで白or黄色で着色するのが義務付けられただけだったモノが年々規制が厳しくなり現在に至る。
最近は実銃の撃発機構に近いものを持っていると樹脂製の玩具でも摘発されてます。
まあ実際銃身に砲金パイプをある加工して突っ込むと実用可能な銃に出来ますからね。
なんで白か黄色? と思ったが、ある日モデルガンの広告を見て、疑問は氷解した。
その広告には、ブラスやシルバーに鈍く光るモデルガンが掲載されていた。
白色は銀色を含み、黄色は金色を含む、ということだったのである。
円盤発射するやつ当時めっちゃ欲しかったなぁ
エアガンは昭和より平成の方がガッツリ売れてたイメージ。
昭和期のオッサンですが、うーん、確かに危険かもしれないですが、これらを通じていろんな事を学んだ気がするよ。
近年の若年層はこういった経験が足りないから予測もできない、加減もわからない、そんな気がするよ。
同感です。
危険な遊び、取っ組み合いの喧嘩、体罰のごく一部は、より深刻な過ちに対する予防接種みたいな点があったと思います。
現代でも代りのものがあればいいのですが。
子供に「きれいなもの」しか見せない触れされない大人こそ実は最も危険な存在かもしれませんね。
昔はBB弾じゃなくて鼓弾だったと思います
あったあった!東京マルイで出てた
組み立てキットのトイガンで使われ
ていた
6mmのBB弾のキットガンも有りましたよ。
自分は其のコルトパイソン357の2.5インチとワルサP38を持ってました
エアガン買えず安いバネ銃派だったので、鼓弾の頭に粘土と紙巻火薬仕込んで遊んでましたw
@@takesi5128 友人が持ってたオートマグが鼓弾で友人は鼓弾に虫ピン刺して小動物を標的にしてましたからこわいなと思いました。
@ckd22268
確かにコケシ型の弾に針とかを刺して銃口から弾を中に入れて猫とかに向けて撃ってた奴居ましたね
其が原因で販売中止になったって話も
2B弾か〜、マンホールに入れてたな〜。ボフッて音がたまらんかった。
エアガンと言えば80年代は組み立て式のエアガンやモデルガンが流行ってましたよね。
値段も手頃でテルテル坊主みたいな形のプラ弾をマガジンに装填するやつです。
更にそれのソフトタイプの弾丸を薬莢にセットしてリアルなアクションを楽しむモデルも好きでした。
つづみ弾ですね。
東京マルイの「作るモデルガンシリーズ」や「スポーツターゲット銃SSシリーズ」などですね。エルエスの銃の1/1のプラモデルもありました。
2B弾以外は全部遊びましたw
銀玉鉄砲はバネを強いものに換えたりして威力を上げたら、空き缶が凹むくらいになったけど、強度不足ですぐに壊れましたw
同じ事やって怪我をして親に怒られた人もいました。
銀ダンの改造は皆やってたんですね。
私は針金をくるくるっとしたようなスプリングを広げて威力高めました。
モーゼルHsCのデザインでした。
かんしゃく玉はパチンコと組み合わせて完成形であり、まあ危険が危ない代物だったなw
危険が危ない……ドラえもんかな?
ロケット花火の先端にかんしゃく玉をセロテープで固定して、壁に向けて撃ってました。ランチャーは拾ってきた塩ビパイプで自作w
缶蹴りの 缶の中に入れてた
パチンコ自体がかなりヤバイですからね。パチンコ玉を飛ばして車の窓ガラスを貫通ささせた奴とか居ましたし。
革製ランドセル目掛けてカンシャク玉をパチンコで飛ばす悪ガキがいて、学校指定の化繊布製では爆発しないからとよく的にされてた。
男同士なら構わないけど、女の子に撃って泣かせて校長先生に呼ばれてたなw
自分の頃は
エアガンではなく
銀玉鉄炮だった。
後、セロハンテープみたいに
火薬が撒かれていて
それを火薬を鳴らすための
銃に入れて
「パンパン」と音を鳴らして
遊んでいたし
その火薬を
ロケット状のおもちゃの
ピストン部分に火薬をつめて
上に彫り上げて
落下してきた時の
音を鳴らして遊んでいた。
かんしゃく玉懐かしいね
爆竹よりは音が小さいのでそこまで危険じゃないし、踏みつけるだけで音が出るので、火がいる爆竹より使いやすかったですね
サムネのエアガンデマじゃんか。
頼むからデマ広げないでくれ。
エアソフトガンは合法だよ
爆竹は、火薬を取り出して、ビーズが入ってる小さくて硬いプラスチックの容器に詰めて、蓋をテープで止めて密閉して蓋に穴を開けて、導火線を刺して点火すると小型のダイナマイトみたいに危険です!
爆竹はやり方次第でいろんな遊びしたな。
小学生の頃に2チームに分かれて爆竹とロケット花火を投げあったり飛ばしたりして遊んだよ(笑)
爆竹は牡丹の描かれている箱だった。紙巻火薬ってのもあったな。モデルガンで発火させたり、ストライカーロケット(先に1発挟んで空に投げて落ちてきたら地面に当たって弾ける)や色々な用途に使われてた。梅雨時は湿気やすいので天日干し必須
爆竹の種火には蚊取り線香が最適だった、と、当時の先輩が言っていました。
確かに蚊取り線香を使うと導火線の先端に火を着け易くて良かったですね。
ロケット花火やドラゴンと言った導火線タイプの花火への着火には導火線の先端に火を着けれるので良かったですね。
ライターだと風とかで火が揺れて、先端では無い場所に火が着いてしまい逃げる暇無く爆発なんての有るからね
昭和50年代前半、エアガンと言えば「デタッチャブル 」が有名だった😅
持ち運ぶ際はアタッシュケースにバラバラに格納されているが、使用する時に組み立てるとスコープ付きのライフルになった😎
プラスチック製の弾だったが、至近距離で直接当たると赤く腫れ上がり結構痛かったし、目に当たると失明する危険性も充分あったと思う😨
「デタッチャブル」と「アッセンブリー」が有りましたね、どちらも同じ商品の名前替え。今のBB弾のエアガンとは威力は比べ物にならないほど弱く、撃つと弾の軌道(ヘロヘロと螺旋を描く)が見える程度の弾速でしたが、フルセットの物は確かに格好良かったですね。マスダヤの製品だったと思います。
エアーガンは、日々進化を続けていますが数年前に使用目的を間違って無防備な人やペットや車などに撃つ事がありました!その後BB弾の初速に規制を導入されました!でも俺は、今でもサバイバルゲームを愛して楽しくサバイバルゲームをしています!
懐かしい!駄菓子屋に色々売ってたな~ 毎日が学校終わって駄菓子屋って流れだった
安いエアガンも売ってたけど、子供からすればちょっと高かったからいつも銀だま鉄砲とかミニ四駆のローラーみたいな円盤を射出する鉄砲で遊んでた
田んぼで捕まえたカエルにかんしゃく玉を食わせて踏み潰す遊びが流行ってた。
飛び散ったモツの綺麗さで芸術点を競ってたんだ。
こっわw
爆竹はバラして火薬を取り出すと爆弾の原料になります
導火線も再利用出来ますし気軽に販売は危ないです
バラして笹に詰めて遊んだな〜、後は野焼きがウザい所にソレを仕込んだり。
劇画家の小林源文は、子供の頃に江戸紫(海苔の佃煮)の瓶に爆竹の火薬を詰めて導火線に点火して、爆発させたら足にガラスの破片が刺さったと自著の武器と弾薬に描かれていました。
ビックリマンの初代のシールの事を友人に言うと「そんなのウソ!そんなの無い!」と言われて寂しかった。取り上げていただきありがとうございます。
爆竹は着火しても1~2秒で破裂するので使い勝手が悪かった。時限式の2B弾は当地では3本で10円と高価だけど遊び勝手が良かった。コーラ・ジュース瓶を集めて換金し、2B弾を買ってましたね。
昔の子供は瓶を拾い集めてお店で換金して小遣いにしてたりしましたねえ。
かんしゃくだまはスリングショットで飛ばすと飛距離も出るし着弾して音が出るから平成初期でも遊んでた子供が多かった
むしろ今でも買えて危険なおもちゃは「スリングショット(パチンコ)」だと思うよ
砂利より小さい小石で車凹ますくらいなら余裕の威力だもんw
爆竹ねぇ2B弾は知らないけど、導火線が編んでる部分をほどいて一発ずつ点火出来る様にして遊んでたな、当時
んで点火する時にもコツがあってライターじゃなく蚊取り線香を用意したらいいのよ、理由は考えてみて
爆竹は一つづつバラバラにして遊んでたな。点火は蚊取り線香を使ってた(マッチとかライターでいちいち点火するより効果的なんで)
川の橋の上に仕掛けて導火線の燃える時間と水面に落ちる時間がぴったり合うと水面に落ちて水しぶきが上がる遊びも良くやったw
導火線の火薬を抜いて導火線に火を付けると導火線の紙が数分後に燃えて時限爆弾になるw
川のあぜ道のアリの巣に仕掛けて爆発させてたwカエルの口に咥えさせるのは流石にやらなかったよ
エアーガンはBS銃で当時はBB弾じゃなくてつづみ弾だったな
つづみ弾の後ろからまち針を指すと命中率が上がるので良くやってたけどめっちゃ危ないw
木製の的には良く当たって刺さったw
2B弾程では無いけれど、昭和40年代の爆竹は一回り大きかった気がする。
金属製のエアガンじゃなく金属製のモデルガンですね。銃身を黄色に塗るってのもありました。
3:00 関西では「ドンパン」って言ってました。友達の背中に投げてましたよ~。
「火薬ロケット」ってのもありました。投げて地面に落ちたら火薬が「ばーーーん❣」
誰も怪我なんかしなかった。。。
「黄色」ってのを拡大解釈して金属製モデルガンは金色になったらしいです。
2Bとかんしゃく玉がお気に入りでしたね!
かんしゃく玉は人に当てても破裂はしなかったね
もっと固いものでないと破裂しないから意外に危険ではなかった。
ただ、沢山ポケットに入れるとこすれて破裂なんてことも・・・
2Bは互いに投げ合って少々の危険性はあった!
これらがなくなってしまったのは
ほとんどがPTAからの圧力だったんではないかな? 知らんけど・・・
2Bダンは70年代田舎に行ったら大量にありました。田んぼの鳥をおいはらうみたいで、昆虫セットは当時100円で買いました。最近8000円のクワガタが死んだので思い出しました。昔は金属製のモデルガンが売っていて貫通力がすごいと板でも貫通すると友達が言ってました。最近でもうちの近所でひろい屋のおっさんが金属のモデルガンひろってその時持ち物検査されて西成警察署につれていかれたそうです。その本人に聞きました。今はあかんそうです。
36年生まれの若人です。
爆竹は、カエルの肛門に差し込んで点火🔥
かんしゃく玉を壁にぶつけたり、道路にバラ撒いたり、
銀玉鉄砲で、昆虫を狙ったり
高学年になると、エアーガンでコンバットをしたり。
(戦争ごっこ)
私も子供の頃は近所の駄菓子屋で爆竹を買っては友達と一緒に鳴らしまくってました。
導火線を繋ぎ合わせては数本の爆竹を一纏めにして、一気に多くの爆竹を鳴らしては楽しんだ事が有りました。
蛙の口に爆竹を咥えさせて、導火線に火を着けては蛙を空高く投げて〖空爆〗させた友人も居ました……。
癇癪玉はソノ儘地面に叩き付ける様にして鳴らしたり、パチンコで癇癪玉を飛ばしては車庫や小屋に打つけて鳴らして遊んだりもしました。
紙火薬をロケット状の先端に挟んで掘り投げて地面に落ちて音がする 商品名は忘れた
確かロケットペンシルって名前だったような気が。売ってたおっちゃんに棒手裏剣とか教えてもらった思い出。
昆虫採集セットは、恐怖意外の何物でもない……と、思っていたが、今、販売されてなくて良かった〜😂
傘の柄が1本・パチンコ玉・爆竹ほどいて単発にしたもの1個で「銃」完成。大工の息子の儂は銃床(ストック)を木でリアルに作って羨ましがられたな。発射は引鉄でなくマッチ点火。もののけ姫に出てくるあれの小型版。
ロケット花火にカエル結んで飛ばしてた。鉄砲のおもちゃは銀玉鉄砲でよく遊んでた。
こち亀の両津勘吉が子供の頃に遊んだ玩具
初期のこち亀で、
節分の豆まき用の豆にかんしゃく玉を混ぜて、寺井に投げつけた話を思い出しました。
2B弾はギリ使った事無いけど爆竹は導火線に火をつけて投げようとしたらヤケに早く導火線が燃えて手の中で爆発してえらく痛かった
あと犬のうんこに爆竹刺して爆破したりして遊んだりしました、その時も導火線がヤケに早く燃えて飛び散ったうんこを浴びるリスクがあった
エアガンはバネ足したりして強化して友達撃ったりしてました
ギリ昭和だけどガチャポンのカプセルにBB弾と爆竹を入れて作った爆弾がエグかったw
小学生の時に爆竹とロケット花火の棒を折って曲げて、導火線に線香をとりつけて時限爆弾とかいって担任の先生の家にセットした事がある。
と、同時に車のタイヤに癇癪玉をセット!
懐かしい思い出
金属製モデルガンは金色に塗られることが多いです。
エアガンは1ジュール以上の銃は規制対象となります。
日本の中華街等で使う爆竹は、カラのドラム缶に爆竹を投げ込んで鳴らすのが普通になっている。音は大きいが火災の恐れが少なく後処理もラクなので…。
59歳のジジイです
10歳の時に耳元で爆竹が鳴り、それ以来難聴と耳鳴りに苦しめられました
昭和の金属製のモデルガンって加工すれば実弾も撃てました。
なんて話も昔ありましたね(^-^;
そのモデルガンをベースに、かなり補強改造しないと暴発して自分が危ないけど確かに作れたって話し有りますね
まぁ~少し改造すれば実弾を撃てましたけど、薬莢のとこを補強しないと危なっかしくてねぇ~・・・・
実銃(回転式)でも、安さを実現するためにフレームを金属製モデルガンと同様の亜鉛合金(ジンクダイキャスト)で作った、チャーターアームズ社のブルドッグと言う製品が有りましたが、それでもシリンダーは鋼鉄で作る事で、実弾を撃てるようになっています。発売当時の実売価格は日本円で1万円以下、いわゆるサタデイナイト・スペシャル(土曜の夜に犯罪に使われるから)と言われる種類の拳銃です。「.44マグナムを撃てる最も安価なリボルバー」というのが売り文句だったそうですが、フレームの耐久性は謎でした。
まぁ…良くも悪くも野蛮な時代だったな…ただ…逆に当時の感覚で現代のスマホを子供が持っているのも危険だと思うぞ…不特定多数の人間と簡単に接触出来るという事に余りにも慣れすぎてるけど…やはり本質的には危険な事だよな2B弾がどうこうのレベルじゃ無いくらいに
かんしゃく玉はゴムパチンコで飛ばして破裂させるのがセットです。2b弾は知らないけど少しお値段高めのロケット花火をペンチで潰して火薬を取り出して栄養ドリンクに詰め込み導火線つけると手製爆弾なって遊んでましたw
昔は花火をほぐして爆発物を作るといった火薬遊びは普通にしてましたね。今じゃ問題児どころか火取法違反&テロリスト扱い。
昔、小学校時代で爆竹を使って遊んでいたよ。😮
2B弾懐かしいなあ?小さい、子供の、ころ駄菓子屋で、売っていた、点火して少し時間が、経って、多きな、音を、出した。子供の、頃を、思いだす、とにかく、懐かしい。
爆竹バラして1本に…導火線が短くて素敵なスリル
山一抗争の頃にかんしゃく玉を車の前後に仕掛け(スーパー駐車場)、前進で発報、後退で更に二発で付近は騒然とした…
昭和51年生まれですが、爆竹は良く遊んでましたね。
当時学校にあった焼却炉の中に大量に入れて怒られてましたよ。
銀玉鉄砲っていうと弾の他に巻き込みされた赤い帯状の火薬玉も装填する弾の発射に合わせてパンッって炸裂音が鳴るヤツもあったな
赤い火薬玉で思い出したけど、これシート状のものも売ってましたね
18:29のヤツに、このシートから一辺切り取って頭に仕込んで投げ上げると落下時に炸裂音がするというもの
わたしたちのところではかんしゃく玉よりこっちを使うのが主流だったなぁ
昭和54年生まれ。
小学生の頃夏休み前にもらうしおりに「2B弾で遊んではいけません」というような事が書かれていたけどBB弾の事かと思ってたよ
かんしゃく玉を道路に撒くの楽しかったな~
昆虫採集セット ちょー懐かしい🎉
でもそれを使っても昆虫に『カビ』がよく出た💦
2B弾は、私は知らないのですが、鶴瓶師匠が「昔、遊んだよ」って以前のトーク番組でおっしゃってました。
火薬系は家の焼却炉に放り込んだり道路に撒いたりと犯罪としか思えない遊び方してた。
親、教師、警察、知らないおっさんなんかにぶん殴られてた。
規制されて当たり前かと思う。
4:35 俺が小学生時代はBB弾ではなく、ラッパ型のタマだったが、遊んでるときに黒目に当たって失明寸前にまでなった事故があったために一切の所持を学校が禁止していました。(なった生徒は失明こそ免れたけど、視力低下に悩まされた)
つづみ弾ですね
そう言う名前なんですね?!初めて知りました!!!
2B弾は本当にビンとか割れる威力なので使い勝手が悪かった印象。
爆竹の房をほぐして1本づつ使って遊んでました。
かんしゃく玉は同じく駄菓子屋で売ってたパチンコ(今で言うスリング)で長距離狙撃とかやってましたw
エアガンや銀玉鉄砲も遊んだけど、昆虫採集キットだけは使わなかったなあ。
高かったし、虫嫌いだったし。
当時( S40年代)のエアガンは、18歳未満でも購入できて、リンゴに突き刺さる、フロンガスのタンクによっては
砕くぐらいの威力ありましたね。
ドイツのMP40とかアメリカのM1とか、人気ありましたが、お年玉でやっと買える高額でしたが、子供でも買えたのが、今は懐かしいです。
爆竹ねえ……昭和50年前後電光砲とか火皮砲(注:「砲」は火へんなのだが文字盤になかった)とかが10円、20円で売っていた。説明文には「火をつけたらすぐにはな水てください」って書いてあった。たしかに「れ」と「水」は似ているわな。
当時の地元の小学校では男子の間でなぜか飛び出しナイフが流行っていましたが、
ズボンのポケットに入れて持ち歩いていた誰かが転んだ際に刃が飛び出して自分の足を刺したとかで全面禁止になりました。
蛇足ですが、邦画「突入せよ!浅間山荘事件」のメイキング映像で、かんしゃく玉を使って赤軍派の銃弾が警備車に当たる様を表現してましたね。
折りたたみ式のカミソリカッターではなく?
@@柴雅人 様
折り畳み式ですが、ボタンを押す事でバネの力で一瞬で刃を開く事が出来る構造のナイフが作られてた時期が有ったんですよ。今でもドライバーや櫛に形を変えたものや、梱包開封用や緊急時にシートベルトを切断するための特殊な形の刃(刺したり切りつけたりできない、フックナイフと言う形)の物は生き残っていますね。武器として非常に有用なので、昔の映画では不良少年の持ち物として定番でした。今では日本ではもちろん、アメリカでもほとんどの州で違法です。ただ、手が片方しか無い等、ハンディキャップのある人でも片手で刃を展開できるため、農業や倉庫作業に使う為に特例として所持を認められることは有るようですが。
@@zerosam1943 成る程。
丁寧に、分かりやすく教えて、くださり、ありかとうございます😊
@@zerosam1943 成る程な〜。
かんしゃく玉、爆竹は小学校の頃よく遊んだ、かんしゃく玉は車のタイヤの下に置いたり、爆竹は友達と自転車に乗って投げ合いして遊んだ、今では残酷な話だけど缶の中にかえるを大量に入れ爆竹で爆発させた1回だけだけど、今は爬虫類、両生類など大好きでペットにする位だからあの頃の自分嫌い
銀玉鉄砲はオシロイバナの種も飛ばせましたねぇ。
昆虫採集セット。
防腐剤?を入れた状態の注射器を誤って足の指に落としてしまいました。浅く刺さった程度でしたが暫く痺れがとれませんでした。
@@ポチモン 赤いキャップの瓶と青いキャップの瓶ひとつは殺虫剤でひとつは防腐剤と言われてたが両方とも中味はおなじ少量のアルコールを水で溶かしたもの
銀玉鉄砲が弾自然に還るは1番環境には優しかったんだな
今のカラーbbはプラだから帰らないし😅
かんしゃく玉はパチンコで飛ばして遊んでた思い出だなw
リボルバー式の火薬拳銃は今でも
コメリの害獣対策コーナーで売られている
夏に近所の綿半(ホムセン)で見かけて「ふぉぉぉぉぉ!?」ってなってました
オモチャ売り場にも有るにはあるよ😊
かんしゃく玉は道路に撒いて、通った車が踏んで、運転手の顔を見るのが楽しかったw
爆竹はガンプラや車のプラモを爆破するという謎の遊びしてた
動画にはないけど、リボルバーの火薬鉄炮はお祭りで毎回買ってた。
トイテックのキャリコやP90 ,バルカンなどを作っていました。当時はまだゴーグルはポリカーボネイトの物しかなく網ゴーグルを初めに出したのはわたしの提案が元でした
田舎のガキは着火した爆竹投げたら投げ返してきた。あとトンボに爆竹つけて放したりしましたね。
かんしゃく玉を見なくなってから、熊が山を下り始めたんだよな(笑)
昔は、夏って言うと、すぐに花火とかやってて、火薬の匂いが染みついてたんだろうなぁ
2B弾懐かしい。1956年生まれなんですが小学校低学年でもマッチで箱の横で擦って投げることしてたなあ。川に投げ込んでも爆発。近所の軍隊経験のあるおっちゃんもいろいろ教えてくれた。
昔エアガンでバイクの風よけ撃ち抜いて遊んでた😅
今思えば超危険だったよな〜!
昭和44年生まれなので2B弾は名前しか知らないけど、他の物は全部遊んだ事が有ります。
昆虫採取セットの防腐剤と殺虫剤が実は色付き水だと知った時の驚きと落胆は未だに覚えています。
爆竹は1本1本ほぐして火を着けてからいつまで持っていられるかのチキンレースが流行ってたな(昭和56年生まれ)
自分が子供の時(小学生)2B弾という名称でなく、確かクラッカー(マッチみたく火を点けて数秒後に爆発)と言ってた気が。
爆竹も動画内と同様の爆竹とそれの2倍の太さの爆竹があった。
あと爆竹の火薬を(一箱分)取り出し、それをボールペンの容器にギチギチに圧縮して詰めて爆発させて遊んでたなぁ、結構な威力はあった(笑)
小学生の頃みんなでカネを出し合い、駄菓子屋で爆竹とロケット花火を大量に買って川で遊んでた。飽きてくると焚き火をして近所の爺さんに怒られたりした。
コンクリートで擦ると火がつくロウマッチで遊んだりもしたなぁ。
2B弾以外は全部やったなぁ☺︎
爆竹は結構残酷な事やった事ある人いっぱい居ると思います。
エアガンよりガスガン買ってサバイバルゲームやってました☺︎ペイント弾使って☺︎
火薬の匂い好きだったなー
「アメリカンクラッカー」で紐が切れて、玉がタンスにぶち当たったことがあった。
もし逆に飛んでたら障子のガラスが割れてたなあ。
爆竹の思い出。
小学校高学年の頃だったと思う。小学校の放課後、友達といっしょに近所の高校に遊びに行った。
夏の日で、校舎の窓はどれも開け放ってあった。
高校のお兄さんお姉さんはまだ授業中で先生の話を聞いてるのが遠くに見えた。
校庭で40発ぐらいの束の端に火をつけた。 バババババ!とすごい音が機関銃のように響いて、校内全員の顔がこっちに向けられた。
子供心にま、まずいとひるんでいると、1人の先生が飛び出してきた。
その後の記憶はもうないが、深夜まで両親に死ぬほど怒られた記憶だけ残ってる。
昆虫最終セットに入ってたのは防腐剤と殺虫剤だと思う。
2B弾は既に「クラッカー」になってたな。
重りを付けて着火、水中に投じ爆発させて遊んだ。
全部遊んだ事あります😅懐かしいですね。エアガンは今もサバゲーで使ってます。