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9つ上の兄が買った日産サニーのオーディオが8トラックでした。乗せてもらったときは必ず洋楽のハッスルやソウル・ドラキュラをかけていたのを覚えています。
コックピット700使っていました。ルームランプを使って取り付けるタイプでしたが、ギャランΛはルームランプが特殊な形状だったため、シートベルトの穴を利用してステイを付け取り付けていました。夜、すごく奇麗に光るコンポでした。組み換えが出来るタイプと一体型の2種類があったと思います。青春の思い出です。
架装メーカーで設計をやっていた頃、ボンネットトラックや輸出車を運転する時にデコンプとエンジンカットノブの両方を使ってました。国内車と違ってイグニッションキーでエンジンが切れなくて、工場の最終工程の作業員に切り方を教わったものです。もう30年も前のことですね。懐かしいです。グローランプはエンジンフォークリフトに付いていて冬季はよくお世話になったものです。そう言えば、入社したての頃の中型トラックにはパワステが無かったです。ブレーキもまだバキューム式のものがありましたしトランスミッションレバーは細く、トラック動かしてるなあ感がありました。その後1年くらいしてからブレーキはAOH(空気油圧複合式)へ統一されパワステも標準装備されるようになりました。もっともエアコンはオプションだったので重量検討をする際は販社に必ず確認を取ってました。場合によっては積載量が250kg減少してしまう恐れがあったので(当時の積載量は250kg刻みでした。現在の積載量4トンクラス中型車は50kg刻み)日産リバティに乗ってた際、OD-OFFにすると急坂を登れず、OD-ONにすると急坂を登れるという不具合が起きて、ミッション本体とコントロールユニットを全交換させたことがあります。三菱リベロに乗ってた際はコラムシフトでしたので運転がしやすく、次の車もコラムがいいなということで日産リバティを選択しました。ハンドルからあまり手を放さなくていいので重宝しました。トラックに付いていた速度表示灯が無くなった頃から車の安全面に関する事柄が運転者に委ねられたように感じます。それまで車側から安全運転の注意喚起を行っていたのに、緩和を名目に無くなってしまった。当時はトラックシャーシ改造設計をやっていたので、安全面大丈夫かなと心配したものです。
約50年前に日野の4t車レンジャーKLに乗っていました当時の4t車はまだ排気ブレーキが付いて無くデコンプが付いていました、その頃まだ若かったのでエンジンブレーキを掛けながらエンジンキーをOFFにしてデコンプレバーを引き大きな音と真っ黒い排気ガスを出して遊んでました。夜間に走行中にコレをやるとマフラーから火花の炎が出て綺麗でした。マフラーは運転席側真横に出ててバックミラーで確認してました🤣🤣🤣😊
8トラのテープはガソリンスタンドでも売ってました、後、FMが聞けるアダプターもありました、当時はAMラジオしか聞けないタイプが多かったからね。
8トラ、懐かしいです。1962年生まれの私が小学校高学年になるかならないかの頃、自営業の父親の運転するニッサンのトラックに8トラが積まれていて、配達について行くと広沢虎蔵の「森の石松」のひとくだりを何度も聞いていました。「大政、小政に大瀬の半五郎、遠州森のい…」ってやつです。
うちには8トラのカラオケありました( ´∀` )エンドレスが凄いですな~メビウスの輪かな?
私の最初の仕事は5ボタンのガッチャン・チューナ―を作る現場に入りました。そして1か月後最終ロットを出荷した後、その工程を解体までしましたね。あれはメカ的に同調位置を記憶させる、素晴らしい機構でしたね。
当時、4WS装着車に乗っていました😂クルマは日本フォードのテルスターでMAZDAカペラの姉妹車でした。高速道路のレーンチェンジはタイヤの向きが同位相になりふらつき無く走れて、バックでの車庫入れ時は逆位相になり慣れないと車体が手前に入ってしまう事がありました。狭い道などは内輪差が殆ど無いので楽でした😂
私はアラ還ですが、カセットテープ・チェンジャーを知りませんでした❗️存在してたんですね〜🎉どんなシステムだったのか非常に興味あります❤出来る事なら実物を見てみたいです😊
大型トラックの速度灯懐かしい😊深夜の高速だとよく見かけた😊
7thスカイラインに乗ってました。5連装カセットチェンジャーは、男女共に同乗者に自慢できました。機械の上に、乗せるタイプのアームレストを使用初代ハイキャスは、リアが流し難かった。減衰ショックアブソーバー・クルコン・カードキ-(ドアを開錠のみのやつオプション盛りだくさんのクルマでした。ターボか効くまでダルい走り懐かしいです。
車内でのMD·CD、ポータブルプレイヤーをカセット型のアダプタ経由で使うてた。そのカセットデッキが30年くらいしか使ってないのに壊れて修理出来なかったから現在はMP3プレイヤーに置き換えたけど1時間くらい毎にあった媒体交換の作業がなくなったから随分楽になってくれたわ。
凄く楽しかった!懐かしいものがいくつもありました。チャンネル登録、もちろん!!
社会人になって最初のボーナスは、初代のカロッツェリアカーナビに化けた。金がなくて取りつけ料を捻出できなかったので自分でやったな。丸2日掛かったw
自分がどれだけ年を摂ったのかを思い知らされました8トラックやサンルーフも手回しで手動後付けのカーエアコン等新しい技術や装備にはワクワクしますね。
BB8プレリュードの4WSは素晴らしい取回しだった。日本の道はまだまだ狭い道多いので、オプションで良いから設定すべきだ。
コックピットは所さんの番組で初めて見た!当時20万も紫檀がだから今じゃ50万いじょうかな? カセットチェンジャーは知らなかったなあ~こわれやすかったろうな、たぶん
デコンプはエンジンを止める以外に冬場のエンジン始動時にまず予熱をかけて熱線が赤くなったらデコンプを目一杯引いてエンジンを始動してセルモーターを回し少ししたらデコンプを半分位戻してエンジンが掛かりそうになったらデコンプを離すとエンジンが掛かるという手順だった、日野は運転席シートの左側だったからやり易いけど三菱はステアリングコラムの右側だったからやり難いレイアウトだった、ディスクマンは今も持ってますが昔はカーステレオのCDプレーヤーは高かったから重宝しましたね、
動態保存の古いバスの運転台を見ましたが、いすゞ製のBU型というバスはインパネのあたりに付いてましたねあれも車種によって結構まちまちなんでしょうか?ボンネットバスだとかなり奥の方から伸びてる場合もありますし
@ 4トンではいすゞと三菱はインパネの右側の下側に予熱の熱線と並んで付いていました、
助手席のレバーは日産がプレリュードより先に出してましたね。スカイラインジャパンには後席側足踏みと運転席側レバーと、ドア側のレバーと3か所にあるので、運転席、助手席、後部座席から助手席の背もたれを操作する事が出来ました。非常に便利でした。しかもドアのインサイドハンドルが後ろ側にも1つあり、後部座席の人がドアを開けることが出来ます。最初何でインサイドハンドルが2つあるのかわかりませんでしたが自分が後席に座って開けようとしたときにわかりました。2ドアが多かった時代の便利装備でした。あと8トラもカセットテープを入れるアダプタが市販されていてそれでカセットと両方使ってる人もいましたね。
4WSは最近は国産だとレクサスの一部車種位で逆に輸入車はメルセデスやランボルギーニが積極的に採用、ちょっと前にはルノーメガーヌにも装備されてましたこの辺はデンソーなんかのサプライヤーが日本車での採用がコスト削減を理由に無くなってしまった為に海外メーカーにシステムの売り込みを掛けたのが大きいですが
ベンチシートの車に買い替えるなんて♪
イリヤさん乙
若い頃中古で手に入れたSONYの8トラデッキ。録音も出来て10年位使ってました♪🙂意外と音良いんですよね♪
20年前、勤務先のトラックは、1台はコラムシフト(結構力が必要)、もう1台はフロアシフトでしたが、通常はコラムシフト車を使用していました。 ある日、フロアシフト車に乗って、いつものようにコラムシフトをローに入れて・・・・「バキッ??」 ワイパースイッチを握って、へし折ってしまいました・・・・・。
たまに古いバスの動態保存車を見ると、ちゃんとデコンプレバーの姿を確認出来て少し感動しますねどうもその時代はメインボタンを押す→キーを回してエンジン内の空気を暖める(ディーゼルエンジンの構造的に)→デコンプレバーを引きながらセルモーターを回す(冬場の場合はキャブレター式のガソリン車と同じようにアクセルを踏みながらエンジンをかける)→頃合いを見てデコンプレバーを戻す というかなり面倒な作業だったようで、冬場にバスを出すときなんかは運転手も大変だったんだろうなと思います…
昔、日野の4t車初代レンジャーKLにはデコンプが付いていた、当時乗っていたレンジャーKLのマフラーが運転席後方の右側から対向車線側に真横に出てたから走りながらエンジンキーをOFFにしてデコンプレバーを引いたら真っ黒い排気ガスとでかい爆発音が出て、夜にコレをやるとマフラーから火花が出て綺麗だった🤣🤣🤣
電動シ―トベルトなんてすげぇ😅。
チョーク最終世代ですバッテリー上がると下り坂を使ってエンジンかけてました。
同じ位の世代ですかね。教習所で、踏切エンストの緊急脱出は1速に入れて、クラッチ切らずにエンスト連発で進めと習った世代です。今はクラッチ踏まないとエンジン掛からないから、無理な技みたいです。
家族が2CV乗ってたのでチョークとコラムシフト、クランクはお馴染みでした冬場寒くなると本当に機嫌が悪くなり易かったのが懐かしいですね
昔はいろんな新機軸がいっぱい出てきて楽しかったな。10年過ぎる前にほとんど消えていったけど
後年8トラカセットが会社の構内放送(始業&終業チャイム、ラジオ体操)に使われてるのを見てビックリ!絡まって再生できなくなったテープの補修を任されて分解した記憶が…(笑)
鍵抜きボタンは日産系に多く、トヨタ系では「押し込んで回す」だった気がします。
うちの親父の76年キャデラック、2ドアクーペの8200でしたが、8トラックのステレオシステムでしたね。
助手席横に付いてたレバーは1972年登場のC130ローレルに既に付いてました。ドア側よりは使い易いから中央側へ付けたんでしょうね。こういう不慣れな装備って運転手以外分からない事多いから中央側ってのは理に適ってはいます。後に、ペダル色に変わっていきましたね。
4WS は、S13 シルビアで HI-CASⅡに乗っていました。ステアリング比がかなりクイックになり、かなりシビアな操作が必要でした。田舎道なら膝に手を置いて、指先だけでステアリング操作できるという感じでした。性能は 標準タイヤが POTENZA RE71 になるということでお察し、というところです。
ギャランGTO昭和48年式中古車に8トラが着いていてカセットテープが入るアダプターを使いカセットを聴いていました。
運転席回転シートは今でも福祉車両で使われている
鉄(てっちん)ホイールやそれを隠すホイールカバーもありましたね。兄が父の車に乗ったとき、大きな石かなんかに乗り上げてカバーが外れちゃって、ディーラーで買って弁償してました。BBSのアルミホイールは超高嶺の花だったな(遠い目)
初代ディアマンテに乗っていた際、25万と言う大枚を出して買った中古のBBS-RS16インチ。休みの日はスポークの部分とピアスボルトを1本1本丹念に拭きあげていたな。センターキャップを取ると見える「MADE IN W.GERMANY」が誇らしかった。
オートスポイラーは100系ハイエースワゴンにもあったような。最終型は固定されてたけどこれが国産最後かな。あと、4WSは小回りできるようにタウンエース、ライトエーストラックにもあったし、グランビアベースのトヨタハイメディックにも。意外に最近まであった気がする。
12:59 車にソニーのディスクマン付けていました。ここの写真にある取付アームは音飛びの対策として有効でした。CDの音声出力は、カセットテープ型のアダプタを介してカセットカーステレオから出していました。
石原裕次郎記念館は2017年に閉鎖されているよ。
グローランプはトラクターやホイールローダーについてますよ。
手動チョークの車にも乗っていましたが、その後オートチョークになって、今はインジェクションで全く不要になりましたね。手動チョークのバイクにはだいぶ長く乗っていましたので、チョークは車というよりバイクでお世話になった感じです。デコンプもバイクでお世話になった感じ。
シガソケットもいまは電源ソケットとしてついてるだけなんで、後付けでライター刺して使うと熱でソケットがダメになるようだ。
8トラック使ってました 父がお店で売っていたので 録音できる機材も持っていました 友達からどうやって録音したか聞かれたけど 内緒でした 欠点は車内の温度でテープが伸びてしまった
デコンプって、そういう用途だったのか。バッテリーが弱った時にデコンプ引いてセル回してデコンプ戻してエンジンかけてました。
やべぇ!【カーディスクマン】使ってた!リモコンが車の揺れで速攻で何処かに行っちゃったっっっ!
ボルボがつり革にw
狙ったわけでもなくプレリュードもスープラも乗ってたけど、80はそういうことやるにはスペースが大変よ
アクティブスポイラーは、まだトヨタの現行車で使ってるのがあった気が。ただ、見える所に出て来ないし、冷却用だったような
車にラジカセ積んでた奴いたな
プレリュードは、後部座席に乗ると横移動してるみたいで気持ち悪かった思い出
8トラは巻き戻しは出来ませんでしたが、早送りは出来たと思います。**ワンマンバスの行き先案内でも使っていて早送りをしていました。 時々送りすぎて、運転手が自分でしゃべっていました。
8:30昔はなんでも「コンピューター」ってつけとけって感じだったんだなーいまもなんでも「AI」っていうのも同じか
ドラゴの奥さんぉ覚えてるのが草( *´艸)
二代目プレリュードに乗ってたけどスケベノブはいきなり引くと女の子が凄い勢いで倒れてビックリする なので左手でスケベノブ 右手でシートを支えてゆっくり倒す そうすると女の子が え?え?ってなってる隙に覆い被さる‥‥って何の授業や😂😂😂装備じゃないけど流行ってたのはダミー電話アンテナ コンポのスピーカーが光るやつ シートをゼブラ柄 とかやってたな🤣
4wsのアコード若いとき乗ってたけど、バックでの駐車が上手くなったと勘違いした(笑)
助手席の貫通オットマンは、Y30にも採用されてましたよ。こちらが先では?
シーマのミラーは角度かえても拭ける。でも、そんなに綺麗にならなかった覚えがある。だからあんまり使わなかったなぁw要らない装備。
エンジンかける時に儀式があったな…それをやらないとかからないんだよねぇ…
チョーク?特に冬場はかからないけどね。
ボンピンは無いと閉めようがないよ。純正には使わないけどカーボンとかFRPだとフックがついてるやつもあるけど折れるから結局ボンピン。
ヘッドライトワイパーとかウォッシャーは装着が義務付けられてれる国もあるんやで輸入車そのまま販売してたならそりゃー付いてる
初代オデッセイ…画像が違うんですが😔
近所のイオン(当時のジャスコ)のカー用品コーナーに、松下電器のカーコンポが有ったけど、取り付けやっていないから買って天井にどうやって付けたのか疑問。
ウチの地元のジャスコでは、提携している近所の自動車整備工場を紹介していました(店舗独自のサービスと思われる)
動画の内容が気になるのにレトロ演出のパカパカがとても具合が悪くなる…
昭和の 車とくれば 3連メーター(油温、水温、電圧)本皮シフトノブ イエロー フォグランプ ライトポッドちなみに、ブリッツのレーダー探知機 三連タコ 出来ます
2:56伊藤かずえさんのY31シーマにも付いてます。
あずき色のシートって見なくなりましたね
LOVE灯・フェンダートリムとか付けてました。
パワステ無しのトラックは地獄じゃったwwwwwお尻持ちあがるからね
動いてると多少楽なんだけど、据えきりがねぇ~・・・・知人がやってる家具製造会社にオート三輪があるけど、まぁ~上半身の筋肉が付きまくる事うけあいで、パワステナシの普通車は天国です。
それの前二軸があったとかなんとか、、、昭和の運転手ってすげぇ
@@taaaaaaaboooo前2軸は曲がった後直進にするには自分でハンドルを戻してこないといけないからパワステ無しだと狭い交差点の左折なんかは地獄ですね、
サスペンションシートは農耕車のトラクターでも標準装備やね。サスペンションついてないから
ジープは乗り心地改善されたのかな?
田舎ではグリルガードほしい鹿や猪の衝撃のダメージ防止にあいつらに当たると車のダメージでかいからな
グリルガードは、北海道では必要だと思います。よく、エゾシカとの事故が多いので。カロッツェリアの5連奏CDチェンジャーを付けていたけど、段差で音飛びしまくってました😁予熱ランプは、ディーゼル車にはまだ付いてますよ。コラムマニュアルとNAVI5の車を、運転した事あります😁
市販のグリルガード やめてほしい 危険せっかく メーカーが人身事故 対策しているのに逆効果車守れるけど人守れない
昔、中古車の愛車61年式スカイラインツインカムターボにカセットチェンジャー付いてたな。ハイキャス機能微妙だったな。
4WD全盛期「フルタイム」と「パートタイム」があって、「パートタイム」に(センターデフロック)の操作レバーがシフトレバーの横にあった
カーナビは昭和時代にもありましたね!
昔の車、エンジンを、かける時は、チョークを、引っ張ると、同時に、アクセルペダルを、3回位バタっかせ、いわゆる。キャブレターの、加速ポンプを、作動させ、燃料を、濃くして、エンジンを、かける、ようにしていた。オートチョークの車は、これを、自働で、やって、いた。
貫通式オットマンシートは430からあったような
当時モテないダチがモテ目的で二代目プレリュード購入し、予想通りに横に乗ってくれる女性は母親と妹だけな状態で仲間内のネタにされてたヤツは女の子を乗せる事を諦めてから男友達を助手席に乗せてフル加速中にスケベノブ操作して助手席の男友達に後頭部強打させるワザを身に付けて「俺とプレリュードをネタにしたお前はプレリュードにバックドロップされるんだよ」とか言ってたでもこんな事書いてる自分は バイト先の中古車屋から真っ直ぐ走らない事故車な下取り車の初代3シリーズを買い取ってステアリング修正しっぱなしで運転して BMWの威力に頼りまくりナンパに行ってた
石原裕次郎記念館は残念ながら数年前に閉館してますが…車の所在は分かりません
最大積載量××のステッカー無制限 とか 会社次第とか ギャルだけ なんてのがあったな
昔のデイゼル車、初めエンジンを、かける時は、グロープラグを、熱して、スターターを、回していたが、この行為を、焼き玉を、焼くと。言っていた。
いずれもDIYにて取り付けですね。
小樽の「石原裕次郎記念館」なら、とっくに(すたれる前に)閉館した!2017.8.31
42 蛍ランプ。 これ点けて走っていたら、検問で引っ掛かって「整備不良」とされてしまいました。
スチュワーデスじゃなくパイロットだな。
オート〇〇(エアロ系)はドライバーが作動してる様子を見れないっていう最大の欠点がなあ
昔のカーナビはGPSがないから、実際の位置とずれたら、その都度補正が必要だった。
地磁気+ジャイロ+車速式(めちゃくちゃ不正確) → GPS式(誤差データを意図的に出していたので不正確。2000年5月に誤差データ解除) → GPS+地磁気+ジャイロ+車速式(だいぶマシになる) → GPS+D-GPS+地磁気+ジャイロ+車速式(ようやく使えるナビとなる)。あとマップ・マッチング航法の進化があげられますね。今では、車用カーナビの最大にして唯一の利点はトンネル内やビルの谷間、高架道路下でも正確に測位出来る事ぐらいなんですよね。地図データ更新に万単位の金を出して購入しないといけないし(どちらかと言えばVICSデータの更新のため)、発売から10年前後で地図データ提供が終了となる事が多いし。
泥よけ、あのころは、フンドシと、言っていた。
トラックの速度表示燈、あの頃は、真ん中の、表示燈の。球を、いつも、外していた。
車に、搭載されていた。CD,これは、ある程度使用すると、必ず、破れ、使えなくなった、CDプレイヤーは、車には、使えなく、信頼性が、全く無し、必ず。破れる、使えなくなる。
くるまのナビ開発会社はスマホが出来て痛手だないまは標準装備だもんな
17:56コラムシフト混在の世代だが、フロアシフトでさえどこに入ってたか忘れるのに絶対嫌だってんで最初からAT車を買って周りに変わり者みたいに思われたんやで・・当時の友人<オ・オートマチック?w ← ワイ<うるせーほっとけよw
マニュアルが全盛でATは車体が数万高く、燃費も悪いと言われていた。
@@kiyumipontoさん リアガラスに「オートマチック」とステッカーが貼られていた車もありましたね。あと「パワーステアリング」ステッカーも。
初代フェアレディZにはチョークレバーが2本並んでいた。一本は普通のチョークレバーで、、、、もう一本はなんと! かっこいい、、、だれか正解を書いてみて。
スケベレバーは、今の30歳代の人達が誕生のきっかけレバーだな。
ターボスターターというのがあったなふゆの暖気に便利だったキーレスで今でもあったら便利だけど
EVやハイブリットになったので「エンジンが冷えてて」という需要は減少しているけど、今でも販売されていますよ。 また、最初から搭載されていて、別途取り付ける必要のない車種もあります。
@@kiyumipontoさん あれが大っぴらに売られなくなったのは、各自治体で「 アイドリングストップ条例」が制定されたから。 ただ製造販売が禁止されている訳ではないので、使用は自己責任でねと言った感じですね。
ターボスターターって三洋テクニカの商品名だった記憶
内容は非常に面白いのですが、バックの映像に不必要な点滅つけるのやめていただけませんか?白黒モノクロフイルム映像風のエフェクトですが、見辛いだけです。この周波数だと下手するとてんかん傾向のある方が見ると、てんかん発作を起こしかねませんよ。
白黒の背景をチャカチャカ点滅するのやめて。めちゃくちゃ見づらいです。
9つ上の兄が買った日産サニーのオーディオが8トラックでした。乗せてもらったときは必ず洋楽のハッスルやソウル・ドラキュラをかけていたのを覚えています。
コックピット700使っていました。ルームランプを使って取り付けるタイプでしたが、ギャランΛはルームランプが特殊な形状だったため、シートベルトの穴を利用してステイを付け取り付けていました。夜、すごく奇麗に光るコンポでした。組み換えが出来るタイプと一体型の2種類があったと思います。青春の思い出です。
架装メーカーで設計をやっていた頃、ボンネットトラックや輸出車を運転する時にデコンプとエンジンカットノブの両方を使ってました。国内車と違ってイグニッションキーでエンジンが切れなくて、工場の最終工程の作業員に切り方を教わったものです。もう30年も前のことですね。懐かしいです。
グローランプはエンジンフォークリフトに付いていて冬季はよくお世話になったものです。
そう言えば、入社したての頃の中型トラックにはパワステが無かったです。ブレーキもまだバキューム式のものがありましたしトランスミッションレバーは細く、トラック動かしてるなあ感がありました。その後1年くらいしてからブレーキはAOH(空気油圧複合式)へ統一されパワステも標準装備されるようになりました。もっともエアコンはオプションだったので重量検討をする際は販社に必ず確認を取ってました。場合によっては積載量が250kg減少してしまう恐れがあったので(当時の積載量は250kg刻みでした。現在の積載量4トンクラス中型車は50kg刻み)
日産リバティに乗ってた際、OD-OFFにすると急坂を登れず、OD-ONにすると急坂を登れるという不具合が起きて、ミッション本体とコントロールユニットを全交換させたことがあります。
三菱リベロに乗ってた際はコラムシフトでしたので運転がしやすく、次の車もコラムがいいなということで日産リバティを選択しました。ハンドルからあまり手を放さなくていいので重宝しました。
トラックに付いていた速度表示灯が無くなった頃から車の安全面に関する事柄が運転者に委ねられたように感じます。それまで車側から安全運転の注意喚起を行っていたのに、緩和を名目に無くなってしまった。当時はトラックシャーシ改造設計をやっていたので、安全面大丈夫かなと心配したものです。
約50年前に日野の4t車レンジャーKLに乗っていました当時の4t車はまだ排気ブレーキが付いて無くデコンプが付いていました、その頃まだ若かったのでエンジンブレーキを掛けながらエンジンキーをOFFにしてデコンプレバーを引き大きな音と真っ黒い排気ガスを出して遊んでました。
夜間に走行中にコレをやるとマフラーから火花の炎が出て綺麗でした。マフラーは運転席側真横に出ててバックミラーで確認してました🤣🤣🤣😊
8トラのテープはガソリンスタンドでも売ってました、後、FMが聞けるアダプターもありました、当時はAMラジオしか聞けないタイプが多かったからね。
8トラ、懐かしいです。
1962年生まれの私が小学校高学年になるかならないかの頃、自営業の父親の運転するニッサンのトラックに8トラが積まれていて、配達について行くと広沢虎蔵の「森の石松」のひとくだりを何度も聞いていました。
「大政、小政に大瀬の半五郎、遠州森のい…」ってやつです。
うちには8トラのカラオケありました( ´∀` )エンドレスが凄いですな~メビウスの輪かな?
私の最初の仕事は5ボタンのガッチャン・チューナ―を作る現場に入りました。そして1か月後最終ロットを出荷した後、その工程を解体までしましたね。あれはメカ的に同調位置を記憶させる、素晴らしい機構でしたね。
当時、4WS装着車に乗っていました😂クルマは日本フォードのテルスターでMAZDAカペラの姉妹車でした。高速道路のレーンチェンジはタイヤの向きが同位相になりふらつき無く走れて、バックでの車庫入れ時は逆位相になり慣れないと車体が手前に入ってしまう事がありました。狭い道などは内輪差が殆ど無いので楽でした😂
私はアラ還ですが、カセットテープ・チェンジャーを知りませんでした❗️
存在してたんですね〜🎉
どんなシステムだったのか非常に興味あります❤
出来る事なら実物を見てみたいです😊
大型トラックの速度灯懐かしい😊
深夜の高速だとよく見かけた😊
7thスカイラインに乗ってました。
5連装カセットチェンジャーは、
男女共に同乗者に自慢できました。
機械の上に、乗せるタイプのアームレストを使用
初代ハイキャスは、リアが流し難かった。
減衰ショックアブソーバー・クルコン・
カードキ-(ドアを開錠のみのやつ
オプション盛りだくさんのクルマでした。
ターボか効くまでダルい走り
懐かしいです。
車内でのMD·CD、ポータブルプレイヤーをカセット型のアダプタ経由で使うてた。
そのカセットデッキが30年くらいしか使ってないのに壊れて修理出来なかったから現在はMP3プレイヤーに置き換えたけど1時間くらい毎にあった媒体交換の作業がなくなったから随分楽になってくれたわ。
凄く楽しかった!懐かしいものがいくつもありました。チャンネル登録、もちろん!!
社会人になって最初のボーナスは、初代のカロッツェリアカーナビに化けた。金がなくて取りつけ料を捻出できなかったので自分でやったな。丸2日掛かったw
自分がどれだけ年を摂ったのかを思い知らされました
8トラックやサンルーフも手回しで手動
後付けのカーエアコン等新しい技術や装備には
ワクワクしますね。
BB8プレリュードの4WSは素晴らしい取回しだった。
日本の道はまだまだ狭い道多いので、オプションで良いから設定すべきだ。
コックピットは所さんの番組で初めて見た!当時20万も紫檀がだから今じゃ50万いじょうかな? カセットチェンジャーは知らなかったなあ~こわれやすかったろうな、たぶん
デコンプはエンジンを止める以外に冬場のエンジン始動時にまず予熱をかけて熱線が赤くなったらデコンプを目一杯引いてエンジンを始動してセルモーターを回し少ししたらデコンプを半分位戻してエンジンが掛かりそうになったらデコンプを離すとエンジンが掛かるという手順だった、日野は運転席シートの左側だったからやり易いけど三菱はステアリングコラムの右側だったからやり難いレイアウトだった、ディスクマンは今も持ってますが昔はカーステレオのCDプレーヤーは高かったから重宝しましたね、
動態保存の古いバスの運転台を見ましたが、いすゞ製のBU型というバスはインパネのあたりに付いてましたね
あれも車種によって結構まちまちなんでしょうか?
ボンネットバスだとかなり奥の方から伸びてる場合もありますし
@ 4トンではいすゞと三菱はインパネの右側の下側に予熱の熱線と並んで付いていました、
助手席のレバーは日産がプレリュードより先に出してましたね。スカイラインジャパンには後席側足踏みと運転席側レバーと、ドア側のレバーと3か所にあるので、運転席、助手席、後部座席から助手席の背もたれを操作する事が出来ました。非常に便利でした。しかもドアのインサイドハンドルが後ろ側にも1つあり、後部座席の人がドアを開けることが出来ます。最初何でインサイドハンドルが2つあるのかわかりませんでしたが自分が後席に座って開けようとしたときにわかりました。2ドアが多かった時代の便利装備でした。あと8トラもカセットテープを入れるアダプタが市販されていてそれでカセットと両方使ってる人もいましたね。
4WSは最近は国産だとレクサスの一部車種位で
逆に輸入車はメルセデスやランボルギーニが積極的に採用、
ちょっと前にはルノーメガーヌにも装備されてました
この辺はデンソーなんかのサプライヤーが日本車での採用がコスト削減を理由に無くなってしまった為に
海外メーカーにシステムの売り込みを掛けたのが大きいですが
ベンチシートの車に買い替えるなんて♪
イリヤさん乙
若い頃中古で手に入れたSONYの8トラデッキ。録音も出来て10年位使ってました♪🙂意外と音良いんですよね♪
20年前、勤務先のトラックは、1台はコラムシフト(結構力が必要)、もう1台はフロアシフトでしたが、通常はコラムシフト車を使用していました。
ある日、フロアシフト車に乗って、いつものようにコラムシフトをローに入れて・・・・「バキッ??」 ワイパースイッチを握って、へし折ってしまいました・・・・・。
たまに古いバスの動態保存車を見ると、ちゃんとデコンプレバーの姿を確認出来て少し感動しますね
どうもその時代はメインボタンを押す→キーを回してエンジン内の空気を暖める(ディーゼルエンジンの構造的に)→デコンプレバーを引きながらセルモーターを回す(冬場の場合はキャブレター式のガソリン車と同じようにアクセルを踏みながらエンジンをかける)→頃合いを見てデコンプレバーを戻す というかなり面倒な作業だったようで、冬場にバスを出すときなんかは運転手も大変だったんだろうなと思います…
昔、日野の4t車初代レンジャーKLにはデコンプが付いていた、当時乗っていたレンジャーKLのマフラーが運転席後方の右側から対向車線側に真横に出てたから走りながらエンジンキーをOFFにしてデコンプレバーを引いたら真っ黒い排気ガスとでかい爆発音が出て、夜にコレをやるとマフラーから火花が出て綺麗だった🤣🤣🤣
電動シ―トベルトなんてすげぇ😅。
チョーク最終世代です
バッテリー上がると下り坂を使ってエンジンかけてました。
同じ位の世代ですかね。
教習所で、踏切エンストの緊急脱出は1速に入れて、クラッチ切らずにエンスト連発で進めと習った世代です。
今はクラッチ踏まないとエンジン掛からないから、無理な技みたいです。
家族が2CV乗ってたのでチョークとコラムシフト、クランクはお馴染みでした
冬場寒くなると本当に機嫌が悪くなり易かったのが懐かしいですね
昔はいろんな新機軸がいっぱい出てきて楽しかったな。10年過ぎる前にほとんど消えていったけど
後年8トラカセットが会社の構内放送(始業&終業チャイム、ラジオ体操)に使われてるのを見てビックリ!
絡まって再生できなくなったテープの補修を任されて分解した記憶が…(笑)
鍵抜きボタンは日産系に多く、トヨタ系では「押し込んで回す」だった気がします。
うちの親父の76年キャデラック、2ドアクーペの8200でしたが、8トラックのステレオシステムでしたね。
助手席横に付いてたレバーは
1972年登場のC130ローレルに既に付いてました。
ドア側よりは使い易いから中央側へ付けたんでしょうね。
こういう不慣れな装備って運転手以外分からない事多いから中央側ってのは理に適ってはいます。
後に、ペダル色に変わっていきましたね。
4WS は、S13 シルビアで HI-CASⅡに乗っていました。ステアリング比がかなりクイックになり、かなりシビアな
操作が必要でした。田舎道なら膝に手を置いて、指先だけでステアリング操作できるという感じでした。
性能は 標準タイヤが POTENZA RE71 になるということでお察し、というところです。
ギャランGTO昭和48年式中古車に8トラが着いていてカセットテープが入るアダプターを使いカセットを聴いていました。
運転席回転シートは今でも福祉車両で使われている
鉄(てっちん)ホイールやそれを隠すホイールカバーもありましたね。兄が父の車に乗ったとき、大きな石かなんかに乗り上げてカバーが外れちゃって、ディーラーで買って弁償してました。BBSのアルミホイールは超高嶺の花だったな(遠い目)
初代ディアマンテに乗っていた際、25万と言う大枚を出して買った中古のBBS-RS16インチ。休みの日はスポークの部分とピアスボルトを1本1本丹念に拭きあげていたな。センターキャップを取ると見える「MADE IN W.GERMANY」が誇らしかった。
オートスポイラーは100系ハイエースワゴンにもあったような。最終型は固定されてたけどこれが国産最後かな。
あと、4WSは小回りできるようにタウンエース、ライトエーストラックにもあったし、グランビアベースのトヨタハイメディックにも。意外に最近まであった気がする。
12:59 車にソニーのディスクマン付けていました。ここの写真にある取付アームは音飛びの対策として有効でした。
CDの音声出力は、カセットテープ型のアダプタを介してカセットカーステレオから出していました。
石原裕次郎記念館は2017年に閉鎖されているよ。
グローランプはトラクターやホイールローダーについてますよ。
手動チョークの車にも乗っていましたが、その後オートチョークになって、今はインジェクションで全く不要になりましたね。
手動チョークのバイクにはだいぶ長く乗っていましたので、チョークは車というよりバイクでお世話になった感じです。
デコンプもバイクでお世話になった感じ。
シガソケットもいまは電源ソケットとしてついてるだけなんで、後付けでライター刺して使うと熱でソケットがダメになるようだ。
8トラック使ってました 父がお店で売っていたので 録音できる機材も持っていました 友達からどうやって録音したか聞かれたけど 内緒でした 欠点は車内の温度でテープが伸びてしまった
デコンプって、そういう用途だったのか。
バッテリーが弱った時にデコンプ引いてセル回してデコンプ戻してエンジンかけてました。
やべぇ!【カーディスクマン】使ってた!リモコンが車の揺れで速攻で何処かに行っちゃったっっっ!
ボルボがつり革にw
狙ったわけでもなくプレリュードもスープラも乗ってたけど、80はそういうことやるにはスペースが大変よ
アクティブスポイラーは、まだトヨタの現行車で使ってるのがあった気が。
ただ、見える所に出て来ないし、冷却用だったような
車にラジカセ積んでた奴いたな
プレリュードは、後部座席に乗ると横移動してるみたいで気持ち悪かった思い出
8トラは巻き戻しは出来ませんでしたが、早送りは出来たと思います。
**ワンマンバスの行き先案内でも使っていて早送りをしていました。
時々送りすぎて、運転手が自分でしゃべっていました。
8:30
昔はなんでも「コンピューター」ってつけとけって感じだったんだなー
いまもなんでも「AI」っていうのも同じか
ドラゴの奥さんぉ覚えてるのが草( *´艸)
二代目プレリュードに乗ってたけどスケベノブはいきなり引くと女の子が凄い勢いで倒れてビックリする なので左手でスケベノブ 右手でシートを支えてゆっくり倒す そうすると女の子が え?え?ってなってる隙に覆い被さる‥‥って何の授業や😂😂😂
装備じゃないけど流行ってたのはダミー電話アンテナ コンポのスピーカーが光るやつ シートをゼブラ柄 とかやってたな🤣
4wsのアコード若いとき乗ってたけど、バックでの駐車が上手くなったと勘違いした(笑)
助手席の貫通オットマンは、Y30にも採用されてましたよ。こちらが先では?
シーマのミラーは角度かえても拭ける。
でも、そんなに綺麗にならなかった覚えがある。
だからあんまり使わなかったなぁw要らない装備。
エンジンかける時に儀式があったな…
それをやらないとかからないんだよねぇ…
チョーク?
特に冬場はかからないけどね。
ボンピンは無いと閉めようがないよ。
純正には使わないけどカーボンとかFRPだとフックがついてるやつもあるけど折れるから結局ボンピン。
ヘッドライトワイパーとかウォッシャーは装着が義務付けられてれる国もあるんやで
輸入車そのまま販売してたならそりゃー付いてる
初代オデッセイ…画像が違うんですが😔
近所のイオン(当時のジャスコ)のカー用品コーナーに、松下電器のカーコンポが有ったけど、取り付けやっていないから買って天井にどうやって付けたのか疑問。
ウチの地元のジャスコでは、提携している近所の自動車整備工場を紹介していました(店舗独自のサービスと思われる)
動画の内容が気になるのにレトロ演出のパカパカがとても具合が悪くなる…
昭和の 車とくれば 3連メーター(油温、水温、電圧)本皮シフトノブ
イエロー フォグランプ ライトポッド
ちなみに、ブリッツのレーダー探知機 三連タコ 出来ます
2:56伊藤かずえさんのY31シーマにも付いてます。
あずき色のシートって見なくなりましたね
LOVE灯・フェンダートリムとか付けてました。
パワステ無しのトラックは地獄じゃったwwwww
お尻持ちあがるからね
動いてると多少楽なんだけど、据えきりがねぇ~・・・・
知人がやってる家具製造会社にオート三輪があるけど、まぁ~上半身の筋肉が付きまくる事うけあいで、パワステナシの普通車は天国です。
それの前二軸があったとかなんとか、、、
昭和の運転手ってすげぇ
@@taaaaaaaboooo前2軸は曲がった後直進にするには自分でハンドルを戻してこないといけないからパワステ無しだと狭い交差点の左折なんかは地獄ですね、
サスペンションシートは農耕車のトラクターでも標準装備やね。サスペンションついてないから
ジープは乗り心地改善されたのかな?
田舎ではグリルガードほしい鹿や猪の衝撃のダメージ防止にあいつらに当たると車のダメージでかいからな
グリルガードは、北海道では必要だと思います。よく、エゾシカとの事故が多いので。カロッツェリアの5連奏CDチェンジャーを付けていたけど、段差で音飛びしまくってました😁予熱ランプは、ディーゼル車にはまだ付いてますよ。コラムマニュアルとNAVI5の車を、運転した事あります😁
市販のグリルガード やめてほしい 危険
せっかく メーカーが人身事故 対策しているのに逆効果
車守れるけど人守れない
昔、中古車の愛車61年式スカイラインツインカムターボにカセットチェンジャー付いてたな。ハイキャス機能微妙だったな。
4WD全盛期「フルタイム」と「パートタイム」があって、「パートタイム」に(センターデフロック)の操作レバーがシフトレバーの横にあった
カーナビは昭和時代にもありましたね!
昔の車、エンジンを、かける時は、チョークを、引っ張ると、同時に、アクセルペダルを、3回位バタっかせ、いわゆる。キャブレターの、加速ポンプを、作動させ、燃料を、濃くして、エンジンを、かける、ようにしていた。オートチョークの車は、これを、自働で、やって、いた。
貫通式オットマンシートは430からあったような
当時モテないダチがモテ目的で二代目プレリュード購入し、予想通りに横に乗ってくれる女性は母親と妹だけな状態で仲間内のネタにされてた
ヤツは女の子を乗せる事を諦めてから男友達を助手席に乗せてフル加速中にスケベノブ操作して助手席の男友達に後頭部強打させるワザを身に付けて
「俺とプレリュードをネタにしたお前はプレリュードにバックドロップされるんだよ」とか言ってた
でもこんな事書いてる自分は バイト先の中古車屋から真っ直ぐ走らない事故車な下取り車の初代3シリーズを買い取ってステアリング修正しっぱなしで運転して BMWの威力に頼りまくりナンパに行ってた
石原裕次郎記念館は
残念ながら数年前に閉館してますが…
車の所在は分かりません
最大積載量××のステッカー
無制限 とか 会社次第とか ギャルだけ なんてのがあったな
昔のデイゼル車、初めエンジンを、かける時は、グロープラグを、熱して、スターターを、回していたが、この行為を、焼き玉を、焼くと。言っていた。
いずれもDIYにて取り付けですね。
小樽の「石原裕次郎記念館」なら、とっくに(すたれる前に)閉館した!2017.8.31
42 蛍ランプ。 これ点けて走っていたら、検問で引っ掛かって「整備不良」とされてしまいました。
スチュワーデスじゃなくパイロットだな。
オート〇〇(エアロ系)はドライバーが作動してる様子を見れないっていう最大の欠点がなあ
昔のカーナビはGPSがないから、実際の位置とずれたら、その都度補正が必要だった。
地磁気+ジャイロ+車速式(めちゃくちゃ不正確) → GPS式(誤差データを意図的に出していたので不正確。2000年5月に誤差データ解除) → GPS+地磁気+ジャイロ+車速式(だいぶマシになる) → GPS+D-GPS+地磁気+ジャイロ+車速式(ようやく使えるナビとなる)。あとマップ・マッチング航法の進化があげられますね。
今では、車用カーナビの最大にして唯一の利点はトンネル内やビルの谷間、高架道路下でも正確に測位出来る事ぐらいなんですよね。地図データ更新に万単位の金を出して購入しないといけないし(どちらかと言えばVICSデータの更新のため)、発売から10年前後で地図データ提供が終了となる事が多いし。
泥よけ、あのころは、フンドシと、言っていた。
トラックの速度表示燈、あの頃は、真ん中の、表示燈の。球を、いつも、外していた。
車に、搭載されていた。CD,これは、ある程度使用すると、必ず、破れ、使えなくなった、CDプレイヤーは、車には、使えなく、信頼性が、全く無し、必ず。破れる、使えなくなる。
くるまのナビ開発会社はスマホが出来て痛手だないまは標準装備だもんな
17:56コラムシフト混在の世代だが、フロアシフトでさえどこに入ってたか忘れるのに絶対嫌だってんで最初からAT車を買って周りに変わり者みたいに思われたんやで・・当時の友人<オ・オートマチック?w ← ワイ<うるせーほっとけよw
マニュアルが全盛でATは車体が数万高く、燃費も悪いと言われていた。
@@kiyumipontoさん リアガラスに「オートマチック」とステッカーが貼られていた車もありましたね。あと「パワーステアリング」ステッカーも。
初代フェアレディZにはチョークレバーが2本並んでいた。一本は普通のチョークレバーで、、、、
もう一本はなんと! かっこいい、、、だれか正解を書いてみて。
スケベレバーは、今の30歳代の人達が誕生のきっかけレバーだな。
ターボスターターというのがあったなふゆの暖気に便利だったキーレスで今でもあったら便利だけど
EVやハイブリットになったので「エンジンが冷えてて」という需要は減少しているけど、今でも販売されていますよ。 また、最初から搭載されていて、別途取り付ける必要のない車種もあります。
@@kiyumipontoさん あれが大っぴらに売られなくなったのは、各自治体で「 アイドリングストップ条例」が制定されたから。 ただ製造販売が禁止されている訳ではないので、使用は自己責任でねと言った感じですね。
ターボスターターって三洋テクニカの商品名だった記憶
内容は非常に面白いのですが、バックの映像に不必要な点滅つけるのやめていただけませんか?
白黒モノクロフイルム映像風のエフェクトですが、見辛いだけです。
この周波数だと下手するとてんかん傾向のある方が見ると、てんかん発作を起こしかねませんよ。
白黒の背景をチャカチャカ点滅するのやめて。めちゃくちゃ見づらいです。