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もっと、広く知られるべき、チャンネル!
光栄ですm(__)m励みになります!
既出動画の全てを視聴させて頂きました。どれも自分が知りたくて知らなかった細かい経緯を知ることができて、とても勉強になりました。ちなみにですが、大和守家の信友?彦五郎?ってまだ登場しないんですね。(実権はまだ達勝が保持?)
ありがとうございます…!!守護代の織田大和守家に関しては達勝から彦五郎への家督継承時期がよく分かっていないので何とも言えませんが、ひとまずは参考文献に従って達勝の動きとして扱っています。彦五郎は第8章で登場予定です(諱は柴裕之氏の論考に従い「勝秀」を採用する予定です)
@@古事鏡番組風歴史解説 様コメント返信ありがとうございます。勝秀ですか・・・広信は知っていたのですが、確かに勝秀の方が因幡守家からの養子として、義父達勝からの偏諱の経緯が見えますね。(養子だから勝を諱の下にはさせてもらえない。)諱の偏諱と通字で経緯を想定するのが好きすぎて、よく大きく想定を外してしまいがちです・・・
TVで織田の末裔が平氏だったと言ってましたがどちらが正しいのでしょうか?
平氏は信長が自称したもので、後付けで系図が作られたりしただけですね
古事鏡【番組風歴史解説チャンネル】 徳川が源氏だと言うのもそれですかね。
竹千代(家康)は、人質として駿府の今川氏に護送中に戸田氏の裏切りで尾張の織田信秀へ送られたんじゃなかったですか?
ご視聴ありがとうございますm(__)m字幕上の脚注にも記したのですが、岡崎城の攻防を巡る状況について研究が進んだ結果、家康が人質となる経緯についても再検討がなされておりまして、新説に従った形になります。出典論文は村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」というものですが、ネットでも閲覧できるので、宜しければご覧ください。pp140-142で全体のまとめがなされています(chukyo-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=283&item_no=1&page_id=13&block_id=21)
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どれも自分が知りたくて知らなかった細かい経緯を知ることができて、
とても勉強になりました。
ちなみにですが、
大和守家の信友?彦五郎?ってまだ登場しないんですね。
(実権はまだ達勝が保持?)
ありがとうございます…!!
守護代の織田大和守家に関しては達勝から彦五郎への家督継承時期がよく分かっていないので何とも言えませんが、ひとまずは参考文献に従って達勝の動きとして扱っています。
彦五郎は第8章で登場予定です
(諱は柴裕之氏の論考に従い「勝秀」を採用する予定です)
@@古事鏡番組風歴史解説 様
コメント返信ありがとうございます。
勝秀ですか・・・
広信は知っていたのですが、
確かに勝秀の方が因幡守家からの養子として、
義父達勝からの偏諱の経緯が見えますね。
(養子だから勝を諱の下にはさせてもらえない。)
諱の偏諱と通字で経緯を想定するのが好きすぎて、
よく大きく想定を外してしまいがちです・・・
TVで織田の末裔が平氏だったと言ってましたがどちらが正しいのでしょうか?
平氏は信長が自称したもので、後付けで系図が作られたりしただけですね
古事鏡【番組風歴史解説チャンネル】 徳川が源氏だと言うのもそれですかね。
竹千代(家康)は、人質として駿府の今川氏に護送中に戸田氏の裏切りで尾張の織田信秀へ送られたんじゃなかったですか?
ご視聴ありがとうございますm(__)m
字幕上の脚注にも記したのですが、岡崎城の攻防を巡る状況について研究が進んだ結果、家康が人質となる経緯についても再検討がなされておりまして、新説に従った形になります。
出典論文は村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」というものですが、ネットでも閲覧できるので、宜しければご覧ください。pp140-142で全体のまとめがなされています
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