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中学生の時に急行「あおもり」のヘッドマークを自作して、静岡駅に持っていき、運転士さんにお願いをして、EF58の先頭に付けさせてもらい、写真を撮りました。懐かしいです。
名古屋、静岡ー青森間のあおもり号は東北から静岡のみかん農園に出稼ぎにきてた人たちの帰省列車なんで特殊な列車なんです
登場当初の急行あおもり号(1968年~1969年の年末年始と1969年のお盆と1969年~1970年の年末年始)は、東京駅と上野駅にも停車していたようです。
急行料金でこんなふうにどこまでも乗せ続けてくれるなんて、今となってはなんて贅沢な
1986年8月11日が北陸まわりの最終運転日だったんですか・・・。私もこの日の乗車を紹介しましたが、これが最後だっとは初めて知りました。結構な乗車率で、需要はまだあったように感じました。長時間停車が多くて20時間4分で運転していました。名古屋発の北海道ワイド周遊券で乗車しましたが、検札時に何も言われませんでした。東京に住んでいると馴染みがないルートだったので、信越線を上越線経由だと思い込んでいたりしましたが、見知らぬ所を進むのでワクワクしました。この日のレポートを紹介したところ、20時間の座席車は辛かったでしょうと言われましたが、長時間停車がいい休憩になって、辛さはあまり感じませんでした。この列車の情報がネットには少ないですね。貴重な情報、ありがとうございました。
民営化直前まで残っていたのはすごいですね
寝台時代のあおもり号は、閑散期でも北海道からの修学旅行のためスジとして残っていました。友人も北海道から京都に着くまで24時間かかったよ言っていました。
静岡駅始発では無く浜松駅始発であったならば、浜松市とその近郊に現在も存在する世界的なバイクメイカーや楽器メーカー等に集団就職した青森県内出身者向け帰省列車だと早合点したのですが、静岡駅始発では運転理由が解らなかったのですが、青森県内農家の皆様方が冬季出稼ぎ先として、同じ農家で冬季に収穫のピークを迎えて人手が必要なみかん農家への助っ人をかって出た所に、年末年始休暇で一時帰省する目的の臨時急行あおもり号だったとは!目から鱗が落ちる思いです。やがて日本人の嗜好変化とバブル景気真っ只中で輸入果物全盛期を迎えた1986年に、臨時急行あおもり号が廃止を迎えたのも納得出来ました。
ワイド周遊券使えたはずです。急行・夜行・周遊券の3点セットは、90年代半ば頃まで鉄道旅行の心強い味方でした。
東海地方と東北地方の繋がりといえば、新日鉄がある愛知県東海市と岩手県釜石市の繋がりが有名ですね東海市周辺には岩手県出身者が多いので
臨時寝台特急日本海51号が20系ハネで運転されていましたが、いつからか臨時寝台急行あおもり号になりました。特急料金と急行料金の差額分だけ値下げされてありがたかったです。
1993年に京都からの修学旅行帰りで、当時の臨時急行あおもりのスジを運行した団体貸切の寝台列車(三段寝台 上段だったかと)に乗りました。京都→弘前で乗車(約14時間)だったと思います。オフシーズンだと京都・大阪方面と秋田・青森方面の間の修学旅行団体利用とかで運用していたのかな?(1編成で350人は可能だし、共学だと中間車両1両が教員の車両にすることで見回りとか楽だったとか・・・)
急行あおもりと言えば1990年代から2000年代に20系、583系で大阪~青森間で運転された臨時列車を思い出します。今では日本海縦貫線も第三セクター化され長距離列車が行き交っていた時代も過去の彼方に押しやられてしまいました。
こちらは20系車両で運行されていた特急「日本海81、82号」が20系客車の陳腐化により急行「あおもり」に格下げされたものですね「玄海」や「雲仙」など似た措置がJR発足直後には取られましたが「あおもり」は583系置き換えの上で長く残った点が特筆されます
私も高校の修学旅行で乗ったことがあります。
若い鉄道マニアですがはちおうじとかおうめとか可愛くて好きですw
当時は東海地区と東北を直結する臨時帰省需要があったのですね。
まぁ、集団就職というと「東北・北海道」→「首都圏」「中四国・九州」→「京阪神」というイメージがあったけど、「東北・北海道」→「京阪神」というのもありましたからね。
某巨大自動車メーカーの工場に就職された方も利用されていたのでしょう。車を作る工場の従業員の方々が列車で帰省というのも時代の移り変わりを物語るエピソードですね。
同じく、この前72年の時刻表を読んだ時に、東京駅通過の急行列車の存在を知り驚いたわ。名古屋や清水発の東北方面行き列車とか今では考えられないよね。
0:08昭和の時代、地名を列車の名称にするのはよくあったな。急行が地名で特急は動植物の名前が多かった。例えば信州、妙高、佐渡、松島、ざおうという急行があって、同じ区間をあさま、とき、ひばり、つばさという特急が走ってた。
臨時急行あおもり号の運転区間が大阪ー青森間日本海縦貫線経由に経路変更されました。繁忙期に寝台特急日本海号の補完列車として運転していました。
1号が東京・上野通過なのに土浦止まるの意外です
品川からEF80に機関車を取り替えていたのも珍しいですね。
東京・上野は定期列車で一杯だったので、客扱いをする余裕がなかったのでしょう。一方、品川駅は当時はまだそこまで規模が大きくなく、ホームに余裕があったので停車したのでしょう。
北海道ワイド東京発1;東北(含む常磐)、2;東北奥羽、3;高崎上越信越羽越奥羽名古屋発1:東海道*東京発、2:中央西篠ノ井信越羽越奥羽、3;東海道北筑信越羽越奥羽
東京、上野通過が特殊と思われるが繁忙期に品川始発で東北方面へ臨時列車が出ていた時期もそのような措置が取られたことはあるあまりにも混雑する駅なのであえて通過して列車ごとに需要を分けていたと思われ
今回の内容と関係ないですが、東京駅を通過する貨物列車がありました。上野〜東京の線路が切られたことで、なくなったようです。
@@yn5066 戦前から東北常磐方面より東京市場駅(築地市場)に入る貨物は東京駅を通過していたそうですな単線だったので旅客化されてもそんなに本数は増やせなかったそうで
人に聞いた話ですが、東海道本線経由の急行あおもりが走ってた頃の東京〜上野間は単線だったらしいです。
複線ではあったが、片方が事実上の留置線と化していたから単線で運行せざるを得なかったが正しいみたいです。
@@シャナ-x7c そうなんですね。ありがとうございます。
国鉄最高です
おお、かつての白鳥かと思ったら、まだその上があったのですね。
画像5は瀬峰駅-田尻駅間でしょうか、懐かしい風景です。
4号車の時間帯が一番いいな!これだけの長時間なら食事事情が気になるな!
途中駅で駅弁が販売されていただけではなく車内販売の方が乗務されていたことと思います。今のサンライズの臨時列車は大きな駅は停車時間は短く、かつ小さな駅で運転停車を繰り返しています。乗車前に二食(三食?)分買わなければならないのは驚きですね。それでも寝台列車に長く乗れるということで人気はピカ一です。
関西に住んでいると東北上越新幹線は埒外なのですが色々なロマンをうんでいたのですね〜🎉
昭和51年末の時刻表で、確か帰省の臨時列車で記載されていたのを見た記憶がある。また東海道本線では同じく急行の「銀河」、更に特急「金星」の臨時列車も客車(座席)で運行されていた。
東北新幹線開業の影響がここに出ていたとは。今なら上野東京ラインで(ないない)。
酒田駅で20系の急行あおもりをみたことがありました。
急行あおもりだとJR時代で20系客車を使用して時代が印象に残っている車掌室が付いてる車両がなかなか丸いタイプで来なかったからだ
東京上野は通過なのに品川は止まるんだ
夜行普通ながさき・SLやまぐち号・快速みえ以外にも都道府県名の列車ってあったんだ、割と最近まであったのに影が薄いな。
いわて号(東北本線の定期急行)、あきた号(臨時。ダイヤはあおもり号と同じで秋田まで)、みやざき号(定期で門司港~宮崎、そこから普通で西鹿児島。後の急行日南やドリームにちりんの前身。)もありました。JRになったあとはホームタウンとちぎやおはようとちぎもありました(なすの号が新幹線の名称になったため)
意外と多くあったんですね。
@@TSUYOS185あきた号は平成2年の暮れ正月に新宿発で運転されてる
名古屋~青森間の運転ならば直江津までは中央本線・篠ノ井線・信越本線経由、つまり松本・長野経由でもよさそうな気もしますが、当時は需要が少なかったのでしょう。
成り行きによっては、二つのルートが統合して、環状運転になっていた可能性が有ったのかも?
たしか全車指定席や寝台列車だったので、周遊券で乗れましたが急行券も必要だったので利用者はそんなに多くはなかっはずです。
東北自動車道🛣が開通する前なので車内は帰省客の方言が聞こえていたと思われる💕
名古屋→青森の後はどうなったんでしょうか?
静岡から米原、日本海縦貫線経由とは……通し乗車してみたくはなります。
東京経由が青森に早朝着とか昼着とか妙に中途半端な時間帯だったのは東京でラッシュ時間帯を避けたからかな?
1998年時点でも青森は運転されてます583での就学両行臨として
もうこんな列車出ない。分割の弊害で自由に長距離列車を組めない。国鉄時代の方が規制が緩かったと思うのは私だけだろうか。分割民営化は失敗した
組めないじゃあなくて需要無いからやらないだけや
@@apland1438今じゃのぞみとはやぶさの乗り継ぎで5時間で着くもんな
@@apland1438需要は作られて生まれる面もある。
民営化しても一社のままだったら、今みたいな利害調整はあまり必要無かった。
@@シャナ-x7c敦賀ほどではないが、東京の乗り継ぎが不便だな。
青梅ライナーや中央ライナー510円からの特急【おうめ】や【はちおうじ】760円~1020円に殺意おぼえたやん(# ゚Д゚)ライナーやと720円でグリーン車や!!!中央線にグリーン車できるさかい値上げしました~いまだ営業しとらんわwwwそんなら京王ライナー410円使うわ(*'▽')東日本さん勉強せぇへんとな
中学生の時に急行「あおもり」のヘッドマークを自作して、静岡駅に持っていき、運転士さんにお願いをして、EF58の先頭に付けさせてもらい、写真を撮りました。懐かしいです。
名古屋、静岡ー青森間のあおもり号は東北から静岡のみかん農園に出稼ぎにきてた人たちの
帰省列車なんで特殊な列車なんです
登場当初の急行あおもり号(1968年~1969年の年末年始と1969年のお盆と1969年~1970年の年末年始)は、東京駅と上野駅にも停車していたようです。
急行料金でこんなふうにどこまでも乗せ続けてくれるなんて、今となってはなんて贅沢な
1986年8月11日が北陸まわりの最終運転日だったんですか・・・。私もこの日の乗車を紹介しましたが、これが最後だっとは初めて知りました。結構な乗車率で、需要はまだあったように感じました。長時間停車が多くて20時間4分で運転していました。名古屋発の北海道ワイド周遊券で乗車しましたが、検札時に何も言われませんでした。東京に住んでいると馴染みがないルートだったので、信越線を上越線経由だと思い込んでいたりしましたが、見知らぬ所を進むのでワクワクしました。
この日のレポートを紹介したところ、20時間の座席車は辛かったでしょうと言われましたが、長時間停車がいい休憩になって、辛さはあまり感じませんでした。この列車の情報がネットには少ないですね。貴重な情報、ありがとうございました。
民営化直前まで残っていたのはすごいですね
寝台時代のあおもり号は、閑散期でも北海道からの修学旅行のためスジとして残っていました。
友人も北海道から京都に着くまで24時間かかったよ言っていました。
静岡駅始発では無く浜松駅始発であったならば、浜松市とその近郊に現在も存在する世界的なバイクメイカーや楽器メーカー等に集団就職した青森県内出身者向け帰省列車だと早合点したのですが、静岡駅始発では運転理由が解らなかったのですが、青森県内農家の皆様方が冬季出稼ぎ先として、同じ農家で冬季に収穫のピークを迎えて人手が必要なみかん農家への助っ人をかって出た所に、年末年始休暇で一時帰省する目的の臨時急行あおもり号だったとは!目から鱗が落ちる思いです。
やがて日本人の嗜好変化とバブル景気真っ只中で輸入果物全盛期を迎えた1986年に、臨時急行あおもり号が廃止を迎えたのも納得出来ました。
ワイド周遊券使えたはずです。急行・夜行・周遊券の3点セットは、90年代半ば頃まで鉄道旅行の心強い味方でした。
東海地方と東北地方の繋がりといえば、新日鉄がある愛知県東海市と岩手県釜石市の繋がりが有名ですね
東海市周辺には岩手県出身者が多いので
臨時寝台特急日本海51号が20系ハネで運転されていましたが、いつからか臨時寝台急行あおもり号になりました。特急料金と急行料金の差額分だけ値下げされてありがたかったです。
1993年に京都からの修学旅行帰りで、当時の臨時急行あおもりのスジを
運行した団体貸切の寝台列車(三段寝台 上段だったかと)に乗りました。
京都→弘前で乗車(約14時間)だったと思います。
オフシーズンだと京都・大阪方面と秋田・青森方面の間の修学旅行団体利用とかで
運用していたのかな?(1編成で350人は可能だし、共学だと中間車両1両が
教員の車両にすることで見回りとか楽だったとか・・・)
急行あおもりと言えば1990年代から2000年代に20系、583系で大阪~青森間で運転された臨時列車を思い出します。今では日本海縦貫線も第三セクター化され長距離列車が行き交っていた時代も過去の彼方に押しやられてしまいました。
こちらは20系車両で運行されていた特急「日本海81、82号」が
20系客車の陳腐化により急行「あおもり」に格下げされたものですね
「玄海」や「雲仙」など似た措置がJR発足直後には取られましたが
「あおもり」は583系置き換えの上で長く残った点が特筆されます
私も高校の修学旅行で乗ったことがあります。
若い鉄道マニアですがはちおうじとかおうめとか可愛くて好きですw
当時は東海地区と東北を直結する臨時帰省需要があったのですね。
まぁ、集団就職というと「東北・北海道」→「首都圏」「中四国・九州」→「京阪神」というイメージがあったけど、「東北・北海道」→「京阪神」というのもありましたからね。
某巨大自動車メーカーの工場に就職された方も利用されていたのでしょう。
車を作る工場の従業員の方々が列車で帰省というのも時代の移り変わりを物語るエピソードですね。
同じく、この前72年の時刻表を読んだ時に、東京駅通過の急行列車の存在を知り驚いたわ。名古屋や清水発の東北方面行き列車とか今では考えられないよね。
0:08
昭和の時代、地名を列車の名称にするのはよくあったな。急行が地名で特急は動植物の名前が多かった。
例えば信州、妙高、佐渡、松島、ざおうという急行があって、同じ区間をあさま、とき、ひばり、つばさという特急が走ってた。
臨時急行あおもり号の運転区間が大阪ー青森間日本海縦貫線経由に経路変更されました。繁忙期に寝台特急日本海号の補完列車として運転していました。
1号が東京・上野通過なのに土浦止まるの意外です
品川からEF80に機関車を取り替えていたのも珍しいですね。
東京・上野は定期列車で一杯だったので、客扱いをする余裕がなかったのでしょう。一方、品川駅は当時はまだそこまで規模が大きくなく、ホームに余裕があったので停車したのでしょう。
北海道ワイド東京発
1;東北(含む常磐)、2;東北奥羽、3;高崎上越信越羽越奥羽
名古屋発
1:東海道*東京発、2:中央西篠ノ井信越羽越奥羽、3;東海道北筑信越羽越奥羽
東京、上野通過が特殊と思われるが
繁忙期に品川始発で東北方面へ臨時列車が出ていた時期もそのような措置が取られたことはある
あまりにも混雑する駅なのであえて通過して列車ごとに需要を分けていたと思われ
今回の内容と関係ないですが、東京駅を通過する貨物列車がありました。上野〜東京の線路が切られたことで、なくなったようです。
@@yn5066
戦前から東北常磐方面より
東京市場駅(築地市場)に入る貨物は
東京駅を通過していたそうですな
単線だったので旅客化されても
そんなに本数は増やせなかったそうで
人に聞いた話ですが、東海道本線経由の急行あおもりが走ってた頃の東京〜上野間は単線だったらしいです。
複線ではあったが、片方が事実上の留置線と化していたから単線で運行せざるを得なかったが正しいみたいです。
@@シャナ-x7c そうなんですね。ありがとうございます。
国鉄最高です
おお、かつての白鳥かと思ったら、まだその上があったのですね。
画像5は瀬峰駅-田尻駅間でしょうか、懐かしい風景です。
4号車の時間帯が一番いいな!
これだけの長時間なら食事事情が気になるな!
途中駅で駅弁が販売されていただけではなく車内販売の方が乗務されていたことと思います。
今のサンライズの臨時列車は大きな駅は停車時間は短く、かつ小さな駅で運転停車を繰り返しています。
乗車前に二食(三食?)分買わなければならないのは驚きですね。それでも寝台列車に長く乗れるということで人気はピカ一です。
関西に住んでいると
東北上越新幹線は埒外なのですが
色々なロマンをうんでいたのですね〜🎉
昭和51年末の時刻表で、確か帰省の臨時列車で記載されていたのを見た記憶がある。また東海道本線では同じく急行の「銀河」、更に特急「金星」の臨時列車も客車(座席)で運行されていた。
東北新幹線開業の影響がここに出ていたとは。今なら上野東京ラインで(ないない)。
酒田駅で20系の急行あおもりをみたことがありました。
急行あおもりだと
JR時代で20系客車を使用して時代が
印象に残っている
車掌室が付いてる車両がなかなか
丸いタイプで来なかったからだ
東京上野は通過なのに品川は止まるんだ
東京・上野は定期列車で一杯だったので、客扱いをする余裕がなかったのでしょう。一方、品川駅は当時はまだそこまで規模が大きくなく、ホームに余裕があったので停車したのでしょう。
夜行普通ながさき・SLやまぐち号・快速みえ以外にも
都道府県名の列車ってあったんだ、割と最近まであったのに影が薄いな。
いわて号(東北本線の定期急行)、あきた号(臨時。ダイヤはあおもり号と同じで秋田まで)、みやざき号(定期で門司港~宮崎、そこから普通で西鹿児島。後の急行日南やドリームにちりんの前身。)もありました。JRになったあとはホームタウンとちぎやおはようとちぎもありました(なすの号が新幹線の名称になったため)
意外と多くあったんですね。
@@TSUYOS185
あきた号は平成2年の暮れ正月に新宿発で運転されてる
名古屋~青森間の運転ならば直江津までは中央本線・篠ノ井線・信越本線経由、つまり松本・長野経由でもよさそうな気もしますが、当時は需要が少なかったのでしょう。
成り行きによっては、二つのルートが統合して、環状運転になっていた可能性が有ったのかも?
たしか全車指定席や寝台列車だったので、周遊券で乗れましたが急行券も必要だったので利用者はそんなに多くはなかっはずです。
東北自動車道🛣が開通する前なので車内は帰省客の方言が聞こえていたと思われる💕
名古屋→青森の後はどうなったんでしょうか?
静岡から米原、日本海縦貫線経由とは……通し乗車してみたくはなります。
東京経由が青森に早朝着とか昼着とか妙に中途半端な時間帯だったのは東京でラッシュ時間帯を避けたからかな?
1998年時点でも青森は運転されてます
583での就学両行臨として
もうこんな列車出ない。
分割の弊害で自由に長距離列車を組めない。
国鉄時代の方が規制が緩かったと思うのは私だけだろうか。
分割民営化は失敗した
組めないじゃあなくて需要無いからやらないだけや
@@apland1438
今じゃのぞみとはやぶさの乗り継ぎで5時間で着くもんな
@@apland1438
需要は作られて生まれる面もある。
民営化しても一社のままだったら、今みたいな利害調整はあまり必要無かった。
@@シャナ-x7c
敦賀ほどではないが、東京の乗り継ぎが不便だな。
青梅ライナーや中央ライナー510円からの
特急【おうめ】や【はちおうじ】
760円~1020円に殺意おぼえたやん(# ゚Д゚)
ライナーやと720円でグリーン車や!!!
中央線にグリーン車できるさかい値上げしました~
いまだ営業しとらんわwww
そんなら京王ライナー410円使うわ(*'▽')
東日本さん勉強せぇへんとな