「沖縄」昭和な竜宮通り・桜坂・神里原
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- เผยแพร่เมื่อ 23 พ.ค. 2023
- 沖縄の社交街、本土でいうところの歓楽街である。戦後、米軍キャンプ周辺に米兵用の慰安所として設立されることが多かったようです。性の防波堤の意味合いや治安の維持、性病などの蔓延でオフリミッツ(立入禁止)になるなどしましたが、戦後の沖縄経済を担いました。
#桜坂社交街 #沖縄 #竜宮通り #神里原社交街
音楽:DOVA-SYNDROME
参考
沖縄アンダーグラウンド(講談社)藤井誠二著
戦後沖縄における基地周辺の「歓楽街」
www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-r...
沖縄 オトナの社会見学
www.akishobo.com/akichi/okina...
サンエーの前進となるお店も、神里原からのスタートだそうです。
相当な活気だったようですね😊情報をありがとうございます。
90年代までの那覇(特に国際通り)にはほとんど観光客はなかった。みんなそれなりに貧しかったけど、混沌としてて活気があり元気だった。
今は・・・観光客ばかりになり、土地の値段は爆上がりし市民はどんどん郊外にでていったり、廃業するしかない。確かに豊かにはなったかも知れない。でも貧富の差は歴然としてきた。
昨今は日本全国の観光地で同じような状況な気がします!? もしくは過疎化しているか・・・
祭りのあとのような寂しげな街並みになってますが、桜坂劇場はまだまだ元気そうですね。
桜坂劇場はとても綺麗でおしゃれな感じでした、周辺がどのように変わっていくのか興味津々です☺
農連市場近くを歩いていたら周りとまるで違う空気のスナックのような店が入ってる建物が気になってました、、、それが神里原の名残だったんですね、、、、ありがとうございました。
当時は相当な規模だったようですね、まだ名残があるのは奇跡的ですね😄コメントありがとうございます。