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こういう変な時は対偶を考えると分かりやすいかも?「6が素数でないなら円周率は3以上」はもちろん真なのでその対偶「円周率が3より小さいなら6は素数」も真です
そうかもしれませんね!
「明日晴れたら、遊園地に行こう」これが偽となるのは明日晴れたのに行かなかった場合だけで雨が降って遊園地に行かなかった場合には約束を破ったことにはならないって説明が一番腑に落ちました
それだと自然ですね!
恐らく「雨が降ったのに遊園地に行った場合」について、数学的には真であることが混乱を招く点かと思われます(双条件法が悪い)
なるほど〜すっごいわかりやすい約束が守られるのは、「明日雨または遊園地に行く」で達成か違和感あるけど雨降れば何しても約束達成だもんな
誤った前提からは、いかなる結論も導ける。有名なやつですね。
……と思いましたけれど、円周率が3に満たないような距離体系を考えたらそうでないのかも……。
高校で数Ⅰを習ったはずなのにこの生徒のような主張をする人が、現実にはたくさんいる。
論理演算で考えるべきことではないと思いながら、クイズにしてしまいました。。。
日常言語の「ならば」は非形式論理の範疇であり、数学の論証で用いる「→」は形式論理の範疇にある。数学・論理学が真理・妥当性の探求のために、扱う論理をごくごく狭い範囲に限定し、それ以外を捨てていることを思うと、動画中の生徒をアホだな〜と思っちゃうのは、数学以外の世界のことを数学の世界の考えかたで判定してるってことでもあると思いますよ。(なにせ現在の数理論理学は形式論理であるために演繹法しか扱えませんからね)
自然言語だと「ならば」を「含意」の意味でも「同値」の意味でも使えることが、理解を難しくしている気がします。同値の例「その数がπならば、円周率だ」このとき、その数がπでないのに円周率はおかしなことになります。自然言語では曖昧な「ならば」を、論理学では「含意」「同値」でくっきり区別する、とも言えそうですね。
この問題、日本語以外の言語だとスッキリするんですかね。
Wikipediaで論理含意の日・英・中どのページを見ても、同じような自然言語との乖離について書かれているので、基本変わらなそうですね。ja.wikipedia.org/wiki/論理包含#日常会話との乖離en.wikipedia.org/wiki/Material_conditional#Discrepancies_with_natural_languagezh.wikipedia.org/wiki/实质条件#同其他条件陈述的比较
私はハゲではない→地球は平面ではないが真なら、その対偶の地球は平面である→私はハゲであるも真という
成り立ってますね。。。
昨日が人類絶命の日であるなら、橋本環奈は俺の嫁
😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂
我々は違和感を持つ。
お前のものはおれのものなら橋本環奈はおれの嫁
なんという悲しき証明かな😢
含意の振る舞いが自然言語「ならば」の振る舞いと微妙に異なることを認識して、無理に解釈せずに機械的に操作するのが重要だと思いますね。様相論理の厳密含意を知ったときは、「これこそが僕らの『ならば』だ!」と感動したのを覚えてます。(ただ、今考えると、厳密含意は厳密含意で真を返す条件が厳しすぎて、逆に自然言語の柔軟性を表現できないような気もします。)
数学科入って一番最初にやったなぁ論理。懐かしい
いい思い出ですね!
対偶を考えたら納得するかなあ「6が素数でないなら円周率は3は超える」→これは真とすぐ分かるで対偶が真なら命題は真と
3以上だと思います
当方、現役の数学科ですが初めのうちは含意の意味が分からなかった記憶があります結局、日常生活における日本語と数学における日本語は違うと考え、定義そのものを受け入れた記憶があります
誤った仮定から誤った結論が導かれる。何もおかしくないですね。
意味深な出題ですね!
「意味深」はクイズのほうですかね?
@@マルチーズ先生のやさしい東大数 返信ありがとうございます!私はサムネの方でそう感じました。色々考えるきっかけになって面白かったです!
対偶の真偽は一致する。6は素数でない→円周率は3より大きいは成りたつ
細かいですが、3より小さいの否定は3より小さくはないではないのですか?
@@モノ-u8cたし🦀
つまり、実態はπが3以上(超過ではない)であることの単なる証明問題と。6「俺いる意味ある?内接正六角形以外で」
でも「6が素数であるならば円周率は3以上である」の対偶である「円周率が3より小さいならば6は素数では無い」も真だよね
「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」最後の文章は言い換えるとコレだな
「明日晴れたら、遊園地に行こう」だと、明日晴れるケースも晴れないケースも存在するのに対して、「円周率が3より小さいならば」は、実際には確率ゼロなので、そこが条件として違和感を持ちやすいポイントかもね。あと、「ならば」という日本語が、一般には因果関係を示唆するような言葉であることも。数学でなく日本語としてなら、「円周率が3より小さい世界は、6が素数ではない世界に含まれる(重なっている)」と言われると、納得しやすい?世界という言葉がまたややこしいけれど。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にも論理演算が用いられてましたね。
哲学と数学の関係、興味深いですね!
これってみんなを納得させるベストアンサーないよね。いろんな例え話あるけど、完璧と思えるものに未だ出会わないという😂
通常使う言語とのギャップがありますよね。
空虚な真、vacuous truthという概念に当たる問題か。
そうですね!
2:27 プログラミングでよくやりますが、互いにFalseになるって考えるとTrueになるな〜って納得いきますね
もうなんか、日本語不信になってきました。
数学不信にはならないでくださいね!
なんとなく一連の「言い換えても不自然でありません」の中に平行線の公理のような公理があるような気がする。
6「仮定が偽の命題は全て真と言うけどさあ…「俺が素数か否か」と「円周率の大小」に何の関係があるんだよぉ…。」
高校数学でやった集合とか命題を難しくした感じか
そうですね。大学入試ではあまり出題されないですけどね。
どっちかというと国語
シン・命題😅
この映画のシリーズは好きです。
「5000兆円もらったら」とかありえない仮定したらなんでも言えると思えば、おかしくはないな。
その例え、分かりやすいですね!
古典論理学(ニ値論理)の限界を示す例ですね。
前提が偽なら全体の命題は真になると言う奴。「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう」もそれの一種
誰もが知っている良い例ですね!
整数nについてn^2+1=0ならばn=1である。これが正しい文章だと分かる高校生は1%もいないと思いますね。
この命題が成り立つなら、この命題は成り立つ
最後の「先生は正しく」という表現は誤解を招きますね。勉強しないでも受験に受かる可能性があるからです。正しくは「「勉強をしたら受験に落ちる」ならば「勉強しないならば受験に落ちる」は偽」という生徒の命題は偽である、です。先生の命題の真偽は決定してないです。
ご指摘有難うございます。自分も動画作成後にその部分に気づきました。(クイズということで修正しませんでしたが。)
仮定が偽ならどんな命題も真
WIISの論理演算の記事を参考にされてるのかな?言い回しが凄く似てて思い出しましたクイズの直感的な解答としては、「勉強をしない」場合の合否にしか言及していないのだから、「勉強をした」場合についてはそも言及していない、預かり知らない、と説明できますね(なので先生が正しいというよりは生徒の例は反例にはならない、と言うべき?)
そうなんです。動画作成後に気になったのですが、そのままUPしてしまいました。
対偶を取るのが基本かな。『PであるならばQである』↔『Qでないならば、Pでない』と書き換えれば、すぐに証明できる。高校時代の数学的帰納法を使う時の基本ですよね。
十分条件が偽のとき必要条件は問答無用で真となるの, 命題の罠すぎる一応対偶で示すことはできるはできるけど...
もし「6は合成数である」だったら、対偶に逃げることも出来ないので、大変そうですね。
@@自由律俳句とかいう無法地 やるなら背理法ですかね...十分条件が偽の場合使って良いのか...?だめそう, 否定にしたらそれで命題が真になるか...
そもそも定義だから示すものじゃないななぜ妥当な定義なのか納得したいならそういうのもありかもしれないが、思うに他の真偽値の演算が全部埋まってるから仕方なく⇒をそう定義したんじゃないか?例えば、偽⇒偽を偽にしたいなら、それは⇒ではなく必要条件の真偽を選べばいい偽⇒偽を偽に、偽⇒真を偽したいなら、∧論理積が妥当みたいな感じで、じゃあ⇒定義するならこれしかないなって感じになる
@@自由律俳句とかいう無法地 「円周率が3より小さいならば6は合成数である」という命題の話であれば、前提条件使わずとも「6は合成数である」を示せば終わりですよ。あるいは対偶とるなら「6が素数ならば円周率が3以上である」となり、こちらも前提条件使わずに「円周率が3以上である」を示せば終わりです。
ややこしい話になるから理解できなくてもいいけど,「ならば」の定義が『そうなっている』のは古典論理も直観主義論理も同じ.古典論理の場合は動画のように論理演算(普通はブール代数や二値論理代数という)の真理値表(真偽表)を各演算ごとに齟齬なく一意的に作ることができる.しかし,直観主義論理の場合は,数理論理的な基本的な要請を満たした意味での真理値表は,有限の要素の値からなる真理値表では一意に表現できないことが知られている.(証明の中核部分はゲーデルによる.)言い換えれば,数学の普通の意味での,いかなる n における有限 n 値論理でも真理値表を作ることができず,直観主義論理は数理的な形式論理としては,ある種の無限多値論理とみなせるものになる.(そうではない解釈によって多値論理とみなせる方法もあるが,通常の数学では考えない.)「ならば」がこのように定義(このような「ならば」の定義を「実質含意」という),あるいは整備されるに至ったのは,数学的(あるいは自然現象を記述するための)論証をつぶさに観察して整合をとった結果えられたのであって,真理値表の概念獲得に至る道筋とは独立していると考えられる.古典論理も直観主義論理もどちらも「無矛盾」でかつ「可能な限り完全」であることを目指して整備されている.また人間が行う証明(あるいは推論)を表現するための規則や演算として,「含意」を形式化して取り入れようという発想は自然だったろう.そういった試行錯誤の中で,先人たちが数学を行う上での「含意」の整合的な解釈として「実質含意」を選んだといえる.
免許試験の問題は意地悪ですよね
まあカラスは空を飛べるかに対してスズメも空を飛べるので間違いって言ってるようなもんだからな
私がピッコロならば、あなたはベジータである。
もう日本語からして意味わからんわ笑うしかない\(^o^)/
何だろう。言っていることは正しいはずなのになんか騙された気分になる。
前提が間違っていれば何を主張してもOK日本のマスコミ等の得意手法なので日常生活にも役に立ちますw
「安全が確認できたならば、原発を再稼働させる」という公約が例として出ていました。この場合、安全が確認されてない時に、原発を再稼働させてもさせなくても真となります。政治家が使う手法!?
すげー
考えるまでもない。当然、真や😆😆😆
さすが!
「勉強しない人は受験に落ちる。」は、これで「1つの命題」なので、2つの命題に分割するのは不可能だと思います。
自然な会話になるようにしましたが、「あなたが勉強しないならば、あなたは受験に落ちる。」だと2つの命題に分けられますかね。
@@マルチーズ先生のやさしい東大数 なるほど、それなら納得しました!回答ありがとうございます!!
円周率が3より小さい時、6が素数である証明π=0とする(πと異なっていればなんでもいい)∫[0〜π]sinxdx = 1 また∫[0〜0]sinxdx = 0 より0=1よって6=2 2は素数なので6も素数円周率をπの真の値以外で定義した瞬間に矛盾が発生して普通の数学が成り立たなくなる例によって1=0が導けるのでそのあとはやりたい放題やってどんな命題も真に導ける
1=2の証明にも使えそう
これで円周率が3よりも大きいことが示せるというわけか。
あと先生が言ってるのは受験に受かった者の中に勉強してないやつはいないって言ってるだけだこら落ちたもののことを言っていないと考えたら行ける?
よりも大きいじゃなくて以上でしたね
こういう変な時は対偶を考えると分かりやすいかも?
「6が素数でないなら円周率は3以上」
はもちろん真なのでその対偶
「円周率が3より小さいなら6は素数」
も真です
そうかもしれませんね!
「明日晴れたら、遊園地に行こう」
これが偽となるのは明日晴れたのに行かなかった場合だけで
雨が降って遊園地に行かなかった場合には約束を破ったことにはならない
って説明が一番腑に落ちました
それだと自然ですね!
恐らく「雨が降ったのに遊園地に行った場合」について、数学的には真であることが混乱を招く点かと思われます(双条件法が悪い)
なるほど〜すっごいわかりやすい
約束が守られるのは、「明日雨または遊園地に行く」で達成か
違和感あるけど雨降れば何しても約束達成だもんな
誤った前提からは、いかなる結論も導ける。有名なやつですね。
……と思いましたけれど、円周率が3に満たないような距離体系を考えたらそうでないのかも……。
高校で数Ⅰを習ったはずなのにこの生徒のような主張をする人が、現実にはたくさんいる。
論理演算で考えるべきことではないと思いながら、クイズにしてしまいました。。。
日常言語の「ならば」は非形式論理の範疇であり、
数学の論証で用いる「→」は形式論理の範疇にある。
数学・論理学が真理・妥当性の探求のために、扱う論理をごくごく狭い範囲に限定し、それ以外を捨てていることを思うと、
動画中の生徒をアホだな〜と思っちゃうのは、数学以外の世界のことを数学の世界の考えかたで判定してるってことでもあると思いますよ。
(なにせ現在の数理論理学は形式論理であるために演繹法しか扱えませんからね)
自然言語だと「ならば」を「含意」の意味でも「同値」の意味でも使えることが、理解を難しくしている気がします。
同値の例「その数がπならば、円周率だ」
このとき、その数がπでないのに円周率はおかしなことになります。
自然言語では曖昧な「ならば」を、論理学では「含意」「同値」でくっきり区別する、とも言えそうですね。
この問題、日本語以外の言語だとスッキリするんですかね。
Wikipediaで論理含意の日・英・中どのページを見ても、同じような自然言語との乖離について書かれているので、基本変わらなそうですね。
ja.wikipedia.org/wiki/論理包含#日常会話との乖離
en.wikipedia.org/wiki/Material_conditional#Discrepancies_with_natural_language
zh.wikipedia.org/wiki/实质条件#同其他条件陈述的比较
私はハゲではない→地球は平面ではない
が真なら、その対偶の
地球は平面である→私はハゲである
も真という
成り立ってますね。。。
昨日が人類絶命の日であるなら、橋本環奈は俺の嫁
😂😂😂😂😂😂😂😂😂😂
我々は違和感を持つ。
お前のものはおれのものなら橋本環奈はおれの嫁
なんという悲しき証明かな😢
含意の振る舞いが自然言語「ならば」の振る舞いと微妙に異なることを認識して、無理に解釈せずに機械的に操作するのが重要だと思いますね。
様相論理の厳密含意を知ったときは、「これこそが僕らの『ならば』だ!」と感動したのを覚えてます。(ただ、今考えると、厳密含意は厳密含意で真を返す条件が厳しすぎて、逆に自然言語の柔軟性を表現できないような気もします。)
数学科入って一番最初にやったなぁ論理。懐かしい
いい思い出ですね!
対偶を考えたら納得するかなあ
「6が素数でないなら円周率は3は超える」→これは真とすぐ分かる
で対偶が真なら命題は真と
3以上だと思います
当方、現役の数学科ですが初めのうちは含意の意味が分からなかった記憶があります
結局、日常生活における日本語と数学における日本語は違うと考え、定義そのものを受け入れた記憶があります
誤った仮定から誤った結論が導かれる。何もおかしくないですね。
意味深な出題ですね!
「意味深」はクイズのほうですかね?
@@マルチーズ先生のやさしい東大数 返信ありがとうございます!私はサムネの方でそう感じました。色々考えるきっかけになって面白かったです!
対偶の真偽は一致する。
6は素数でない→円周率は3より大きい
は成りたつ
細かいですが、3より小さいの否定は3より小さくはないではないのですか?
@@モノ-u8c
たし🦀
つまり、実態はπが3以上(超過ではない)であることの単なる証明問題と。
6「俺いる意味ある?内接正六角形以外で」
でも
「6が素数であるならば円周率は3以上である」
の対偶である
「円周率が3より小さいならば6は素数では無い」
も真だよね
「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
最後の文章は言い換えるとコレだな
「明日晴れたら、遊園地に行こう」だと、明日晴れるケースも晴れないケースも存在するのに対して、
「円周率が3より小さいならば」は、実際には確率ゼロなので、そこが条件として違和感を持ちやすいポイントかもね。
あと、「ならば」という日本語が、一般には因果関係を示唆するような言葉であることも。
数学でなく日本語としてなら、「円周率が3より小さい世界は、6が素数ではない世界に含まれる(重なっている)」と言われると、納得しやすい?
世界という言葉がまたややこしいけれど。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にも論理演算が用いられてましたね。
哲学と数学の関係、興味深いですね!
これってみんなを納得させるベストアンサーないよね。
いろんな例え話あるけど、完璧と思えるものに未だ出会わないという😂
通常使う言語とのギャップがありますよね。
空虚な真、vacuous truthという概念に当たる問題か。
そうですね!
2:27 プログラミングでよくやりますが、互いにFalseになるって考えるとTrueになるな〜って納得いきますね
もうなんか、日本語不信になってきました。
数学不信にはならないでくださいね!
なんとなく一連の「言い換えても不自然でありません」の中に平行線の公理のような公理があるような気がする。
6「仮定が偽の命題は全て真と言うけどさあ…「俺が素数か否か」と「円周率の大小」に何の関係があるんだよぉ…。」
高校数学でやった集合とか命題を難しくした感じか
そうですね。大学入試ではあまり出題されないですけどね。
どっちかというと国語
シン・命題😅
この映画のシリーズは好きです。
「5000兆円もらったら」とかありえない仮定したらなんでも言えると思えば、おかしくはないな。
その例え、分かりやすいですね!
古典論理学(ニ値論理)の限界を示す例ですね。
前提が偽なら全体の命題は真になると言う奴。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう」
もそれの一種
誰もが知っている良い例ですね!
整数nについてn^2+1=0ならばn=1である。
これが正しい文章だと分かる高校生は1%もいないと思いますね。
この命題が成り立つなら、この命題は成り立つ
最後の「先生は正しく」という表現は誤解を招きますね。勉強しないでも受験に受かる可能性があるからです。
正しくは「「勉強をしたら受験に落ちる」ならば「勉強しないならば受験に落ちる」は偽」という生徒の命題は偽である、です。先生の命題の真偽は決定してないです。
ご指摘有難うございます。自分も動画作成後にその部分に気づきました。(クイズということで修正しませんでしたが。)
仮定が偽ならどんな命題も真
WIISの論理演算の記事を参考にされてるのかな?
言い回しが凄く似てて思い出しました
クイズの直感的な解答としては、「勉強をしない」場合の合否にしか言及していないのだから、「勉強をした」場合についてはそも言及していない、預かり知らない、と説明できますね
(なので先生が正しいというよりは生徒の例は反例にはならない、と言うべき?)
そうなんです。動画作成後に気になったのですが、そのままUPしてしまいました。
対偶を取るのが基本かな。
『PであるならばQである』↔『Qでないならば、Pでない』と書き換えれば、すぐに証明できる。
高校時代の数学的帰納法を使う時の基本ですよね。
十分条件が偽のとき必要条件は問答無用で真となるの, 命題の罠すぎる
一応対偶で示すことはできるはできるけど...
もし「6は合成数である」だったら、対偶に逃げることも出来ないので、大変そうですね。
@@自由律俳句とかいう無法地 やるなら背理法ですかね...十分条件が偽の場合使って良いのか...?
だめそう, 否定にしたらそれで命題が真になるか...
そもそも定義だから示すものじゃないな
なぜ妥当な定義なのか納得したいならそういうのもありかもしれないが、思うに他の真偽値の演算が全部埋まってるから仕方なく⇒をそう定義したんじゃないか?
例えば、偽⇒偽を偽にしたいなら、それは⇒ではなく必要条件の真偽を選べばいい
偽⇒偽を偽に、偽⇒真を偽したいなら、∧論理積が妥当
みたいな感じで、じゃあ⇒定義するならこれしかないなって感じになる
@@自由律俳句とかいう無法地 「円周率が3より小さいならば6は合成数である」という命題の話であれば、前提条件使わずとも「6は合成数である」を示せば終わりですよ。
あるいは対偶とるなら「6が素数ならば円周率が3以上である」となり、こちらも前提条件使わずに「円周率が3以上である」を示せば終わりです。
ややこしい話になるから理解できなくてもいいけど,「ならば」の定義が『そうなっている』のは古典論理も直観主義論理も同じ.
古典論理の場合は動画のように論理演算(普通はブール代数や二値論理代数という)の真理値表(真偽表)を各演算ごとに齟齬なく一意的に作ることができる.
しかし,直観主義論理の場合は,数理論理的な基本的な要請を満たした意味での真理値表は,有限の要素の値からなる真理値表では一意に表現できないことが知られている.(証明の中核部分はゲーデルによる.)
言い換えれば,数学の普通の意味での,いかなる n における有限 n 値論理でも真理値表を作ることができず,直観主義論理は数理的な形式論理としては,ある種の無限多値論理とみなせるものになる.(そうではない解釈によって多値論理とみなせる方法もあるが,通常の数学では考えない.)
「ならば」がこのように定義(このような「ならば」の定義を「実質含意」という),あるいは整備されるに至ったのは,数学的(あるいは自然現象を記述するための)論証をつぶさに観察して整合をとった結果えられたのであって,真理値表の概念獲得に至る道筋とは独立していると考えられる.
古典論理も直観主義論理もどちらも「無矛盾」でかつ「可能な限り完全」であることを目指して整備されている.
また人間が行う証明(あるいは推論)を表現するための規則や演算として,「含意」を形式化して取り入れようという発想は自然だったろう.
そういった試行錯誤の中で,先人たちが数学を行う上での「含意」の整合的な解釈として「実質含意」を選んだといえる.
免許試験の問題は意地悪ですよね
まあ
カラスは空を飛べるかに対して
スズメも空を飛べるので間違いって言ってるようなもんだからな
私がピッコロならば、あなたはベジータである。
もう日本語からして意味わからんわ
笑うしかない\(^o^)/
何だろう。言っていることは正しいはずなのになんか騙された気分になる。
前提が間違っていれば何を主張してもOK
日本のマスコミ等の得意手法なので日常生活にも役に立ちますw
「安全が確認できたならば、原発を再稼働させる」という公約が例として出ていました。この場合、安全が確認されてない時に、原発を再稼働させてもさせなくても真となります。政治家が使う手法!?
すげー
考えるまでもない。当然、真や😆😆😆
さすが!
「勉強しない人は受験に落ちる。」は、これで「1つの命題」なので、2つの命題に分割するのは不可能だと思います。
自然な会話になるようにしましたが、「あなたが勉強しないならば、あなたは受験に落ちる。」だと2つの命題に分けられますかね。
@@マルチーズ先生のやさしい東大数
なるほど、それなら納得しました!
回答ありがとうございます!!
円周率が3より小さい時、6が素数である証明
π=0とする(πと異なっていればなんでもいい)
∫[0〜π]sinxdx = 1 また
∫[0〜0]sinxdx = 0 より0=1
よって6=2 2は素数なので6も素数
円周率をπの真の値以外で定義した瞬間に矛盾が発生して普通の数学が成り立たなくなる
例によって1=0が導けるのでそのあとはやりたい放題やってどんな命題も真に導ける
1=2の証明にも使えそう
これで円周率が3よりも大きいことが示せるというわけか。
あと先生が言ってるのは受験に受かった者の中に勉強してないやつはいないって言ってるだけだこら落ちたもののことを言っていないと考えたら行ける?
よりも大きいじゃなくて以上でしたね