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玲司さん、おはようです。クロニクルは「年代記」と翻訳されるけれど、漫画家 山田玲司先生はボクと同い年ということもあり、玲司さんの視点で語る「日本のカルチャーの変遷」と「日本人のマインドの変遷」を絡めて語られたそれはとっても納得と共感できます。 ポストモダンのキーワードは「現実から逃げろ」と一貫しながらも、時代を映す現実の方は変わり続けたと…。で、「ボクらは何から逃げて来たのか?」と。秀逸です。もしかしたら、玲司さんのこれまで何度も語ってきた「ポストモダンからの逃避」とは、言葉を換えれば「諸行無常」と「生成発展」のことなのでは?と思いついた次第。というのもボクもずーっと頭の片隅で感じ続けていたことだったので…。Xでも1人でも多くの方に観てもらいたくて同様のツイートも投稿しちゃいました。ははw まだまだ寒い日が続きますがどうかご自愛を♪(ジョー)
氷河期ですが、その通りだと思います。70年代の「真剣」から「逃げて」その先に逃げ続けることはできなかった…(70年代のアレも正しいとは言えないし、迷走してたし、いつまでもその夢を追うべきでもないけど)「大人」になることからは逃げられなかったし、また逃げるべきではなかった。だって誰でもいつかは自分が一番大人になる日が来るんだから。山積みの問題と「現実」を大人として正面から誰かがいつかやらねばならなくなる。ここではないどこかに行ってもそのどこかで生活をしなくちゃならないし、結局似たような問題が追ってくる…どこかで…どこかで「現実」に向かい合わなきゃいけないんだ…
世の中の自分が社会に出る前に知っておくべき文脈を義務教育では教えてくれないっていうこれが何よりの悲劇かもな悲劇をちゃんと悲劇として語れる程、大人たちは強くなかったわけだ
世の中のトップが思想や哲学を吸い上げないから社会に反映されない。あいつら気合と根性のヤンキーだから。
体制から逃げるのではなく現実と戦おうとしてるのでは?同人出身の作家が多くの人に受け入れられてキラーコンテンツにしていくことがロマンだと感じてます
坂本龍一と村上龍の「ダブル龍」の関係性を山田氏にいつか考察して欲しいな。二人で何回も対談しているし、その「逃走」が流行ってる時代を横目にそこからずれて行くにはどうするかをずっと考えていた人たちではあっただろうし。既出でこっちがそのコンテンツを見てないだけの可能性もあるが。
・脱構築から構築に 何を構築するのか?すでに構築されているものに縋り付くのか。・ニヒリズムから新しい神の創造へ どんな神なのか?それとも古い神に戻るのか?
ちょうどイデオンとキングゲイナーを観てて、作中の「スペースラナウェイ」や「エクソダス」も富野監督の「逃げろ」というメッセージかもと思いました。富野監督も逃げなかった人ですが。
村上龍も、希望の国のエクソダスって日本から逃げる小説書いてたな
ホリエモンは逮捕実刑で、東芝は不適切会計で誰も逮捕されていませんからねえ。寄らば大樹というのは昔から変わらない
山田先生なら解ってくれると思って書きます、自分は社会や人間関係に対するこの胸のモヤモヤが何なのかずっと考え続けたてたんですが、昨日気づきました、子供の頃ヒーローごっこで怪人や怪獣の役を押しつけられるあの感覚だと体制がどうとかそんな難しい話しではありませんでした
それは演劇場の役であって お前の人生はお前が一人で決められるだろう 何を言ってるんだお前の人生は自由だ 日本では 自由があるんだ仕事に制約があるのは当たり前だよな よーく考えてみろ
てめぇに言ってるわけじやねぇよ外野はすっこんでろカスがちゃんと山田先生にって書いてるだろうが日本語が読めねぇのか
ならば最凶の悪役を演じちゃいましょう。
原作ワンパンマンのガロウ編が同じ事言ってたな
@@Rekisi.Wo.Tadase妖精ウニとさんのがわかりにくいのもあるけど、妖精ウニとさんの言ってるのは、例え話の類でしょあなた例え話が通じないタイプの人じゃない?私は、例え話の類という理解で、妖精ウニとさんの言ってることわかる気がする。
現実から逃避し過ぎた結果、玲司先生が座ってる椅子の右肩が、エヴァの綾波レイが着ている黒いプラグスーツのお尻の部分に見える。
同学年なので、時代認識に於いて大変共感します。美大出身だけど、思想的な状況に対する意識も高かったのですな。
ボードリヤール「消費社会の神話と構造」が当時の雰囲気をよく表してると思います。ニューアカ界隈で読まれたそうです。 セゾンカルチャーの元ネタ。 ポストモダンと消費社会が結びついた楽しい時代でしたね。
人間も自然から生まれたんだけど、人間が拡張し過ぎて真理とか分かっても人間の仕組みでも無くなり能力の限界にもなって来て生きてて苦しくて楽しくない行き詰まってる。老害と言うか答えでもあるんだろうけど助けにもならない同じ人間だから昔は難易度が低いからで。脳細胞の多い子供が何か見つけて次に大人になって神経ネットワークを構築して何か生むんだろうとは思うけど。若者は逃げる必要は基本的にはない間違いを植え付けるともっと失敗する。何も教わらないで成長する子供もいない。人間辞めないなら逃げれない。ずっと考えが繰り返しになってしまいそう。芥川龍之介は小説を開拓しながら作り若手を育成し行き詰まり自殺した人だけど、今そんな人いないだろうし。今は自由言い過ぎなんだろうと思う。自分の事もホントは分かってないのに。今の人間はそう言う状態だからいろいろ山田玲司さんみたいに考えるしかないし、きっかけに話をきいてしまうんだろうな。エヴァンゲリオンもそう言うのがあると思うけど、現実と向き合うのにとりあえずセックスして彼女作れって答えでいいですか?
山田玲司先生には是非とも藤井聡先生と対談して頂きたい。
構造と力の後の逃走論は比較的読みやすい油画学科とかでイラスト描いて、大手ゲーム会社とフォロワーの多い神絵師が目標の学生と、そういった体制から逃げ続ける(画壇以外の)教授の対比の背景はこれなのね一見、若い人の方がお堅い考えを持ってるように見えるし、彼らは「絵を教えてくれない」と口を揃えて言う。しまいには卒業後に「行くのは無駄」。そりゃそうだよね、お互い目標が違う
ここ最近の日本の動きを観察してると、日本人はとにかく癒着がすきというか、癒着そのものが性質なのではというくらいに感じます。お互いに都合のいいとこで妥協しあって、共犯するのが日本の形だなって思います。
マスコミ味付けのニュース見てるだけだろ
世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ (文春新書 )あのジョージ・ソロスを大儲けさせた〝伝説のコンサル〟斎藤ジン初の著書山田先生の話とかなり近かったです
結局のところ、ポストモダンって何ぞやってところに落ち着いてしまった生成系AI等の話を聞きつつ、個人的にまとめると「シンプル化(簡素化)」といったところだろうかただ、工業化による大量生産はモダンだったにもかかわらず、芸術の世界でのポストモダンは芸術を工業化したとも評されるキャンベルスープ缶なわけだ順を追って論理的に考えれば、別物なのだから別と考えらばいいだけだがこのちぐはぐさは面白いさて、逃げるについてはシンプル化した結果、最も自由度(逃げる余裕)が生まれる選択が大企業であり、家族や友人からの離脱だったのではないかと思う霞を食うことはできないわけで中小個人でジリ貧化し、視野狭窄(貧すれば鈍する)になることも少なくなると考えるのは自然だと思う
元新聞記者の俺に言わせれば、山田さんとたいして年は変わらんが、山田さんが語っているこれって、40年くらい前の話と同じゃね?そのまま40年くらい続いていて、消えてしまったそういう意味では。哲学、ポストモダンとかを出版社がキャンペーンを、今張れば、出版すれば、、、売れねぇだろうなぁ
広場じゃ無いですか?官憲とかバス放火魔とかから😎
お話も楽しく拝聴させてもらいましたが後ろの二枚の絵がなまめかしくて非常に気になります。(笑)
東浩紀さんは確か自分の1つ年下の同世代だったと想いますが、玲司先生も言論や哲学の虚言癖を痛感されたのでしょう、それは全く同感です。70年代のオカルトから始まる非現実的な「逃走」の風潮が、80年代のニューアカブームで、奇妙な理屈化してしまいました。寺山修司のビックリハウスや、宝島もですね。坂本龍一さんと清志郎さんは、現実の体制、権力の横暴と、仰る通り「にげずに戦って」居られました。大塚英志からの「おたく」文化も、オールナイトフジからおニャン子、そして世紀末的になって行った80後半のドグラ・マグラなどの異常、変態ブームもですね。ここで触れられておられませんが、バブル崩壊後の90年代に、グラバー、チーマー、宮台真司さんが浅田彰さんと賛美した、援助交際、そして深刻な、幸福の科学やオウムなどの新興宗教、そのような「逃げろ」が犯罪として顕在化しますね。その後のホリエモンやひろゆきなどのIT以降まで、総括的に、所謂、ポストモダンを解説されたと想いました。現実と向き合わない、嘗ての「大人」たちは高齢化し、その下に、氷河期世代が抑圧されている構造は、未だに権力構造として根強く、玲司先生の表現では「闘う」、私の言葉で申し上げれば「撤去」しなければならない老害たちの弊害が、続いています。当初、浅田彰さんたちの目指したのは、この国家権力構造の中心を為す、家父長制度の解体を、現実の行動に移す言葉、スローガンとしての「逃走」でしたが、それが単なるペダントリーと化したのが、ポストモダンの言論・言説・哲学であったと想います。敬具
「逃走論」逃げろ~ 今でも逃げろ~ で逃げてどこ行く・どこへ行ける? 逃げれてない自分気気付けば50代スキゾキッズ まさにニューアカ世代。若い人には逃げてほしい。けどやけに保守的で変にマジメ
人生から逃げるんじゃない😡😡😡😡
ポストモダンとは何か?モダンとは最先端のこと、いわば新奇なものいう意味の言葉。だから、ポストモダンなんてなくて、モダンが続いているだけだ、と1993年当時に先生から答えてもらったことを覚えています。また、脱構築はデリダの造語ですが、その趣旨は近代主義から逃げるというよりも、ロゴス主義をラディカルに批判していくという、歴史そのものを超越するような思想=究極のモダニズムだと思っています。
逃走と闘争ってか
耐えろ雌伏しろ本気で逃げてどうするwってことなんでしょうね
思想は精神的なケアはしてくれても物理的に食えるもんじゃない。結局は食わないと生きていけない以上、体制の中に入るしかない女性の社会進出が最たる例で体制から逃げたように見えるが逆で、体制の中に更に踏み込んで働かなきゃいけなくなった。体制側に逃げるってのはまさにその通りそれが皆の幸せに繋がればそれで良かったが結果は働くストレスで自殺する男をそのままなぞり、少子化と未婚により親の介護の不安を抱える事になった専業主婦から逃げたのにいつの間にか専業主婦が勝ち組のステータスになり専業主婦いいなあってなる本末転倒な結末を迎えてるAが悪いからBが良いなんてのは所詮は思想の陥る悪い所で逃避先のBが良く見えるだけの話でBになれば良くなるわけではない多様性が理想郷だと騒いだ結果、多様性は糞だとなったのからも学ばないといけない。人間は共同体でやってる以上ある程度の決められたレールは必要で、全員が自分の行きたい方向へ好き勝手に散らばり自分の生き方を助けろと言っても無理な話。思想にうんざりした反動でトランプ大統領がまた台頭し人類は体制の強化の時代に舵をきる事になる
今も皆結婚や出世競争みたいなものから逃げ続けてるね戦ってる人はすごいわ
今までと違うことすると逃げていると指さされるとかいじめですか
ポストモダンはその先が無いよね。
メンバーだけどDR見れないなら考えちゃうな
「近代・モダン」の中には「個人」や「主体」という概念も含まれるため、「旧制度から逃れて個人になれ」という認識は誤解だと思います。むしろ、そのように見出される「主体」が制度性に対して批判的な態度を取ることこそが「脱構築」の本質です。その意味で、山田さんの「無意味だった」という認識は正しく、同時に「無謀な試み」でもあったと言えます。それは、ニーチェが説く「超人」とほぼ同義だからです。また、湾岸戦争時に文学者が出した反戦声明は、日本的ポストモダンの実質的な終了宣言であり、「超人にはなれない」という敗北宣言だったとも言えるでしょう。東さんとの対談を楽しみにしています。
とりあえず山田氏はネトウヨが大嫌いなのは理解した
企業や政治家の「逃げる」「逃げない」と、アーティストの「逃げる」「逃げない」は、同列に語るにはちょっと無理があるんじゃないですかね。
まぁこの人は都合の良い単語を一個引き抜いて、そこから意味のズレたテーマへ話を転がしていき最後は自分が不満に思っていることを主張するっていう芸風ですから。
「逃げる」というフレーズにこだわるあまり、全体的にこじつけ感が強い内容ですね。「制服ブーム」を経済的な勝ち馬に乗る文脈で捉えるのはムリがあるだろうと。
忌野清志郎は、逃げなかったよね。レベルも器も違いすぎて泣けてくる。優しさからくる強さをビンビン感じる。
ソーカル事件でググれ。以上
結局は宇宙の摂理の中でふわりと塵が舞った…いや、それにも及ばないな… それが人類のすべてですよ…そうムキになるな
レイジに興味を持った者は わかるんだって! まぁ聴け!マジで!
感覚の本質論 たまらん 反対派も まぁ レイジは凄いから本当に・・・
玲司さん、おはようです。クロニクルは「年代記」と翻訳されるけれど、漫画家 山田玲司先生はボクと同い年ということもあり、玲司さんの視点で語る「日本のカルチャーの変遷」と「日本人のマインドの変遷」を絡めて語られたそれはとっても納得と共感できます。 ポストモダンのキーワードは「現実から逃げろ」と一貫しながらも、時代を映す現実の方は変わり続けたと…。で、「ボクらは何から逃げて来たのか?」と。秀逸です。
もしかしたら、玲司さんのこれまで何度も語ってきた「ポストモダンからの逃避」とは、言葉を換えれば「諸行無常」と「生成発展」のことなのでは?と思いついた次第。というのもボクもずーっと頭の片隅で感じ続けていたことだったので…。
Xでも1人でも多くの方に観てもらいたくて同様のツイートも投稿しちゃいました。ははw まだまだ寒い日が続きますがどうかご自愛を♪(ジョー)
氷河期ですが、その通りだと思います。70年代の「真剣」から「逃げて」その先に逃げ続けることはできなかった…
(70年代のアレも正しいとは言えないし、迷走してたし、いつまでもその夢を追うべきでもないけど)
「大人」になることからは逃げられなかったし、また逃げるべきではなかった。
だって誰でもいつかは自分が一番大人になる日が来るんだから。
山積みの問題と「現実」を大人として正面から誰かがいつかやらねばならなくなる。
ここではないどこかに行ってもそのどこかで生活をしなくちゃならないし、結局似たような問題が追ってくる…
どこかで…どこかで「現実」に向かい合わなきゃいけないんだ…
世の中の自分が社会に出る前に知っておくべき文脈を義務教育では教えてくれないっていう
これが何よりの悲劇かもな
悲劇をちゃんと悲劇として語れる程、大人たちは強くなかったわけだ
世の中のトップが思想や哲学を吸い上げないから社会に反映されない。あいつら気合と根性のヤンキーだから。
体制から逃げるのではなく現実と戦おうとしてるのでは?
同人出身の作家が多くの人に受け入れられてキラーコンテンツにしていくことがロマンだと感じてます
坂本龍一と村上龍の「ダブル龍」の関係性を山田氏にいつか考察して欲しいな。二人で何回も対談しているし、その「逃走」が流行ってる時代を横目にそこからずれて行くにはどうするかをずっと考えていた人たちではあっただろうし。既出でこっちがそのコンテンツを見てないだけの可能性もあるが。
・脱構築から構築に 何を構築するのか?
すでに構築されているものに縋り付くのか。
・ニヒリズムから新しい神の創造へ どんな神なのか?
それとも古い神に戻るのか?
ちょうどイデオンとキングゲイナーを観てて、作中の「スペースラナウェイ」や「エクソダス」も富野監督の「逃げろ」というメッセージかもと思いました。
富野監督も逃げなかった人ですが。
村上龍も、希望の国のエクソダスって日本から逃げる小説書いてたな
ホリエモンは逮捕実刑で、東芝は不適切会計で誰も逮捕されていませんからねえ。
寄らば大樹というのは昔から変わらない
山田先生なら解ってくれると思って書きます、自分は社会や人間関係に対するこの胸のモヤモヤが何なのかずっと考え続けたてたんですが、昨日気づきました、子供の頃ヒーローごっこで怪人や怪獣の役を押しつけられるあの感覚だと
体制がどうとかそんな難しい話しではありませんでした
それは演劇場の役であって お前の人生はお前が一人で決められるだろう 何を言ってるんだ
お前の人生は自由だ 日本では 自由があるんだ
仕事に制約があるのは当たり前だよな
よーく考えてみろ
てめぇに言ってるわけじやねぇよ
外野はすっこんでろカスが
ちゃんと山田先生にって書いてるだろうが日本語が読めねぇのか
ならば最凶の悪役を演じちゃいましょう。
原作ワンパンマンのガロウ編が同じ事言ってたな
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あなた例え話が通じないタイプの人じゃない?
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現実から逃避し過ぎた結果、玲司先生が座ってる椅子の右肩が、エヴァの綾波レイが着ている黒いプラグスーツのお尻の部分に見える。
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人間も自然から生まれたんだけど、人間が拡張し過ぎて真理とか分かっても人間の仕組みでも無くなり能力の限界にもなって来て生きてて苦しくて楽しくない行き詰まってる。老害と言うか答えでもあるんだろうけど助けにもならない同じ人間だから昔は難易度が低いからで。脳細胞の多い子供が何か見つけて次に大人になって神経ネットワークを構築して何か生むんだろうとは思うけど。若者は逃げる必要は基本的にはない間違いを植え付けるともっと失敗する。何も教わらないで成長する子供もいない。人間辞めないなら逃げれない。ずっと考えが繰り返しになってしまいそう。芥川龍之介は小説を開拓しながら作り若手を育成し行き詰まり自殺した人だけど、今そんな人いないだろうし。今は自由言い過ぎなんだろうと思う。自分の事もホントは分かってないのに。今の人間はそう言う状態だからいろいろ山田玲司さんみたいに考えるしかないし、きっかけに話をきいてしまうんだろうな。エヴァンゲリオンもそう言うのがあると思うけど、現実と向き合うのにとりあえずセックスして彼女作れって答えでいいですか?
山田玲司先生には是非とも藤井聡先生と対談して頂きたい。
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ここ最近の日本の動きを観察してると、日本人はとにかく癒着がすきというか、癒着そのものが性質なのではというくらいに感じます。お互いに都合のいいとこで妥協しあって、共犯するのが日本の形だなって思います。
マスコミ味付けのニュース見てるだけだろ
世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ (文春新書 )
あのジョージ・ソロスを大儲けさせた〝伝説のコンサル〟斎藤ジン初の著書
山田先生の話とかなり近かったです
結局のところ、ポストモダンって何ぞやってところに落ち着いてしまった
生成系AI等の話を聞きつつ、個人的にまとめると「シンプル化(簡素化)」といったところだろうか
ただ、工業化による大量生産はモダンだったにもかかわらず、芸術の世界でのポストモダンは芸術を工業化したとも評されるキャンベルスープ缶なわけだ
順を追って論理的に考えれば、別物なのだから別と考えらばいいだけだがこのちぐはぐさは面白い
さて、逃げるについてはシンプル化した結果、最も自由度(逃げる余裕)が生まれる選択が大企業であり、家族や友人からの離脱だったのではないかと思う
霞を食うことはできないわけで中小個人でジリ貧化し、視野狭窄(貧すれば鈍する)になることも少なくなると考えるのは自然だと思う
元新聞記者の俺に言わせれば、
山田さんとたいして年は変わらんが、
山田さんが語っているこれって、40年くらい前の話と同じゃね?
そのまま40年くらい続いていて、
消えてしまった
そういう意味では。
哲学、ポストモダンとかを出版社がキャンペーンを、今張れば、出版すれば、、、
売れねぇだろうなぁ
広場じゃ無いですか?官憲とかバス放火魔とかから😎
お話も楽しく拝聴させてもらいましたが
後ろの二枚の絵がなまめかしくて非常に気になります。(笑)
東浩紀さんは確か自分の1つ年下の同世代だったと想いますが、玲司先生も言論や哲学の虚言癖を痛感されたのでしょう、それは全く同感です。
70年代のオカルトから始まる非現実的な「逃走」の風潮が、80年代のニューアカブームで、奇妙な理屈化してしまいました。寺山修司のビックリハウスや、宝島もですね。
坂本龍一さんと清志郎さんは、現実の体制、権力の横暴と、仰る通り「にげずに戦って」居られました。
大塚英志からの「おたく」文化も、オールナイトフジからおニャン子、そして世紀末的になって行った80後半のドグラ・マグラなどの異常、変態ブームもですね。
ここで触れられておられませんが、バブル崩壊後の90年代に、グラバー、チーマー、宮台真司さんが浅田彰さんと賛美した、援助交際、そして深刻な、幸福の科学やオウムなどの新興宗教、そのような「逃げろ」が犯罪として顕在化しますね。
その後のホリエモンやひろゆきなどのIT以降まで、総括的に、所謂、ポストモダンを解説されたと想いました。
現実と向き合わない、嘗ての「大人」たちは高齢化し、その下に、氷河期世代が抑圧されている構造は、未だに権力構造として根強く、玲司先生の表現では「闘う」、私の言葉で申し上げれば「撤去」しなければならない老害たちの弊害が、続いています。
当初、浅田彰さんたちの目指したのは、この国家権力構造の中心を為す、家父長制度の解体を、現実の行動に移す言葉、スローガンとしての「逃走」でしたが、それが単なるペダントリーと化したのが、ポストモダンの言論・言説・哲学であったと想います。
敬具
「逃走論」逃げろ~ 今でも逃げろ~ で逃げてどこ行く・どこへ行ける? 逃げれてない自分気気付けば50代スキゾキッズ まさにニューアカ世代。若い人には逃げてほしい。けどやけに保守的で変にマジメ
人生から逃げるんじゃない😡😡😡😡
ポストモダンとは何か?
モダンとは最先端のこと、いわば新奇なものいう意味の言葉。
だから、ポストモダンなんてなくて、モダンが続いているだけだ、と1993年当時に先生から答えてもらったことを覚えています。
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逃走と闘争ってか
耐えろ雌伏しろ本気で逃げてどうするwってことなんでしょうね
思想は精神的なケアはしてくれても物理的に食えるもんじゃない。結局は食わないと生きていけない以上、体制の中に入るしかない
女性の社会進出が最たる例で体制から逃げたように見えるが逆で、体制の中に更に踏み込んで働かなきゃいけなくなった。体制側に逃げるってのはまさにその通り
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ポストモダンはその先が無いよね。
メンバーだけどDR見れないなら考えちゃうな
「近代・モダン」の中には「個人」や「主体」という概念も含まれるため、「旧制度から逃れて個人になれ」という認識は誤解だと思います。むしろ、そのように見出される「主体」が制度性に対して批判的な態度を取ることこそが「脱構築」の本質です。
その意味で、山田さんの「無意味だった」という認識は正しく、同時に「無謀な試み」でもあったと言えます。それは、ニーチェが説く「超人」とほぼ同義だからです。
また、湾岸戦争時に文学者が出した反戦声明は、日本的ポストモダンの実質的な終了宣言であり、「超人にはなれない」という敗北宣言だったとも言えるでしょう。東さんとの対談を楽しみにしています。
とりあえず山田氏はネトウヨが大嫌いなのは理解した
企業や政治家の「逃げる」「逃げない」と、アーティストの「逃げる」「逃げない」は、同列に語るにはちょっと無理があるんじゃないですかね。
まぁこの人は都合の良い単語を一個引き抜いて、そこから意味のズレたテーマへ話を転がしていき最後は自分が不満に思っていることを主張するっていう芸風ですから。
「逃げる」というフレーズにこだわるあまり、全体的にこじつけ感が強い内容ですね。
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忌野清志郎は、逃げなかったよね。
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ソーカル事件でググれ。
以上
結局は宇宙の摂理の中でふわりと塵が舞った…いや、それにも及ばないな…
それが人類のすべてですよ…そうムキになるな
レイジに興味を持った者は わかるんだって! まぁ聴け!マジで!
感覚の本質論 たまらん 反対派も まぁ レイジは凄いから
本当に・・・