ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
私の祖父の弟様が武蔵に乗っておられました。勇敢に戦われたそうです。先月、慰霊の意も込めてプラモデルを購入しました。壮麗な船でした。人は死ぬが行為は残るといった言葉もあるように、美しい物は時代を隔てても語り継がれていくのでしょうね。先人に敬礼。安らかにお眠り下さい。
その戦争から80年経ち、再び日本は戦果をくぐる危険が増大してる先人が命がけで守った日本の領土を頭のイカレた中国人に渡してはいけない中国に日本が占領され日本の技術が渡るという事は世界一の米国の技術も中国に渡ることを意味する
祖父が戦艦武蔵の乗組員でしたが、今回のテーマとも言えるダメコン担当の部署に所属していたそうです。
0:51答えは戦艦武蔵だ・・・と言いながら出る画像がなぜか米戦艦
サウスダコタ級戦艦
渡辺清の『戦艦武蔵の最期』は戦記文学の中でも特に優れた作品なので読んでみてほしい。
日本の誇りだね武蔵はレイテ突入で輪形陣の最左翼に配置され中央にいた大和とは比べ物にならないくらいに航空機からの被弾を受けた武蔵はレイテ沖海戦直前に目立つ鮮やかな塗装に塗り替えれらている事から強靭な耐久力を生かして艦隊の中で意図的に被害担当艦にされたと噂されている魚雷だけで20本 至近弾・直撃弾多数で正確な数は判らない程の被害を受けても尚、戦闘が終了後に数時間は海に浮いていたというからすごい防水能力の船流石、日本の建造技術の粋を集めて作った船と言われるだけの事はある
爆弾を受ける(浴びる)こと = 被弾「被弾を受ける」は「馬から落馬」的な重複表現
信濃の事を鑑みると誇るべきは乗組員の練度だと思うんだけど
他の方も指摘しておられますが、0:51などで「武蔵」として紹介されている艦船の画像が米戦艦「サウスダコタ」(BB57)のものになっています。また、1:51の画像は1941年、宿毛湾沖にて撮影された公試中の「大和」のものです。「武蔵」を撮影した映像のうち現在まで残されているものはかなり少ないのは事実ですが、10月22日にブルネイを出港した際の映像など、残っているものもそれなりにあるわけで、検索と資料調査さえきちんとやっていればこのようなミスは防げたはずですな。尚、17:18の有名な画像ですが、空襲が終わった後、駆逐艦「磯風」艦上から、当時「磯風」水雷長を務めていた白石東平大尉(海兵70期)が撮影したものです。「磯風」は当時第17駆逐隊(「浦風」「浜風」「磯風」及び『伝説の駆逐艦』『帝国海軍随一の幸運艦』『不滅の駆逐艦』として名高い「雪風」)に属し、戦艦「金剛」「榛名」を中心とする栗田艦隊第二遊撃部隊の輪形陣を構成していました。このうち「浜風」は第5波空襲時に被弾して落伍し、同じく被弾した駆逐艦「清霜」ともども武蔵の随伴を命ぜられて艦隊から離脱。最終的に「武蔵」沈没の確認及び生存者の救助にはこの両艦が当たっています。
BB-57
大和型の旋回性の鈍さは舵配置と推進のスクリューを4軸にしたのもあると思う。大和型は主舵と副舵があったが主舵前にあった複舵が船体の大きさの輪に小さい上にスクリュー前方にあったため殆ど役に立たなかった1軸に対し3つの窯室、4軸で12窯あったが実際の戦闘になると左右の窯室は喫水下の装甲に近い為に魚雷の爆破浸水で使えなくなり推進が落ちる。さらにそれによる傾斜で復元の為に反対側に注水するが速力が落ちるとさらに魚雷の命中が増してバラストタンクが一杯になり反対型の窯室に意図的に注水して復元するしかなくさらに速力が落ちるという悪循環に陥り敵機の恰好の的になりやすい。個人的にはドイツ戦艦のビスマルクやテルピッツのように3軸推進でスクリュー後方に配置する2枚舵の方が水流による応答性と窯室配置を喫水下の装甲から距離が取れるので生存率を上げられたのではないかと思う。
大和武藏の姉妹艦で空母化され呉への回航中沈没した信濃も鋲接問題を引き摺っていたのだろう。
信濃の場合は水密区画の試験を省略したことが一番まずかったですね。水密区画が次々に破られる際、シューッシューッと空気が漏れる音が確認されています。加えてアーチャーフィッシュから発射された魚雷の浅深度調節が信濃の舷側アーマー取付受材にとって、最悪だったことも浸水被害を拡大させました。命中した際の深度が上部アーマーと下部アーマーを著しく内側に押し込む深度でした。
武蔵は最後まで防御区画は殆ど抜かれてませんでしたね。魚雷20本以上被雷しても浮いているなんて脅威ですよ。大和と武蔵は日本の誇りです。
確か大和と武蔵の違いは艦橋横の階段が右側にあるのが大和で左にあるのが武蔵だったと思う。
いつだったかのNHKの「戦艦武蔵はなぜ沈んだのか」みたいな番組だと浸水だけじゃなくて二番主砲が爆発したからじゃないか、みたいなまとめがされてました
動画内のパラオから退避する際に、米潜水艦の雷撃を受けて損傷した場面では、祖父は艦首錨の巻上げを担当する部署の当直が終わって、同僚と配置を変わった直後の出来事だったそうです。祖父は生き延びて、同僚は戦死されたそうです。そんな祖父が一昨日、100歳の誕生日を迎えました。武蔵乗組員で存命の方は、今では何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか。
平成初めぐらいに「戦艦武蔵」というドキュメンタリー映画があったと思う。
大和ホテルに武蔵御殿。大砲付き高級宿泊施設
アイオワ級は大和型戦艦同様集中防御式のため、前後の無防御区画の範囲は大和型戦艦と大差なかったはずです。大和型戦艦の魚雷命中によるダメージコントロールは、重巡や駆逐艦から発射された大型魚雷が4本命中しても戦闘を続行することとされており、多数の航空機魚雷が命中することは想定していませんでした。大和、武蔵の対空戦闘時に中距離砲として重宝されたのが15.5cm三連装副砲。対空三式弾を用いた主砲対空射撃の機会は限定的で、多くてもせいぜい3回程度でした。これは時限信管の性能上、最大射程が3万メートルとなってしまったためです(この射程限度は敵艦載機群が大規模編隊を解いてしまう距離ギリギリ)。それに対し、副砲は旋回速度と発射速度が速く、消費弾数も主砲に比べて多かったことが記録されています。なお、捷一号作戦における武蔵の消費弾数で最多は25mm三連装機銃群の12万5000発(と記憶)です。機銃群の一部は連続射撃による銃身冷却が間に合わず、銃身先端のフラッシュハイダーが変形し、射撃不能になっています。動画内での武蔵沈没における被弾・被雷状況は「軍艦武蔵戦闘詳報」に記載されており、吉村昭氏が、建造に関わった当時の職員や、元乗組員を精力的に取材して執筆した小説戦艦武蔵および、その取材過程を記した戦艦武蔵ノートでも記されていますね。信号兵として第二艦橋に勤務していた細谷四郎氏が取りまとめた証言によると「魚雷は左舷前部に集中しており、右舷はずっと少なく後部に5本程度。命中総本数は33本にほぼ間違いない」とされています。また、アメリカ戦略爆撃調査団が実施したクロスチェック(元乗組員と攻撃に参加したパイロットの目撃証言を突き合わせ)によると、確実とされた命中本数は14本となっています。最上甲板の一部まで水面下に没している写真は、駆逐艦磯風から撮影されたものですね。武蔵は大和に信号灯で「我操舵不能、前後進不能。指示を請う」と送信。「駆逐艦清霜と島風を警戒艦としてコロン湾へ後退せよ」との指示を受けたものの、再度「しかし我操舵不能、前後進不能。指示を請う」と送信。そこで、大和から「全力を挙げて近くの島嶼に乗り上げ、陸上砲台たらしめよ」と最後の指示を受けます。右舷後部への応急注水、防舷物の移動など可能な限りのことを行い、左への傾斜を12度から5度にまで回復させましたが、効果は一時的なもので再び傾斜が増加したため、艦長の猪口大佐はダメージコントロールを断念し、総員退艦を決断しました。
航空支援のない戦艦は無力とわかった米軍は、戦艦を機動部隊の護衛に使った。特攻機の映像を見ると戦艦が特攻機と空母の間に割り込んで盾になっているのが分かる。結局、特攻によって正規空母は一隻も撃沈できなかった。
なんで「武蔵」で「サウスダコタ」の写真が出てくるんじゃ?!
せめて同型艦の大和の画像にしてほしかったですね
@user-hk9mx7tn8t 不鮮明なれど、ブルネイを出撃する武蔵を横から捉えた写真がありましたよね。せめてそれを使ってほしかったです。
松型などのいわゆる雑木林型や海防艦、駆潜艇などの小型艦艇の解説を楽しみに待ってます
吉村昭の戦艦武蔵は名作なんで読んでみて欲しい
読んだ事あるけど確かに名作。引越しの際に行方不明になって後悔。
フィリピンの南、シブヤン海で戦闘中、爆沈😢残念です
トラックは空襲で機能は失うも陥落しなかったと思うけど。
母方の祖父は武蔵に乗ってましたがレイテ作戦前に内地勤務に戦後GHQに連れられた技師に運用面など実用性の質問を沢山受けてその礼に破格の報酬を貰ったそうですよ😮
機密情報を売り渡してしまったんですか?
@@山田雅寛-x1b さん詳しくは分かりませんが主計科だったので水兵や士官の生活面や日課など巨艦ではどのような暮らし、待遇などだったかではないでしょうか?
@@奥田圭亮-k5h 間接部門の所属とはいえ推測くらいはされてしまったかもしれないですね。
高射砲片舷3基の増設箇所に高射砲の代わりに設置された3連装機銃は3基だったのか4基だったのか、誰でもいいから解明してほしい。
25ミリ機銃は銃弾の製造に当たって自動加工機械を作ったけど、快削綱(鋼材に鉛や硫黄を添加して削りやすくしたもの)なら簡単に作れたのでテストしたら命中と同時に砕けてしまい「砲熕威力無し」と評価がされてしまいS80C(炭素量0.8パーセントを添加した鋼材、削りにくい)で試したら削れることは削れるけど生産量はガタ落ちになったそうだ
切削加工の難しさですね。今みたいに窒化処理技術などない時代ですもんね。
大和、武蔵、信濃。ガキの頃、詳細を知らない自分は憧れの船だったなぁ。
43年の被雷での浸水の原因は魚雷の爆圧で均質装甲板がたわんで一緒に支持ブラケットも動いて反対側の隔壁に穴をあけた事によります。その支持ブラケットは装甲板、船体にリベット止めで止められていましたが、たわみの瞬間に剪断されています。第四艦隊事件で溶接やめちゃったからね。
構造上の問題が疑われるとはいえ、武蔵が約20本と推定される被雷に耐えた事は大和型戦艦の防御力が並外れていた事の証明ではあるでしょうね。また、機関とボイラーの配置はシフト配置にこそなっていませんでしたが、ボイラー1基毎に1つの防水区画が割り当てられ、また機械室も外側の機械室が盾になって内側の機械室を守る配置になっていた為に最後まで機関は動いていた、とする証言もあるそうですね。
シフト配置なんて戦艦や空母のような複数の缶、機関がある艦種には不要です。
@@るるむ-r6d さんへ、アイオワ級「」。
マリアナ沖海戦では榛名がスクリューが一基使用不能の被害を受けてます
武蔵の副長が、生存者の聞き取りで戦闘記録を残していますね。
1分51秒ごろに出てくる画像は戦艦大和ですぜ。
本日は武蔵の喪失あれど、明日は大和の番なり、戦争に負けたのは残念ですね
NHKスペシャルで撃沈される瞬間を番組内で紹介していましたが、無残な姿で撃破されず、横転しながら雷撃のダメージで海底に消えた証言を覚えています。
千早正隆氏の本では、副砲に主砲の直撃弾受けたら轟沈するから、副砲廃止して装甲板で覆えばいいのではないかと、山本五十六がいったとか読んだ記憶がありますが。
正確には、コーミーングアーマーによる揚弾筒への敵弾侵入防御と防炎板追加を行ったものの、抜本的な解決には至らなかったことを報告すると、「そんなに問題のある砲なら、撤去して蓋をしてしまえばいいではないか」と発言したそうです。
@@小川寛之-r8d さん、ありがとうございます。
作戦失敗後、内地帰投を命ぜられた戦艦群だが、その途中バシー海峡でたった数本の潜水艦の魚雷で沈んだ金剛も悲惨
個人的に大好きな戦艦美しい鋼鉄の聖堂 ビスマルク(通商破壊)不沈の鋼鉄要塞 大和(艦隊決戦)高性能かつ最高の移動砲台 アイオワ(陸上への艦砲射撃)徹底の水雷防御 地中海の守護神 ローマ(ヴィットリオ級3番艦)ついでに搭載機数は赤城「上々ね♪」60機グラーフツェッペリン「まあまあだわね…」50機イントレピッド「パーフェクトだわ♡」100機大和「……」5機ビスマルク「……」4機アイオワ「……」3機ローマ「……」3機俺(そもそも水上機だし、観測用だから…… 積めるのもすごいけどね。)信頼安心のWikipediaさん有り難う御座います。
空母以上の戦闘力を持つ。第一次世界大戦から変わらず、世界最強最恐最弱の艦艇は 「潜水艦」です。存在を隠し、核兵器や魚雷を射つ現代でも恐れられる兵器…
ヴィットリオ・ヴェネト
艦内に号令が響き、主砲が一斉に発射された。訓練中に体験したことのない強い衝撃を全身に受け、よろめきながら両耳を押さえた。しばらく何も聞こえなかったが測的班長の「なぜ主砲は続けて撃たんのだ」と叫ぶ声が聞こえた。そのとき、私の受け持ちである九七式高声受話器の標示灯が激しく点滅し、ブザーが鳴った。受話器を取ると「防空指揮所より命令、後部測的所は暫時測的値の送信を中止せよ」という。何の事かわからぬまま大声で復唱する。途端に受話器を取った班長の顔から血の気が引いた。主砲斉射の衝撃でその方位盤(照準器)が故障したと言うのだ。班長は「主砲のバカヤロー」と叫び、天をにらんだ。武蔵の方位盤は敵の雷撃で故障したと言われるが、これが私の知る事実である。
やっぱり、最高速力27ノットは、きっちり1,852mで27をかけた結果、時速50キロであながち間違いはないと。大和型戦艦は、タイタニック号に比べると舵効きはずいぶん良い方であるが、ハンドルを回してから舵が効き始めるまでは最低でも1分はかかる。一旦舵が効き始めると小気味よく曲がるが、それまではなかなか旋回を始めないので、操船は一種の慣れが必要であった。
大和型戦艦は舵を切っても中々旋回が始まらず、また旋回半径自体は小さいけれど進路変更の為に当て舵を切っても中々直進に戻せなかったとか。つまり大和型戦艦は舵に弱点を抱えていた、とも言えるでしょうね。
その癖のある船で魚雷爆弾を回避しまくった森下信衛氏はすごい。
@@kix4878 さんへ、主舵と副舵併用の場合は良好であったものの、副舵のみの場合は想定に反して不良、と判定されています。
旅順要塞戦で日本陸軍が石で出来た大砲を使ったと噂で聞いたのですが、本当に現代戦でそんなものを使ったのでしょうか🤔
被害想定の魚雷ってどんなので考えてたんでしょうかねぇ。91式で想定してたら後期MK13とか(レイテ間に合ってたっけ)だったら事前想定より少ない本数で沈みそうかな。
0:54戦艦武蔵と言いながら画像の戦艦は米軍の戦艦ですよ。大和と武蔵間違えるならまだわからなくもないけどこの種の動画作っておいて武蔵と米軍戦艦の区別もつかないのか。
大和と武蔵の実写映像がないので、似たような外観のアメリカ戦艦の映像を流用されただけでしょう。
レイテ沖海戦の時に、大和型の対空兵装が圧倒的に足りなかった。あと近接対空火器の25mm機銃の性能がイマイチだった。
写真を大和のを使うのはまだ分かるけどサウスダコタとか使うなよ
自分が読んだ書籍では武蔵はキングストン弁を開いて自沈させたとの記述を見ました。真偽は不明ですが一つの説でしょう。
本来、魚雷というものはたった1本でも命中すれば巨大な水柱とともに恐ろしく破壊的なダメージを船体に与える。それを20本、直撃爆弾多数、至近弾多数食らって戦闘終了後5時間浮いていられる艦など武蔵(大和型)以外に存在しない。
よくあるハード面礼賛だね。乗組員の練度と奮闘の賜物だと思うんだけど…やっぱり搭乗員いなくても空母いっぱい造れば良かったのに系の考え方?
武蔵と言いながらサウスダコタの画像が出てくるのはおかしいやろ
19:08 48cm砲? 古いもので威力が低く? 大和・武蔵は46cm砲と聞いていますが、それより大口径なのに古くて低威力とは? 調査か製作のミスですか? それとも本当にそういう砲があったんですかね?
大口径だから高威力とは限らず、口径や砲弾によって性能は大きく異なりますからね、同様に長門型の前後期主砲の砲弾を比較すると同口径に関わらず貫通力700mmと900mm程度と200mm近い差が生まれてます。48cmは軽くなので分かりませんが80式48cm砲とか五年式36糎砲などそれらしい物は存在するっぽいです!
@@kuroneko7857 これ書いた直後、ザッと調べてみたら48cm砲は試製ではあったそうで、実用は出来なかったとの事らしいですね。 多分動画でのそれは38cmとかの近い数字の誤入力かな?という気がします。
@@kuroneko7857関わらず ➜ かかわらず(拘(わ)らず)
航空機動部隊の戦闘になる事が事前に分っていたなら大和や武蔵は巨大戦艦にはならなかっただろうね。主砲も一撃の火力より速射性を重視してそこそこの火力の両用砲の様なものになっていただろうし、副砲よりも対空砲や機銃をテンコ盛りした設計になっていたと思います。そもそも大きさもそこまで重視されずに速力重視の巡洋戦艦みたいなのになっていたのでは・・・
武蔵搭乗員の回想では、水防作業中にも、水圧で隔壁が次々と破れて行く有様に、なすすべもなかったという記述が残されている。判明している資料は少ないが、大和型のバイタルパート以外の部分の設計は、最上型の流用の可能性が高い。ただしもともと最上型は溶接を前提とした設計だったのだが…。構造計算がグチャグチャになってしまうな。そもそも武蔵は本来横須賀工廠で建造する予定だったが、建造ドックの整備が遅延したため、無理矢理三菱長崎に委託した経緯がある。建造線表としては本来同造船所では大鳳級の建造を予定していたのに、武蔵が割り込んだことで、混乱を起こしてしまったようだ。実現しなかった建造計画でも、基本戦艦は海軍工廠で建造する方針だったので、武蔵はかなりイレギュラーな存在だった。
私もいくつかの本を読んでいますが ある本で武蔵は大和みたいにボコボコにされたけどなかなか沈まず前進していた このままではレイテ島の周辺は多島海なので どこかに擱座してしまうから秘密保持のために自沈させると命令が出され実行した とありました この事は専門家の人達には信憑性がないのでしょうか
ありません
技術者は航空機の護衛ありの不沈性で設計したが軍部が性能を過信していたみたいね。もっとも出撃時には空母が無かったからどうにもならんかったが。
日本の大和型戦艦「武蔵」の最後を描いた小説を読みましたが、その最後の戦闘は悲惨を越えて凄惨というのがふさわしい最後です。浮沈艦と言われていた「武蔵」はなかなか沈まず、最後の最後まで勇敢に戦った乗組員と共に沈んだ「武蔵」に敬意を表すとともに読み終わった後の感動は今でも忘れません。
武蔵、大和級のイージス 作って貰いたい当然 原子力で荷電粒子砲、レールガン、CIWS×最多搭載で
もし武蔵の浸水があまりひどくなかったらおそらく武蔵は沈まなかったはずですね。残念です。そのまま夜が来るのを待って明け方までに日本に帰って修理をしてまた戦列に復帰できたかもしれませんね。普通の戦艦なら魚雷が3、4発あたったら簡単に沈んでるところですがさすがに世界最大の不沈艦ですね。おそらく大和も爆弾が火薬庫に引火しなかったら武蔵以上の数の魚雷を撃ち込まれても沈ずまなかったでしょうね。恐るべき耐久性の凄い戦艦ですね。二隻とも。できればサマール沖海戦とマリアナ沖海戦の時に敵の戦艦空母軍と出会って大和武蔵の世界一の46センチ砲が火を吹いて大活躍して欲しかったですね。本当に二隻とも反対に沈められたのは悔しいしもったいないと思います。もっと積極的に大和も武蔵も使うべきだったと思います。
もし たら おそらく はず かも if が大杉ませんか?だったら対米戦争やらなきゃ良かったのに(笑)
@@葉月夏彩 中村です。確かに最初からアメリカと戦争なんかしなければあんな悲劇は起こらなかったし原爆も落とされずにすんだと思いますね。本当に残念な事ですね。一日も早く世界中から核兵器はもちろん戦争の為のあらゆる武器がなくなって本当に世界が平和になるといいですね。
魚雷19発も食らえばいくら武蔵と言え沈むだろ?大和も然り。
大和型と長門型の防水区画の数は一緒で同じ数ずつ浸水させたらほぼ同時に沈むという…
武蔵の主砲 副砲を全て排除して噴進砲 高角砲 対空機銃のみにした対空戦艦として大和とペアにしたら二艦とも生き残れたんじゃないか(?_?)
大和型は旋回性は良いが、転舵まで時間が掛かるでしたが。舵が前後に1枚づつ有り、前方が小型の副舵、後方が大型の主舵だった様だ、大和以前の戦艦は左右に1枚づつ(双舵)設置されてます。沈没の原因が大和もそうだけど、武蔵も右舷か左舷に集中的に魚雷攻撃を受け、注水が極限を越えて横転したと聞いたこと有りますね。
武蔵の場合は艦首の非装甲区画に魚雷攻撃を受け沈下し、後はバランス良く被雷した事が沈没の原因だったと思います。
横綱として一度も優勝できないばかりか、来る場所来る場所全休負け越し途中休場を繰り返したあげく敢えなく廃業に追い込まれるポンコツスクラップ横綱。戦前ならちょうど同じ名の武蔵山(笑)、戦後なら北尾の双羽黒。しかし考えてみれば、プラモデル人気だけがやたら衰えない兄弟分の大和も、ポンコツダメ横綱ぶりは似た者兄弟。相撲取りはガタイがでかけりゃ強いというわけではない、ウドの大木の典型。
大和さん武蔵さんを日本の誇りとしている人がたくさんいるのが怖い‼
大和も武蔵も沈没直後に第二砲塔の弾薬庫が爆発し船体が破壊されたと考えられていますが、本来非常に強固な場所のはず。乗員による自爆が行われたんじゃないかと思わせてくれますね。
武蔵の方が少し軽い(´`)
昔のこち亀で両津がマッチ簿で戦艦武蔵を作って作品展に出品しようとした時に、大原部長が「戦艦大和」と言っていました。両津は「両舷に副砲があるのが武蔵なんです。」と言い訳していましたが、大和も竣工時には同じように副砲がありました。
簿 ➜ 棒
@@nanaphidel1276 ご丁寧にありがとうございました。
不沈艦そんな物ないのに現実見えてない
分からんでぇ?もっと妥協せずに作ってたらどうなってたかなあ
@@ちびまる子ちゃん-h8s 僕はこの世に完璧、完全、究極、最強、100%と言う物はないと思っている
戦史を寝言で延々と話す女が隣に寝てたら嫌だなぁw
武蔵の動画なんだから冒頭の武蔵の概要のとこで武蔵の写真使えよ。
武蔵が撃沈された原因は魚雷命中による速力低下で艦隊に同行できず孤立してしまったことも大きい。これは長門も被弾して速力低下しながら艦隊に同行できる最低限速力維持できたことを考えれば明暗が別れてしまったと言えるかもしれない…
✖︎ 別れて ➜ 分かれて
長門は被弾後の修理で最大戦速発揮可能まで回復してますよ。それでも25ノットですが。
坊やだからさ
弱いから沈んだのでしょう。戦果0だし・・・
うーん、リベット❗️電気溶接で装甲にある程度一体感を持たせられれば或いは松本氏の推定の魚雷48本に大和型は耐えられたのかも····でもそんなことは論点じゃない❗️例え20本で沈まなくても48本では沈むんだから結果は同じ····よく言われることだかやはり戦略思想の遅れが最大の原因でしょ、既に艦隊決戦から航空決戦に移行するのはわかっていた筈だ、想定外なんてことはなかった筈だ❗️その結果遅れたその戦略思想で時代遅れの大和や武蔵を大金掛けて作ってしまっただけのこと····飛行機の無かった日露戦争の日本海海戦ならともかくそれをまた昭和に再現を夢見た帝国海軍上層部の妄想こそが最凶の原因ではなかろうか····日米開戦自体そもそも無理な戦だがもう少しまともな時代に見合った戦略思想があったらここまで無様な敗戦は無かったと想うよ😢
@user-hk9mx7tn8t 確かに航空主兵に海戦がなることを見越していたのは山本五十六ぐらいだったでしょうし、日米開戦に反対していたのも彼ぐらいだったでしょうね、でもそこがそもそも問題じゃないですか❗️一国の頭脳をそう結集してこれですよ、結果が😭なんでもっと先を見越せないんですかね、何のためのエリート養成の海軍兵学校や陸軍大学だったんですかね、いずれにしろ大和や武蔵を沈めたのは艦隊決戦の戦艦ではなくて航空決戦の飛行機だったことには間違いないのですから····やはり大戦略レベルの思考であの時の日本は駄目だったのではないでしょうか·····
@user-hk9mx7tn8t そんな些末なことよりも戦略レベルで既に何十年も欧米に遅れていたというだけのことですよ···大和も武蔵も無用の長物だっただけのこと、だからこそ大和ホテルであり武蔵屋旅館だったのですね😭
@user-hk9mx7tn8t 本当、昭和の帝国陸海軍はダメダメだと想いますよ😃なるほどミッドウェー海戦で大和をもっと活用すべきだったと❗️それは俺も同感ですね、全く何のための四十六センチ砲だったのでしょうかね❗️結局大和も武蔵も出し惜しみした挙げ句何の戦果も挙げずに魚のマンションになってしまった😭これはやはり俺的にはヨーロッパの産業革命に対する日本の遅れを感じざるおえません、仕方ないことかもしれませんが日本の産業革命はようやく1868年の明治維新以降です、産業革命の本場イギリスで産業革命が起こったのが丁度百年前の1760年、ざっと百年以上の遅れです·····、言ってしまえば近代国家としてこの100年の遅れがやはり後々響いたのではないでしょうか····
まるでアメリカがすでに航空機に完全に切り替わってるような言い草だけど大艦巨砲主義捨てきれずず~~~~と引きずった国家は日本よりアメリカやで?戦艦建造数もすごいからね。アメリカは戦艦も空母も馬鹿みたいに作って日本圧倒した。たかだか大和型の2隻や3隻作ったかどうかで勝敗左右するような状態ではないのだ。
@@ah4154 何イッテんの、アンタハ····誰もアメリカが航空主兵に完璧に移行したなんて俺は言ってねぇよ、アメリカが戦艦造りまくるのは別にいいんだよ、日本よりも国力が何倍も上なのだから、アメリカほどの国力が有る国なら戦艦造ろうが空母造ろうが飛行機造ろうがカンケーねえんだよ、でも日本みたいな金の無い弱小国は航空主兵に金を回すか或いは戦艦に金を回すかしかねえんだよ、それを日本はよりによって戦艦に回したのを俺は愚かだ言ってんだよ❗️人の文章の真意がわからねぇくせに絡んでくんなよ😃だいたいお前、軍事のこと本当に解ってんのかよ、笑っちゃうねさ
私の祖父の弟様が武蔵に乗っておられました。勇敢に戦われたそうです。先月、慰霊の意も込めてプラモデルを購入しました。壮麗な船でした。人は死ぬが行為は残るといった言葉もあるように、美しい物は時代を隔てても語り継がれていくのでしょうね。
先人に敬礼。安らかにお眠り下さい。
その戦争から80年経ち、再び日本は戦果をくぐる危険が増大してる
先人が命がけで守った日本の領土を頭のイカレた中国人に渡してはいけない
中国に日本が占領され日本の技術が渡るという事は世界一の米国の技術も
中国に渡ることを意味する
祖父が戦艦武蔵の乗組員でしたが、今回のテーマとも言えるダメコン担当の部署に所属していたそうです。
0:51
答えは戦艦武蔵だ・・・と言いながら出る画像がなぜか米戦艦
サウスダコタ級戦艦
渡辺清の『戦艦武蔵の最期』は戦記文学の中でも特に優れた作品なので読んでみてほしい。
日本の誇りだね
武蔵はレイテ突入で輪形陣の最左翼に配置され
中央にいた大和とは比べ物にならないくらいに航空機からの被弾を受けた
武蔵はレイテ沖海戦直前に目立つ鮮やかな塗装に塗り替えれらている事から
強靭な耐久力を生かして艦隊の中で意図的に被害担当艦にされたと噂されている
魚雷だけで20本 至近弾・直撃弾多数で正確な数は判らない程の被害を受けても
尚、戦闘が終了後に数時間は海に浮いていたというからすごい防水能力の船
流石、日本の建造技術の粋を集めて作った船と言われるだけの事はある
爆弾を受ける(浴びる)こと = 被弾
「被弾を受ける」は
「馬から落馬」的な重複表現
信濃の事を鑑みると誇るべきは乗組員の練度だと思うんだけど
他の方も指摘しておられますが、0:51などで「武蔵」として紹介されている艦船の画像が米戦艦「サウスダコタ」(BB57)のものになっています。
また、1:51の画像は1941年、宿毛湾沖にて撮影された公試中の「大和」のものです。
「武蔵」を撮影した映像のうち現在まで残されているものはかなり少ないのは事実ですが、10月22日にブルネイを出港した際の映像など、残っているものもそれなりにあるわけで、検索と資料調査さえきちんとやっていればこのようなミスは防げたはずですな。
尚、17:18の有名な画像ですが、空襲が終わった後、駆逐艦「磯風」艦上から、当時「磯風」水雷長を務めていた白石東平大尉(海兵70期)が撮影したものです。「磯風」は当時第17駆逐隊(「浦風」「浜風」「磯風」及び『伝説の駆逐艦』『帝国海軍随一の幸運艦』『不滅の駆逐艦』として名高い「雪風」)に属し、戦艦「金剛」「榛名」を中心とする栗田艦隊第二遊撃部隊の輪形陣を構成していました。このうち「浜風」は第5波空襲時に被弾して落伍し、同じく被弾した駆逐艦「清霜」ともども武蔵の随伴を命ぜられて艦隊から離脱。最終的に「武蔵」沈没の確認及び生存者の救助にはこの両艦が当たっています。
BB-57
大和型の旋回性の鈍さは舵配置と推進のスクリューを4軸にしたのもあると思う。
大和型は主舵と副舵があったが主舵前にあった複舵が船体の大きさの輪に小さい上にスクリュー前方にあったため殆ど役に立たなかった
1軸に対し3つの窯室、4軸で12窯あったが実際の戦闘になると左右の窯室は喫水下の装甲に近い為に魚雷の爆破浸水で使えなくなり
推進が落ちる。さらにそれによる傾斜で復元の為に反対側に注水するが速力が落ちるとさらに魚雷の命中が増してバラストタンクが
一杯になり反対型の窯室に意図的に注水して復元するしかなくさらに速力が落ちるという悪循環に陥り敵機の恰好の的になりやすい。
個人的にはドイツ戦艦のビスマルクやテルピッツのように3軸推進でスクリュー後方に配置する2枚舵の方が水流による応答性と
窯室配置を喫水下の装甲から距離が取れるので生存率を上げられたのではないかと思う。
大和武藏の姉妹艦で空母化され呉への回航中沈没した信濃も鋲接問題を引き摺っていたのだろう。
信濃の場合は水密区画の試験を省略したことが一番まずかったですね。水密区画が次々に破られる際、シューッシューッと空気が漏れる音が確認されています。
加えてアーチャーフィッシュから発射された魚雷の浅深度調節が信濃の舷側アーマー取付受材にとって、最悪だったことも浸水被害を拡大させました。命中した際の深度が上部アーマーと下部アーマーを著しく内側に押し込む深度でした。
武蔵は最後まで防御区画は殆ど抜かれてませんでしたね。魚雷20本以上被雷しても浮いているなんて脅威ですよ。
大和と武蔵は日本の誇りです。
確か大和と武蔵の違いは艦橋横の階段が右側にあるのが大和で左にあるのが武蔵だったと思う。
いつだったかのNHKの「戦艦武蔵はなぜ沈んだのか」みたいな番組だと浸水だけじゃなくて二番主砲が爆発したからじゃないか、みたいなまとめがされてました
動画内のパラオから退避する際に、米潜水艦の雷撃を受けて損傷した場面では、祖父は艦首錨の巻上げを担当する部署の当直が終わって、同僚と配置を変わった直後の出来事だったそうです。祖父は生き延びて、同僚は戦死されたそうです。
そんな祖父が一昨日、100歳の誕生日を迎えました。
武蔵乗組員で存命の方は、今では何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか。
平成初めぐらいに「戦艦武蔵」というドキュメンタリー映画があったと思う。
大和ホテルに武蔵御殿。
大砲付き高級宿泊施設
アイオワ級は大和型戦艦同様集中防御式のため、前後の無防御区画の範囲は大和型戦艦と大差なかったはずです。
大和型戦艦の魚雷命中によるダメージコントロールは、重巡や駆逐艦から発射された大型魚雷が4本命中しても戦闘を続行することとされており、多数の航空機魚雷が命中することは想定していませんでした。
大和、武蔵の対空戦闘時に中距離砲として重宝されたのが15.5cm三連装副砲。対空三式弾を用いた主砲対空射撃の機会は限定的で、多くてもせいぜい3回程度でした。これは時限信管の性能上、最大射程が3万メートルとなってしまったためです(この射程限度は敵艦載機群が大規模編隊を解いてしまう距離ギリギリ)。それに対し、副砲は旋回速度と発射速度が速く、消費弾数も主砲に比べて多かったことが記録されています。
なお、捷一号作戦における武蔵の消費弾数で最多は25mm三連装機銃群の12万5000発(と記憶)です。機銃群の一部は連続射撃による銃身冷却が間に合わず、銃身先端のフラッシュハイダーが変形し、射撃不能になっています。
動画内での武蔵沈没における被弾・被雷状況は「軍艦武蔵戦闘詳報」に記載されており、吉村昭氏が、建造に関わった当時の職員や、元乗組員を精力的に取材して執筆した小説戦艦武蔵および、その取材過程を記した戦艦武蔵ノートでも記されていますね。
信号兵として第二艦橋に勤務していた細谷四郎氏が取りまとめた証言によると「魚雷は左舷前部に集中しており、右舷はずっと少なく後部に5本程度。命中総本数は33本にほぼ間違いない」とされています。また、アメリカ戦略爆撃調査団が実施したクロスチェック(元乗組員と攻撃に参加したパイロットの目撃証言を突き合わせ)によると、確実とされた命中本数は14本となっています。
最上甲板の一部まで水面下に没している写真は、駆逐艦磯風から撮影されたものですね。武蔵は大和に信号灯で「我操舵不能、前後進不能。指示を請う」と送信。「駆逐艦清霜と島風を警戒艦としてコロン湾へ後退せよ」との指示を受けたものの、再度「しかし我操舵不能、前後進不能。指示を請う」と送信。
そこで、大和から「全力を挙げて近くの島嶼に乗り上げ、陸上砲台たらしめよ」と最後の指示を受けます。右舷後部への応急注水、防舷物の移動など可能な限りのことを行い、左への傾斜を12度から5度にまで回復させましたが、効果は一時的なもので再び傾斜が増加したため、艦長の猪口大佐はダメージコントロールを断念し、総員退艦を決断しました。
航空支援のない戦艦は無力とわかった米軍は、戦艦を機動部隊の護衛に使った。
特攻機の映像を見ると戦艦が特攻機と空母の間に割り込んで盾になっているのが分かる。
結局、特攻によって正規空母は一隻も撃沈できなかった。
なんで「武蔵」で「サウスダコタ」の写真が出てくるんじゃ?!
せめて同型艦の大和の画像にしてほしかったですね
@user-hk9mx7tn8t 不鮮明なれど、ブルネイを出撃する武蔵を横から捉えた写真がありましたよね。せめてそれを使ってほしかったです。
松型などのいわゆる雑木林型や海防艦、駆潜艇などの小型艦艇の解説を楽しみに待ってます
吉村昭の戦艦武蔵は名作なんで読んでみて欲しい
読んだ事あるけど確かに名作。
引越しの際に行方不明になって後悔。
フィリピンの南、シブヤン海で戦闘中、爆沈😢残念です
トラックは空襲で機能は失うも陥落しなかったと思うけど。
母方の祖父は武蔵に乗ってましたがレイテ作戦前に内地勤務に
戦後GHQに連れられた技師に運用面など実用性の質問を沢山受けてその礼に破格の報酬を貰ったそうですよ😮
機密情報を売り渡してしまったんですか?
@@山田雅寛-x1b さん
詳しくは分かりませんが主計科だったので水兵や士官の生活面や日課など巨艦ではどのような暮らし、待遇などだったかではないでしょうか?
@@奥田圭亮-k5h 間接部門の所属とはいえ推測くらいはされてしまったかもしれないですね。
高射砲片舷3基の増設箇所に高射砲の代わりに設置された3連装機銃は3基だったのか4基だったのか、誰でもいいから解明してほしい。
25ミリ機銃は銃弾の製造に当たって自動加工機械を作ったけど、快削綱(鋼材に鉛や硫黄を添加して削りやすくしたもの)なら簡単に作れたのでテストしたら命中と同時に砕けてしまい「砲熕威力無し」と評価がされてしまいS80C(炭素量0.8パーセントを添加した鋼材、削りにくい)で試したら削れることは削れるけど生産量はガタ落ちになったそうだ
切削加工の難しさですね。今みたいに窒化処理技術などない時代ですもんね。
大和、武蔵、信濃。ガキの頃、詳細を知らない自分は憧れの船だったなぁ。
43年の被雷での浸水の原因は魚雷の爆圧で均質装甲板がたわんで一緒に支持ブラケットも動いて反対側の隔壁に穴をあけた事によります。その支持ブラケットは装甲板、船体に
リベット止めで止められていましたが、たわみの瞬間に剪断されています。第四艦隊事件で溶接やめちゃったからね。
構造上の問題が疑われるとはいえ、武蔵が約20本と推定される被雷に耐えた事は大和型戦艦の防御力が並外れていた事の証明ではあるでしょうね。また、機関とボイラーの配置はシフト配置にこそなっていませんでしたが、ボイラー1基毎に1つの防水区画が割り当てられ、また機械室も外側の機械室が盾になって内側の機械室を守る配置になっていた為に最後まで機関は動いていた、とする証言もあるそうですね。
シフト配置なんて戦艦や空母のような複数の缶、機関がある艦種には不要です。
@@るるむ-r6d さんへ、アイオワ級「」。
マリアナ沖海戦では榛名がスクリューが一基使用不能の被害を受けてます
武蔵の副長が、生存者の聞き取りで戦闘記録を残していますね。
1分51秒ごろに出てくる画像は戦艦大和ですぜ。
本日は武蔵の喪失あれど、明日は大和の番なり、戦争に負けたのは残念ですね
NHKスペシャルで撃沈される瞬間を番組内で紹介していましたが、無残な姿で撃破されず、
横転しながら雷撃のダメージで海底に消えた証言を覚えています。
千早正隆氏の本では、副砲に主砲の直撃弾受けたら轟沈するから、副砲廃止して装甲板で覆えばいいのではないかと、山本五十六がいったとか読んだ記憶がありますが。
正確には、コーミーングアーマーによる揚弾筒への敵弾侵入防御と防炎板追加を行ったものの、抜本的な解決には至らなかったことを報告すると、「そんなに問題のある砲なら、撤去して蓋をしてしまえばいいではないか」と発言したそうです。
@@小川寛之-r8d さん、ありがとうございます。
作戦失敗後、内地帰投を命ぜられた戦艦群だが、その途中バシー海峡でたった数本の潜水艦の魚雷で沈んだ金剛も悲惨
個人的に大好きな戦艦
美しい鋼鉄の聖堂 ビスマルク(通商破壊)
不沈の鋼鉄要塞 大和(艦隊決戦)
高性能かつ最高の移動砲台 アイオワ(陸上への艦砲射撃)
徹底の水雷防御 地中海の守護神 ローマ(ヴィットリオ級3番艦)
ついでに搭載機数は
赤城「上々ね♪」60機
グラーフツェッペリン「まあまあだわね…」50機
イントレピッド「パーフェクトだわ♡」100機
大和「……」5機
ビスマルク「……」4機
アイオワ「……」3機
ローマ「……」3機
俺(そもそも水上機だし、観測用だから…… 積めるのもすごいけどね。)
信頼安心のWikipediaさん有り難う御座います。
空母以上の戦闘力を持つ。
第一次世界大戦から変わらず、世界最強最恐最弱の艦艇は 「潜水艦」です。
存在を隠し、核兵器や魚雷を射つ現代でも恐れられる兵器…
ヴィットリオ・ヴェネト
艦内に号令が響き、主砲が一斉に発射された。
訓練中に体験したことのない強い衝撃を全身に受け、よろめきながら両耳を押さえた。
しばらく何も聞こえなかったが測的班長の「なぜ主砲は続けて撃たんのだ」と叫ぶ声が聞こえた。
そのとき、私の受け持ちである九七式高声受話器の標示灯が激しく点滅し、ブザーが鳴った。受話器を取ると「防空指揮所より命令、後部測的所は暫時測的値の送信を中止せよ」という。
何の事かわからぬまま大声で復唱する。
途端に受話器を取った班長の顔から血の気が引いた。主砲斉射の衝撃でその方位盤(照準器)が故障したと言うのだ。
班長は「主砲のバカヤロー」と叫び、天をにらんだ。
武蔵の方位盤は敵の雷撃で故障したと言われるが、これが私の知る事実である。
やっぱり、最高速力27ノットは、きっちり1,852mで27をかけた結果、時速50キロであながち間違いはないと。
大和型戦艦は、タイタニック号に比べると舵効きはずいぶん良い方であるが、ハンドルを回してから舵が効き始めるまでは最低でも1分はかかる。
一旦舵が効き始めると小気味よく曲がるが、それまではなかなか旋回を始めないので、操船は一種の慣れが必要であった。
大和型戦艦は舵を切っても中々旋回が始まらず、また旋回半径自体は小さいけれど進路変更の為に当て舵を切っても中々直進に戻せなかったとか。つまり大和型戦艦は舵に弱点を抱えていた、とも言えるでしょうね。
その癖のある船で魚雷爆弾を回避しまくった森下信衛氏はすごい。
@@kix4878 さんへ、主舵と副舵併用の場合は良好であったものの、副舵のみの場合は想定に反して不良、と判定されています。
旅順要塞戦で日本陸軍が
石で出来た大砲を使ったと噂で聞いたのですが、
本当に現代戦でそんなものを使ったのでしょうか🤔
被害想定の魚雷ってどんなので考えてたんでしょうかねぇ。91式で想定してたら後期MK13とか(レイテ間に合ってたっけ)だったら事前想定より少ない本数で沈みそうかな。
0:54
戦艦武蔵と言いながら画像の戦艦は米軍の戦艦ですよ。
大和と武蔵間違えるならまだわからなくもないけどこの種の動画作っておいて武蔵と米軍戦艦の区別もつかないのか。
大和と武蔵の実写映像がないので、似たような外観のアメリカ戦艦の映像を流用されただけでしょう。
レイテ沖海戦の時に、大和型の対空兵装が圧倒的に足りなかった。
あと近接対空火器の25mm機銃の性能がイマイチだった。
写真を大和のを使うのはまだ分かるけどサウスダコタとか使うなよ
自分が読んだ書籍では武蔵はキングストン弁を開いて自沈させたとの記述を見ました。
真偽は不明ですが一つの説でしょう。
本来、魚雷というものはたった1本でも命中すれば巨大な水柱とともに恐ろしく破壊的なダメージを船体に与える。それを20本、直撃爆弾多数、至近弾多数食らって戦闘終了後5時間浮いていられる艦など武蔵(大和型)以外に存在しない。
よくあるハード面礼賛だね。乗組員の練度と奮闘の賜物だと思うんだけど…やっぱり搭乗員いなくても空母いっぱい造れば良かったのに系の考え方?
武蔵と言いながらサウスダコタの画像が出てくるのはおかしいやろ
19:08 48cm砲? 古いもので威力が低く? 大和・武蔵は46cm砲と聞いていますが、
それより大口径なのに古くて低威力とは? 調査か製作のミスですか? それとも本当にそういう砲があったんですかね?
大口径だから高威力とは限らず、口径や砲弾によって性能は大きく異なりますからね、同様に長門型の前後期主砲の砲弾を比較すると同口径に関わらず貫通力700mmと900mm程度と200mm近い差が生まれてます。
48cmは軽くなので分かりませんが80式48cm砲とか五年式36糎砲などそれらしい物は存在するっぽいです!
@@kuroneko7857 これ書いた直後、ザッと調べてみたら48cm砲は試製ではあったそうで、実用は出来なかった
との事らしいですね。 多分動画でのそれは38cmとかの近い数字の誤入力かな?という気がします。
@@kuroneko7857
関わらず ➜ かかわらず(拘(わ)らず)
航空機動部隊の戦闘になる事が事前に分っていたなら大和や武蔵は巨大戦艦にはならなかっただろうね。
主砲も一撃の火力より速射性を重視してそこそこの火力の両用砲の様なものになっていただろうし、副砲よりも対空砲や機銃をテンコ盛りした設計になっていたと思います。そもそも大きさもそこまで重視されずに速力重視の巡洋戦艦みたいなのになっていたのでは・・・
武蔵搭乗員の回想では、水防作業中にも、水圧で隔壁が次々と破れて行く有様に、なすすべもなかったという記述が残されている。
判明している資料は少ないが、大和型のバイタルパート以外の部分の設計は、最上型の流用の可能性が高い。
ただしもともと最上型は溶接を前提とした設計だったのだが…。
構造計算がグチャグチャになってしまうな。
そもそも武蔵は本来横須賀工廠で建造する予定だったが、建造ドックの整備が遅延したため、無理矢理三菱長崎に委託した経緯がある。
建造線表としては本来同造船所では大鳳級の建造を予定していたのに、武蔵が割り込んだことで、混乱を起こしてしまったようだ。
実現しなかった建造計画でも、基本戦艦は海軍工廠で建造する方針だったので、武蔵はかなりイレギュラーな存在だった。
私もいくつかの本を読んでいますが ある本で武蔵は大和みたいにボコボコにされたけどなかなか沈まず前進していた このままではレイテ島の周辺は多島海なので どこかに擱座してしまうから秘密保持のために自沈させると命令が出され実行した とありました この事は専門家の人達には信憑性がないのでしょうか
ありません
技術者は航空機の護衛ありの不沈性で設計したが軍部が性能を過信していたみたいね。もっとも出撃時には空母が無かったからどうにもならんかったが。
日本の大和型戦艦「武蔵」の最後を描いた小説を読みましたが、その最後の戦闘は
悲惨を越えて凄惨というのがふさわしい最後です。
浮沈艦と言われていた「武蔵」はなかなか沈まず、最後の最後まで勇敢に戦った
乗組員と共に沈んだ「武蔵」に敬意を表すとともに読み終わった後の感動は
今でも忘れません。
武蔵、大和級のイージス 作って貰いたい
当然 原子力で荷電粒子砲、レールガン、CIWS×最多搭載で
もし武蔵の浸水があまりひどくなかったらおそらく武蔵は沈まなかったはずですね。残念です。そのまま夜が来るのを待って明け方までに日本に帰って修理をしてまた戦列に復帰できたかもしれませんね。普通の戦艦なら魚雷が3、4発あたったら簡単に沈んでるところですがさすがに世界最大の不沈艦ですね。おそらく大和も爆弾が火薬庫に引火しなかったら武蔵以上の数の魚雷を撃ち込まれても沈ずまなかったでしょうね。
恐るべき耐久性の凄い戦艦ですね。二隻とも。できればサマール沖海戦とマリアナ沖海戦の時に敵の戦艦空母軍と出会って大和武蔵の世界一の46センチ砲が火を吹いて大活躍して欲しかったですね。本当に二隻とも反対に沈められたのは悔しいしもったいないと思います。もっと積極的に大和も武蔵も使うべきだったと思います。
もし たら おそらく はず かも if が大杉ませんか?だったら対米戦争やらなきゃ良かったのに(笑)
@@葉月夏彩 中村です。確かに最初からアメリカと戦争なんかしなければあんな悲劇は起こらなかったし原爆も落とされずにすんだと思いますね。本当に残念な事ですね。一日も早く世界中から核兵器はもちろん戦争の為のあらゆる武器がなくなって本当に世界が平和になるといいですね。
魚雷19発も食らえばいくら武蔵と言え沈むだろ?
大和も然り。
大和型と長門型の防水区画の数は一緒で同じ数ずつ浸水させたらほぼ同時に沈むという…
武蔵の主砲 副砲を全て排除して噴進砲 高角砲 対空機銃のみにした対空戦艦として大和とペアにしたら二艦とも生き残れたんじゃないか(?_?)
大和型は旋回性は良いが、転舵まで時間が掛かるでしたが。
舵が前後に1枚づつ有り、前方が小型の副舵、後方が大型の主舵だった様だ、大和以前の戦艦は左右に1枚づつ(双舵)設置されてます。
沈没の原因が大和もそうだけど、武蔵も右舷か左舷に集中的に魚雷攻撃を受け、注水が極限を越えて横転したと聞いたこと有りますね。
武蔵の場合は艦首の非装甲区画に魚雷攻撃を受け沈下し、後はバランス良く被雷した事が沈没の原因だったと思います。
横綱として一度も優勝できないばかりか、来る場所来る場所全休負け越し途中休場を繰り返したあげく敢えなく廃業に追い込まれるポンコツスクラップ横綱。戦前ならちょうど同じ名の武蔵山(笑)、戦後なら北尾の双羽黒。しかし考えてみれば、プラモデル人気だけがやたら衰えない兄弟分の大和も、ポンコツダメ横綱ぶりは似た者兄弟。相撲取りはガタイがでかけりゃ強いというわけではない、ウドの大木の典型。
大和さん武蔵さんを日本の誇りとしている人がたくさんいるのが怖い‼
大和も武蔵も沈没直後に第二砲塔の弾薬庫が爆発し船体が破壊されたと考えられていますが、本来非常に強固な場所のはず。乗員による自爆が行われたんじゃないかと思わせてくれますね。
武蔵の方が少し軽い(´`)
昔のこち亀で両津がマッチ簿で戦艦武蔵を作って作品展に出品しようとした時に、大原部長が「戦艦大和」と言っていました。
両津は「両舷に副砲があるのが武蔵なんです。」と言い訳していましたが、大和も竣工時には同じように副砲がありました。
簿 ➜ 棒
@@nanaphidel1276
ご丁寧にありがとうございました。
不沈艦そんな物ないのに現実見えてない
分からんでぇ?
もっと妥協せずに作ってたらどうなってたかなあ
@@ちびまる子ちゃん-h8s 僕はこの世に完璧、完全、究極、最強、100%と言う物はないと思っている
戦史を寝言で延々と話す女が隣に寝てたら嫌だなぁw
武蔵の動画なんだから冒頭の武蔵の概要のとこで武蔵の写真使えよ。
武蔵が撃沈された原因は魚雷命中による速力低下で艦隊に同行できず孤立してしまったことも大きい。これは長門も被弾して速力低下しながら艦隊に同行できる最低限速力維持できたことを考えれば明暗が別れてしまったと言えるかもしれない…
✖︎ 別れて ➜ 分かれて
長門は被弾後の修理で最大戦速発揮可能まで回復してますよ。それでも25ノットですが。
坊やだからさ
弱いから沈んだのでしょう。戦果0だし・・・
うーん、
リベット❗️
電気溶接で装甲にある程度一体感を持たせられれば或いは松本氏の推定の魚雷48本に大和型は耐えられたのかも····
でもそんなことは論点じゃない❗️例え20本で沈まなくても48本では沈むんだから結果は同じ····
よく言われることだかやはり戦略思想の遅れが最大の原因でしょ、既に艦隊決戦から航空決戦に移行するのはわかっていた筈だ、想定外なんてことはなかった筈だ❗️
その結果遅れたその戦略思想で時代遅れの大和や武蔵を大金掛けて作ってしまっただけのこと····
飛行機の無かった日露戦争の日本海海戦ならともかくそれをまた昭和に再現を夢見た帝国海軍上層部の妄想こそが
最凶の原因ではなかろうか····
日米開戦自体そもそも無理な戦だがもう少しまともな時代に見合った戦略思想があったらここまで無様な敗戦は無かったと想うよ😢
@user-hk9mx7tn8t
確かに航空主兵に海戦がなることを見越していたのは山本五十六ぐらいだったでしょうし、日米開戦に反対していたのも彼ぐらいだったでしょうね、でもそこがそもそも問題じゃないですか❗️
一国の頭脳をそう結集してこれですよ、結果が😭
なんでもっと先を見越せないんですかね、何のためのエリート養成の
海軍兵学校や陸軍大学だったんですかね、いずれにしろ大和や武蔵を沈めたのは艦隊決戦の戦艦ではなくて航空決戦の飛行機だったことには
間違いないのですから····
やはり大戦略レベルの思考であの時の日本は駄目だったのではないでしょうか·····
@user-hk9mx7tn8t
そんな些末なことよりも
戦略レベルで既に何十年も欧米に
遅れていたというだけのことですよ···
大和も武蔵も無用の長物だっただけのこと、だからこそ大和ホテルであり武蔵屋旅館だったのですね😭
@user-hk9mx7tn8t
本当、昭和の帝国陸海軍は
ダメダメだと想いますよ😃
なるほどミッドウェー海戦で大和をもっと活用すべきだったと❗️
それは俺も同感ですね、全く何のための四十六センチ砲だったのでしょうかね❗️
結局大和も武蔵も出し惜しみした挙げ句何の戦果も挙げずに魚のマンションになってしまった😭
これはやはり俺的にはヨーロッパの産業革命に対する日本の遅れを感じざるおえません、仕方ないことかもしれませんが日本の産業革命はようやく1868年の明治維新以降です、産業革命の本場イギリスで産業革命が起こったのが丁度百年前の
1760年、ざっと百年以上の遅れです·····、言ってしまえば近代国家としてこの100年の遅れがやはり後々響いたのではないでしょうか····
まるでアメリカがすでに航空機に完全に切り替わってるような言い草だけど
大艦巨砲主義捨てきれずず~~~~と引きずった国家は日本よりアメリカやで?
戦艦建造数もすごいからね。
アメリカは戦艦も空母も馬鹿みたいに作って日本圧倒した。
たかだか大和型の2隻や3隻作ったかどうかで勝敗左右するような状態ではないのだ。
@@ah4154
何イッテんの、アンタハ····
誰もアメリカが航空主兵に
完璧に移行したなんて俺は言ってねぇよ、アメリカが戦艦造りまくるのは別にいいんだよ、日本よりも国力が何倍も上なのだから、
アメリカほどの国力が有る国なら戦艦造ろうが空母造ろうが飛行機造ろうがカンケーねえんだよ、
でも日本みたいな金の無い弱小国は
航空主兵に金を回すか或いは戦艦に金を回すかしかねえんだよ、
それを日本はよりによって戦艦に回したのを俺は愚かだ言ってんだよ❗️
人の文章の真意がわからねぇくせに絡んでくんなよ😃
だいたいお前、軍事のこと本当に解ってんのかよ、笑っちゃうねさ