ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
これに生き残った乗組員が凄い
19:33初霜は坊ノ岬沖海戦は生き残ってます。7/30に宮津湾で擱座しました。
処分されたのは「霞」(雷撃)と「磯風」(砲撃失敗→雷撃失敗→再度砲撃して処分)
言いたいことは山ほどありますがあえて一言だけ。空の護衛が皆無の状況で沖縄まで行けるわけがない。ただ、伊藤整一中将以下大和の乗組員の皆様は命を懸けて戦ったのは事実。そのことに関しては心の底から称賛します。
インパールといい各地の玉砕といい。発案したモノ共はほとんど現地には行かない、もしくは逃げ出してるんだよね。成功したら自分の手柄、失敗したら現地の責任。昔も今も日本人は変わらない。死んでいったものを讃えるのは生き残ったヤツらの論点のすり替え。死しても卑怯者が生き残る事に利用されるのはかわいそうすぎる。
この作戦を立案した軍人は狂ってる日本人の恥さらしだ大和はこの段階に至っては水上砲台として使うのが最善だったに違いない
@@武知一厳 イージス艦が米軍に攻撃するわけないでしょう。イージスシステムについて調べてみ?
せめて伊勢や日向で実績の有った噴震砲くらいは装備してやるべきでしたね。飛行機の護衛も無い訳ですから。
たらればになるけど、真珠湾攻撃と同時に10万人以上の陸軍を上陸させ占領して、弾薬と燃料、金属を相当消費する戦艦なんぞ造らずに空母、航空戦力、駆逐艦、潜水艦建造を重視して、対艦戦闘は空からと夜間の駆逐艦、潜水艦の魚雷に徹していれば最終的には敗北したとしても米軍に相当ダメージを与えられていたと思った。
沈んだのは「初霜」ではなく「浜風」だったと思います。帰還できたのは初霜、雪風、涼月、冬月の4隻雪風と並び称される武運艦の初霜は舞鶴で雪風に看取られて沈没、涼月と冬月は戦後、防波堤になりました雪風は戦時賠償艦として中華民国(台湾)に引き渡され、台湾海軍総旗艦となって生涯を全うしました
初霜はほぼ無傷で生還してますね。確か負傷者数名のみで唯一戦死者無しの艦だったはず。艦長の酒匂少佐が戦後におこした会社は私が勤めていた会社の取引先で、担当者によれば会長職となっていた酒匂元艦長に会うと必ず坊ノ岬沖海戦の話を聞かされたそうです。
@@橋本英一郎 さんそんなご縁がございましたか。坊ノ岬組の艦長さんたちは皆この作戦に納得されておらず、発案者の神重徳がしたり顔で「一緒に行く」と言ったとき「この上あなたに督戦などしていただかなくとも、我等は立派に戦ってみせる」と断ったそうですね。神重徳は戦後、実に不可解な死に方をしますが、あるいは坊ノ岬沖で亡くなった方々に呼ばれてしまったのかもしれませんね・・・・・・・私は戦記が好きな人間でしたが、あるゲームをやるまでは駆逐艦の名前までは知りませんでした。いまではまさに「よく見知った顔」ですので、動画を見ると「ああ、ここで沈むのか」と悲しくなります
分かりやすい動画、ありがとございました。武蔵が沈没したレイテ沖海戦も見てみたいです。
大和に攻撃が集中したおかげとはいえ帰還出来た艦が凄いですね。
秋月型防空駆逐艦が帰投しているのは、同型の優秀性を物語っています。防空能力と生存性が高かった訳です。そもそも日本駆逐艦でまともな対空装備を持っているのが、秋月型と松型だけなのです。
豪運+乗組員達の卓越した技術で生き残った雪風を始めとして、初霜、冬月、涼月・・・涼月はめっちゃギリギリだったらしいですが、帰還できただけでも凄い事ですよね(^-^;
動画をどうもありがとうございました! 😀
プリンス・オブ・ウェールズを沈めた日本海軍が全く逆の立場に追い込まれる。学ぶものはなかったのか
勝つと調子に乗って勉強しなくなるからな😞
戦艦大和は名の通り日本海軍の象徴だったので 傷をつけるわけにはいかなかったのでは?出撃したのは、大和の死に場所を決めたという事でしょう。上手く行っても座礁させるのですから。
何も学んでない とは言えないかな。学んでないなら、信濃と四番艦を戦艦として竣工させようとしただろうし。学んだ、学んでない より、あの時点から航空主体に変換する余力が無かった。というのが事実ではなかろうか・・・開戦後に完成にまで持ち込めた大型艦は、大鳳ぐらい(大和や武蔵も開戦後竣工だけど艦体そのものはほぼ完成状態)だから・・・信濃?航行したとはいえ、あれを完成したと言って良いとはとても・・・そもそも完成させるための移動中に沈められたし。中型艦で妥協?しても完成までこぎつけたのは雲竜・天城・葛城ぐらい、後は軽巡や駆逐艦だしね。
あの時点ですでに艦載機も乗組員も全く足りなくなった。ミッドウェーで失ったものがあまりにも大きすぎた。空母の増産は雲竜型などされているが、載せる機がもはや無くなっていた。
数年ではどないものならん。実際、英国は艦爆は複葉機だし、日米だけが空母部隊を中心とした近代的な機動部隊を編成し艦隊決戦をした。日本が数隻なのに、米軍が開戦2年程で数十隻の空母を建造できたのは国力の差。日米開戦の是非はおいといて、戦訓以前に、戦略がゼロの海軍のアホ戦略が問題。
スプルーアンス中将のロマンいいなぁ確か東郷平八郎に憧れてて、大和はトーゴースタイルで沈めるのが礼儀みたいなのもあった気がする
それを諦めて航空攻撃を決断したのもスプルアンスの強さな気がする
憧れているというか、会っていますね
確か米艦隊と大和に距離があり過ぎて、もし大和にUターンされたら追いつけない故の航空機攻撃でもあった様な。
ウイキでは米軍の損害13機、行方不明13人となっている。日本側は戦死4000名、沈没:大和、軽巡矢矧、駆逐艦6隻。艦隊決戦したら米軍の損害は・・・・現実ありえない夢を語ったに過ぎないと思う。
スプルーアンス大将は計算尺の頭脳を持つと言われるほどの優秀な提督だったから、アメリカ軍の提督の中でも極めて合理的かつドライな性格の人物だったと思いますし、実質的にマリアナ沖海戦も合理的かつ冷徹さを持った頭脳だったからこそ、戦闘機を全て迎撃に迎え撃って、あとは呑気に旗艦のインディアナポリスで豪華な食事を堪能しながらマリアナの七面鳥撃ちやサイパン島上陸を高みの見物気分で見ていたと思います。逆にハルゼーの方が指揮官だったら、大和を迎撃するため何が何でも戦艦部隊に命じてた気がします。レイテ沖海戦の後、自分が小沢艦隊の囮作戦に引っかかって大バッシングを受けたハルゼー大将曰く「マリアナ沖海戦を自分が指揮してて、レイテ沖をスプルーアンスが指揮してればこんな面倒臭いことにはならなかったんだ」と愚痴をこぼしていた逸話がありますが、仮にもしその通りだったら日本側のアウトレンジ戦法が成功してたのではないかと思うところではありますし、逆にアメリカの方が作戦失敗してた可能性も捨てきれないかなって気がします。
神重徳参謀は「断じて行えば鬼神もこれ避く」「作戦が上手くいかないのは意気地がないから」の精神論一本やりで、突入作戦を実行させてばかり…結局上手くいったのは第一次ソロモン海戦のみ(これも敵上陸船団を撃滅せず、支援艦隊のみを叩いただけだったので、後に一木支隊全滅の要因となっています)。
末期戦の特徴だけど、いやこれは無いだろ、って作戦が普通に公式化されてるのが怖い
最初から戦果があるとは考えられてなかったですよ。ただ単に大和の死に場所を与えたかっただけで、そのまま大和を残したところで戦艦長門と同じ運命になるだけでしたからね。
@@akibanokitune さん別に呉に置いておいて日向や榛名と同じ運命でも一向に良かったと思う大井篤氏は「あれだけの燃料があればどれだけの海防艦を出動させられたか」と嘆いているんだし
@@米山ともき-q6c 今となってはそうでしょうね。だけど当時の将校たちは戦に敗れて連合艦隊の象徴である大和が残っていれば国民は何というでしょう?という考えだったのです。そのために4000名の命を犠牲にしたのは愚かな考えだったと思います。
貧すれば鈍す、ですな。特攻作戦の初っ端で戦果を挙げてしまったのがその後の悲劇を生むことになったが皮肉すぎる。
大和特攻は、軍部の責任逃れのための作戦だった。国民に秘密にして巨額を投じて建造した巨大戦艦。それがなんの活躍もできないまま残存して敗戦を迎えようものなら、どれほど国民が反発を受けるか。むしろ特攻させて悲劇のヒーローにしてしまったほうが、戦後美しく語り継がれるというもの戦後、大和賛美をしている人たちはその路線に乗っかっての発言。ぼくは絶対に特攻なんぞ支持しないし、賛美しない。どれほど反日左翼といわれようが、絶対軍国主義を許さないし、日本を壊滅させたことを許さない。おれは絶対日本支持者だからだ
大和は世界に比類なき工程管理が行われたことでも知られています、重量を仕事量の指標に予定総工数を組み合わせることと予定総工数のグラフ化によって実績値と比較することでトラブルの発生源を突き止めるなどが行われました。船は民間というのを(工廠は軍の施設だからお役所仕事、つまりネジ一本買うのにも書類と判子行脚なのに対して民間なら即購入が出来るから何事も早く進む)覆した船でもあります。
前間孝則著「戦艦大和の誕生」西島技術大佐の未公開記録 上下巻 海戦や戦争の話は皆無ですが、海軍造船の歴史、戦艦大和の建造だけでなく、技術的な事、量産のための規格化等、そして戦後の日本造船業へ至る系譜が詳しく書かれております。@user-jl6sk5ye2xさんのコメントに興味を持った方には参考になると思います。未読の方は是非。(アマゾンマケプレなら旧版文庫、単行本がかなり安く売られてますよ)
それは悲しい自画自賛アメリカのエセックス級とフレッチャ級の大量生産に較べれば当時の日本の工程管理、品質管理は町工場レベル実際に戦後、トヨタを始め日本の製造業の品質管理はすべてアメリカに学んだ事を忘れてはならない
戦艦の時代が終わった時にできた最強の戦艦
しかも空母優位って証明したのが旧日本軍という
一方で、作戦行動中に航空機のみで撃沈された戦艦って5隻しか無いんだよね。プリンス・オブ・ウェールズレパルスローマ武蔵大和
@@satootto比叡も航空攻撃で沈んでると表記されたりしてますね
真珠湾攻撃で沈められたアリゾナは?
@@匿名係りのディスクウガ アリゾナは港で停泊中に撃沈されているので、作戦行動中ではないです。
こんなに公平にと言いますか、様々な情報と共に正しく解説している動画は久しぶりに見ました。上から目線になってしまうかもしれませんし正しい表現方法が分からないのですが、この様な動画を見させてもらった事大変感謝申し上げます。コメ欄からはちょっと目を逸らしますが…
長文失礼ちなみに、しれっと駆逐艦涼月が落伍、軽巡洋艦矢矧が沈没していますが、矢矧は「魚雷7本、爆弾12発(米側資料なので不発や誇張の可能性あり)」と言う攻撃を受けながら完全に沈没するまで対空戦闘を継続し、(諸説あり)涼月は艦首が吹き飛び、前進すると艦首から沈むような損傷を受けながら後進だけで佐世保に無事(?)帰還しています
涼月は佐世保に帰還したあとに浸水箇所のダメージコントロールしてそのまま命を失った乗組員が発見されたんだよね・・・
@@fbywj730そう、この乗組員の犠牲でなんとか帰還できたと言われています。合掌。😢
涼月はその前の戦いでも艦首と艦尾が吹き飛んでるから、運がいいのか悪いのか佐世保に向かってる途中、甑島付近で司令部から必要なら自沈するよう指示がきたらしいんですが、自沈させなかったらしいとか
@@Hachiju-nana_87_jp そんな被害を受けても帰還できているのは、秋月型の生存性の高さを物語っています。この海戦では冬月も参加していますが、無事帰還しています。冬月も何度も被雷しているのですが、毎回帰還している幸運艦です。
沈没した戦艦大和の水中調査のテレビ放送を見た時、靴の底だけが船内(海中)に漂っていました。英霊に合掌‼️
坊ノ岬沖海戦で撃墜できた米機は10機あったかなかったか?その撃墜した米機の中に攻撃の様子を撮影していた航空機が含まれていた事は何とも皮肉な感じがします。
連合艦隊のグループシンクで尊い命が南洋に散り、大和も武蔵坊弁慶の如く無数の爆弾、魚雷を受けて散ったのか…。
大和艦隊攻撃に向かった空母ハンコックの航空隊は目標に接触できず、空しく帰投せざるを得なくなり、帰り着いた母艦は特攻機の突入によって大破していました。
バンカーヒルもそうだと思います。大和が特攻してのアメリカ軍機動部隊への見返りが、多分この2つだろうと思います。
一説では坊ノ岬沖海戦で主砲三式弾で敵機を威嚇したと言われてますし、レイテ沖海戦のサマール沖海戦では、実際に主砲では敵空母艦隊を主砲で砲撃してますよ。
ちなみに、当の戦果はといったら、大和を攻撃するために発艦準備途中の58.3任務群(司令官:フレデリック・C・シャーマン少将)所属の空母バンカーヒルに特攻機が突っ込んで大破させたというだけで特に影響なんてなく、沖縄へ上陸支援中の護衛空母から攻撃隊を補填して大和を攻撃したわけだから、全く意味なんてなかった。むしろ、大和を放り込んだ自体、単に大和を囮にして特攻隊の戦果を上げようとした福留繁をはじめとする海軍上層部の愚か具合ここに極まった行動ではないかとさえ批判する人もいます。
モリソン戦記には「目の前で味方が包囲殲滅されつつある状況で、自分だけ安全な塹壕に籠っているなど軍人として決して許されることではない」みたいなこと書いてあった。日本を守るために作られた戦艦と日本海軍の「けじめ」だけはつけたのではないか。何もせず温存してたら「沖縄を見捨てた」とか「臆病者」という誹りを免れることはできない。
なるほど。これで大和の左舷に攻撃が集中した意味が分かった。左側の護衛艦隊がいなくなって防御が手薄の状態だもの。そこが穴になり攻撃が集中しやすくなったんだ。
20年ほど前ですが、「男たちの大和」の撮影に使われた大和の実物大のセットが尾道で公開されていて、観に行った事があります。セットとはいえその存在感・美しさに感動しただただ立ち尽くしてしまいました。本物の大和も、三笠のように記念艦として残ってほしかったですね。
大和型戦艦は超弩級戦艦などという旧式戦艦ではありませんよ大和型はポストユトランドタイプの新型戦艦です。ポストユトランドタイプで最初に出現したのは英国のキングジョージV世級からです。
ドレッドノート級を超えているから間違いではないが、比較対象として古すぎるかと、言葉の響きはいいけどね、大和では超弩級は使わないよね素人以外😅
大和は、呉のシンボル🤥この動画を見た人は、大和ミュージアムに来てね😃
生き残った艦隊についても言及してほしい。特に雪風。
まさかこの後、ゴジラと戦うことになるとは・・・
「大和ホテル」に「武蔵旅館」又は「武蔵ホテル」武蔵も大和同様出撃の機会に恵まれませんでしたからね。
大艦巨砲主義者です。やっぱりロマンがありますね。
主砲のサイズに対してまだこれでも船体は小さいらしいな。
かの堂々たる連合艦隊の、これが成れの果てか
海軍上層部の戦後のメンツを保つためだけの作戦。
日向や伊勢で実績の有った噴震砲をなぜ大和に装備しなかったんですかね。直掩機も無ければ対空火器に頼る事くらいしか無いのは分かっていた筈なのに…。
レイテ湾沖のシブヤン海で武蔵を沈めるまで五度にも及ぶ攻撃隊を出している。その時の反省から、より合理的にかつ短時間で沈めるために片舷へのピンポイント攻撃にしたのではないでしょうか。片舷へ魚雷攻撃を集中させてその時にもう片舷には注排水システムで注水して平行に復元させてくる。その繰り返しをすれば、いずれ艦の注水システムは満水となり限界を迎えるアメリカ海軍の航空隊はそこをついたと思います。
レイテ海戦で武蔵を沈めた部隊が5つ近いタスクフォース(第1群:ジョン・S・マケイン・シニア中将、空母5隻、第2群:ジェラルド・F・ボーガン少将、空母4隻、第3群:フレデリック・C・シャーマン少将、空母4隻、第4群:アーサー・W・ラドフォード少将、空母4隻、第5群:ラルフ・E・デヴィソン少将、空母4隻)で、しかも武蔵を沈めるために一度帰還した攻撃隊をダブルヘッダーで出撃させるぐらいの猛攻だったとか。栗田艦隊の将校も、アメリカ軍は小沢艦隊ではなく自分たちが本隊であると見破ってる(実質情報が筒抜けだし、むしろ栗田艦隊こそが囮だと思い込んでた可能性)と口走ったとか。
海戦後、空母屋のミッチャーと戦艦ヤンキーのデイヨで揉めたんですよね?
King of Battleshipなどと言われてるのに一度も殴り合いをやっていないまさに無冠の帝王。
5:42 突撃させるより、陽動に使った方がスプルアンスも何としてでも沈めようとしただろうし、そうすれば沖縄への神風攻撃がもっと上手くいったはずなんだよな…
沖縄へ行かずウラジオストクへいき奇襲攻撃をかけてほしかった。あるいは五島列島あたりで座礁させて動かないようにしておけば戦後まで助かったかも..
直掩を数十用意しても結果は一緒でしょうが、直掩が居なかったこと自体が作戦への熱意の無さがわかりますね。
なにが特別だったのかと虚しくなります
もしもアメリカ海軍が大和を航空機じゃなくて戦艦で沈めようとしてたら大和の強さが証明されたのに
アメリカの旧式戦艦は防御力に全振りしているし、アイオワ級は砲戦力が互角に近いから、結局数で押し負ける結果はさけられないでしょう。それでも航空攻撃より確実に損害は出るから普通の神経の持ち主なら砲戦は回避するかと
当時アメリカ艦隊の艦長がバルチック艦隊を破った東郷平八郎を尊敬していて日本艦隊の大和と砲撃を交え撃沈するみたいな考えを出したけど足が遅すぎて追いつかないとなり空母に攻撃を任したという話もありますよね。
4:50 能力を別として少なくとも、サイパンかこの戦いで神大佐を突入させるべきだったよな…
18:41 そのうち大和を直接攻撃したのは117機じゃないかな?
せめてこの時天候が良かったらもっと撃墜出来たかも。
大和を座礁させて砲台として使うとかの話しは昔聞きましたけどそもそも軍艦の砲塔は電気で動かしてる筈、座礁させてどうやって砲台を動かす電気を発生させるのか(・_・?)
祖父の従兄弟が陸軍だが大和沈没の日に戦死 まだ知らない近代史がある
超弩級戦艦建造に膨大な人的および物的な資源を注ぎ込み、そしてその戦力が活かされることはなかった・・・と。
特攻をしようと言い出した下級幹部は、これらの犠牲者の責任も取らず、戦犯会議にもかからず逃走したのです。しかもプロジェクトを上部から却下されても勝手に実行したのです。
キセキの雪風
奇跡ではあると思うけど、奇跡を起こそうと努力した「乗員の努力」という下地あっての軌跡。
19:39 これは武藏ですね。
大和型の主砲発射してる記録って確かあれしか無いからでは?
「艦これ いつかあの海」(アニメ二期)での最終回の坊ノ岬沖開戦の描写は史実のそれに比べてどうだった?
歴史の傍観者としては楽しめるが、この艦隊の中で命を懸けて戦っている兵隊の覚悟を思うと・・。なんで日本は昔からこんななぁなぁで事を進めるのだろうか。日本人の特性なのだろうか。
護衛する空母が1隻でもいれば戦果が違っただろうな
大本営「なんでそんなんを、さい配のアレを言われなアカンのや!」
これだけの被害があっても、落とした敵機はたったの6機ですわ。諸説あるけど全く合理性のない作戦です。ナニワブシとメンツだけで戦死した兵隊さんが気の毒やな。
やっぱデカいと攻撃当てやすくてダメだね。相手が戦艦とかなら良かったけど飛行機じゃね、時代に追いつけてなかったね。
これって作戦ていえるのか
日本人は大和を誇大評価するが、アメリカ海軍は大和を4万トン級の普通の戦艦としてしか評価していない。その評価通りの活躍すらしていない。沖縄特攻の水上作戦自体、残存艦で突入するので沖縄の陸軍は総攻撃せよ、と豪語していたが、大和が沈むと慌てて逃げた。海軍は多くの海戦で敵前逃亡というべき過早な戦場離脱が多い。他の友軍のことや戦略性を全く考えていない。艦隊保全主義である。大和を沈没させるためのこの作戦は日本の本土決戦準備にも沖縄の陸上戦にもなんの貢献もしていないエゴイスティックな作戦である。
無駄な戦闘であったがこれしか大和の死に場所が選べなかった。レイテ沖海戦で武蔵と共に沈んだ方がまだ有名な戦艦となったと思う。
46センチ砲を発射しなかったって三式焼夷弾も撃たなかったんだ
主砲使うと発射時の衝撃波で設置した対空砲が使用不可能になるんじゃなかったかな
屋根無しで機銃を操作する兵員が爆風で死んでしまいます
開戦時の天候が曇天で米軍機は雲の切れ間とかから接近して来てますので、主砲、副砲は照準出来なかった様です。日本側はレーダー管制の射撃は出来なかったので。
@@yosikatarokkaku1181武蔵は対空戦闘を実施しながら射撃したので多くの対空機銃要員が戦死したという話がありますね。
主砲発射に関しては、発射前に待避する、試射で鳥籠置いた実験、布団何重にも被って待機してみたとかのエピもありますね
大和が前線に投入できなかったのは仕方がない。満足な訓練もできなかった上に、進水後も無数の改修箇所があったからね。反省すべきは、海軍と日本の戦争に勝つための作戦構想が未熟だったということだと思う。日本の戦艦は日露戦争以降は、特筆すべき戦績というべきものがない。それなのに、あまりに挑戦的にすぎる目標だったと思う。仮に大和を作らずに、巡洋艦と輸送艦を増産していれば、戦局は変化していたと思う。
もしかして沖縄座礁に成功していればそのうちアメリカ軍に鹵獲されてアメリカ軍の鹵獲兵器として現代でも生きてたかもしれないってこと?
犠牲者には申し訳ないが、下手な形で残って○○ア辺りに鹵獲されるよりは、爆沈しか無かったのかな。
そのまま呉に置いていても「呉大空襲」で他の戦艦同様大破着底して、戦後に解体されるでしょう
よしんば、航行可能で生き残っても、「クロスロード作戦」という処刑場に、長門や酒匂と共に引き出されるだけだったろうな・・・
こうなる前に降伏すべきだった無くなった人たちは気の毒だけど無駄死にになった
一撃では無い!
浮き砲台にするくらいなら、長門、日向、伊勢、榛名、天城、葛島の残存艦隊で戦わせてやればいいのに。
アメリカは太平洋戦争緒戦で失った戦力を戦いながら回復したが日本には無理でした。中国と戦争しながら同時に米英とも戦うとか何をどうやっても絶対無理なのよ。つーかよく4年も戦えたなと。
米英というよりアメリカ一国ですねノルマンディー上陸作戦とマリアナ沖海戦を同時に行える国が化け物過ぎるんですよ
まともに戦えたのは半年でしょ?ミッドウェー海戦で空母4隻失った時点で完全にアウト。
せめて空母と艦載機が有れば??日本🇯🇵人の気持ちを持って産まれた戦艦だったのに。悲しく感じます。合掌🙏🙏🙏😭
九州中から残存の戦闘機を護衛に飛ばせたとしても一波攻撃での被害を減らすのがやっとだっただろうし、どう足掻いても沖縄には辿り着けなかったのが何とも・・・
単に沖縄にたどり着くのが目的だったら、南西諸島伝いに南下したら良かっただけの話で、そうすれば絶えず航空特攻隊と護衛戦闘機が上空にいる事になりました。
ミッチャーが大和に対して航空攻撃にこだわったのは、米軍内部でレイテで武蔵を沈めたのは航空機となっているが、実は潜水艦の魚雷が同艦に致命傷を与えたいう噂が流れていたため、ここではっきり航空機の威力を示したいと考えていたためだそうです。
逆に言えば海空どちらからでも大和くらい潰せるからどっちにする?そういう感覚ですよねwそれに比べて悲壮感しかない大和…
というか、沈めた艦船の総トン数で言えばもう潜水艦の圧勝でしたから。戦後はどこでも潜水艦ばかり作って金食い虫の空母はアメリカしか作らなかったですね。イギリスは脱落したようなものだしフランスもしぼんじゃいました中国と日本は必要性皆無なのに空母にご執心ですけど、井上成美の言った「空母は脆弱」という意味がわからないようですね(まして高価な「軽空母」ですし)
本土から援護の航空隊来れへんの?
最後の戦いなんだから連合艦隊司令長官自ら艦隊を率いるべきだったんじゃないの?この艦隊が壊滅したら連合艦隊司令部なんて必要ないんだしさ、若い人よりまずお前らが戦えって思うわ。
司令部はずっと横浜にあるし、艦隊に同道する気は全くなかったろうね
実際「これで水上艦も無くなるし、軍令部も一緒に来ればいいじゃないか」と、作戦会議に出た草加参謀長に怒った駆逐艦艦長もいた
トップが無能で現場が有能すぎてなんとかしちゃうって日露戦争からの伝統ですよねぇ
敵に対して責任を取らないと、その部下が責任を取らされる。いわゆる戦争犯罪人として生きてもらう必要があるね。
10:11空母大和爆誕!w
インド洋海戦、珊瑚海 海戦で実戦使用すると よかった! 海軍の無能な 参謀たちに、お飾りにされてしまった。ガ島のヘンダーソン飛行場へ、戦艦 金剛、比叡らと艦砲射撃すればよかったのになー! 自慢の巨砲が存分に 撃てなかったのが悔しいな!
結果は目の見えてるのに海軍のつまらないメンツで沈められにいった最悪の作戦。これを日本海軍は航空主兵を学ばなかった無能!なんて的はずれな批判もいいところ。
この無謀な特攻を立案した海軍の辻政信こと神重徳の暴走を止められなかったのが組織として終わってる作戦に反対してる上役の草鹿が出張に行く隙をついてさらに上の上級将校の決裁を貰い作戦を決定とかね
一方的にボコられただけなのに海戦になるのか哀れ過ぎて乗組員がかわいそう😢
むしろ潜水艦多数に待ち伏せされてじわじわなぶり殺しよりマシまであります
先駆けになってや。な? っていって数か月後に本土決戦もせず降伏だもん。伊藤さんや特攻隊員ほんと可哀想だよ。残った人も死ぬべきなんて口が裂けても言えないが。
1.何故戦艦部隊は戦争初頭ロクに動かなかったのか? ➡正解は動けなかった、です。戦艦は燃料を爆食いするので戦争初頭から縦横無尽に動かしていたら数か月以内に燃料枯渇となったでしょう。2.何故豊田副武は前線に出なかったのか? ➡命令に基づきます。その前の連合艦隊司令長官2代続けて最前線で亡くなってるので3代続けてはマズイことになるという理由です。 連合艦隊司令部は日吉に陸揚げされるようになります。
旧型の金剛型は駆け回ってたけどね長門や大和が沈むと指揮に影響するから出し惜しみしてた
大本営はあほなの?
負けるべくして負けた国。
大和の乗組員に全く同情はない戦争主義者の末路でしかない
うーん、大和を含めて6隻が沈没し、4隻が帰還出来たような?主はそれを分かっているのか?
弱すぎない?
曇り空だったので、主砲が打てなかった。日本軍に40mm機関砲が有れば、今回に限らず全体的にもう少し違ったのだろう。
こんな自殺行為を作戦と称して下々にやらせる大本営がほんと頭おかしい。自分の子供がこんな無駄死にをさせられたらと思うと、絶対に許されるものではない。無能な上官によって無駄に命を落とした数百万人の人々の身内はもっと怒ってもいいんじゃないかと。
個人の感想ですが当時の司令部の親の世代て江戸時代・明治維新の頃でしょう?そんな時代ですから今日の価値観で言えば間違いなくあたおかだけど、武士というか根本的に別の考え方があった、と思うべきなんでしょうね。そうでなければ維新もなければ戊辰戦争も無いんじゃないでしょうか。そもそもが現代人と違うんでしょうね。
@@KARAMAZOV_3 確かにこの時代、ノルマンディー上陸作戦では遮蔽物の無い海岸を文字通り仲間の肉壁で防ぎながら進軍したりします。またちょうどこの頃の日本人は子どもの頃に日露戦争を経験しているんですよね。大量の戦死者を出しながら203高地を制圧して沸き立った世代なので、今の時代の死生観とはずいぶん異なるんだと思います。
世界的に見ると日本海軍の当時の価値観はおかしいよ代表的な例が艦長が艦と一緒に死ぬことを半ば強制されていること外国でも個人としてやる人はいるけど、組織でやらせてるのは日本だけやってることが完全に切腹だけど、お前らは武士じゃねえんだぞ軍人なんだよ合理的な考え方ができない軍隊は勝てない
@@Kei-zh9fh 難しいところですよね、当時であれば独、露あたりは間違いなく司令官含め玉砕司令を出していました。まースターリンやヒトラーという強烈な独裁者がいますが。客観的に見れば日独は敗戦濃厚な状況での指示、露は合理的という解釈になってしまいます。今では許されることでは無いのは承知しておりますが世界的に見て日本だけって事では無いかなとも思います。
リプライで何かで引っかかったのか表示しないから再度コメントします@当時の独露英は指揮官もろとも玉砕指示を何度も出しています。まぁチャーチルやスタリンなど強烈な指導者はいましたが。世界的に見ても各地にそれなりにあった思想だと思います。
大和は進水した時点で時代遅れだった上に(ヨーロッパの海では戦艦が活躍したが)余りにもおろかな作戦😢
進水したのは1940年8月8日だけど、アメリカは大戦後半まで戦艦作ってるんですよねぇ
言いたいことは一つ。大和は超ド級戦艦じゃないぞ。超ド級は金剛級だな。まあ沖田艦長も宇宙戦艦ヤマトを超ド級とか言っていたがな。
超弩級 というのは、ドレッドノートを越える という事なので、大和型も超弩級ではある。・・・が、大和やアイオワぐらいになると、超弩級を更に超えた艦と言いたくなるよね。それに、その頃は既に超弩級が戦艦としては普通だったし。
金剛型以降は全部超弩級でしょ。
これに生き残った乗組員が凄い
19:33
初霜は坊ノ岬沖海戦は生き残ってます。
7/30に宮津湾で擱座しました。
処分されたのは「霞」(雷撃)と「磯風」(砲撃失敗→雷撃失敗→再度砲撃して処分)
言いたいことは山ほどありますがあえて一言だけ。
空の護衛が皆無の状況で沖縄まで行けるわけがない。
ただ、伊藤整一中将以下大和の乗組員の皆様は命を懸けて戦ったのは事実。
そのことに関しては心の底から称賛します。
インパールといい各地の玉砕といい。
発案したモノ共はほとんど現地には行かない、もしくは逃げ出してるんだよね。
成功したら自分の手柄、失敗したら現地の責任。
昔も今も日本人は変わらない。
死んでいったものを讃えるのは生き残ったヤツらの論点のすり替え。
死しても卑怯者が生き残る事に利用されるのはかわいそうすぎる。
この作戦を立案した軍人は狂ってる
日本人の恥さらしだ
大和はこの段階に至っては水上砲台として使うのが最善だったに違いない
@@武知一厳 イージス艦が米軍に攻撃するわけないでしょう。
イージスシステムについて調べてみ?
せめて伊勢や日向で実績の有った噴震砲くらいは装備してやるべきでしたね。
飛行機の護衛も無い訳ですから。
たらればになるけど、真珠湾攻撃と同時に10万人以上の陸軍を上陸させ占領して、弾薬と燃料、金属を相当消費する戦艦なんぞ造らずに空母、航空戦力、駆逐艦、潜水艦建造を重視して、対艦戦闘は空からと夜間の駆逐艦、潜水艦の魚雷に徹していれば最終的には敗北したとしても米軍に相当ダメージを与えられていたと思った。
沈んだのは「初霜」ではなく「浜風」だったと思います。帰還できたのは初霜、雪風、涼月、冬月の4隻
雪風と並び称される武運艦の初霜は舞鶴で雪風に看取られて沈没、涼月と冬月は戦後、防波堤になりました
雪風は戦時賠償艦として中華民国(台湾)に引き渡され、台湾海軍総旗艦となって生涯を全うしました
初霜はほぼ無傷で生還してますね。確か負傷者数名のみで唯一戦死者無しの艦だったはず。艦長の酒匂少佐が戦後におこした会社は私が勤めていた会社の取引先で、担当者によれば会長職となっていた酒匂元艦長に会うと必ず坊ノ岬沖海戦の話を聞かされたそうです。
@@橋本英一郎 さん
そんなご縁がございましたか。坊ノ岬組の艦長さんたちは皆この作戦に納得されておらず、発案者の神重徳がしたり顔で「一緒に行く」と言ったとき「この上あなたに督戦などしていただかなくとも、我等は立派に戦ってみせる」と断ったそうですね。神重徳は戦後、実に不可解な死に方をしますが、あるいは坊ノ岬沖で亡くなった方々に呼ばれてしまったのかもしれませんね・・・・・・・
私は戦記が好きな人間でしたが、あるゲームをやるまでは駆逐艦の名前までは知りませんでした。いまではまさに「よく見知った顔」ですので、動画を見ると「ああ、ここで沈むのか」と悲しくなります
分かりやすい動画、ありがとございました。武蔵が沈没したレイテ沖海戦も見てみたいです。
大和に攻撃が集中したおかげとはいえ帰還出来た艦が凄いですね。
秋月型防空駆逐艦が帰投しているのは、同型の優秀性を物語っています。防空能力と生存性が高かった訳です。そもそも日本駆逐艦でまともな対空装備を持っているのが、秋月型と松型だけなのです。
豪運+乗組員達の卓越した技術で生き残った雪風を始めとして、初霜、冬月、涼月・・・
涼月はめっちゃギリギリだったらしいですが、帰還できただけでも凄い事ですよね(^-^;
動画をどうもありがとうございました! 😀
プリンス・オブ・ウェールズを沈めた日本海軍が全く逆の立場に追い込まれる。
学ぶものはなかったのか
勝つと調子に乗って勉強しなくなるからな😞
戦艦大和は名の通り日本海軍の象徴だったので 傷をつけるわけにはいかなかったのでは?
出撃したのは、大和の死に場所を決めたという事でしょう。
上手く行っても座礁させるのですから。
何も学んでない とは言えないかな。学んでないなら、信濃と四番艦を戦艦として竣工させようとしただろうし。
学んだ、学んでない より、あの時点から航空主体に変換する余力が無かった。というのが事実ではなかろうか・・・開戦後に完成にまで持ち込めた大型艦は、
大鳳ぐらい(大和や武蔵も開戦後竣工だけど艦体そのものはほぼ完成状態)だから・・・信濃?航行したとはいえ、あれを完成したと言って良いとはとても・・・そもそも完成させるための移動中に沈められたし。
中型艦で妥協?しても完成までこぎつけたのは雲竜・天城・葛城ぐらい、後は軽巡や駆逐艦だしね。
あの時点ですでに艦載機も乗組員も全く足りなくなった。
ミッドウェーで失ったものがあまりにも大きすぎた。
空母の増産は雲竜型などされているが、載せる機がもはや無くなっていた。
数年ではどないものならん。実際、英国は艦爆は複葉機だし、日米だけが空母部隊を中心とした近代的な機動部隊を編成し艦隊決戦をした。日本が数隻なのに、米軍が開戦2年程で数十隻の空母を建造できたのは国力の差。日米開戦の是非はおいといて、戦訓以前に、戦略がゼロの海軍のアホ戦略が問題。
スプルーアンス中将のロマンいいなぁ
確か東郷平八郎に憧れてて、大和はトーゴースタイルで沈めるのが礼儀みたいなのもあった気がする
それを諦めて航空攻撃を決断したのもスプルアンスの強さな気がする
憧れているというか、会っていますね
確か米艦隊と大和に距離があり過ぎて、もし大和にUターンされたら追いつけない故の航空機攻撃でもあった様な。
ウイキでは米軍の損害13機、行方不明13人となっている。
日本側は戦死4000名、沈没:大和、軽巡矢矧、駆逐艦6隻。
艦隊決戦したら米軍の損害は・・・・現実ありえない夢を語ったに過ぎないと思う。
スプルーアンス大将は計算尺の頭脳を持つと言われるほどの優秀な提督だったから、アメリカ軍の提督の中でも極めて合理的かつドライな性格の人物だったと思いますし、実質的にマリアナ沖海戦も合理的かつ冷徹さを持った頭脳だったからこそ、戦闘機を全て迎撃に迎え撃って、あとは呑気に旗艦のインディアナポリスで豪華な食事を堪能しながらマリアナの七面鳥撃ちやサイパン島上陸を高みの見物気分で見ていたと思います。
逆にハルゼーの方が指揮官だったら、大和を迎撃するため何が何でも戦艦部隊に命じてた気がします。
レイテ沖海戦の後、自分が小沢艦隊の囮作戦に引っかかって大バッシングを受けたハルゼー大将曰く「マリアナ沖海戦を自分が指揮してて、レイテ沖をスプルーアンスが指揮してればこんな面倒臭いことにはならなかったんだ」と愚痴をこぼしていた逸話がありますが、仮にもしその通りだったら日本側のアウトレンジ戦法が成功してたのではないかと思うところではありますし、逆にアメリカの方が作戦失敗してた可能性も捨てきれないかなって気がします。
神重徳参謀は「断じて行えば鬼神もこれ避く」「作戦が上手くいかないのは意気地がないから」の精神論一本やりで、突入作戦を実行させてばかり…結局上手くいったのは第一次ソロモン海戦のみ(これも敵上陸船団を撃滅せず、支援艦隊のみを叩いただけだったので、後に一木支隊全滅の要因となっています)。
末期戦の特徴だけど、いやこれは無いだろ、って作戦が普通に公式化されてるのが怖い
最初から戦果があるとは考えられてなかったですよ。
ただ単に大和の死に場所を与えたかっただけで、そのまま大和を残したところで戦艦長門と同じ運命になるだけでしたからね。
@@akibanokitune さん
別に呉に置いておいて日向や榛名と同じ運命でも一向に良かったと思う
大井篤氏は「あれだけの燃料があればどれだけの海防艦を出動させられたか」と嘆いているんだし
@@米山ともき-q6c
今となってはそうでしょうね。
だけど当時の将校たちは戦に敗れて連合艦隊の象徴である大和が残っていれば国民は何というでしょう?という考えだったのです。
そのために4000名の命を犠牲にしたのは愚かな考えだったと思います。
貧すれば鈍す、ですな。
特攻作戦の初っ端で戦果を挙げてしまったのがその後の悲劇を生むことになったが皮肉すぎる。
大和特攻は、軍部の責任逃れのための作戦だった。
国民に秘密にして巨額を投じて建造した巨大戦艦。それがなんの活躍もできないまま残存して敗戦を迎えようものなら、どれほど国民が反発を受けるか。
むしろ特攻させて悲劇のヒーローにしてしまったほうが、戦後美しく語り継がれるというもの
戦後、大和賛美をしている人たちはその路線に乗っかっての発言。
ぼくは絶対に特攻なんぞ支持しないし、賛美しない。どれほど反日左翼といわれようが、絶対軍国主義を許さないし、日本を壊滅させたことを許さない。おれは絶対日本支持者だからだ
大和は世界に比類なき工程管理が行われたことでも知られています、重量を仕事量の指標に予定総工数を組み合わせることと予定総工数のグラフ化によって実績値と比較することでトラブルの発生源を突き止めるなどが行われました。船は民間というのを(工廠は軍の施設だからお役所仕事、つまりネジ一本買うのにも書類と判子行脚なのに対して民間なら即購入が出来るから何事も早く進む)覆した船でもあります。
前間孝則著「戦艦大和の誕生」西島技術大佐の未公開記録 上下巻
海戦や戦争の話は皆無ですが、海軍造船の歴史、戦艦大和の建造だけでなく、技術的な事、量産のための規格化等、そして戦後の日本造船業へ至る系譜が詳しく書かれております。@user-jl6sk5ye2xさんのコメントに興味を持った方には参考になると思います。未読の方は是非。(アマゾンマケプレなら旧版文庫、単行本がかなり安く売られてますよ)
それは悲しい自画自賛
アメリカのエセックス級とフレッチャ級の大量生産に較べれば当時の日本の工程管理、品質管理は町工場レベル
実際に戦後、トヨタを始め日本の製造業の品質管理はすべてアメリカに学んだ事を忘れてはならない
戦艦の時代が終わった時にできた最強の戦艦
しかも空母優位って証明したのが旧日本軍という
一方で、作戦行動中に航空機のみで撃沈された戦艦って5隻しか無いんだよね。
プリンス・オブ・ウェールズ
レパルス
ローマ
武蔵
大和
@@satootto比叡も航空攻撃で沈んでると表記されたりしてますね
真珠湾攻撃で沈められたアリゾナは?
@@匿名係りのディスクウガ
アリゾナは港で停泊中に撃沈されているので、作戦行動中ではないです。
こんなに公平にと言いますか、様々な情報と共に正しく解説している動画は久しぶりに見ました。上から目線になってしまうかもしれませんし正しい表現方法が分からないのですが、この様な動画を見させてもらった事大変感謝申し上げます。
コメ欄からはちょっと目を逸らしますが…
長文失礼
ちなみに、しれっと駆逐艦涼月が落伍、
軽巡洋艦矢矧が沈没していますが、
矢矧は「魚雷7本、爆弾12発
(米側資料なので不発や誇張の可能性あり)」
と言う攻撃を受けながら完全に沈没するまで対空戦闘を継続し、(諸説あり)涼月は艦首が
吹き飛び、前進すると艦首から沈むような
損傷を受けながら後進だけで佐世保に無事(?)帰還しています
涼月は佐世保に帰還したあとに浸水箇所のダメージコントロールして
そのまま命を失った乗組員が発見されたんだよね・・・
@@fbywj730そう、この乗組員の犠牲でなんとか帰還できたと言われています。合掌。😢
涼月はその前の戦いでも艦首と艦尾が吹き飛んでるから、運がいいのか悪いのか
佐世保に向かってる途中、甑島付近で司令部から必要なら自沈するよう指示がきたらしいんですが、自沈させなかったらしいとか
@@Hachiju-nana_87_jp そんな被害を受けても帰還できているのは、秋月型の生存性の高さを物語っています。この海戦では冬月も参加していますが、無事帰還しています。冬月も何度も被雷しているのですが、毎回帰還している幸運艦です。
沈没した戦艦大和の水中調査のテレビ放送を見た時、靴の底だけが船内(海中)に漂っていました。
英霊に合掌‼️
坊ノ岬沖海戦で撃墜できた米機は10機あったかなかったか?
その撃墜した米機の中に攻撃の様子を撮影していた航空機が含まれていた事は何とも皮肉な感じがします。
連合艦隊のグループシンクで尊い命が南洋に散り、大和も武蔵坊弁慶の如く無数の爆弾、魚雷を受けて散ったのか…。
大和艦隊攻撃に向かった空母ハンコックの航空隊は目標に接触できず、空しく帰投せざるを得なくなり、帰り着いた母艦は特攻機の突入によって大破していました。
バンカーヒルもそうだと思います。
大和が特攻してのアメリカ軍機動部隊への見返りが、多分この2つだろうと思います。
一説では坊ノ岬沖海戦で主砲三式弾で敵機を威嚇したと言われてますし、レイテ沖海戦のサマール沖海戦では、実際に主砲では敵空母艦隊を主砲で砲撃してますよ。
ちなみに、当の戦果はといったら、大和を攻撃するために発艦準備途中の58.3任務群(司令官:フレデリック・C・シャーマン少将)所属の空母バンカーヒルに特攻機が突っ込んで大破させたというだけで特に影響なんてなく、沖縄へ上陸支援中の護衛空母から攻撃隊を補填して大和を攻撃したわけだから、全く意味なんてなかった。
むしろ、大和を放り込んだ自体、単に大和を囮にして特攻隊の戦果を上げようとした福留繁をはじめとする海軍上層部の愚か具合ここに極まった行動ではないかとさえ批判する人もいます。
モリソン戦記には
「目の前で味方が包囲殲滅されつつある状況で、自分だけ安全な塹壕に籠っているなど軍人として決して許されることではない」みたいなこと書いてあった。
日本を守るために作られた戦艦と日本海軍の「けじめ」だけはつけたのではないか。
何もせず温存してたら「沖縄を見捨てた」とか「臆病者」という誹りを免れることはできない。
なるほど。これで大和の左舷に攻撃が集中した意味が分かった。
左側の護衛艦隊がいなくなって防御が手薄の状態だもの。そこが穴になり
攻撃が集中しやすくなったんだ。
20年ほど前ですが、「男たちの大和」の撮影に使われた大和の実物大のセットが尾道で公開されていて、観に行った事があります。
セットとはいえその存在感・美しさに感動しただただ立ち尽くしてしまいました。
本物の大和も、三笠のように記念艦として残ってほしかったですね。
大和型戦艦は超弩級戦艦などという旧式戦艦ではありませんよ
大和型はポストユトランドタイプの新型戦艦です。ポストユトランドタイプで最初に出現したのは英国のキングジョージV世級からです。
ドレッドノート級を超えているから間違いではないが、比較対象として古すぎるかと、言葉の響きはいいけどね、大和では超弩級は使わないよね素人以外😅
大和は、呉のシンボル🤥
この動画を見た人は、大和ミュージアムに来てね😃
生き残った艦隊についても言及してほしい。特に雪風。
まさかこの後、ゴジラと戦うことになるとは・・・
「大和ホテル」に「武蔵旅館」又は
「武蔵ホテル」
武蔵も大和同様出撃の機会に恵まれませんでしたからね。
大艦巨砲主義者です。やっぱりロマンがありますね。
主砲のサイズに対してまだこれでも船体は小さいらしいな。
かの堂々たる連合艦隊の、これが成れの果てか
海軍上層部の戦後のメンツを保つためだけの作戦。
日向や伊勢で実績の有った噴震砲をなぜ大和に装備しなかったんですかね。
直掩機も無ければ対空火器に頼る事くらいしか無いのは分かっていた筈なのに…。
レイテ湾沖のシブヤン海で武蔵を沈めるまで五度にも及ぶ攻撃隊を出している。
その時の反省から、より合理的にかつ短時間で沈めるために片舷へのピンポイント攻撃にしたのではないでしょうか。
片舷へ魚雷攻撃を集中させてその時にもう片舷には注排水システムで注水して平行に復元させてくる。
その繰り返しをすれば、いずれ艦の注水システムは満水となり限界を迎えるアメリカ海軍の航空隊はそこをついたと思います。
レイテ海戦で武蔵を沈めた部隊が5つ近いタスクフォース(第1群:ジョン・S・マケイン・シニア中将、空母5隻、第2群:ジェラルド・F・ボーガン少将、空母4隻、第3群:フレデリック・C・シャーマン少将、空母4隻、第4群:アーサー・W・ラドフォード少将、空母4隻、第5群:ラルフ・E・デヴィソン少将、空母4隻)で、しかも武蔵を沈めるために一度帰還した攻撃隊をダブルヘッダーで出撃させるぐらいの猛攻だったとか。
栗田艦隊の将校も、アメリカ軍は小沢艦隊ではなく自分たちが本隊であると見破ってる(実質情報が筒抜けだし、むしろ栗田艦隊こそが囮だと思い込んでた可能性)と口走ったとか。
海戦後、空母屋のミッチャーと戦艦ヤンキーのデイヨで揉めたんですよね?
King of Battleshipなどと言われてるのに一度も殴り合いをやっていないまさに無冠の帝王。
5:42 突撃させるより、陽動に使った方がスプルアンスも何としてでも沈めようとしただろうし、そうすれば沖縄への神風攻撃がもっと上手くいったはずなんだよな…
沖縄へ行かずウラジオストクへいき奇襲攻撃をかけてほしかった。
あるいは五島列島あたりで座礁させて動かないようにしておけば戦後まで助かったかも..
直掩を数十用意しても結果は一緒でしょうが、直掩が居なかったこと自体が作戦への熱意の無さがわかりますね。
なにが特別だったのかと虚しくなります
もしもアメリカ海軍が大和を航空機じゃなくて
戦艦で沈めようとしてたら大和の強さが証明されたのに
アメリカの旧式戦艦は防御力に全振りしているし、アイオワ級は砲戦力が互角に近いから、結局数で押し負ける結果はさけられないでしょう。それでも航空攻撃より確実に損害は出るから普通の神経の持ち主なら砲戦は回避するかと
当時アメリカ艦隊の艦長がバルチック艦隊を破った東郷平八郎を尊敬していて日本艦隊の大和と砲撃を交え撃沈するみたいな考えを出したけど足が遅すぎて追いつかないとなり空母に攻撃を任したという話もありますよね。
4:50 能力を別として少なくとも、サイパンかこの戦いで神大佐を突入させるべきだったよな…
18:41 そのうち大和を直接攻撃したのは117機じゃないかな?
せめてこの時天候が良かったらもっと撃墜出来たかも。
大和を座礁させて砲台として使うとかの話しは昔聞きましたけどそもそも軍艦の砲塔は電気で動かしてる筈、座礁させてどうやって砲台を動かす電気を発生させるのか(・_・?)
祖父の従兄弟が陸軍だが大和沈没の日に戦死 まだ知らない近代史がある
超弩級戦艦建造に膨大な人的および物的な資源を注ぎ込み、そしてその戦力が活かされることはなかった・・・と。
特攻をしようと言い出した下級幹部は、これらの犠牲者の責任も取らず、戦犯会議にも
かからず逃走したのです。しかもプロジェクトを上部から却下されても勝手に実行した
のです。
キセキの雪風
奇跡ではあると思うけど、奇跡を起こそうと努力した「乗員の努力」という下地あっての軌跡。
19:39 これは武藏ですね。
大和型の主砲発射してる記録って確かあれしか無いからでは?
「艦これ いつかあの海」(アニメ二期)での最終回の坊ノ岬沖開戦の描写は史実のそれに比べてどうだった?
歴史の傍観者としては楽しめるが、この艦隊の中で命を懸けて戦っている兵隊の覚悟を思うと・・。
なんで日本は昔からこんななぁなぁで事を進めるのだろうか。
日本人の特性なのだろうか。
護衛する空母が1隻でもいれば戦果が違っただろうな
大本営「なんでそんなんを、さい配のアレを言われなアカンのや!」
これだけの被害があっても、落とした敵機はたったの6機ですわ。諸説あるけど
全く合理性のない作戦です。ナニワブシとメンツだけで戦死した兵隊さんが気の毒やな。
やっぱデカいと攻撃当てやすくてダメだね。相手が戦艦とかなら良かったけど飛行機じゃね、時代に追いつけてなかったね。
これって作戦ていえるのか
日本人は大和を誇大評価するが、アメリカ海軍は大和を4万トン級の普通の戦艦としてしか評価していない。その評価通りの活躍すらしていない。沖縄特攻の水上作戦自体、残存艦で突入するので沖縄の陸軍は総攻撃せよ、と豪語していたが、大和が沈むと慌てて逃げた。海軍は多くの海戦で敵前逃亡というべき過早な戦場離脱が多い。他の友軍のことや戦略性を全く考えていない。艦隊保全主義である。大和を沈没させるためのこの作戦は日本の本土決戦準備にも沖縄の陸上戦にもなんの貢献もしていないエゴイスティックな作戦である。
無駄な戦闘であったがこれしか大和の死に場所が選べなかった。
レイテ沖海戦で武蔵と共に沈んだ方がまだ有名な戦艦となったと思う。
46センチ砲を発射しなかったって三式焼夷弾も撃たなかったんだ
主砲使うと発射時の衝撃波で設置した対空砲が使用不可能になるんじゃなかったかな
屋根無しで機銃を操作する兵員が爆風で死んでしまいます
開戦時の天候が曇天で米軍機は雲の切れ間とかから接近して来てますので、主砲、副砲は照準出来なかった様です。日本側はレーダー管制の射撃は出来なかったので。
@@yosikatarokkaku1181武蔵は対空戦闘を実施しながら射撃したので多くの対空機銃要員が戦死したという話がありますね。
主砲発射に関しては、
発射前に待避する、試射で鳥籠置いた実験、布団何重にも被って待機してみたとかのエピもありますね
大和が前線に投入できなかったのは仕方がない。満足な訓練もできなかった上に、進水後も無数の改修箇所があったからね。反省すべきは、海軍と日本の戦争に勝つための作戦構想が未熟だったということだと思う。日本の戦艦は日露戦争以降は、特筆すべき戦績というべきものがない。それなのに、あまりに挑戦的にすぎる目標だったと思う。仮に大和を作らずに、巡洋艦と輸送艦を増産していれば、戦局は変化していたと思う。
もしかして沖縄座礁に成功していればそのうちアメリカ軍に鹵獲されてアメリカ軍の鹵獲兵器として現代でも生きてたかもしれないってこと?
犠牲者には申し訳ないが、下手な形で残って○○ア辺りに鹵獲されるよりは、爆沈しか無かったのかな。
そのまま呉に置いていても「呉大空襲」で他の戦艦同様大破着底して、戦後に解体されるでしょう
よしんば、航行可能で生き残っても、「クロスロード作戦」という処刑場に、長門や酒匂と共に引き出されるだけだったろうな・・・
こうなる前に降伏すべきだった
無くなった人たちは気の毒だけど無駄死にになった
一撃では無い!
浮き砲台にするくらいなら、長門、日向、伊勢、榛名、天城、葛島の残存艦隊で戦わせてやればいいのに。
アメリカは太平洋戦争緒戦で失った戦力を戦いながら回復したが日本には無理でした。
中国と戦争しながら同時に米英とも戦うとか何をどうやっても絶対無理なのよ。
つーかよく4年も戦えたなと。
米英というよりアメリカ一国ですね
ノルマンディー上陸作戦とマリアナ沖海戦を同時に行える国が化け物過ぎるんですよ
まともに戦えたのは半年でしょ?
ミッドウェー海戦で空母4隻失った時点で完全にアウト。
せめて空母と艦載機が有れば??日本🇯🇵人の気持ちを持って産まれた戦艦だったのに。悲しく感じます。合掌🙏🙏🙏😭
九州中から残存の戦闘機を護衛に飛ばせたとしても一波攻撃での被害を減らすのがやっとだっただろうし、どう足掻いても沖縄には辿り着けなかったのが何とも・・・
単に沖縄にたどり着くのが目的だったら、南西諸島伝いに南下したら良かっただけの話で、そうすれば絶えず航空特攻隊と護衛戦闘機が上空にいる事になりました。
ミッチャーが大和に対して航空攻撃にこだわったのは、米軍内部でレイテで武蔵を沈めたのは航空機となっているが、実は潜水艦の魚雷が同艦に致命傷を与えたいう噂が流れていたため、ここではっきり航空機の威力を示したいと考えていたためだそうです。
逆に言えば海空どちらからでも大和くらい潰せるからどっちにする?
そういう感覚ですよねw
それに比べて悲壮感しかない大和…
というか、沈めた艦船の総トン数で言えばもう潜水艦の圧勝でしたから。戦後はどこでも潜水艦ばかり作って金食い虫の空母はアメリカしか作らなかったですね。イギリスは脱落したようなものだしフランスもしぼんじゃいました
中国と日本は必要性皆無なのに空母にご執心ですけど、井上成美の言った「空母は脆弱」という意味がわからないようですね(まして高価な「軽空母」ですし)
本土から援護の航空隊来れへんの?
最後の戦いなんだから連合艦隊司令長官自ら艦隊を率いるべきだったんじゃないの?
この艦隊が壊滅したら連合艦隊司令部なんて必要ないんだしさ、若い人よりまずお前らが戦えって思うわ。
司令部はずっと横浜にあるし、艦隊に同道する気は全くなかったろうね
実際「これで水上艦も無くなるし、軍令部も一緒に来ればいいじゃないか」と、作戦会議に出た草加参謀長に怒った駆逐艦艦長もいた
トップが無能で現場が有能すぎてなんとかしちゃうって日露戦争からの伝統ですよねぇ
敵に対して責任を取らないと、その部下が責任を取らされる。
いわゆる戦争犯罪人として生きてもらう必要があるね。
10:11
空母大和爆誕!w
インド洋海戦、珊瑚海 海戦で実戦使用すると よかった! 海軍の無能な 参謀たちに、お飾りにされてしまった。ガ島のヘンダーソン飛行場へ、戦艦 金剛、比叡らと艦砲射撃すればよかったのになー! 自慢の巨砲が存分に 撃てなかったのが悔しいな!
結果は目の見えてるのに海軍のつまらないメンツで沈められにいった最悪の作戦。これを日本海軍は航空主兵を学ばなかった無能!なんて的はずれな批判もいいところ。
この無謀な特攻を立案した海軍の辻政信こと神重徳の暴走を止められなかったのが組織として終わってる
作戦に反対してる上役の草鹿が出張に行く隙をついてさらに上の上級将校の決裁を貰い作戦を決定とかね
一方的にボコられただけなのに海戦になるのか
哀れ過ぎて乗組員がかわいそう😢
むしろ潜水艦多数に待ち伏せされてじわじわなぶり殺しよりマシまであります
先駆けになってや。な? っていって数か月後に本土決戦もせず降伏だもん。伊藤さんや特攻隊員ほんと可哀想だよ。残った人も死ぬべきなんて口が裂けても言えないが。
1.何故戦艦部隊は戦争初頭ロクに動かなかったのか?
➡正解は動けなかった、です。戦艦は燃料を爆食いするので戦争初頭から縦横無尽に動かしていたら数か月以内に燃料枯渇となったでしょう。
2.何故豊田副武は前線に出なかったのか?
➡命令に基づきます。その前の連合艦隊司令長官2代続けて最前線で亡くなってるので3代続けてはマズイことになるという理由です。
連合艦隊司令部は日吉に陸揚げされるようになります。
旧型の金剛型は駆け回ってたけどね
長門や大和が沈むと指揮に影響するから出し惜しみしてた
大本営はあほなの?
負けるべくして負けた国。
大和の乗組員に全く同情はない
戦争主義者の末路でしかない
うーん、大和を含めて6隻が沈没し、4隻が帰還出来たような?主はそれを分かっているのか?
弱すぎない?
曇り空だったので、主砲が打てなかった。
日本軍に40mm機関砲が有れば、今回に限らず全体的にもう少し違ったのだろう。
こんな自殺行為を作戦と称して下々にやらせる大本営がほんと頭おかしい。
自分の子供がこんな無駄死にをさせられたらと思うと、
絶対に許されるものではない。
無能な上官によって無駄に命を落とした数百万人の人々の身内はもっと怒ってもいいんじゃないかと。
個人の感想ですが当時の司令部の親の世代て江戸時代・明治維新の頃でしょう?そんな時代ですから今日の価値観で言えば間違いなくあたおかだけど、武士というか根本的に別の考え方があった、と思うべきなんでしょうね。そうでなければ維新もなければ戊辰戦争も無いんじゃないでしょうか。そもそもが現代人と違うんでしょうね。
@@KARAMAZOV_3
確かにこの時代、ノルマンディー上陸作戦では遮蔽物の無い海岸を文字通り仲間の肉壁で防ぎながら進軍したりします。またちょうどこの頃の日本人は子どもの頃に日露戦争を経験しているんですよね。大量の戦死者を出しながら203高地を制圧して沸き立った世代なので、今の時代の死生観とはずいぶん異なるんだと思います。
世界的に見ると日本海軍の当時の価値観はおかしいよ
代表的な例が艦長が艦と一緒に死ぬことを半ば強制されていること
外国でも個人としてやる人はいるけど、組織でやらせてるのは日本だけ
やってることが完全に切腹だけど、お前らは武士じゃねえんだぞ軍人なんだよ
合理的な考え方ができない軍隊は勝てない
@@Kei-zh9fh
難しいところですよね、当時であれば独、露あたりは間違いなく司令官含め玉砕司令を出していました。まースターリンやヒトラーという強烈な独裁者がいますが。客観的に見れば日独は敗戦濃厚な状況での指示、露は合理的という解釈になってしまいます。今では許されることでは無いのは承知しておりますが世界的に見て日本だけって事では無いかなとも思います。
リプライで何かで引っかかったのか表示しないから再度コメントします@
当時の独露英は指揮官もろとも玉砕指示を何度も出しています。まぁチャーチルやスタリンなど強烈な指導者はいましたが。世界的に見ても各地にそれなりにあった思想だと思います。
大和は進水した時点で時代遅れだった上に(ヨーロッパの海では戦艦が活躍したが)余りにもおろかな作戦😢
進水したのは1940年8月8日だけど、アメリカは大戦後半まで戦艦作ってるんですよねぇ
言いたいことは一つ。大和は超ド級戦艦じゃないぞ。
超ド級は金剛級だな。
まあ沖田艦長も宇宙戦艦ヤマトを超ド級とか言っていたがな。
超弩級 というのは、ドレッドノートを越える という事なので、大和型も超弩級ではある。
・・・が、大和やアイオワぐらいになると、超弩級を更に超えた艦と言いたくなるよね。それに、その頃は既に超弩級が戦艦としては普通だったし。
金剛型以降は全部超弩級でしょ。