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菊谷先生 大変良かったです。 これからも 仏法の話を どんどん 説法 お願いします。
雨が川になり、川が海へ流れ出て、水蒸気となって雲になり、また雨となって降り注ぐ…。なるほどです。
この世に生まれなかったものと生まれたものとは違う 生まれに感謝できる そこに気づけるのが心です 肉体という形を以て経験し 死を以て魂という状況を換える エネルギーが肉体を以て再び生命となる 仏教とは違うかも知れませんが 仏教が納得します 欲にまみれて色々手を出して叶えようとすると両手が荷物で塞がって 先が見えなくなる これが死の放つ恐怖心です 身軽になり先を明かす すると幸福の意味も分かります ありがとうございました
菊谷先生、正しい解答です😆🎵🎵
興味深くお聞きしました。ありがとうございました。
死んだら終わり、天国か地獄、永遠に残るその場しのぎ、慰めの宗教哲学と違って、仏教は合理的にこの宇宙の真理を説明した上で救われる道があると説かれてる分、やはり説得力が違いますね。
菊谷先生😂私は53才です😆🎵🎵人生の宿題📝👓️をやり終えなかったから😢お釈迦様と本当様と親鸞様と高森先生と菊谷先生に宿題🏠️✏️の解説をしていただきました。ありがとうございました🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉私は13年前の40の秋🍁に絶対の幸福になりました!それからずっと幸せいっぱいです😂つらい😢🌊ことや腹の立ツことや不安😭💔もありますけど基本的に幸せいっぱいです😆🎵🎵私は菊谷先生のTH-camを4年位、聴聞していますけど聞くたびに幸せいっぱいになるのでびっくり👀です😆🎵🎵ありがとうございます。あらためて❗お釈迦様の偉大さに感謝感激です😆🎵🎵これからもどうぞどうぞよろしくお願いいたします‼️弥勒菩薩😂
唯物論で考えられればとても楽です。しかしその際に厄介なのは、人間の生が偶然であるなら、この世を形成している自然も偶然の存在でなければおかしいということで、しかしどう考えても出来過ぎている。考えれば考えるほど、この世を準備した何者かが存在するのではないか、と思えてくる。但し創造主の存在を仮定したとしても、それが我々人間の死後の世界を担保しているとは限らないので、それならば結局「我々には今を生きる以外に出来ることがない」という結論に達してしまうように思います。つまりはそれ以外のことは全てロマンでしかない。そういう意味では宗教とはロマンそのものであると言えるかもしれませんね。興味深かったでした。ありがとうございます。
輪はクリスチャンですが菊谷先生の意見に大賛成しています🎉😂😂😂😂😂😂😂😂😂
ハムレットの言葉。の続きはじめて知りました。後生の問題だったんですね。私も、後生のことを思い感じます。。お話、よく分かりました。。ありがとうございます。
正義とは敵意をむき出しにしないために平和と人間関係に基づいたように美しい言葉にすり替えられる時がある 姿が見えないために正論の顔をしている しかし今大切にしていたいのは自分の世間体という評価の実力であって 決して素直に認めないことも心である 正義とは一見美しい しかし世間体とは浅ましい そこを見抜いている人は論じることや論争を愉快がらない 平和を主張しないことが平和であることも時としてある ありがとうございました
唯物論は欲や執着が無さそうで良いですね。
ありがとうございます。シェイクスピアの作品の言葉の意味を初めて知りました。物語自体知らないのですが、あまりにも有名なセリフ。死んだ先はどうなのか?本当に問題ですね。私の育った環境は、キリスト教、神道、仏教の中にあり、現在は道教にもあります。様々な教義を知ることができました。(知識ばかりで、知り切る事はなかったですが。)簡潔に説明いただき感謝です。私は前世見の方に輪廻の過去世を見て頂いた事があり、各過去世の記憶の風景が蘇る経験をしています。その時に縁があり、今現在も側にいる実在の人との関係など断片的に説明してもらいました。その事から仏教の輪廻転生は信じることはできると思っています。過去世にはチベットまたは中国の僧の時代もあったと言われてとても納得しています。死んだ先はどうなるのか?本当に問題だ。と改めて思いました。その前にこの人生での多くの出会いを楽しみたいと思っています♪ありがたいご講義に大変感謝です。🙏
本当に。仏教の視点は深いと感心ております。いつもありがとうございます😃
ありがとうございました。🙏(菊谷隆太先生動画視聴メモ)★死んだらどうなるのか?人類の4つの思想1.キリスト教やイスラム教(最後の審判)2.日本神道(鎮魂、英霊)3.唯物論(無⇒有⇒無、偶然)4.仏教(成住壊空を繰り返す、因縁果、カルマ)5.あなたはどうする?
仏教では全ては生滅(本動画で言うところの成住壊空。有と無が交互に来るので壊空成は無くなる直前から生まれた直後を意味するのでしょう(住が有の状態))を繰り返すと説かれます。それが無常です。 心も同様に生滅を繰り返します。 その間隔を刹那と呼び、一刹那は物質エネルギーの生滅間隔の 17分の1 と論蔵では言われています。心は瞬間瞬間に生滅を繰り返しています。 これは、物質エネルギーと同様に波動の性質を意味しています。そういう意味で言うと、死の直前と死の直後(これは次の生まれの瞬間ですが)も同じことが起きているだけです。生きている間と、死の前後(次の生まれの瞬間)の違いは、「心の波が同じ体で生まれるか、違う体で生まれるか」の違いだけということになります。(通常の記憶とは、過去世(過去に消えた心の波)の想起ではなく、脳の記録に頼っているため、体が変わると過去は思い出せなくなります。)これが論蔵に説かれる輪廻転生の意味だと理解しています。『死んだらどうなるのか?』仏教の世界観(※)では「またどこかに生まれる」ということであり、それが人間界であるならば、まさに今生きている世界が(前世から見た)死後の世界ということになります。→もちろん、人間界以外に生まれることもある(というか、確率的には「ほぼ100%」と言えるレベルで人間以外に生まれる)ので、違う世界も存在しますが。菊谷先生の仰られる通り、仏教の目的は「輪廻に生まれるのではなく、輪廻の外に生まれるようになりましょう」というものだと理解しています。問題はその方法論かと。実際には、何をどうすれば、どのような理由で、「輪廻への生まれの原因」が断たれるのでしょうか?※) 世界観というか、仏陀は実際に過去世を想起し、心の認識過程自体を認識し、「こうなっている」と言っていただけです。 仏陀は「輪廻を否定してはならない」と言われましたが、それは「無条件に信じろ」ということではなく、「やり方(修業の仕方)は教えるので、あとは自分で確認しなさい」と説かれています。
本当は死ぬことは怖いことではないのかもしれません。死が怖いのではなく、進化の過程で死を怖がるような性質を獲得した種が生き残ったのではないでしょうか?個体が死を恐れなかったら、捕食者が来ても逃げなくなってしまいます。実際、それで絶滅した種もあります。いくら進化しても死がなかったら、古い個体も残ることになり、新旧が交配したら進化の意味がなくなってしまう為、死が必要になります。つまり、種としては死を選択し、個としては死を避けるような種が生き残ったということなのではないでしょうか。
人間は年老いてやがて死ぬだろう、だけではないんですね。色んなところで昨日も今日もいっぱいなくなってるんですね。世の中目まぐるしく時が進んでますが明日どうなるか分かりません。
キリスト教もイスラム教も仏教も死後の世界が有ると説くなら有るのかも知れません。お釈迦様は凡人に観えない世界が観えているのでしょうか?どちらにしろ自分には死後の世界は分からないですが、菊谷さんが仰るように最重要課題だと思いました。
@@SaeedElAhmadi お教え頂き感謝致します😊
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございます。
宗教は時の権力や政治に利用されます。釈尊王子の時代も。しかし阿弥陀経の元になった何かからの伝承は釈尊の方便で現代へ重要なものを伝えています。前半の極楽世界は一種のイメージトレーニングです。今現在のこの世を豪華にした様な極めて一般人にも理解しやすいものです。そして後半のこの世この大宇宙の極めて理解し難い構造をまるで現代の最新科学のごとく解説しています。一体これは釈尊独自の考えなのか?それとも釈尊以前からあった教えなのか?いずれにしろこの世この宇宙は仏という粒子が様々な形に姿を変えて存在しています。その役割を終えると元の仏粒子に戻ります。これは最新の量子等に似ています。三千大千世界
生死、生死を繰り返すとしても誰も前世の記憶がないのだから、無から生まれてその後無になるとしても同じことなのでは?
ですね。だから死を考えても意味ないけどクロスワードパズルみたいに解いてる間は好きな人には楽しいかと。
記憶はなくなるとしても、実際に個の連続性があってカルマというものを持たされるのだとしたら、同じではないであろうと思います。そしてだからこそこの世には善悪の概念があるのではないでしょうか。個に連続性がないなら、死んで終わりに出来るなら、好きなだけ悪いことをして、バイバイ👋と終わらせればいいとも言えます。
人間は生まれて、死んで灰になり土に帰るだけです。
@@user-fr8wn5vf5d ちなみにどなたの配慮とお考えでしょうか?
@@user-fr8wn5vf5d ありがとうございました。
昨日も、ありがとうございました。では、さようなら。
魂(意識)=ランタイムデータ誰かが別のサーバーにコピーする仕組みになっていれば・・・あるいはデフラグみたいにかき混ぜて意識の断片が再利用される可能性とか・・意識の物質への転写はあると思いますが、その人の意識が残っているのではなく、影響された人が投影機となって転写してるだけじゃないかと。よってそこから特別得るものはないと思われ鎮魂によって物に転写されていた情報が薄まる(消える)んじゃないかと
大変に難しいと共に大問題でもあると思います。生まれてきた以上無視できないし、考えてもしょうがないと思いつつも必ず考えなければならない、或いは考えざるを得ない時があると思います。神になるとか星になるとか灰になるとか土になる位の事を言う人は多くいるでしょうが、実際には全く分かりません。でも、毎回拝聴させて頂いています。結構仏教は自然科学のように感じる時があります。
死後を考えるってことは、後生を願うってこと、天国行きたい極楽行きたいって……危ねえ危ねえ、かくして人間は宗教の術中にはまることになる。「あなたは神を信じますか?」ってのと「死んだらどうなるか?」って踏み絵には注意しなきゃ。
良かった❤チャンネルの意識が拡大して、神様に近寄った感じを受けました!☺️。思想、思考、宇宙は、広いんです!思考創造は、自由です!神様が人間に与えた自由のエネルギーです!そして、選択の自由も頂いてます。
菊谷さん、まず無は絶対ありません。なぜならば、俺は、生きたままですが本物の三途の川に行った事があります 気絶した時に行きました。しかし、空気的に橋を渡っては行けないと言われてる気がしたので、向きを変えて歩き出したら現世に帰って来ました。 なので無は絶対ありません
それが夢って可能性は
死んだらどうなるのか?は死んだ人に聞いてみないとわからないが、それは不可能。死んでもない人が「あの世はこうだ」ということ自体がおかしい。
唯物論が一番納得できました、でも究極はわからない、それが答え。
人間は亡くなったら終わり。無です。それが全てです。しかし人間は弱い動物です。人間の気持ちには、すがりたい、頼りたい、願いたい、と言う思いがある。だから弱い気持ちの中に、せめて死後の世界は天国や安らかに眠る世界があって欲しい。と言う願望が強い。そういうものを信じる気持ち、願う気持ちのままに眠りにつきたい。多分それが全てでしょう。
私はかつて、霊魂というものについて懐疑的というかあまり信じてませんでしたですが、昔ある深夜、友人達と共に学校の通用門を通りかかった時三人揃って悪寒に襲われ、私は黒い靄に包まれました後日、そこを通った時には、花が手向けられていましたその件で、霊魂の存在を少し信じるようになりました
仏教では葬儀はやらなくてもいいと言われてるが、葬儀の場で仏教に触れるという意味が理解に苦しむ
宗教に入っている方は別として、葬儀を執り行うのがお寺や教会等だから宗教に触れるだけで故人を見送る儀式であって、それがずっと習慣化してるだけと考える事もできます日本は特に自身が宗教に入っていなくても親が代々引き継いでいるお墓の宗教での葬儀を執り行う習慣化としての葬儀ではないでしょうかと思っております宗教等に囚われない子供の柔軟な考えで言われた事がありますが、お葬式を儀式と言われた事があります原始仏教は哲学的発想なので入信しなくとも教えとして人生に取り入れております
@@自然-u4d ありがとうございますまだ府に落とせないというのが本音です葬儀をしないと故人やご先祖様に申し訳たたないという葬儀イコール常識になってますが常識的に考えなくていいと言う事ですかね
@@user-im7fp5xu5z 申し訳がたたない、と考える自己の考えではなく、故人を思ってどうするか、亡くなる前にその人がどうして欲しいのかをよく話しをする事も大事ではないでしょうか…宗教を介さずとも葬儀や火葬は出来ても、埋葬場所の問題があると思いますお墓に入れなくても家に火葬した灰を置く方もいるとは思いますし灰を勝手に撒くのは法律上問題があるので、海に撒いても良い所を探す等方法はあるのかと思いますご先祖さまに関してはお墓がある場合は綺麗にしたり自分の思いを形にしたら良いのではないでしょうか、なければ、心の中で祖先を思う事でも良いと思います宗教として考えると様々な考え思想があって迷いますよね、輪廻だの来世だのと考えるともやもやだったり納得出来ない事も出てきたり何か腑に落ちないかもしれませんが、結局は同じ人間が考えだしたのが宗教ですそして、戦略的に上手くいって根強く残っているのがキリスト教等、歴史を調べると宗教の乗っ取りだったりと色々と分かってきますよ、紡ぐ者達が美化し過ぎだと私は思いますし、見えない世界には気をつけましょうと言いたいですだって、見えない事は何でもありなんですからね~原始仏教の内容は教えの一つとして捉えると良いかもしれないです生き物は生まれた瞬間から死に向かっているので、時間を大切に生きる事死に向かって生きると分かると自然と時間を大切に丁寧に生きたくなるのではないでしょうか
@@user-im7fp5xu5z 私は葬儀の専門ではないので、ハッキリとは言えませんが今は葬儀の形も様々なので、宗教に囚われない葬儀等を葬儀専門のサイト等お調べになると良いと思いますよ
四つの中の一つが真実ですかね?反れとも四つとも仮想、妄想ですかね?物質は分裂と融合を繰り返しているのです、生物では食物連鎖ですかね、このように考えると生も死も存在しないことになりますかね?
私は「お浄土」に行くと思います。
仏教では産まれた意味を宿業とか宿命と言い、現世の姿を過去世の行いと言う。それならば戦争や飢餓で難民の国に産まれる命は全て過去世の宿業でその国に集められた命と言うのだろうか?宗教は価値観だと思ってる。どの宗教を信仰しても信仰者は様々。同じ信仰をしていても願いが叶って幸せと思う者もいれば、無惨な殺され方で死ぬ者、人を殺す者もいる。どの宗教を以て幸せと言えるのか?私は難病で産まれた。ずっと闘病している。なぜ産まれた?辛い人生を歩む為に何故産まれた?これを宿業と言うのか?今まで何度も死にかけた。2年前に余命宣告された。二度の意識不明から救命され、次は無理だと言われて救命処置と延命拒否のサインはしていた。去年、脳死ドナー様から臓器移植をして命を助けて頂いた。ドナー様の事は50代男性で低酸素脳症で亡くなった事しか分からない。どの様な最後を迎えられたのか分からない。安らかになのか、苦しんだのか。私を助ける為にこの世に産まれたのか?凡人にはいくら考えても分からないし答えはないと思ってる。私の体内にある臓器は単なる物質なのか?ドナー様の魂なのか?様々な立場の人が様々な見解を言うが、私はただ感謝して今を生きるだけ。辛かった過去、今は産まれて良かったと、幸せな人生だと言える。幸せは他人が決める事ではない。病気で産まれたが故に失った物も沢山あるが、得た物も沢山ある。病気というマイナス点が人生のプラス点になった。人間いつかは必ず死ぬ。しかし、それも医学や科学の進歩した未来には分からない。IPS細胞や再生医療が進んだ先には人が人を生み出す時代が来るかもしれない。それも恐ろしい事だが患者立場から見れば医学の進歩を願う。
両親との不思議なご縁を感じずにおれません。南無阿弥陀仏。
西南の役ではなく西南戦争と言って頂きありがとうございます。
何処にはまるかは、神様のご遠慮、導き、が時間と空間を経て、あなたに与えてます。
仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の経典を読んでみたが、いちばんわかりやすかったのは仏教のダンマパダだった。聖書、古蘭経、バガヴァッドギーターなどは今一ピンとこなかった。これらがなぜこれほど世界では人気があるのか、不思議だった。ダンマパダは一読の価あると思う。
@@SaeedElAhmadi 様ご返信ありがとうございました。残念ながら日本語翻訳版です。昔、仕事で中近東に長期間、住んでいました。そこで、耳にたこができるくらい古蘭経の素晴らしさを吹き込まれていましたので、いつか、読んでみようと思い、帰国後、意を決して読んでみました。全文を連続して二回読みました。同じことの繰り返しが非常に多かった印象です。天国礼賛の感があり、イスラム教徒が自爆テロも辞さぬ理由はここにあると思います。現地の人々が口を揃えて絶賛していた割に、私には、ココロに響く箇所が殆どなかったです。経典として、わかりやすかったのは、仏教のダンマパダでした。こちらは英語翻訳版2種、日本語翻訳を読みました。
一度、あらゆる宗教家が集まって、宗教について話し合うコラボ動画を見てみたい。(死後の世界)とかも。。。ですね。できれば、テレビで、あらゆる宗教家が集まって、宗教談義する様子を見てみたい。
京都大原三千院
生は死で終わりです、死んだら無になるのではなく、人生は死で終わりですから、死後は無いのです、無から有は発生しませんので。四つ考え方がありますけどどれが真実なんでしょうかね??私には死後は無いと思いますけど。
単純に(信じる、信じない)に2分すべきでない90%信じてる人もいれば、50%信じてる人も、10%信じてる人もいる。100%信じてる人は、ごく少数で、世界の大半の人は、宗教を50%も信じてないでしょう。ただ、家族とかの付き合いで宗教に入ってる人が大多数でしょう。
@@gakuator868 生まれたら終わりよという感じもします。
@@user-fg3vs5jb7m-hy1ss 終わりは、始まりの第一歩
生まれる、と言う事は、生まれた瞬間から 死に向かって生きている事なので時間を大切に生きる事だと思います
死んだら実際どうなるかを見つけた方がお釈迦様と言われる方ということでしょうか?しかし、現代でも死んだらどうなるかを明確に示す人はいないでしょう。本当のことをお釈迦様にお聞きしたいです。今回も誠にありがとうございました。
あの世〜帰って来た人はいない。前世を誰も覚えていない。死ねば全て終わり。見当識が無くなれば終わりです。
イエスキリストも30回輪廻転生して、インドで修行しました。他の宗教も知っていると魂の成長に役だつかも。そして死後世界を想定しておかないと浮遊霊になるようです。
科学が進歩すれば仏教の教えも当たり前になりそうです
魂が現実と闘っている。
気体とも少し違う霊気なんでしょうさ所詮は1秒の人生時間も無いその場所で自然と同じ気の場所に向かうのだと
灰
宗教は希望です😅
南无阿弥陀佛🙏🙏🙏
菊谷さんの考え方を知りたいと思ったけれど、結局なにも答えていない。過去の化石のような知識を説明しているだけ。現代日本には真理、神理の書 籍が沢山出版されているのに残念!
私は仏教の教えのように受け止めてます。
人間死が最もいやで怖い事でしょう。この死を遠う避けようと藻掻き苦しみながら生きている生き物では。しかし、死は必ずやってくる。不思議なもんです。
菊谷先生 大変良かったです。 これからも 仏法の話を どんどん 説法 お願いします。
雨が川になり、川が海へ流れ出て、水蒸気となって雲になり、また雨となって降り注ぐ…。なるほどです。
この世に生まれなかったものと生まれたものとは違う 生まれに感謝できる そこに気づけるのが心です 肉体という形を以て経験し 死を以て魂という状況を換える エネルギーが肉体を以て再び生命となる 仏教とは違うかも知れませんが 仏教が納得します 欲にまみれて色々手を出して叶えようとすると両手が荷物で塞がって 先が見えなくなる これが死の放つ恐怖心です 身軽になり先を明かす すると幸福の意味も分かります ありがとうございました
菊谷先生、正しい解答です😆🎵🎵
興味深くお聞きしました。ありがとうございました。
死んだら終わり、天国か地獄、永遠に残る
その場しのぎ、慰めの宗教哲学と違って、仏教は合理的にこの宇宙の真理を説明した上で救われる道があると説かれてる分、やはり説得力が違いますね。
菊谷先生😂私は53才です😆🎵🎵人生の宿題📝👓️をやり終えなかったから😢お釈迦様と本当様と親鸞様と高森先生と菊谷先生に宿題🏠️✏️の解説をしていただきました。ありがとうございました🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉私は13年前の40の秋🍁に絶対の幸福になりました!それからずっと幸せいっぱいです😂つらい😢🌊ことや腹の立ツことや不安😭💔もありますけど基本的に幸せいっぱいです😆🎵🎵私は菊谷先生のTH-camを4年位、聴聞していますけど
聞くたびに幸せいっぱいになるのでびっくり👀です😆🎵🎵ありがとうございます。あらためて❗お釈迦様の偉大さに感謝感激です😆🎵🎵これからもどうぞどうぞよろしくお願いいたします‼️弥勒菩薩😂
唯物論で考えられればとても楽です。しかしその際に厄介なのは、人間の生が偶然であるなら、この世を形成している自然も偶然の存在でなければおかしいということで、しかしどう考えても出来過ぎている。考えれば考えるほど、この世を準備した何者かが存在するのではないか、と思えてくる。但し創造主の存在を仮定したとしても、それが我々人間の死後の世界を担保しているとは限らないので、それならば結局「我々には今を生きる以外に出来ることがない」という結論に達してしまうように思います。つまりはそれ以外のことは全てロマンでしかない。そういう意味では宗教とはロマンそのものであると言えるかもしれませんね。興味深かったでした。ありがとうございます。
輪はクリスチャンですが菊谷先生の意見に大賛成しています🎉😂😂😂😂😂😂😂😂😂
ハムレットの言葉。の続きはじめて知りました。後生の問題だったんですね。私も、後生のことを思い感じます。。お話、よく分かりました。。ありがとうございます。
正義とは敵意をむき出しにしないために平和と人間関係に基づいたように美しい言葉にすり替えられる時がある 姿が見えないために正論の顔をしている しかし今大切にしていたいのは自分の世間体という評価の実力であって 決して素直に認めないことも心である 正義とは一見美しい しかし世間体とは浅ましい そこを見抜いている人は論じることや論争を愉快がらない 平和を主張しないことが平和であることも時としてある ありがとうございました
唯物論は欲や執着が無さそうで良いですね。
ありがとうございます。シェイクスピアの作品の言葉の意味を初めて知りました。物語自体知らないのですが、あまりにも有名なセリフ。
死んだ先はどうなのか?本当に問題ですね。
私の育った環境は、キリスト教、神道、仏教の中にあり、現在は道教にもあります。様々な教義を知ることができました。(知識ばかりで、知り切る事はなかったですが。)
簡潔に説明いただき感謝です。
私は前世見の方に輪廻の過去世を見て頂いた事があり、各過去世の記憶の風景が蘇る経験をしています。
その時に縁があり、今現在も側にいる実在の人との関係など断片的に説明してもらいました。
その事から仏教の輪廻転生は信じることはできると思っています。
過去世にはチベットまたは中国の僧の時代もあったと言われてとても納得しています。
死んだ先はどうなるのか?本当に問題だ。と改めて思いました。その前にこの人生での多くの出会いを楽しみたいと思っています♪
ありがたいご講義に大変感謝です。🙏
本当に。仏教の視点は深いと感心ております。いつもありがとうございます😃
ありがとうございました。🙏
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★死んだらどうなるのか?人類の4つの思想
1.キリスト教やイスラム教(最後の審判)
2.日本神道(鎮魂、英霊)
3.唯物論(無⇒有⇒無、偶然)
4.仏教(成住壊空を繰り返す、因縁果、カルマ)
5.あなたはどうする?
仏教では全ては生滅(本動画で言うところの成住壊空。有と無が交互に来るので壊空成は無くなる直前から生まれた直後を意味するのでしょう(住が有の状態))を繰り返すと説かれます。
それが無常です。 心も同様に生滅を繰り返します。 その間隔を刹那と呼び、一刹那は物質エネルギーの生滅間隔の 17分の1 と論蔵では言われています。
心は瞬間瞬間に生滅を繰り返しています。 これは、物質エネルギーと同様に波動の性質を意味しています。
そういう意味で言うと、死の直前と死の直後(これは次の生まれの瞬間ですが)も同じことが起きているだけです。
生きている間と、死の前後(次の生まれの瞬間)の違いは、「心の波が同じ体で生まれるか、違う体で生まれるか」の違いだけということになります。
(通常の記憶とは、過去世(過去に消えた心の波)の想起ではなく、脳の記録に頼っているため、体が変わると過去は思い出せなくなります。)
これが論蔵に説かれる輪廻転生の意味だと理解しています。
『死んだらどうなるのか?』
仏教の世界観(※)では「またどこかに生まれる」ということであり、それが人間界であるならば、まさに今生きている世界が(前世から見た)死後の世界ということになります。
→もちろん、人間界以外に生まれることもある(というか、確率的には「ほぼ100%」と言えるレベルで人間以外に生まれる)ので、違う世界も存在しますが。
菊谷先生の仰られる通り、仏教の目的は「輪廻に生まれるのではなく、輪廻の外に生まれるようになりましょう」というものだと理解しています。
問題はその方法論かと。
実際には、何をどうすれば、どのような理由で、「輪廻への生まれの原因」が断たれるのでしょうか?
※) 世界観というか、仏陀は実際に過去世を想起し、心の認識過程自体を認識し、「こうなっている」と言っていただけです。
仏陀は「輪廻を否定してはならない」と言われましたが、それは「無条件に信じろ」ということではなく、「やり方(修業の仕方)は教えるので、あとは自分で確認しなさい」と説かれています。
本当は死ぬことは怖いことではないのかもしれません。
死が怖いのではなく、進化の過程で死を怖がるような性質を獲得した種が生き残ったのではないでしょうか?
個体が死を恐れなかったら、捕食者が来ても逃げなくなってしまいます。実際、それで絶滅した種もあります。
いくら進化しても死がなかったら、古い個体も残ることになり、新旧が交配したら進化の意味がなくなってしまう為、死が必要になります。
つまり、種としては死を選択し、個としては死を避けるような種が生き残ったということなのではないでしょうか。
人間は年老いてやがて死ぬだろう、だけではないんですね。色んなところで昨日も今日もいっぱいなくなってるんですね。世の中目まぐるしく時が進んでますが明日どうなるか分かりません。
キリスト教もイスラム教も仏教も死後の世界が有ると説くなら有るのかも知れません。お釈迦様は凡人に観えない世界が観えているのでしょうか?どちらにしろ自分には死後の世界は分からないですが、菊谷さんが仰るように最重要課題だと思いました。
@@SaeedElAhmadi お教え頂き感謝致します😊
ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございます。
宗教は時の権力や政治に利用されます。
釈尊王子の時代も。しかし阿弥陀経の
元になった何かからの伝承は釈尊の方便で
現代へ重要なものを伝えています。
前半の極楽世界は一種のイメージトレーニングです。
今現在のこの世を豪華にした様な極めて一般人にも
理解しやすいものです。そして後半のこの世この大宇宙の
極めて理解し難い構造をまるで現代の最新科学のごとく
解説しています。一体これは釈尊独自の考えなのか?
それとも釈尊以前からあった教えなのか?
いずれにしろこの世この宇宙は仏という粒子が
様々な形に姿を変えて存在しています。
その役割を終えると元の仏粒子に戻ります。
これは最新の量子等に似ています。
三千大千世界
生死、生死を繰り返すとしても誰も前世の記憶がないのだから、無から生まれてその後無になるとしても同じことなのでは?
ですね。だから死を考えても意味ないけどクロスワードパズルみたいに解いてる間
は好きな人には楽しいかと。
記憶はなくなるとしても、実際に個の連続性があってカルマというものを持たされるのだとしたら、同じではないであろうと思います。そしてだからこそこの世には善悪の概念があるのではないでしょうか。個に連続性がないなら、死んで終わりに出来るなら、好きなだけ悪いことをして、バイバイ👋と終わらせればいいとも言えます。
人間は生まれて、死んで灰になり土に帰るだけです。
@@user-fr8wn5vf5d ちなみにどなたの配慮とお考えでしょうか?
@@user-fr8wn5vf5d ありがとうございました。
昨日も、ありがとうございました。では、さようなら。
魂(意識)=ランタイムデータ
誰かが別のサーバーにコピーする仕組みになっていれば・・・あるいは
デフラグみたいにかき混ぜて意識の断片が再利用される可能性とか・・
意識の物質への転写はあると思いますが、その人の意識が残っているのではなく、影響された人が投影機となって
転写してるだけじゃないかと。よってそこから特別得るものはないと思われ
鎮魂によって物に転写されていた情報が薄まる(消える)んじゃないかと
大変に難しいと共に大問題でもあると思います。生まれてきた以上無視できないし、考えてもしょうがないと思いつつも必ず考えなければならない、或いは考えざるを得ない時があると思います。神になるとか星になるとか灰になるとか土になる位の事を言う人は多くいるでしょうが、実際には全く分かりません。でも、毎回拝聴させて頂いています。
結構仏教は自然科学のように感じる時があります。
死後を考えるってことは、後生を願うってこと、天国行きたい極楽行きたいって……危ねえ危ねえ、かくして人間は宗教の術中にはまることになる。「あなたは神を信じますか?」ってのと「死んだらどうなるか?」って踏み絵には注意しなきゃ。
良かった❤チャンネルの意識が拡大して、神様に近寄った感じを受けました!☺️。
思想、思考、宇宙は、広いんです!思考創造は、自由です!
神様が人間に与えた自由のエネルギーです!
そして、選択の自由も頂いてます。
菊谷さん、まず無は絶対ありません。なぜならば、俺は、生きたままですが本物の三途の川に行った事があります 気絶した時に行きました。しかし、空気的に橋を渡っては行けないと言われてる気がしたので、向きを変えて歩き出したら現世に帰って来ました。 なので無は絶対ありません
それが夢って可能性は
死んだらどうなるのか?は死んだ人に聞いてみないとわからないが、それは不可能。
死んでもない人が「あの世はこうだ」ということ自体がおかしい。
唯物論が一番納得できました、でも究極はわからない、それが答え。
人間は亡くなったら終わり。無です。それが全てです。しかし人間は弱い動物です。人間の気持ちには、すがりたい、頼りたい、願いたい、と言う思いがある。だから弱い気持ちの中に、せめて死後の世界は天国や安らかに眠る世界があって欲しい。と言う願望が強い。そういうものを信じる気持ち、願う気持ちのままに眠りにつきたい。多分それが全てでしょう。
私はかつて、霊魂というものについて懐疑的というか
あまり信じてませんでした
ですが、昔ある深夜、友人達と共に学校の通用門を通りかかった時
三人揃って悪寒に襲われ、私は黒い靄に包まれました
後日、そこを通った時には、花が手向けられていました
その件で、霊魂の存在を少し信じるようになりました
仏教では葬儀はやらなくてもいいと言われてるが、葬儀の場で仏教に触れるという意味が理解に苦しむ
宗教に入っている方は別として、
葬儀を執り行うのがお寺や教会等だから宗教に触れるだけで
故人を見送る儀式であって、それがずっと習慣化してるだけと考える事もできます
日本は特に自身が宗教に入っていなくても親が代々引き継いでいるお墓の宗教での
葬儀を執り行う習慣化としての葬儀ではないでしょうか
と思っております
宗教等に囚われない子供の柔軟な考えで言われた事がありますが、
お葬式を儀式と言われた事があります
原始仏教は哲学的発想なので入信しなくとも教えとして人生に取り入れております
@@自然-u4d
ありがとうございます
まだ府に落とせないというのが本音です
葬儀をしないと故人やご先祖様に申し訳たたないという
葬儀イコール常識になってますが
常識的に考えなくていいと言う事ですかね
@@user-im7fp5xu5z
申し訳がたたない、と考える自己の考えではなく、故人を思ってどうするか、
亡くなる前にその人がどうして欲しいのかをよく話しをする事も大事では
ないでしょうか…
宗教を介さずとも葬儀や火葬は出来ても、埋葬場所の問題があると思います
お墓に入れなくても家に火葬した灰を置く方もいるとは思いますし
灰を勝手に撒くのは法律上問題があるので、海に撒いても良い所を探す等
方法はあるのかと思います
ご先祖さまに関してはお墓がある場合は綺麗にしたり自分の思いを形にしたら
良いのではないでしょうか、なければ、心の中で祖先を思う事でも良いと思います
宗教として考えると様々な考え思想があって迷いますよね、
輪廻だの来世だのと考えるともやもやだったり納得出来ない事も出てきたり
何か腑に落ちないかもしれませんが、結局は同じ人間が考えだしたのが宗教です
そして、戦略的に上手くいって根強く残っているのがキリスト教等、歴史を調べると
宗教の乗っ取りだったりと色々と分かってきますよ、紡ぐ者達が美化し過ぎだと
私は思いますし、見えない世界には気をつけましょうと言いたいです
だって、見えない事は何でもありなんですからね~
原始仏教の内容は教えの一つとして捉えると良いかもしれないです
生き物は生まれた瞬間から死に向かっているので、時間を大切に生きる事
死に向かって生きると分かると自然と時間を大切に丁寧に生きたくなるのでは
ないでしょうか
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私は葬儀の専門ではないので、ハッキリとは言えませんが
今は葬儀の形も様々なので、宗教に囚われない葬儀等を
葬儀専門のサイト等お調べになると良いと思いますよ
四つの中の一つが真実ですかね?反れとも四つとも仮想、妄想ですかね?物質は分裂と融合を繰り返しているのです、生物では食物連鎖ですかね、このように考えると生も死も存在しないことになりますかね?
私は「お浄土」に行くと思います。
仏教では産まれた意味を宿業とか宿命と言い、現世の姿を過去世の行いと言う。
それならば戦争や飢餓で難民の国に産まれる命は全て過去世の宿業でその国に集められた命と言うのだろうか?宗教は価値観だと思ってる。どの宗教を信仰しても信仰者は様々。同じ信仰をしていても願いが叶って幸せと思う者もいれば、無惨な殺され方で死ぬ者、人を殺す者もいる。どの宗教を以て幸せと言えるのか?
私は難病で産まれた。ずっと闘病している。なぜ産まれた?辛い人生を歩む為に何故産まれた?これを宿業と言うのか?今まで何度も死にかけた。2年前に余命宣告された。二度の意識不明から救命され、次は無理だと言われて救命処置と延命拒否のサインはしていた。
去年、脳死ドナー様から臓器移植をして命を助けて頂いた。ドナー様の事は50代男性で低酸素脳症で亡くなった事しか分からない。
どの様な最後を迎えられたのか分からない。安らかになのか、苦しんだのか。
私を助ける為にこの世に産まれたのか?凡人にはいくら考えても分からないし答えはないと思ってる。
私の体内にある臓器は単なる物質なのか?ドナー様の魂なのか?様々な立場の人が様々な見解を言うが、
私はただ感謝して今を生きるだけ。辛かった過去、今は産まれて良かったと、幸せな人生だと言える。幸せは他人が決める事ではない。病気で産まれたが故に失った物も沢山あるが、得た物も沢山ある。病気というマイナス点が人生のプラス点になった。
人間いつかは必ず死ぬ。
しかし、それも医学や科学の進歩した未来には分からない。IPS細胞や再生医療が進んだ先には人が人を生み出す時代が来るかもしれない。それも恐ろしい事だが患者立場から見れば医学の進歩を願う。
両親との不思議なご縁を感じずにおれません。南無阿弥陀仏。
西南の役ではなく西南戦争と言って頂きありがとうございます。
何処にはまるかは、神様のご遠慮、導き、が時間と空間を経て、あなたに与えてます。
仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の経典を読んでみたが、いちばんわかりやすかったのは仏教のダンマパダだった。聖書、古蘭経、バガヴァッドギーターなどは
今一ピンとこなかった。これらがなぜこれほど世界では人気があるのか、不思議だった。
ダンマパダは一読の価あると思う。
@@SaeedElAhmadi 様
ご返信ありがとうございました。
残念ながら日本語翻訳版です。
昔、仕事で中近東に長期間、住んでいました。そこで、耳にたこができるくらい古蘭経の素晴らしさを吹き込まれていましたので、いつか、読んでみようと思い、帰国後、意を決して読んでみました。全文を連続して二回読みました。同じことの繰り返しが非常に多かった印象です。天国礼賛の感があり、イスラム教徒が自爆テロも辞さぬ理由はここにあると思います。
現地の人々が口を揃えて絶賛していた割に、私には、ココロに響く箇所が殆どなかったです。経典として、わかりやすかったのは、仏教のダンマパダでした。こちらは英語翻訳版2種、日本語翻訳を読みました。
一度、あらゆる宗教家が集まって、宗教について話し合うコラボ動画を見てみたい。
(死後の世界)とかも。。。ですね。
できれば、テレビで、あらゆる宗教家が集まって、宗教談義する様子を見てみたい。
京都大原三千院
生は死で終わりです、死んだら無になるのではなく、人生は死で終わりですから、死後は無いのです、無から有は発生しませんので。四つ考え方がありますけどどれが真実なんでしょうかね??私には死後は無いと思いますけど。
単純に(信じる、信じない)に2分すべきでない
90%信じてる人もいれば、50%信じてる人も、10%信じてる人もいる。
100%信じてる人は、ごく少数で、世界の大半の人は、宗教を50%も信じてないでしょう。
ただ、家族とかの付き合いで宗教に入ってる人が大多数でしょう。
@@gakuator868 生まれたら終わりよという感じもします。
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終わりは、始まりの第一歩
生まれる、と言う事は、
生まれた瞬間から 死に向かって生きている事なので
時間を大切に生きる事だと思います
死んだら実際どうなるかを見つけた方がお釈迦様と言われる方ということでしょうか?しかし、現代でも死んだらどうなるかを明確に示す人はいないでしょう。本当のことをお釈迦様にお聞きしたいです。今回も誠にありがとうございました。
あの世〜帰って来た人はいない。前世を誰も覚えていない。死ねば全て終わり。見当識が無くなれば終わりです。
イエスキリストも30回輪廻転生して、インドで修行しました。他の宗教も知っていると魂の成長に役だつかも。そして死後世界を想定しておかないと浮遊霊になるようです。
科学が進歩すれば仏教の教えも当たり前になりそうです
魂が現実と闘っている。
気体とも少し違う
霊気なんでしょうさ
所詮は1秒の人生
時間も無いその場所で自然と同じ気の場所に向かうのだと
灰
宗教は希望です😅
南无阿弥陀佛🙏🙏🙏
菊谷さんの考え方を知りたいと思ったけれど、結局なにも答えていない。過去の化石のような知識を説明しているだけ。
現代日本には真理、神理の書
籍が沢山出版されているのに残念!
私は仏教の教えのように受け止めてます。
人間死が最もいやで怖い事でしょう。この死を遠う避けようと藻掻き苦しみながら生きている生き物では。しかし、死は必ずやってくる。不思議なもんです。