小林秀雄「信じることと知ること」

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  • เผยแพร่เมื่อ 16 ธ.ค. 2017
  • a5wr7.
    死ぬことによって生きるということ 柳田国男「山の人生」より 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間の.

ความคิดเห็น • 18

  • @user-xd8tu6yn6n
    @user-xd8tu6yn6n 24 วันที่ผ่านมา

    中学校の国語の教科書に掲載されていました。懐かしい。(^-^)🌟美しい話です。💙🐦️💙(^-^)🌟💙🐦️💙

  • @user-df5ym9dx8t
    @user-df5ym9dx8t 2 ปีที่แล้ว +6

    自分は哲学者ではない告発者であるとどこかでいっていたような?
    また言ったことには責任を持つとも言っている。
    足元にも及ばないが私は少しわかる。
    食べず嫌いな私だったが人間らしさを見て好きになってきた。

    • @revialzero
      @revialzero 2 ปีที่แล้ว +7

      告白者、ですね。自分の言葉に責任を持つとは、「僕は万人のごとく考えない、僕は僕流に考える。だから僕は自分の言葉に責任を持つ」その発言の一部です。僕流に考えるとは僕の感性の経験に従って考えるから僕の感性の経験に誓って責任を取る、そんな意味でしょうかね。
      恐らく、「僕はバカだから反省なぞしない、頭の良い奴は~」の発言と根底は同じものだと思います。

  • @jiyujizai
    @jiyujizai 4 ปีที่แล้ว +2

    😔💚💙🌿

  • @kll3406
    @kll3406 ปีที่แล้ว

    日常を超えたあるがままの事実を把握するのを信じる・・と言うのでしたっけ。
    言葉にできないのですね。日常でやっていることを。

  • @user-in1zj1ry9f
    @user-in1zj1ry9f 3 ปีที่แล้ว +1

    難しい言葉だ

  • @jiropushkin3563
    @jiropushkin3563 ปีที่แล้ว

    学生時代日比谷公会堂で広津和夫と小林秀雄の文芸講演を聞いた。浅沼稲次郎が刺殺された場所である。広津はいつものように松川事件の話をするはずだったが数分間何も言わないでマイクの前に立ったままだった。すると両側から係員が駆けつけてきて彼の脇を抱えて連れて行った。過労でほぼ失神していたのだった。退場するとき「失礼」と大声を発した。
    小林秀雄の話はゴルフとスポーツマンシップのつまらない話だった。田宮虎彦あたりから戦争中の戦争協力について問われると、「頭のいい奴は謝罪すればいいんだ。おれは頭が悪いからあやまらない」といった。おいおい、頭のいいのが売り物じゃなかったのかいと思った。
    丸谷才一によると、日本の古典を理解するということは新古今を理解することだそうである。丸谷は新古今を理解できない小林が「無常という事」なんてエッセイを書く小林をバカにした。その「無常という事」が昭和29年の東大の入試に出た。東大の先生も大したことないんだなと思った。

    • @RIDEINQ
      @RIDEINQ ปีที่แล้ว +6

      いえいえ、小林さんは彼なりのやり方で、新古今を理解しておられました。
      東大の先生がどれほどだったかは存じませんが、「無常という事」には、確かに彼の新古今がありました。
      それに、矛盾するようなことですが、彼の目には現物の新古今など映ってはいなかった。
      それをわざわざ引き摺り出して、やれ幻想主義的だ、などとはとてもとても。

    • @Ambarvalia
      @Ambarvalia ปีที่แล้ว

      あんた他の場所でも似たようなこと言ってたな。
      いい歳こいて浅いこと言ってんじゃないよ。😊