【山陰めぐり⑮】⛩️🚗✨海部氏になる前は日下部氏だったのか?🧐古事記&日本書紀で有名な出雲と山陰を巡りつつ古代史の謎を妄想解釈します😉
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- เผยแพร่เมื่อ 9 ก.พ. 2025
- ミライースで京都府をドライブ旅😊
古事記&日本書紀で有名な出雲と山陰を巡ります😉
籠神社さんの宮司さんの海部氏の方々は
海部氏になる前は日下部氏だったのか?
◆参考資料
籠神社
www.motoise.jp/
神谷永平 (稲羽) 頭注『延喜神名式』下,出雲寺文次郎[ほか],明14.7. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-30)
京都府与謝郡 編『与謝郡誌』上,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-30)
久美浜町誌編纂委員会 編『久美浜町誌』,久美浜町,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-31)
『丹後史料叢書』第1輯,丹後史料叢書刊行会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-30)
京都府教育会加佐郡部会 編『加佐郡誌』,京都府教育会加佐郡部会,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-09-01)
『京都府熊野郡誌』,熊野郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-31)
菊池容斎 (武保) 著『前賢故実』巻之1,東陽堂,明36.3. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-20)
『先代旧事本紀 10巻』[3],前川茂右衛門,寛永21. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-09-02)
木村発 編『朝来志』巻4-6,木村発,明36.11. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-20)
武田祐吉 編『風土記』,岩波書店,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-05-07)
■ふどきさんの古代日本史考
/ @letsthinkaboutancient...
■ふどきさんのtwiiter
/ fudoki_san
■ふどきさんのInstagram
/ fudoki_san
#妄想解釈です
動画up待ってました⤴️⤴️
とても興味深いお話でした。日下といえば、徳島市に多い苗字です。
このお話は阿波につながると思いますよ
去年参拝してきました。
タイムリーです。
同じく丹波・丹後を根拠地にしていますが、物部氏→尾張氏→海部氏(後発組?)の流れと日下部氏(先住組?)はちょっと違うような気が。
比治の真名井で、天女を追い出した「和奈佐の老夫婦」が阿波国出身で、阿波→出雲(和奈佐→倭奈佐→委奈佐→稲佐の浜?)→丹波と、日本海沿いに移動して来たとの
説を聞いた事があります。日下部氏はこちらの倭奈佐(=阿波国)グループではないでしょうか。天照大神が「比治の真奈井の等由気(とゆけ)大神 」と指名したのが外宮の始まりで、
籠神社は丹後国与謝郡なので関係無い。むしろ海部氏側が「等由気=豊受=奥津姫・辺津姫」とプロフィールをパクったんじゃないかと思います。
日本の神様は寛容です。
神威を重んじるのも当然です。
撮影禁止の基準てよくわかりません。 テレビでよくありますよね…初めてカメラが入りました…とか。 撮影すると神様がお怒りになるんでしょうか?
神社サイドが決めてるんでしょうからそれにイチャモンつけるつもりはありませんが TH-camで紹介されて参拝者が増えたら神様も喜ばれると思うんですが…
部民制!私、物部も同じく思っていました。
確かにタニハ王国のロマンは失ってしまうかもしれませんね……
ただ、色々総合すると確かに海部のルーツは日下部氏にありそうではありますね。この辺にも五色塚古墳など古墳群があり、それなりに有力な豪族がいただろうことは想像に難くないのですが……
海部氏系図にも改竄が加えられていたのでしょうかね
この→小野
群馬とまた繋がるのか、羊太夫と阿部氏ともドンピシャに繋がるのかまた。しかも渡部と一緒にいる理屈とも繋がりありそう
興味深く観させていただきました。古事記には旦波之大縣主由碁理(たにわのおおあがたぬしゆごり)なる方がおられ、「娘の竹野比売が開化天皇に娶られる」とあります。崇神天皇の御代、丹波に派遣された四道将軍日子坐王(ひこいますのきみ)に玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)が誅されたと丹後国風土記残缺にありますし、海部氏祖の倭得玉彥命 もそれに協力したとも。応神天皇の御代に海部氏が海部直に任じられたと記紀にあります。海部氏は丹波大国が大和朝廷組み入れられてから来られた支族なのかもしれません。
何で五十猛や村雲が出て来ないの? 初代大君の血筋ですよ
大海神。
徐福
(彦ホアカリ、ニギハヤヒ。
諱(本名)はフツ)の
別称の一つ。
海(あま)家は
徐福の長男?
五十猛が丹波に移住して
創設した家名。
更に、
名を、
香語山。と改めて
海(あま)香語山(命)
彼の母親、
出雲王国の
内親王(王女)、
高光媛命を慕い
はるばる丹波に付いてきた
姪の大屋媛命が
海(あま)香語山命と結婚して
(海)高倉下命が生まれました
(高倉下命(~徐福)の血筋が皇室に繋がる)
それからほどなくして
徐福がニギハヤヒを自称して
北九州(筑紫)の
吉野ヶ里に定住帰化して
宗像のサヨリ(市杵島)媛命と結婚して
次男、で
物部王家の祖となる
彦ホホデミ命と
長女?のホヤ媛命を生んだ。
このホヤ媛命が
異母兄の
海(あま)香語山命に嫁いで(結婚して)生んだのが
大和王国海王朝の初代大王となる
海(あま)村雲命(大王)
海(あま)村雲命が大和に先住していた出雲族のリーダー、
登美クシヒカタ命の妹、
媛タタラ五十鈴日女命と結婚する事で
大和王国海王朝が成立した。
海村雲大王と媛タタラ五十鈴日女命の同父母から
海押人命(2代大王)
海押男命(尾張家)
別妃を母とする?
珍彦(海部家)
大王宮は当初、葛城の笛吹(高尾張)に営まれた。
尾張家や海部家も葛城の高尾張に屋敷を構えていたようです。