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私は46,7年前頃に芦原英幸師範の弟子だった中元選手、前田選手、二宮城光選手(当時)と縁があり、全日本大会で対戦した思い出が有ります。それに加えて芦原英幸師範の小気味よい主審も確か2試合裁かれた記憶が戻って来ました。その後、お会いする度声を掛けて頂き、いつも笑顔でした。
又、出演お待ちしています。
第8回全日本での3回戦でした。芦原先生の愛弟子中元選手との対戦での左上段回し蹴り一本勝ち。会場総立ちでした。この1戦から中村辰夫先生の伝家の宝刀左上段回し蹴り伝説が生まれましたね。
サバキを秘伝や奥義のようにせず、技術体系を確立させ普及させた、芦原英幸先代館長は偉大です。そして芦原会館の更なる発展のために、新たなことに挑戦し続ける、芦原英典館長も偉大であると思います。
このチャンネル普段あまり露出しない、オヤッて?!という人が出演するから好きです。宮本さんの相手に失礼の無いように話を伺う感じもいいです。
90年代の極真でも入門したての白帯に対して容赦なく上段回し蹴りで倒したりするような事がありました。私はそれが嫌で空手を辞めようかと悩みましたが、その時に、以前から読ませて頂いた芦原英幸先生の「いのちの言葉」を思い出し巻末に掲載されていた支部道場が自宅の近くにある事を知り当時出来たばかりの道場に入門させて頂きました。道場の雰囲気も大変良く、その時の先生、先輩たちも気さくな方でよく練習させて頂きました。3年程、学ばせて頂きましたが、当時の仕事の関係で腰痛を患い、そのまま足が遠のいてしまいました。誠に不義理な辞め方をしてしまい申し訳なく思っております。しかし、あの時約3年間芦原空手を学ばせて頂いた事に感謝しております。
笑顔で顎を上げた時の顔が、お父さんの画像そっくりですね。また、お父さんの意思を継ぐという親孝行の気持ちが伝わります。私はもう空手をやるほどの体力は無いですけど、ファンとして応援したいです。
私も元芦原門下生でした。審査会と夏の合宿くらいしか、先代館長にはお会いした事は有りませんが、先代は門下生には本当に優しく接して下さいました。合宿で風呂に入ってると、いきなり先代が入って来て、湯船に浸かった先代を皆んなで囲み、皆んなに一言ずつ声を掛けられてました。私には、『君はどこの支部だ?』と聞かれたので、「押忍、〇〇支部です!」と答えたら、『もう少しパワーアップな!』とアドバイスを頂きました!生涯の思い出です。
秀典先生とお逢いしたことはないのですが、温かみを感じてイイななぁ~
ありがとうございました。メチャクチャ面白かったです。カッコ良すぎ!
英典館長は立派ですね。先代の芦原英幸館長が残してくれた技術体系や組織といったものを絶やさずに発展させるには、困難なことも多々あったでしょう。18歳という若さで重すぎる荷物をしょってここまで来たこと自体、奇跡だと思います。また、宮本さんは本当に謙虚ですね。プロの格闘家であり、ベンチプレスで300Kgも挙げる怪力であるにも関わらず、驕り高ぶらない態度は立派だと思います。これからも空手界の秘話などについてライフワークの一環としても続けていってください。極真・新極真・芦原空手・大道塾・士道館・正道会館・白蓮会館・・・。知られざる秘話を是非、発掘していってください。
先代館長はめちゃくちゃ恐いイメージだったので初めて審査を受けに行った時はかなりビビってました。しかし審査後は毎回ジョークの多い(多すぎる?)館長トークタイムで会場はいつも笑いに包まれていたのを思い出します。
早く次が見たい!待ち遠しい!
英典館長に関しては特に目立った戦績はなく強さを疑問視する声が就任当時上がってましたが、よくここまで、引っ張って来られたと思います。
先代が早く亡くなられたのもあって英典館長相当苦労されたんですね。
芦原会館の系譜にとってこの〈サバキ〉の技術ってこれから本当の財産になるかもね。(伝統派に於ける型=形のように)少子化の影響も手伝って絶対的な競技人口が減るのは間違いないなかで、今までみたく組手試合一辺倒では先細りになるのだけだろうし……
小学生のころ、大阪体育館の昇段審査で芦原英幸館長にちょっとの時間ですが直接指導頂いたのは一生の思い出です、押忍。あの頃はサバキって相手への崩しと出会い頭(カウンター)だと思っていましたが、最近は丹田や仙骨と言いますか自分の身体操作も重要なのでは?なんて思っています。芦原英幸館長のどっしりとしながらしなやかな猫足立ち、なのにピンと真っ直ぐ芯の通った背筋、肩を掴まれ引き込まれる時の尋常じゃない力強さを今も思い出します、押忍。
芦原先生曰く、空手はなー口や言葉でするんじゃないんだよー!と、何故か標準語で。この決まり言葉は耳にタコが出来てます🤣🤣🤣その証拠に先生はサバキ技術を語る時、常に相手を指名し実証をしめしていた。あれって、技の説明というよりは芦原先生自身の自主トレをしていたと私は観受けていました、つまり、相手の弟子は実験体ですね。また、心体育道の廣原先生との稽古も全く同じでした。
円心會館空手道指導員です。芦原會館も、技を増やしませんか?捌き空手道の原点は、芦原會館です。押忍‼️
サバキの本とか動画を見るとほとんどがケリに対するサバキなんですよね。顔面パンチに対しての技術を見たいのですが。。ただこれを言うとフルコン君やサバキをやった人が怒ってリプライしてくることが多いんだけど私はサバキは優れた技術だと思っており、それを顔面パンチに運用したいと思ってるだけなんですが。。対複数のサバキとか見ても一人目が前蹴り、二人目がハイキック、三人目が後ろ回しの上段をやってきて、みたいな展開ばかりでまるで顔面なしのフルコン対応としか見えない。道場では約束組手とかで顔面パンチに対する反撃とかやってるんだろうけど、実際に顔は殴られることに対する恐怖感が胸パンチとは全然違うから組手などでやらないと身につかないと思う。先代が超人的に強かったという事実は否定できませんが。
初めまして、宜しくお願いいたします。
「サバキ」という言葉は芦原会館初期の頃はなかった。それまでは先代が「芦原のスペシャルテクニック」と言っていた。それを体系だてて呼び方を「サバキ」「クズシ」の二択で迷ってたそうだ。劇画作家の影丸 譲也氏などに相談した結果「サバキ」に決めたそうだ。どう考えても「クズシ」より「サバキ」の方がカッコいいよね。
年齢関係ないですね。60手前の自分も出来ます。
英典君が中山猛夫先輩に指導受けたのはいつ?
中山さんは早くに芦原会館を出て行ったので、指導は受けてないでしょう。
先代館長が、「打たれづよい空手王者はいるが、刺されづよい空手王者はいないんだから、殴り合いに頼る事には、実際限界がある」と、本当に言ったのでしょうか?
審査の時に、刺されたら誰でも死ぬんだから、キチンとサバキを覚えなさい的な話はよくされてましたね。当たり前の話ですけど。
有り難うございます。
いや崩すの大事けどどう崩すのか何も言ってなくね?w
懐かしい〜、道場開きの時を思い出しました、配信ありがとうございます😊 あ、元門下生です、大昔ですがw
学生時代は極真会館本部道場に通ってました。本部道場間引かれ世代の62歳。今更自分の孫くらいの年齢の者に歯やアバラを折られたく無い。そんなの老人虐待だよ。今後は芦原会館ビジネスマンクラスに通いたいと思います^ ^
私は46,7年前頃に芦原英幸師範の弟子だった中元選手、前田選手、二宮城光選手(当時)と縁があり、全日本大会で対戦した思い出が有ります。それに加えて芦原英幸師範の小気味よい主審も確か2試合裁かれた記憶が戻って来ました。その後、お会いする度声を掛けて頂き、いつも笑顔でした。
又、出演お待ちしています。
第8回全日本での3回戦でした。芦原先生の愛弟子中元選手との対戦での左上段回し蹴り一本勝ち。会場総立ちでした。この1戦から中村辰夫先生の伝家の宝刀左上段回し蹴り伝説が生まれましたね。
サバキを秘伝や奥義のようにせず、
技術体系を確立させ普及させた、
芦原英幸先代館長は偉大です。
そして芦原会館の更なる発展のために、
新たなことに挑戦し続ける、
芦原英典館長も偉大であると思います。
このチャンネル普段あまり露出しない、オヤッて?!という人が出演するから好きです。宮本さんの相手に失礼の無いように話を伺う感じもいいです。
90年代の極真でも入門したて
の白帯に対して容赦なく上段回し蹴り
で倒したりするような事が
ありました。私はそれが嫌で空手を
辞めようかと悩みましたが、
その時に、以前から読ませて頂いた
芦原英幸先生の「いのちの言葉」
を思い出し巻末に掲載されていた支部道場が自宅の近くにある事を知り当時
出来たばかりの道場に
入門させて頂きました。道場の雰囲気も
大変良く、その時の先生、先輩たちも気さくな方でよく練習させて頂きました。
3年程、学ばせて頂きましたが、
当時の仕事の関係で腰痛を患い、
そのまま足が遠のいてしまいました。
誠に不義理な辞め方をしてしまい
申し訳なく思っております。
しかし、あの時約3年間芦原空手を
学ばせて頂いた事に感謝しております。
笑顔で顎を上げた時の顔が、お父さんの画像そっくりですね。
また、お父さんの意思を継ぐという親孝行の気持ちが伝わります。
私はもう空手をやるほどの体力は無いですけど、ファンとして応援したいです。
私も元芦原門下生でした。
審査会と夏の合宿くらいしか、先代館長にはお会いした事は有りませんが、先代は門下生には本当に優しく接して下さいました。
合宿で風呂に入ってると、いきなり先代が入って来て、湯船に浸かった先代を皆んなで囲み、皆んなに一言ずつ声を掛けられてました。
私には、『君はどこの支部だ?』と聞かれたので、「押忍、〇〇支部です!」と答えたら、『もう少しパワーアップな!』とアドバイスを頂きました!
生涯の思い出です。
秀典先生とお逢いしたことはないのですが、温かみを感じてイイななぁ~
ありがとうございました。
メチャクチャ面白かったです。
カッコ良すぎ!
英典館長は立派ですね。
先代の芦原英幸館長が残してくれた技術体系や組織といったものを絶やさずに発展させるには、困難なことも多々あったでしょう。18歳という若さで重すぎる荷物をしょってここまで来たこと自体、奇跡だと思います。
また、宮本さんは本当に謙虚ですね。
プロの格闘家であり、ベンチプレスで300Kgも挙げる怪力であるにも関わらず、驕り高ぶらない態度は立派だと思います。これからも空手界の秘話などについてライフワークの一環としても続けていってください。
極真・新極真・芦原空手・大道塾・士道館・正道会館・白蓮会館・・・。知られざる秘話を是非、発掘していってください。
先代館長はめちゃくちゃ恐いイメージだったので初めて審査を受けに行った時はかなりビビってました。しかし審査後は毎回ジョークの多い(多すぎる?)館長トークタイムで会場はいつも笑いに包まれていたのを思い出します。
早く次が見たい!待ち遠しい!
英典館長に関しては特に目立った戦績はなく強さを疑問視する声が就任当時上がってましたが、
よくここまで、引っ張って来られたと思います。
先代が早く亡くなられたのもあって英典館長相当苦労されたんですね。
芦原会館の系譜にとって
この〈サバキ〉の技術ってこれから本当の財産になるかもね。
(伝統派に於ける型=形のように)
少子化の影響も手伝って絶対的な競技人口が減るのは間違いないなかで、今までみたく組手試合一辺倒では先細りになるのだけだろうし……
小学生のころ、大阪体育館の昇段審査で芦原英幸館長にちょっとの時間ですが直接指導頂いたのは一生の思い出です、押忍。
あの頃はサバキって相手への崩しと出会い頭(カウンター)だと思っていましたが、最近は丹田や仙骨と言いますか自分の身体操作も重要なのでは?なんて思っています。
芦原英幸館長のどっしりとしながらしなやかな猫足立ち、なのにピンと真っ直ぐ芯の通った背筋、肩を掴まれ引き込まれる時の尋常じゃない力強さを今も思い出します、押忍。
芦原先生曰く、空手はなー
口や言葉でするんじゃないんだよー!
と、何故か標準語で。
この決まり言葉は耳にタコが出来てます🤣🤣🤣
その証拠に先生はサバキ技術を語る時、常に相手を指名し実証をしめしていた。
あれって、技の説明というよりは
芦原先生自身の自主トレをしていたと私は観受けていました、
つまり、相手の弟子は実験体ですね。
また、心体育道の廣原先生との稽古も全く同じでした。
円心會館空手道指導員です。芦原會館も、技を増やしませんか?捌き空手道の原点は、芦原會館です。押忍‼️
サバキの本とか動画を見るとほとんどがケリに対するサバキなんですよね。顔面パンチに対しての技術を見たいのですが。。ただこれを言うとフルコン君やサバキをやった人が怒ってリプライしてくることが多いんだけど私はサバキは優れた技術だと思っており、それを顔面パンチに運用したいと思ってるだけなんですが。。対複数のサバキとか見ても一人目が前蹴り、二人目がハイキック、三人目が後ろ回しの上段をやってきて、みたいな展開ばかりでまるで顔面なしのフルコン対応としか見えない。道場では約束組手とかで顔面パンチに対する反撃とかやってるんだろうけど、実際に顔は殴られることに対する恐怖感が胸パンチとは全然違うから組手などでやらないと身につかないと思う。先代が超人的に強かったという事実は否定できませんが。
初めまして、宜しくお願いいたします。
「サバキ」という言葉は芦原会館初期の頃はなかった。
それまでは先代が「芦原のスペシャルテクニック」と言っていた。
それを体系だてて呼び方を「サバキ」「クズシ」の二択で迷ってたそうだ。
劇画作家の影丸 譲也氏などに相談した結果「サバキ」に決めたそうだ。
どう考えても「クズシ」より「サバキ」の方がカッコいいよね。
年齢関係ないですね。60手前の自分も出来ます。
英典君が中山猛夫先輩に指導受けたのはいつ?
中山さんは早くに芦原会館を出て行ったので、指導は受けてない
でしょう。
先代館長が、「打たれづよい空手王者はいるが、刺されづよい空手王者はいないんだから、殴り合いに頼る事には、実際限界がある」と、本当に言ったのでしょうか?
審査の時に、刺されたら誰でも死ぬんだから、キチンとサバキを覚えなさい的な話はよくされてましたね。
当たり前の話ですけど。
有り難うございます。
いや崩すの大事けどどう崩すのか何も言ってなくね?w
懐かしい〜、道場開きの時を思い出しました、配信ありがとうございます😊 あ、元門下生です、大昔ですがw
学生時代は極真会館本部道場に通ってました。本部道場間引かれ世代の62歳。今更自分の孫くらいの年齢の者に歯やアバラを折られたく無い。そんなの老人虐待だよ。今後は芦原会館ビジネスマンクラスに通いたいと思います^ ^