I'm glad you can share the feeling of this sad song. In this song Sada Masashi sings about an old couple who are waiting for the train. The couple believe that their son will arrive in the train but in vain. A station staff says to them, "The train will not come. Today's schedule is over." Sada Masashi pays gentle attention to the lonely old people maybe with senile dementia.
さだまさしの歌は暗いと評されるがその代表曲。しかしそれは表面的、一面的な見方。確かに暗く辛く寂しい曲であるが、深く弱者への優しい眼差しも感じる。さだまさしならではの「人の心」の歌い方である。
50周年コンサートでも空蝉やってくれました。素晴らしかったです。
涙がとめどもなく流れ落ちて止まりません。魂の叫び
同感です。
「もう汽車は来ません。とりあえず今日は来ません。今日の予定は終わりました。」
駅員が客に状況を説明しているだけとも取れるこのセリフでひとを泣かせられるのは、さださんくらいしかいないと思います。
聞く毎にこの歌の詩の意味の深さが心にしみて私ももうそんな歳
となり 今更てますが
さださんの心の中と頭の中を見てみたい!
どんな人の事も大事に見守りながら歌を作っている〜さださん凄い人日本一嫌世界一だと思う✨✨✨
10代前半にレコードで泣いて
今、50代半ばで泣いてます😭
中学生の時はピンとこなかった歌詞。60近くなって涙がでてしまう。
この歌は若い頃
うざいと思って聞かなかったのに
私も歳を取り、胸が痛くなるほどこのご夫婦みたいにおむすび🍙新聞紙に包んで主人とふたり生きて行きたいと思えるようになりました!恥ずかしい自分を反省しています
熱い恋があって守り通した二人〜そう誰もそうだったんだね!
でも子育て一生懸命してふと気づくと二人だけになっていた!
人生なんてそんなもの
@@小林愛子-l3v 愛子さん、はじめまして。長~いことさださんファンしています。
「熱い恋があって守り通した二人..」 いつもここで涙があふれて止まらなくなります。
とても切ない曲ですが、何か人の温かさを このフレーズが語って(救って)くれているように思うのです。
みんなそうなんですよね、私も家内と二人寄り添い🍙持って出かけて穏やかに暮らしていけたらと思っています
十代の頃 聞き覚え 縁を結ぶ人があり 子を授かり 旅立ちを見送り 今、少しずつこの物語の老夫婦に近づいて来ました。
あの頃 何故この曲に惹かれたのか解らなかったこと・・・頼りない互の温もりを大切に灯が消えるまで精一杯 そう思います。
哀しく寂しい唄だけど、いま、さらに「もう汽車は来ません」といってもらえる、駅員がいる駅がいくつあるのか(特に北海道)。一層寒い時代なのかもしれません。
あ〜❤戻って来てくれたんだって、このジャケット写真を見て思って…..あれからほんとに何十年もたっのに今も泣きそうになります👒
さださんは、なんていい歌を作るのか!単に自分の経験からだけでは産まれない😮
字面だけでざっと見たらめちゃくちゃ救いのない話なのに
歌でよく聞くと、人の優しさとか、ただ悲しいだけじゃない物語になる不思議。
抒情詩の天才
初めて空蝉を聞いたのが27歳の時で、最高傑作と言われるアルバム「夢供養」でした。
素晴らしい曲ばかりであるが、特にこの曲には衝撃を受けました。当時、歌詞の深い意味を理解できませんでしたが、離れて住む祖父母のことを思い出していました。
老夫婦の年齢に近づいてきている今、息子が迎えに来ると信じ、待ち続ける老夫婦の気持ちを思うと胸が締め付けられ、聞くたびに涙が溢れてきます💦💦
すごい歌。。。
昨日の福岡サンパレスで初めて空蝉を生で聞きました。懐かしさとともに深い感動を覚えました。正直知らない曲だらけだったけどいいコンサートでした。
10周年記念コンサートの10枚組CDは本当に素晴らしい。今の20代の歌い手でこのよな老成した、深みのある詩を書く人は自分の知る限り皆無です。この映像は非常に貴重です。
書簡集(苦笑)
まずいませんね。
@@さくらママ-c6l 別名「二万円」(笑)
これがさだまさし69歳の今も過去もリアルである淵源ですよ。
たくま、最高!
昔の両親を思い出します。貧乏のどん底にいた頃の親を。
昨今、認知症がさわがれていますね。この曲の老人夫婦も多分そうなのでしょうか。
幸いうちの両親は、認知症にはならずに旅立ちました。
ですがこの曲を聴くと、昔の親の気持ちなどを想い、切なく悲しくたまりません。
さださん、いつも名曲をありがとう。
そして宅間さん、名演奏ありがとう。
「古新聞からおにぎり」のフレーズは本当に泣かせますね。昔、おふくろが作って弁当で持たせてくれた「おにぎり」。海苔で巻き、中身は梅干し一つ。でも、今迄で一番美味かったなぁ。
おふくろは五年前に、九七歳で亡くなりました。誰もが持つ、親に対するありがたみが、この歌を聴くと、ふつふつと湧いてきます。
この詩はその情景が浮かんで来ますね‼️。
まっさんの歌は 勿論明るい歌もあり コミカルな歌も有りますが 切なく もの悲しい歌は どの歌も 感動し 胸が熱くなります
心 洗われます
すてきな歌を いつも ありがとう❤️
高校生の頃、この老夫婦に感情移入してしまい、とても切なく悲しく思い歌ったものでした。最近、ん十年ぶりにギターに触れる機会があり、そう言えばといろいろ思い出し検索いたしましたところこちらに。誰もがこの老夫婦の年齢、境遇に確実に近づく訳ですが、やはり切なくて、涙が止まりません。ありがとうございました。失礼いたしました。
悲しい歌ですね。
私の家も父の介護です。
いるのが当たり前の人が、いなくなる。考えだけで、ふわんです。
「古新聞から おむすび」
子供の頃、初めて聴いたときから
いまに至るまで耳に残って離れないフレーズ。
切なすぎる。
スタートの木琴。
なんとも言えない。
この頃中学くらいだけど、いい曲ばっかりだったなー
別の動画で「この歌を聴いて故郷の両親の元に帰り職を求めました。娘が嫁ぎ家内も病死。大きな犬が空蝉の世の連れ合い。その犬も寿命で先に死に逝くことがわかったいます。どう生きて行くべきなのか問う日々です。」とコメントが一つだけありました。
この優しいコメントの主は今どう生きておられるのだろうか?
この歌はたしか47年ぐらい前にNHKのFMラジオのさださんのスタジオライブで聞いた記憶があります。その時は少し悲しい歌だなと思っていましたが、あとになって聞くと、とても悲しいし哀しい歌だと思います。改めてさださんの才能に敬服いたします。
何時聞いても、悲しくなる詩ですね!
若いですね☺️ずっと前からずっと好きでした。🤗姉と、夢中になってコンサートに🚆🚇朝一の電車で出掛けたことを懐かしく思い出します。今は、さだ丼を車で聴いています🚗。何時も大切なものは何かを教えて頂いている気がします。ありがとうございます。🧚♀️メイクワンシー🧚♀️🧚♀️💝✨
さだまさしさん優しい歌ですね。訳なく哀しくなって来ます。
そう思える貴女も優しい方ですね。きっと
このアルバムの頃は中学生か高校生くらいだったかな。
ちょうど小学校の高学年くらいで恋愛症候群でさだまさしを知って以降のファン。
この頃の曲が歌詞含めて最高だな〜
懐かしいいけど「暗い」と言われ始めた頃の曲って感じがします。やはり風見鶏、アンソロジー、夢供養の頃が私にはベストです。
まさしく同感!!!
そう感じるってことは…まだまだ、子どもですね。
こんな歌を作ることができる・・・なんとすばらしい・・・
年老いた ご夫婦の 気持ちを思えば 涙が出てきます
66才になってやっと「さだまさし」さんのファンになりました。自分はなんて、小さな人間だったんだろう。
それでも親は子を待ち続けるんですよ。戻ってこないとわかっていても鍋の底のように。
国鉄が単線だった時代。豊肥線・九大線には、鉄の輪っかで作られたタブレットをホームに掛ける車掌さんの姿がありました。いつもいつも通る 夜汽車・・・ 数キロ上流の鉄橋から毎夜聞こえて来たブルートレインの音。高校時代 手動開閉扉の客車から駅のホームに飛び降り 転びそうになった 懐かしい昭和50年代。
さだまさしの年寄りに対する優しさ きっとぼくはそれに同感している
いまどきの若い人は自分の思いだけでいっぱいで
他者の悲しみ苦しみを思いやれないんだね
まっさんは芸術ですね。
この曲はエンディングのギターがかっこいいって思ってたけど、マリンバもやっぱりすごい。
マリンバの音が、良い‼️
夏 空蝉の 時 心に 響く歌です
この歌に出てくる「息子」は既に亡くなっている設定なのでは?すると一気に辻褄が合うような。
前から知っている曲で、親を放って置きっぱなしの人間に釘を刺すメッセージソングだとばかり思っていたが、違う気がしてきた。
hanten oishi
同感。
待っても仕方のない息子さんを、
やむにやまれず待つ老いた両親。
もはや願望ですらない妄想。
そんな気がします。
「うつせみ」ですもの。
なるほど!
だから「空蝉」
その、既に現世にいない息子が
目の前にいる僕なんですよ。
北海道人です。
もう汽車は来ません…
今まで普通に何気なく聞いていましたが、もしかしたら 道外の人には「汽車」という単語は「何?」という感覚だったのかも。
北海道は一部でしか電車が走っている区間がなく、D51の後のディーゼル機関車が
鳥取市には電車が走ってございません。
レールを走るものは
『列車』
もしくは
『汽車』です。ついつい失礼しました。
(鳥取県東部在住の者より)
この歌を馴染みの居酒屋で歌った時、老齢にさしかかったていたママさんが号泣していた。
今自分と妻がアラ還となり、胸を抉るような歌詞に目から鼻水が出そうになる(なぜここで【敗戦投手】?)
この風情が悲しくて・・・現在の日本の状況みたい・・・🎶懐かしい・・・
母に会いに行こう。
マリンバのたくまさん どこへ行かれたのでしょうか
さださんは どの歌も 心に響きます
私も同感です。40年以上まっさんの曲を着ていますが、それが魔の良さなのでは?
田舎の急行が止まらない小さな駅。でも無人駅じゃないところはさすがの国鉄。そして登場人物は3人。冒頭に登場する1人称の「僕」は、終盤に登場する「駅員」。この老夫婦を”空蝉”と言っているのであれば、都会の息子はこの地と老夫婦を忘れた訳じゃない。
日本から日本語で返信いたします。
40年ほど前からこの『空蝉』を聴いています。
歌詞も繰り返し、聞いてます。
言葉を噛みしめるほどに、
さらに
さらに
感動しております。
ぜひとも、この歌(うた)を、唄(うた)を、
そして詩(うた)を繰り返し聴いてみてください。
とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりましたあ~。あ~無情。そして、明日が来るのですね。。。
この老夫婦よりも映画や無人島でとんでもない借金背負ったさだまさしの方がずっと悲劇的なのに、何かこの人のキャラからして喜劇として捉えられてしまうことも凄い。…誰かのワンシーンを悲劇的に描き出すってのは、自分自身すら俯瞰的に見れる達観、そのセンスが必要なのかな、と思う(適当)
この才能に20億貸した銀行の眼力は大したもんだ。利息込み35億を完済する未来に掛けた勇気に喝采!
@@pandaman145 会社には貸さない、本人にだったら貸すと銀行は言ったそうな。
@@douga9996 そうだったのですか!(笑) そりゃあいい話だ。
無人島ではそんな借金は作らなかったですよ。1979年に「雨やどり」の印税で購入したものです。
さださんの映画「長江」は、中国では大変評価されていますよ。
”よくぞ作ってくれた!”と。まさか日本人のシンガーソングライターが作った映画だとは知らなかったらしいけど、大ヒットしたそうです。国営放送までされて、
その後はコンサートも大人気でカセットテープも飛ぶように売れて、偽物のさださんのテープまでも出回ったという話を友人から聞きました。
百恵ちゃんが中国では大人気だったから、秋桜なんかも大ヒットしたらしいです。
このコロナ騒ぎでうち🏡も赤字経営です。さださんの歌、一言ではないですね。
5:16 最後の汽笛が良い。
こんな世の中・・・💦これが日本なんだね。
Thanks, song over any language barrier
I'm glad you can share the feeling of this sad song. In this song Sada Masashi sings about an old couple who are waiting for the train. The couple believe that their son will arrive in the train but in vain. A station staff says to them, "The train will not come. Today's schedule is over." Sada Masashi pays gentle attention to the lonely old people maybe with senile dementia.
昔からの疑問。「僕」の立ち位置。僕の目の前に老夫婦がいる。どのくらいの時間夫婦が待ち続けているのかわからない。しかし「僕」はずっと老夫婦を観察している。最終の急行だけなのか?おそらく老夫婦は下りを待っているんだと思うんだが、「僕」は上りにのるんだろうか?ホームで待ってなくていいのか?どー思う?
貴方の前に何年立ち続けているんだろう?救いを求めているのは間違いないだろう。いや、それより寂しさを埋めたくて気づいて欲しいだけなのか
?それは何とも言えないよな。けど貴方なんだろうな。
黒澤明の「夢」の世界やね 事実はそれぞれの胸のうちに・・・
この歌を聴いたのは中学生の時でした。あれから何年も経ちました。未だに正しい解釈はわかりません。
『ボク』に関しては、もう一人の駅員かも知れないし、路傍の石(第三者)であるかも知れないし、老夫婦の息子が遠くから想像の中で見ている風景=帰らない事への後悔の念かも知れません。
『空蝉』という言葉は、当然に蝉の抜け殻ですが、夏の季語であったり現世を生きている人間のことでもあります。人間の悲しい業を歌っているだけかも知れないので、『ボク』は、上りにも下りにも乗らないんだと思います。最終は行ってしまいましたしね。ひょっとすると自身の『案山子』の裏側かも知れません。あるいは同アルバム『歳時記』の数十年後の世界かも知れません。
G EHARA
なるほど。案山子の数十年後ですか。ありえますね。しかし「僕」は息子ではない。もしかして息子はもう亡くなっていて、その霊が「僕」なのかもしれません。恐。
chobibi05 さん
>その霊が「僕」なのかもしれません。
忘れていました。
このアルバムのタイトルは「夢供養」でした。
誰の夢かはわかりませんが、この答えを知っているのはさださんだけですね。きっと。
ブラックジャックの雪国に住んでたおばあさんのイメージ。
その話知ってます。出来のいい子供は適当な理由つけてこなくて一番ダメな息子だけ帰って来るって話ですね。
「案山子」の親心に対する息子の答えがこれなのか・・・。
うわー😭😭😭
嫌だな
普通に考えれば全然違う親子だと思いますよ。
同じ親子だと感じる貴方の感性の方が特殊だと思います。
それに「案山子」は父親ではなく兄の言葉であるという説も有力なんですけど・・・
木琴の人すごい
宅間さんでは「胡桃の日」が最高です。ぜひ聴いてみてください。
マリンバのたくまさんのファンでした。
若かりし頃から、亀山社中のたくまさんわたしも、ずっと大ファンです。さださんの、バックミュージックは、大変味があり、楽しませていただきました。
宅間さん、トークの中ではさだまさしにいじられていますが。〔笑)東京芸大卒とか。
ただ前向いて生きることだけしか「興味」がなかった若者たちは、こんな風にして何もかもを置き去りにして自分たちの理想郷を夢見るばかりだった。空蝉たちは、ただ枯れていくだけでそんな若者たちに捨てられるだけ、そんなこの国家だった。
若者たちが老いて、いまその親と同じ立場になった現在、プラットホームで肩を寄せ合う存在どころか、若者から「自動的に消えていく存在には、どうしたらなってもらえるか」と言われている。
聞くたびにそんな
そんな!
待っているのに!
今日は来ませんって〜辛くなる😢
二人はこれからも肩を寄せ合って生きて行くんですね
私もそんな歳になりました
僕は何してたんやろ?
さだまさし さんが 早く 皇居で放送されますように 内閣府にお願いをしてあります 内閣府の方は ご意見 確かに承りましたと 言ってくださいました 早くその日が来ることを 願っております さださん 頑張ってください
さたさん私もデイナしよい期待して下さい田中佳子より
皇居での放送ではなく 褒章 です