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能勢電はかつては路面電車のようなもんでしたからね。私は320型から能勢電で乗りました。小型車でしたね。610型運用時に1500系や1000系が登場した時はドア位置が異なってました。328は平野車庫で保存されてましたが、解体されてしまいました。
全部阪急からの譲渡車と思いきや西鉄からのもあったんですね
小学生の頃一度だけドアにステップが付いた電車に乗りましたこの映像を見るに320型か500型でしょうか運転席と客席が棒一本で仕切られており子供心に年季の入った電車だなぁと思ったことを覚えています
昭和40年代 祖母と能勢妙見に行くとき乗りました 電車ぎりぎりに岩や木があってすごい田舎と思っていましたが開発されてすっかりニュータウンになりました 終点の手前に隧道東口といって駅?みたいな場所がありました でもドアが開かなかったのが不思議でした
初めて大阪へ行った小学生の頃、能勢電のホームに 佇む白熱灯にニス塗りの車内を見て、池田に向かう阪急宝塚線には無い魅力を子供心に感じたものです。昭和50年代の風景です。
50形が好きで夏休み早朝に能勢口に行き川西池田までを往復したのを思い出しました😁ありがとうございました🙌
自分が川西に引っ越してきた時(1974年3月)は、320系が3両で、平日昼間は20分間隔で運転していましたね。それから少しして、通常4両になった頃、夕方の帰宅時間帯、能勢口発車でダイヤがものすごく細かくなったことも覚えています。あと、夕方ラッシュ時、ダイヤにない臨時の平野行き?山下行き?みたいな電車も、1号線から発車していたような記憶もあります。
いつも楽しく拝見しています。1985年から沿線住民になりましたが、320型に乗って通勤していました。「おいおい!?床が木でできてんで」と嫁と話した記憶があります(笑)
中身も見たいです。天井に扇風機があったり、きっと面白いです。
今は阪急電鉄も乗り入れになって車両のバリエ一ションも豊かになりましたね
能勢電鉄の車両は阪急電鉄から譲渡された車両ばかりですね。50系は能勢電鉄が製造された車両ですね。320系、500系は宝塚線で走っていましたね。500系はナニワ工機(アルナ工機)が製造して阪急の車両は製造されましたね。610系~7200系までも歴代車両に載せて下さい。古い車両が見られて勉強になりました。50系の復刻カラーに5125Fがありますね。1500系は1560F でしたね。10系、20系は阪急千里線専用車両で能勢電鉄に行きましたね。10系は新京阪鉄道の車両ですね。10系は正雀車庫に保存されていますね。
500系のブリル台車が今の空気ばねと同じかそれ以上に乗り心地が良かったのは、今でも覚えています。個人の感想ですが。
3:35 から、乗ったことある電車が出てきたw
320形などは、当初は阪急から借り受けだったのか、自社ではなく阪急の社章つけて走ってた時期がありました。あの車内を見てたからか、阪急の内装(木目調&ゴールデンオリーブのシート)が実はノスタルジックでもあるとわかります。
320型といえば、床が木材で油がひいてあり、その臭いとぬるっとした感触が忘れられない
610系以降は次回かな?
できたばかりの日生線区間ローカルに320型2両編成が走っていたね
能勢電車は、阪急電車🚃の、お古ですよ。また、地元、川西市に行きたいです。
40年ほど前に300系か500系と思わしき車両に乗った記憶があるのですが、運転席と客席の間にドアが無く棒一本で区切っているだけでした。これは500系、300系どちらでしょうか?
323のタイプの電車 遠足に行った時に 箕面線で乗った ような記憶が・・・・1700系は、ドアの横のスペースが小さくて、あそこに立つのが好きな者としてはあまりすきではないです。
阪急からの譲渡車がコスト削減を象徴している感が強いですね。今の能勢電ロゴ付きの阪急マルーンに似ています。
阪神の青胴車が引退したらひと編成だけでも譲り受けたら塗り直さなくてもいいかな
初代がボギー車じゃないって・・・ あの山岳路線で運転大変だったと思うが・・・あと、ポールが架線から外れる事も多かっただろうな^^;500系は覚えているな^^
私が初乗りしたのが1988年だから乗った事あるのはないな😁
能勢電はかつては路面電車のようなもんでしたからね。
私は320型から能勢電で乗りました。小型車でしたね。610型運用時に1500系や1000系が登場した時はドア位置が異なってました。328は平野車庫で保存されてましたが、解体されてしまいました。
全部阪急からの譲渡車と思いきや西鉄からのもあったんですね
小学生の頃一度だけドアにステップが付いた電車に乗りました
この映像を見るに320型か500型でしょうか
運転席と客席が棒一本で仕切られており
子供心に年季の入った電車だなぁと思ったことを覚えています
昭和40年代 祖母と能勢妙見に行くとき乗りました 電車ぎりぎりに岩や木があってすごい田舎と思っていましたが開発されてすっかりニュータウンになりました 終点の手前に隧道東口といって駅?みたいな場所がありました でもドアが開かなかったのが不思議でした
初めて大阪へ行った小学生の頃、能勢電のホームに 佇む白熱灯にニス塗りの車内を見て、池田に向かう阪急宝塚線には無い魅力を子供心に感じたものです。
昭和50年代の風景です。
50形が好きで夏休み早朝に能勢口に行き川西池田までを往復したのを思い出しました😁ありがとうございました🙌
自分が川西に引っ越してきた時(1974年3月)は、320系が3両で、
平日昼間は20分間隔で運転していましたね。それから少しして、
通常4両になった頃、夕方の帰宅時間帯、能勢口発車でダイヤが
ものすごく細かくなったことも覚えています。
あと、夕方ラッシュ時、ダイヤにない臨時の平野行き?山下行き?
みたいな電車も、1号線から発車していたような記憶もあります。
いつも楽しく拝見しています。
1985年から沿線住民になりましたが、320型に乗って通勤していました。
「おいおい!?床が木でできてんで」と嫁と話した記憶があります(笑)
中身も見たいです。天井に扇風機があったり、
きっと面白いです。
今は阪急電鉄も乗り入れになって車両のバリエ一ションも豊かになりましたね
能勢電鉄の車両は阪急電鉄から譲渡された車両ばかりですね。
50系は能勢電鉄が製造された車両ですね。
320系、500系は宝塚線で走っていましたね。
500系はナニワ工機(アルナ工機)が製造して阪急の車両は製造されましたね。
610系~7200系までも
歴代車両に載せて下さい。
古い車両が見られて勉強に
なりました。
50系の復刻カラーに5125Fがありますね。
1500系は1560F でしたね。
10系、20系は阪急千里線専用車両で能勢電鉄に行きましたね。
10系は新京阪鉄道の車両ですね。
10系は正雀車庫に保存されていますね。
500系のブリル台車が今の空気ばねと同じかそれ以上に乗り心地が良かったのは、今でも覚えています。個人の感想ですが。
3:35 から、乗ったことある電車が出てきたw
320形などは、当初は阪急から借り受けだったのか、自社ではなく阪急の社章つけて走ってた時期がありました。あの車内を見てたからか、阪急の内装(木目調&ゴールデンオリーブのシート)が実はノスタルジックでもあるとわかります。
320型といえば、
床が木材で油がひいてあり、
その臭いとぬるっとした感触が
忘れられない
610系以降は次回かな?
できたばかりの日生線区間ローカルに320型2両編成が走っていたね
能勢電車は、阪急電車🚃の、お古ですよ。また、地元、川西市に行きたいです。
40年ほど前に300系か500系と思わしき車両に乗った記憶があるのですが、運転席と客席の間にドアが無く棒一本で区切っているだけでした。これは500系、300系どちらでしょうか?
323のタイプの電車 遠足に行った時に 箕面線で乗った ような記憶が・・・・
1700系は、ドアの横のスペースが小さくて、あそこに立つのが好きな者としては
あまりすきではないです。
阪急からの譲渡車がコスト削減を象徴している感が強いですね。今の能勢電ロゴ付きの阪急マルーンに似ています。
阪神の青胴車が引退したらひと編成だけでも譲り受けたら塗り直さなくてもいいかな
初代がボギー車じゃないって・・・ あの山岳路線で運転大変だったと思うが・・・
あと、ポールが架線から外れる事も多かっただろうな^^;
500系は覚えているな^^
私が初乗りしたのが1988年だから乗った事あるのはないな😁