1984 LA OLYMPIC MARATHON
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- เผยแพร่เมื่อ 18 ก.ย. 2015
- 日本のマラソンは強かった/1984 LA Olympic Marathon>
1980年代のマラソン史を語る上でやはりこのレースははずせない。日本マラソン栄光の80年代にあって、最大の試練となったレースとして今でも深く脳裏に刻み込まれている。それでは、31年前の真夏のロサンゼルスへタイムスリップしてみよう。
日本代表は、言うまでもなく前年暮れの福岡国際マラソンを勝ち抜いた、瀬古選手、宗茂選手、宗猛選手。史上最強と言われたトリオ。一方、外国勢のメダル候補は、キャステラ(オーストラリア)、サラザール(アメリカ)、イカンガー(タンザニア)、ロペス(ポルトガル)。この時、日本の誰もが金メダルを確信していた。いや、メダル独占さえあり得るとの予想もあった。この当時の実況をあらためて聞いても、それは期待の域を超越し、勝利への確信に近い様相を呈している。しかし、現実はあまりにも過酷だった。灼熱のコンディションの中、壮絶なサバイバルレースが展開されていく。メダル候補が次々に脱落していく中、ついに日本の絶対的エースにも悲劇が。。。
31年前のこのビデオの編集をしながら、胸に熱い思いが再び蘇って来た。最後の日本の希望は宗猛選手に託される。しかし、激戦を制したのは優勝候補の中でただ一人最後まで残ったロペスだった。当時10000mの世界記録保持者マメーデとともにポルトガルの長距離界をリードしていた英雄。37歳の老雄と言われたが、その走りは正に世界一に相応しいものだった。銀はアイルランドのトレーシー、銅はイギリスのスペディングと全くノーマークの選手。日本選手のみならず、キャステラ、サラザール、イカンガーにとってもオリンピックで勝つ難しさを思い知らされる結果となった。
当時、高1で夏休みの真っ只中。
陸上部だったので注目して見てましたが瀬古選手が負けるとか衝撃的で信じられなかったのを憶えてます。
オリンピック最終種目で
この夕日の景色が美しい。
解説者の「あらっ?」、アナウンサーの「意外な展開になりました!」がこのレースを観ていた日本人の気持ちの全てを物語っている。もちろん当時高1だった自分も同じ気持ち。
モスクワ五輪ボイコットが無ければ24歳になったばかりの瀬古さんは夏の五輪マラソンの勝ち方を体感し 28歳で迎えたこのロスでも37才のロペス選手(ポルトガル)にも勝ち次のソウル大会でもボルディン選手(イタリア)にも勝てて3連覇も夢ではなかったでしょう。
当時、小学校6年生でしたが、遅れる瀬古さんの姿が本当に衝撃的でした。
そうですね。誰も予想しなかった展開でしたね。ちなみに、私は当時大学院生でした。
私は中学生で友達の家で夏休みの自由研究をやりながら見てました。
瀬古が遅れ始めたのを見て、ガクッと来ました。
ジョントレーシー選手懐かしい。
しかしカルロスロペスはフォーム、スピード、スタミナ、全てを兼ね備えたランナーでした。
ロペスの最後の7.195kmは21分を切っている。中盤までのスローペースからの驚異のギアチェンジですね。
酷暑のマラソンで後半これだけのスピードが出せるなら、現代でも通用しそう。アフリカ勢相手に良い勝負が出来るのでは。
でも瀬古は最後まで走りきった🥹優勝候補が脱落すると途中で棄権するランナーがよくいるが、大プレッシャーの中で諦めないで最後まできちんと走りきったことはさすがだと思う🫡
瀬古が負けるのを、生放送では初めて見た。残念だった。悲しかった。
惨敗後の暑かったって言い訳に失笑しました😢
先日大健闘した大迫選手に更新されるまで、この時の宗さんのタイムが日本人オリンピックレコードとして長年残っていたんですよね。この時代かつこの過酷なレース展開で2時間10分台で走り抜けた宗猛さんは偉大ですね。
瀬古さんと宗茂さんが集団から離れて何とか自分がメダルをと思って走ったとインタビューで言われてました。(それもアップしてます。)それにしても当時の選手へのプレッシャーは大変だったと思います。レース前からマスコミも国民ももうメダルは取ったという感じでしたから。
瀬古選手もキャステラ選手もイカンガーも遅れだし、勝ったのが37歳のロペスとは、驚きしかなかったロス五輪マラソン、もう37年も経ったのか。
Grande Carlos Lopes.
小学校の時、初めて見たオリンピックのマラソンがこの大会でした。
アップ感謝です!
どういたしまして。私は、大学院生の時の大会でした。
This has to be the greatest olympic marathon ever. The field was stacked and yet the three most unlikely of people ended up on the podium
ロペスって、ヨーロッパ選手権で優勝した実力者ですけど?(失笑)
@@user-vj3gs8oj8m , my countryman Carlos Lopes (with S, not Z) was the greatest long distance and cross country runner after Paavo Nurmi. His overall personal results show it beyond any doubt.
ロスオリンピックでは柔道の山下、体操の具志堅、バレーボールなど様々な種目でメダルが期待されていたがマラソンの瀬古ほど金メダルが期待されている選手はいなかった。今と違いマラソンが日本のお家芸でありその中で神がかり的な強さを見せた瀬古の圧倒的人気と存在感はフィギュアスケートの浅田真央にも通ずるものがあった。その分凄まじいプレッシャーが彼にのしかかり、それが夏場の過度の練習につながり自滅してしまった。
解説の高橋進が何度も何度も「いやあアフリカの黒人たちが不気味ですねー」って言ってたのを思い出しますw
5:00 リアルタイムで見ていた。瀬古がかぶっていた帽子を投げ捨てた瞬間いやな予感がしたが、「どうした?瀬古」というアナウンサーの実況にいたく共感した。宗猛の4位入賞だって誇るべき素晴らしい成績なのだが、「あの瀬古が負けた」という事実があまりに衝撃的だった。
catsyamashi 私もリアルタイムで見てました。最近の言葉で言うなら「想定外」の結果でした。
33キロ近くで、ラジオの実況放送で、ビルロジャースが、瀬古が、行くよと言っていた。
キャステラは前年83年の第1回世界選手権優勝だから優勝候補筆頭というアナウンサーの評価は適正
日本人の全ての期待を背負って、走っています。遅れた時は、僕も「エッ!?」て思わず声をあげてしまいました。この2日後でしたか、神宮外苑を歩いていたら、瀬古さんが向こうから走ってきました。「瀬古さん!がんばってください!」と声を掛けたら、「はいっ」と応えて頂きました。その時、改めて凄い方だと思いました。
ロペスと瀬古のガチンコ勝負を見てみたかった
モスクワの瀬古さん見たかった。
結果はロスと似たり寄ったりだと思う(笑)
米国勢、ビルロジャース、トムフレミング、ボブホッジ、ランディトーマスたちが、モスクワ走っていたら、わからん。
瀬古の国内マラソンで感動をいただきましたが、しかしいくら瀬古でもロペスに勝つのは難しい。ロペスだってモントリール10000mで銀。そして数々の10000m国際大会で優勝を重ね、いよいよ満を持してのモスクワだったのだ。瀬古と同じく涙をのんで40歳近くなってしまったロペスはこのロサンゼルス五輪のマラソンは必勝の思いであったでしょう。
モスクワ五輪ボイコットが無ければ24歳になったばかりの瀬古さんは夏の五輪マラソンの勝ち方を体感し 28歳で迎えたこのロスでも37才のロペス選手(ポルトガル)にも勝ち次のソウル大会でもボルディン選手(イタリア)にも勝てて3連覇も夢ではなかったでしょう。
当時高校1年で陸上部の合宿先で観てました
瀬古の遅れる姿にショックを受け大ファンだったので泣いてしまった
あれから37年、奇しくも今日は東京2020男子マラソンの日
あと6時間でスタートだが全ての選手がベストの走りをしてくれればいいなと思ってます。
今日の大迫選手の走りは立派でしたね。
小学生時代の夏休みだった家で、リアルタイムで見ていました。時計はちょうど1時間48分あたり。まさか瀬古が遅れるなんて、夢にも思わなかったです。どんなペースでもヒタヒタとついていき、最後は差すと信じていましたから。ほとんど情報はテレビや新聞しかなかったから、イカンガーやキャステラ、サラザールは知っていたけど、ロペスすら知りませんでした。
ロペスは、メダル候補の一人ではありましたが、瀬古さんやキャステラなどと比べると前評判は、それほどではありませんでした。オリンピックのマラソンは、本当に難しいと思ったレースでした。ちなみに同時、私は大学卒業して、修士課程の一年生でした。
思わぬ伏兵が勝つというのが当時の五輪のイメージでしたね。
今日は。仰る通りですね。ロペス、トレーシー、スペディング(二人は名前忘れてましたが)なんて知らなかった。情報の入り方が今とは全く違ってましたね。何かの事情で日本のマラソンに出場しなかった欧州の選手を、私達だけでなくアナと解説者も知らなかったのでは? そう思わされる実況・解説です。
それにしても、瀬古の敗北は衝撃でした。
ロペスは、ヨーロッパ選手権で優勝してるから、無名ではないはずです。
@@user-vj3gs8oj8m まあ、こっちは小学生なんで、あまり情報を得ていなかったのは事実ですね。
瀬古が遅れた時の失望感は今でも覚えている。しかし、この時のロペスは38〜39歳。翌年ロッテルダムで世界記録でゴールしたときは
世界最強のランナーであることを
認識させてくれた。元々は10000mの選手で27分15秒ぐらいの記録をもっていたはず。
日本の高岡さんと被りますね。
100%瀬古が勝つと思っていたのでショックだった。ロスは暑さ対策が課題だったが、東京オリンピックは地獄だな
たしか銀メダルトレーシーは10000Mが本命でマラソンは初マラソンだったはず。
瀬古をゴールで迎えたエスビー食品の中村清監督の第一声は早くも「次のレースは何にする?」だったものの、
これには瀬古もさすがに「休ませてください」と答えるしかなかった
しかし暑い所で無理な練習をさせてコンディションを崩させてしまった事実は堪えたらしく、
「それこそヒマラヤの麓へでも連れていっていればよかったのです」
と後に反省の弁を述べたとの事
モスクワの時が瀬古の全盛期だったからな。出ていれば少なくともメダルは獲れていたと思う。
羽佐間アナウンサーは、日本人が金を取る実況を一度も出来なかったのが、残念だと、日テレの松永富士夫アナが言っていた
Viva Portugal
35.4km 辺りで、アナウンサーと高橋氏が、なにやら喋っていたとき、瀬古が、遅れたんだ。サラザール、ゴメス、ナイブール、コールフリントなどは、早々遅れていたねえ。
最後に突如現れたHBKに草ww
ただ、このロス五輪でのNHKの放送体制に草野仁がキレたのがフリーになるきっかけだったみたいだね。曰く「夜のハイライト番組の司会にスポーツ中継未経験のアナウンサー(松平定知)を使うとは何事だ!」と。
瀬古さんもマラソンの神では無かった。練習のし過ぎの調整不足であった。
瀬古より先にキャステラが脱落してたの、この動画で思い出した
瀬古の最大の敵はキャステラだと思ってたので、これで瀬古金確実!
その後の衝撃(瀬古脱落)ですっかり忘れてしまってたようだ
35年ぶりに記憶が蘇った
其のキャステラにも最後は抜かれてましたね。本当に衝撃でした。
草野が猛と茂間違えて草
瀬古さんが惨敗するやつ
四年前のモスクワに参加してたら金メダル取ってたかも
ってか、宗猛さん髪フサフサでゴールするぐらいほとんど汗かいてなくてw
10/1秒までタイム出るんだw
例え瀬古さんがベストコンディションだったとしてもロペスには勝てなかったと思う。
五倫といえ、今はこのペースだと遅すぎるとか言われるんだろうな。
黒人選手の出番無し。
道中で解説の高橋進が再三「あの黒いのがブキミですねー」と言ってたw