母譲りの文才と母を超える恋愛力で女房の頂点に上り詰める 賢子の生涯【光る君へ】
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
- 賢子は初めから式部とともに親子揃って宮仕えしていたわけではなく、母の死後に彰子の元へ出仕したとされています。
数多の恋愛の末に出産に至りますが、この恋愛、出産経験が、同時期に生まれた後冷泉天皇の乳母就任のきっかけとなり、賢子は女房としての出世の糸口を掴みました。
教養も高かった賢子は、後冷泉天皇に母の如く慕われ、即位後は内裏女房のトップに上り詰め、後冷泉天皇の隠し子の処理まで行うなど、絶大な力を誇るようになります。
今回は、紫式部の娘としての期待を周囲から受けながら、そのプレッシャーに打ち勝ち逆に武器にしていったことで、女房としては母を超える大出世を遂げた賢子の生涯について紹介します!
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参考文献
服藤早苗『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』
amzn.to/4ehGQzW
諸井彩子『摂関期女房と文学』
amzn.to/3yUvFgN
中周子『大弐三位賢子の和歌--贈答歌における古歌摂取をめぐって』
(樟蔭女子短期大学学会『文化研究 : 樟蔭女子短期大学紀要』(13), 21-32, 1999)
cir.nii.ac.jp/...
平野由紀子『平安和歌研究』
amzn.to/4h00hif
片桐洋一『王朝文学の本質と変容 (韻文編) 』
amzn.to/3Y6CtjQ
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
www.nhk.jp/p/h...
【目次】
1:12 賢子の出自
6:58 出仕後の賢子
12:34 乳母としての賢子
#光る君へ #藤原賢子 #大弐三位 #大河ドラマ
賢子の生涯も、知ることが出来て興味深かったです。
恋愛遍歴のこと、彰子から信頼されて、紫式部よりも出世したことも初めて知りました👍🥰
賢子を主役として、後の院政につながる平安時代の歴史物語も、ドラマで観てみたいと思いました🙏👍🥰
2世のプレッシャーを跳ねのけたのもすごいですが
頼る身内がいない中宮仕えからのし上がっていったのもすごいです
堅子の生涯もドラマチックですね。NHKの時代劇枠でやってくれないかな
賢子は、今の芸能人みたいに式部の二世と言われてもプレッシャーにならず、自分の生き方を貫いて偉くなったの凄い。
紫式部日記読んで母上意地悪〜と思ったろう。源氏物語の歌をモチーフに多くの歌を詠んだのは、母を尊敬していたのだろう。
彰子出仕は母の死後だと思います。
別の動画で知った事ですが、性教育も乳母の役目だった様で、これができるかも乳母の選定条件だったのでしょう。
有名人2世としては、初代の母紫式部を超えるかもしれないほどの大出世ですね!母譲りの和歌の才はもちろんですが、それ以上に後冷泉天皇の乳母となり彼が後に天皇になったことが大きいと思います。即位後のご落胤の扱いまで任されるほどの信頼を寄せられていたとは、驚きです。やり手公卿並みの策略で、自分の息子の養子として引き取ってしまうとは、最善の方法ですね。天皇がこれほど何でも包み隠さず語れる乳母は、あまりいないでしょう。後冷泉天皇の崩御の後は、天皇の日記まで引き取り全てを覆い隠すとはあっぱれです。賢子も他の女性陣同様かなりの長生きで、平安貴族女性の底力を感じさせます。
😢😢
紫式部ブースターを最大限に活かした叡智あふれる娘だったんですね
この方の子孫が天皇家に繋がるんだよな。
これまでの大河にくらべて遥か昔の物語と思っていたが、人生の最後の方で白河天皇とか平清盛の関係者と面識あったとは。歴史は確実に続いていくもんだ。
道長の息子と恋愛って、大河ドラマの設定上ヤバすぎるから描かないんだろうね
彼女自身、実父が道長説もあるしな。
光る君へではその説が採用されている。
「地味である」ように装っていた母よりも、こっちのほうがドラマにふさわしい。乳母を務めなかったら、名前が残ることもなかったろうに。
白河天皇を出産された方ってどんな女性だったのでしょうね
賢子も80歳台、倫子は90歳台、彰子は87歳で一生を終える。これは、女性上位こそが長生きの秘訣を教えてくれている。あれもなるべく遅くまでしていたということかな。
帝の乳母になれたのも母の七光りがあったのでしょうね。
今期の大河に出てないのに伊東四朗さんの存在感w。
12年前の大河(平清盛)で伊東四郎さん演じる白河法皇のインパクトが強かったのかよく出てきますね。(笑)
紫式部は、宣孝はもちろん道長とも関係をもったかもしれないが、内向的でうじうじと文書を書くタイプで案外心の病気持ちだったのかも。それに対して賢子は、母を反面教師として、学び、道長・頼道のようなのようなトップでなくても、その人達に上申できるレベルの人達と関係を持つことによって、一際親しく風どおしのよい環境を築いて出世・長生きできたのでは。賢子は男女関係をもつことこそが、女の出世の路を後世に示したのか。
そして、子孫は天皇家へと…
何で平安時代は和歌読みの能力が尊ばれたんでしょうかね? 琉球王朝で出世するには踊りがうまいことだったらしいですが、意味不明です。今の学歴主義に通じるのかな?
カタイコ
おはようございます、今で言う芸能界の二世って言う所でしょうか?政界では、世襲でしたっけでもどちらも色眼鏡で見られるから大変だったでしょうね、まぁその点自分は、ただのへいへいボンボンだし美人でも無いからその点は、良かったかなだから誰からも期待され無いしね
このドラマ面白いけど平安時代の役を演じるキャストを選ぶなら賢子や彰子なんかの役者みたいなキリッとしたハーフみたいな顔は選ばないで欲しいな。てか平安時代の貴族は色恋とコネでの出世しかしてないんか…楽な時代だな。
あくまでも『大河ドラマ』であること、「楽な時代」というのはその評価基準においては適性とされる強者の評価に過ぎないことだね。
昔はコネがないと出世できなかったのですよ。
私は、ドラマの中では宮の宣旨が一番美しいと思う。
このドラマ面白いけど、いわゆる「平安顔」の女優ばかり選ぶのはやめて欲しい。当時は今より、縄文人の遺伝子が多かった時代です。
当時の絵では、女性の顔は引き目のおかめ顔ですが、実際の人間がそんな画一的なはずはありません。平安顔は、思い込みです。
時代は違うが、浮世絵を見た外国人が、実際の日本人を見ると、その多様性にビックリするでしょう