Keta Masako 氣多雅子 - 「哲学と生死の問題:日本哲学の意義と可能性をめぐって」 ("Philosophy and the Problem of Life and Death")

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  • เผยแพร่เมื่อ 12 ม.ค. 2025

ความคิดเห็น • 5

  • @小山広明
    @小山広明 3 ปีที่แล้ว +1

    よかったです。

  • @さきぴよ-b3s
    @さきぴよ-b3s ปีที่แล้ว +1

    倉田の感情的で甘ったるい読解、その拡散と影響は西田さんにとって迷惑。

  • @now_john
    @now_john 4 ปีที่แล้ว +2

    単位を貰う必要のない気楽な立場で言えば、この先生は余程の講義下手か良く知らないことを話しているかのどちらかだろう。
    学生らしき女性からの質問にも的確に答えられていない。

  • @ギターマン-c1v
    @ギターマン-c1v ปีที่แล้ว

    原稿を読んでいるだけだが、何か意図があるのか、アドリブを入れることができないのか? 
    講演はライブであり、原稿のまる読みだったら、わざわざ会場まで行く必要ないし、来ている人達に失礼だと思わないのか?
    大学の講義で、一般教養の科目で原稿を棒読みする先生が居たけど、寝てる人が多かった。形式主義は良くないね。
    なんか、この先生、国会で官僚の作った答弁書読んでる政治家みたいだなぁ。
    質疑応答でも、言ってる事が理解しにくいし、あまり考えてないのか、?、失礼だが、わかってないと言わざるを得ないなぁ。

    • @EgayuuG1
      @EgayuuG1 6 หลายเดือนก่อน

      最初に「日本語での発表ですので」、と言っていることが意図だと思います。欧米のプレゼンスタイルとは違って、日本語圏では原稿を配った上で原稿読み上げで、という(京都系の?)哲学研究者の習慣を(どこか意図的に)守っていると思われます。
      その習慣(形式)が「哲学」にとって持つ意味はまだわかりませんが、何かあるのかもしれません。