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写ルンですは、写真屋でスマホにデータ入れたいと言うと、その場で、QRコードを読み取って、スマホにその写真データを入れています。【スマホがミニアルバム化になってすごく嬉しい】
デーモン小暮閣下のCMが印象的でした
返還前の香港に行った時にもって行ったら珍しがられた思い出あり。
写ルンですの登場で、写真が一気に増えた。中学生時代と高校生時代で写真量が違う。
富士フィルムの写ルンです、懐かしいですね。とにかく安くて品質が良い。旅行のとき重宝しました😭
新聞記者をやってたころ、地方取材で前泊したホテルにカメラを忘れ、コンビニで「写ルンです」を買って助けられた経験があります。
デーモン小暮(当時 現・デーモン閣下)があの顔でフツーの服着てCMやってたのがインパクト大!
デジカメが普及するまで、ずっと愛用してた
撮り終わっても電池が全然減っていないので、取り出して使ってました。
富士はピッカリコニカみたいな売れてるカメラが無かったフィルムとしてはコニカやコダックより人気があったので写ルンですが成立したと思う
ピッカリコニカは感電防止のために本体がプラスチックされた製品ですね。そのまえがジャーニーコニカ。そのあとがジャスピンコニカ。撮影時に無限遠からピントの合うところまでレンズが繰り出していくのは不思議でしたね。
デジタルデータが易く改変可能という事で、現在では画像での証拠保全に重宝しますよ
写るんです、は当時画期的だった。高いカメラより気楽さがあった
「カメラて使い捨てれるんだ...。」と思った...。
カメラごと、現像に出すのにフィルムとプリントした写真しかもらえないのでカメラ本体は捨てられたって思われてついたのが「使い捨てカメラ」…これ、富士フィルムは「使い捨てじゃないんです、ちゃんとリサイクルしてるんです、使い捨てカメラって呼ばないで」というCMをうって訂正をいれていたほどでした…
銀塩カメラはフィルムの入れ替えはパトローネを左にセットし、フィルム先端を右の巻き上げの溝にセットシャッター押し巻上げしフィルムの弛みを取って蓋を閉めて撮影をした。だが、使い捨てカメラはパトローネは巻き上げる側にあり、撮る度に撮影したフィルムがパトローネに収まってゆく。撮影し終わると、巻き上げが急に軽くなるのでそれで撮影は終わりという事になる。後は現像・引き伸ばしを受け付けてくれるところに撮影終了した使い捨てカメラ本体を持って行き同時プリント依頼する感じ。一時テレビで使い捨てカメラがどのようにリサイクルされまた新しく生まれ変わるかが撮影されたビデオが放送された。だから一眼カメラで撮影したネガと使い捨てカメラではネガの番号の上下が違うはずです。
私は『写ルンです』も『撮りっきりコニカ』も両方使っていました!
「写ルンです」か「スナップキッズ」かは忘れましたがフルサイズのパノラマ写真が撮れるものが、「撮りっきりコニカ」には超広角レンズ付きのものがありましたね。
富士フイルムのレンズ付きフィルム『写ルンです』フラッシュ付きのやつは分解し乾電池が取り出せる。
子供の頃、カメラ&時計は質入品のTOP2だったけど、もはや年端のいかない子供でも持っている。つくづくいい時代になったもんだ...
インスタントカメラというのは元祖ポラロイドとかチェキのように撮影したらそのまま見ることができる写真が出てくるカメラを指しているのでレンズ付きフィルムをインスタントカメラという人はあんまりいなかったと思う。
写ルンですなどのレンズ付きフィルムは使い捨てカメラと呼ばれてましね。
写るんですのボディに取り付けるオプション品で、マクロレンズや望遠レンズもあった。90年代の東京モーターショーでも、写るんですは飛ぶように売れていたな。
自撮りアダプターや防水ケース、タイマー付きミニ三脚なんてのも有った。
写ルンです!家族で旅行に行く度に購入してたなぁ!そう言えば、自分用で買ったのをうっかり水に落としてしまったことあったなぁ!数枚しか使って無かったのに🥺それを、従兄弟が中身が見たいからと言って分解してたなぁ!内蔵電池とフィルム等入ってたなぁ!⚠️良い子は、興味本位で絶対に自分で分解等してはいけません⚠️怪我等過失等する場合があります⚠️取り終えた写ルンですは、必ず写真やさんに持って行きましょう⚠️
小学校の修学旅行には持っていってたなー。後は家族旅行でも親に頼んで買ってもらってた。子供の頃は親父が写真担当で同じ位置に自分もいると少し誇らしい気分になってたような記憶がある。プリクラの人気があった中学校の時はカバンに入れてた。高校になってガラケーにカメラが付いた時の衝撃と同時にすっかり持たなくなったけど懐かしい商品です。
年配の人が観光地のコンビニで「バ○チョ○ある?」って店員さんにきいてたな。店員さん、解ってなかったな。
修学旅行やハイキングに行った時、自販機でも売ってたのを覚えてる⛰️🎒ネジを巻き巻きするの好きだったなぁ😊
未使用の写ルンですあるわ😅あと富士フイルムにはメタバリアって肥満解消サプリで随分世話になった😄
お正月を写そう富士カラーで写そう観月ありさやったような
写ルンですの普及、やたらと「心霊写真と呼ばれる物」が増えた時期。
「困ルンです。」初期に使用された本体に別のフィルムを詰めて販売する業者が出来てきました。品質が悪く富士にクレームつくなど色々ありました。その時に勝手な詰め替え「困ルンです」と新聞に記載され興味深かった。
私は「写ルンです」はほとんど使ったことがありません。旅行に行ってカメラを忘れて、どうしても写真を撮りたい時だけ買うくらいでした。というのも、5歳の時(1970年代前半)に父親が持っていたライカの一眼レフカメラが凄く格好良く見えて、大人になったらこういうカメラを持ちたいという憧れがあったため、カメラには子供の頃から変なこだわりがあって、そんな私には「写ルンです」はおもちゃにしか思えなかったためです。でも、使ってみると写りも良いし、コンパクトで軽くて持ち歩きが楽だし、結構優れものだなって思った記憶があります。それでも「おもちゃ」であるという印象は拭えなかったので、緊急時に仕方なく使う程度でしたね。
本当は、ライカカメラもそうでないカメラも、撮影する理屈は同じだったんですよね。外出時に露出計を忘れたときはフィルムの箱の裏の撮影の目安に合わせて撮影したものです。
「手間がかかる」のは嫌がるだろうが、「手間をかける」のはみんな大好きだよな
・今では現像もカメラ屋やコンビニに持ち込みではなく、配送とネットで行う時代。・レンズ付きフィルムのレンズは小さいので手前から奥まで同時にピントが合うという。スマホのレンズも基本そうだよね。
先日旅先でスマホが壊れてしまい、写ルンですを30年ぶりに買いました。ところが現像に出そうとしたら、サービスを行なっている処が無くて、ネットで探して4キロほど離れたショッピングセンターに行く羽目になりました。そこでは転送サービスの話が出なかったので、プリントされたものをスキャナで読み取って、電子化しました。よく調べてから現像に出すべきでした。
小、中、高の修学旅行の時に写ルンですを必ず持って行った記憶が蘇る。まだコンビニで見かけますよね?
平成元年、ワイ、大学1年生。ママチャリでサイクリングに行っては写ルンですで写真を取り、下宿ではビッグコミックスピリッツの「伝染るんです。」を読んで爆笑したり感心したりしてた。
潜ルンですとかフル防水でありました水中写真撮りたかった私には嬉しかった
当時はおもちゃみたいな簡単なカメラはいわゆる「バカチョンカメラ」って言われてたんだけど、写ルンですは大胆にもISO400とか800とか高品質フィルムを搭載したことで、だれでも気軽にいい写真が取れるようにした。旅先の商店で簡単に手に入ることもあって、旅行のアイテムとして必須だったよね
高品質フィルムではなくて、高感度フィルムね。画質は100フィルムに比べて落ちるけど、シャッタースピードを早くできる分手ブレがしにくかったり、明るくないところでも比較的撮れるという意味では、誰でも気軽に写真が撮れるようになった。
小西六が出していたスリム型のレンズ付きフィルムは、当時出ていたパトローネより細い特殊な形をしていたのですが、これが小西六がむかし発売していた「コニレット」に使用できることがわかった途端に、中古相場が上がったことがあります。パトローネを返してくださいとお願いすれば、タダで返却してもらえましたね。
携帯電話を持って行けなかったので、イギリスとフランスに写ルンですを持って行きました。
写ルンですの基本コンセプトは、19世紀末期にコダックがブローニーフィルムを売り出すときに使ったブラウニーカメラに酷似しています。カメラに120フィルム(ブローニーフィルム)を装填しておいて、客はシャッター押して撮影してカメラ店に持ち込めば撮影したフィルムを現像しプリントして、また新しいフィルムを装填して返却するものだった。ちょうど、2案と3案をあわせたような感じだったらしいです。いかにしてフィルムを消費してもらうかが基本にあったと思いますね。
ひらかたパークとかで買って写した思い出があります。マイクロレコーダーも遊園地の御供でした。
最近フィルムが高騰して、写ルンですの価格も随分上がってしまいました。またブームが来るのかなあ。今は、写ルンですと同等の単玉F10程度のレンズに単速シャッター、フラッシュ付き構造で、フィルムが入れ替えられる簡易カメラがコダックなどから出ていますね。ところで、かつて世界的には何度も使い捨てカメラが発売されましたが、初めて市場的に成功したのが、写ルンです発売以前の1976年にアメリカで発売されたLureでした。今も、ビンテージとしてeBayで出品を見ることができます。詳細に解説されている秀逸な動画ですが、富士フィルムが製品化に当たりLureをどう研究したかにも興味あるところです。
その前に、1888年にオリジナルコダックがありましたね。フィルムはブローニーフィルムを使いますが。これは興業的にどうだったのかな?
フィルムの詰め替えを行っていた現像所の話がありますが、こち亀でそのシステムを使って新規参入した話がありました。うろ覚えですが、現像代込みの金額で販売し本体は必ずその現像所への返却というシステム。ハーフサイズカメラ以上の撮影枚数にしたこと(確か4倍)で現像代が販売価格を上回ることが判明し、破滅したというオチです。
実際にそういうシステムでサービスしていた会社があったように記憶していますし、かのコダックも19世紀末に同じことをしています。ちなみにデジタルカメラの使い切りカメラというのもデジカメが高かった時期にはありましたね。レンズ付きフィルムと同じ内容のサービスでしたが。
写るんですは箱根林間学校&修学旅行でつかわせてもらいましたよ
写ルンですのパノラマは プロに言わせると、パノラマじゃないらしい
今までのカメラに比べるとあまりに手軽に取り扱える事から、JR東日本が「重量半分、寿命半分、価格半分」のキャッチコピーで作られた車輌の蔑称(走ルンです)の元ネタになったなw>写ルンです
年がばれますが、バラエティーにとんでいて、しかも安価だったため、しかも超便利で、特に旅行に行く時は自分が撮りたい写真の目的に合わせて、いろんな種類のものをいっぱい持っていきました。正直、それだけの機能を添えたカメラは付属品も合わせて、超高額なので手が出せないので、とってもありがたかったです。特に私が気に入っていたのは、セピア写真。イギリスやローマ、ドイツなど、ヨーロッパに行く時は必需品で、自分がタイムスリップしたような写真が撮れ、最高でした🎵実際、やっぱり画像割って言うのが正しいのかどうかわかりませんが、高性能になったデジタル写真より、フィルムでの写真の方が、映像は素晴らしいと私は思います。しかも、当時、急に写真が撮りたいと思ったら、普通に売店で手に入ったので、カメラを持ってなくても、撮りたい時に撮れるので、超便利だったんですよね。
「 写ルンです」がたくさん売れ始めたころ、使い終わったボディを廃棄していたので「資源がもったいない」とうことで社会問題となっていましたね。するとしばらくして、 写ルンですのリサイクル工場などを作ってリサイクルしていましたね。 仕事は早いなぁ・・・と感じていました。
使用後は大抵の人が現像に出すのでリサイクル率はかなり高かった。戻ってこないのは数% 。
最初からそういうシステムだったんだけども、衆知されていなかった。
「フィルム以外は全部リサイクルしてます」ってCMがあったな
写ルンですフラッシュを簡易スタンガンに改造する記事が載った事もありましたね。
必ずカメラ屋さんに持ち込まれるから本体がリサイクル出来るのもメリットなんですよね😊だからレンズ付きカメラではなくレンズ付きフィルムなんですよ
20代半ばあたりまで当たり前のように使ってました。当時コンビニで働いてた時、ほぼ毎日1件は現像出す人いましたが、カメラ付き携帯が普及し始めた頃から週1〜2件くらいまで激減してました。しかし、今の写ルンですが写真をスマホに転送できるとは全然知りませんでした😅
「写ルンです」懐かしいですねまだコンデジが高かった2000年代中盤ぐらいまでは結構使ってました27枚しか撮れない点と現像するまで仕上がりが分からないのが面白かった
CMは樹木希林さんが印象的でしたね特に正月🎍📸
フィルム自体最近見ていない。富士フイルムもフィルム以外のCMも放送してるし。
写ルんです…昭和生まれの私はたまに使ってました。旅行先で撮ったりしてたけど結局現像しませんでした。その後、写ルんですはどこかに消えてしまいました…今はどこにいるんだか…。
熱海あたりだと駅前のコンビニでまだ売ってる
なるほど今日も楽しみました
子供の頃からの写真好きとしては信じられないくらいの性能だった。カラーネガフィルムのラチチュードの広さを活かした凄い商品だと思う。そして今でも売られていることにさらに驚いている。ニーズがあればとことんやる姿勢が素晴らしい。フィルムの画像データのスマホ転送なんかもアナログとデジタルの融合で、年寄りには訳わからない発想だろう。富士フィルムは今でもうまくやっているのに、コニカやコダックがなくなってしまったのは本当に残念だ。
現在も元気なのは化粧品部門の支えが大きいのでしょう、写ルンですもですが新しい事に対して柔軟な社風なんでしょうね。長らく印刷業界にいましたがフジの資材は他社より品質が良く日本が誇る素晴らしい企業だと思います!
元々富士フイルムは1990年代後半頃にはフィルムをデータ化してCD-ROMにして渡すサービスをやっていたり今の下地になるサービスはかなり前からやってたりしてましたからね。他にもデジタル化に対応してスーパーハニカムCCDといったイメージセンサーを自社開発して自社製品だけでなく、携帯電話メーカーにもセンサーを外販してたり多方面展開をやってましたからね。他にもレントゲンフィルムから発展させて医療機器に進出したり、先程のハニカムCCDも医療機器の撮影センサーとして今も生き残ってますしコロナ治療薬のアビガンの開発等最近は医薬品事業の方が収益のメインになって来てますね
貧乏性でなかなか使いきれなくて現像が遅くなるとこれいつのだっけってことになるのよな。
会社の親睦会で、みんなで神戸の六甲山へ行った事があったけど、記念写真を撮ろうという思ったが、誰もカメラを持ってきていなかったので、当時、発売されて間もなかった「写ルンです」で間に合わせた事があった。富士フィルムの製品ではなかったが、コダックから「スナップキッズ3D」というのがあって、レンズが3つ付いていて、立体写真を簡単に撮れました。仕上がった写真が3D眼鏡などかけなくても裸眼で立体視できるようになっていたのがよかった。グアム島へ会社の仲間と旅行に行ったとき、これで立体写真を撮りましたが、あとで焼き増ししてみんなにあげると、すごく喜んでくれました。今は販売されていませんが、普通のカメラをあとから立体カメラに改造というのは無理なので、あれこそ使い捨てカメラの本領が発揮できる製品と思いましたけどね。
カメラを持っていない人からすれば、写真撮影の入門アイテムでした。
富士フィルムが生き残ってきた理由か、コダックが倒産したのにブランドそのままで、フィルム技術を活かして化粧品や医療品等に参入しているしな
中学の卒業式で好きだった女の子と一緒に撮ってもらった思い出あります。
修学旅行の思い出が思い出す😊修学旅行先に写ルンですで写真を撮っていたなぁー懐かしい
冒頭で霊夢が言ってたように旅行の非日常感を出すためにあえて使い捨てカメラを使うっていう人もいるかも。
大学生の時にチェーンの写真屋でバイトしていて、嫌というほど分解してフィルムを取り出して現像・プリントしていました。防水製品はケースをテコの原理でこじ開けるのがめんどくさくて、まとめて複数個の注文は本当にウンザリ。また子供でも簡単に使えるから夏休みの自由研究の撮影に使って、休み明け前日の夜なんかに持ち込んできて、急いでプリントしました。でも接写のし過ぎでボケボケで何を撮影したのか、???な感じでした。そして受け取った母親と子供は・・・(沈黙)。
カメラの電池が切れても専用電池が売って無く、写ルンですを使った事が有ります。
遠足では、カメラの持ち込みが禁止だったので、写ルンですを使っていました。
ポケットカメラを買ってからこれの登場で当時ちょっと後悔した覚えがあります。ポケットカメラも簡単でしたが電池もフィルムも買わなくていい写ルンですは革命的でしたね。
一番かわいそうなのが、デジタル取り込みまでシステムでサービスしようとしてたのに、あえなくデジタルカメラに取って代わられたAPS(アドバンスフォトシステム)ですね。
望遠、パノラマが出た時はほしくてたまらず買ってもらったけど現像代金高かったし。
135フィルムにかわる次世代フィルム「APS」これの普及・販促・フィルム供給先確保に「写ルンです」も使われていたり…
APSは撮りきらなくても、取り出して交換することが出来たりしてとても便利でした。でもデジカメが出現したため、あまり普及しなかったですね…
’86ってコトは私は大学生になった年ソレまでは修学旅行とか遠足とかの写真は、先生か「写真部」の独壇場だったのだが・・・以降は皆な、簡単に撮れる様になったので彼らの出番が減ってしまったという以前は現像された写真が壁に張り出されてて、自分の名前を書いて「発注」してたんですよねぇ~w
そして誰かが「これ、心霊写真だ!」って。
写ルンですのレンズは1枚構造。プラスチックでレンズを作る技術は最初に小西六がはじめました。そのレンズにコーティングを施して画質を向上させたのは、これも小西六の特許。むかしCDプレイヤーのピックアップレンズがどうしても歩留まりが高くて行き詰まっていたときに、当時の技術者が内緒で製法上のアドバイスをしたところ、最初は疑心暗鬼な内容だったらしいですが、指示どおりに作成したら嘘のように無事解決したらしいです。
東大寺の大仏殿に写ルンですの自販機がありましたが、フラッシュ付きが無かったので当時あれで記念写真を撮った修学旅行生は現像したら真っ黒けでさぞかしガッカリしたでしょう。
フラッシュ付きの写ルんですHiの使用後アルカリ単3電池が秋葉原で売ってて、かなり新品同様のまんまだったから、格安電池としてよく使ってたなぁ。そういえば、撮れっきりコニカとかもあったよね。写るんですは、シンプルだけど、本体がめちゃ軽いのは魅力だよね。その部分だけはコンパクトデジカメよりも勝ってる部分でもあるよね。
写真屋で取り出した電池をもらってハンディ無線機に使ってました。
@@alice_air_8875 さんなるほど、お店によっては現像の依頼をしたときに電池貰える場合もあったんですね。
常連化していた店だったので頼めば貰える状態でした。しかも元が無線屋だったのがバブルで写真屋も始めた店だったし。
使い捨てカメラ…否、レンズ付きフィルムは、富士フイルムが最初のように説明しているけど、アメリカではLureという商品が70年代からすでに売られていました。ちゃんと、アイディアはどこかに有った訳です。16mm幅のフィルムを使っていました。初代写ルンですも、16mm幅の110フィルムでしたね。Lureは、正直にdisposable camera(使い捨てカメラ)と呼んでいましたが。
他社からも同じような商品が出てましたね修学旅行に持って行ったことを思い出しました✨約20数年、未だにキレイに残ってますよ😆
現像店で回収したボディを富士フィルムのリサイクルに送らず、勝手に安価な低感度フィルムに詰め替えたものが出回って問題化した事がありましたね。露出が±4段ズレても調整可能という高性能のネガフィルムあってこそ成り立つ商品なので、店によってはトラブルを嫌って非純正品は現像お断りという事態になった事も…。
中3の文化祭のクラス展示で『 思い出写真展』をしたんだけど、その時に写ルンですは大活躍したなぁ~。一定期間、校内での撮影が許されて、授業中や休み時間、登下校時に激写しまくったのは良い思い出♪
知り合いの娘さん達(中高生)は「しゃるんです」って言うんだって!「うつるんです」だよって訂正したら学校ではしゃるんですってみんな言ってるって。
80年代の一眼レフなら一般向けは自動露出だしフィルム自動巻上でAFも出来たから基本的にはシャッター押せば写りますよ‥
伝染るんです は見てたけど写ルンです は買ったことが無い携帯で写真を撮るだけなのに 写メ と言う奴の不思議
良い様に解釈するなら、"写メ"だとスマホ含む携帯で撮影したものだと限定できる。まあ死語だよね。
これ以前に発売された全自動カメラを含め、この手の簡単に写真が撮れるカメラの事を一般的に○カ○ョンカメラと言っていた時代があるけど、実はそれが差別用語だと知った時にはちょっとびっくりした思いがあるよ…。あまりにも普通に使っていた言葉だったし…。
意味をご存じの方がいらっしゃいました。もう死語となってますからね。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さん今の若い人達には理解出来ずに何のこっちゃ?な言葉の一つだと思います…。
持ってた!
嫁とのセックス 愛人も!
それなりに使える精度のレンズが、低コストで莫大な量生産できるようになったのもすごいことだ
自分は「写るんです」が出る2年前に素人でも使える、カメラを買っていたから……慌てて居てカメラを忘れた時にくらいしか、「写るんです」を買わなかったが、その頃観光地何処でも「写るんです」が置いて有ったので、それなりに重宝してました(⌒‐⌒)フィルムカメラを3台乗り換えデジカメも普及して安くなり、6年前にデジカメに移行して現在に至る(^-^)
写ルンですがよく映るのは、広角レンズを使用していることと、1枚レンズの弱点を克服するためにフィルム麺が僅かに湾曲しているんです。そのうえ絞りやシャッタースピードもフィルムの許容範囲が広かったので、だいたいのものは映るように設計されていたみたいですね。映像中に出てきた高感度フィルムはその後製造方法を改良し最粒子化してISO1600までは普通に販売されていましたね。
ISO1600を使った超望遠(スタジアム用?)が有ったような。
霊夢さん、魔理沙ださん、今晩は🍀最近は暑くなりましたね。私は、毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は。写ルンですのカメラですね。又、私は、平成3年頃に、造園の仕事をしていた時に、良く買い使いましたね。しかし懐かしいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年。5月(17日筆記。😞🤔💓🏵️🌴🧙🌼🛹🍉💐🌌🥳👼🍒🌹🚴😁😆😚🏔️🌸🧀🍀🌈🍍😻🥰🌻👨👨👧👯🎉☘️🌺🧏✌️🙋
意外ですがAmazon USAでもFujifilm Snap flash 400とか売ってますよ。FujifilmはASA 400しか無いようですがKodakがASA 800のレンズ付きカメラを売ってます。セット販売しかしてないようで1台あたり$20超えでスマホにお株を奪われるのも納得な状況です。日本でも2000円以上しますね。画質の話だけど90年代に広角レンズの付いた写ルンですで撮った写真が残ってるけど確かに悪くないです。
ASA、ISO、DIN・・・・懐かしい感度表示
1986年に110で富士フィルムが発売されたものは 同業他社で開発されたものでした、その会社も自社では製造せず 資本関係もない外注に作らせたものプロジェクトXで取り上げようとしたが 断念したとか 東芝から発売された電気炊飯器は 東芝が開発製造したものでないのに プロジェクトXでやってたのになぜ断念したのかね? 当時海外に出向してた同業他社の人にNHKは取材までしてたのに
閣下の信者としては、閣下の爆笑CMが矢張秀逸で🤣
綺麗に撮れたかワクワクしてたらダメだったり 微妙だったりまたチャレンジするぞ となった思い出があります久々に買ってみようかな
今でもコンビニで売ってるのが凄い。
こち亀で詳しく解説してましたね
フラッシュ付きになって、フラッシュをあまり使わず撮り切り、分解してフィルムを現像に、フラッシュ用の単三アルカリ電池は所有するガジェット用の電源に利用してました(笑)
当時は、フィルム入れ間違えて駄目にするとか言うパターンも多くあったし自動式のオリンパスのカメラを買うまでは自分の家も大変でした、高いカメラと違い使いやすく現像にも出しやすい使い捨てカメラはマジ革命的でしたね
楽なんです。(笑)好きじゃなければコメントにいないです。(笑)
一番!
当時旅先でカメラ持っててもフィルム買わなきゃならなかったし結局写ルンですでいいやってなってましたね。それと今のスマホと同じでパッと撮れるのが便利でした。高級一眼レフカメラで撮影するとどうしても撮り始めるまでの時間がかかった(まあ下手なのもあります)
写ルンですに詳しくなれましたレンズ付きフィルムと称したのは当時のカメラにかかっていた贅沢税を回避するためだったかな?
子供の頃 食べルンです ってパロディのお菓子でカメラごっこして遊んだなぁそして写るんですで写真を撮るようになったけど高校の頃にはケータイのカメラ機能が進化してきて 使わなくなっていったっけ
以前富士フイルムコニカミノルタ Kodak写真屋さんで饅頭キャラクターすべて美しい女性を永久保存しない?
ココチャンネル登録のココちゃん様誕生。(笑)個々ちゃん寝る頭路暮に仕手増す。シュ主主っと気持ちいっぱい。(笑)
写ルンですは、写真屋でスマホにデータ入れたいと言うと、その場で、QRコードを読み取って、スマホにその写真データを入れています。
【スマホがミニアルバム化になってすごく嬉しい】
デーモン小暮閣下のCMが印象的でした
返還前の香港に行った時にもって行ったら珍しがられた思い出あり。
写ルンですの登場で、写真が一気に増えた。中学生時代と高校生時代で写真量が違う。
富士フィルムの写ルンです、懐かしいですね。
とにかく安くて品質が良い。
旅行のとき重宝しました😭
新聞記者をやってたころ、地方取材で前泊したホテルにカメラを忘れ、コンビニで「写ルンです」を買って助けられた経験があります。
デーモン小暮(当時 現・デーモン閣下)があの顔でフツーの服着てCMやってたのがインパクト大!
デジカメが普及するまで、ずっと愛用してた
撮り終わっても電池が全然減っていないので、取り出して使ってました。
富士はピッカリコニカみたいな売れてるカメラが無かった
フィルムとしてはコニカやコダックより人気があったので
写ルンですが成立したと思う
ピッカリコニカは感電防止のために本体がプラスチックされた製品ですね。そのまえがジャーニーコニカ。そのあとがジャスピンコニカ。撮影時に無限遠からピントの合うところまでレンズが繰り出していくのは不思議でしたね。
デジタルデータが易く改変可能という事で、現在では画像での証拠保全に重宝しますよ
写るんです、は当時画期的だった。
高いカメラより気楽さがあった
「カメラて使い捨てれるんだ...。」と思った...。
カメラごと、現像に出すのに
フィルムとプリントした写真しかもらえないので
カメラ本体は捨てられた
って思われてついたのが「使い捨てカメラ」…
これ、富士フィルムは
「使い捨てじゃないんです、ちゃんとリサイクルしてるんです
、使い捨てカメラって呼ばないで」
というCMをうって訂正をいれていたほどでした…
銀塩カメラはフィルムの入れ替えはパトローネを左にセットし、フィルム先端を右の巻き上げの溝にセットシャッター押し巻上げしフィルムの弛みを取って蓋を閉めて撮影をした。
だが、使い捨てカメラはパトローネは巻き上げる側にあり、撮る度に撮影したフィルムがパトローネに収まってゆく。撮影し終わると、巻き上げが急に軽くなるのでそれで撮影は終わりという事になる。後は現像・引き伸ばしを受け付けてくれるところに撮影終了した使い捨てカメラ本体を持って行き同時プリント依頼する感じ。
一時テレビで使い捨てカメラがどのようにリサイクルされまた新しく生まれ変わるかが撮影されたビデオが放送された。だから一眼カメラで撮影したネガと使い捨てカメラではネガの番号の上下が違うはずです。
私は『写ルンです』も『撮りっきりコニカ』も両方使っていました!
「写ルンです」か「スナップキッズ」かは忘れましたがフルサイズのパノラマ写真が撮れるものが、「撮りっきりコニカ」には超広角レンズ付きのものがありましたね。
富士フイルムのレンズ付きフィルム『写ルンです』フラッシュ付きのやつは分解し乾電池が取り出せる。
子供の頃、カメラ&時計は質入品のTOP2だったけど、もはや年端のいかない子供でも持っている。つくづくいい時代になったもんだ...
インスタントカメラというのは元祖ポラロイドとかチェキのように撮影したらそのまま見ることができる写真が出てくるカメラを指しているので
レンズ付きフィルムをインスタントカメラという人はあんまりいなかったと思う。
写ルンですなどのレンズ付きフィルムは使い捨てカメラと呼ばれてましね。
写るんですのボディに取り付けるオプション品で、マクロレンズや望遠レンズもあった。90年代の東京モーターショーでも、写るんですは飛ぶように売れていたな。
自撮りアダプターや防水ケース、タイマー付きミニ三脚なんてのも有った。
写ルンです!
家族で旅行に行く度に購入してたなぁ!
そう言えば、自分用で買ったのをうっかり水に落としてしまったことあったなぁ!
数枚しか使って無かったのに🥺
それを、従兄弟が中身が見たいからと言って分解してたなぁ!
内蔵電池とフィルム等入ってたなぁ!
⚠️良い子は、興味本位で絶対に自分で分解等してはいけません⚠️怪我等過失等する場合があります⚠️取り終えた写ルンですは、必ず写真やさんに持って行きましょう⚠️
小学校の修学旅行には持っていってたなー。
後は家族旅行でも親に頼んで買ってもらってた。
子供の頃は親父が写真担当で同じ位置に自分もいると少し誇らしい気分になってたような記憶がある。
プリクラの人気があった中学校の時はカバンに入れてた。
高校になってガラケーにカメラが付いた時の衝撃と同時にすっかり持たなくなったけど懐かしい商品です。
年配の人が観光地のコンビニで「バ○チョ○ある?」って店員さんにきいてたな。店員さん、解ってなかったな。
修学旅行やハイキングに行った時、自販機でも売ってたのを覚えてる⛰️🎒
ネジを巻き巻きするの好きだったなぁ😊
未使用の写ルンですあるわ😅あと富士フイルムにはメタバリアって肥満解消サプリで随分世話になった😄
お正月を写そう富士カラーで写そう
観月ありさやったような
写ルンですの普及、やたらと「心霊写真と呼ばれる物」が増えた時期。
「困ルンです。」
初期に使用された本体に別のフィルムを詰めて販売する業者が出来てきました。
品質が悪く富士にクレームつくなど色々ありました。
その時に勝手な詰め替え「困ルンです」と新聞に記載され興味深かった。
私は「写ルンです」はほとんど使ったことがありません。旅行に行ってカメラを忘れて、どうしても写真を撮りたい時だけ買うくらいでした。というのも、5歳の時(1970年代前半)に父親が持っていたライカの一眼レフカメラが凄く格好良く見えて、大人になったらこういうカメラを持ちたいという憧れがあったため、カメラには子供の頃から変なこだわりがあって、そんな私には「写ルンです」はおもちゃにしか思えなかったためです。でも、使ってみると写りも良いし、コンパクトで軽くて持ち歩きが楽だし、結構優れものだなって思った記憶があります。それでも「おもちゃ」であるという印象は拭えなかったので、緊急時に仕方なく使う程度でしたね。
本当は、ライカカメラもそうでないカメラも、撮影する理屈は同じだったんですよね。外出時に露出計を忘れたときはフィルムの箱の裏の撮影の目安に合わせて撮影したものです。
「手間がかかる」のは嫌がるだろうが、「手間をかける」のはみんな大好きだよな
・今では現像もカメラ屋やコンビニに持ち込みではなく、配送とネットで行う時代。
・レンズ付きフィルムのレンズは小さいので手前から奥まで同時にピントが合うという。スマホのレンズも基本そうだよね。
先日旅先でスマホが壊れてしまい、写ルンですを30年ぶりに買いました。ところが現像に出そうとしたら、サービスを行なっている処が無くて、ネットで探して4キロほど離れたショッピングセンターに行く羽目になりました。そこでは転送サービスの話が出なかったので、プリントされたものをスキャナで読み取って、電子化しました。よく調べてから現像に出すべきでした。
小、中、高の修学旅行の時に写ルンですを必ず持って行った記憶が蘇る。
まだコンビニで見かけますよね?
平成元年、ワイ、大学1年生。
ママチャリでサイクリングに行っては写ルンですで写真を取り、
下宿ではビッグコミックスピリッツの「伝染るんです。」を読んで爆笑したり感心したりしてた。
潜ルンですとかフル防水でありました
水中写真撮りたかった私には嬉しかった
当時はおもちゃみたいな簡単なカメラはいわゆる「バカチョンカメラ」って言われてたんだけど、
写ルンですは大胆にもISO400とか800とか高品質フィルムを搭載したことで、だれでも気軽にいい写真が
取れるようにした。旅先の商店で簡単に手に入ることもあって、旅行のアイテムとして必須だったよね
高品質フィルムではなくて、高感度フィルムね。画質は100フィルムに比べて落ちるけど、シャッタースピードを早くできる分手ブレがしにくかったり、明るくないところでも比較的撮れるという意味では、誰でも気軽に写真が撮れるようになった。
小西六が出していたスリム型のレンズ付きフィルムは、当時出ていたパトローネより細い特殊な形をしていたのですが、これが小西六がむかし発売していた「コニレット」に使用できることがわかった途端に、中古相場が上がったことがあります。パトローネを返してくださいとお願いすれば、タダで返却してもらえましたね。
携帯電話を持って行けなかったので、イギリスとフランスに写ルンですを持って行きました。
写ルンですの基本コンセプトは、19世紀末期にコダックがブローニーフィルムを売り出すときに使ったブラウニーカメラに酷似しています。
カメラに120フィルム(ブローニーフィルム)を装填しておいて、客はシャッター押して撮影してカメラ店に持ち込めば撮影したフィルムを現像しプリントして、また新しいフィルムを装填して返却するものだった。ちょうど、2案と3案をあわせたような感じだったらしいです。
いかにしてフィルムを消費してもらうかが基本にあったと思いますね。
ひらかたパークとかで買って写した思い出があります。マイクロレコーダーも遊園地の御供でした。
最近フィルムが高騰して、写ルンですの価格も随分上がってしまいました。またブームが来るのかなあ。今は、写ルンですと同等の単玉F10程度のレンズに単速シャッター、フラッシュ付き構造で、フィルムが入れ替えられる簡易カメラがコダックなどから出ていますね。
ところで、かつて世界的には何度も使い捨てカメラが発売されましたが、初めて市場的に成功したのが、写ルンです発売以前の1976年にアメリカで発売されたLureでした。今も、ビンテージとしてeBayで出品を見ることができます。
詳細に解説されている秀逸な動画ですが、富士フィルムが製品化に当たりLureをどう研究したかにも興味あるところです。
その前に、1888年にオリジナルコダックがありましたね。フィルムはブローニーフィルムを使いますが。これは興業的にどうだったのかな?
フィルムの詰め替えを行っていた現像所の話がありますが、こち亀でそのシステムを使って新規参入した話がありました。
うろ覚えですが、現像代込みの金額で販売し本体は必ずその現像所への返却というシステム。ハーフサイズカメラ以上の撮影枚数にしたこと(確か4倍)で現像代が販売価格を上回ることが判明し、破滅したというオチです。
実際にそういうシステムでサービスしていた会社があったように記憶していますし、かのコダックも19世紀末に同じことをしています。ちなみにデジタルカメラの使い切りカメラというのもデジカメが高かった時期にはありましたね。レンズ付きフィルムと同じ内容のサービスでしたが。
写るんですは箱根林間学校&修学旅行で
つかわせてもらいましたよ
写ルンですのパノラマは プロに言わせると、パノラマじゃないらしい
今までのカメラに比べるとあまりに手軽に取り扱える事から、JR東日本が「重量半分、寿命半分、価格半分」のキャッチコピーで作られた車輌の蔑称(走ルンです)の元ネタになったなw>写ルンです
年がばれますが、
バラエティーにとんでいて、
しかも安価だったため、
しかも超便利で、
特に旅行に行く時は
自分が撮りたい写真の目的に合わせて、
いろんな種類のものをいっぱい持っていきました。
正直、それだけの機能を添えたカメラは付属品も合わせて、超高額なので手が出せないので、とってもありがたかったです。
特に私が気に入っていたのは、セピア写真。
イギリスやローマ、ドイツなど、ヨーロッパに行く時は必需品で、自分がタイムスリップしたような写真が撮れ、最高でした🎵
実際、やっぱり画像割って言うのが正しいのかどうかわかりませんが、高性能になったデジタル写真より、フィルムでの写真の方が、映像は素晴らしいと私は思います。
しかも、当時、急に写真が撮りたいと思ったら、普通に売店で手に入ったので、カメラを持ってなくても、撮りたい時に撮れるので、超便利だったんですよね。
「 写ルンです」がたくさん売れ始めたころ、使い終わったボディを廃棄していたので「資源がもったいない」とうことで社会問題となっていましたね。
するとしばらくして、 写ルンですのリサイクル工場などを作ってリサイクルしていましたね。 仕事は早いなぁ・・・と感じていました。
使用後は大抵の人が現像に出すのでリサイクル率はかなり高かった。戻ってこないのは数% 。
最初からそういうシステムだったんだけども、衆知されていなかった。
「フィルム以外は全部リサイクルしてます」ってCMがあったな
写ルンですフラッシュを簡易スタンガンに改造する記事が載った事もありましたね。
必ずカメラ屋さんに持ち込まれるから本体がリサイクル出来るのもメリットなんですよね😊
だからレンズ付きカメラではなくレンズ付きフィルムなんですよ
20代半ばあたりまで当たり前のように使ってました。当時コンビニで働いてた時、ほぼ毎日1件は現像出す人いましたが、カメラ付き携帯が普及し始めた頃から週1〜2件くらいまで激減してました。しかし、今の写ルンですが写真をスマホに転送できるとは全然知りませんでした😅
「写ルンです」懐かしいですね
まだコンデジが高かった2000年代中盤ぐらいまでは結構使ってました
27枚しか撮れない点と現像するまで仕上がりが分からないのが面白かった
CMは樹木希林さんが印象的でしたね
特に正月🎍📸
フィルム自体最近見ていない。富士フイルムもフィルム以外のCMも放送してるし。
写ルんです…
昭和生まれの私はたまに使ってました。
旅行先で撮ったりしてたけど結局現像しませんでした。
その後、写ルんですはどこかに消えてしまいました…
今はどこにいるんだか…。
熱海あたりだと駅前のコンビニでまだ売ってる
なるほど
今日も楽しみました
子供の頃からの写真好きとしては信じられないくらいの性能だった。カラーネガフィルムのラチチュードの広さを活かした凄い商品だと思う。そして今でも売られていることにさらに驚いている。ニーズがあればとことんやる姿勢が素晴らしい。フィルムの画像データのスマホ転送なんかもアナログとデジタルの融合で、年寄りには訳わからない発想だろう。富士フィルムは今でもうまくやっているのに、コニカやコダックがなくなってしまったのは本当に残念だ。
現在も元気なのは化粧品部門の支えが大きいのでしょう、写ルンですもですが新しい事に対して柔軟な社風なんでしょうね。
長らく印刷業界にいましたがフジの資材は他社より品質が良く日本が誇る素晴らしい企業だと思います!
元々富士フイルムは1990年代後半頃にはフィルムをデータ化してCD-ROMにして渡すサービスをやっていたり
今の下地になるサービスはかなり前からやってたりしてましたからね。
他にもデジタル化に対応してスーパーハニカムCCDといったイメージセンサーを自社開発して
自社製品だけでなく、携帯電話メーカーにもセンサーを外販してたり多方面展開をやってましたからね。
他にもレントゲンフィルムから発展させて医療機器に進出したり、
先程のハニカムCCDも医療機器の撮影センサーとして今も生き残ってますし
コロナ治療薬のアビガンの開発等最近は医薬品事業の方が収益のメインになって来てますね
貧乏性でなかなか使いきれなくて現像が遅くなるとこれいつのだっけってことになるのよな。
会社の親睦会で、みんなで神戸の六甲山へ行った事があったけど、記念写真を撮ろうという思ったが、誰もカメラを持ってきていなかったので、当時、発売されて間もなかった「写ルンです」で間に合わせた事があった。
富士フィルムの製品ではなかったが、コダックから「スナップキッズ3D」というのがあって、レンズが3つ付いていて、立体写真を簡単に撮れました。仕上がった写真が3D眼鏡などかけなくても裸眼で立体視できるようになっていたのがよかった。グアム島へ会社の仲間と旅行に行ったとき、これで立体写真を撮りましたが、あとで焼き増ししてみんなにあげると、すごく喜んでくれました。今は販売されていませんが、普通のカメラをあとから立体カメラに改造というのは無理なので、あれこそ使い捨てカメラの本領が発揮できる製品と思いましたけどね。
カメラを持っていない人からすれば、写真撮影の入門アイテムでした。
富士フィルムが生き残ってきた理由か、コダックが倒産したのに
ブランドそのままで、フィルム技術を活かして化粧品や医療品等に参入しているしな
中学の卒業式で好きだった女の子と一緒に撮ってもらった思い出あります。
修学旅行の思い出が思い出す😊
修学旅行先に写ルンですで写真を撮っていたなぁー
懐かしい
冒頭で霊夢が言ってたように旅行の非日常感を出すためにあえて使い捨てカメラを使うっていう人もいるかも。
大学生の時にチェーンの写真屋でバイトしていて、嫌というほど分解してフィルムを取り出して現像・プリントしていました。防水製品はケースをテコの原理でこじ開けるのがめんどくさくて、まとめて複数個の注文は本当にウンザリ。また子供でも簡単に使えるから夏休みの自由研究の撮影に使って、休み明け前日の夜なんかに持ち込んできて、急いでプリントしました。でも接写のし過ぎでボケボケで何を撮影したのか、???な感じでした。そして受け取った母親と子供は・・・(沈黙)。
カメラの電池が切れても専用電池が売って無く、写ルンですを使った事が有ります。
遠足では、カメラの持ち込みが禁止だったので、写ルンですを使っていました。
ポケットカメラを買ってからこれの登場で当時ちょっと後悔した覚えがあります。
ポケットカメラも簡単でしたが電池もフィルムも買わなくていい写ルンですは革命的でしたね。
一番かわいそうなのが、デジタル取り込みまでシステムでサービスしようとしてたのに、あえなくデジタルカメラに取って代わられたAPS(アドバンスフォトシステム)ですね。
望遠、パノラマが出た時はほしくてたまらず買ってもらったけど現像代金高かったし。
135フィルムにかわる次世代フィルム「APS」
これの普及・販促・フィルム供給先確保に
「写ルンです」も使われていたり…
APSは撮りきらなくても、取り出して交換することが出来たりしてとても便利でした。
でもデジカメが出現したため、あまり普及しなかったですね…
’86ってコトは私は大学生になった年
ソレまでは修学旅行とか遠足とかの写真は、先生か「写真部」の独壇場だったのだが・・・
以降は皆な、簡単に撮れる様になったので彼らの出番が減ってしまったという
以前は現像された写真が壁に張り出されてて、自分の名前を書いて「発注」してたんですよねぇ~w
そして誰かが「これ、心霊写真だ!」って。
写ルンですのレンズは1枚構造。プラスチックでレンズを作る技術は最初に小西六がはじめました。そのレンズにコーティングを施して画質を向上させたのは、これも小西六の特許。
むかしCDプレイヤーのピックアップレンズがどうしても歩留まりが高くて行き詰まっていたときに、当時の技術者が内緒で製法上のアドバイスをしたところ、最初は疑心暗鬼な内容だったらしいですが、指示どおりに作成したら嘘のように無事解決したらしいです。
東大寺の大仏殿に写ルンですの自販機がありましたが、フラッシュ付きが無かったので当時あれで記念写真を撮った修学旅行生は現像したら真っ黒けでさぞかしガッカリしたでしょう。
フラッシュ付きの写ルんですHiの使用後アルカリ単3電池が秋葉原で売ってて、かなり新品同様のまんまだったから、格安電池としてよく使ってたなぁ。
そういえば、撮れっきりコニカとかもあったよね。
写るんですは、シンプルだけど、本体がめちゃ軽いのは魅力だよね。
その部分だけはコンパクトデジカメよりも勝ってる部分でもあるよね。
写真屋で取り出した電池をもらってハンディ無線機に使ってました。
@@alice_air_8875 さん
なるほど、お店によっては現像の依頼をしたときに電池貰える場合もあったんですね。
常連化していた店だったので頼めば貰える状態でした。
しかも元が無線屋だったのがバブルで写真屋も始めた店だったし。
使い捨てカメラ…否、レンズ付きフィルムは、富士フイルムが最初のように
説明しているけど、アメリカではLureという商品が70年代からすでに売られ
ていました。ちゃんと、アイディアはどこかに有った訳です。
16mm幅のフィルムを使っていました。初代写ルンですも、16mm幅の110
フィルムでしたね。
Lureは、正直にdisposable camera(使い捨てカメラ)と呼んでいましたが。
他社からも同じような商品が出てましたね
修学旅行に持って行ったことを思い出しました✨
約20数年、未だにキレイに残ってますよ😆
現像店で回収したボディを富士フィルムのリサイクルに送らず、勝手に安価な低感度フィルムに詰め替えたものが出回って問題化した事がありましたね。露出が±4段ズレても調整可能という高性能のネガフィルムあってこそ成り立つ商品なので、店によってはトラブルを嫌って非純正品は現像お断りという事態になった事も…。
中3の文化祭のクラス展示で『 思い出写真展』をしたんだけど、その時に写ルンですは大活躍したなぁ~。
一定期間、校内での撮影が許されて、授業中や休み時間、登下校時に激写しまくったのは良い思い出♪
知り合いの娘さん達(中高生)は「しゃるんです」って言うんだって!
「うつるんです」だよって訂正したら学校ではしゃるんですってみんな言ってるって。
80年代の一眼レフなら一般向けは自動露出だしフィルム自動巻上でAFも出来たから基本的にはシャッター押せば写りますよ‥
伝染るんです は見てたけど
写ルンです は買ったことが無い
携帯で写真を撮るだけなのに 写メ と言う奴の不思議
良い様に解釈するなら、"写メ"だとスマホ含む携帯で撮影したものだと限定できる。
まあ死語だよね。
これ以前に発売された全自動カメラを含め、この手の簡単に写真が撮れるカメラの事を一般的に○カ○ョンカメラと言っていた時代があるけど、実はそれが差別用語だと知った時にはちょっとびっくりした思いがあるよ…。
あまりにも普通に使っていた言葉だったし…。
意味をご存じの方がいらっしゃいました。もう死語となってますからね。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さん
今の若い人達には理解出来ずに何のこっちゃ?な言葉の一つだと思います…。
持ってた!
嫁とのセックス 愛人も!
それなりに使える精度のレンズが、低コストで莫大な量生産できるようになったのもすごいことだ
自分は「写るんです」が出る2年前に素人でも使える、カメラを買っていたから……
慌てて居てカメラを忘れた時にくらいしか、「写るんです」を買わなかったが、その頃観光地何処でも「写るんです」が置いて有ったので、それなりに重宝してました(⌒‐⌒)
フィルムカメラを3台乗り換えデジカメも普及して安くなり、6年前にデジカメに移行して現在に至る(^-^)
写ルンですがよく映るのは、広角レンズを使用していることと、1枚レンズの弱点を克服するためにフィルム麺が僅かに湾曲しているんです。そのうえ絞りやシャッタースピードもフィルムの許容範囲が広かったので、だいたいのものは映るように設計されていたみたいですね。
映像中に出てきた高感度フィルムはその後製造方法を改良し最粒子化してISO1600までは普通に販売されていましたね。
ISO1600を使った超望遠(スタジアム用?)が有ったような。
霊夢さん、魔理沙ださん、今晩は🍀最近は暑くなりましたね。私は、毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は。写ルンですのカメラですね。又、私は、平成3年頃に、造園の仕事をしていた時に、良く買い使いましたね。しかし懐かしいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年。5月(17日筆記。😞🤔💓🏵️🌴🧙🌼🛹🍉💐🌌🥳👼🍒🌹🚴😁😆😚🏔️🌸🧀🍀🌈🍍😻🥰🌻👨👨👧👯🎉☘️🌺🧏✌️🙋
意外ですがAmazon USAでもFujifilm Snap flash 400とか売ってますよ。FujifilmはASA 400しか無いようですがKodakがASA 800のレンズ付きカメラを売ってます。セット販売しかしてないようで1台あたり$20超えでスマホにお株を奪われるのも納得な状況です。日本でも2000円以上しますね。画質の話だけど90年代に広角レンズの付いた写ルンですで撮った写真が残ってるけど確かに悪くないです。
ASA、ISO、DIN・・・・懐かしい感度表示
1986年に110で富士フィルムが発売されたものは 同業他社で開発されたものでした、その会社も自社では製造せず 資本関係もない外注に作らせたもの
プロジェクトXで取り上げようとしたが 断念したとか 東芝から発売された電気炊飯器は 東芝が開発製造したものでないのに プロジェクトXでやってたのに
なぜ断念したのかね? 当時海外に出向してた同業他社の人にNHKは取材までしてたのに
閣下の信者としては、閣下の爆笑CMが矢張秀逸で🤣
綺麗に撮れたかワクワクしてたら
ダメだったり 微妙だったり
またチャレンジするぞ となった思い出があります
久々に買ってみようかな
今でもコンビニで売ってるのが凄い。
こち亀で詳しく解説してましたね
フラッシュ付きになって、フラッシュをあまり使わず撮り切り、分解してフィルムを現像に、フラッシュ用の単三アルカリ電池は所有するガジェット用の電源に利用してました(笑)
当時は、フィルム入れ間違えて駄目にするとか言うパターンも多くあったし
自動式のオリンパスのカメラを買うまでは自分の家も大変でした、高いカメラと違い
使いやすく現像にも出しやすい使い捨てカメラはマジ革命的でしたね
楽なんです。(笑)好きじゃなければコメントにいないです。(笑)
一番!
当時旅先でカメラ持っててもフィルム買わなきゃならなかったし結局写ルンですでいいやってなってましたね。
それと今のスマホと同じでパッと撮れるのが便利でした。高級一眼レフカメラで撮影するとどうしても撮り始めるまでの時間がかかった(まあ下手なのもあります)
写ルンですに詳しくなれました
レンズ付きフィルムと称したのは当時のカメラにかかっていた贅沢税を回避するためだったかな?
子供の頃 食べルンです ってパロディのお菓子でカメラごっこして遊んだなぁ
そして写るんですで写真を撮るようになったけど
高校の頃にはケータイのカメラ機能が進化してきて 使わなくなっていったっけ
以前富士フイルムコニカミノルタ Kodak写真屋さんで饅頭キャラクターすべて美しい女性を永久保存しない?
ココチャンネル登録のココちゃん様誕生。(笑)個々ちゃん寝る頭路暮に仕手増す。シュ主主っと気持ちいっぱい。(笑)