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1981年にβもVHSも持っていた自分に取って、この解説の一部には違和感ありまくりです。βⅡモードとの比較ですらもVHSの標準モードの画質の悪さにはビックリしたし、当初ローディング方式の違いから、リニアタイムカウンターとか止まった箇所からの録画開始で前の録画の尻が消されない。可逆スロー再生が出来ると、最終的にはVHSでも搭載された機能が当初は何ひとつ入っていなくて子ども騙しのような製品でしたよ、VHSは。画質、音質面でも最初に優位に立てたのはS-VHS時だけで後はずっと後出しジャンケンでした。
D-VHSでは完全に優位だったのでは?ベータはデジタル方式が出ませんでしたから。あと、ベータでは最後までBSチューナー内蔵機が出なかったと記憶してます。画質面で有利なら何故BSチューナー内蔵機が出なかったのか、ずっと不思議でしたね。それと、ベータはHi-Fiで従来機との互換性に問題があったのでは?
@@鉄道模型大好きおじさん …ベータ方式がHi-Fi化されたとき、映像記録信号と音声搬送波記録信号との間の差が小さかったため、映像信号をハイバンド化することで画質を向上させました。しかしその結果、Hi-Fi音声の再生機能を持たない古いVTRでは、テープに記録されたHi-Fi信号が映像信号に影響を与え、画質が落ちるという結果になりました。 一方のVHS方式ではHi-Fi化にあたり、磁気ヘッドを別にしてテープ上に音声信号を記録したのちに映像信号を上書き記録するという積層記録方式を採用することにより、古いVTRでも画質に影響することなく映像を再生することが出来ました。 結果として、ベータ方式では世代によって画質は向上しましたが、古い機種との互換性を犠牲にしました…。
私が最初に購入したビデオデッキは、松下のNV-770でしたね。1985年の春頃でした。既に改良機780の登場も噂されてましたが、敢えて770を選んだのは前年後輩が購入した770の性能とデザインに惚れたから。以来ずっとVHS、後にS-VHSでしたね。2000年代になってDVDレコーダーを導入しましたが、暫くはVHSも併用してました。因みに最初に購入したNV-770は一度オーバーホールしましたが、なんと25年も現役でした。私が購入したビデオデッキで唯一のモノラル機でしたが、最長寿でしたね。
ウチが初めてビデオデッキを買うというとき、親戚中は皆ベータだったが姉が強硬にVHSを主張し結局VHSを買うことになった。親戚からはハブられたが、姉の判断は正しかった。
はいはい!うちはベータでしたから友達が持っていた◯ビデオは一切見られませんでしたwww
私の学生時代は、両者半々でしたね。
懐かしい話でした。ビデオデッキを買った時は、本当に夢の様で嬉しかった。テープ一本は2000円くらいそれまでは、カセットテープに音だけ録音したり、どうしても画面が欲しい時は、カメラで画面を写したりしていたので。
機能・画質ではベータ有利でしたが良い規格が生き残るとは限らないのが難しいところ。当時はビデオテープも高価であったため長時間録画が出来るVHSが支持されたのだと思います。βⅡとVHS標準モードでのランニングコストはβの方が良かったのですがほとんどの方はVHS3倍モードを使用していたと思います。私は最初に松下のNV-700を購入したのですがその後友人のβ画質にショックを受けSONY SL-J9を購入してそれ以降(EDV-9000~SL2100まで)はずっとβ派でした。規格戦争では各メーカーが威信をかけてフラッグシップ機を投入し、覇を競っていました。80年代~90年代初頭までハードウェアに夢を求められた良い時代でした。あとアダルトビデオの件ですが裏ビデオの存在が大きかったと思います。(私感ですがβの裏ビデオを扱っている業者はそんなになかった)
こんにちは。アダルトビデオの話には呆れましたが、総合エンタテインメント企業のソニーがやるとは到底思えない話ですし、やってしまったら多分倒産していただろうなあと思います。いくら総合エンタテインメント企業と言えども、健全ではない分野で戦うのはダメでしょう。コント・ピン芸人・レコ大・漫才、あっ、テレビでもしっかり天下を取っていますからねえ。テレビは言うまでもなくトリニトロンが大ヒット、昔亡父がテレビはソニー以外ダメだと言っていたので、我が家にもありました。ちなみに、僕はパナソニックパナカラーが好きでした。コント・ピン芸人・レコ大・漫才は関連会社の事務所やレコード会社の話ですが、中でもコント・ピン芸人・漫才は新興事業の成功だっただけに、かなり衝撃的だったのを覚えています。ビデオデッキに関しては、母方の伯母の家にソニーベータマックスがありました。我が家は1980年代後半にやっとパナソニックマックロードが買えて、かなりの期間使っていました。確かにVHS録画時間、3倍モードがありましたっけ。一時期12時間くらいまでOKのテープが出たようで、テレ東正月半日時代劇対応も可能な長時間録画で勝った部分は大きいかも。
SL-J9のBⅡ画質がそんなにキレイでしたか?2ヘッドのJ9のBⅡモードはBⅢ用のヘッドで記録しています。(VHSみたいに4ヘッドではないですからね)VHSに例えるなら3倍モード用のヘッドで2倍モードを記録しているみたいなものです。再生だけは片方のヘッドがDAヘッドなので特殊再生はキレイでしたが、基本画質には全く関係ありません。SL-J7もBⅡ用のヘッドでBⅠを記録するのでBⅠの画質がとても悪かったです。
@@TV-SONY 様当時モニターはPC用としても使える結構高解像度のものを使用していましたが同一ソースを録画した場合は明らかにJ9のほうが良かったです。特にソースがアニメでは細い線の描写に長けていた印象があります。確かにβⅡではクロストークの問題はありましたがそれを差し引いてもJ9のほうが好みでした。βⅠの画質については仰るとおりで投げ売りされていたJ7をダビング用に購入しましたがβⅠの画質は確かにもっさりした今一つのものでした。ただS/Nは良かったような記憶がありますが。その後ハイバンド機のHF-900が発売されてしばらくした頃、900の回路を参考にJ7のβⅠ画質を改善したというマニアの方の記事をラジオ技術誌で拝見して驚いた記憶があります。あの頃はほんとに楽しかったですね。J9は今でも実家の倉庫に眠っています。
@@kichikuz1 返信をありがとうございます。狭いギャップのBⅢ用ヘッドでBⅡの画質が良かった理由を考えてみました。普通は輝度信号の高さとか相対速度がベータが優れているからだと言われてますが、そんな当たり前の話は置いておいて、1番の理由はベータのテープの性能の良さだと思います。VHSはカセットテープでいうノーマルポジションでベータはクロームでしたからね。あとはソニーの映像技術の高さです。三洋とか東芝の機種のBⅡは酷いもんでした。あとソニーのデッキは当たり外れが凄くて当たりを引くと物凄い高画質でした。特に新Uローディングになった薄型の時代は差が酷かったです。あとうちが使っていたHR-7650はJ7より画質が良かったです。VHSもメーカーによって画質が違いますよね。NV-700はNV-10000と同じヘッドなので画質はいいと思ってました。J9は高画質だったのですね。J9は所有した事がなかったです。ビデオデッキのハイバンド化は流行りましたね!周波数カウンターを使って半固定を回してとか!私はまだ中学生だったので改造は諦めましたがw
@@TV-SONY 単純なハイバンド化は周波数カウンターがあれば手軽に行なえますがその方がやられていたのは回路構成の変更、一部回路のカットやプリエンファシスやノイズキャンセルの値の変更などYC基盤をメインにいじっておられたようです。当然回路図が読めないと話にならないので素人には真似できない改良でした。簡単なハイバンド化であれば私もやっておりましてF-11やHF-77をいじりました。特にハイファイ化でもろに画質が低下したHF-77には有効でしたね。またF-11のポテンシャルの高さには驚愕した記憶があります。無改造でほぼ完全にHF-900でハイバンド録画したテープの再生が可能でした。F-11に関しては元画質が優秀なのでほんの少しキャリアアップするだけで良好な結果が得られたことを追記しておきます。
昭和28年 SONYの木原信敏さんが 10トラック固定ヘッドの ビデオの試作をして 映像を再生してました この成果を元にビデオ開発の助成金申請しましたが当時の通産省が SONYが勝手にトランジスタの特許契約をWEと交わしたことに腹を立てて 申請を握りつぶした為 世界発のビデオは アンペックスになりましたただし 後にアンペックスとSONYがクロスライセンス契約をしたので 世界で唯一 ビデオの基本特許をSONYだけ支払う必要が無かったアンペックスのビデオは わずか1年で日本メーカーが文献だけでコピーしてます 通産省の命令でNHK技研を中心に 各社のヘッドアッセンブリは 現ティアックの谷兄弟が造ってますVHSは U規格で SONY 松下 とVictorがクロスライセンスを結んだ事で SONYの膨大なビデオ技術のレポートを見る事ができたから 開発する事が出来た訳です だからSONY首脳はVictorのVHSを批判したのですまた VHSは松下のおかげで 性能が安定した さらに S-VHSは三菱電機のハイバンド技術をパクった仕様です
当時のビクターは松下がビクターの株式の半分以上を持っていたので、松下の子会社だったけど、経営は完全に分離をされていたから、松下のおかげでVHSの性能が安定したということはないよ。あと、VHSのほとんどの技術はビクターが特許を持っていたからね。家庭用ビデオデッキの根幹技術である「回転 2 ヘッドへリカルスキャン方式」はビクターの高柳氏が発明して、特許を取得した。家庭用ビデオデッキの本体軽量化を実現したVHSのMローディング方式もビクターが開発。またVHS方式のHi-Fi音声をビデオテープに記録された映像信号の深部に記録するHi-Fi音声深層記録もビクターが開発。
40年以上前にビクターのHR-3600を買いました。HR-3300に2倍速機能が付いた機種でタイマー機能付き(別売)で28万円しました。(大卒の初任給が10万円のころです)ビートルズ日本公演の再放送などのテープが残っていますが、テープもカビて今は再生できません。
お気持ち、わかります。まさか、youtubeでビートルズ日本公演の再放送ビデオを見れる時代が来るとは、私もとても想像出来ませんでした。
新しモノ好きな亡父が、トリニトロンテレビとセットになったUマチックビデオデッキを購入しましたが、確かビデオデッキだけで40万円近かったと思います。 しかし、よく故障してましたね。 又、弁当箱のようなテープは60分で1本1万円でしたね。
VHS方式の勝利の要因は、アダルト映像業界の介入を受け入れていたことが大きいのですな。その一方で、ソニーは終始、アダルト映像業界の介入を拒絶していた。この辺で明暗を分ける事となろうとは、意外…。
それ以外にも初期機種の重さの違いもあるかと。VHSは成人男子が持ち運べるギリギリの重さですよ!? 現在のポータブル電源も15kg以下が売れ筋ですし。
Uマチックは出向先の研究所で使っていましたね🍥カセットは大分大きくて、その代わり画像は良かったようです📺️デッキも大きくて、1台50万円くらいしましたので、一般には不向きでしたね😢
1979年からベータ、1985年からVHSも使ってきたけど、1999年 にDVデッキのソニーWV-DR9後にWV-DR7を買った事でテレビ放送はDVテープに録画するようになったかなり時間はかかったけど、このDVデッキのi-LINKを通してベータ、VHS、DVを2005年頃にはPCに全部取り込むことができたどれも番組をしっかり録画してくれたこと、CMを残すことができたことをとてもありがたく思う
書き忘れdiscogsでU-maticに録画された音楽PVの情報がたくさん見れます
まだ、VHSのビデオデッキ持っています😆もちろん現役で使えます😆たまに昔撮ったビデオを再生して懐かしんでます😆
VHSビデオ懐かしいなぁ…83年頃に電気工事士の親父が取引のある電気屋からマックロードを購入、いろんなTV番組を録画しましたよ。兄弟そろって映画「トラック野郎」好きなんで6時間モードで撮ってたなぁww 社会人になった頃ソニー製VHSデッキで撮りため、それをDVDへ移すのにVHS/HDD/DVDの3in1デッキ(Victor DR-MX3)が役に立った…♪ビデオはビクター4ヘッド~♪
VHSが勝利した原因って、単純に松下電器の営業力じゃないのかな??当時のことは知らないが、個人宅にも付き合い的なのがある田舎の販売店って日本だと松下電器が一番ではないだろうか。愛電館とか。ソニーとかはほんとの田舎にはほとんどないような。つまり、松下の営業力+田舎の購買力だな。田舎の購買力は、今でも松下の食器洗浄機とか高価な家電は田舎のがよく売れてることと結びつく
この姿勢が出来上がったのは松下幸之助の功労が有ったと思う。😊
ソニーは冷蔵庫や洗濯機など所謂白物家電が無いのも不利だったと思われる。松下や日立などは、冷蔵庫や洗濯機などを買いに来た客がビデオデッキを目にして興味を持つという形で顧客を増やしていった。ソニーには其れが望めなかった。
@@鉄道模型大好きおじさん 70年代だと、田舎には大型電気店などないから、松下や東芝、せいぜい日立の個人電気店が得意先とかお得意様にせこせこ売るのが大きいのでわ
初めて行ったレンタル店では、VHSとβの二種類が置かれていたっけ。あと思い出したのは、当時、近所の電器屋が、「ビデオデッキを購入の方には、ガンダムの全話録画ビデオをプレゼント」なんて、神をも恐れぬキャンペーンをやってたw
おお....
昔は大らかな時代だったのですよ。今だったら著作権団体とか煩いですからね。
βマックスの敗因は録画時間のわかり難さがあげられます。 VHSのテープは「T60」や「T120」と録画時間を「分」で表示したのに対して、βは「L250」や「L500」というように「長さ」で表した。映画やテレビの現場では、上映時間や放送時間を「尺 (しゃく)」と長さで表現する。 しかし、当時の消費者にとって録画時間を長さ「feet (英尺)」で表記されたテープは「これ何分録れるの?」となってしまった。
最初期のベータテープはちゃんと時間表記だったらしいよただベータ60分VHS120分と並べられると劣勢は明らかだったから苦し紛れにテープ長由来の表記にしたとか家庭用ビデオデッキの導入が遅かった我が家においても500分も撮れるベータがなぜ劣勢なんだ?と見事に勘違い店頭で店員に質問して初めてそのカラクリを理解した
ベータがVHSに負けた理由にデッキの重量もありましたよ!? 松下幸之助いわく、βは持ち帰れないがVHSはギリ手荷物扱いで電車に乗っても持ち帰り可能だとか。仮にβデッキが軽かったら少しは違ったかもです。
80年代の後半には中身(主にマイコンとベアリング)目当てにソビエトの外交官が秋葉原でビデオデッキ大量買いして外交特権で持ち帰ってたなんて都市伝説もありましたね。
初期はデッキも高いけど、テープもめちゃくちゃ高かった。VHS120分が4000円とかしてた。今じゃ光学ディスクがバルクのお場合、3000円で50枚とか100枚だもんね。
レンタルビデオが登場したばかりの頃も、1本1泊2日で2千円とかしてた。それでも家族で映画を観に行くよりも全然安いからレンタルして家族で映画を観てたなぁ。
それでも当たり外れがあるんですよね。友達集まったらよく情報交換してました。
1985年(筑波万博の開催年)電気屋のチラシ広告ではビデオテープはVHSのT-120、ベータのL-500が980円と言う価格が多かった記憶があります。
@@犬勘太 さま。1980年頃でメーカー物が8000円〜4000円、安売りが2000円だった記憶がありますんで、5年間で結構値下がりしてますね。
@@jojo233 さま。近所にあった(それでも車で30分ぐらいかかるのですが)レンタル店ではLDからダビングしたものを堂々とレンタルしてました。まあ権利意識がまだまだ薄かった時代でしたからね。あ、そこも1泊2日で2000円でした。
自分は50代のオッサンですが、我々の時代は記録媒体のフォーマットが目まぐるしく変化した時代を生きていたんだなぁ…と改めて思う。
私も同年代ですが同感ですね。
同様に昔はベータから始まってVHS、LD、DVD-RAMなど様々な機器を使っていました。今ではネット配信で見るようになってしまったので、レコーダーを使うことはほとんどなくなりましたね…。
同感 ベータ VHS LD DVD BD HDD SSD 全部手に入れた。これからどんな記録方式が出るのでは無くクラウドに保存に変わるのかも?
音声記録に至ってはオープンリールのテープレコーダーが自分が子供の頃はまだ残っていましたし、レコード、カセットテープ、CD、MD、DAT、i-pod、ケータイやスマホへのダウンロード方式と次々出ては取って変わられていきました。
同年代ですが同じくですね、ビデオ時代の予約録画から今の番組表からワンタッチでの予約出来るブルーレイ💿はありがたいですね。
こんなにたくさんの種類が出ていたとは知りませんでした初めて家に導入されたのは8mmで次が8mm+VHSのダブルデッキだったのを思い出しました自分で初めて買ったのはパナソニックのVHSだったなー
VHSが勝利した最大の要因は録画時間の長さだと思います。当時はテープ代が高かったのでどうしても1本で長く録画できる方に流れていったと思います。
VHS普及最大の勝因はナショナル系電気屋(量販店は殆んど無かった)が裏ビデオ1本サービスからです
@@akita1934 なるほどそういう要因も大きかったわけですか
カセットテープも長くて片面90分でした。だから、長いラジオ番組を録音するにはコンポジットとラジオのイヤホン端子をつないで録音してつかってましたね。
当時の松下の圧倒的な販売網の影響も大きかったかと…。仮に松下がベータ陣営についていたらベータが勝利していたでしょうね…。
東芝のHiFiVHSで(FM)外部音声HiFi、テレビ映像+ノーマル音声を別々に(同時)録画できる機種を使っていました。
NV-V10000とNV-DS1を持っていました。V10000は、電源もメカも凄かった。
DS1はデザインも格好良かったですね😊私は松下のビデオデッキはNV-770、NV-F70、NV-F400を使ってました😅NV-770は無駄に頑丈で25年も保ちました😊最後はヘッドが逝かれてお亡くなりになりましたけど😢
今持っているビデオデッキは、5倍速がある、ちなみに、ビクターHR-S700
VHSが普及した最大の勝因は電気屋(当時は家電量販店は殆んどなかった)が裏ビデオを1本サービスしたからです
その昭和時代の電気屋はたいてい電気工事士が運営しており、電気器具取付工事の常連にビデオデッキを安く販売できた裏事情もありそうです。電気工事士&電気主任技術者の僕が個人経営家電屋から聞いた話で恐縮ですが(^^;;
Uマチック懐かしい!昔々仕事で使ってました。放送業界ではかなり普及したVTRでしたよ。家庭用ベータは敗北しましたが、番組収録(撮影)の業界標準となった「BETA CAM」「DigitalBETA CAM」もベータを基本とした企画で、予算の少ない衛星放送やケーブルテレビでは収録だけでなく「放送用完パケテープ」としても使われていました。キー局の放送は「1インチ(オープンリール)」→「D2」→「HD CAM」こちらもSony製が業界標準。放送業界では「Sony圧勝」でしたね。
Uマチックって、確か色副搬送波を周波数シフトして窮屈に記録してるせいで色の解像度が悪かった(色が微妙に滲む)のでベータ、VHSではそこを改良して画質を向上させてます今現在、当時の記録映像なんかが流れると、その独特の色具合で「おっ、Uマチックじゃん。懐かしい」ってなります
学校の音楽室にあったような気がします。
放送業界のsony圧勝は実はほんとうに世界中で、今は違うかもしれないが一時期は社会主義共産圏でもほんとはソニー製を勝手に個人輸入して導入してたという噂がある。さすがに今は中国とか自国製としているがそれでも業務用機の世界では中国メーカーは今でも日本メーカーのものをそのまま丸パクリしてるのが実態。てか、あからさま。 江戸時代から「美」的なものが得意な日本人のもともと得意なジャンルなのかもしれない
@@はすかみけろやま >色の解像度が悪かった(色が微妙に滲む)のでu-maticもベータも色信号は低域変換直接方式みたいで同じ方式です。シフトしている周波数も共に688khzでした。
放送関係ではソニーが天下取っていたら1990年代に松下が価格を下げて参入してから大変だったと以前、秋葉原でソニーの展示会やっていたとき聞いたことあります。
当時,β方式のソニーB5?B5サイズの20万程のデッキを初めて月賦で買ったぜ!洗濯屋ケンちゃんを初めて見たときは,歓喜に湧いたぜ!当時ダビング屋なるものが有って,テープを持ち込めばダビングしてくれた!たしか数千円,8千円だったかな?かなり高かった!あの,粗い画面に良く満足していたものだと今,思うと感慨深い!レンタルビデオ屋はβが主だったのにあっという間にVHSに変わっちまった!巻き戻しにテープが絡まると泣きそうになったよ,レンタル品だったから,賠償金取られた。いつの間にか店がテープの確認をするようになってた!DVDに変わってからも,インターネットに押されて,レンタルDVD屋も減り続けている?いま近所にレンタル屋はゲオ1軒しかない?しかもアダルトコーナーが無い!そのGEOも,今じゃスマホSHOPのように様変わりしている?
今は(録画用)DVDやBluRay、HDDで簡単に録画・再生出来る良い時代になりました。容量を気にしなければ高画質、高音質で残せるし。
ダビングしてくれるお店があり地方の小規模コンビニでも出来た時代が懐かしいです。最初は伯父から貰ったスーパーマンとトラック野郎(北海道の山猫お夏の登場するほう)を見たのが最初で「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とか夏の甲子園、高校サッカー、紅白、大晦日の格闘技を録画したりもしました。
昔は大らかな時代でしたね。今は著作権とか煩いですから…
我が家に初めてきたVTRは、ソニーのBetamax J7のOEM製品だった東芝の奴でした。テープの挿入口は、本体上部のアッパーローディング式でした。
Betamax Jシリーズ 懐かしいですね。うちのはJ9でした。無段階の正逆可変速サーチやノイズレスのスチル・スロー再生は当時感動ものでした。メカのレスポンスも非常に良かったので、後に買ったVHS機のトロさには失望したものです。
松下(現パナソニック)がVHS陣営になったのがベータ陣営にとっては痛手だったかな。
ナショナル店会というソニーいや東芝などでも太刀打ち出来ない販売網がありました…
松下幸之助が、ペータは100点と評価した、VHSは、ペータより2歩も3歩も前に進んだ2時間録画と軽いメカ機構から150点と評価した。
@@777dokaben5 ソニーは20.5kg ビクターは13.5kg 重さが7kgも違ったんですからね。7kgといったらVHS末期のデッキ2台分の重さですw
@@TV-SONY それ単純に15kgが持ち運びの分かれ目でしょ…最近話題のポータブル電源も15kg以下が好まれますから。すぐ持ち帰れてすぐに使える利便性が松下幸之助のVHS推しになった!
当時は日本ビクター、即ち現・JVCケンウッドが松下もといパナソニックの傘下だったからビクターは成功したきっかけになりましたね‼️🤓
EDV9000、7000、SL200D、SLHF705、が現在も家にありますよ、EDメタルベータ、ハイバンドベータハイファイ
現在もVHSを好きになれずEDV-9000と8000とSL-2100を使い続けてます。初めてのビデオはbeta maxだったんで初めてVHSテープを使った時にテープの大きさやピクチャーサーチ出来なかったりで『こんなにVHSテープは邪魔で使いにくいのか…』と小学生の時感じました。中学ぐらいの時からエロビデオの貸し借りを友達とし始めた頃は圧倒的にbetaを持ってる人が多く、逆にVHSデッキを買った友達は『エロビデ観たいのに再生出来ない…』と寂しそうでした笑大学ぐらいの時はほぼVHS派に変わったので、仕方なく初めて自分で渋々使いやすさのマシだったビクターのVHSを買いました。それからW-VHSやD-VHSなど出始め、映像綺麗ならと興味を持ち始めたんでお店でどれにしようかな…と悩んだけど取り敢えずS-VHSからでいいかとパナのデッキを買いました。兎に角betaと比べ軽過ぎたんで、ビックリして上蓋を開けて中を見たらスッカラカンで本当にビックリでした。beta生産を終了するとSONYからの発表で沢山あるbetaテープを再生出来なくなったら困る!と思ったんで全機種SONYでOHしてもらい大切に使い続けてます。Blu-rayもあるけど懐かしいテープを再生するのも、高級過ぎるED betaのデッキを所有してる満足感で見てるだけで楽しいです。VHSテープだけはディスクへ移し全部捨てたけどbetaテープだけは大切に全部置いてます。中学の頃に興奮してた洋物裏ビデオのbetaテープをたまに再生すると『懐かしいなぁ』と釘付けになります笑
VHSが急速に普及したのは、、、販売店がエロビデオを販促に使用したから。当時の一般ユーザーは画質なんてそこまで気にしなかったしねw
β懐かしいなぁ…初期の奴はHIFI規格以前のノーマルステレオだった。VHSが市場を席巻したのでビクターのVHSを購入したけど、βは処分せずにPCM録音機として使い続けた。
若いとき、実家の為に給料を貯めてVTR(ソニーのJ7)を買った事あります。その後、一台では不便だったので2台目のVTR(ソニーのJ9)を買ってあげました。
私もVHS世代の人間ですが、昔のビデオは20万〜30万は当たり前で普及率は極めて少ない方でした。よって当時のVHSビデオ所有者は数ヶ月ローン購入を占めており、昭和末期から平成にかけてデッキ自体のコスト削減によって値段もプライスダウンが図られ、ビデオ普及率も徐々に増加しました。そして21世紀に入ってからは映像レコーダーもHDDレコーダーへと移行され、今ではDVDからブルーレイへと変わり、テレビの薄型化によって外付けハードディスクも好みによってつけられます。
ビデオデッキの歴史というから黎明期~バブル期~晩年のビデオデッキの名機紹介を見れるのかな?と思ってわくわくしながらページ開いたらビデオ規格の歴史だった。
子供の頃、隣家の友達の父上は、ビクターのかつて某地にあった工場で部長さんだったそうで。なので、ビクターブランドで揃えられる家電品は当然みんなビクター。恐らくご近所で最も早くビデオデッキ導入したのも、その友達の家。あ、もちろんあの犬の置き物もありましたよwww
ナショナル商店会やくらしの泉会みたいですね。ニッパーくんは当時の商品には付いてたみたいですね。箱にもプリントされてましよ。うちは父親が松下系列の電気屋さんでアルバイトしていた(電気工事士の免状を持ってたので)関係でナショナル坊やタイムカプセル、松下館でした。電気屋さんが御用聞きに来る時代でしたよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN そういう当時の電気屋は電気工事士との絡みが多かったですね。亡父も電気工事士ゆえ同じことしてましたよ。おかげで松下贔屓も強かった(笑)。かくいう僕も電気工事士+電気主任技術者になり電気器具や住宅設備は松下だらけですわホンマwちなみに現存VHSデッキはVictor(JVC)。
ちなみにDVD規格は東芝です
初期の再生専用DVDは東芝ですね!マルチメディアへオンデマンド♪てCMでDVDディスクは大量のフロッピーディスクを飲み込むみたいなこともアピールしていました。
どうも!いつもお世話になっております。wwビデオデッキのHi-Fiが出てシャープのビデオデッキを買いますた!お値段は」当時298000円だったかな!頑張ったw早速家庭用オーディオステレオにジャック接続して録音しますたwカセットテープよりはなんとなく上なのかよくわからないが⁉映像ではなく音楽のみ録音!なんと贅沢な!Wそこそこい~音していた!それにボタン押すと下段から前に出てきて細~いリモコンだの機能スイッチ装備類が装備収納してあったww30数年前の話なんですけどね!懐かしいです!ありがとうございますお疲れ様です!今後いろいろと楽しみにしています。
初めて自分で買ったビデオデッキは中古のビクターのだった、たしかHR-7300(まだフロントローディングでなく上部から入れるタイプだった)当時は新品だと、まだまだ高額で、中古でも7万円ぐらい出さなきゃあマシなのが買えなくて凄くバイトで頑張って、やっと買えたんだよなぁ同じぐらいの金額で買えた中古の原付と、どちらを先にするかを悩んだりしたよw
青春時代、S-VHSの高画質競争の真っ只中だった。デジタル三次元ノイズリダクションやデジタルTBCなど、各社様々な高画質技術を投入していた。良いデッキは一時停止で画面がブレずに停められるし、スローモーションも自在だったから、アニメなどで普通に見てたら分からないような貴重なカットをスローと一時停止で観る事が出来た。5万円のVHSデッキと10万円のS-VHSデッキとでは全く別物といえるくらい差があった。今のHDD・ブルーレイデッキは値段で画質の差があまりないので、拘らなくなった。メーカによって使い勝手に差があるくらい。
ベータ規格はソニーが全て決めて規格に対して交渉の余地がなかった電気自動車の充電規格にもいえることだが、一社が全部決めるのは規格を広げるという意味ではよくない
やっぱり天下の松下がVHS側についたのが一番大きいです。まぁ当時はマックロードがものすごい勢いで売れましたからねぇ。ウチの学校でもβはクラスに1〜2人、あとはどのメーカーのVHSかってぐらい違いました。ウチは日立のマスタックスでした😃
やはり松下電器の影響は強かった…街の家電店が電気工事士資格で電気工事も請け負ってた時代やから電気器具(松下電工)の取引もありナショナルのお店が多い印象、電気工事士になってから痛感した話です。
昔は各社とも、ビデオデッキに愛称が付いてましたね。松下マックロード、日立マスタックス、シャープマイビデオ、三菱ファンタス、東芝ビュースター、NECビスタックス、ソニーベータマックスなど。
あ~ありましたね~懐かしい!カウボーイビバップとかのアニメでありましたね~うちはベータとVHSと両方購入しました!因みにHD DVDとBDも両方購入してしまいました(*´∀`*)ノ
カウボーイビバップで調達屋みたいなニキが「ベータマックス方式は画質が云々…」みたいなことを言ってましたね。
私はブルーレイレコーダー購入時販売店で両方みましたがブルーレイ買いました。HD購入した方もいたのですね。HDは製品化の前に規格がポシャり販売されなかったって語る人がいますが、現在HDD録画は出来てもディスク類は入手できるのでしょうか?
たぶん、東芝のHDて今も持っている場合DVD-Rに普通に録画するしか使用方法は見当たらないです…
中学生当時、買えないのに電気屋行ってカタログ集めて悦に入って?いました。Uマチックは今は無きカメラのさくらやの本店?地下で見たことあります。既に名前でしか知らなかったので「でけぇ?!」が第一印象でしたね。ベータかVHSかは散々迷いましたけど、録画時、CMカットの為の一時停止で発生するノイズに対応する機能を備えているデッキがVHS陣営に多かったので、その時点でベータは選考から外れました。ベータ勢でも備えている機種ありましたけど、20万前後の高価なモデルばかりで、確かサンヨーとNEC位しか安価な機種で採用してなかった記憶。ただ、ビデオテープ自体のデザインはベータがカッコ良かったですね。TDKだけは二つ窓だったし。初めてのビデオデッキは何の変哲もないシャープのモノラルデッキ。確か7万円位。初めてのハイファイビデオは日立の5ヘッドデッキでした。当時は知らなかったけど、菊池桃子嬢がcmしてたみたいです。Do!スポーツや2輪や4輪のレース番組など録画してましたけど、今思うとCMカットしないで撮って置けばと後悔。それから何台も入れ替わりましたけど、最後のデッキはDVD移行やダビング諸々の為に購入したアイワのビデオ。ジャスコで新品が1万2千円でした;;。
CMはその時は邪魔者でも時間が経つと懐かしい映像もある。だからTH-camで懐かしいCMアップする人が居る。そちらで楽しませてもらいましょう🎵
昔は「重要お客様用」という分厚い家電カタログがあって私も東芝のカタログを眺めて悦に浸っていた。
私も中学生の時VTRのカタログ集めていました(三菱電機のマドンナの表紙のカタログが一番のお気に入り)でも捨てられてしまいました(泣)
@@犬勘太 私がカタログ漁りしてた頃の三菱は表紙が緒形拳さんでした(哀?。
私がビデオデッキを初めて買ったのは、βデッキが最初でした。ただ残念ながら、1番組しか予約出来ませんでした。そして遅咲きながら、VHSデッキを買ったのは、80年代最後の時でした。テープだけで300本位はありましたが、引っ越しを契機に断捨離し、現在はDVDとBlu-rayのディスクを使っています。デッキでも、番組が重複される事もあり、3台所有しています。ディスクの今と違い、テープは本当に場所を取りました。
ドカベンカセットやEDベータにも触れて欲しかったです。
VHSがベータに勝った理由は松下がVHS側についたというのもあるが、録画する番組の内容がバラエティとか歌番組みたいな長尺番組が中心で録画して見終わったら保存しないで上書きしてしまう層が多かったんじゃないかな、と思う。その使い方だとベータを選ぶメリットはほとんどないから。レンタル店が広まる前はアニメや特撮、ドラマがソフト化されること自体がほとんどなくて、あってもセレクションみたいなのしかなかったから全話ちゃんと見るには放送を毎回録画することが重要な時代があった。そして、アニメや特撮は基本30分、ドラマも1時間が多く、スペシャルでもβIIならまず入る。そしてベータはマニアに人気があって、短い番組を綺麗に録画保存する用途ならベータの特徴が生きてくる。(L-500テープで30分アニメがβIで2話、βIIなら4話入る)当時は2時間テープが標準だったから、例えば二時間半だった紅白歌合戦はVHS3倍じゃないと入らないし、それが一般層がVHSを選んだ理由だったのだと思う。(あとベータの方がVHSより値段が高い)ちなみにマニア層はVHSが普及してもレンタル再生等がメインで、β→EDβ→Hi8→DV→HDD/BDみたいな感じで変遷したらしい。(さらにお金があるとLDも持つことができた)当時レンタルではほぼ標準VHSしか無かったんですよね。(LDレンタルも末期だけ)長文失礼しました。
余談ですが、現代ではビデオ時代にソフト化されなかったような作品もかなりDVD化や配信が進んでいますが、封印作品のような特殊な事例を除いても話数があまりにも多かったり、ソフトを出しても需要が少ないと考えられるもの、マイナー作品などはDVDや配信どころかビデオにすらなっていない未ソフト化・未配信の作品もあります。
今でもVHSでしか発売されていないビデオソフトや以前にVHS録画した番組があるのでVHSのデッキを大事に持っています。
実家に、VHSでもベータでもない初期型の家庭用ビデオデッキがあったのを覚えてます。こち亀でもネタにされたやつです。父の友人が松下製品を扱う店を経営してて、新し物好きの父はすぐ頼んで取り寄せたようです。当時とても高価だったのは間違いないでしょう・・・それから1年も経たないうちにVHSのデッキに買い替えてましたが。それで録画したドリフや寅さんを家族で見たのはいい思い出です。
VX方式のビデオデッキですね。うちは旧型で安くなったのを親が買ってきて何年か使っていました。確か120分テープが8000円もすると言っていたような…。一時停止やサーチなどは一切できず、再生レバーを押しても画像が出るまで5秒くらいかかったりして使い勝手がかなり悪かった記憶があります。当時録画したテープは本体がまだ動作するうちにVHSにダビングしたのですが、それを再生するVHSデッキも家には無くなってしまいました。
いわゆる「ナショナルのお店」ですかね…家電屋を営む傍ら電気工事士資格で配線変更とかやってそうです。電気工事士のVHS率は高かったですから…日立シャープ三菱などはVHS側ですし、βを扱う家電屋は初期の東芝やった記憶。
初期の頃は磁気テープが非常に高価で、放送局ですら上書きして再利用してしまいVTRで制作されたドラマなんかはほとんど残っていないんですよね…。ただ個人でデッキを購入し録画していた人がいて、辛うじて現代に残っているものも。しかしそれとて再生できる機器が限られた研究機関にしかないので、個人でテープを死蔵している人は是非寄付していただきたいです。
これの究極がガチの空襲警報で個人が録音した物がNHKアーカイブスに存在します。
@@prc148mbitrさま。 個人の趣味層の多様性と幅広さを感じますね。このかた蝋管ではなく独自にアルマイトに録音する装置を制作して録音されていた方ですよね。大阪大空襲?神戸大空襲?どちらでしたっけ。ラジオ深夜便で放送していたのを聞いたことがありますよ。
ごく初期のテレビはVTRが無かったのでフィルムか生番組だそうですが、テレビ本放送開始から音がFM変調で良かっと思うので音楽番組をテープ録音したかたがいそうですね。
カンテレの「どてらい男(やつ)」もテープの犠牲で、半分くらい残っていないですね。
家ではじめてVHSのビデオを買った40年ほど前、120分のビデオテープがメーカー物で1本4000円〜8000円ぐらいだったかな、量販店で2000円ぐらいからだった記憶がありますが。白箱のノーブランドのビデオテープがあって、10本で10000円だったかな、でもけっこう当たり外れがあって、半分ちかくが巻き付くかノイズが酷いかどちらかというときもありましたね。3/4インチのUマチックが30分で1万円以上していたことを考えると、2インチの業務用テープは2万円以上していたのではないでしょうか。
一昨日(2022/04/24)にプロジェクトX4Kリストア版でVHS回を放送してました。
VHS圧勝の原因はEROビデオがベータには少なかったと言われてるけどホントかなあ? やっぱ松下がVHS陣営になったのが大きいんだと思う。
電気工事士的にはスイッチコンセントなど電気器具を扱う個人店舗が多かったのが勝因のひとつです。実際電気工事士の父もナショナルのお店でマックロード買いましたし。ソニーのベータは学校など公的な場所でしか見かけなかったです。
南米などはベータ優位だったそうですね。
私が子供の頃、エンドレスの8ミリフィルムカートリッジで「くるくるてれび」「くるくるびでお」というのがありました。映像だけのオモチャでした。
86年くらいまでレンタルビデオでVHSとベーターの規格が並んでいたのが懐かしいわ。
2000年代になるとTSUTAYAの普及によって小さいレンタルビデオ店は閉店し、現在はスマホの普及によりTSUTAYAのソフトレンタルサービス終了(渋谷・錦糸町などは継続)は愚か・店の閉店を占めており、メディアメーカーからはCDプレーヤー(ミニコンポ・ポータブルCD)の販売終了やナビに内蔵されているCD・DVDドライブの撤去化が占めているそうです。
Canonも小型テープ(8mmテープぐらいの大きさ)を使ったビデオ(ポータブル機)を出していたなぁ。後に大阪日本橋のジャンク屋みたいな店で積まれていたのを見た。
1/4インチ巾のテープのCVC規格のビデオですね。Canonの他に船井電機からも製品が発売されてました。
就職したころ給料の使い道はビデオデッキとテープにつぎ込むことが多かったな。2台繋いで編集やダビングと言った事やエンハンサーを中継して画像の劣化を改善したりと無駄な金を消費したよ。
おはよう御座います。ゆっくりむす💖💖💖💖💖💖💖
うちは1950年代にVTRがありました。
画質・音にこだわる人は、βーを持っていました。私はSONYがVHSの1号機を発売し、それを購入しました。懐かしいです。
マッハ・ローディングですな!幅が狭いモデル。
@@valtan_san さん返信ありがとうございます。それです!幅の狭い。当時、学生でバイトして、激安SHOPに並んで購入しました。今でもSONYが大好きです!
学生の頃はまとまった金もなかったし、FUNAIや富士通ゼネラルのビデオデッキにお世話になりました(^ω^)
VHSか、ペータ方式か、ありましたね。両方、ぼしやりました😭
プロジェクトXで放送してた
エロビデオの早送りと巻き戻しを繰り返すから壊れ率めちゃ高かった我が家のビデオデッキw恥ずいから内緒やでw
ウチではビデオデッキの修理が終わって電気屋さんに付けてもらい試しにその辺にあったテープを再生したら…我が家の伝説が生まれた。
@@prc148mbitr さま。まさか、秘密がバレたと。一生恥ずかしいですね。
@@hirotsuchi2686 さまいやあ…私は男三人兄弟で段ボール箱一杯のエロ本とか平気な家庭だったので、それ位ドンマイですわw私が結婚するとき実家にビデオテープ送ったら速攻で消えました。
そのへんは、うちの親は寛容でしたね。父親とはビデオテープの貸し借りしてましたから。
国産初のアニメポルノ「くりいむレモン第1巻」初版あります。当時¥11000円也。高っ!
テープのサイズはβetaは文庫本,VHSは新書本と同じ。βeta用のテープ棚は文庫本棚に転用も出来たんですが持っている人は殆どいないでしょうね!
Panasonicのバブルビデオデッキ NV-V10000は約20Kgもある。何故?簡素に作れるから儲かったとの解説がありましたが、このビデオの中の部品の詰まりようは尋常ではない。IC化される前のディスクリートだからかな~?HR-20000 (Victor)を現役で使っています。
ワタシ的にはこの後にビデオが買える世代だったので、『ベータの敗北より8mmの勝利』でしたね( ̄▽ ̄;)。ホームビデオカメラは、現像で失敗続きだったワタシにカメラ世界を解放してくれた救世主です。この面で小型化に無理があったVHSは「家から出られない」状況でした。その後、Blu-rayが普及してやっとデジタルメディアに( ̄▽ ̄;)。世代、世間からズレてます。
ビデオの普及には、アダルトビデオなどが後押ししたんですよね。あやしい無修正裏ビデオとか(笑)。洋ピン(死語)なんかはお世話になりましたよ。(遠い目)それがいまじゃ大手通販サイトで普通に買える(泣)
VHSは陽はまた昇るが良かったなぁ。おとーちゃんが新しいもの好きだったので、85年ぐらいにアンプ付き?かわからんが2台セットのVHSデッキを買ってたな。
HiFiやS-VHS、D-VHSについても、語って欲しいです。
おっしゃるとおりです。特に、D-VHSがあんなに短命だった理由とかを掘り下げて欲しかったです。やっぱり、録画可能なDVDの普及が原因ですかね?
SONYは今でも存在感ありますが、JVCはもうイヤホン好きじゃないと若い世代は知らない人も居そうなくらい存在感を無くしてますね…
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクが、未来から来たビデオテープに感心していましたね!
ビデオカメラのメーカ名がJVC(日本Victorの海外ブランド)でしたね。
ビデオデッキってホンマ憧れたなぁ。小・中学校時代に両親に購入をお願いしたが…金額が高いからダメの一言やった。記憶が定かでないが、当時20万円〜30万円だったような。
中学時代に電気工事士の親父が中小家電屋から買ってきたマックロードは定価15万円程度でした。モノラル廉価版でもないよりマシレベルでしたね。
@@hirataz3 コメントありがとうございます。昭和50年代半ばで15万円程でしたか。それでも大金だったんですね。
ウォークマンもといコンパクトポータブルオーディオプレーヤーの普及もカセットテープの売り上げに一役買っているそれまで音楽といったら自宅でソファーに座り紅茶かコーヒーを飲みながらレコードを聴くだったのに通学通勤の電車内・旅先・買い物の移動中に音楽を持ち歩けるだもん
小3の時買ってもらったとき13万円位したな。当時はテレビやビデオは本当に高かった(ディスカウントストアが無かった事もあるが)その後23歳位の時自分で買った時は2万ちょっとだった。15年経てばこんなに安くなるのは驚いたね。今はブルーレイに変わり機能も充実したけど、それより外付けHDDをつければテレビとセットで2万ちょっとで収まるんだから技術の発展に感謝する。
日本のビデオデッキを外国に輸出する時、元々は船で送りますがその需要が多く、速く配送するため運送料金の高い飛行機を利用して輸出したと聞いたことがありました。韓国でも一時的にはソニーのバータ方式が交換テープ市場(当時はレンタルではなく、持っているテープを一対一で交換する方式でした)で優位を占めていましたが国内の電子メーカがVHS方式のデッキを安く販売することになりVHS方式への切り替えが徐々に進みました。ソニーのベータ方式の技術提携やライセンス獲得がVHS陣営より厳しくて逆にVHSの方はこの面で韓国電子メーカと好意的に進んだと言われています。電子専攻の私もこの時の争いが一番楽しみの時だったと思っています。
昔僕の家にベータもVHSもありました。僕もVHS見たときもビデオテープも絡まりました。
VHSは、繰り返し重ね録りをすると、トラッキングが出たりして見られなくなったり、前の番組の音声がそのま残ったりして、愕然とした思い出…
私が初めて買ったビデオデッキは近所のソニー系の販売店に騙されて8mmデッキでした😭後にVHS、DVと使っていきました。
βを褒めるところ部分だと、デッキ2台で編集作業を行うときに操作反応が速いβは編集がVHSより楽でした。自分が使うようになったテープ代が1本5000円とかで辛かったw
霊夢さん魔理沙ださん、お疲れ様です、お早う御座います。最近は暑くなりましたね。私は、毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は。昭和のビデオの話ですね。私は、昭和の54年の頃に、今は亡き親父が、電気屋さんで、ビデオデッキを買いましたね。で、メーカーは🍀日立でしたね。又、当時、VHSでしたね。で、リモコンで、巻き戻し再生録画と、様々でしたね、で、私は、毎週テレビのドラマとか、洋画を録画をしましたね。又、タイマー機能を活用をしましたね。でも、懐かしいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年。5月(14日筆記😞🤔🌼🍒🧏🥰🌹😆🧙🚴🧀🌈🥳💐🛹😁🍀👯😚👼🌴🏵️🍉💓🌺🎉😻☘️🌌🏔️🍍🌻👨👨👧🌸✌️🙋
私の家にビデオデッキが入ってきたのは、1980年に入ってからですね。でも、私が本格的にビデオを利用するようになったのは、やっぱ大学に入って一人暮らしをするようになってからですね。大学生の頃は、家では不要になった初期に買ったビデオデッキを14型のテレビに付けて使っていて、社会人になってから、チラッと動画でも出てきましたが、ビデオとテレビが一体になった、いわゆるテレビデオを買って、それを暫く使ってた覚えがあります。レンタルビデオでアダルトビデオを借りて見まくってましたよ。よく普通のビデオとアダルトビデオを借りてカモフラージュするって言いますが、私は平気でしたね。大学の時なんか、レンタルショップの店員が同じ大学の同じ学部の後輩の女子だったんですが、普通にアダルト2,3本持って借りてました。週に2,3回通って良く話してたので学校でも話すようになって、半年後にはお付き合いしてました。なので、女子にはあまり関係ないのかも知れないですね。
エロは業界を救う!
日本人の技術の素晴らしさ、そして、その後の低迷という展開、これは十分に検討すべきことでしょう。ぜひとも、そういうことも、テーマにして特集して下さいw
この解説でGコード思い出した、何もかも懐かしい、ビデオ全盛期は日本経済が全盛期の時代今はちょっと(ToT)
映画「陽はまた昇る」で知りました!
映画ビデオテープは当時の値段は20000円していた!
生のビデオテープも2千円位から5千円位してたね。
例の戦争結局VHSが主流になりソニーもVHSビデオデッキリリースしたとか
そのソニー製VHSデッキ持ってました。90年代はβ自体めったに見かけなかったんでw
ビデオデッキで思い出すのは、その昔梅田の上新電機で、カセットテープ大のテープを使う機材が投げ売りされていたことですね。そののち日本橋の怪しいパーツショップでもみましたね。一時期Uマチックを持っていたときは、放送業界に努めていた友達からテープを融通してもらったことがあります。新品でテープが1万円したかな。結局早いうちに手放しましたが。いまでもVHSのビデオは稼働できる状態で何台か残してます。DVDやブルーレイにダビングするためにですが・・・。コピーガード解除の機材もいまでは昔話ですね。
基準フォーマットを葬った事、hi-fiの方式での画質悪化、初期はテープの小ささを推しとしながら本体が馬鹿でかかった、VHSに比して精密であった。など、画質で劣り音質で劣り生産の手間で劣っては勝ち目が無い。当時は『ハイバンドのβⅡの方がVHSの標準モードよりも画質が上』とか眼の腐った意見もあったのだが、ほぼ同じ1/2インチ幅のテープで送り速度が秒20㎜のβⅡが33.3㎜のVHS標準に勝る訳も無く、重ね書きを避ける為に空けて置いた隙間にhi-fi音声を書き込んで、画質に影響を出した。一方VHSは深層記録方式で画像とは位相を変えてテープの深層部にFM波に変調し記録した。6時間(のちに8時間)の記録時間はFM音質も相まって、ラジオのエアチェッカーがこぞって購入し画像の録画部の線も外して更なる音質を求めた。当時、高音質の録音機は無くオーディオ機器として30万円の価格は破格に安かったのでマニアはもろ手で歓迎した。東芝やNECなどがこぞってVHSへ鞍替えした。VHSは【ビクター・ホームビデオ・システム】の略である。βのHiバンドは解像度は上がったがノイズも良く見えた。後年SONYはメタルテープのED-βで意地を見せた。対抗したVHS陣営のスーパーVHS(S-VHS)では到底かなわない画質であった。但しランニングコストは無視した場合。
私も同意見ですね!ベータは知り合いの家で東芝のビュースターの安価な機種の再生画像くらいしか観たことなかったですが、私にはベータの画質はVHSよりそりゃいいんだろうけどドングリの背比べでしか無かったと思います…あとビクターがVHSで後追いの結果などでソニーのベータを蹴落としたなどと言う者もいますが、まあ露骨に蹴落としたのはやはりナショナルになるのでは?と思います。特に私のおじいちゃんみたいにナショナル店会でしか家電買わない者もターゲットにできたでしょうし。
@@timeline7835 確かに、ナショナルの家電製品は、他社に比べて圧倒的に故障が少ないのが強みでしたからね。現在においても、その強みは維持されています。
ビデオデッキ自体より東芝のtvcmに出てきた世界最小のジェット機のbd5jのアクロバット飛行が カッコイイなあ! と思って見てた昭和ではウチにビデオデッキはまだ無いのであった
東芝のビュースターでしたっけ?自分もデッキそのものより豆ヒコーキみたいな機体に釘付けでした。
学校の視聴覚室に有りましたねUマチック、カセット一つ々が雑誌サイズでやたら重かった記憶が。
けっこう長い間ソニーのベータは頑張っていた。放送局のシェアでブランドイメージが良く学校などではベータが使われていたので学校の先生はベータ選ぶことが多かった。
D−VHSを超えるものは今になっても発売されていない
始まったばかりのBSデジタル放送をそのまま録画できる唯一の手段でしたねデータ放送もそのまま残せたので当時のトリッキーな番組をちゃんと残せて面白かった!
中学の頃かなぁビデオレンタルが流行しだして行きつけの丸井(地下にゲーセンがある)にもレンタル屋が出店されて、テレビとビデオデッキを買って貰ったな今思えば結構無茶なお願いだったその後、居間のテレビが壊れた時にドナドナされてしまったが、凄く洋画をレンタルして観たよ
VHSデッキも、βデッキもどこかに転がっているはず。ビクターやソニーも持っていたが、三菱のデッキが好きだったので何台か持っている、はず。
三菱のデッキではHV-F11が好きでした(ちなみにVHSの頭出しの統一規格VISS/VASS搭載の第1号機です)
最初に買ったビデオデッキが、日立か東芝製だったと思うけど、70,000円位だった。
画質に満足できなくて、初めて買ったデッキはS-VHSが出てからでした。まずLDを購入。次にBS導入~WOWOWに加入。その後にS-VHSを購入。当時はBSアンテナだけで5万円もした(;ω;`*)
3:31これは何ですか
これは自動車のハブベアリングですね。VTRとは全く関係ないです。
ベータ派でした。初めて買ったビデオデッキはSONYの初代のHi-Fi機SL-HF55(定価198,000円)。ベータはフルローディングでタイムカウンターが使えたのと、取り出し以外の反応が俊敏だったのが導入の決め手でした。今はベータプロHF3000(中古購入品)がオブジェとして寝室に置いてあります。先程、電源を繋げて出画してみたところ、問題無く再生出来ました(約10年ぶり)!SONYスゴイですね!
1981年にβもVHSも持っていた自分に取って、この解説の一部には違和感ありまくりです。βⅡモードとの比較ですらもVHSの標準モードの画質の悪さにはビックリしたし、当初ローディング方式の違いから、リニアタイムカウンターとか止まった箇所からの録画開始で前の録画の尻が消されない。可逆スロー再生が出来ると、最終的にはVHSでも搭載された機能が当初は何ひとつ入っていなくて子ども騙しのような製品でしたよ、VHSは。画質、音質面でも最初に優位に立てたのはS-VHS時だけで後はずっと後出しジャンケンでした。
D-VHSでは完全に優位だったのでは?
ベータはデジタル方式が出ませんでしたから。
あと、ベータでは最後までBSチューナー内蔵機が出なかったと記憶してます。
画質面で有利なら何故BSチューナー内蔵機が出なかったのか、ずっと不思議でしたね。
それと、ベータはHi-Fiで従来機との互換性に問題があったのでは?
@@鉄道模型大好きおじさん …ベータ方式がHi-Fi化されたとき、映像記録信号と音声搬送波記録信号との間の差が小さかったため、映像信号をハイバンド化することで画質を向上させました。しかしその結果、Hi-Fi音声の再生機能を持たない古いVTRでは、テープに記録されたHi-Fi信号が映像信号に影響を与え、画質が落ちるという結果になりました。
一方のVHS方式ではHi-Fi化にあたり、磁気ヘッドを別にしてテープ上に音声信号を記録したのちに映像信号を上書き記録するという積層記録方式を採用することにより、古いVTRでも画質に影響することなく映像を再生することが出来ました。
結果として、ベータ方式では世代によって画質は向上しましたが、古い機種との互換性を犠牲にしました…。
私が最初に購入したビデオデッキは、松下のNV-770でしたね。
1985年の春頃でした。
既に改良機780の登場も噂されてましたが、敢えて770を選んだのは前年後輩が購入した770の性能とデザインに惚れたから。
以来ずっとVHS、後にS-VHSでしたね。
2000年代になってDVDレコーダーを導入しましたが、暫くはVHSも併用してました。
因みに最初に購入したNV-770は一度オーバーホールしましたが、なんと25年も現役でした。
私が購入したビデオデッキで唯一のモノラル機でしたが、最長寿でしたね。
ウチが初めてビデオデッキを買うというとき、親戚中は皆ベータだったが姉が強硬にVHSを主張し結局VHSを買うことになった。親戚からはハブられたが、姉の判断は正しかった。
はいはい!うちはベータでしたから友達が持っていた◯ビデオは一切見られませんでしたwww
私の学生時代は、両者半々でしたね。
懐かしい話でした。
ビデオデッキを買った時は、本当に夢の様で嬉しかった。テープ一本は2000円くらい
それまでは、カセットテープに音だけ録音したり、どうしても画面が欲しい時は、カメラで画面を写したりしていたので。
機能・画質ではベータ有利でしたが良い規格が生き残るとは限らないのが難しいところ。
当時はビデオテープも高価であったため長時間録画が出来るVHSが支持されたのだと思います。
βⅡとVHS標準モードでのランニングコストはβの方が良かったのですがほとんどの方はVHS3倍モードを使用していたと思います。
私は最初に松下のNV-700を購入したのですがその後友人のβ画質にショックを受けSONY SL-J9を購入して
それ以降(EDV-9000~SL2100まで)はずっとβ派でした。規格戦争では各メーカーが威信をかけてフラッグシップ機を投入し、覇を競っていました。
80年代~90年代初頭までハードウェアに夢を求められた良い時代でした。
あとアダルトビデオの件ですが裏ビデオの存在が大きかったと思います。(私感ですがβの裏ビデオを扱っている業者はそんなになかった)
こんにちは。アダルトビデオの話には呆れましたが、総合エンタテインメント企業のソニーがやるとは到底思えない話ですし、やってしまったら多分倒産していただろうなあと思います。
いくら総合エンタテインメント企業と言えども、健全ではない分野で戦うのはダメでしょう。コント・ピン芸人・レコ大・漫才、あっ、テレビでもしっかり天下を取っていますからねえ。
テレビは言うまでもなくトリニトロンが大ヒット、昔亡父がテレビはソニー以外ダメだと言っていたので、我が家にもありました。ちなみに、僕はパナソニックパナカラーが好きでした。
コント・ピン芸人・レコ大・漫才は関連会社の事務所やレコード会社の話ですが、中でもコント・ピン芸人・漫才は新興事業の成功だっただけに、かなり衝撃的だったのを覚えています。
ビデオデッキに関しては、母方の伯母の家にソニーベータマックスがありました。我が家は1980年代後半にやっとパナソニックマックロードが買えて、かなりの期間使っていました。
確かにVHS録画時間、3倍モードがありましたっけ。一時期12時間くらいまでOKのテープが出たようで、テレ東正月半日時代劇対応も可能な長時間録画で勝った部分は大きいかも。
SL-J9のBⅡ画質がそんなにキレイでしたか?2ヘッドのJ9のBⅡモードはBⅢ用のヘッドで記録しています。(VHSみたいに4ヘッドではないですからね)
VHSに例えるなら3倍モード用のヘッドで2倍モードを記録しているみたいなものです。再生だけは片方のヘッドがDAヘッドなので特殊再生はキレイでしたが、基本画質には全く関係ありません。SL-J7もBⅡ用のヘッドでBⅠを記録するのでBⅠの画質がとても悪かったです。
@@TV-SONY 様
当時モニターはPC用としても使える結構高解像度のものを使用していましたが同一ソースを録画した場合は明らかにJ9のほうが良かったです。
特にソースがアニメでは細い線の描写に長けていた印象があります。確かにβⅡではクロストークの問題はありましたがそれを差し引いてもJ9のほうが好みでした。
βⅠの画質については仰るとおりで投げ売りされていたJ7をダビング用に購入しましたがβⅠの画質は確かにもっさりした今一つのものでした。
ただS/Nは良かったような記憶がありますが。
その後ハイバンド機のHF-900が発売されてしばらくした頃、900の回路を参考にJ7のβⅠ画質を改善したというマニアの方の記事をラジオ技術誌で拝見して
驚いた記憶があります。あの頃はほんとに楽しかったですね。J9は今でも実家の倉庫に眠っています。
@@kichikuz1 返信をありがとうございます。狭いギャップのBⅢ用ヘッドでBⅡの画質が良かった理由を考えてみました。普通は輝度信号の高さとか相対速度がベータが優れているからだと言われてますが、そんな当たり前の話は置いておいて、1番の理由はベータのテープの性能の良さだと思います。VHSはカセットテープでいうノーマルポジションでベータはクロームでしたからね。あとはソニーの映像技術の高さです。三洋とか東芝の機種のBⅡは酷いもんでした。あとソニーのデッキは当たり外れが凄くて当たりを引くと物凄い高画質でした。特に新Uローディングになった薄型の時代は差が酷かったです。あとうちが使っていたHR-7650はJ7より画質が良かったです。VHSもメーカーによって画質が違いますよね。NV-700はNV-10000と同じヘッドなので画質はいいと思ってました。J9は高画質だったのですね。J9は所有した事がなかったです。ビデオデッキのハイバンド化は流行りましたね!周波数カウンターを使って半固定を回してとか!私はまだ中学生だったので改造は諦めましたがw
@@TV-SONY
単純なハイバンド化は周波数カウンターがあれば手軽に行なえますがその方がやられていたのは回路構成の変更、一部回路のカットやプリエンファシスや
ノイズキャンセルの値の変更などYC基盤をメインにいじっておられたようです。
当然回路図が読めないと話にならないので素人には真似できない改良でした。
簡単なハイバンド化であれば私もやっておりましてF-11やHF-77をいじりました。特にハイファイ化でもろに画質が低下したHF-77には有効でしたね。
またF-11のポテンシャルの高さには驚愕した記憶があります。無改造でほぼ完全にHF-900でハイバンド録画したテープの再生が可能でした。
F-11に関しては元画質が優秀なのでほんの少しキャリアアップするだけで良好な結果が得られたことを追記しておきます。
昭和28年 SONYの木原信敏さんが 10トラック固定ヘッドの ビデオの試作をして 映像を再生してました この成果を元にビデオ開発の助成金申請しましたが
当時の通産省が SONYが勝手にトランジスタの特許契約をWEと交わしたことに腹を立てて 申請を握りつぶした為 世界発のビデオは アンペックスになりました
ただし 後にアンペックスとSONYがクロスライセンス契約をしたので 世界で唯一 ビデオの基本特許をSONYだけ支払う必要が無かった
アンペックスのビデオは わずか1年で日本メーカーが文献だけでコピーしてます 通産省の命令でNHK技研を中心に 各社のヘッドアッセンブリは 現ティアックの谷兄弟が造ってます
VHSは U規格で SONY 松下 とVictorがクロスライセンスを結んだ事で SONYの膨大なビデオ技術のレポートを見る事ができたから 開発する事が出来た訳です だからSONY首脳はVictorのVHSを批判したのです
また VHSは松下のおかげで 性能が安定した さらに S-VHSは三菱電機のハイバンド技術をパクった仕様です
当時のビクターは松下がビクターの株式の半分以上を持っていたので、松下の子会社だったけど、経営は完全に分離をされていたから、松下のおかげでVHSの性能が安定したということはないよ。
あと、VHSのほとんどの技術はビクターが特許を持っていたからね。
家庭用ビデオデッキの根幹技術である「回転 2 ヘッドへリカルスキャン方式」はビクターの高柳氏が発明して、特許を取得した。家庭用ビデオデッキの本体軽量化を実現したVHSのMローディング方式もビクターが開発。またVHS方式のHi-Fi音声をビデオテープに記録された映像信号の深部に記録するHi-Fi音声深層記録もビクターが開発。
40年以上前にビクターのHR-3600を買いました。HR-3300に2倍速機能が付いた機種でタイマー機能付き(別売)で28万円しました。(大卒の初任給が10万円のころです)ビートルズ日本公演の再放送などのテープが残っていますが、テープもカビて今は再生できません。
お気持ち、わかります。
まさか、youtubeでビートルズ日本公演の再放送ビデオを見れる時代が来るとは、私もとても想像出来ませんでした。
新しモノ好きな亡父が、トリニトロンテレビとセットになったUマチックビデオデッキを購入しましたが、確かビデオデッキだけで40万円近かったと思います。 しかし、よく故障してましたね。 又、弁当箱のようなテープは60分で1本1万円でしたね。
VHS方式の勝利の要因は、アダルト映像業界の介入を受け入れていたことが大きいのですな。その一方で、ソニーは終始、アダルト映像業界の介入を拒絶していた。この辺で明暗を分ける事となろうとは、意外…。
それ以外にも初期機種の重さの違いもあるかと。VHSは成人男子が持ち運べるギリギリの重さですよ!? 現在のポータブル電源も15kg以下が売れ筋ですし。
Uマチックは出向先の研究所で使っていましたね🍥カセットは大分大きくて、その代わり画像は良かったようです📺️デッキも大きくて、1台50万円くらいしましたので、一般には不向きでしたね😢
1979年からベータ、1985年からVHSも使ってきたけど、1999年 にDVデッキのソニーWV-DR9
後にWV-DR7を買った事でテレビ放送はDVテープに録画するようになった
かなり時間はかかったけど、このDVデッキのi-LINKを通してベータ、VHS、DVを2005年頃には
PCに全部取り込むことができた
どれも番組をしっかり録画してくれたこと、CMを残すことができたことをとてもありがたく思う
書き忘れ
discogsでU-maticに録画された音楽PVの情報がたくさん見れます
まだ、VHSのビデオデッキ持っています😆もちろん現役で使えます😆たまに昔撮ったビデオを再生して懐かしんでます😆
VHSビデオ懐かしいなぁ…83年頃に電気工事士の親父が取引のある電気屋からマックロードを購入、いろんなTV番組を録画しましたよ。兄弟そろって映画「トラック野郎」好きなんで6時間モードで撮ってたなぁww 社会人になった頃ソニー製VHSデッキで撮りため、それをDVDへ移すのにVHS/HDD/DVDの3in1デッキ(Victor DR-MX3)が役に立った…♪ビデオはビクター4ヘッド~♪
VHSが勝利した原因って、単純に松下電器の営業力じゃないのかな??
当時のことは知らないが、個人宅にも付き合い的なのがある田舎の販売店って
日本だと松下電器が一番ではないだろうか。愛電館とか。
ソニーとかはほんとの田舎にはほとんどないような。
つまり、松下の営業力+田舎の購買力だな。
田舎の購買力は、今でも松下の食器洗浄機とか高価な家電は田舎のがよく売れてることと
結びつく
この姿勢が出来上がったのは松下幸之助の功労が有ったと思う。😊
ソニーは冷蔵庫や洗濯機など所謂白物家電が無いのも不利だったと思われる。
松下や日立などは、冷蔵庫や洗濯機などを買いに来た客がビデオデッキを目にして興味を持つという形で顧客を増やしていった。
ソニーには其れが望めなかった。
@@鉄道模型大好きおじさん
70年代だと、田舎には大型電気店など
ないから、
松下や東芝、せいぜい日立の個人
電気店が得意先とかお得意様に
せこせこ売るのが大きいのでわ
初めて行ったレンタル店では、VHSとβの二種類が置かれていたっけ。
あと思い出したのは、当時、近所の電器屋が、
「ビデオデッキを購入の方には、ガンダムの全話録画ビデオをプレゼント」
なんて、神をも恐れぬキャンペーンをやってたw
おお....
昔は大らかな時代だったのですよ。
今だったら著作権団体とか煩いですからね。
βマックスの敗因は録画時間のわかり難さがあげられます。
VHSのテープは「T60」や「T120」と録画時間を「分」で表示したのに対して、βは「L250」や「L500」というように「長さ」で表した。映画やテレビの現場では、上映時間や放送時間を「尺 (しゃく)」と長さで表現する。
しかし、当時の消費者にとって録画時間を長さ「feet (英尺)」で表記されたテープは「これ何分録れるの?」となってしまった。
最初期のベータテープはちゃんと時間表記だったらしいよ
ただベータ60分VHS120分と並べられると劣勢は明らかだったから苦し紛れにテープ長由来の表記にしたとか
家庭用ビデオデッキの導入が遅かった我が家においても500分も撮れるベータがなぜ劣勢なんだ?と見事に勘違い
店頭で店員に質問して初めてそのカラクリを理解した
ベータがVHSに負けた理由にデッキの重量もありましたよ!? 松下幸之助いわく、βは持ち帰れないがVHSはギリ手荷物扱いで電車に乗っても持ち帰り可能だとか。仮にβデッキが軽かったら少しは違ったかもです。
80年代の後半には
中身(主にマイコンとベアリング)目当てに
ソビエトの外交官が秋葉原でビデオデッキ大量買いして外交特権で持ち帰ってたなんて
都市伝説もありましたね。
初期はデッキも高いけど、テープもめちゃくちゃ高かった。
VHS120分が4000円とかしてた。
今じゃ光学ディスクがバルクのお場合、3000円で50枚とか100枚だもんね。
レンタルビデオが登場したばかりの頃も、1本1泊2日で2千円とかしてた。それでも家族で映画を観に行くよりも全然安いからレンタルして家族で映画を観てたなぁ。
それでも当たり外れがあるんですよね。友達集まったらよく情報交換してました。
1985年(筑波万博の開催年)電気屋のチラシ広告ではビデオテープはVHSのT-120、ベータのL-500が980円と言う価格が多かった記憶があります。
@@犬勘太 さま。1980年頃でメーカー物が8000円〜4000円、安売りが2000円だった記憶がありますんで、5年間で結構値下がりしてますね。
@@jojo233 さま。近所にあった(それでも車で30分ぐらいかかるのですが)レンタル店ではLDからダビングしたものを堂々とレンタルしてました。
まあ権利意識がまだまだ薄かった時代でしたからね。あ、そこも1泊2日で2000円でした。
自分は50代のオッサンですが、我々の時代は記録媒体のフォーマットが目まぐるしく変化した時代を生きていたんだなぁ…と改めて思う。
私も同年代ですが同感ですね。
同様に昔はベータから始まってVHS、LD、DVD-RAMなど様々な機器を使っていました。
今ではネット配信で見るようになってしまったので、レコーダーを使うことはほとんどなくなりましたね…。
同感 ベータ VHS LD DVD BD HDD SSD
全部手に入れた。
これからどんな記録方式が出るのでは無く
クラウドに保存に変わるのかも?
音声記録に至ってはオープンリールのテープレコーダーが自分が子供の頃はまだ残っていましたし、レコード、カセットテープ、CD、MD、DAT、i-pod、ケータイやスマホへのダウンロード方式と次々出ては取って変わられていきました。
同年代ですが同じくですね、ビデオ時代の予約録画から今の番組表からワンタッチでの予約出来るブルーレイ💿はありがたいですね。
こんなにたくさんの種類が出ていたとは知りませんでした
初めて家に導入されたのは8mmで
次が8mm+VHSのダブルデッキだったのを思い出しました
自分で初めて買ったのはパナソニックのVHSだったなー
VHSが勝利した最大の要因は録画時間の長さだと思います。当時はテープ代が高かったのでどうしても1本で長く録画できる方に流れていったと思います。
VHS普及最大の勝因はナショナル系電気屋(量販店は殆んど無かった)が裏ビデオ1本サービスからです
@@akita1934 なるほどそういう要因も大きかったわけですか
カセットテープも長くて片面90分でした。だから、長いラジオ番組を録音するにはコンポジットとラジオのイヤホン端子をつないで録音してつかってましたね。
当時の松下の圧倒的な販売網の影響も大きかったかと…。
仮に松下がベータ陣営についていたらベータが勝利していたでしょうね…。
東芝のHiFiVHSで(FM)外部音声HiFi、テレビ映像+ノーマル音声
を別々に(同時)録画できる機種を使っていました。
NV-V10000とNV-DS1を持っていました。V10000は、電源もメカも凄かった。
DS1はデザインも格好良かったですね😊
私は松下のビデオデッキはNV-770、NV-F70、NV-F400を使ってました😅
NV-770は無駄に頑丈で25年も保ちました😊
最後はヘッドが逝かれてお亡くなりになりましたけど😢
今持っているビデオデッキは、5倍速がある、ちなみに、ビクターHR-S700
VHSが普及した最大の勝因は電気屋(当時は家電量販店は殆んどなかった)が裏ビデオを1本サービスしたからです
その昭和時代の電気屋はたいてい電気工事士が運営しており、電気器具取付工事の常連にビデオデッキを安く販売できた裏事情もありそうです。電気工事士&電気主任技術者の僕が個人経営家電屋から聞いた話で恐縮ですが(^^;;
Uマチック懐かしい!昔々仕事で使ってました。放送業界ではかなり普及したVTRでしたよ。
家庭用ベータは敗北しましたが、番組収録(撮影)の業界標準となった「BETA CAM」「DigitalBETA CAM」もベータを基本とした企画で、予算の少ない衛星放送やケーブルテレビでは収録だけでなく「放送用完パケテープ」としても使われていました。
キー局の放送は「1インチ(オープンリール)」→「D2」→「HD CAM」こちらもSony製が業界標準。
放送業界では「Sony圧勝」でしたね。
Uマチックって、確か色副搬送波を周波数シフトして窮屈に記録してるせいで
色の解像度が悪かった(色が微妙に滲む)ので
ベータ、VHSではそこを改良して画質を向上させてます
今現在、当時の記録映像なんかが流れると、その独特の色具合で
「おっ、Uマチックじゃん。懐かしい」ってなります
学校の音楽室にあったような気がします。
放送業界のsony圧勝は実はほんとうに世界中で、今は違うかもしれないが
一時期は社会主義共産圏でもほんとはソニー製を勝手に個人輸入して導入してたと
いう噂がある。さすがに今は中国とか自国製としているが
それでも業務用機の世界では中国メーカーは今でも日本メーカーのものを
そのまま丸パクリしてるのが実態。てか、あからさま。
江戸時代から「美」的なものが得意な日本人のもともと得意なジャンルなのかもしれない
@@はすかみけろやま >色の解像度が悪かった(色が微妙に滲む)ので
u-maticもベータも色信号は低域変換直接方式みたいで同じ方式です。シフトしている周波数も共に688khzでした。
放送関係ではソニーが天下取っていたら1990年代に松下が価格を下げて参入してから大変だったと以前、秋葉原でソニーの展示会やっていたとき聞いたことあります。
当時,β方式のソニーB5?B5サイズの20万程のデッキを初めて月賦で買ったぜ!洗濯屋ケンちゃんを初めて見たときは,歓喜に湧いたぜ!
当時ダビング屋なるものが有って,テープを持ち込めばダビングしてくれた!たしか数千円,8千円だったかな?かなり高かった!
あの,粗い画面に良く満足していたものだと今,思うと感慨深い!レンタルビデオ屋はβが主だったのにあっという間にVHSに変わっちまった!
巻き戻しにテープが絡まると泣きそうになったよ,レンタル品だったから,賠償金取られた。いつの間にか店がテープの確認をするようになってた!
DVDに変わってからも,インターネットに押されて,レンタルDVD屋も減り続けている?いま近所にレンタル屋はゲオ1軒しかない?
しかもアダルトコーナーが無い!そのGEOも,今じゃスマホSHOPのように様変わりしている?
今は(録画用)DVDやBluRay、HDDで簡単に録画・再生出来る良い時代になりました。容量を気にしなければ高画質、高音質で残せるし。
ダビングしてくれるお店があり地方の小規模コンビニでも出来た時代が懐かしいです。
最初は伯父から貰ったスーパーマンとトラック野郎(北海道の山猫お夏の登場するほう)を見たのが最初で
「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とか夏の甲子園、高校サッカー、紅白、大晦日の格闘技を録画したりもしました。
昔は大らかな時代でしたね。
今は著作権とか煩いですから…
我が家に初めてきたVTRは、ソニーのBetamax J7のOEM製品だった東芝の奴でした。テープの挿入口は、本体上部のアッパーローディング式でした。
Betamax Jシリーズ 懐かしいですね。うちのはJ9でした。無段階の正逆可変速サーチやノイズレスのスチル・スロー再生は当時感動ものでした。メカのレスポンスも非常に良かったので、後に買ったVHS機のトロさには失望したものです。
松下(現パナソニック)がVHS陣営になったのがベータ陣営にとっては痛手だったかな。
ナショナル店会というソニーいや東芝などでも太刀打ち出来ない販売網がありました…
松下幸之助が、ペータは100点と評価した、
VHSは、ペータより2歩も3歩も前に進んだ2時間録画と軽いメカ機構から150点と評価した。
@@777dokaben5 ソニーは20.5kg ビクターは13.5kg 重さが7kgも違ったんですからね。7kgといったらVHS末期のデッキ2台分の重さですw
@@TV-SONY それ単純に15kgが持ち運びの分かれ目でしょ…最近話題のポータブル電源も15kg以下が好まれますから。すぐ持ち帰れてすぐに使える利便性が松下幸之助のVHS推しになった!
当時は日本ビクター、即ち現・JVCケンウッドが松下もといパナソニックの傘下だったからビクターは成功したきっかけになりましたね‼️🤓
EDV9000、7000、SL200D、SLHF705、が現在も家にありますよ、EDメタルベータ、ハイバンドベータハイファイ
現在もVHSを好きになれずEDV-9000と8000とSL-2100を使い続けてます。
初めてのビデオはbeta maxだったんで初めてVHSテープを使った時にテープの大きさやピクチャーサーチ出来なかったりで『こんなにVHSテープは邪魔で使いにくいのか…』と小学生の時感じました。
中学ぐらいの時からエロビデオの貸し借りを友達とし始めた頃は圧倒的にbetaを持ってる人が多く、逆にVHSデッキを買った友達は『エロビデ観たいのに再生出来ない…』と寂しそうでした笑
大学ぐらいの時はほぼVHS派に変わったので、仕方なく初めて自分で渋々使いやすさのマシだったビクターのVHSを買いました。それからW-VHSやD-VHSなど出始め、映像綺麗ならと興味を持ち始めたんでお店でどれにしようかな…と悩んだけど取り敢えずS-VHSからでいいかとパナのデッキを買いました。
兎に角betaと比べ軽過ぎたんで、ビックリして上蓋を開けて中を見たらスッカラカンで本当にビックリでした。
beta生産を終了するとSONYからの発表で沢山あるbetaテープを再生出来なくなったら困る!と思ったんで全機種SONYでOHしてもらい大切に使い続けてます。
Blu-rayもあるけど懐かしいテープを再生するのも、高級過ぎるED betaのデッキを所有してる満足感で見てるだけで楽しいです。
VHSテープだけはディスクへ移し全部捨てたけどbetaテープだけは大切に全部置いてます。
中学の頃に興奮してた洋物裏ビデオのbetaテープをたまに再生すると『懐かしいなぁ』と釘付けになります笑
VHSが急速に普及したのは、、、
販売店がエロビデオを販促に使用したから。
当時の一般ユーザーは画質なんてそこまで気にしなかったしねw
β懐かしいなぁ…初期の奴はHIFI規格以前のノーマルステレオだった。
VHSが市場を席巻したのでビクターのVHSを購入したけど、βは処分せずにPCM録音機として使い続けた。
若いとき、実家の為に給料を貯めてVTR(ソニーのJ7)を
買った事あります。
その後、一台では不便だったので2台目のVTR(ソニーのJ9)を
買ってあげました。
私もVHS世代の人間ですが、昔のビデオは20万〜30万は当たり前で普及率は極めて少ない方でした。よって当時のVHSビデオ所有者は数ヶ月ローン購入を占めており、昭和末期から平成にかけてデッキ自体のコスト削減によって値段もプライスダウンが図られ、ビデオ普及率も徐々に増加しました。そして21世紀に入ってからは映像レコーダーもHDDレコーダーへと移行され、今ではDVDからブルーレイへと変わり、テレビの薄型化によって外付けハードディスクも好みによってつけられます。
ビデオデッキの歴史というから黎明期~バブル期~晩年のビデオデッキの名機紹介を見れるのかな?と思ってわくわくしながらページ開いたらビデオ規格の歴史だった。
子供の頃、隣家の友達の父上は、ビクターのかつて某地にあった工場で部長さんだったそうで。
なので、ビクターブランドで揃えられる家電品は当然みんなビクター。
恐らくご近所で最も早くビデオデッキ導入したのも、その友達の家。
あ、もちろんあの犬の置き物もありましたよwww
ナショナル商店会やくらしの泉会みたいですね。
ニッパーくんは当時の商品には付いてたみたいですね。箱にもプリントされてましよ。うちは父親が松下系列の電気屋さんでアルバイトしていた(電気工事士の免状を持ってたので)関係でナショナル坊やタイムカプセル、松下館でした。電気屋さんが御用聞きに来る時代でしたよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN そういう当時の電気屋は電気工事士との絡みが多かったですね。亡父も電気工事士ゆえ同じことしてましたよ。おかげで松下贔屓も強かった(笑)。かくいう僕も電気工事士+電気主任技術者になり電気器具や住宅設備は松下だらけですわホンマwちなみに現存VHSデッキはVictor(JVC)。
ちなみにDVD規格は東芝です
初期の再生専用DVDは東芝ですね!マルチメディアへオンデマンド♪てCMでDVDディスクは大量のフロッピーディスクを飲み込むみたいなこともアピールしていました。
どうも!いつもお世話になっております。wwビデオデッキのHi-Fiが出てシャープのビデオデッキを買いますた!お値段は」当時298000円だったかな!頑張ったw早速家庭用オーディオステレオにジャック接続して録音しますたwカセットテープよりはなんとなく上なのかよくわからないが⁉映像ではなく音楽のみ録音!なんと贅沢な!Wそこそこい~音していた!それにボタン押すと下段から前に出てきて細~いリモコンだの機能スイッチ装備類が装備収納してあったww30数年前の話なんですけどね!懐かしいです!ありがとうございますお疲れ様です!今後いろいろと楽しみにしています。
初めて自分で買ったビデオデッキは中古のビクターのだった、たしかHR-7300(まだフロントローディングでなく上部から入れるタイプだった)
当時は新品だと、まだまだ高額で、中古でも7万円ぐらい出さなきゃあマシなのが買えなくて凄くバイトで頑張って、やっと買えたんだよなぁ
同じぐらいの金額で買えた中古の原付と、どちらを先にするかを悩んだりしたよw
青春時代、S-VHSの高画質競争の真っ只中だった。
デジタル三次元ノイズリダクションやデジタルTBCなど、各社様々な高画質技術を投入していた。
良いデッキは一時停止で画面がブレずに停められるし、スローモーションも自在だったから、アニメなどで普通に見てたら分からないような貴重なカットをスローと一時停止で観る事が出来た。
5万円のVHSデッキと10万円のS-VHSデッキとでは全く別物といえるくらい差があった。
今のHDD・ブルーレイデッキは値段で画質の差があまりないので、拘らなくなった。メーカによって使い勝手に差があるくらい。
ベータ規格はソニーが全て決めて規格に対して交渉の余地がなかった
電気自動車の充電規格にもいえることだが、一社が全部決めるのは規格を広げるという意味ではよくない
やっぱり天下の松下が
VHS側についたのが一番大きいです。
まぁ当時はマックロードが
ものすごい勢いで売れましたからねぇ。
ウチの学校でもβはクラスに1〜2人、
あとはどのメーカーのVHSかってぐらい違いました。
ウチは日立のマスタックスでした😃
やはり松下電器の影響は強かった…街の家電店が電気工事士資格で電気工事も請け負ってた時代やから電気器具(松下電工)の取引もありナショナルのお店が多い印象、電気工事士になってから痛感した話です。
昔は各社とも、ビデオデッキに愛称が付いてましたね。
松下マックロード、日立マスタックス、シャープマイビデオ、三菱ファンタス、東芝ビュースター、NECビスタックス、ソニーベータマックスなど。
あ~ありましたね~懐かしい!カウボーイビバップとかのアニメでありましたね~うちはベータとVHSと両方購入しました!因みにHD DVDとBDも両方購入してしまいました(*´∀`*)ノ
カウボーイビバップで調達屋みたいなニキが「ベータマックス方式は画質が云々…」みたいなことを言ってましたね。
私はブルーレイレコーダー購入時販売店で両方みましたがブルーレイ買いました。HD購入した方もいたのですね。HDは製品化の前に規格がポシャり販売されなかったって語る人がいますが、現在HDD録画は出来てもディスク類は入手できるのでしょうか?
たぶん、東芝のHDて今も持っている場合DVD-Rに普通に録画するしか使用方法は見当たらないです…
中学生当時、買えないのに電気屋行ってカタログ集めて悦に入って?いました。
Uマチックは今は無きカメラのさくらやの本店?地下で見たことあります。既に名前でしか知らなかったので「でけぇ?!」が第一印象でしたね。
ベータかVHSかは散々迷いましたけど、録画時、CMカットの為の一時停止で発生するノイズに対応する機能を備えているデッキがVHS陣営に多かったので、その時点でベータは選考から外れました。ベータ勢でも備えている機種ありましたけど、20万前後の高価なモデルばかりで、確かサンヨーとNEC位しか安価な機種で採用してなかった記憶。ただ、ビデオテープ自体のデザインはベータがカッコ良かったですね。TDKだけは二つ窓だったし。
初めてのビデオデッキは何の変哲もないシャープのモノラルデッキ。確か7万円位。初めてのハイファイビデオは日立の5ヘッドデッキでした。当時は知らなかったけど、菊池桃子嬢がcmしてたみたいです。
Do!スポーツや2輪や4輪のレース番組など録画してましたけど、今思うとCMカットしないで撮って置けばと後悔。それから何台も入れ替わりましたけど、最後のデッキはDVD移行やダビング諸々の為に購入したアイワのビデオ。ジャスコで新品が1万2千円でした;;。
CMはその時は邪魔者でも時間が経つと懐かしい映像もある。だからTH-camで懐かしいCMアップする人が居る。そちらで楽しませてもらいましょう🎵
昔は「重要お客様用」という分厚い家電カタログがあって私も東芝のカタログを眺めて悦に浸っていた。
私も中学生の時VTRのカタログ集めていました(三菱電機のマドンナの表紙のカタログが一番のお気に入り)でも捨てられてしまいました(泣)
@@犬勘太 私がカタログ漁りしてた頃の三菱は表紙が緒形拳さんでした(哀?。
私がビデオデッキを初めて買ったのは、βデッキが最初でした。ただ残念ながら、1番組しか予約出来ませんでした。そして遅咲きながら、VHSデッキを買ったのは、80年代最後の時でした。テープだけで300本位はありましたが、引っ越しを契機に断捨離し、現在はDVDとBlu-rayのディスクを使っています。デッキでも、番組が重複される事もあり、3台所有しています。ディスクの今と違い、テープは本当に場所を取りました。
ドカベンカセットやEDベータにも触れて欲しかったです。
VHSがベータに勝った理由は松下がVHS側についたというのもあるが、録画する番組の内容がバラエティとか歌番組みたいな長尺番組が中心で録画して見終わったら保存しないで上書きしてしまう層が多かったんじゃないかな、と思う。その使い方だとベータを選ぶメリットはほとんどないから。
レンタル店が広まる前はアニメや特撮、ドラマがソフト化されること自体がほとんどなくて、あってもセレクションみたいなのしかなかったから全話ちゃんと見るには放送を毎回録画することが重要な時代があった。
そして、アニメや特撮は基本30分、ドラマも1時間が多く、スペシャルでもβIIならまず入る。
そしてベータはマニアに人気があって、短い番組を綺麗に録画保存する用途ならベータの特徴が生きてくる。
(L-500テープで30分アニメがβIで2話、βIIなら4話入る)
当時は2時間テープが標準だったから、例えば二時間半だった紅白歌合戦はVHS3倍じゃないと入らないし、それが一般層がVHSを選んだ理由だったのだと思う。(あとベータの方がVHSより値段が高い)
ちなみにマニア層はVHSが普及してもレンタル再生等がメインで、
β→EDβ→Hi8→DV→HDD/BDみたいな感じで変遷したらしい。(さらにお金があるとLDも持つことができた)
当時レンタルではほぼ標準VHSしか無かったんですよね。(LDレンタルも末期だけ)
長文失礼しました。
余談ですが、現代ではビデオ時代にソフト化されなかったような作品もかなりDVD化や配信が進んでいますが、
封印作品のような特殊な事例を除いても話数があまりにも多かったり、ソフトを出しても需要が少ないと考えられるもの、マイナー作品などはDVDや配信どころかビデオにすらなっていない未ソフト化・未配信の作品もあります。
今でもVHSでしか発売されていないビデオソフトや以前にVHS録画した番組があるのでVHSのデッキを大事に持っています。
実家に、VHSでもベータでもない初期型の家庭用ビデオデッキがあったのを覚えてます。こち亀でもネタにされたやつです。
父の友人が松下製品を扱う店を経営してて、新し物好きの父はすぐ頼んで取り寄せたようです。当時とても高価だったのは間違いないでしょう・・・
それから1年も経たないうちにVHSのデッキに買い替えてましたが。それで録画したドリフや寅さんを家族で見たのはいい思い出です。
VX方式のビデオデッキですね。うちは旧型で安くなったのを親が買ってきて何年か使っていました。確か120分テープが8000円もすると言っていたような…。一時停止やサーチなどは一切できず、再生レバーを押しても画像が出るまで5秒くらいかかったりして使い勝手がかなり悪かった記憶があります。当時録画したテープは本体がまだ動作するうちにVHSにダビングしたのですが、それを再生するVHSデッキも家には無くなってしまいました。
いわゆる「ナショナルのお店」ですかね…家電屋を営む傍ら電気工事士資格で配線変更とかやってそうです。電気工事士のVHS率は高かったですから…日立シャープ三菱などはVHS側ですし、βを扱う家電屋は初期の東芝やった記憶。
初期の頃は磁気テープが非常に高価で、放送局ですら上書きして再利用してしまいVTRで制作されたドラマなんかはほとんど残っていないんですよね…。ただ個人でデッキを購入し録画していた人がいて、辛うじて現代に残っているものも。しかしそれとて再生できる機器が限られた研究機関にしかないので、個人でテープを死蔵している人は是非寄付していただきたいです。
これの究極がガチの空襲警報で個人が録音した物がNHKアーカイブスに存在します。
@@prc148mbitrさま。 個人の趣味層の多様性と幅広さを感じますね。
このかた蝋管ではなく独自にアルマイトに録音する装置を制作して録音されていた方ですよね。
大阪大空襲?神戸大空襲?どちらでしたっけ。ラジオ深夜便で放送していたのを聞いたことがありますよ。
ごく初期のテレビはVTRが無かったのでフィルムか生番組だそうですが、テレビ本放送開始から音がFM変調で良かっと思うので音楽番組をテープ録音したかたがいそうですね。
カンテレの「どてらい男(やつ)」もテープの犠牲で、半分くらい残っていないですね。
家ではじめてVHSのビデオを買った40年ほど前、120分のビデオテープがメーカー物で1本4000円〜8000円ぐらいだったかな、量販店で2000円ぐらいからだった記憶がありますが。
白箱のノーブランドのビデオテープがあって、10本で10000円だったかな、でもけっこう当たり外れがあって、半分ちかくが巻き付くかノイズが酷いかどちらかというときもありましたね。
3/4インチのUマチックが30分で1万円以上していたことを考えると、2インチの業務用テープは2万円以上していたのではないでしょうか。
一昨日(2022/04/24)にプロジェクトX4Kリストア版でVHS回を放送してました。
VHS圧勝の原因はEROビデオがベータには少なかったと言われてるけどホントかなあ? やっぱ松下がVHS陣営になったのが大きいんだと思う。
電気工事士的にはスイッチコンセントなど電気器具を扱う個人店舗が多かったのが勝因のひとつです。実際電気工事士の父もナショナルのお店でマックロード買いましたし。ソニーのベータは学校など公的な場所でしか見かけなかったです。
南米などはベータ優位だったそうですね。
私が子供の頃、エンドレスの8ミリフィルムカートリッジで「くるくるてれび」「くるくるびでお」というのがありました。映像だけのオモチャでした。
86年くらいまでレンタルビデオでVHSとベーターの規格が並んでいたのが懐かしいわ。
2000年代になるとTSUTAYAの普及によって小さいレンタルビデオ店は閉店し、現在はスマホの普及によりTSUTAYAのソフトレンタルサービス終了(渋谷・錦糸町などは継続)は愚か・店の閉店を占めており、メディアメーカーからはCDプレーヤー(ミニコンポ・ポータブルCD)の販売終了やナビに内蔵されているCD・DVDドライブの撤去化が占めているそうです。
Canonも小型テープ(8mmテープぐらいの大きさ)を使ったビデオ(ポータブル機)を出していたなぁ。後に大阪日本橋のジャンク屋みたいな店で積まれていたのを見た。
1/4インチ巾のテープのCVC規格のビデオですね。Canonの他に船井電機からも製品が発売されてました。
就職したころ給料の使い道はビデオデッキとテープにつぎ込むことが多かったな。2台繋いで編集やダビングと言った事やエンハンサーを中継して画像の劣化を改善したりと無駄な金を消費したよ。
おはよう御座います。ゆっくりむす💖💖💖💖💖💖💖
うちは1950年代にVTRがありました。
画質・音にこだわる人は、βーを持っていました。私はSONYがVHSの1号機を発売し、それを購入しました。懐かしいです。
マッハ・ローディングですな!幅が狭いモデル。
@@valtan_san さん
返信ありがとうございます。それです!幅の狭い。当時、学生でバイトして、激安SHOPに並んで購入しました。今でもSONYが大好きです!
学生の頃はまとまった金もなかったし、
FUNAIや富士通ゼネラルのビデオデッキにお世話になりました(^ω^)
VHSか、ペータ方式か、ありましたね。
両方、ぼしやりました😭
プロジェクトXで放送してた
エロビデオの早送りと巻き戻しを繰り返すから
壊れ率めちゃ高かった我が家のビデオデッキw
恥ずいから内緒やでw
ウチではビデオデッキの修理が終わって電気屋さんに付けてもらい試しにその辺にあったテープを再生したら…我が家の伝説が生まれた。
@@prc148mbitr さま。まさか、
秘密がバレたと。一生恥ずかしいですね。
@@hirotsuchi2686 さま
いやあ…私は男三人兄弟で段ボール箱一杯のエロ本とか平気な家庭だったので、それ位ドンマイですわw私が結婚するとき実家にビデオテープ送ったら速攻で消えました。
そのへんは、うちの親は寛容でしたね。父親とはビデオテープの貸し借りしてましたから。
国産初のアニメポルノ「くりいむレモン第1巻」初版あります。当時¥11000円也。高っ!
テープのサイズはβetaは文庫本,VHSは新書本と同じ。βeta用のテープ棚は文庫本棚に転用も出来たんですが持っている人は殆どいないでしょうね!
Panasonicのバブルビデオデッキ NV-V10000は約20Kgもある。何故?
簡素に作れるから儲かったとの解説がありましたが、このビデオの中の部品の詰まりようは尋常ではない。
IC化される前のディスクリートだからかな~?
HR-20000 (Victor)を現役で使っています。
ワタシ的にはこの後にビデオが買える世代だったので、
『ベータの敗北より8mmの勝利』
でしたね( ̄▽ ̄;)。
ホームビデオカメラは、現像で失敗続きだったワタシにカメラ世界を解放してくれた救世主です。
この面で小型化に無理があったVHSは「家から出られない」状況でした。
その後、Blu-rayが普及してやっとデジタルメディアに( ̄▽ ̄;)。
世代、世間からズレてます。
ビデオの普及には、アダルトビデオなどが後押ししたんですよね。
あやしい無修正裏ビデオとか(笑)。洋ピン(死語)なんかはお世話になりましたよ。(遠い目)
それがいまじゃ大手通販サイトで普通に買える(泣)
VHSは陽はまた昇るが良かったなぁ。おとーちゃんが新しいもの好きだったので、85年ぐらいに
アンプ付き?かわからんが2台セットのVHSデッキを買ってたな。
HiFiやS-VHS、D-VHSについても、語って欲しいです。
おっしゃるとおりです。
特に、D-VHSがあんなに短命だった理由とかを掘り下げて欲しかったです。
やっぱり、録画可能なDVDの普及が原因ですかね?
SONYは今でも存在感ありますが、JVCはもうイヤホン好きじゃないと若い世代は知らない人も居そうなくらい存在感を無くしてますね…
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクが、未来から来たビデオテープに感心していましたね!
ビデオカメラのメーカ名がJVC(日本Victorの海外ブランド)でしたね。
ビデオデッキってホンマ憧れたなぁ。
小・中学校時代に両親に購入をお願いしたが…金額が高いからダメの一言やった。
記憶が定かでないが、当時20万円〜30万円だったような。
中学時代に電気工事士の親父が中小家電屋から買ってきたマックロードは定価15万円程度でした。モノラル廉価版でもないよりマシレベルでしたね。
@@hirataz3 コメントありがとうございます。
昭和50年代半ばで15万円程でしたか。
それでも大金だったんですね。
ウォークマンもといコンパクトポータブルオーディオプレーヤーの普及もカセットテープの売り上げに一役買っている
それまで音楽といったら自宅でソファーに座り紅茶かコーヒーを飲みながらレコードを聴くだったのに通学通勤の電車内・旅先・買い物の移動中に音楽を持ち歩けるだもん
小3の時買ってもらったとき13万円位したな。当時はテレビやビデオは本当に高かった(ディスカウントストアが
無かった事もあるが)その後23歳位の時自分で買った時は2万ちょっとだった。15年経てばこんなに安く
なるのは驚いたね。今はブルーレイに変わり機能も充実したけど、それより外付けHDDをつければ
テレビとセットで2万ちょっとで収まるんだから技術の発展に感謝する。
日本のビデオデッキを外国に輸出する時、元々は船で送りますがその需要が多く、速く配送するため運送料金の高い飛行機を利用して輸出したと聞いたことがありました。韓国でも一時的にはソニーのバータ方式が交換テープ市場(当時はレンタルではなく、持っているテープを一対一で交換する方式でした)で優位を占めていましたが国内の電子メーカがVHS方式のデッキを安く販売することになりVHS方式への切り替えが徐々に進みました。ソニーのベータ方式の技術提携やライセンス獲得がVHS陣営より厳しくて逆にVHSの方はこの面で韓国電子メーカと好意的に進んだと言われています。電子専攻の私もこの時の争いが一番楽しみの時だったと思っています。
昔僕の家にベータもVHSもありました。僕もVHS見たときもビデオテープも絡まりました。
VHSは、繰り返し重ね録りをすると、トラッキングが出たりして見られなくなったり、前の番組の音声がそのま残ったりして、愕然とした思い出…
私が初めて買ったビデオデッキは近所のソニー系の販売店に騙されて8mmデッキでした😭後にVHS、DVと使っていきました。
βを褒めるところ部分だと、デッキ2台で編集作業を行うときに操作反応が速いβは編集がVHSより楽でした。自分が使うようになったテープ代が1本5000円とかで辛かったw
霊夢さん魔理沙ださん、お疲れ様です、お早う御座います。最近は暑くなりましたね。私は、毎週楽しみに見ています。突然ですが、今回の話は。昭和のビデオの話ですね。私は、昭和の54年の頃に、今は亡き親父が、電気屋さんで、ビデオデッキを買いましたね。で、メーカーは🍀日立でしたね。又、当時、VHSでしたね。で、リモコンで、巻き戻し再生録画と、様々でしたね、で、私は、毎週テレビのドラマとか、洋画を録画をしましたね。又、タイマー機能を活用をしましたね。でも、懐かしいですね。でわこの辺で失礼致します。令和四年。5月(14日筆記😞🤔🌼🍒🧏🥰🌹😆🧙🚴🧀🌈🥳💐🛹😁🍀👯😚👼🌴🏵️🍉💓🌺🎉😻☘️🌌🏔️🍍🌻👨👨👧🌸✌️🙋
私の家にビデオデッキが入ってきたのは、1980年に入ってからですね。でも、私が本格的にビデオを利用するようになったのは、やっぱ大学に入って一人暮らしをするようになってからですね。大学生の頃は、家では不要になった初期に買ったビデオデッキを14型のテレビに付けて使っていて、社会人になってから、チラッと動画でも出てきましたが、ビデオとテレビが一体になった、いわゆるテレビデオを買って、それを暫く使ってた覚えがあります。レンタルビデオでアダルトビデオを借りて見まくってましたよ。よく普通のビデオとアダルトビデオを借りてカモフラージュするって言いますが、私は平気でしたね。大学の時なんか、レンタルショップの店員が同じ大学の同じ学部の後輩の女子だったんですが、普通にアダルト2,3本持って借りてました。週に2,3回通って良く話してたので学校でも話すようになって、半年後にはお付き合いしてました。なので、女子にはあまり関係ないのかも知れないですね。
エロは業界を救う!
日本人の技術の素晴らしさ、そして、その後の低迷という展開、これは十分に検討すべきことでしょう。
ぜひとも、そういうことも、テーマにして特集して下さいw
この解説でGコード思い出した、
何もかも懐かしい、ビデオ全盛期は
日本経済が全盛期の時代今はちょっと(ToT)
映画「陽はまた昇る」で知りました!
映画ビデオテープは当時の値段は20000円していた!
生のビデオテープも2千円位から5千円位してたね。
例の戦争結局VHSが主流になりソニーもVHSビデオデッキリリースしたとか
そのソニー製VHSデッキ持ってました。90年代はβ自体めったに見かけなかったんでw
ビデオデッキで思い出すのは、その昔梅田の上新電機で、カセットテープ大のテープを使う機材が投げ売りされていたことですね。そののち日本橋の怪しいパーツショップでもみましたね。
一時期Uマチックを持っていたときは、放送業界に努めていた友達からテープを融通してもらったことがあります。新品でテープが1万円したかな。結局早いうちに手放しましたが。
いまでもVHSのビデオは稼働できる状態で何台か残してます。DVDやブルーレイにダビングするためにですが・・・。コピーガード解除の機材もいまでは昔話ですね。
基準フォーマットを葬った事、hi-fiの方式での画質悪化、初期はテープの小ささを推しとしながら本体が馬鹿でかかった、VHSに比して精密であった。
など、画質で劣り音質で劣り生産の手間で劣っては勝ち目が無い。当時は『ハイバンドのβⅡの方がVHSの標準モードよりも画質が上』とか眼の腐った
意見もあったのだが、ほぼ同じ1/2インチ幅のテープで送り速度が秒20㎜のβⅡが33.3㎜のVHS標準に勝る訳も無く、重ね書きを避ける為に空けて
置いた隙間にhi-fi音声を書き込んで、画質に影響を出した。一方VHSは深層記録方式で画像とは位相を変えてテープの深層部にFM波に変調し記録した。
6時間(のちに8時間)の記録時間はFM音質も相まって、ラジオのエアチェッカーがこぞって購入し画像の録画部の線も外して更なる音質を求めた。
当時、高音質の録音機は無くオーディオ機器として30万円の価格は破格に安かったのでマニアはもろ手で歓迎した。東芝やNECなどがこぞってVHSへ
鞍替えした。VHSは【ビクター・ホームビデオ・システム】の略である。βのHiバンドは解像度は上がったがノイズも良く見えた。後年SONYはメタル
テープのED-βで意地を見せた。対抗したVHS陣営のスーパーVHS(S-VHS)では到底かなわない画質であった。但しランニングコストは無視した場合。
私も同意見ですね!ベータは知り合いの家で東芝のビュースターの安価な機種の再生画像くらいしか観たことなかったですが、私にはベータの画質はVHSよりそりゃいいんだろうけどドングリの背比べでしか無かったと思います…あとビクターがVHSで後追いの結果などでソニーのベータを蹴落としたなどと言う者もいますが、まあ露骨に蹴落としたのはやはりナショナルになるのでは?と思います。特に私のおじいちゃんみたいにナショナル店会でしか家電買わない者もターゲットにできたでしょうし。
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確かに、ナショナルの家電製品は、他社に比べて圧倒的に故障が少ないのが強みでしたからね。
現在においても、その強みは維持されています。
ビデオデッキ自体より東芝のtvcmに出てきた世界最小のジェット機のbd5jのアクロバット飛行が カッコイイなあ! と思って見てた
昭和ではウチにビデオデッキはまだ無いのであった
東芝のビュースターでしたっけ?自分もデッキそのものより豆ヒコーキみたいな機体に釘付けでした。
学校の視聴覚室に有りましたねUマチック、カセット一つ々が雑誌サイズでやたら重かった記憶が。
けっこう長い間ソニーのベータは頑張っていた。放送局のシェアでブランドイメージが良く学校などではベータが使われていたので学校の先生はベータ選ぶことが多かった。
D−VHSを超えるものは今になっても発売されていない
始まったばかりのBSデジタル放送をそのまま録画できる唯一の手段でしたね
データ放送もそのまま残せたので当時のトリッキーな番組をちゃんと残せて面白かった!
中学の頃かなぁ
ビデオレンタルが流行しだして行きつけの丸井(地下にゲーセンがある)にもレンタル屋が出店されて、テレビとビデオデッキを買って貰ったな
今思えば結構無茶なお願いだった
その後、居間のテレビが壊れた時にドナドナされてしまったが、凄く洋画をレンタルして観たよ
VHSデッキも、βデッキもどこかに転がっているはず。
ビクターやソニーも持っていたが、三菱のデッキが好きだったので何台か持っている、はず。
三菱のデッキではHV-F11が好きでした(ちなみにVHSの頭出しの統一規格VISS/VASS搭載の第1号機です)
最初に買ったビデオデッキが、日立か東芝製だったと思うけど、70,000円位だった。
画質に満足できなくて、初めて買ったデッキはS-VHSが出てからでした。まずLDを購入。次にBS導入~WOWOWに加入。その後にS-VHSを購入。当時はBSアンテナだけで5万円もした(;ω;`*)
3:31これは何ですか
これは自動車のハブベアリングですね。VTRとは全く関係ないです。
ベータ派でした。初めて買ったビデオデッキはSONYの初代のHi-Fi機SL-HF55(定価198,000円)。
ベータはフルローディングでタイムカウンターが使えたのと、取り出し以外の反応が俊敏だったのが
導入の決め手でした。
今はベータプロHF3000(中古購入品)がオブジェとして寝室に置いてあります。
先程、電源を繋げて出画してみたところ、問題無く再生出来ました(約10年ぶり)!
SONYスゴイですね!