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仙台に住んでます。C60たまに会いに行きます。少し整備されキレイになりました。自分の生きている内に復活しないか少しは期待してます。C61との重連なんかいいですね。
ご視聴ありがとうございます!復活ですか、、私も本当に切望しておりますもし復活すれば本線上に再び弩級蒸気機関車が復活しますので是非この目で活躍を見たいと思います
C60、C62とC61に続いて私が好きな機関車です。C60のあの車体にC59譲りのデカい炭水車が似合うのはこの形式しか無いと思います。
ご視聴ありがとうございます!本当に蒸気の迫力を感じるいい釜だと私も思います。もっと世の中の皆さんに是非知ってもらいたい名機ですね、、
C59自体が東海道山陽本線を爆走するための機関車なので多少軸重を抑えた程度では地方路線に向かなかったといえます。C61はD51ボイラを転用した足回り新車なのでC57やD51と似ていて使いやすかったのだと思います。D52ボイラ転用のC62や2軸従車のD62も何気に短命でしたね。古いD50や9600や8620が末期まで活躍するというのも、、、路線規格の要因が大きいですけどね。当時の長崎本線は甲線で山越えあり(長与経由)なのでC60には最適だったかもしれません。
ご視聴ありがとうございます!当たり前のことなのかもしれませんが露骨に改造機はやはりどの機体も短命な感じですね、、性能は良い機体が多いのですがどうも時代とのズレもあったのかもしれません、、、
登録者1000人おめでとうございます!!🤗🎉
ご視聴いただきありがとうございます!ありがとうございます!!
C60は当初の計画のように「重油併燃」を行っていればパワーアップも可能だったのに惜しまれます。形式図ではテンダーに2000Lの重油タンクが置かれていましたが実現しませんでした。
なるほど、そういう理由で高性能の割には短命だったのですね
ご視聴いただきありがとうございます!性能自体は十分だったのですが投入される線区とタイミングが本当に悪かったんですよね、、
C59•60に関してはやはりメカニカルストーカー未搭載や自重の重さが響いた感じですね。シロクニと違って完全幹線特化が仇になったように思います。
17号機から18号機までの間に5年空いたのが災いした。その間にDF50が出て、C60より非力ながらも無煙化というメリットを示された。DF50以前にまとまった数が出ていれば、羽越線や函館·室蘭線等にも入っていたかも
ハドソン3形式が全揃いだった東北本線では、C62・好調なC61を優等列車、C60と不調気味のC61を普通列車に振り分けて併用する方式が取られていました。こう書くとC60が機関車として劣っているように聞こえますが、高速運転に有利なC62とC61を普通仕業から完全に切り離し、両形式を優等仕業に集中させることはロングランによる効率アップに繋がりました。つまり東北のC60は華々しい仕事を思いきってC62・C61に譲り、残された各駅停車の仕業にその高い牽引性能を活かすことで、全体の輸送力アップに貢献したわけです(普通列車では実はC61より向いていたこともありますしね)。確かに華の無い日陰者の存在だったとも言えますが、探そうと思えば幾らでも陽の部分が見つかる形式でもあります。この隠れた実力者っぷりが、玄人から隠れた人気を集めるC60の魅力では無いでしょうか。
[縁の下の力持ち]ならぬ[縁の下のハドソン]ですね。
C60もまた、大出力・高速を定められたハドソンに恥じぬ活躍を遂げた機関車でした。
カッコイイなぁ〜
C61違ってメカニカルストーカーを装備していない点、軸重軽減したのにシリンダー径の縮小をしていない事が影響したか?長編成の列車には優先的に使用されたらしいが
実はC60一度しか見て居ません。東北時代は高校生、鹿児島時代は余りに遠くて行き切れませんでした。一度見たのはなんと上野駅の地平ホ~ムでした。運用の関係で当時来ていた様です。昭和37年位でした。
全部の路線の線路を強化すべきだな。
しないと直通や車両の共通化や輸送力と速達性や選択肢が良くならない。
仙台に住んでます。
C60たまに会いに行きます。少し整備されキレイになりました。自分の生きている内に復活しないか少しは期待してます。C61との重連なんかいいですね。
ご視聴ありがとうございます!復活ですか、、私も本当に切望しておりますもし復活すれば本線上に再び弩級蒸気機関車が復活しますので是非この目で活躍を見たいと思います
C60、C62とC61に続いて私が好きな機関車です。C60のあの車体にC59譲りのデカい炭水車が似合うのはこの形式しか無いと思います。
ご視聴ありがとうございます!本当に蒸気の迫力を感じるいい釜だと私も思います。もっと世の中の皆さんに是非知ってもらいたい名機ですね、、
C59自体が東海道山陽本線を爆走するための機関車なので多少軸重を抑えた程度では地方路線に向かなかったといえます。C61はD51ボイラを転用した足回り新車なのでC57やD51と似ていて使いやすかったのだと思います。D52ボイラ転用のC62や2軸従車のD62も何気に短命でしたね。
古いD50や9600や8620が末期まで活躍するというのも、、、路線規格の要因が大きいですけどね。
当時の長崎本線は甲線で山越えあり(長与経由)なのでC60には最適だったかもしれません。
ご視聴ありがとうございます!当たり前のことなのかもしれませんが露骨に改造機はやはりどの機体も短命な感じですね、、性能は良い機体が多いのですがどうも時代とのズレもあったのかもしれません、、、
登録者1000人おめでとうございます!!🤗🎉
ご視聴いただきありがとうございます!ありがとうございます!!
C60は当初の計画のように「重油併燃」を行っていればパワーアップも可能だったのに惜しまれます。形式図では
テンダーに2000Lの重油タンクが置かれていましたが実現しませんでした。
なるほど、そういう理由で高性能の割には短命だったのですね
ご視聴いただきありがとうございます!性能自体は十分だったのですが投入される線区とタイミングが本当に悪かったんですよね、、
C59•60に関してはやはりメカニカルストーカー未搭載や自重の重さが響いた感じですね。シロクニと違って完全幹線特化が仇になったように思います。
17号機から18号機までの間に5年空いたのが災いした。その間にDF50が出て、C60より非力ながらも無煙化というメリットを示された。
DF50以前にまとまった数が出ていれば、羽越線や函館·室蘭線等にも入っていたかも
ハドソン3形式が全揃いだった東北本線では、C62・好調なC61を優等列車、C60と不調気味のC61を普通列車に振り分けて併用する方式が取られていました。
こう書くとC60が機関車として劣っているように聞こえますが、高速運転に有利なC62とC61を普通仕業から完全に切り離し、両形式を優等仕業に集中させることはロングランによる効率アップに繋がりました。つまり東北のC60は華々しい仕事を思いきってC62・C61に譲り、残された各駅停車の仕業にその高い牽引性能を活かすことで、全体の輸送力アップに貢献したわけです(普通列車では実はC61より向いていたこともありますしね)。
確かに華の無い日陰者の存在だったとも言えますが、探そうと思えば幾らでも陽の部分が見つかる形式でもあります。この隠れた実力者っぷりが、玄人から隠れた人気を集めるC60の魅力では無いでしょうか。
[縁の下の力持ち]ならぬ[縁の下のハドソン]ですね。
C60もまた、大出力・高速を定められたハドソンに恥じぬ活躍を遂げた機関車でした。
カッコイイなぁ〜
C61違ってメカニカルストーカーを装備していない点、軸重軽減したのにシリンダー径の縮小をしていない事が影響したか?長編成の列車には優先的に使用されたらしいが
実はC60一度しか見て居ません。東北時代は高校生、鹿児島時代は余りに遠くて行き切れませんでした。一度見たのはなんと上野駅の地平ホ~ムでした。運用の関係で当時来ていた様です。昭和37年位でした。
全部の路線の線路を強化すべきだな。
しないと直通や車両の共通化や輸送力と速達性や選択肢が良くならない。