【廃村探訪】(63)栃倉
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- เผยแพร่เมื่อ 2 ต.ค. 2024
- 廃村探訪シリーズ・63回目
奈良県五條市西吉野町坂巻で
栃倉集落跡を訪ねる。
栃倉(とちくら)
旧西吉野村の大字阪巻にあった集落。
現在の坂巻の集落は国道168号沿いに展開するが、
国道に並走する川を挟んだ向こうの山の中腹に
集落があったという。
かつて7,8軒。すでに100年前に無人化した集落。
果たして痕跡はあるのだろうか?
割愛版。
ノーカット版は別途アップロード。
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In Japan, there are villages no longer anyone live in.
Let's visit the villages disappear into the forest.
The 63th visiting village is Tochidani in ex-Nishiyoshino-village,
Nara-prefecture.
他の廃村探訪はこちら (other villages)
• 【奈良県】廃村探訪
うらにわ放送(廃村探訪の裏話など)(inside stories)
• 【廃村裏話】うらにわ放送
このチャンネルを観る度に思う事ではあるが、何故ここに人が住み着いたか?今回は更にその思いを強くした。
ここは本当によく住んだなーと思います。
日当たりも良くなく、斜面も急で。だからこそ早くに無人化したのでしょうが……。
お疲れ様
ホントにお疲れ様としか言いようがありません
いつも動画を拝見する度に思うのですが「何故ここに?」と
城戸から山越えをしていたのかも知れませんね
色々想像しながら拝見しています
本当に、どうしてここに集落があったんでしょうね。向かいの集落が過密になって開墾したのでしょうか? 当時の道も不明で、この集落の先にたどり着く場所があったのかどうか。
今回は川に苦戦しましたね、お疲れ様でした。
集落跡にたどり着くまでのワクワク感と、痕跡を探しあてた後の物悲しさ。
そこに暮らしがあったことに想いを馳せるってロマンですよね。
正直言って、よく平地が見つかったものだと思います。瀬戸物の欠片もあって良かったです。
山中に住みたかったという人たちがいても、不思議ではないと思えてきました🙄
「いつまで東京で消耗してるの?」ですね。
今ならネットさえあればどこでも暮らせます。
夏場(去年)の探索、ご苦労様でした
夏は川に限る!
お久しぶりです。
100年たって、お茶碗がある。暮らしがあった痕跡ですね。凄いな。
コメントありがとうございます。
お茶碗は新しすぎてちょっと怪しいですね。ここに家屋があったのは間違いないと思います。
お疲れ様です。
どうしてここに住んだのか…考えさせらます。当時は、平地ももう少しは広かっのでしょうか。
平地はもともと少なかったと思います。小さく「よくある」集落だったので、全然情報がありません。さすがに100年前となると、生まれ育った人もいませんからね~。
お疲れ様です✨
斜面で転んだら止まらなさそうですね(;´∀`)
土がずるずる滑るんですよね~。木があって良かった!
お疲れ様でした♪数少ない家となると大きな家族の様な集落だったかなぁ?それが一軒減り又一軒、最後に残った家族はどんな思いだったのだろう?そして、バラバラになってからも交流があったのかな?ふと思いました😥😥😥
最盛期7~8軒ということですが、みんな知り合いだったでしょうね。
傾斜が急すぎるので、嫌になって出てきたのかもしれません。
南朝の落人の石垣も基礎も無い、掘立て小屋程度の集落だったのか?
と思いを馳せてみた(^O^)
江戸時代末期まで人が住んでいたので、もう少しちゃんとした家屋だったと思いたいです(笑)。
今回もご無事のご帰還、何よりです。山道といい、橋無き川といい、急斜面といい…無理をなさらず安全第一でお願いします。
石垣が無いのは経済力の弱い集落だったのでしょうか?そして石垣が無ければ、百年も経つとやはり何もなくなってしまいますね。それだけに陶器の欠片は余計に切なさを感じ、諸行無常の言葉を思い出しました。
橋は5年くらい前は健在だったようなのですが、今回はなくなってしまったようです。対岸の田んぼが放棄されたためでしょう。
集落までの道もないし、きっと自然に還っているのだと思います。
石垣がないのはよくわかりませんが、見つけられなかったのか、消えてしまったのか……経済力はあってもなくても自分で積みそうな気がします(笑)
お疲れ様です。
拾われたゴミのお菓子は、昭和50年代に食べた記憶があります。カラフルでまん丸な甘いアメでした。舐めているうちに外側の色が変わりました。かつて通った人のゴミでしょうか?
情報ありがとうございます。きっとこの田んぼを管理している人の子供か孫が一緒に来ていて、捨てていかれたのでしょう。あるいは、山に入っていた人のゴミでしょうか?
以前、痕跡は少ないほうが想像がより広がるみたいなことをコメントしたような気がしますが、さすがに石垣まで無いと不安にさえなりますね。
痕跡、石垣がなくて平地だけだと、不安になります。
ここは陶器が多いので間違いないと思いますが、これで残骸がなければ信じてもらえないかもしれません。
おはようございます。探訪お疲れ様です。いつもこのようなところにいくと迷い込むことあります?異次元タイムスリップみたいな。川の浅瀬は屈折効果で浅いようで実際は深いみたいですよ。(>.
迷いますよ、迷うのはしょっちゅうです。ほんの数メートル先の道に気づかず、斜面を登ることも多いです。
浅瀬は浅く見えるんですね。ここも実際深いところは膝を越えるくらいでした。しかも水が重かったです。
初っ端の道は徒歩道だ・・と・・!?www
裸足の沢歩き・・・良き\(^o^)/
川に降りる道がないwww
裸足で川を歩くのは足を切りそうで怖いです~。
今回もお疲れさまでした。
水田を作るのも難しそうな集落。
いつも思うんですが、何を生業としていたんでしょうね。
ここは緩い斜面もほとんどなく、水田も(あるとしても)小さかったと思います。どうやって生活していたのでしょうね。焼き畑とか労務でしょうか。
石垣のない集落珍しいですね。それだけに探索のヒントが少なくて苦労されましたね。もう何もないのに地図には残っていることもあるんですね。裸足での川渡り楽しそう😊100年も経つと幻の集落になり伝説となるんでしょうか…お疲れさまでした(^-^ゞ
石垣のない集落は珍しいですね。ただこの唯一見つけた平地が当時のものかまではわからないのです。もしかしたら、のちの時代のものなのかも。ただ瀬戸物があるので、家があったのは確かでしょう。ここに茶屋もないでしょうし。
地図に集落が記入されるかどうかは、地図を作る側の心持ち一つですからね~。やはり空白の覆い山間部のほうが細かく集落が書かれますし。ここも山の中にポツンと集落ですから、書きやすかったのだと思います。
お疲れ様でした。
渡河から山、というか崖登り…。
茶碗が割れずにそのまま残っていたのはとても珍しいですね。
そのまま使えそうなくらい綺麗でした。
帰りも同じ急坂を降りて帰られたんですか?
茶碗が妙に新しいのが不自然な感じがしないでもないですが、これ以上の探索は難しそうです。肥溜めっぽい穴もあったので、間違いはないと思うのですが。
帰りは見た感じ道らしきところを降りましたが、きちんとした道ではなかったです。杉の枝の坂を滑りながら降りる感じです。
体感的にはほぼ崖登りだったでしょう、過去トップクラスにハードなルートでしたね。
しかし7,8軒の家屋があったにしては平場が少ないですね。
墓や石仏など最低限の石材加工品が無いのも不思議です。
沢もあって石の入手は楽だったでしょうに、何か石に対する忌避があった集落だったんでしょうか・・・
大変な崖でしたね。帰りは道なりっぽく下りましたが、およそわかりやすいルートはありませんでした。100年も経つと石さえも崖崩れなどで見えなくなるのかもしれません。
痕跡が磁器と肥溜めの穴だけというのが、さっぱりしていて良いですね。
100年経っても今の家だとそうはならないでしょうから。
確かに今の家ならいろいろなものが残ってわかりやすそうです。
100年以上前でなければ、タイルを貼った台所かまど一式とかお風呂のレンガボイラー(?)とかも残りますね。
ガラス瓶や瀬戸物のお茶碗が、かつての生活の一部の名残を感じさせてくれる数少ない証人(証物?)というところなんですね。
特に瀬戸物は家屋の痕跡として信憑性の高いものですね。わざわざ不法投棄するほどのものではないし、持ち運びするものでもないし。まあ茶屋や飯場という可能性はあり得ますが。
Was that river cold-sounded like it! So sad just finding the pieces of pottery showing that people once lived there...
At the end I imagineded you'd just walked away & forgot your camera!
The river was cold. And it was deeper than it looked.
Every time I shoot a video, I lose my camera:)
@@niwamaru 👍😄