「匹」と「頭」の使い分けについては調べたことがあります。 もともと「匹」は一対を表す数え方だったとか。例えば、「匹敵する」は"双方"が敵う様子を意味するようです。 それが馬の数え方として、一説によると「馬の尻が左右一対に見える」から(別説では「馬を”引く”」から)一匹二匹と使うようになったそうで、そこから広がり生き物は大小関係なく何でも「匹」で数えていたそうです。 「頭」が使われだしたのは20世紀入ってから(明治末期から大正にかわるくらい)。西洋の技術(おそらく酪農や畜産)を取り込む際に、英語の牛の数え方である"head"を直訳したのが始まりだそうです("a cup of tea"のように"forty head of cattle"と使う)。 ここからは私見ですが、以上の経緯から、「頭」は産業動物・使役動物の数え方として使われるのではないでしょうか。動画内でレトリバーが匹と頭の境界線という話が出てました。動物の大きさでいうとなるほどと共感できるのですが、同じ犬での使い分けであっても、レトリバーより小さいポインターやシェパードは、愛玩動物であれば「匹」ですが、その犬が猟犬や警察犬として活躍しているのであれば「頭」を使うと思います。ボーダー・コリーはもっと小さいですが、同じくペットであれば「匹」で、牧羊犬なら「頭」だと思います。また、絹を生産する蚕は「頭」で数えるそうですが、これも蚕がただの昆虫ではなく養蚕業を担う産業動物として扱われているからだと思います。対象の大きさによる「匹」と「頭」の使いわけは牛馬をイメージしたときのサイズ感(→自分よりデカイのは「頭」と数えてるなという感覚)から派生して生まれたような気がします。
最後にお便り「1葉」と言っていて「1通」じゃないの洒落てるなと思ったけど、よく考えると「1通」だったら媒体は郵便でもEメールでもよさそうなのに「1葉」は急に葉書に限定される感じがして面白い。
趣旨をよく理解していない外国人「でもホリモト、2足でもサンダルだゾ」
限界状態のMr.ホリモト「ホントだ!」
wwwww
すき
ほんと好き
@@rivieramente😅😅
英語のhomeとhouseも人に着目するのがhomeで、家屋に着目するのがhouseです。面白い共通点だと思います。
そうですね。
塾講師をしていて、生徒に教えるときは、その話をします。
似て非なるモノかもしれませんが、仏語だとhommeで「人」ですね。
Nomadlandという映画には、自家用車で流浪の旅をする主人公が「I'm not homeless, I'm just houseless」と言う場面があります。
@@torukayama8064 ≒1
@@jirokucom めちゃくちゃ面白い!
ドリカムの「何度でも」が好きなのですがそれも、次がないかもしれない危うさや儚さみたいなものの先に、それでも挑戦して行く感じが胸を打つのかもしれないと思いました。もちろん語感や五文字の語呂の良さもあるかもしれないけど、「何回でも」より「何度でも」の方がいいですね。
これを打ちながら気づいたのは、その先の歌詞で「10,000回ダメでへとへとになっても、10001回目は来る」は「回」なので、ゾワッとしました笑
懐かし
ありがとう
27:25
水野さんが大まかな説明の時は「まず1つは」と使っていて、「それとあともう一個は」でより具体性のあることを説明をしてるの、本当に無意識に使いわけてるのがわかるな
個人的には、大まかか具体性があるかというよりは、この後水野さんは2つ使い分けを言おうとしていて、「まず1つは」の時はどっちを先に話してもいいので抽象的なつ、「もう一個は」の時は残った方を言うことが決まっているので具体的な個を使っている感覚がしました。
@@ooYAkanata 関係ないけど、大阪人は何でも個を使う。「あのマンションは部屋が4個ある」とか「3個目の信号を右」とか。
物件の戸数の数え方も、発音は同じでも決して戸ではなく個である。
簡単な方、便利な方に言葉は変化していくということでしょうか。
「一回だけ!一回だけだから!!」←またやる
「一杯だけでいいから(居酒屋の前で)」←たくさん飲む(絶対一杯じゃない)
「今回だけだぞ」←またきいてくれる
「一生のお願い!」←また頼む
「一度きり」とかいうとガチ感出ますもんね
「一発だけ!一発だけ!」なら誤射かもしれない。
「度し難い」「度を越す」なども“度”が上限的なニュアンスを含む感じがあって考えると面白いですね
「度し難い」の「度す」は『救済する』という意味で、『救いようがない』というのがもともとの意味らしいです
16:10 ここが助数詞ーズハイさんを生み出した伝説の瞬間か...
28:50 ここに繋がってしまう・・・。
イキイキ助数詞の「葉」「折」「垂れ」「流れ」など、どれも音が美しいと感じるのは、もう文学的な場面でしか見かけないからですかね...。
助数詞使った表現なら「一陣の風」が好き
一までしか数えられないのがなんか面白い
モンハンライズで「鎌風二陣〜」って表現がありましたね。特殊。
@@アヌンナキの弟 おしゃれー
同じ風でも春一番っていう言い方があります。助数詞はつくづく奥が深いです。
一抹の不安とか
定期的に出てくる外国人人格が良い笑いのスパイス
外国人Mr.ミズノほんと好き
これからも俺たち母語話者をいじめてくれ
すぐ答えを用意できる堀元さんすげ〜
一緒に考えてたけど全然思いつかんかった
堀元さん「面白くなさそう」からの「 早く聞かせろモード」
水野さん「学習しないなあ」「いつになったら信用してもらえるんだろう」
言語学あるある?言語学ラジオあるある?堀元さんあるある?水野さんあるある?
”もう一度(一回)お願いします”
今まで「回」は「個」のように万能的で格式も低く時に幼稚な言い方に聞こえると誤解していました。何かを頼んだり教えてもらうときには「度」じゃないと稚拙だと感じていた理由がわかりました。
頼みごとに際して「回」だと「次もまた頼んじゃおう!」という依存や「一回でだめなら何回でも聞き直そう」なんて不真面目な覚悟が「次を期待している」感覚が漏れ出てしまうんでしょうね。「度」を使えば「今回(今度?)だけでいいのでどうかよろしく」とか「あと一回でいいので、これで最後にしますから」場合によっては一生のお願いぽくも聞こえてしまう。真摯な態度だけでなく切実さまでもが助数詞一つで変わるんですね。
数が多いうえにこんなに強く意味が込められているものもあると奥深いけど使いこなすの大変ですね…冠詞なんてまだ楽なほうなのかも
亀ですみません。
「今回」は今のことなのに
「今度」は少し先の未来をさしているのがなんか不思議だと感じました。
@@sumashigi 「度」について話してるのに例文が「回」では変な気がして(今度?)と書いたのですが、今度は未来っぽいですね。おっしゃる通り
でもドラマやアニメの回想や時代劇的なシーンでは現在に対して「今度」と言ってもいい気もしてきます。「今度」は古語と現代語でイメージ変わっているのか?返信いただけてまた言葉を楽しめています
今まで何の疑問も持たず助数詞を使い分けてたのヤバい
そして使い分けてるのに具体的にどう分けてるのかを説明できないのもっとヤバい
こんなにも理解してないものを使いこなせる人間ってすごいな
「助数詞おもしれ〜」って見てたら、エンディングで「一介の言語オタク」って出てきて「また新しい助数詞が出てきたぞ??🤔」ってなりました。
確かに…
一人の言語オタクよりも格調高いし
一名の言語オタクじゃしっくりこない
一介…二介、三介とは言いませんけど(変換候補の無い)
助数詞のくせに、数を数えない前提の助数詞って結構ありますよね。
「一旦落ち着こう」とか。旦って助数詞かわからんけど、一度に置き換え可能だから雰囲気なんか数えてるし、二旦以降は無さそうだし。
故事成語由来の一○は助数詞扱いされてないんじゃないですかね
一気呵成、一念発起
もっと深堀りすれば、一気と一念の一は勢いあるイメージで、一介の一は少なさ小ささを強調するようです
一挙手一投足、一攫千金
3:57
双の片割れ 隻は双の旧字体 雙を見るとなんだかしっくりくる
旧字のままで良かったんじゃないかなと思う
字統〈白川静〉より
隻は、隹(鳥)に又(手)で鳥一羽を手に持った形。
雙は、隹 隹 に又(手)で鳥二羽を手に持った形。
全くそのままです。旧字体ならば意味が分かる、良い例ですね。
それだったら、双の片割れを又にしちゃえばいいか!?笑笑
@@大谷伸昭-h1x 冗談じゃなく、「欠」と「缺」が「欠」になったように、本来別々の2字だったものが、1字になっちゃったものは幾つかあるので、その案もまったくダメではないと思う。
又眼とか又腕とか…
ダサいかと思ったけど意外とかっこいいな?
超納得
最近、本編動画以上にコメント欄が充実しすぎて、過去動画のコメント見に行く3週目に入っちゃいましたよ。
13:00 ここの話でテトリスのミノはIミノ(長いやつ)だけ本で数えてるなぁと思った
「あぁ! あと1本来てくれれば一気に消せるのにな!」←何も説明してないのにどういう盤面(?)か分かる不思議
~名様が接客用語として本来の意味からはなれて広がったのは、「予約制・会員制の店で客を名で数えていたのを真似て高級店のような接客を演出した」という経緯や影響があるのかなと思いました。
匹と頭の違いは「お互い本気で戦って勝てそうかどうか」って考えると楽しい
それ以外とあってるかもです!
ゴキブリを頭って数えるらしいので!
@@shumi-sugo蝶も頭と数えるらしい。理由は忘れた。
蛾はどう数えるんだろ。モスラとか毒有ったり強そう😊
度と回の使い分けを、理屈はわかってないけど無意識で皆やってる所めちゃくちゃ面白かったし、表現に対する自分の感じかたを考えてしまいました
テトリスのミノ(ブロック)の数え方はどうだろうか
I字ミノは1本、O字は1つ、T字は1個、S字も1つ、L字は・・・1本かなぁ?
全部、「○組」で数えてる。
数え方が違うのは嫌だ!統一してくれ‼
全部「個」でいいだろ。
私は一つ一つの形が好きなので、「一つ、二つ」と漢数字と大和言葉で数えるけど。
動画内の個と本の使い分けの話からだと思いますが、そこからテトリスを発想するのがおもしろい。私もL字とI字には「本」を使いたくなりますね。他は個かな。
単純な縦横比でいうと、T字S字L字ともに2:3なのに、L字だけ「本」を使いたくなるのはどうしてでしょうね。4つのブロックが1列につながっているように見えるからのようにも思えますが、それだとS字もそうなんですよね。不思議!
@@nicopun3748
困ったときの身体尺論!手で握って余る形状だと「本」という解釈でどうだろうか?
L字は持ち手?の部分があってはみ出るから「本」
T字やS字は掴んだ時にはみ出ないから「個」
@@gochuui1 「本」は細長いものを数えるのに使うようですが、その「細長い」と感じる部分が仰る様に、握ってみて余るように感じるからかもしれませんね。確かにS字は握れそうで、L字ははみ出しそうです。
このお二方の掛け合いの素晴らしいところは
身一つで言語の素晴らしさを伝えているところですよね〜
寄席や芝居など演芸の世界では、客の入りを、当然のことですが気にしています。
9人までは「つ離れしない」10人を超えると「つ離れした」なんて言いますね。
でもお客を「ひとりふたりさんにんよったり」とは数えても「ひとつふたつみっつよっつ」とは数えない。
新たな疑問が、、、、
「また次回」 ←次があることが決まっている
「また今度」 ←次がいつか決まっていない。
ってか、「次」「今」の違いが何でかわからん。
「今回」は現在、「今度」は未来。なんで?不思議ですね。
「この度」は現在ですね
外交で「○者会談」という時は、国とは認めていない地域の人が含まれている場合に使用すると聞いたことがあります。国と認めている時は「○国会談」と言います。
なので、「六者会談」と言うか「六か国協議」と言うかで、北朝鮮を国と認めているかどうかが分かるそうです。
「国連加盟の193の ”国と地域” 」とか、台湾やイスラエルなどが絡んでくると度々目(耳)にする表現ですよね。
国と認めている国もあればそうでない国もあるので。
国連総会は一九三者会談なのか……(飛躍)(実際はオブサーバー参加やEUなどの国際機関の参加もあるのでもっと数字は増える)
国語の教科書で、『一つの花』の「一つだけちょうだい」って言葉がすごく印象的だったのを思い出しました。
花なのに一つなのがすごく引っかかったので、もう一度読んでみましたが、「具体」のイメージが当てはまって物語に感動しました。
ありがとうございました笑
「風呂敷一つでやってきた」を「一枚でやってきた」に変えちゃうと、そいつは風呂敷以外身に纏ってない感じになりますね
確かに助数詞って大事です
一枚言われると、下はスッポンポンの変態スタイルですよね。
@busi senngoku ???「安心してください」
風呂敷の数え方として、風呂敷自体は一枚ですが、中に物を入れた状態は一枚って言わないですよね。調べてみたら「包み」を使うそうです。
逆に言うと、「風呂敷一枚」って言うと、中身がない風呂敷だけをイメージするってことなので、そこから変態スタイルを想起させるのかも。
元の話の抽象具象でいうと、「風呂敷一包みでやってきた」というとやっぱり「具体的」で、本当に風呂敷一包みしか持ってないように感じます(服は着てると思いますがw)。
一方、「風呂敷一つでやってきた」というのは、風呂敷一つ「くらいの少ない持ち物で」やってきた、という抽象化された感覚がありますね。
Mr.堀元に助数詞について聞く外国人が
みるみる日本語を上達していって最終的にネイティブレベルになりましたね!
エセ外国人「Mr.ホリモト!怒」
堀元さん「ガッカリさせてしまった」
笑った
「旒」は旗と流れを本来別々に書こうとしてたのに急いでたとかぼーっとしてたとかで合体させてしまった感がある。
麿パターンですね
風呂敷ひとつ→一包
可能性→2種類
視点→3点
熊の足跡→3か所
みんなの心→一丸となる
という漢語序数があるから個にしないだけでは?
@@takumi4803 リプライありがとうございます。
わだかまりなく議論できるのがいいところだと思うので不快でなければこのままで(笑)
私も動画の主旨に一理あるとは思っていますが、「~個」がそもそも汎用の序数詞ではない気がしています。
どちらも子供が最初に覚えるから汎用的のように見えるだけではないでしょうか。
「~個」は実在する無生物で大きくないもの(持ち運べる程度)とおもいます。
「~つ」は抽象物を含む汎用性の高いものだとおもいます。
「風呂敷ひとつ」「心をひとつに」というのはそもそも序数詞ではなく心象的表現とおもいます。
「一葉」の数え方、おそらく万葉集の「葉」も同じ用法なので古い使い方だと思うのですが、英語でも"Leaves of Grass"や"Leaves of Poetry"といった詩集があります。
「葉」を手紙などに喩える部分において同じ感性があるでは?と仮説を立てています。
大学の何かの授業で「警察犬のトイプードルは新聞で一頭と書かれていた」「狼は一匹と数える」事から役に立つ生き物は一頭、役に立たない生き物は匹と数える場合があるって考察を聞きました。
BGMのボリュームがとてもいいです
回と度の違いすら説明できないのに使い分けられるのは不思議というか奇妙というか…
助数詞には分類されないような気がするけど、「一介の言語オタク」の「一介」が気になって調べてしまった😅
取るに足らない、みたいな謙遜が込められて味わいがある。
このチャンネルにハマってしまって抜け出せません
水野さんの演じる外国人、頭の回転早すぎる
毎回水野さん字を書く時、ホワイトボードに書かずに空気中に書くのおもろい笑
この回で日本語ってわけわかんねえなと改めて感じるとともに、コンビニとかでカタコトで接客してくれる外国人の方に少しだけ優しくなれた気がする。
数取り団で好きだったのが「青春」は「一頁」。
他に物が同じなのに助数詞が変わるのが宝くじ。買ったときは「1枚」正しくは「1通」(1枚の紙に2つ分の数字が書かれた宝くじもかつてあったから)が、当たると「1本」
2:37
屏風の数え方、水野さんの言っているのは一曲(折れ曲がり2枚で一つ、単位は隻)、これを2つで一双と言います。
曲げて折り畳めるもの2つセットで二曲一双、セットになっていなければ二曲一隻(せき)になります。
水野さんの声がよい。TH-camrのなかでもトップクラス。聞いているだけで心地よいんだよな。
内容は良くても声が・・・、というTH-camrが沢山いる。ただ、髭が・・・。
私は名古屋にすんでいたので、腿のことを「ももた」と言ったり、黄色を「きいない」とか言ってましたね。
私の会社の先輩に、名古屋弁で大阪弁を圧倒してしまった、という強者がいました。でも、名古屋の人って、自分は標準語(東京弁)を話していると思っているのがほとんどなんですよね。
特殊助数詞性理論からついに一般助数詞性理論へと拡張される次回、楽しみにしております。
反応がいいから水野さんが弄りに旺盛になっている
生物学的には虫も魚も1頭・2頭と数えると聞いたときにとてつもない違和感を感じて、
「でもマグロとか王蟲くらい大きかったら1頭って数えてやっても良いな」って思ったのを思い出しました。
こんなに面白い話をタダで聞けるなんてすごい。
魚釣りの用語で10匹以上釣った事を「つぬけ」と言うのは、助数詞の「つ」で数える範囲から抜け出したから来ている。ってのを思い出した。
いつも楽しく聞いてます。
テーマリクエストなのですが、ポールオースターを取り上げて欲しいです。
「壊れた傘に名前を付ける話」や「神の言葉」の話が妙に好きです。
次回も楽しみすぎ〜!
大和言葉の11以上はたしか「十余り一つ」とか数えるんだっけ
「十」さんは「つなし」さんだし
「ありがとう 看護婦編」
@@ちゃちゃこ-y2y
wiki見て初めてしったわ
@@ハチ-v4r 様。昭和は遠くなりにけり…😜
@@ちゃちゃこ-y2y 知ってますよ!懐かしい!たしか石坂浩二が・・・。
???「真実は、いつも1個!」
『名探偵 母語話者じゃないコナン』
助数詞における『つ』は最小の値がグルーピングされたイメージでした。
これ以上小さくしない、小さくできない。複数を割り振ることはできるけど1つの状態から分けては行けない。
だから心を一つにするが成り立つし、風呂敷一つは最低限と言う意味合いが含まれる。林檎などの果物は半個が存在するから『つ』が使えない。しかし手が届かないとそれ以上分ける事ができないため林檎が1つ見えるはおかしくない。そして種子では半分になると少なくとも片方が植物としての機能がなくなるため『つ』が使えるようになる。そんな認識でした。
1つが抽象的と言う解釈があるとは目から鱗でした。
最近見つけてハマり始めたのでこれからもランダムに興味を引いたタイトルを見ていきますがぼちぼちコメント残していこうと思います
毎回面白いので、お体に気をつけて毎秒動画投稿してください
虫屋界隈では昆虫を数える時「頭」を使うことがあります。(今日は目的の虫が3頭捕れた、とか)頭という言葉はやや学術的なニュアンスも含んでいるのかな、と思いました
匹と頭の話、なんとなくですけど本気で戦って勝てそうか否かっていう分け方がしっくりきます。
鬼の数え方が改心したら変わるように、人間にとっての脅威の度合いが助数詞に表れているのではないかと思いました。
匹は抱きかかえて持ち運べるけど、頭は部位ごとに解体して運ぶ必要があるって感覚だった
豚は頭が残るから一頭、鳥は一羽、魚は一尾、人は死んで名を残すから一名、って聞いたことある
毎回毎回、新しい発見があって楽しいです。今回は、水野さんが双数形という話をされたとき、テロップに登場した「曲用」という言葉を初めて知りました。この言葉をググってみたら、「名詞、形容詞、代名詞などが語形変化すること。これに対して動詞の語形変化を活用と呼ぶ。」という解説がありました。なるほど!!と激しく納得した直後、変なことに気がつきました。国語の授業で形容詞の「シク活用」とか「ク活用」、形容動詞の「だ活用」という言い方を習いませんでしたっけ?やっぱり、形容詞、形容動詞は「活用」するのかな? --- まあ、単なるネーミングの話で、本質的じゃないですけど・・・
助数詞面白いですね。
葉や邸などで特別感を演出できるのはそのような意味があるからと言うよりも、使用頻度が稀な言い方は特別感があるような気がしました。
第3回も期待してます。
5:48 「イヤリングとかね」「うんうんうん(イヤリングってなんて数えるんだっけ?)」
アニメのガンダムでブライトに殴られたアムロの台詞(度)
「 二度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに! 」
「もうやらないからな、誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるものか!」
>「 二度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに! 」
あっ!言われるまで意識してなかったけど、これも確かにそうだ!!「アムロの顔は2度まで」ですね。
(堀元)
聞き役かつ突っ込み役のホリモトさんが頭がいいから、話が深まりますし、楽しく聞けますね。とても教養が身につくチャネルです!
一枚を「ひとひら」と読むとひらひらしてる感じがでてエモい
"回"は、ある一定の内容や対象の関連、又その関係性を主軸として、周期性や連続性がある事が前提の値
その周期性や連続性から、その関係性においての何らかの問題提起や、又その改善が為される事を含む意味合いがある
"度"は、ある一定の内容や対象の関連があってもなくても、その出来事自体をその時々で、その時点までの関係性においての単一的な事、もしくは単発的な事、その時に起きた一過性の事と捉えた値
取り戻せない事、過ぎ去る出来事として、振り返り、反省など、そこから先への課題を模索する意味合いがあり、既にそこから先への課題や、その出来事との関連と関係性が特に必要なく、その事に対する把握によって、そこから先へ特に何の変化ももたらさない事と判断している場合は、単なる想起、回想録的な意味合いがある
但し、現状、今のところにおける周期性や連続性を前提として加味した時、その先にもその出来事との関連がある可能性と、それによる問題提起、又その改善の可能性やその必要性が見込まれる場合は"回"
(より限定的で、それ以外の関連要素がない時や、その先に可能性が発生しない場合は"期")
"人"は、その時その場に居合わせた単なる頭数
"名"は、人物像や性格、それぞれの意識、それによる動作など、それぞれ何らかの特徴や目的がある事と、そこから発生する問題があり、それと関わる前提がある事、又それに基づいた尊重や配慮、課題を含む
(お一人様などの場合は、その人単体、もしくは人の基本的な在り方や有り様に対する認識に基づいて、その頭数一人の性格、意識、動作、目的、特徴、問題、関連を前提として、尊重や配慮がある事を含む)
"個"は、単にそれそのものの実質、又はその機能的な共通性に基づいて情報と認識が一致し、単に"それ"として一定範囲での機能的な枠組みがある事、又それによって単一化、もしくは単体化されている物体自体と、その機能(それに対する認識を前提とする)、機械的な処理の基準となる値
"つ"は、そこから何かの派生や関係性がある事、それ自体と、その前後にその他の内容や出来事、又はその想定があり、それに対して意識的、又は無意識的な繋がりや、感覚的、又は感情的な繋がりがある事を含む、動作や認識の起点となっている事と、その前後においての動作的な変動や、認識的な変化を前提する値
とかだと思ってました
認識は、情報と情報の関連と差異、限界と不可能、脆弱性と可能性、それらの定義と処理の集積、その分析と解析によって無意識に発生している事だと思います
その時その場にある事、素体(人の場合は肉体)、それがおかれる環境と状況に依存して、認識可能な情報、処理可能な情報は異なると同時に、その差異が関連する事で、何かしらの存在がある事と、その意味合いを発生させるだけの事で、その一時的な結果として発生するのが意識だと思います
次「回」も楽しみにしています。
同じ文字でいくつもの意味を持つ助数詞で結構困ることがある。
例えば「1分(一分)」
時間の単位なら「いっぷん」だし、
「ひとわけ」とも読めるし「武士の一分」は「いちぶん」だし、極めつけは割分厘毛の「分(ぶ)」は100分の1(1%)だけど、「五分五分」は50%を意味していて、桁さえ違ってる。日本人の私でも混乱することがあるのに外国人が理解するのは苦労するだろうなぁ!
17:18 ここすき
17:44
建物の数を数える場合は軒または棟。
例)住宅3棟が床上浸水した。
戸は、戸建ては棟数と一致するが、集合住宅の場合は部屋の数を指す。
電気の契約数(メーターの数)を数える場合にも使われる。
例)50戸が停電した。
世帯は行政が把握している戸籍の数。
例)3世帯に避難勧告が出た。
だと思います。
合ってるかな?
手紙の助数詞が「葉」だと聞いて一番最初に思い出したのが、複素解析におけるリーマン面でした。
小学生の頃、たらようという木の葉っぱに文字が書けるというので串みたいなので掻いて手紙を認めた思い出があります。担任の先生曰く葉書の語源だとか。
助数詞からの連濁、音便、アクセントなどを一度是非お願いします!
一本、二本、三本、(ポン、ホン、ボン)一杯、二杯、三杯(パイ、ハイ、バイ)など!
助数詞の話を聞いていくとタイ語もけっこうなんでこれとこれ同じに数えるの?って言葉多いです。
服と魚は同じ数え方です
船が「1隻」なのも、たしか、2隻で1組だったからだったような
私も気になって調べてみました。おそらく帆船をイメージしてると思うのですが、鳥の翼の片方だけ(隻翼)に見えるからというのが理由みたいですね。「海事資料叢書」という資料にこの説明があるそうです。
「隻」という漢字自体の語源として「鳥のつがい(一雙:そう)の片割れ」から「一対のうちの片方」という意味に派生したようです。
でも、現代の船の数え方としては大型船が「隻:せき」、帆船は「艘:そう」と数えるみたいです。語源とはズレてしまってますね。
数え方だと他にも、ボートだと「艇」と数えることもあるようです。競艇とか。でも、英語のboatは日本人のサイズ感でいうフェリーくらいまではboatと呼ぶ(それより大きいとshipと呼ぶ)そうなので、こちらもボートとboatで指してるものが違ってしまっています。「船」という漢字自体も小さいものは「舟」を使いますね。小舟とか。舟盛りもそうでしょうか。船関係はなかなかに「沼」です。
「何度も」「幾度となく」は不定の量詞をつけることで逆に終わりのないニュアンスがついてるんですかね。「奴とは数度剣を交えたことがある」だと、次があるかわからないという一期一会的なニュアンスが緊張感を出してるのかなーとか。
度で数えるものは回も使える感じがしますね。。
「2度あることは〜」「仏の顔も3度まで」も、慣用句だから違和感あるだけで「2回あることは」「3回まで」でも意味上は違和感ないですし、「その人と一回だけ食事した」も違和感ないです。
子供の頃は、芸能人が「皆様のおかげで〜」と言うのがすごく違和感でした。
大人になってから、自分は生かされている、と言う事に気づき、「皆様のおかげで」と言う概念がわかるようになりました。
「させていただく」も、「生かされています。あなたのおかげです。」と言うのを全面的に出して、相手に敬意を表しているのではないかなぁと思います。
2回という場合は1回や3回との間に差がなく、2度という場合は1度でも3度でもなく2度であることが重要な気がする。
実は日本人の数え方が本↔個となるラインに関して統計を取ったら、
切り替わるラインの中央値は大体1:2.70~1:2.73くらいの長方形になって大体1:eになる。
という嘘雑学思いついた
へー
おもしろい!
ありそう笑笑
戸と軒の違いは戸は「1世帯分の区画」で軒は「建物全体で数える」と思ってた
だから長屋は1軒だけど4戸とかあり得るみたいな
匹・頭の基準が成人男性の上背や抱えられるかで決まるなら、
100年前とかの昔と比べたら今は匹で数える範囲が増えてることになるのか
抱えられるで数えるなら、昔の人の方が鍛え方が強いので、今の方が減ってるかもしれませんよ。
頭は英語圏で放牧している家畜を数える時にheadを使っていたものの直訳が明治以降広まったものなので、100年前はほぼ使われてなかったか、今とはまったく違う感覚だったと思います。
@@francescogatti3002 「頭」が減って、「匹」が増えてる。
初めてたまたまこの動画を見たんですが、昔から国語や漢字が苦手だった僕ですが、言葉に対して魅力に感じました。わくわくを感じました。
山 「1座」が好きです。何だか格調高くて。
私も好きです!話はしないものの、人格がありそう…目上の男性感。入道雲も座ですね!
@@小西メグ さん
人格ある感じ、確かに!なるほど。
中国語でも山の量詞は「座」ですね。大きな建築物など、動かないものに使われるそうな。
神様の座す処ですね。
しかし一山と数えると実際の山じゃなく小さなものがこんもりしているイメージですね。
本は一本と数えないし、外国人目線になると不思議。
舟は一隻とかいうのは、二艘舟というものが先行してあったからでしょうね。
現在は、大型船舶は一隻、中型船舶や小型船舶や和船は一艘、スピードを競う小型船舶は一艇、というように使い分けたりしているようですね。
他にも、戦艦は一艦、帆船は一帆、漁船は一杯や一盃、などなど、使い分けたり使い分けなかったりしているようですね。
折紙に二艘船ありますねぇ。
蝶は1頭2頭ですね。
蝶は抱き抱える前に逃げられるから?
標本などになっていて市場価値のあるものは頭と数える、と聞いたことがあります。
@@大塚絵里香-w9j ほぇー 博識ネキすごい。
兎を一羽、二羽と数えるのも不思議な組み合わせですね。
@@吉田資 兎はその昔鳥しか食べられない僧?が兎を食べたかったから1羽2羽と数えて
鳥だから食べられると言ったからっていう話を聞いたことがある
ペアを表す助動詞は、売り買いするときのくくりとして生まれたんじゃないかな、等と日本の歴史を感じる素晴らしい動画でした。昔の商人たちがお洒落に見せるために、売り買いするときのセットに単位を付けたりグレードアップしてみたりしたのかな
一区切りついたところで、、、熱望!書籍化!
さつまいもは1本と言うのにメークインを1本と言わないのは縦横比が1:2になってるからか!
2:40
水野さんが言ってる折れ曲がって繋がってる屏風は一隻、それが二つ並んでると一双です
そういえば「今度」と「今回」は両方あるのに意味が全然違う
いつも寝るときに「羊が一匹、羊が二匹……」と数えてましたが、これからは1頭、2頭で数えます✨
がんばって羊を抱きかかえましょう💪
夢の中で抱きかかえられそうな羊なら、匹でもOK! (独自理論)
1匹で数えるべきか頭にすべきか悩んで、寝られなくなりそう。
私の数える羊は子羊だから1匹だな
中国語では一頭羊ではなく一只羊で、匹相当で数えます。
はぁー素敵な動画に出会ってしまった!!
次も超楽しみです!!
生物学(生態学)とかだと,蝶は「頭」で数えます。鳥は,僕は「羽(わ)」で数えるようにしているけど,「匹」という人も多いなぁ。卵のうちは「卵(らん)」または「個」で,むずかしいのは幼鳥というか,ひよこの数え方でしょうか。「つ」や「個」も,使っているかな。報告書や論文などで,面倒なとき(くだらないツッコミを避けたいとき)は「個体」とかで表現するのが無難な気がします。
普段、意識せず使ってる日本語も論理的に説明されると目から鱗ですねー!
そういえば昔、外国の方に1っぽん、2ほん、3ぼん、4ほん・・・と、濁点半濁点が付く規則性ないやんけ、なんなんだ?と聞かれて困った記憶があります。
Mr.ホリモト! ナンデデスカ?!
たまに頭が2つあるヘビがいますが、あれは2頭ですが1匹です。『頭』は英語圏の動物園で動物の数を数える専門用語が一般化したもので、実際に頭の数を数えていました
「匹」と「頭」の使い分けについては調べたことがあります。
もともと「匹」は一対を表す数え方だったとか。例えば、「匹敵する」は"双方"が敵う様子を意味するようです。
それが馬の数え方として、一説によると「馬の尻が左右一対に見える」から(別説では「馬を”引く”」から)一匹二匹と使うようになったそうで、そこから広がり生き物は大小関係なく何でも「匹」で数えていたそうです。
「頭」が使われだしたのは20世紀入ってから(明治末期から大正にかわるくらい)。西洋の技術(おそらく酪農や畜産)を取り込む際に、英語の牛の数え方である"head"を直訳したのが始まりだそうです("a cup of tea"のように"forty head of cattle"と使う)。
ここからは私見ですが、以上の経緯から、「頭」は産業動物・使役動物の数え方として使われるのではないでしょうか。動画内でレトリバーが匹と頭の境界線という話が出てました。動物の大きさでいうとなるほどと共感できるのですが、同じ犬での使い分けであっても、レトリバーより小さいポインターやシェパードは、愛玩動物であれば「匹」ですが、その犬が猟犬や警察犬として活躍しているのであれば「頭」を使うと思います。ボーダー・コリーはもっと小さいですが、同じくペットであれば「匹」で、牧羊犬なら「頭」だと思います。また、絹を生産する蚕は「頭」で数えるそうですが、これも蚕がただの昆虫ではなく養蚕業を担う産業動物として扱われているからだと思います。対象の大きさによる「匹」と「頭」の使いわけは牛馬をイメージしたときのサイズ感(→自分よりデカイのは「頭」と数えてるなという感覚)から派生して生まれたような気がします。
いきいき助動詞のくだりで、同じ図面に違う名前をつけると高そうに見えたり安そうに見えたりする話を思い出した。
スピンドル>シャフト>軸>丸棒 みたいに
今更見つけたけど、このチャンネル面白い笑
登録させてもらいました!
度は次に期待なし、回は次に期待ありの割には、「今度」は次をさして「今回」は現在をさすの不思議だな?
「今度」も現在を指す場合もあるけれど・・・
助数詞の使い方ではないから意味が変質しているだけかな?