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亡くなった父方の祖母が小俣集落の出身です。自分のルーツがここにあるかと思うと感慨深かったです。祖母の弟夫婦も夫婦共に小俣の出身で、奥さんは100歳を超えていますが、ご存命だそうです。祖母の生家も動画の中に出ていたようで、懐かしい気持ちになったと父が話していました。小俣集落はいずれ、その存在自体が消滅していく運命な気がします。その前にこうして見られたことに感謝します。ありがとうございました。
いつもありがとうございます危険な、道のりを歩いていただき、貴重な映像をありがとうございます❤😊
小俣を見るのも10年振りぐらいですのでありがとうございます。林道から小俣への道は見える所より少し進んだ所で道自体が崩落していて崖のようになっています。当初は迂回の道も無かったので上の広場より崩壊地を避けるように無理矢理下りましたがそのうちに映っていた道ができました。トイレや東屋のある広場は元々は営林か林道工事の広場だったようですが岩岳の赤ヤシオが有名となり春に登山客が大挙して押し寄せるようになり駐車場になったようです。はっきりとは思いたい出せないけど20年ぐらい前まではここまで車が入れました。赤ヤシオのゴールデンウィークの頃は物凄い登山客の車と何と登山ツアーの観光バスまで入って早朝から駐車場は満杯、林道の路肩にはズラッと駐車される状態で向きは変えれない大型車は塞がれて立ち往生など大渋滞、毎年ニュースになるような状態でした。そんなことと夏の富士山のような呆れた登山客の遭難騒ぎやオーバーユースからの自然保護などで今の場所にゲートを付け車両侵入禁止になったようです。小俣に進み最初の難所は以前からあんな状態でしたが次の崩壊地は10年前にはありませんでした。見ると崩れが新しそうなので今年9月の大雨で崩れたかもしれませんね。ワア!懐かしいあの錆びたパワーショベル、初めて訪れた25年前ぐらいからあったかな?土砂で半壊している家は最後まで人がいた藤原さんの家で初めて訪れた時は家の前の畑でおばあさんが畑仕事をしていました。もうその頃は土日だけ気田の息子さんの家から送り迎えで通っているとのことでした。それから何回かお会いしお茶やお菓子を頂きながら昔の小俣のことを伺いました。ちなみに気田の家と京丸宗家の藤原さんの家は近所だと言うことでした。小俣集落は藤原さんの家から山側の土砂で覆われた辺りに家が点在していたようで以前から廃屋は映っていた家だけで他は石垣の家の跡がその辺り点在していました。ですのでこの土砂崩れが住人のいた昔に起きていたら集落の大部分を巻き込んだ大災害になっていたでしょうね。分校は訪れた最初の頃は遊具も残っていました。ここでは3年生までと言うのは藤原のおばあさんから聞いた話ですが(和田のおばちゃんも話していたかな)京丸の子は気田の学校に親元を離れて行っていたとも聞きました。たぶん当初は此処に通っていたかも知れませんが余りにも通学路が過酷のため途中で変わったのかもしれませんね。それから神社は分校の奥にありましたが10年前には跡形もなく土砂で倒壊していました。
😃
コメントありがとうございます!前回に引き続き貴重なお話ありがとうございます。この場所もかつて賑わった時代があったと思うと感慨深いですね。
ここについて詳しいんですね、登山で来られていたのでしょうか、それとも小俣になんらかの関係でも、いずれにしても興味深く読ませてもらいました、ありがとうございました、また、相変わらずhistoricaさんのお二人もよく調べられていて動画楽しませてもらいました。森にも顔がある、錆れたブルドーザーにもドラマなんてお二人が詩人だったのも。
貴重なコメント有難うございます
春野町の京丸は静岡県内では昔から知名度のある場所でした。もはや住み続けることができなくなったのは理解できます。こうして廃村を訪れた記録が残るのは価値あることです。皆さん、お疲れさまでした。
冬の間は、寺社のご年配の住職、神主、酒屋はもやし屋の店主とか、田舎町の古い歴史を知っている人に話を聞いて、町をぶらつくとかするだけでも面白い気がしますね。現地の人と会話できる回は神回になりやすい印象あるし。ブナやシイみたいな日本古来の木でなくて、杉が林立していると木自体がまっすぐだから、土砂災害が起こりやすくなる。というのは本当なんですね。照葉樹林文化論とか懐かしい。
現在から過去を想像する動画ですが、もし、50年後にこの動画が残っていたら、かなり貴重な記録になりますね。私は骨になってますが。この動画が、残っていると希望をふくめて、この土地の未来はどうなっているのでしょう。時空を旅する範囲を妄想で想像します。五十年後はお二人も長老ですね。素敵な語り部になっておられることでしょう。。
コメントありがとうございます!未来の世代が我々の動画を目にして過去を知る機会になればこれほど喜ばしいこともありませんね。
ここで撮った映像を、あの石切集落のおばあさんに見せたらどういう反応を示すのだろう?いい動画をありがとう。
配信、お疲れ様です。小俣集落の橋までの道は、あれ全部が迂回路だったのですね。崩落に次ぐ崩落で直通の道が無くなり、登山道を行くしかない壮絶さ。あれだけ崩落していて、学校跡や何軒かの民家が、朽ちたり土砂に埋まったりしながら、建物として存在していたのには感動でした。衛星放送受信のアンテナがある時代にも誰かは居たようだし。また家々に残る石垣の見事さに、集落の方々の確かな営みを感じました。いつかはもう跡形もなく埋まってしまう、その前の貴重な記録になりましたね。石切集落のおばあさんのルーツの1つ。感慨深いものがあります。帰りの道は割愛されてましたけど、😅登り道の過酷さがオカヤスさんの表情に。これからもご安全に。
いつもありがとうございます!この村にも石切の住人のルーツがあると思うと本当に感慨深いですね。帰りは2人とも無心で登ってました笑
今回の動画も大変興味深かったです。家屋が残っているとこの場所に本当に人が住まれていたんだなと思うと同時にこの集落の歴史をこの動画で学ばせてもらいました。とにかく山深い集落にも学校がある事が教育の大切さを義務化した歴史が偲ばれます。土砂崩れからみて厳しいと思いますが後世に残しておくべき集落だと思いました。
2人の掛け合いが、いいすねえ。いつも見てますよ。ずっと変わらないでね🌟
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます!
興味深い場所ですね。名古屋人にしか発見しない名古屋弁に和みました。
安藤様、岡安様、いつも大変面白く、興味深い動画をありがとうございます。崩落地にすこし興味がある者ですが、険しい日本の国土に住むことの大変さと先人のご苦労が偲ばれます。石切集落のあの3人のお母さま方にもぜひ見て戴きたいですね。(追記)×崩落地 ○崩壊地 ですね。こういうところ、間違えちゃイカン。
コメントありがとうございます!石切の住人の方々には名刺もお渡ししたので見て頂けると嬉しいですね。
お疲れ様でした。困難な道中を大変でしたね。山中に現在と違って不便な日常を、どのように生活してたのでしょうね。思い巡らすのも、楽しいです。お2人の会話もとても楽しい。これからも楽しい動画、楽しみに待ってます😊
常に聞こえる鈴の音は熊鈴の音でしょうか?山歩きの大変さと危険な難所、事故にあっても連絡するための電波は届かない、いくつものリスクの他にも僕が知らない大変さがあるものと思います。それなのに素晴らしい動画を作って頂き、配信していただきありがとうございます。
学校がとっても素敵です。いいな、、実際に行ったらきっと4時間ぐらいは見ていられる。
今日も お疲れ様でした🙇こういう 動画を見ると こんな山中に 良く住んで居ましたね。帰る故郷が普通に有るって言うのは、幸せな 事ですね、あの地滑りはびっくりしました😥現場に いらっしゃったお二人も 怖かったんじゃ無いでしようか‼️そう言いながら また 次回を楽しみにしてます。🙇(笑)
コメントありがとうございます!今回の場所は少し危険を感じましたね。。。
お疲れ様でした。何百年続いた集落がここ数十年の雨で土砂崩れを起こすって事は、雨の降り方が過去とは違うようになってきてるんですね。私が住んでいた紀伊半島も雨に強い地域やったのに、最近は頻繁に土砂崩れの話を聞くようになってきました。
コメントありがとうございます!明らかに近年は大雨が頻発していますね。
広葉樹林を切ってスギやヒノキにしたからですよ さし木のポット苗を過密に植えているので根が張りません ドングリや栗が落ちたまま芽を出すと根が長くなり、土壌の支えになります
待っていた番組です。嬉しい😃
一緒に行きたい。
貴重な動画をありがとうございます。土砂の中の小学校、この山道を通っていた児童がいたのですね。考え深いです。
一連の全部視たけど、素晴らしかった。 Good Job!!!
お疲れ様です❤良い感じの解説ありがとうございます❤
南河内のおばちゃんです。こうした登り道を数km歩くなら断然 なんば歩き をおすすめします(*^^*)
小俣集落の現在、とても興味深く視聴させて頂きました。やはり状態は京丸より悪いですね。手入れされなくなって結構時が経っているように見えました。昔は石切集落からも道が繋がっていたようですが、こちらは跡形も無さそうですね。やはり小俣集落への道はかなり険しいものですね。国土地理院地図には小俣と京丸を結ぶ歩道の記載もありますが丁度土砂崩れの場所を通っているのでこちらも残っていないのでしょう。
百名山の深田久弥が通った道ですね。昔あの古道は歩けるか調べたことがあります。石切から小俣の道は、初めて通った25年程前には荒れながらも辿ることができましたが最後に歩いた10年程前には道に灌木も茂りかなり荒れた状態となっていました。特に小俣より1㌔程進んだ所の沢は以前より危なっかしい所でしたが2007年の台風で大きく削られ対岸が崖状態となり通行不能、高巻きをして通過しましたが足場の悪い急斜面を下って道に復帰するため危険です。正直元の道を知っていなければ迷う可能性大です。小俣から京丸峠の道は、集落上部に道らしき跡は確認できたのですが急斜面のトラバース道で土砂が被さり道の確認どころか先に進めなかったです。藤原さんの息子さんにも確認し入口は合っていましたがだいぶ前より通れ無いようでした。まあ、入口あたりは2007年で崩壊してしまったので道消失です。京丸から京丸峠の道は、20年程前に使って岩岳・竜場ケ岳に上りました。当時は林道から注意して見ると入口のテープがありました。林道から京丸の道は消失していましたが林道から京丸峠手前まではススキが煩かったですが分かる道でした。京丸川には朽ちかけた橋がありましたが翌年ぐらいに営林署で付け替えが行われたと聞きました。この道を通ったのはこの一回だけですが営林で歩かれているようなので山慣れた人なら今でも歩けるかもしれません。ただ標高950㍍越えた辺り、当時は植林の幼木の林に入る所で消えます。その時は直登して1021㍍標高点の所に出ましたが京丸峠はそこを下った990㍍辺りが京丸峠で地形図とは違います。翌年ぐらいに和田の親父さんから聞いた石切から岩岳山への縦走をした時確認しましたがそこに京丸峠の木のプレートと道がありました。京丸側への道は直ぐに幼木林に入り消滅、小俣側はしばらくは追って行けたが不明瞭となり追えなくなりました。この峠はその後何度も通りましたが最後の10年程前には道も不明瞭となり(知っていないと分からないかも)プレートも朽ち果て無くなっています。
小俣への道の詳細説明ありがとうございます。小俣へは杉峰集落から行くしかなさそうですね。他の経路は私のスキルでは無理と判断しました。
よく、しらべて、くださって、ありがとうございました。
いつも貴重な動画ありがとうございます。場所にもよりますが杉の木は根がはらないので大雨や台風で地盤が弱くなると簡単に抜け落ちて土砂崩れしてしまいます。昔の人は知らなかったのかな・・・
コメントありがとうございます!恐らく植林によって杉が増えたと思うのでその結果でしょうね・・・。
僕も数年前に小俣・京丸に興味を持ち、ここらへんを探索したことがありますので、懐かしく感じました。一度、石切 -> 小俣 -> 京丸と昔の人が歩いたであろう道を辿ってみたのですが、京丸峠のあたりで京丸側へ降りる道がどうしてもわからずギブアップしました。石切から小俣への道はほぼほぼ廃道状態だったので今はもう通れないかもしれません。小俣から京丸峠へも例のがけ崩れがあるので、むりやり山を直登するような感じになります。こちらの動画で昔の小学生が京丸から小俣に通っていた、というアナウンスがありましたが、それは衝撃ですね。。毎日山一つこえて通っていたということですからね。。
historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは~崩落によって途中からとんでもない危険すぎる道を行かれたんですね。崩落によって土砂に埋もれた家を見ると悲しくなります。土砂崩れは離村されたあとで住民の方が被害にあわれずにすんだことは不幸中の幸いだったのかも・・・帰りは登りで辛かったことでしょう。お疲れ様でした。
コメントありがとうございます!今回は少々過酷でしたが無事辿り着けて良かったです。
historicaのオカヤスさんアンドウさんこんばんは~書き忘れてたことがありました。久々にアンドウさんのお顔拝見でき嬉しかったです。
今回も興味深い動画をありがとうございました何百年も前から定住者がいるということは、その昔はこれほど地盤は緩くなかったということでしょうかね...石垣も結構残ってますし広葉樹林・自然林を伐採し、杉や桧などの針葉樹を植えたために土壌保全能力が落ちて地盤が弱まり、さらに手入れされなくなって苗が間引きされず育成不足になると、土壌が貧弱化するようです近年の温暖化による大雨も一要因ですね通常、土砂崩れは土や岩が流出すると思うので、土砂にある細かい石は、まるで川砂のような...道路建設・埋め立てのために使っていたのかも知れませんねあのような細かい砂利が、何百年も山の形を維持していたとは思えませんし...
コメントありがとうございます!おっしゃる通り、土地を離れる際に畑地に杉やヒノキを植林していくのでそれが原因で地盤が脆くなったのかもしれませんね・・・林業が衰退してからは管理もされてなかったでしょう。
恐そうな場所もありましたが、安全に帰還できて良かったです。冬で山に入れないときは、消えゆく昭和な街景色なども面白いかなと思います。
コメントありがとうございます!レトロな街の様子も面白そうですね。どんな歴史があるのかも興味深いです。
🎉待って居ました。
❄冬のヒストリカの活動とは・・?🤔雪道となると機動力不足は否めな~い๑そこで、クルマはやはり軽四駆(ジムニーとか)推奨、カメラは、ドローンを活用すれば視点が拡が~る!でも、お金もかか~るというね๑名作「元盛松」みたく、未発見が多い「海辺り廃村」がとても興味ありますね。
コメントありがとうございます!実は元盛松の周辺にもう1か所廃村があるのでそのうち行くと思います。
全然日が当たらない山みたいだから、木が細くて根を張って無いんでしょうね。ちゃんと間引いて日光が当たる様にすれば、しっかり根を張ってくれるので、ある程度しっかりした斜面になるんだろうけど。崩れたところの土が石ころばっかりなので、もともと崩れやすいのだろうけど、、、。
コメントありがとうございます!明らかに周辺の木々は根が細かったので全体的に土壌が脆いんでしょうね・・・
休憩した所は「岩岳山ヤシオの里」。グーグルマップにストリートビューが投稿されています。
シカが下草や低木を食べてしまって、土壌の保水力が無くなることが近年多発する崩落や水害の原因の一つです。
植林の仕方が容赦ないですね。廃村になったら間もなく村を埋めるように植林してその後に土砂崩れという順番でしょうか?
探索お疲れ様でした。危険な場所を通る際は是非、手袋をして通った方が良いと思います。今回怪我されませんでしたか?
面白い動画だといつも思っているんですけれど、もしクマが出たら…といつも思いますお気を付けください
藤原家スゴい家系なんですね。平家の残党もそうですが山深く息を潜めるように住んでいたような気がします。異様な太鼓や念仏を唱える翁の衣装など興味津々ですが、今となっては何もわからなくなりましたね。残念です。柳田國男さんはスゴい方なんだと実感しました。お疲れさまでした(^-^ゞ
コメントありがとうございます!できれば小俣出身の方とも出会えれば良かったのですが・・・お話を聞いてみたかったです。
過酷な撮影、ご苦労様でした。
寒い冬の期間は春からの構想を練りましょう。スマホで気軽に近所の散策でもいいですね。
コメントありがとうございます!たまにはそういったのんびりした内容も面白いかもしれませんね。
土砂がドシャッ!と崩れてきたってか。
植林してるね
ショウユ坪シャツ、売ってるの???
信仰する人がいなくなって神様のちからも弱まり土砂崩れが起こったのかなとか想像してしまう。
山登りだからもう少し重装備の方がよろしいかと。
ぼくのオマタも埋まりそうです
動画の内容は面白いんだけど、鈴の音がうるさすぎてストレスがたまるし見る気がなくなる。再生数がこれ以上伸びないのはそのせいだと思う。
熊よけかと思ってました。
クマ避けですよ。
クマ避けの鈴にストレス溜まるとかどんだけ心狭いの
とても良かったです
亡くなった父方の祖母が小俣集落の出身です。
自分のルーツがここにあるかと思うと感慨深かったです。
祖母の弟夫婦も夫婦共に小俣の出身で、奥さんは100歳を超えていますが、ご存命だそうです。
祖母の生家も動画の中に出ていたようで、懐かしい気持ちになったと父が話していました。
小俣集落はいずれ、その存在自体が消滅していく運命な気がします。
その前にこうして見られたことに感謝します。
ありがとうございました。
いつもありがとうございます危険な、道のりを歩いていただき、貴重な映像をありがとうございます❤😊
小俣を見るのも10年振りぐらいですのでありがとうございます。
林道から小俣への道は見える所より少し進んだ所で道自体が崩落していて崖のようになっています。当初は迂回の道も無かったので上の広場より崩壊地を避けるように無理矢理下りましたがそのうちに映っていた道ができました。
トイレや東屋のある広場は元々は営林か林道工事の広場だったようですが岩岳の赤ヤシオが有名となり春に登山客が大挙して押し寄せるようになり駐車場になったようです。はっきりとは思いたい出せないけど20年ぐらい前まではここまで車が入れました。赤ヤシオのゴールデンウィークの頃は物凄い登山客の車と何と登山ツアーの観光バスまで入って早朝から駐車場は満杯、林道の路肩にはズラッと駐車される状態で向きは変えれない大型車は塞がれて立ち往生など大渋滞、毎年ニュースになるような状態でした。そんなことと夏の富士山のような呆れた登山客の遭難騒ぎやオーバーユースからの自然保護などで今の場所にゲートを付け車両侵入禁止になったようです。
小俣に進み最初の難所は以前からあんな状態でしたが次の崩壊地は10年前にはありませんでした。見ると崩れが新しそうなので今年9月の大雨で崩れたかもしれませんね。
ワア!懐かしいあの錆びたパワーショベル、初めて訪れた25年前ぐらいからあったかな?
土砂で半壊している家は最後まで人がいた藤原さんの家で初めて訪れた時は家の前の畑でおばあさんが畑仕事をしていました。もうその頃は土日だけ気田の息子さんの家から送り迎えで通っているとのことでした。それから何回かお会いしお茶やお菓子を頂きながら昔の小俣のことを伺いました。ちなみに気田の家と京丸宗家の藤原さんの家は近所だと言うことでした。
小俣集落は藤原さんの家から山側の土砂で覆われた辺りに家が点在していたようで以前から廃屋は映っていた家だけで他は石垣の家の跡がその辺り点在していました。ですのでこの土砂崩れが住人のいた昔に起きていたら集落の大部分を巻き込んだ大災害になっていたでしょうね。
分校は訪れた最初の頃は遊具も残っていました。ここでは3年生までと言うのは藤原のおばあさんから聞いた話ですが(和田のおばちゃんも話していたかな)京丸の子は気田の学校に親元を離れて行っていたとも聞きました。たぶん当初は此処に通っていたかも知れませんが余りにも通学路が過酷のため途中で変わったのかもしれませんね。
それから神社は分校の奥にありましたが10年前には跡形もなく土砂で倒壊していました。
😃
コメントありがとうございます!
前回に引き続き貴重なお話ありがとうございます。
この場所もかつて賑わった時代があったと思うと感慨深いですね。
ここについて詳しいんですね、登山で来られていたのでしょうか、それとも小俣になんらかの関係でも、いずれにしても興味深く読ませてもらいました、ありがとうございました、また、相変わらずhistoricaさんのお二人もよく調べられていて動画楽しませてもらいました。森にも顔がある、錆れたブルドーザーにもドラマなんてお二人が詩人だったのも。
貴重なコメント有難うございます
春野町の京丸は静岡県内では昔から知名度のある場所でした。
もはや住み続けることができなくなったのは理解できます。こうして廃村を訪れた記録が残るのは価値あることです。
皆さん、お疲れさまでした。
冬の間は、寺社のご年配の住職、神主、酒屋はもやし屋の店主とか、田舎町の古い歴史を知っている人に話を聞いて、町をぶらつくとかするだけでも面白い気がしますね。現地の人と会話できる回は神回になりやすい印象あるし。
ブナやシイみたいな日本古来の木でなくて、杉が林立していると木自体がまっすぐだから、土砂災害が起こりやすくなる。というのは本当なんですね。照葉樹林文化論とか懐かしい。
現在から過去を想像する動画ですが、もし、50年後にこの動画が残っていたら、かなり貴重な記録になりますね。私は骨になってますが。この動画が、残っていると希望をふくめて、この土地の未来はどうなっているのでしょう。時空を旅する範囲を妄想で想像します。五十年後はお二人も長老ですね。素敵な語り部になっておられることでしょう。。
コメントありがとうございます!
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ここで撮った映像を、あの石切集落のおばあさんに見せたらどういう反応を示すのだろう?
いい動画をありがとう。
配信、お疲れ様です。
小俣集落の橋までの道は、あれ全部が迂回路だったのですね。崩落に次ぐ崩落で直通の道が無くなり、登山道を行くしかない壮絶さ。
あれだけ崩落していて、学校跡や何軒かの民家が、朽ちたり土砂に埋まったりしながら、建物として存在していたのには感動でした。衛星放送受信のアンテナがある時代にも誰かは居たようだし。
また家々に残る石垣の見事さに、集落の方々の確かな営みを感じました。
いつかはもう跡形もなく埋まってしまう、その前の貴重な記録になりましたね。
石切集落のおばあさんのルーツの1つ。感慨深いものがあります。
帰りの道は割愛されてましたけど、😅登り道の過酷さがオカヤスさんの表情に。
これからもご安全に。
いつもありがとうございます!
この村にも石切の住人のルーツがあると思うと本当に感慨深いですね。
帰りは2人とも無心で登ってました笑
今回の動画も大変興味深かったです。家屋が残っているとこの場所に本当に人が住まれていたんだなと思うと同時にこの集落の歴史をこの動画で学ばせてもらいました。とにかく山深い集落にも学校がある事が教育の大切さを義務化した歴史が偲ばれます。土砂崩れからみて厳しいと思いますが後世に残しておくべき集落だと思いました。
2人の掛け合いが、いいすねえ。いつも見てますよ。ずっと変わらないでね🌟
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます!
興味深い場所ですね。名古屋人にしか発見しない名古屋弁に和みました。
安藤様、岡安様、いつも大変面白く、興味深い動画をありがとうございます。
崩落地にすこし興味がある者ですが、険しい日本の国土に住むことの大変さと先人のご苦労が偲ばれます。
石切集落のあの3人のお母さま方にもぜひ見て戴きたいですね。
(追記)×崩落地 ○崩壊地 ですね。こういうところ、間違えちゃイカン。
コメントありがとうございます!
石切の住人の方々には名刺もお渡ししたので見て頂けると嬉しいですね。
お疲れ様でした。困難な道中を大変でしたね。山中に
現在と違って不便な日常を、どのように生活してたのでしょうね。
思い巡らすのも、楽しいです。お2人の会話もとても楽しい。これからも
楽しい動画、楽しみに待ってます😊
常に聞こえる鈴の音は熊鈴の音でしょうか?
山歩きの大変さと危険な難所、事故にあっても連絡するための電波は届かない、いくつものリスクの他にも僕が知らない大変さがあるものと思います。
それなのに素晴らしい動画を作って頂き、配信していただきありがとうございます。
学校がとっても素敵です。
いいな、、実際に行ったらきっと4時間ぐらいは見ていられる。
今日も お疲れ様でした🙇
こういう 動画を見ると こんな山中に 良く住んで居ましたね。帰る故郷が普通に有るって言うのは、幸せな 事ですね、あの地滑りはびっくりしました😥
現場に いらっしゃった
お二人も 怖かったんじゃ無いでしようか‼️
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コメントありがとうございます!
今回の場所は少し危険を感じましたね。。。
お疲れ様でした。何百年続いた集落がここ数十年の雨で土砂崩れを起こすって事は、雨の降り方が過去とは違うようになってきてるんですね。
私が住んでいた紀伊半島も雨に強い地域やったのに、最近は頻繁に土砂崩れの話を聞くようになってきました。
コメントありがとうございます!
明らかに近年は大雨が頻発していますね。
広葉樹林を切ってスギやヒノキにしたからですよ さし木のポット苗を過密に植えているので根が張りません ドングリや栗が落ちたまま芽を出すと根が長くなり、土壌の支えになります
待っていた番組です。嬉しい😃
一緒に行きたい。
貴重な動画をありがとうございます。
土砂の中の小学校、この山道を通っていた児童がいたのですね。
考え深いです。
一連の全部視たけど、素晴らしかった。 Good Job!!!
お疲れ様です❤良い感じの解説ありがとうございます❤
南河内のおばちゃんです。こうした登り道を数km歩くなら断然 なんば歩き をおすすめします(*^^*)
小俣集落の現在、とても興味深く視聴させて頂きました。やはり状態は京丸より悪いですね。手入れされなくなって結構時が経っているように見えました。昔は石切集落からも道が繋がっていたようですが、こちらは跡形も無さそうですね。やはり小俣集落への道はかなり険しいものですね。国土地理院地図には小俣と京丸を結ぶ歩道の記載もありますが丁度土砂崩れの場所を通っているのでこちらも残っていないのでしょう。
百名山の深田久弥が通った道ですね。昔あの古道は歩けるか調べたことがあります。
石切から小俣の道は、初めて通った25年程前には荒れながらも辿ることができましたが最後に歩いた10年程前には道に灌木も茂りかなり荒れた状態となっていました。特に小俣より1㌔程進んだ所の沢は以前より危なっかしい所でしたが2007年の台風で大きく削られ対岸が崖状態となり通行不能、高巻きをして通過しましたが足場の悪い急斜面を下って道に復帰するため危険です。正直元の道を知っていなければ迷う可能性大です。
小俣から京丸峠の道は、集落上部に道らしき跡は確認できたのですが急斜面のトラバース道で土砂が被さり道の確認どころか先に進めなかったです。藤原さんの息子さんにも確認し入口は合っていましたがだいぶ前より通れ無いようでした。まあ、入口あたりは2007年で崩壊してしまったので道消失です。
京丸から京丸峠の道は、20年程前に使って岩岳・竜場ケ岳に上りました。当時は林道から注意して見ると入口のテープがありました。林道から京丸の道は消失していましたが林道から京丸峠手前まではススキが煩かったですが分かる道でした。京丸川には朽ちかけた橋がありましたが翌年ぐらいに営林署で付け替えが行われたと聞きました。この道を通ったのはこの一回だけですが営林で歩かれているようなので山慣れた人なら今でも歩けるかもしれません。ただ標高950㍍越えた辺り、当時は植林の幼木の林に入る所で消えます。その時は直登して1021㍍標高点の所に出ましたが京丸峠はそこを下った990㍍辺りが京丸峠で地形図とは違います。翌年ぐらいに和田の親父さんから聞いた石切から岩岳山への縦走をした時確認しましたがそこに京丸峠の木のプレートと道がありました。京丸側への道は直ぐに幼木林に入り消滅、小俣側はしばらくは追って行けたが不明瞭となり追えなくなりました。この峠はその後何度も通りましたが最後の10年程前には道も不明瞭となり(知っていないと分からないかも)プレートも朽ち果て無くなっています。
小俣への道の詳細説明ありがとうございます。小俣へは杉峰集落から行くしかなさそうですね。他の経路は私のスキルでは無理と判断しました。
よく、しらべて、くださって、ありがとうございました。
いつも貴重な動画ありがとうございます。
場所にもよりますが杉の木は根がはらないので大雨や台風で地盤が弱くなると簡単に抜け落ちて土砂崩れしてしまいます。昔の人は知らなかったのかな・・・
コメントありがとうございます!
恐らく植林によって杉が増えたと思うのでその結果でしょうね・・・。
僕も数年前に小俣・京丸に興味を持ち、ここらへんを探索したことがありますので、懐かしく感じました。一度、石切 -> 小俣 -> 京丸と昔の人が歩いたであろう道を辿ってみたのですが、京丸峠のあたりで京丸側へ降りる道がどうしてもわからずギブアップしました。石切から小俣への道はほぼほぼ廃道状態だったので今はもう通れないかもしれません。小俣から京丸峠へも例のがけ崩れがあるので、むりやり山を直登するような感じになります。こちらの動画で昔の小学生が京丸から小俣に通っていた、というアナウンスがありましたが、それは衝撃ですね。。毎日山一つこえて通っていたということですからね。。
historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは~
崩落によって途中からとんでもない危険すぎる道を行かれたんですね。
崩落によって土砂に埋もれた家を見ると悲しくなります。
土砂崩れは離村されたあとで住民の方が被害にあわれずにすんだことは不幸中の幸いだったのかも・・・
帰りは登りで辛かったことでしょう。お疲れ様でした。
コメントありがとうございます!
今回は少々過酷でしたが無事辿り着けて良かったです。
historicaのオカヤスさんアンドウさんこんばんは~
書き忘れてたことがありました。
久々にアンドウさんのお顔拝見でき嬉しかったです。
今回も興味深い動画をありがとうございました
何百年も前から定住者がいるということは、その昔はこれほど地盤は緩くなかったということでしょうかね...石垣も結構残ってますし
広葉樹林・自然林を伐採し、杉や桧などの針葉樹を植えたために土壌保全能力が落ちて地盤が弱まり、
さらに手入れされなくなって苗が間引きされず育成不足になると、土壌が貧弱化するようです
近年の温暖化による大雨も一要因ですね
通常、土砂崩れは土や岩が流出すると思うので、
土砂にある細かい石は、まるで川砂のような...道路建設・埋め立てのために使っていたのかも知れませんね
あのような細かい砂利が、何百年も山の形を維持していたとは思えませんし...
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、土地を離れる際に畑地に杉やヒノキを植林していくのでそれが原因で地盤が脆くなったのかもしれませんね・・・
林業が衰退してからは管理もされてなかったでしょう。
恐そうな場所もありましたが、安全に帰還できて良かったです。
冬で山に入れないときは、消えゆく昭和な街景色なども面白いかなと思います。
コメントありがとうございます!
レトロな街の様子も面白そうですね。どんな歴史があるのかも興味深いです。
🎉待って居ました。
❄冬のヒストリカの活動とは・・?
🤔雪道となると機動力不足は否めな~い๑そこで、クルマはやはり軽四駆(ジムニーとか)推奨、カメラは、ドローンを活用すれば視点が拡が~る!でも、お金もかか~るというね๑
名作「元盛松」みたく、未発見が多い「海辺り廃村」がとても興味ありますね。
コメントありがとうございます!
実は元盛松の周辺にもう1か所廃村があるのでそのうち行くと思います。
全然日が当たらない山みたいだから、木が細くて根を張って無いんでしょうね。ちゃんと間引いて日光が当たる様にすれば、しっかり根を張ってくれるので、ある程度しっかりした斜面になるんだろうけど。
崩れたところの土が石ころばっかりなので、もともと崩れやすいのだろうけど、、、。
コメントありがとうございます!
明らかに周辺の木々は根が細かったので全体的に土壌が脆いんでしょうね・・・
休憩した所は「岩岳山ヤシオの里」。
グーグルマップにストリートビューが投稿されています。
シカが下草や低木を食べてしまって、土壌の保水力が無くなることが近年多発する崩落や水害の原因の一つです。
植林の仕方が容赦ないですね。廃村になったら間もなく村を埋めるように植林してその後に土砂崩れという順番でしょうか?
探索お疲れ様でした。危険な場所を通る際は是非、手袋をして通った方が良いと思います。今回怪我されませんでしたか?
面白い動画だといつも思っているんですけれど、もしクマが出たら…といつも思います
お気を付けください
藤原家スゴい家系なんですね。平家の残党もそうですが山深く息を潜めるように住んでいたような気がします。異様な太鼓や念仏を唱える翁の衣装など興味津々ですが、今となっては何もわからなくなりましたね。残念です。柳田國男さんはスゴい方なんだと実感しました。お疲れさまでした(^-^ゞ
コメントありがとうございます!
できれば小俣出身の方とも出会えれば良かったのですが・・・
お話を聞いてみたかったです。
過酷な撮影、ご苦労様でした。
寒い冬の期間は春からの構想を練りましょう。スマホで気軽に近所の散策でもいいですね。
コメントありがとうございます!
たまにはそういったのんびりした内容も面白いかもしれませんね。
土砂がドシャッ!と崩れてきたってか。
植林してるね
ショウユ坪シャツ、売ってるの???
信仰する人がいなくなって神様のちからも弱まり土砂崩れが起こったのかなとか想像してしまう。
山登りだからもう少し重装備の方がよろしいかと。
ぼくのオマタも埋まりそうです
動画の内容は面白いんだけど、鈴の音がうるさすぎてストレスがたまるし見る気がなくなる。再生数がこれ以上伸びないのはそのせいだと思う。
熊よけかと思ってました。
クマ避けですよ。
クマ避けの鈴にストレス溜まるとかどんだけ心狭いの
とても良かったです