武士道Bushido100(502)

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  • เผยแพร่เมื่อ 20 ต.ค. 2024
  • (502)武士道Bushido100「武士道ルネサンス」
    「『孫子』
    生き抜くための智略がある
    戦わずして勝つ――――それが最上の策である
    湯浅邦弘 大阪大学大学院教授  NHK『100分de名著』より抜萃  No.8
    4.勝つための知略                     」武士道ルネサンス
    夏井川護岸工事進捗2023.10.14.Ⅱ
    ・「●スパイによる情報戦の展開
    では、敵方の情報を得るためにはどうすればよいのでしょうか。現在では、電話、無線、インターネットなどさまざまな通信手段がありますが、当時はもちろん、そのようなものはありません。頼れるのは生身の人間、つまりスパイです。当時はもっぱら、スパイを使って情報収集を行なっていました。
    『孫子』は13番目の用間篇で、さまざまな間者(スパイ)の種類とその活動について述べています。
    故に間(かん)を用いるに五有り。因間(いんかん)有り、内間(ないかん)有り、反間(はんかん)有り、死間(しかん)有り、生間(せいかん)有り。(13 用間篇)
    (間諜を用いるには、5種類の方法がある。『因間』『内間』『反間』『死間』『生間』の5つである。)
    『因間』とは、もともとその土地に因る、敵国の民間人をスパイとして雇うことです。これはよく行なわれた諜報活動で、地の利に通じた現地の人を使い、敵国の地形、風土、気候、軍の動きなど、さまざまな情報を得ようとするものです。郷里の間諜という意味から『郷間(きょうかん)』と呼ばれることもあります。
    『内間』とは内通者のことで、敵国の機密情報に通じた上層部の人間を買収し、情報を集める諜報活動です。
    『反間』とは二重スパイです。敵が送り込んできた間諜をこちらに寝返らせ、自国の間諜として使うのです。敵は重要な軍事機密を間諜に伝えている場合がありますから、その情報を逆に入手しようとするものです。
    『死間』は最も高度な任務を負うスパイです。死を覚悟の上で敵国に侵入し、偽の情報を流す。つまり、攪乱(かくらん)工作を図るスパイです。このスパイは敵国で暗躍するわけですから、正体がばれたときには真っ先に殺されてしまいます。このスパイが本国に生還する可能性は極めて少ない。そのため死間と呼ばれているのです。これに対して、
    『生間』は、敵国に侵入しては情報を持ち帰ることを繰り返す間諜です。
    『孫子』は今から2500年前に、情報というものがいかに重要であるかを説き、それを入手する手段として5種類のスパイがあることを分析していました。これは実に驚くべきことです。
    ●情報は百金を積むに値する
    スパイとは、多くの場合名もなき存在です。死間というスパイにも象徴されるように、普通の民間人にはその存在すら知らされない、悲しい立場の人間です。ですから、スパイを活用する将軍は、そのスパイに対しても十分な思いやりを注いであげなければなりません。
    而(しか)るに爵禄百金(しゃくろくひゃっきん)を愛(おし)んで、敵の情(じょう)を知らざる者は、不仁(ふじん)の至(いた)りなり。(13 用間篇)
    (間諜への爵位や報償を惜しんで、敵の実情を知ろうとしないのは、民衆に対してあまりに無慈悲な態度であると言われても仕方がない。)
    スパイには十分な身分やボーナスを与え、普通の兵士以上に優遇してあげなければならない。それを惜しんだがために敵の実情が分からないとは、不仁の極致であるということです。将軍とは、自分の片腕となって働いてくれる人や自分の部下はもちろん、闇に生きて、闇に死んでいくスパイにも十分な恩情をかける人でなければならない。これは、前にも紹介した将軍に必要な資質の一つ、『仁』に関わる部分です。
    人は、目に見える物に対してお金をかけることには抵抗が少ないのですが、目に見えないものに対しては、案外とお金を使うことをためらってしまいます。情報というものは目に見えません。しかし、そのための百金を惜しんではいけないと『孫子』は言うわけです。目に見えない情報にこそお金をつぎ込まないと、敵の実態は分からないのです。
    『三国志』の名場面の一つである『赤壁(せきへき)の戦い』は、情報がまさに戦いの勝敗を決した例だと言えるでしょう。
    魏の曹操(そうそう)軍と、呉の孫権(そんけん)・蜀の劉備(りゅうび)の連合軍が、長江沿いの赤壁(せきへき)で対峙(たいじ)します。
    小説『三国志演義』によれば、曹操の兵力は80万、連合軍の兵力は3~4万と、圧倒的に曹操軍が上回っていたと言います。曹操は長江に大船団を組織しますが、兵の大半は北方出身者で、水軍の扱いには不慣れでした。勝機ありと踏んだ連合軍は、火攻めの作戦決行を決定します。その時期、風向きは自軍に不利な北西の向かい風ばかりでした。しかし、劉備の軍師であった諸葛孔明(しょかつこうめい)は、この時期に一日だけ、風向きが変わる日があることを知っていたのです。
    その日、諸葛孔明が祈祷(きとう)を行なうと、予想したとおり東南の風が吹き始めました。その風に乗って連合軍は長江を渡り、曹操の船団に火を放ちます。強風にあおられて火は瞬く間に広がり、曹操の船団は焼き尽くされてしまいました。
    『三国志演義』では、諸葛孔明が祭壇を作って天に祈ると風が吹き始めるという、何やら神がかり的な姿が描かれているのですが、この祈祷はむしろパフォーマンスだと言えるでしょう。諸葛孔明は事前の情報で、この土地にはいつ頃東南の風が吹くかを知っていたのです。つまり、十分な情報収集を行なったからこそ、火攻めを行なうという決断が可能になったのです。
    たとえ兵の規模では劣勢でも、最後は情報の有無が勝敗を決める。『孫子』が説く情報の重要性を、まさに示す一例だと言えるでしょう。
    ちなみに、諸葛孔明はじめ三国時代の武将たちは『孫子』をよく読んでいました。魏の曹操は、『孫子』の代表的な注釈書『魏武帝注孫子(ぎぶていちゅうそんし)』を著しています。
    ●実を避けて虚を撃つ
    情報を得ることができれば、それをもとにさまざまな詭道を繰り出すことができます。相手にとって、有効な詭道は、大きく分けて2種類あります。1つは、『実を避けて虚を撃つ』ことを狙う奇策です。
    兵の形は、実(じつ)を避けて虚(きょ)を撃(う)つ。(6 虚実篇)
    (軍隊も、敵の『実』[充実した陣]を避け、『虚』[手薄な陣]を撃つべきである。)
    手に入れた情報をもとに、相手の戦力が充実しているところはできるだけ避け、相手の戦力がまばらなところを撃つ。これが詭道の大原則です。
    では、相手の虚を効果的に撃つには何が重要なのでしょうか。虚実篇の冒頭にこう書かれています。
    孫子曰く、凡(およ)そ先(さき)に戦地(せんち)に処(お)りて敵を待つ者は佚(いっ)し、後(おく)れて戦地に処りて戦いに趨(おもむ)く者は労(ろう)す。故に善(よ)く戦う者は、人を致(いた)して人に致されず。(6 虚実篇)
    (孫子は言う。およそ戦場に先に到着して布陣し、余裕を持って敵の襲来を待つ軍隊は楽であるが、逆に、遅れて戦場に到着し、あわてて戦闘に突入するような軍隊は疲れる。だから、巧みに戦う者は、こちらが敵を思うままに操るのであって、敵に主導権を奪われるようなことはない。)
    まずは機先を制し、主導権を握ること。これが大変重要だというのです。予定されている戦場に敵より早く着く。そうすれば、リラックスして戦いの準備を整えることができます。ところが遅れて到着した場合は、陣営を張り、武器を整えるといったことで忙しく、疲れてしまう。ですから、戦(いくさ)上手の人とは、人を自由にコントロールするのであって、人からコントロールされるようなことはないというのです。
    先に戦場に赴き、十分な態勢を整えて待つ。これが、相手の側の虚を作り出すことにもつながるのです。
    また、九地篇には次のような言葉があります。
    人の及ばざるに乗(じょう)じて、虞(おも)わざるの道(みち)に由(よ)り、其の戒(いまし)めざる所を攻(せ)むるなり。(11 九地篇)
    (敵の準備がまだ調(ととの)わないうちにその隙(すき)に乗じ、思いがけない方法を使って、敵が警戒していないところを攻めるのです。)
    これはまさに、実を避けて虚を撃つということです。迅速に行動し、相手が思いもよらない進撃ルートを取り、できるだけ守りが手薄なところを撃つのです。」武士道ルネサンス

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