(第328話)【歴史は時空の砂時計、後半は宇佐家伝承です!】ELCAFLORA Mitsukoのトキジク日記

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  • เผยแพร่เมื่อ 6 ก.ย. 2024
  • いつも優れたコメント群を楽しく拝見しながら、皆さま方それぞれの視点、歴史や物事の捉え方が素晴らしくて興味津々、参考になります!
    いつもありがとうございます😊
    ※ 5:01 葛木御歳神社の宮司様である東川(うのかわ)様のお名前を「うかわさん」とお呼び間違えております。お詫びして訂正いたします。
    続きとしてのお話から、327話で訪れた一言主神社や磐座祭祀場と思われる場所で、時代を超えて何層にも重なるストーリーが見えている。
    特にかつらぎ町平の一言主神社の在り様は、
    超古代磐座と水の祭祀→縄文&出雲の原始修験→後の役行者や空海の不動明王を中心とした修験→中世に避難した一言主神社。
    特筆すべきは、神社が下の町に合祀された後の現代もなおこちらでは欠かさず祀りがなされている。
    思うに。
    元々古代修験のそもそもは一言主が象徴する信仰であったとも言えるわけですよね。
    村の祀りとしての一言主神社は集落の方に合祀(戻った)になりましたが、その根底にあった祭祀の核の部分はそのままその場にある。
    祀りを続ける人々の奥底にある、消えない熾火のようなほのかな熱を感じた場所でした。
    さて縄文といえば。
    宇佐家伝承 「古伝が語る古代史」
    宇佐公康 著 をお借りいたしました。
    手に入れていなかったもので、貴重な本を読む機会を下さいましたTさま、ありがとうございます!
    少しづつですが、宇佐の伝承をご紹介もさせていただければと考えています(^^)
    いつもご視聴下さいます方々、ありがとうございます😊
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ความคิดเห็น • 98

  • @mik5703
    @mik5703 3 หลายเดือนก่อน +2

    宇佐の口伝のご紹介、とても楽しみにしております。

  • @user-fr8wg4qp8y
    @user-fr8wg4qp8y 3 หลายเดือนก่อน +1

    忌部の方への取材良かった

  • @kazu-358
    @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

    アジスキタカヒコさんの、高、志の2文字を見ていて、高志国が気になり…
    事代主が八尋鰐🐊になり、鰐に足を噛まれたのは、ヌナカワヒメの所へ通われた時でしたよね。
    糸魚川市のホームページにヌナカワヒメの伝説がありました。ネコ、ワニ、ウシ、布、どれも興味深くて、引用が長くなり申し訳ないのですが
    以下抜粋
    古事記では出雲国の大国主命が沼河比売に求婚に来たとあり、出雲国風土記では天の下造らしし大神(大国主命)が奴奈宜波比売の命と結婚して御穂須々美命を生み、この神が美保に鎮座していると記されています。
    青海(おうみ)町黒姫山の東麓に福来口(ふくがくち)という大鍾乳洞がある。ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を「布川(ぬのかわ)」という。
    黒姫山頂には姫を祀った石祠があり、毎年四月二十四日の祭には多勢が登山する。その際不浄な物を身につければ上られぬという。青海町字田海(とうみ)には、この石祠の拝殿、山添(やまぞえ)社がある。渇水や霖雨の時は祈願をする。
    西海村字平牛(ひらうし)の経ヶ峰には、太古には奴奈川姫の一族が住み村の形をしていた。その峰の頂には神に捧げた金幣が埋められてあり、毎夜光を放っていた。
    また、平牛の某が西国三十三番を巡り帰国の後、経札を三十三の塚に埋めた。これを「平牛の三十三塚」といい、この経ヶ峰は初一番だという
    平牛のたんぼに大きな土饅頭のように盛り上がった飯塚の森がある。今は諏訪明神が祀られており、盆踊唄に、
    平牛の飯塚の森にあ 鳥とまらぬこりゃ不思議
    とうたわれている。
     
    浦本村字鬼伏(おにぶし)の海岸と山に、三個の質も形も同じ石がある。これを奴奈川姫の「おもちゃ石」といっている
    西海村字羽生の北西海小学校の裏に、不動滝がある。昔平牛の山に奴奈川姫がおいでになり、火の玉となってこの滝に来、目を洗って眼病をなおしたという。後に或る武士が姫を祀る為に、一振の刀を埋め不動明王を安置したという
    青海町の福来口に住んで居られた奴奈川姫は、出雲族に攻められ、夜しめ川(今の姫川)を渡り大野村に、秘蔵の鏡を埋めてかくされた。今の信用組合裏の地蔵さんの所だという。
    根知村字梶山(かじやま)の駒ヶ嶽は、ひし(絶壁)の所に駒に似た白い瘤(こぶ)があるから付いた名だ。そこの鰐口といふ洞穴に、昔明誓上人(みょうしょうしょうにん)が修行していたが、一跳に字根小屋(ねごや。現在は糸魚川市大字根小屋)へとび、尻をかけた所が、今井村字しりかかりという所だ。
    一説。奴奈川姫が駒ヶ嶽の麓に居られた時、大国主命が尋ねて来た。門口に男と女の声がした。男は土地の神であった。二人は賭をし、大国主は牛、土地の神は白い駒に乗りとんだ。土地の神は早かったが、駒は動かず石に化してしまった。それで大国主の牛が先に洞穴へついた。
    又根知村字蒲池(がまいけ)の中上方(なかじょほう)に、駒の蹄(ひづめ)の跡のついている岩がある。青海町の黒姫山から、駒ヶ嶽へ大黒様が駒に乗って跳ばれたが、その岩に一寸駒の脚がかかったのだという。
    西海村字市野々(いちのの)の地名については、次のような話がある。
    奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。
     豪族の駒は、尚奥へ逃げ込み、遂に石になってしまった。今根知村(現在糸魚川市根知地区)字梶山の向いの黒い絶壁に、白い馬の形となっている。その山も「駒ヶ嶽」といわれるようになった。
    市野々という村名も、元は「一奴奈」であったのが、「一布」となり、更に市野々と変わったのだという。
    能生谷村字柵口の背の権現岳には、奴奈川姫に関する地名が多い。中腹に「胎内(たいない)」という岩屋がある。奴奈川姫の住んだ所で、麓の「横清水(よこしょうず)」は飲料水であった。これは奴奈川姫が杖で突いて出した清水である。その中間に「わらじのぎ」という所もある。大国主命に追われて来たのだという。
    根知村字西山の白山様の柱は、全部一本の欅(けやき)を引き分けて建てたものだ。
    この宮の御神体は「奴奈川姫の焼飯(やきめし)」という石で、盗んで行っても、屋根を越して字蒲池へ向くと、重くなって担げないという。
    この神様は山犬を嫌いだから西山には山犬の巣くう所が無かったという。
    ここで、一旦切ります。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      『天津神社並奴奈川神社』
      西頚城(にしくびき)郡田海(とうみ)村を流るゝ布川の川上に黒姫山と云ふ山あり、奴奈川姫命の御母黒姫命の住座し給ひし山なり、山頂に石祠あり黒姫明神と称す、又黒姫権現とも云う、この神こゝにて布を織りその川の水戸に持出で滌曝(てきぼう)まししによりて布川と云ふ。此神の御歌に
      ここに織る此の荒たへはかの海の小島にいますわがせの御衣 と。
      黒姫山の半腹に福来口と称する洞穴あり、洞口高百五十尺、横七十尺、遠くこれを望めば門扉を開くに似たり、水洞中より出で流れて川となる即ち布川の水源なり、古昔奴奈川姫命の布を織りし所なり。福来口は蓋(けだ)し夫来ヶ口ならんと。
      西頚城郡に姫川と云ふ川あり、糸魚川と云ふ町にあり、糸魚川はもと厭川と書きしと云ふ。之れ奴奈川姫命が今日の姫川を渡りなやませたまひてかく呼びたまひしによると
      糸魚川町の南方平牛(ひらうし)山に稚子ヶ池と呼ぶ池あり。このあたりに奴奈川姫命宮居の跡ありしと云ひ、又奴奈川姫命は此池にて御自害ありしと云ふ。即ち一旦大国主命と共に能登へ渡らせたまひしが、如何なる故にや再び海を渡り給ひて、ただ御一人此地に帰らせたまひいたく悲しみ嘆かせたまひし果てに、此池のほとりの葦原に御身を隠させ給ひて再び出でたまはざりしとなり。
      奴奈川姫の命は御色黒くあまり美しき方にはおはさざりき。さればにや一旦大国主命に伴はれたまひて能登の国へ渡らせたまひしかど、御仲むしましからずしてつひに再び逃げかへらせたまひ、はじめ黒姫山の麓にかくれ住まはせたまひしが、能登にます大国主命よりの御使御後を追ひて来たりしに遇(あ)はせたまひ、そこより更に姫川の岸へ出でたまひ川に沿うて南し、信濃北条の下なる現称姫川原にとどまり給ふ。しかれとも使のもの更にそこにも至りたれば、姫は更にのがれて根知谷に出でたまひ、山つたひに現今の平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびたまふ。使の者更に御跡に随(したが)ひたりしかども、ついに此稚子ヶ池のほとりの広き茅(かや)原の中に御姿を見失ふ。よりてその茅原に火をつけ、姫の焼け出されたまふを俟(ま)ちてとらへまつらんとせり。しかれども姫はつひに再び御姿を現はしたまはずしてうせたまひぬ。仍て追従の者ども泣く泣くそのあたりに姫の御霊を祭りたてまつりしとなり。
      根知谷上野村に御所と呼ぶ所あり、小高く土を盛り、四方を切石にて囲む、之れ奴奈川姫命宮居の跡なりと。
      根知谷に上澤、大神堂(だいじんどう)の二ヶ所あり。上澤はもと神澤、大神堂はもと大神道と書きしが明治六年地権の際現在の如く改めしなり。いづれも大国主命と奴奈川姫命とに関係ある史跡ならんと土人云ひ伝ふ。
      根知谷山口山にジンゾウ屋敷と呼ぶ所あり、之れ往昔奴奈川姫命の従者の住居せし跡にして、同谷山寺日吉神社裏山に奴奈川姫命の神剣埋めありと。
      根知谷別所山に牛の爪の痕の三つ刻まれある岩と、馬の足跡の一つ刻まれたる岩とあり。昔奴奈川姫命に懸想したる土地の神が大国主命の来りたまひて姫を娶らんとしたまひしを憤り、大国主命の宮居へあばれ込み、論争の結果、山の高所より跳びくらべをなし勝ちしもの姫を得ることにせんと約す。即ち土地の神は黒き青毛の駒に跨またがり、大国主命は牛に乗り給ひて、駒ヶ岳の絶頂に立つ。ここに於て先づ土地の神馬に鞭をあててその絶頂より飛びしにかの馬の爪痕の残れる別所の一角に達す。次に大国主命牛をはげまして飛びたまひしに、不思議にも馬の達せしところより二三町先なる地点に達したまふ。之れ今日なほ牛の爪痕の残れる岩のあるところなり。然るに土地の神この結果を見て更に大に憤り、今一度勝敗を争はん事を求む。大国主命快く諾ひたまふ。仍て土地の神先づ憤激にまかせて、馬を飛ばせしが、天なる神の咎(とめやありけむ、僅かに駒ヶ岳の中腹に達せしのみにて、しかも馬毫(わずか)も動かず、そのまま石に化しおわる。今なほ駒ヶ岳の中腹に馬の形をしたる岩石ありありと見ゆ、此の馬、石と化してもなほ時候の変り目などには折々寝返りをなすとは今日尚ほ土俗の信ずるところなり。
      姫川の上流なる松川に姫ヶ淵と名づくるところあり、之れ奴奈川姫命の身を投げてかくさせたまへるところなりと。
      長野県北安曇郡此小谷村に中又と呼ぶところあり、ここにて奴奈川姫命建御名方神奴奈川姫二柱なり。
      姫川の上流姫ヶ淵の付近にコウカイ原と云ふところあり、ここにて奴奈川姫命その御子建御名方神と別れたまひしところなりと。
      糸魚川の地方にては毎朝鶏鳴を待ちて一同起き出で屋内、門前等の掃除をなす、此は奴奈川姫の古事によりて今に替らず、これ当国中に曽(かつ)て見得ざる所なりとは越後風俗志の誌(しる)すところより。
      『北安曇郡郷土誌稿』より
      1.山王池
       北小谷村戸土(とど)区戸土神社の横手に山王池がある。諏訪明神御出生のみぎり、此の池の水を用ひて産湯になされたと云ひ伝へてゐる。尚この池の水は越後の根知村山寺の山王神社の御手洗水に通じてゐるとも云はれてゐる。
      北城(ほくじょう)村字大出(おおいで)の地籍に属する姫川の中程に、姫淵(ひめがふち)といふ深い淵がある。大昔沼川姫の御入水の淵だと言はれてゐる。姫淵も姫川もこのことから名づけられたのだ。尚姫は入水に当つて一子を残された。その御方が諏訪大明神だ。
      3.奉納の古宮の梨の木とうば杉
       中土(なかつち)村奉納(ぶのう)部落の入口に小高い丘があつて、昔そこに奴奈川姫を祭つたお宮があつた。古宮と云つてゐたが、白鳳年間に部落の上の方へ移して諏訪神社と云ひ他の神様も合せ祀つて村の産土神となつてゐる。其の古宮のあつた処に今高さ四尺幅二尺五六寸厚さ一尺位の、石の墓標(はかじるし)らしいものが建たつてゐて、奴奈川姫の墓じるしだと云つてゐる。此のそばに二抱へもある梨の木があるが、昔から伐ることを禁じられてゐる。此の梨の木に実がなれば其の年は「けかち(凶年)」だと云つてゐる。今まで出逢つた「けかち」には大てい実がなつた。又其の近くに「うば杉」と云ふ杉の大木があつた。松本城主某が築城の為めこれを伐つて松本まで運搬方を命じたが、伐る時四方へとび散つた木片が忽(たちま)ちとびかへつて来て元通りにくつゝき、又鋸(のこぎり)で挽(ひ)けば血が出たりして困つた。そこで其の木片全部を焼き棄てた。此の木の長さは三十三丈余もあつて、伐り倒した時は此部落の入口の沢に橋にかゝつたと云ふ。又此の木を運んで今の平(たいら)村木崎(きざき)辺へ来た時、重くて容易に動かなくなつた。その木の先が此の地にさしかゝつたので、此地方を木崎(木先)と云つたのだと云ふ。
      中土村館山(たてやま)の中央、姫川筋に深さ幾尺あるか測り知れない凄い淵があつて、姫ケ淵と呼ばれてゐた。昔建御名方命の母奴奈川姫が身をお隠しあそばされたところだといふ。
       
      南小谷村にも姫ケ淵と呼ばれてゐる淵があるが、ここは大昔奴奈川姫が越後から姫川を遡つて休まれた処なので姫ケ淵といふようになつたのだといひ、姫川の名もこれから出たのだといふ。又この淵の涸れたときは国に変事のある前兆だといひ、日清・日露の両戦役の前には実際水の涸れたことがあつた。
      南小谷村親ノ原部落の千国街道の西側に小丸山といふ丘陵があるが、ここに三体の石仏像と石塔が一基あつて土地の人は行人塚といつて居る。行者を葬つた塚だともいひ、或ひは又親ノ原は親納原で奴奈河姫の御霊を納めた塚であつて、崇神天皇様の御代の建設だともいつてゐて判然しない。又附近からは土器石器等の破片が沢山出る。
      以上

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@kazu-358 さま
      皆さま
      撮りためた写真を整理していたら吉野の金峯神社の社の上が「三本の竹」の切り口のようなんですね。
      でこの回に書いてはったはず。と開けて見ると皆さんお話が続いていたのでビックリです。
      以前、nihontaro9さんがチラッと越と出雲のお話をコメントされていて気になっていたものです(出雲から攻められたような・・)
      気になりつつも探す時間がなく放り投げていたものです。
      大変感謝です。印刷して出しました。有り難うございます😄

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@kazu-358 様
      yoshi-min様
      皆様
      段々思い出してきましたw。
      そうですね。ずっと前に仲の良いはずの出雲と越国がヌナカワ姫を巡って、仲が悪いと書いた気がします。
      そのことは、kazuさんの詳細な伝承は知りませんでしたが、おぼろげに出雲と争いがあった。理由はヌナカワ姫に起因する争いであったような。
      出雲の主役が大国主で、出雲の伝承の事代主とはだいぶ話の内容が食い違っているようなので、その頃もまだ、謎です。w としていた気がします。
      kazu様、読ませていただきます。ご紹介いただき有難うございます。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​@@nihontaro9 さま
      Yoshimin
      私は携帯でプリントアウトも出来ず、右から左で申し訳ありません💦お役にたてたならよかったです。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +1

      ​​​​@@yoshi-min6875さま
      皆様
      金峯神社、Googleマップ航空写真では、 暗くて森の中に鼻👃が浮かんでるようなのしか見れませんでした。
      ご祭神でググると、写真付きのサイトがあり、これかな?というのが見れました。
      又倉神社
      大地主命(おおとこぬしのみこと)
      沼奈川比売命
      須勢理比売命
      そして三竹の一言主まで揃えて歴代三代って事でしょうか
      多支都速川能瀬坐須瀬織津比賣(たぎつはやかわのせにますせおりつひめ)
      スセリヒメは、おられたのですね。
      あ、Nihontaroさんへの返信で、呼び捨てになってしまって御免なさい💦

  • @user-ti3pq2fp5n
    @user-ti3pq2fp5n 3 หลายเดือนก่อน +3

    宇佐家伝承と出雲伝承の神武東征の共通する部分は凄く興味深いですよね!
    宮島(安芸国邪馬台国説)の宇佐豊玉姫(姫巫女=出雲口伝の物部側の第二の卑弥呼)の伝承話は真実味がありますよね!
    豊玉姫(宇佐津姫)が市杵島姫(初代宇佐津姫母系神)を宮島を祭祀場として奉っていた話も聞いた事あります!
    個人的には宮島は安芸国造氏族の佐伯氏のイメージがありますが、厳島神社を創建した厳島神主家の始祖佐伯鞍職や弥山を開山した弘法大師空海(佐伯真魚)などの伝承話もとても興味深いですね!
    次回の考察も楽しみにしてます!

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +1

      さんさーさま
      【厳島(斎島)】だから
      【市杵島姫】と呼ばれるように
      なったのでしょうか⁈
      出雲王家に嫁いだ二人の姉と違い、
      市杵島姫は
      九州で物部の母となった
      宇佐の姫という立場ですよね。
      徐福の皇后でありながら、
      宇佐族の祖でも
      あるのでしょう。
      母系社会であったなら
      尚更、宇佐の祭祀を引き継いだ姫ですね。
      豊玉姫の祖ともなりますから、
      お祀りするのも納得です。
      興味深いコメント、
      ありがとうございます♪

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172 さま
      さんさーさま
      空海と関係がある真名井御前は幼名「厳子」
      大変面白そうな予感がします😄

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      @@yoshi-min6875 さま
      みなさま
      空海の母は
      【玉依御前】😆
      愛人⁈は海部家の
      【真名井御前】
      出来すぎです。

    • @user-ti3pq2fp5n
      @user-ti3pq2fp5n 3 หลายเดือนก่อน +3

      皆様、興味深いコメントありがとうございます!
      宮島の古代の歴史は以前からいろいろ神秘性があり謎が多かったのですが、厳島神主家佐伯氏と市杵嶋姫(厳島弁財天)との関係、空海(佐伯真魚)の弥山開山歴史や大願寺の空海作の厳島弁財天などの伝承話などいろんなロマンがありますね!
      天皇家とも古代から関わっていた大伴氏や同族と言われている蝦夷(出雲族、アラハバキ族説など)と言われていた佐伯氏などの歴史もなかなか謎が多いものがあったりします!
      最近分かった事は東出雲王家富家の出雲口伝の伝承で大伴氏の出自が、神門臣大伴という伝承があり大伴氏や佐伯氏も西出雲側の親族の可能性がある事が分かり、宗像とも関係があったのではないかとも推測しています!
      アラハバキ、弁財天、市杵島姫、サイノカミ(幸姫)、いろいろ共通する部分もあってロマンを感じています!
      空海の母方(阿刀氏)は物部系であったり、籠神社の真名井御前(厳子)との伝承話など、佐伯氏と海部氏や物部氏との関係性や空海が市杵島姫や弁財天など関係している神社やお寺も興味深いものがあります!!

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​@@user-ti3pq2fp5n
      さんさーさま
      海行かば、水漬く屍(かばね)
      山行かば、草生(くさむ)す屍(かばね)
      大君の、辺(へ)にこそ死なめ
      かへり見は、せじと言立(ことだ)て
      大夫(ますらを)の
      清きその名を、いにしへよ
      今のをつづに、流さへる
      祖(お)の子どもぞ
      大伴(おほとも)と
      佐伯(さへき)の氏(うぢ)は
      人の祖の、立つる言立て
      人の子は、祖の名絶たず
      大君に、まつろふものと
      言ひ継げる、言の官ぞ
      梓弓(あづさゆみ)
      手に取り持ちて
      剣大刀(つるぎたち)
      腰に取り佩(は)き
      朝守(あさまも)り
      夕(ゆふ)の守りに、大君の
      御門(みかど)の守り
      我(わ)れをおきて
      人はあらじと、いや立て
      思ひし増さる、大君の
      御言(みこと)のさきの
      聞けば貴み
      大伴家持の
      万葉集に載せられた
      有名な歌から引用された
      【海行かば】
      古代から大王家の
      近衛隊長であった大伴氏の
      威厳と誇りを感じさせる
      お歌ですね。
      出雲王国乗っ取りを計るように、
      主王・副王を亡き者にし、
      逃げるように大陸へ渡った徐福。
      残された息子・五十猛が
      出雲を出て
      丹波へ移るときに、
      出雲王家から一緒に派遣されたのが、
      大伴氏の祖にあたる
      道臣命でしたね。
      初代大王が
      五十猛の子・村雲になりますから、
      大王の父の時代から、
      側に侍っていたことに
      なりますね。
      『臣』とつくので、
      出雲王家の姫を娶った
      親戚筋の家柄であったことが
      分かります。
      道臣は
      天道姫(高照姫)の子である
      五十猛をお護りする役割だった
      ということになりますね。
      出雲王家の子孫を
      護っていると言えます。
      大伴も佐伯も
      出雲族の子孫とすれば、
      空海の周りには
      父・佐伯の出雲族
      母・阿刀の物部
      真名井御前の海部と
      トキジク日記でおなじみの
      メンバーが勢揃いです。
      クルクルと回る螺旋軸…
      時代を経て
      同じ顔ぶれの
      同じ物語が
      繰り返し繰り返し
      綴られてゆく面白さ。
      新しい発見に
      いつもドキドキワクワク
      させられてしまいますね。❣️

  • @yoshi-min6875
    @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

    鴨都波・葛木御歳・高鴨・葛城一言主神社へ行って参りました。
    まず、1番お知らせしたいと思った事を取り急ぎ・・
    御歳神社の右手には令和元年に造営された祖霊社があります(形は弁天仕様ですね)
    それに対して左手には境内摂社が4つ並びます。
    入口近くから味鋤高彦根命神社・高皇産霊命神社・神皇産霊命神社・天照皇大神神社(HP由緒に写真あり)
    アジスキタカヒコネってそんなハイレベルなんですか?(HP写真西日がお社にさしてます)
    祖霊社と味鋤高彦根命神社は向かい合うように建てられています。
    その延長線上は「白雲岳」に向かいます。
    祖霊社拝むと白雲岳を拝みます。
    口では言わないけれど行動としてちゃんと表れておりますね☺
    その「白雲岳」、御歳神社の鳥居からは綺麗な三角形でしかも1番高く見えます。
    金剛山頂はまさしく「白雲」岳で見えない。
    グーグルマップでは雲がかかっているので、神社真西の「水楽園」に降りて少し北に行くと(右に入る路地辺り)
    綺麗に三角形のお山が見えます(顎の細い男性の顔が浮かび上がっていますね)
    Mitsukoさん、お天気の良い日に御所の24号線を通ると白雲岳が綺麗に見えますよ(素晴らしいです)
    以前、kazuさんが教えてくれた葛城山の役小角と醜い女性のお話。
    「醜い=見にくい」ここに繋がるようですね。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      Yoshiminさま
      皆様
      行動力凄い!&羨ましくもあり…
      かなり前のコメントまで覚えて下さって、皆様凄いです。私は右から左で💦
      見にくい…なるほど👀私は虎魚的な事か、神のお姿が隠れて見えない比喩かとばかり。実際に山が見にくいとは、潜象って面白いですね。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@kazu-358 さま
      皆さま
      歴史の話はもう難しすぎて私には難解なので、得意分野(?)で見ていきます。
      ご参考になるかどうかですが・・・
      高鴨神社のHPのトップ画面に綺麗な三角のお山が写っています。
      「高見山」のようです。これで1つピースがはまりました。
      なんで橿原神宮の参道が高見山を向いているのか謎でした。
      高見山の山頂には「高角神社」が建っています。
      神社の詳細はまとめる自信がないので省きます。
      「角」「鍬靫」という文字が出てくるのでアジスキタカヒコネがジワジワきます。
      なので、高見山と金剛山を結ぶと頂点に三輪山が綺麗に収まります。
      三輪山と金剛山のライン上に葛城一言主神社鳥居・橿原神宮が乗ります。
      そして、その三角形の上を覆い被さるもう一つの三角形。
      神武天皇陵ー宇陀八咫烏神社ー三輪山
      神武天皇陵→三つ鳥居→三光の滝→三輪山頂上
      まるで笠雲がかかったお山ですね。
      まだ図形が出てきただけですが(これをどう解釈するかですね)
      三又の竹は門松ではないですか?
      歳神様が門松を目指してやってくる。
      お正月の伝承の奥に隠れているものとは・・・ですね。
      2月の豆まきと同じような感じなのでしょうか🤔
      ホツマツタエの系図を見てみました。
      アジスキタカヒコネの父は「初代オオモノヌシ クシギネ オホナムチ(カルキミ)」とありました。
      系図の成否は置いておいて、父の時代に大きく時代が変ったと解釈ができます。
      この初代オオモノヌシの父と母は「ハナキネ スサノオ」「クシイナダヒメ」となっております。
      何を意味するのかはまだ判断ができません😅

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      ​​@@yoshi-min6875さま
      皆様
      私も難しすぎて、💦妄想はそろそろ控えます。
      アジスキタカヒコさんが事代主として祀られていた、トキジク日記でそれがわかっただけでも、十分です。
      門松🎍ですか。なるほど。コウジン、ですものね。
      三股なので、フォークみたいなの想像してました。竹角三は、私のなけなしの潜象界を総動員したんですけど、違いましたか😆でも、角は出てるのですね。
      ホツマツタヱは、ネットでつまみ食いするだけだと、ホノコだのハヤコだのモチコだの、ドラマを部分的に見ても訳がわからないのと同じような感じで、手を出せずにいます。
      キダタローさんがお亡くなりになりました。キャッチーなメロディを沢山残されましたね。浪速のモーツァルトとおどけておられましたが、実際に凄い才能でした。「アホの坂田」はパクリですが、オマージュだし(何の?)それ以外に名作が数えきれないほどあるから、パクリジョークが笑えるのでしょうね

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​​​@@yoshi-min6875さま
      Kazu さま
      葛木御歳神社は
      白雲岳の遥拝所ですね。
      確認、ありがとうございました。
      由緒書きにも
      【白猪・白馬・白鶏】と
      白だらけです。
      本殿は
      春日大社から移築し、
      藤原がここでもサポートしています。
      ホツマツタヱの
      初代オオモノヌシは
      正史の大国主そのままですね。
      阿遅鉏高日子の父であり、
      スサノヲの義理の息子となります。
      Kazu さん
      ホツマツタヱは
      正に、パクリジョークです。
      表現が的確すぎです‼️

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

    動画でもご紹介され、以前のコメントでもありました「高良玉垂宮神秘書」について
    最近解説付きでブログに紹介されているようですので、参考でご紹介します。
    Facebook 古代史の真実… グループ 大須賀 あきら様の投稿より
    「高良玉垂宮神秘書」を公開してから約一万アクセス頂きました その内容を御覧になった方の質問から何回かに分けて「高良玉垂宮神秘書」を解説付で公開しました。
    この書は高良大社に伝わる口伝を安曇磯良こと大祝家物部鏡山氏が記録したもので純粋に物部氏以外の手が加えられていない書です。
    それはすなわち焼失したと伝わる武内宿禰の子孫が所持していた書と同じ内容と考えられます。
    記載方法が物語形式では無い為、非常に理解しにくいので今回重要な部分を抜粋して掲載しました。
    天神 地神から三韓征伐 武内宿禰に子から七支刀 倭の五王 磐井の乱に至る経緯がまとめてありますので「高良玉垂宮神秘書」と合わせてご覧ください。
    kouratamadare.com/%e9%ab%98%e8%89%af%e7%8e%89%e5%9e%82%e5%ae%ae%e7%a5%9e%e7%a7%98%e6%9b%b8%e3%80%80%e6%8a%9c%e7%b2%8b%e8%a7%a3%e8%aa%ac%e7%b7%a8?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR316oj9X5lscJL01ki4Bubk8hTsDppT90qafj_hNphqCo5L-BqG3MbruQQ_aem_ARqHE2rM7FzFeOO229diA2-YwKb4SQMAMvbtcVil-QAGYz7eCMBu9V48O2xtKueco1-sraYBGPMUuEjAKYHx09SO

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      nihontaro さま
      ありがとうございます。
      わたしも
      サッと読んで、
      これでもよく分からなかったので、
      コピーしてあります。
      後でまた読んだら
      もっと分かるかも知れないと思って。
      阿曇磯良が物部であると
      はっきり書いてありますね。
      安曇氏は
      出雲口伝では
      海部の親族と言っていますが、
      要するに、徐福族なのでしょう。
      諏訪における
      饒速日命をお祀りした
      一族ですね。
      【香春】と【高良】が
      同じ語源であるのは、
      Kazu さんの【カペラ】から
      教えていただきましたが、
      こちらの説明でも
      合致しますね。
      神功皇后と相性が良いのは、
      やはり、ヒボコ族と徐福族は
      根源を同じくしているように
      感じます。
      遺伝子の中に
      共通するストーリーが
      刻まれているように感じます。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172 さま
      Nihontaroさま
      徐福さんが連れて来た童達が、安曇氏になったとネットで読んだ事があるのですが、ソースがわからないし、頭の片隅に置いてました。Nihontaroさんありがとうございます。
      向日葵さんでも難しそう?なので、やりかけてる事が終わったら、じっくり読ませていただきます。今ヌナカワヒメの伝説を読んでます。アジスキタカヒコさんに、高と志の2文字が入ってるのが気になって…
      日矛族、私もそう思います

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172🌻様、
      ヒボコ族と徐福族の根源の同一性と
      そして神功皇后
      別のコメントにもチラッと書きましたが、
      今もう一つ読んでいる古伝があって、動画でも触れられている現代版アチメさんの「タマヤフルトコフミ」にも
      お二人の出自について書かれているようなのです。まだ読みかけなのと、
      出雲の伝承の様に、いつ、どこで、誰が。。と
      誰にでもわかるように年代と固有名詞がはっきりと書いてあるわけではないのと、
      失われた支族との関係について主に書かれており、
      中々その解釈が難しいのですが、きっと動画の宇佐公康氏著 宇佐家伝承 「古伝が語る古代史」も、
      安曇磯良こと大祝家物部鏡山氏著「高良玉垂宮神秘書」も、アチメ命伝承「タマヤフルトコフミ」も
      最も言いたいことは共通しているようなので、そのうちにわかるようになるのかもしれませんW。
      まあ、書いたのが宇佐さんと物部さんだとすると、これから繋がってくる可能性が大いに有りそうです。
      今のところ 共通するキーワードは 「フル」と「タマタレ」のようですが、
      その意味するところはまだこれからです。

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@kazu-358 様、
      コメントありがとうございます。
      個人的な事なので後ですぐにこの部分は削除しますが、
      偶然なのでしょうけれど、高良大社の神紋が、外枠の丸がないけど、自分の家の家紋と一緒なのですよね。
      観ようによっては、ディンギルが隠されているようにも見えるので、出雲の西王家との関連も勘繰りたくなってしまいそうです。
      でも、まさか物部氏?というオチ😅は今まで聞いたことがないので、たぶんないでしょうけれどW。
      でも故郷秋田には秋田物部氏の唐松神社や、一級河川の雄物川があって、物の字が入っているし、
      実家は雄物川の河口近くなのです。
      まあ、この先も先祖のルーツは当分わかりそうもないですがW。

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@nihontaro9 さま
      Kazu さま
      中央の花菱は
      あらゆるところで
      使われているカタチで、
      神門臣家もそうですが、
      伊勢神宮もそうです。
      カタカムナのシンボルでもあります。
      世界共通の概念です。
      根源を表すものですね。
      宇佐と物部は
      表裏一体ですね。
      徐福と市杵島姫の婚姻と
      イニエ王と豊玉姫の婚姻が
      それを表していますが、
      それだけでなく、
      代々、重なって来たと思います。
      鴨と秦も
      似たような感じでしょう。
      フルコトフミ
      楽しみにしています。
      Kazu さん
      海童が安曇になったお話は
      出雲口伝に記されています。

  • @girasole4172
    @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

    なんというシンクロ‥
    今朝起きて、
    最初にコメントしたのが、
    宇佐公康氏の伝承本について
    でした。
    Mitsuko さんからも
    同じ話題が出てくるとは…😆
    th-cam.com/video/1YeDWEfgc-s/w-d-xo.htmlsi=gXNNBPMugMX1L80p
    白兎神社を初め、
    🐰関係を興味深く
    まとめていらっしゃいました。
    個人的には
    宇佐族が
    稲荷山を拠点にしていたのが、
    猿田族に追い出された
    というくだりが
    とても気になりました。
    秦氏の伏見稲荷大社は、
    先に稲荷山に
    猿田彦信仰があり、
    宇迦之御魂神が重なってゆきますが、
    その前にウサ族もいたとなると
    もう、グルグル回って
    面白すぎです。
    菟狭津媛と神武天皇の東征の伝承は
    豊玉姫の東征と
    完全に合致しますよね。
    以前、あわぬこさんに
    色々教えていただいて、
    パッチワーク状に
    積み重ねた情報で、
    想像しています。
    Mitsuko さんの目線から
    また、色々聞かせていただくのは
    とても楽しみです。
    正史に添いながら、
    最も重要なことは、
    絶対譲れないという
    主張が伝わって来ます。
    この菟狭津媛の子孫から、
    応神天皇が出るんでしたね。
    正史は菟狭津媛が捧げられたのは、
    【天種子】となっているが、
    本当は神武天皇の妃となって、
    東征に参加したというのが、
    公康氏の主張でしたね。
    【天種子】ですからね〜。
    以前は、なんでここで天種子‥
    って不思議でしたが、
    今は納得です。
    天児屋根命の孫で、
    村雲の子です。
    十種神宝が
    賀茂から…😆
    これも笑えますね。
    前回動画のコメントで、
    賀茂と秦氏と物部が
    秦氏が渡来して間もなく、
    既に婚姻関係にあり、
    どんどん一体化していったお話を
    書きました。
    当然、八幡宮も加わり、
    もう、みんな
    親戚同士であったことが
    分かりますね。
    賀茂氏は
    全国の重要な祭祀家系に
    婿や嫁を
    バンバン送っていたのでしょう。
    むっちゃん先生のお話が
    とても腑に落ちますね。

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

    中鴨神社のお祭りのお話がでましたので、こちらにコメントさせていただきます。
    他チャンネルさんの動画に御作田祭の様子が出ていました。黒牛がユーモラスですね。子供たちが楽しそうに後を着いて、ほのぼのします。
    後半の方の二礼二拍手一拝のあたりにMitsukoさんも一瞬出演されていたようですね。
    葛木御歳神社 御作田祭 2024年 牛が田を耕し稲を植える様子 【神社TV】神様大好き 神社の楽しさを伝えるのchannel
    th-cam.com/video/A1xxLLNdklM/w-d-xo.html

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      nihontaro さま
      御作田祭の映像
      ありがとうございます♪
      田植えって
      こうやってやったのですね。
      本当に田んぼに入ったのかと
      思ってました。😅
      前回動画、
      YOSHI MIN さんに
      教えていただいて、
      【牛飼神社】
      コメントしたばかりです。
      村雲が牛飼だった…
      というお話です。
      ドンピシャ過ぎて
      ビックリしました。
      Kazu さんのコメント欄
      新しい順で。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      Nihontaroさま
      向日葵さま
      皆様
      思ってた田植えと違った😂Mitsukoさんらしきお姿ら一瞬見えました♪
      裸足で田植えしたら、虫を踏んだのか、太股まで真っ赤に湿疹が出ました。自分の軟弱さを思い知りました。
      能登半島でも、地震で崩れた千枚田の一部を修理して、お田植え神事されてましたね。その心意気に脱帽です。

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      @@kazu-358 さま
      全てを一瞬で失い、
      大変な時期なのに、
      だからこそ、
      祭祀が必要なのかも
      知れませんね。
      現象を創ってゆく作業が
      潜象である祭祀です。
      サイノカミが色濃く残る
      北陸の祀りは
      古代の様子を彷彿とさせますね。
      田とともに
      蘇ってほしいですね。

  • @kazu-358
    @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

    一言主は三又の竹
    竹の角が三?
    凄く基礎的な事を言ってるのか、馬鹿な事を言ってるのかどっちかなのですが
    下賀茂神社の御祖神の建角身さんと、葛城の迦毛大御神アヂスキタカヒコネさんが、同一人物って事はないのでしょうか?建角身さんは賀茂の英雄を総称という意味ではなく、実際に当人だったという意味です。初代建角身という意味です。
    伝承本ではどうなってるのでしょう…
    新撰姓氏録に、鴨建角身は大和葛木山に降臨した八咫烏の事だと、書かれているらしいのです。
    アジスキタカヒコネさんが三島ミゾクイさんで、娘の玉依姫が八重波津身さんの奥様で、お二人の間に産まれた五十鈴姫が、村雲さんの正室って事はないのでしょうか?
    つまり徐福さんは出雲王の長男、建角身の妹シタテルヒメ(高照姫)を娶り、五十猛さんが産まれたと。アジスキタカヒコさんは徐福さんの義理兄弟になります。エピソードがダブるのはそのせいなのか、実際に行動を共にすることになったのか…本人なり子孫なり(この辺りがモヤっとするのです)
    玉依姫は、年の離れた八重波津身さんと結婚したことになりますけど、女性が若い分には、お子様は産まれるものですし…
    出雲王の八千矛さんの名前を出せないなら、長男のアジスキタカヒコさんから展開します。
    賀茂王クシヒカタさんの祖父になり(この場合賀茂別雷はクシヒカタさんになります)、
    娘のミラ姫さんはクシヒカタさんの奥様なので、系図にあるように、クシヒカタさんの義父にもなります。(この場合、大山クイはアジスキタカヒコさん。系図通りです)
    大神神社は東王家の家なのに、三島ミゾクイさんの娘さんの元に通い婚した、八重波津身さんの丹塗矢伝説が由来として残っている。本来なら、奥様の家に伝わる伝説のはずです。東出雲王家のクシヒカタさんが大神神社を建てたとして、同時に西出雲王家も持ち込んでいたということじゃないでしょうか。
    それだと、アジスキタカヒコさんが大御神なのがしっくりきます。ぜんぜん地味じゃなかった💦
    後にアジスキタカヒコさんの男系は、京都へ。何代目かのタケツノミさんです。新天地だった葛城に、アジスキタカヒコさんのお名前は残ります。西出雲王家の子孫で、葛城に残られた方々に祀られたのではないでしょうか。四国にも拠点があったのでしょう。
    アジスキタカヒコさんは、天若彦さんと間違えられて喪屋を蹴り跳ばします。(義)兄弟だったから間違えられたと言いたいのでしょうか。父のかたきなら、本心はいかほどでしょう。でも甥やその子供は、天津神勢力になって行きます。徐福さんの奥様の市杵島姫は、アジスキタカヒコさんの叔母でもあるのです。
    東西が交替で王になるなら、順番で鳥鳴海さんが、出雲王になったのでしょう。異母兄弟のクシヒカタさんは、出雲では王になる立場ではなかったのか、葛城へ。でもクシヒカタさんは東西王家の血をひくサラブレッドです。そして高照姫の血をひく子孫も、新勢力と共に奈良で合流。神武天皇の誕生です。
    大河ドラマの家康さん、「えびすくい」音頭を歌ってました。今日は脳内再生が止まりませんでした。まさか恵比寿クイ?
    全部私の勘違いなら、笑って下さい😅

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      Kazu さま
      とても複雑で、
      整理するのに大変でしたが、
      要するに、
      【玉依姫が西出雲王家の姫】
      ということですか?!
      ちょっと、それは
      無理がある気がします。
      クシヒカタらは
      三島家の援助があって
      ヤマトに進出しています。
      玉依姫が西出雲王家の姫であるなら、
      こんなにくどくど
      三島家の話を正史に繰り返さなくても
      良いわけです。
      伝承本でも、
      各地の伝承でも、
      三島の話が多すぎます。
      三輪山には全く
      西出雲の色がないんですね。
      東王家一色です。
      葛城は西王家が
      護ってゆくことになりますが、
      伝承本でも
      登美家も葛城から始まったと
      書かれています。
      賀茂建角身の一人は八咫烏です。
      →大田田根子
      クシヒカタは鴨王であり、
      大田田根子は
      クシヒカタの子孫です。
      西王家も東王家も
      カモと言われたと
      書かれています。
      神魂神社→🦆
      葛城は鴨族の故郷なので、
      葛城山に降り立ったとしても
      筋はとおります。
      京都へ移った大賀茂津身は
      もう一人の建角身ですが、
      大田田根子の孫ですから、
      もし、玉依姫の父が
      阿遅鉏高日子根であっても、
      男系の子孫にはなりませんね。
      男系だったら、
      八重波津身の子孫になります。
      →大物主の子孫
      人間・阿遅鉏高日子が
      玉依姫の父というのは
      ちょっと小さい気がします。
      わたしは
      【阿遅鉏高日子根神】は
      もっとスケールが大きいと
      感じるのですね。
      鴨族全体の祖となっている。
      この意味は
      人間の領域を超えたところに
      あるというの意味です。
      神さまとなった
      阿遅鉏高日子根神です。
      何万倍も自由であり、
      大きなエネルギーとなります。
      玉依姫は
      出雲とは別の血統であることに
      大きな意味があると
      感じています。
      三島が大山祇神であるからです。
      三島も含んだ鴨族の
      総称となってゆくのが
      阿遅鉏高日子根神です。
      玉依姫の父であったら、
      三島が消えてしまいます。
      そして、
      出雲の伝承本にも
      玉依姫が
      西出雲王家の姫であったとは
      書いてありません。
      阿遅鉏高日子と徐福は
      建角身でなくても、
      義兄弟です。
      そしてね、
      阿遅鉏高日子根神は
      村雲のエネルギーは感じますが、
      タタラ五十鈴姫のエネルギーは
      感じられないのですね、
      個人的には。
      タタラ五十鈴姫の子孫たちではなく、
      阿比良比売の子孫たちが
      阿遅鉏高日子を
      支えている気がします。
      →村雲を祀る阿波忌部
      つまりね、
      中央の賀茂族は
      クシヒカタの子孫たちですが、
      (東王家と三島の系統)
      中央からはじき出された鴨族でさえも
      包括しているのが
      阿遅鉏高日子根神のように
      感じるのですね。
      これは
      わたしが個人的に感じている色なので、
      アシカラズ…

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172 さま
      皆様
      そうですよね、流石に無理があるかな、と思いつつ🙄夜中にトイレに起きて、天神系の賀茂氏って何?って思わずコメントしちゃいました。
      アジスキタカヒコさんの男系って、ひどいですね。玉依姫の時点で男系じゃないやん😅子孫の中から、タケツノミに該当する(京都へ新天地を求めた)人、と言うべきでした。それに元々、義兄弟ですよね。それだけじゃあ薄いかなあと、スサノオ命の養子になったのかな?とまで考えてたのに🙄混乱した文章になったのをお詫びします💦
      大阪で、恵比寿さんが人気なのは三島家の姫とアジスキタカヒコさんが結婚したのかな?
      そもそも大山積って何?大山(だいせん)は出雲だし🙄と、とっちらかってます。
      新しい出雲を作ろうとされた、というNihontaroさんのコメントは夢があって興味深いですし、また何か出てくるかも。
      妄想コメントのおかしな所(特に系図)、突っ込んで下さいね。いつもありがとうございます。

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      ​@@kazu-358さま
      大丈夫ですよ。
      こういう妄想から
      お宝が出てくるんです。
      パズルを入れたり出したり
      しているうちに、
      あっと驚くカタチが
      観えてきます。
      阿遅鉏高日子根神は
      確かに
      スサノヲ色があるのです。
      人間・阿遅鉏高日子ではなくて、
      神さま・阿遅鉏高日子根神
      と考えた場合、
      神さま・賀茂建角身とは
      絶対、重なります。
      阿遅鉏高日子根神は
      八咫烏なのです。
      その中に大田田根子がいます。
      なので、
      Kazu さんの感覚は
      正しいと思います。
      だけど、
      人間で押し込もうとすると、
      沢山の制約があって
      当てはまらないのです。
      神さまは足し算
      人間は引き算で
      考えています。
      この意味は
      神さまはどれだけでも
      重なることができる。
      人間は
      不可能・不自然なことを見つけて
      排除してゆくことで、
      唯一無二の肉体が
      見つかるということです。
      ですが
      歴史は肉体だけでは
      動いていないのです。
      エネルギー体の動きの方が
      遥かに大きいです。

  • @kazu-358
    @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

    なぜアジスキタカヒコさん、一言主というお名前にされちゃったのかな?と。
    葛城に、調田坐一事尼古神社(つくだにいますひとことねこ)という神社があるのですね
    祭神
    一事尼古大神、事代主大神
    摂社
    豊受神社
    春日神社(武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、比メ神)
    神社ホームページより
    一事尼古大神の尼古とは高貴な男神を示し、一言主神と同神なりや、「古事記」には雄略天皇が葛城山に狩に行かれたとき、一言主神が顕現され 「吾は悪事まがことも一言、善事よきことも一言に 言いはなつ神なり」と云われ、 一言で願えること、一つの願いごとなら何でもかなえてもら える古来、一願成就の神様 として崇敬を集める。
    事代主大神は恵美須神の御名で世に広く知られ、遠く神代の昔、平和と円満を旨とされた大国主神の御子で国譲り(国土開拓)の大業を助け、率先し て、皇孫をお守りになり、農耕の発展をはじめ、

    国譲りにおける誠の精神の具現により、農耕の発展とともに

    御鎮座の由来はまことに深遠なる御神徳と申す べく、すべての物事を照覧し給う広大無辺の御神徳を福徳円満の神として仰ぎ、又一願成就の神として…
    ⛩️⛩️⛩️
    初めて一言主神社にお参りした時、銀杏だったかの大木に、乳房のようなコブがたくさん垂れ下がってるのがお祀りされてて、女神もいはるのかしら、と思いました😅

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      春セミ、知りませんでした。でも調べたら、セミはカメムシ目だという事に、もっと衝撃Σ(;゚∀゚)
      貴重な御本を紹介下さいまして、Mitsukoさん、Tさん、ありがとうございます! 続きが気になりすぎる🤩
      まがごとも、よきことも、とは
      大国主が事代主に判断を委ねるくだりがありましたが
      「国を譲るべき」
      譲る側にとって、まがごと
      譲らせる側にとって、よきこと
      大国主でさえ従った一言(描写のあや、でしょうが)、だから大御神なのか…
      神社本庁のサイトより
      この国を治めている大国主神に、この国を天神の御子に譲るかどうかを問いました。
      大国主神は自分の子どもたちがよいというのであれば、この国は天神の御子にお譲り致しますと答えました
      大国主神には、事代主神と建御名方神という二柱の子供がいましたが、建御名方神は、力じまんの神でなかなか納得しませんでした。そこで建御雷神と力競べをすることにしました。建御名方神が、建御雷神の手をとると、氷のようになり、剣の刃のようになりました。 これはたまりません。建御名方神は、大国主神の命に従うことを約束しました。その後、建御名方神は信濃国に移り、信濃国の国造りをしました。
      このことを大国主神に告げると、大国主神は自分が隠れ住む宮殿を、天神の住む宮殿のように造ることを願い、そこに移り住むことにしました。こうして出雲の国は、天神の御子瓊々杵命に譲られたということです。
      ⚔️☁️⚔️☁️⚔️☁️
      出雲大社を建てる経緯は、時代を跨いだエピソードのように思えますが
      この流れだけみると、大国主と建御名方神も、事代主の言葉に従う形になりますよね。

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​​@@kazu-358さま
      尼古・根子・子根
      ですね。
      一言主神を阿遅鉏高日子
      事代主を八重波津身
      とすると、
      クシヒカタの義父と実父に
      なりますね。
      【鴨王の父】が揃ったということに
      なります。
      そう言えば、
      雄略天皇は
      【雷】を捕まえたエピソードも
      ありましたね。
      何だか全部
      重なって来ます。
      乳房のような銀杏
      凄いですね。
      カタチは違いますが、
      伊雑宮の巾着クズを
      思い出します。
      カメムシ→瓶・甕・鼈・亀

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​@@girasole4172さま
      皆様
      二人の事代主がいらしたらややこしいですものね
      隠れ美濃、じゃなくて隠れ蓑にもなるのかな
      朝倉山の上に簑笠を着た鬼が居て、天皇の葬儀を見下ろしていた…
      カクレミノ(隠れ蓑)はヤツデ、アオキと並んで日陰に強い植物、ミツデ。隠れ蓑は吉祥模様の1つでもあるのですね。天狗のうちわ。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +2

      一事尼古大神をググると
      ヰチチ
      市千魂命
      津速産霊尊の孫。フツヌシの妹・アサカ姫を妻とし、アマノコヤネを生む
      『霊還し』の方法論を開発した功により『ココトムスビ』『カスガ殿』の名と、大和の春日県の治めを、アマテルより賜る。その後老齢のため、県を治めることができなくなったというので、クシタマホノアカリが大和に下ることになる。
      ホツマツタヱなのですね。「霊還し」…神をも生き返らせる、の由来でしょうか。
      先代旧事本紀に
      津速魂尊─市千魂尊─興登魂命─天児屋命
      という系譜があるそうです。スサノオ命の子供じゃないですよね🙄

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

      ​@@kazu-358さま
      津速産霊尊
      この間、kazu さん
      詳しく書いてましたね。
      323話
      そのお陰で
      わたしもその系図を書いています。
      【中臣】です。
      ホツマツタヱでは
      市千魂主と興台産霊が
      同一なのですね。
      ありがとうございます♪
      興台産霊命は
      己等乃麻智比売の夫となり、
      天児屋根命の親になります。
      言霊を操る
      中臣の伏線になります。
      天児屋根命も
      【武乳遺命】
      (たけちのこりのみこと)と
      同一とみなされていたりするので、
      【チチ】の音♪が
      続きますね。
      正史は暗号だらけですが、
      ホツマツタヱは
      昼メロで構成されていますね。
      どこから持って来たか、
      本当に分かりやすいです。