雑談系・常滑の陶芸家たちとの交流で作品つったら実存だわなという感じがしてきた話

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  • เผยแพร่เมื่อ 14 ม.ค. 2025

ความคิดเห็น • 4

  • @hirotaka7
    @hirotaka7 14 ชั่วโมงที่ผ่านมา +2

    わかります。企業向けにホームページを作る仕事をしていますが、10年前ぐらいまではサーバーへの公開とは別にデータをCD-Rに焼いて納品しないといけないという謎の検収システムの会社も多かったです。特に製造業の強い地域では形のないものにお金を払うことに抵抗があるみたいですね。

    • @丹後智広
      @丹後智広 11 ชั่วโมงที่ผ่านมา

      難しい話なので私にはよくわかりませんが・・・伴先生の晴れやかな表情が印象的でした。何かを見つけられたんでしょうね。
      お話を聞いていて久しぶりに常滑へ急須を見に行きたくなってきました。
      今回のお話を聞いて、サイアノタイプ現像を少しやっているんですが、あれは不安定で一品物の要素が強くなるんだなぁ、と再認識しました。メインにはならないけどちよっと面白いのかもしれません。
      そんなにやってるわけじゃないしサイアノタイプを改めて頑張ってみようと思いました。
      ・・・その前にまともな写真を撮れる様にならんといかんのですが(;゚∇゚)

  • @kokuma50
    @kokuma50 10 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    買う側もまだ実存だからこそ価値があるというのは強い感じがしますね。NFTがイマイチ浸透していかないのもそういうことがあるのかなと思ったりします。
    ところで今回のカメラとレンズの組み合わせでの投稿は初めてでしょうか?
    いつもよりくっきりとした映りをしてるような気がしまして

  • @KR-fn9yz
    @KR-fn9yz 10 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    「作品」という言葉にもいろんな解釈がありますよね。
    近代的な意味だと、作品は作者のアイデンティティと結びついている必要があって、その界隈では実存よりも観念の方が重要視されているのではないでしょうか?
    このような近代というある種の特殊な価値観の外側では、作品=実存と言えるのではないかと僕は感じました。
    写真という技術が近代になって生まれたものだというところに、写真で実存を求める難しさがあるのだと思います。