【証言】1.17 サンテレビの知られざる危機 放送休止停波を回避した元社員の証言

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @nan4649
    @nan4649 10 วันที่ผ่านมา

    大阪市民です、あれからもうすぐ30年ですか、この話は初耳です。私は昭和30年代生まれですから、仕事が一番の人間でした。職種は違いますが、会社の生命線である「電波を止めない」その気持ち痛いほどわかります。そういえば数年前に石川県の民放送信所が落雷で機能が失われ、系列局であるカンテレから借りた小電力の送信アンテナを取り付けて送信再開したという話を思い出しました。

  • @tasukuyamanouchi6386
    @tasukuyamanouchi6386 2 หลายเดือนก่อน +2

    こういう非常時に使命感を持ってまず動くのは本当に日本人の美点だと思う

  • @ShimaJiro2205
    @ShimaJiro2205 2 หลายเดือนก่อน +1

    当時の放送技術誌で読みました。映像だとリアルですね。東京で最初にこの震災を伝えたのは、日本テレビでした。お天気情報の番組(「朝一番天気!あさ天」)でした。編集作業中だったのですが、モニター1台だけ日本テレビを映してました。(当時、東京で放送してたのは日テレだけ) 突然「東海地方で強い地震」というスーパーが出て「ついに来たか!」と覚悟したのを覚えています。東京は、震度1でした。スーパーが出てから数10秒後、大変ゆっくりとした揺れが来ました。

  • @おたやん-x6w
    @おたやん-x6w 2 หลายเดือนก่อน

    時々、こういう災害の情報流したほうがいいね。知ってる人が段々いなくなるからね

  • @bictaka29
    @bictaka29 2 หลายเดือนก่อน

    小畑さんの判断に任せた上司も肝が座ってるなあ。独断専行を咎めて処分するような会社じゃなくて良かった。

  • @おたやん-x6w
    @おたやん-x6w 2 หลายเดือนก่อน

    災害時は停電で家も壊れてて、テレビは見れない、
    逃げた公園近くでカーラジオを流してくれていたけれど、
    淡路で地震があってけが人が出たというような話、日本中全部が地震なんや、
    どうしよう、これからどうしよう、と思った。明るくなって歩き出して、軒並み家が倒壊しているのはわかったが、その中で人が挟まれているとは見えなかった、

  • @azd55454
    @azd55454 2 หลายเดือนก่อน +1

    頭が下がります。新潟も1964年の新潟地震の時は子供心に覚えています。能登の被災地の皆さん、頑張ってください!