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私の親がプロテスタントのキリスト教を信じています。自分が産まれる前から教会に通い、クリスチャンホームで育ちました。狭い空間にたくさんの人がいる、「皆で仲良く」といった空間が苦手で未だに人付き合いは苦手です。教えのひとつで「両親を敬え」とありますが、幼少期から躾と称した虐待があり殴る蹴るは当然、包丁を突きつけられたり夜中に外に裸足で放置されるなどが普通でした。それが普通ではないと気づいたのが17の時だったのでかなり生きずらさはありました。私は神を信じていない訳では無いですが、いるとするならもう助けてくれていてもいいのではと思っています。
中2までの6年間「エ」のつく宗教にどっぷりでしたが、30超えた今でも教えに背いた行為をしようとすると罪悪感を感じます。家庭も壊れたままです。「生涯付きまとう」というのは本当にそう思います。
私は、宗教2世です。57歳になるのですが子供の頃から信仰をしなさい。信仰をしないと不幸になる。と暴力を受けながら生活してました。私自身は、何度も家出を繰り返し学校にも馴染めず中学校教育も卒業し就職し、24歳で結婚33歳で主人が突然死で、狂ったかのようになり精神科に受診しました。信仰の自由は、良いのですが断る自由もあって良いと思います。今も、トラウマと統合失調症の治療中です。
宗教二世(まっとうなキリスト教)今牧師です。小さいときから根拠を説明できない伝承的こだわりに固執している大人を見て「大人って視野狭いなあ」とひねくれたことを思って育ちました。あれこれコスパ悪く根拠を考えるクセがつきましたが、本来の宗教って人の幸福のためにあるし、それが人を不幸にしてるなら違うんじゃね?聖書読む限り、神様だって人の不幸願ってないよね。という結論に至っています。ちなみに、信仰だけですべてが片付くとは信じていない派です。
天○教の布教所を実家がしてます。子どもの頃は子どもらしく振る舞えず、大人の顔色を伺い、過ごしてきました。だから、周囲にうまく溶け込めず孤立して常に精神的に不安定でした。社会人になってもどう振る舞えば良いのかわからず、精神的に不安定で周囲と対立することが多く人間関係に疲れてしまい、現在休職中です。今は自分の家族と暮らしているので実家からは離れましたが自分のやり直し期間だなぁって思って考え方を少しずつ変えていく作業はすごく私にとって苦痛な時もあり、大変ですが、私の生きづらさは今日の動画を見て納得できるので復職出来るように頑張ろうと思います。
親が会合で夜いつもいない。とか家が拠点になっていると常におじさんおばさんが家に来ていて勝手なイヤな事を言われたり。悩みがあって親に相談してもお題目あげなさいしか返ってこないので誰も助けてはくれないし何があっても自分でどうにかしなければならないという考えをしてきました。何か悪い事があると罰が当たっているんだと考えてしまうのはやめて15年経った今でもあって常に自罰的です。他にも色々書ききれない事がありますが宗教が子供への虐待だという考えが広がって欲しいと思います。
宗教2世です。宗教2世に起きる機能不全について語られたものはなかなか無く、とても貴重です!私は宗教のコミュニティーで生きるように時には虐待を受けながら育ちました。なので、そこから出る時、本当に大変な思いもしましたし、今でも困難があります。2世であることを他人に打ち明けることも難しいですし、親とも疎遠になりますが、それを人に理解されにくいですね。頼れるところをいくつか見つけていかないと、後々大変なのだろうなと思いつつ、それも難しいです。
両親ともに熱心な信者で、自分は小学生のころから強制されてたけど、一度も奇跡話とか信じることができなかったな母親は自分にはお菓子を作ってくれないけど、宗教の子供部のためのお菓子は真剣に作っていた母親は遊びに連れて行ってくれなかったけど、宗教のお祭りや出し物だけはよく誘ってきたテストや部活で頑張っても、神様のおかげ、宗教の本を読んだおかげ昔は宗教の教えで薬は全面禁止で、自分が飲んでいたサプリも母の宗教仲間に見られたくないからって隠されてたりしたのに今は何でも飲んでよい教えになったみたいで、子供のころに否定されてきたものを、自分たちは薬が必要だからって平気で飲んでいる本当に自分にとって何も良いことはなかった。今もコメントを書いていてむなしくなってきた
宗教のことや家庭のこと、病気、災害、性被害といったさまざまな不幸が別に自分のせいだけじゃなかったと気付けたときにはもう手遅れな年齢、取り返すことのできない人生、理解されない人生になってしまっていたりもしますよね。世の中って本当に不公平で不平等だなぁと切なくなります。
私も宗教2世です。両親は同じ宗教同士でお見合い結婚したので熱心な宗教家です。父は良くも悪くも私達兄妹には無関心で宗教に関して色々といいませんが、母が熱心で辛い事もあります。否定しようものなら一気に感情的になります。どうにか私達を宗教の教えで言い聞かせて頷かせる。自分を否定するものは一切受け付けないというワンマンタイプ。こちらの事は知ろうともしませんでした。増田先生のいう、しなやかさの欠如がものすごく分かります。幼い頃に宗教の子供たちが集まった合唱団や鼓笛隊に行かされていた時は、もともと団体人数よりもグループから仲良くなっていくタイプの私には本当に苦痛でした。中学生から部活が忙しくなり離れていました。たまたま成人した時に出会った同世代の2世さん達とは気が合い今でも仲良くしたり2世ならではの悩みを相談しています。唱題などは自分も悩んだ時など不安になるとしたりするのでまったく信じていないわけではないですが、選挙活動をしなさいとかは違うと思います。もう私はこの宗教が当たり前になっているので麻痺していますが、、宗教の中だけの狭い視野で考えていてはダメだなと感じました。私は職場で人間関係がいつも上手くいかないんです。というのも家庭の中で自分の意見を幼い頃から受け入れてもらえず、いつも宗教の考えが1番。それがトラウマになっていて自分の思った事や気持ちを伝える事が今でも苦手なんです。結局溜め込んで体を壊して辞めるを繰り返しました。今は傷病手当を貰いながら精神科へ通っています。結婚しているのでこれからは適度に親と距離をとりながら自分の頭で考える癖を身につけようと思います。自分の子供が産まれたら、強要するようなことはしたくないなと反面教師にしてます。
私は宗教2世ではありませんが宗教によって狂わされた1人です。会社の人間に会社の外で勧誘され宗教だとは気付かず入信させられました。それが10年位前です。最初は朝夕祈るだけというのでやってたのですが、ここ何年かはチラシのポスティングや駅前配布の強要的な要素が増えてきて、危うく完全にマインドコントロールされそうになりました。私は宗教を否定も肯定もしませんが、その人達の自己中心的な考えには賛同出来ませんでした。彼女達は自分の考えを私に押し付けてきます。いい事があるとすぐにその宗教と結びつけてきます。私はそれが大嫌いでした。去年までは会社にいたので辞めれませんでしたが、うつになり会社を辞め会社とも縁が切れたので、今は勧誘してきた人とも連絡は絶ってます。宗教は自分だけで信じるのは自由ですが人を巻き込むのはいかがなものかと思います。
私の両親はキリスト教の牧師で、私自身は紆余曲折あって自分の意志で信仰を持つ決心をしています。けど、ヘンな教会に捕まって傷ついたり、虐待まがいのことをされたりするというケースも耳にします。宗教の問題と、パーソナリティや愛着、家族の問題は複雑に絡みあっていますよね。ある論文では、キリスト教における神さまのイメージは愛着モデルと相関があると言います。またある牧師は、中高生になったら一度教会から離れるくらいの方が健全な信仰を持てるし、残り続けた方が危うさがあるとも言います。信仰の持ち方は個人のパーソナリティや置かれている状況に左右されるものですが、ときに信仰者は(真面目であればあるほど)それを認められず、その人を傷つけてしまうことが起こりえます。キリスト教会、宗教界全体が、家族や虐待といった問題も含めて、人間理解を深めなければならないと思います。臨床心理学を始めとした対人援助の視点も含めて牧師をされている先生がいますが、その先生の教会には、むしろ宗教2世で傷ついた人が教会に来て心理的・霊的に回復していくケースが度々あります。そのような視点が増えていけばよいと思っています。
母親が信者でお祈りしたら何でも願いが叶うと絶対信じてる人です。(現在進行形)なによりも会館に集まって、家に集まってお経唱えるのが日課。子供育てるお金がなくて養護施設に入れても宗教とパチンコに使うお金はあったみたいで、施設から私を出すのを頑張ってお祈りしてるからっていつも言われて結局卒業するまで家に帰れなかった。もう母を拒絶してます。もう無理。
僕も宗教2世です。親にいろいろあってその宗教を信じていることは否定してないつもりですし、活動してる親はとても生き生きしているので悪いものだとは思っていませんが、それを押し付け方に関してだけは虐待の域だと思っています。
宗教二世当事者です。宗教の年会費を自分で払えと強要されたので拒否したら地元の偉い長老みたいな人と面談しろと言われ嫌々会ったら「お金が払えないなら地獄に落ちる」と脅されました。ずっと幼い頃から祈願しないととんでもないことが起きると親に脅され一日に何回もお祈りさせられ、大人になっても地獄に落ちるなど脅迫され、もうボロボロです。長年にわたる精神的虐待を受けた子供は大人になっても苦しんでいる
母が宗教に入っていましたが、居場所がない人が傷を舐め合ってる感じというか、宗教に依存して自分の問題に向き合わず逃げているだけな気がしました。宗教の教えそむくななど、色々言われましたが親が勝手にするのは良いですが子供に押し付けるのは違うと思います。私は現実主義なので、結局は自分と向き合い受け止め乗り越えるしかないと思います。押し付けられなければ勝手にやってくださいなんですけど、子供にとっては難しい問題だと思います。
自分の母方も宗教の家系でした。幸い母親は信仰を強制するような人ではなかったので今は無信仰です。身近で宗教を見て育ち、歴史上の神話や宗教を当時の情勢を鑑みて思うことはやはり苦しい人生の中で生きる意味を教えてくれる一つの答え、つまり人生観なんだと強く感じます。それを念頭に置くとそういった人生の依りどころを求めてしまう人間はなにか苦しい立場にあったからこそ魅力を感じてしまうわけで、自分もそうでしたがそうした親のもとではいろいろな側面での親の苦しさの捌け口となるのが子供です。今でも僕は親のしたことを許せませんが、同時に同情もします。宗教は嫌いですがプラスに働く側面もあるので本当に難しいと思います。人はなんのために生きるのでしょう。生きる意味は何でしょう。そこに答えを与えてくれる一つが宗教です。僕は宗教が嫌いでした。すがれませんでした。では僕の生きる意味はなんだろうと考えて悩みました。今は生きる意味なんてないことをいい意味で理解しました。人生なんて死ぬまでいの暇つぶしなので今までの嫌な記憶なんて忘れてあとは前向きに楽しく死ぬまで人生暇つぶしをするのが一番楽しいと思うようになり、今はだいぶ心が安定しています。
創価学会の宗教2世です。私も成人して実家を出るまでは宗教活動の強制が酷かったです。でも私が実家を出てからは「名ばかり学会員」で、親だけがいまだにどっぷり浸かっています。今回の動画は非常に勉強になりました。「機能不全家族」「非認知能力」「しなやかさの欠如」など気になる単語も多数出てきたので、今後何度も見返すと思います。そもそも私の親が宗教にはまったのは・・・、在日韓国人で差別されていたこと、片親を早くに亡くしたこと、そこからくる経済苦等があり、「社会的、精神的な寄る辺の無さ」が理由かなと思います。また約100年前に日本に渡ってきた祖父母世代と親世代では母語の違いがあり、心の教育も乏しかったと思います。そんな精神的に飢えた状態のときに出会ったのが宗教で、親にとっての宗教は第2の親のような存在なのかなと考えるようになりました。ですので私は宗教活動はしませんが、親の活動は否定しないようにしています。(実害がない限り)益田先生いつも気づきの多い動画をありがとうございます。好きすぎて神格化しないように気をつけねば(笑)!!
めっちゃわかると思った。親が新興宗教に入っていて、小さい頃からそういう施設に通っていました。私は研究者を目指していて科学者的な考えを持っているので信仰はしてません。しかし、他人の心の拠り所を奪うのは違うなと思っているので、親に対してその宗教を否定するということはしないようにしようと決めています。自分の価値観が侵略されそうな時には自分の意見を主張してきたのですが、そういう時に強く意見を否定されるし、親が感情的になるため、精神的にキツいことが多かったです。信仰を否定したくはないけれど、宗教のような「自分の内から湧いてきた訳ではない、他人が考えた価値観(教え)」を絶対的に良いと思っている人と話しても、価値観の更新が行われにくいので、論理的な会話をするのが難しい。価値観の根拠が神であるので、揺るがないし、疑わないから、子供は親の価値観に疑念を持ち親を信じられなくなります。益田先生は本当に宗教二世の生きづらさをよく理解してらっしゃるなと思いました。終始頷きっぱなし。親の価値観の押し付けは不健全な家族関係を作り出すし、健康的な学習体験を奪うし、最終的には長期的な対人関係の問題が生まれてくる。科学が発展してきたのだからそろそろ宗教が縮小していってほしいが難しいですな。宗教に寛容でありながら、自分の価値観を奪われないように頑張りたい。。ある意味私は科学を信仰していて、心の拠り所にしています。みんな好きなyoutuberやアイドル、インフルエンサーを心の拠り所にしていたりしますよね。宗教の本性という本をみなさんにお薦めしておきます。
宗教2世です。思春期だった頃は、家庭を犠牲にしてまでして宗教にどっぷりだった母にうんざりしてました。ですが、今は否定する気はありません。自分も母になり、自分と同じ3人兄妹を育てていて父親は仕事ばかりで育児家事協力はほぼなし。そんな状態で子育てしていて、急に宗教にハマり出したのって、精神的に相当しんどかったんだろうと今になって少し理解できた気がします。ですが、その宗教依存のせいで結局は家族バラバラになりました。母はそれでよかった、今は幸せと幸せそうにしていますが子どものわたしにとってはすごく悲しいしいろんなことがトラウマ。自分も母親みたいになってしまうんじゃないかと毎日怖いです。わたしも何もかもが嫌になった時、神様に助けを求めるようになるのかなとか考えただけで怖い。何事にも言えるけど、周りが見えなくなるほどハマるって怖い。母をそうしてしまった父親すらも憎い。
医学生をしています。人がものをどういう風に捉え、考えるのかということに漠然と興味があり、勉強の合間に動画を拝見しています。どういった科に進むのであれ、外来では患者の物理的な背景だけでなく、こういった精神的な背景も考慮して話を伺わないといけないので、特に患者への声のかけ方など参考にさせてもらっています。応援しています!
宗教二世の問題はとても難しいと思います。客観的にはとても良い家庭でも子供は葛藤に悩まされます。そして何より怖いのは、疑問を持たないで大きくなった宗教エリートの存在。エリート二世の子供の宗教三世は、本当にしんどい。ヤングケアラーと似ている、というお話に「なるほど!!」と思いました。
父親を見ていると、脳の特性が強すぎて一般社会では生き辛さを抱え孤立して精神的に詰んでしまうから、明解な教義や権威にすがることによってそのコミュニティ内での居場所を求めたのではないかと思います。「この宗教じゃないとダメで、他の宗教は邪道だ」とは言ってますが、たまたま最初にハマったのがそれだっただけで、他の宗教でもハマる可能性は十分にあったと思います。ハマる宗教がなければ麻痺させて感じないようにする為にアルコールやギャンブルに依存していたことでしょう。
宗教2世の問題には、どんな人も抱えるような内面の問題もありますが、実社会を生きるために必要な知識よりも、圧倒的に実社会とは何も関係ない(例えば死後の世界のこと)などを教え込まれる時間の方が長いです。そこが「コスパの悪い」教育とコンパクトに表現されていて、なんとなくしっくりきました。
生きてるって事はみんな苦しい、ってサラッと言っちゃうのがいいですね。何か特別な事をすれば全て楽になる、って考えてしまうと変な道に進んでしまうのかもしれないですね
30代の宗教二世で、昨年から精神科に通院しています。不眠や抑うつがつらく通院を始めましたが、初診時は妄信的な両親とともに信仰をバリバリにやっており、宗教二世であるとは自覚していませんでした。主治医に「あー、宗教二世ってやつね」と言われた時、バチが当たる、家族が壊れてしまう、とにかく何か怖くて今まで考えることすらできなかったことをさらっと指摘されて楽になったとともに、衝撃でした。自分はこれまで膨大な時間や多額の金銭、自分の生活や人生において本当は大切だった人間関係、感情、いろいろなものを犠牲にして宗教や両親に費やしてきたけれど、だけど、自分は本当はとりかえしのつかないほどの不幸を抱えてきたのか、と絶望感と後悔でいっぱいになり、今も混乱しています。その混乱が自己を損なう行為、傷つける行為に繋がってしまい、しんどい日々をやり過ごしています。主治医やカウンセラーとは良い関係が築けていると思います。益田先生、松崎先生など、信頼出来るメンタル系の情報に触れることが出来るのも本当に運が良かったと思います。つらさを共有しあえる兄弟姉妹、友人、恋人、いまある人間関係総出で支えてもらい、寄りかかりつつ、自分の足で立とうと頑張っていますが、本当に道のりは長いのだなと打ちのめされることもしばしばです。今回の動画を配信してくださり、本当にありがとうございます。また頑張ってみようと思います。
二世です。他人の宗教を否定しちゃいけないとは思うけど、トラウマがあるから宗教の話題自体やそれに関わってる人やモノに対して嫌悪感がすごくて気持ち悪いって思っちゃいます。しかしこの話題を取り上げて下さったことがありがたいです。
高校大学が仏教系で女子高生の時毎朝数珠をもって念仏唱えてました苦笑。高校の時仏教の基本を学ぶ機会があり、それまで宗教=カルトだと思っていた偏見は無くなりました。ただシンプルに人生とは何か、どう生きればいいのか、と哲学のようなものなのにそれを悪用する集団が悪であり宗教そのものには罪は無いのです。仏教ってめちゃくちゃやる気がなくて「どうせこの世は全部苦しみ」っていう教えはティーンの私には新鮮でしたね笑。
しなやかさの欠如、という言葉がすごくしっくり来たのと、只の自罰ではなく神様的なものが罰してくる、という言葉にとても共感できました。また、自分の在り方すら良いところと悪いところがある事を強調されていて、とてもバランス感覚を大事にしている先生なのだな、と思います。
今回の動画も大変勉強になりました。私はようやく無神論者、無宗教者になれました。変な価値観や献金から解放されました。宗教2世ではなく、違う宗教でしたが高校時代同級生に誘われ断れず、いつの間に洗脳され心の拠り所にしていました。結婚し精神疾患発症、夢だった大学に行き哲学の授業で池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読み宗教から離れる決心が出来ました。大学はうつの悪化で中退しましたが、大きな収穫でした。益田先生のフラットな立ち位置が好印象です。私もこれでいいと思えて嬉しいです。ありがとうございました。
宗教のことを虐待、機能不全家族といった複数の視点を交えての解説は初めて聴いた気がします。わかりやすくきけて理解が深まりました。ありがとうございます。
「医者の家系だから医者になれ」と、なりたくもないのに勝手に進路を決められてしまえばそれは虐待ですよね。宗教だと大騒ぎされるけど、医者だとむしろ周りも勧めてきたり。職業も宗教も生き方も、本人が望んでいないことを親や周りが押し付けるのではなく、本人が自分で考えて選べるのが本来の姿ではないかと思います。
『生きる』ということ、『人生』ってそういうことだよね、死ぬまであーでもない、こーでもないと悩みながら、色々な意見や価値観に接し、それも成長ととらえて皆んな人間をやってるということですよね。脳があるからこそ、時には疲れ、益田先生の動画に支えられている1人です。本当に何度救われてきたかわかりません。精神科の主治医以上に支えられています。ただ、益田先生の医師としての情熱、誠実さが故に、苦しんでいる?悩んでいるのがわかります。やりきった感、完璧を追い求め過ぎて、先生ご自身の体調を崩されないよう、それだけはファンとして心配してます。
過食症の私がハマったのがたまたま身近にある“食事”だっただけで、成人だったらはけ口はアルコールだったかもしれないし、宗教だったかもしれないし、薬だったかもしれない。不運で弱っている時は何かに依存しがちなので注意したい
いつも有意義な問題提起と貴重な解説をありがとうございます。楽しみに拝見させていただいております。私は宗教の被害者支援を行っております。宗教を悪用する人間と組織が問題だと思っています。宗教を盾に利益を追求したり、欲望を正当化したり、他者をコントロールしています。機能不全の家族は宗教でなくとも、別の方法で家族を虐待するでしょう。であるにしても、宗教は強力な支配の道具になります。私は宗教者なので、魂や霊性は人が全人格的な存在として生きるために不可欠なものであると考えています。人の魂を迷わせる教えや宗教者には無念さと怒りを覚えます。虐待を受けられた方々に、自由と安全があるようにと願います。盲目的な宗教者たちには、天からの処罰が下ることを願っています。
世間と違うものをこころのよりどころにする共同体に属しているって、誰かの引用なのか益田さん自身の言葉なのか分かりませんが、いい言葉・定義・概念ですね。それが世間とのトラブルを起こすこともあれば、特にそうでもないこともあるし、逆にそっちがスタンダードになることも歴史的にはある、ということですね。
政治もそうですが、宗教に関することを身の回りで価値観を語るのはタブー、という謎ルール。間違いなくそれが個人の心を社会的に孤立させてしまう要因だと思います。私は子供の頃、宗教活動をしていましたが、金銭のトラブルや、悪い活動は全く見受けられませんでした。私自身は機能不全家庭で育ちましたが、家にいられても面倒だということで、宗教の会場によく放り投げ出されていました。あの場所は私にとって、親や祖父母代わりが沢山いて、いつも甘やかしてくれ、私という存在を受け入れてくれる良い場所でした。しかし、それを友達に話すのは違うな、と子供ながらに思っていたので、誰にも話しませんでした。高校の時、偶々会場で同級生と鉢合わせ、ビックリしましたが、やはり話す空気にはなりませんでした。そして仕事が忙しくなったのを機にその宗教からはフェードアウトしました。なので私にとっては、宗教は可も不可もないような感じです。しかし私自身、死にたいと思ったとき、何かにしがみつきたいと思ったとき、頭の中にパッと宗教のことを思い出します。本人が依存して救われるなら良いとは思いますが、日本の新興宗教は、神の前に人が立ち塞がってるイメージで何とも言い難いところはあります。
宗教二世の問題の深刻さは理解しています。ですが、宗教を全て否定するのではなく、宗教をひとつの心の拠り所として生きていくことも尊重すべきだと考えます。確かに、宗教によって虐待的になってしまったり、視野が狭くなってしまうこともあると思います。しかし、この生きづらい世の中で宗教にすがってしまうそんなこともあると思います。その時に、霊感商法などを行うカルト団体のような悪い宗教に気をつけることは大切だと思います。
自分はゴリゴリの宗教三世ですが、同時に心の病気は教義だけでは解決できないと思い、精神科医を目指して医学部で学んでいる学生です。正直なところ、先生が指摘されている心の動きに自分も共感する部分はあります。ただ、目に見えないものを信じているからこそ持てる強さもあることを実感しています。宗教と精神医学、それぞれの優れた点を生かせる方法はないかと考える中で、現実的でありながら誰も否定しない先生のスタンスや考え方、客観的考察はとても参考になりました。トピックとして取り上げてくださって、ありがとうございます🙇♀️
宗教2世です。人生が信仰から成り立っていて、耐えられないような苦難がありました。他人は、辞めたらどうだ、と簡単に言うけれど、自分の人生の否定だったり、親との離別だったり、信仰から離れると何かあるのではと恐怖もあります。
今考えると自分の親は祖父の面影を追いかけて信仰にいってしまい今もまだ夫婦して行っているので結局未だに自分も信仰に対して抜けてないからきついですが今の家族に誰にも本音は言えない。益田先生の言葉は本当にいつもしっくりくるのでありがとうございます。
だいたい信教の自由って憲法に書いてあるのに子供の頃からカルト強要するって憲法違反じゃないのって思ってしまったw
奥が深い命題に、ロジカルに切り込んでいて良いと思いました。シェアさせていただいています。
宗教2世ではありませんけれども、親戚・家族みんな全く違う宗教を信じていて、自分も日曜日に親に連れられ、そういう集まりに行ってました。例えば神といった考え方について、大人によって言うことやることが違う、ある人は肯定し、ある人は否定するといった状況でしたので、私は思春期に何を信じたらいいかわからず葛藤しました。同級生たちにも全く話すことはできませんでしたね。自分のこともドン引きされるのではないかと思ってましたし。だから先生の「コスパ悪い」という言葉がすごくストンと落ちました笑人の生き方の根幹に関わってくる上に、その教義などで人を縛り付けてしまうというのは恐ろしいですね……。
抽象的に「自分を傷つける行為」に対して依存症になる人がいるのだろうと思います。そう考えると、多額の献金する事でスカッとして献金に依存症になる人もいるのだろうと想像します。そう考えるとある種の宗教が多額の献金をする信者から献金を受け取る行為は、見方を変えると献金依存症の患者の依存行為を満たす事で、依存行為を強化しているようにも見えます。本来、献金依存症患者がすべきことは、自分の病気に気づき、精神科医に行き、治療する事なのだろうと思いますが、彼らがある種の宗教組織に勧誘され取り込まれ、自分の依存症という病気に気づく機会を奪われ、症状を悪化させられ、精神科医に足を向ける機会を見失わさせられているのではないか?と最近私は考えています。そして、そうであれば、そういう現実に対して精神科医学会は、依存症者の症状悪化を助長しているある種の宗教一般に対して、強い抗議の声を上げても良いのでは無いでしょうか?
小さい頃から自分なりに納得して信仰して来ました。家族も温かく育ててくれたし、私の意思も尊重してくれました。この一年間、諸先輩から様々言われるようになり、苦しくなって来ました。私が知っている信仰とは、かなり違うので戸惑っています。益田先生の動画を観て、すごく納得しました。もちろん、精神科医の主治医にも相談して、毎日生きています。
自分は5歳の時に母親と生き別れたのですが、それから約25年後に再会する機会を得た時、思っていたよりものすごく小さいと思った記憶があります。自分の中では母親はとても大きな存在だったのですが。機能不全家族で過去ああすれば、してくれればよかったなと思うこともあるのですが、最近は過去はいろいろあったのだろうと両親の長命を願っています。いつもありがとうございます。
今日の動画は自分が観てきた中で1番全部が響きました。
宗教四世です。親戚にもその信仰をしてる人が多いです。親は本当に幼い頃から躾が厳しくて、信仰に捕らわれた考えに締め付けられてばかりでトラウマがたくさんあります。また、親戚も頭ごなしにいろいろなことを言ってくるのが辛いです。ただ、信仰で知り合った友達は本当に優しくて仲の良い子が多いので、今でも仲良くしてます。その子たちとの繋がりが私にとっては大切なので、その共同体から抜けられずにいます。信仰をやめてしまったら、その友達とはもう仲良くできないだろうとか考えると悲しいです。ただ単に信仰心だけで決められないというのは全くその通りだと思いました。宗教を信仰したことが無い人や、全く関心のない人には恐らく理解されないだろう葛藤があることをもっと多くの人に知ってもらいたいです。これが日本でなかったらこんなに苦しくはなかっただろうかとも思います。最近、人は結局自分の為にしか生きれないのだと強く思うようになりました。だから、親や友達にどう思われようが、自分が生きやすくなるための選択は私が後悔のしないようにしていきたいです。今回初めてコメントさせて頂きました。益田先生のひとつひとつの言葉で、最近は自分を許せるようになってきました。いつもお忙しい中、動画や配信をして頂き本当にありがとうございます。
なんか共感します。好きな哲学者でもこの理論はいいけど、この理論は私の感覚と違うなとか何か直感的な違和感というのは大切にしたいと思います。食べ物の嗜好とか音楽の趣味とか五感を使う感覚系ってその時の気分や体調、年齢や時代でも変化していくものだと思う。諸行無常的な…それが先生のいうしなやかさなのかなと…肉体的な自分の受け継いだ資質、容姿などDNAは変えられないし、そういう自分を受け入れて、失敗しながら判断していくんだと…胃腸が弱いのも遺伝的なものだと思うし、コッテリラーメンとか食べれたらと思うけど、味は一瞬美味しいと思っても体質に合わないし…他人のいいというものを受け入れる時、自分にいいかどうかなんて試してみないとわからない事が多い。是か否かジャッジせずに距離を置くって大切だと思う。人によって違うので、正解はないし、多角的視点で自分に合うか探っていく方が確かに楽です。一つの考えを鵜呑みにしない、色んな価値観を拒絶せず色んな情報をフラットにみていく方が縛られず自由な感覚がある。その中で自分に合うか合わないかだけなのかなと…自分に合うからと言って自分の子どもに合うかというと違うし…一つの考えとして伝えるようにはしている。他人に比べて家族は同一化してしまう部分もあるから、同意してもらえない時は確かに寂しい。でも狐のお話で親子でも子どもが大人になればお互い精神的に自立していく方が健全だと思う。
2世です。ドラマで宗教は悪い物の様に扱われるのに、何故うちの母達はしてるんだろうと、幼い頃から悩んでいました。不自由だらけで、幸せな時なんてありませんでした。でも、母はすぐ怒ってくるので、逆らえませんでした。宗教を否定して論破できる程の力が無かった自分が情けないです。仕事も辞め、恋人とも別れ、本部にまで行かされましたが、未だに、本部に連れ戻される夢をみます。でも、あの人達、何の役にも立たないんですよ。不幸に感じる生きづらさの原因。私の双極性障害を見抜いて助けてくれたのは、精神科の先生方です。祈りでも献金でもない。化学と医学です!!
当たり前だと思っていた環境もそんなわけではなく、宗教3世として育ちました。今思い返すと我慢や寂しさも多く親元を離れて、宗教にとても嫌悪感を抱きます。と同時に、親にも嫌悪感を抱くようになった自分もまた嫌なのです…。結婚を期に目を背けられなくなり、嫌な気持ちを抱える今日この頃です、、、辛いなあ
個人的にも、タイムリーな話題有難うございます!私は、生まれたと同時に、父方のお婆ちゃんが、立正⭕⭕会に入信して居て、私の名前を命名させて、名前も、入れてしまいました。そしてお婆ちゃんは、小5で、癌になり、告知が出来なかったので、一時帰宅の時に、治ったと思い込んでしまい、貯金全部上げてしまいました。そして、父に謝りながら、亡くなりました。
興味深く拝聴いたしました。お話を聴いて感じたことは、「一人ひとりに対して決めつけずにしなやかに向き合う」ことの大切さです。そういう意味で、「宗教二世」のようなカテゴライズも弊害が多いと思います。ある程度の傾向や留意すべきポイントはあるとしても、どこまでも相対するべきは唯一無二の個人なので。
過干渉でなんでもやってしまう子供の仕事を減らしてしまう親の元で生まれた子の環境にも通ずる気がしました自立しづらいし、自己判断能力が衰える傾向にあるので。
益田先生、診察室から観た機能不全家族の問題として、宗教二世問題を分かりやすく、認知バイアスも考慮した公平な観点で論じてくださり、本当に頭が下がります、有難うございました。私は一世です。産後うつがキッカケで、かなり激しいせん妄と急性症状に苦しみ、自分自身の未熟さゆえ、長年の他科も含めた「お医者様へのおすがり信仰」に近い精神科の治療に限界と物足りなさを感じて、魂の飢餓感を埋めるが如く「精神の渇きを潤す仏教」に道を求めましたが、周囲からは「弱みにつけ込まれた判断力の乏しい哀れな人」として、アタマのオカシイ精神病者と宗教にハマった可哀想な人間という二重のレッテルで同情されて、差別される側の気持ちをトコトン味わい尽くしました苦笑躁転し、さすがにこのままではまずいと自覚して医療保護入院した時には、自分が救世主にでもなったかのような錯覚と傲慢さで、「みんなに布教したら精神疾患も何もかも解決する」と信じ込み、単細胞的な思い込みから宗教妄想にまで発展し、入院中の他宗教の方々の多さに面食らい、被害妄想や血統妄想の方々や、話しの通じない、かなり強固な妄想に支配された、さまざまな年代の多種多様な境遇の方々との共同生活の中で、カルチャーショックを受けてようやく自分の浅はかさに気が付き、精神疾患の奥深さを学べました。世間やマスコミからは、あくまでも「正常な自分達とはどこかが違う」という上から目線で、精神病者も宗教の信者も「心の弱い気の毒な人」と特別視して、十把ひとからげに論じられがちですが、あえて森の外に出て、そこから一人ひとりの今の症状と、まぎれもなく現実に営んでいる、その人の進行形の生活背景にも心を配る益田先生のお話しを聞いて、そのプロとしての気概が患者からは遠い存在でありながらも、なぜかとても心強く感じました。二世問題を解決する上で、伝統宗教vs新興宗教、政治家との癒着や多額の献金という利権がらみのザックリした分け方では、真実を見誤るような気もしています。益田先生のスタンスを伺い、社会学者の上野千鶴子さんが、結局は机上論にすぎない人文科学者として、「祈らない」という戒めのようなものを自身に課しているというニュアンスの事をおっしゃっていた謙虚さを思い出しました。
こんばんは。心の拠り所はスマホができたことで、SNSだったり、TH-camだったり、様々な形で変化していっていると思います。親の親世代が初めは、宗教に熱心でしたが、次第にテレビを見るようになり、歌に救われ、人生を謳歌していたように思います。親世代は自分が過去に成し遂げられなかった事を、50代にして仕事にしていたりとか。私自身、生まれてきてしまった以上、簡単には死ねないのでのらりくらりと生きてますね。何にもこだわらず、人付き合いもほどほどに会いたい時に人に会う感じですね。結婚が女の幸せだとか、そういう価値観ももはや古いものだと思います。普通の幸せだと思って結婚した人の離婚率の高さが物語っているようにか思います。だったら一人で自立していきた方が、気持ち的にも金銭的にも楽なんじゃないでしょうか?無理に働いたり、嫌々ながら結婚する生き方は嫌です。時々周りの人から言われますが、人には人の生き方があるので、それに対して指図したりするのはナンセンスだと思います。人は自由に生きる権利があるし、それを強制するのはルール違反だと思います。本当の意味で誰も支配は出来ないと思います。
母が親族ぐるみで宗教に夢中になり 精神的な面で父と不仲になり 父自身にも病気があって結局鬱になり自死しました 子供の私達姉妹も 小さい頃は強制的に信仰させられましたが十数年して大人になると 親子は親子でも信仰は別 と離れることができました でも母に信仰が必要なようで 遠巻きに姉妹で見守ってますこんな家族の中で育つと 信仰が必要な人もいる事もわかり それを理解出来ない人もいる事もわかり いい勉強になってます 出来れば強制される宗教には関わりたくなかっです
「宗教はコスパが悪い」というのはそうなんだろうなぁと思いました。宗教によって救われる人もいるんだろうけれど、精神科へ行った方がコスパが良いのだろうと思います。アルコールやドラッグ、スマホ、などの依存先は色々とあるのだろうけども、まずは精神科へ行った方が良い。でも薬だけ出すような精神科へ行っても救われないなと思ってしまって他へ行ってしまうのだろうか?
先生この問題取り上げてくれて有難うございます😇🙏
私はクリスチャンの3世です。両親は教会で出会い、生まれた時から教会というコミュニティに所属していました。実家は信仰の強要も虐待も無く、宗教もいわゆる古い宗教だったので、動画で取り上げられている類型には当たりませんが、いつか子供ができたらたまに教会に連れて行きたいなと考えていたので、今回の動画を見て、やめておくべきなのかなぁと思いをめぐらせています。私自身、今は教会とは疎遠ですし、神の存在は信じていないので、熱心に連れて行くつもりはありませんが、クリスマスの行事や礼拝で讃美歌を歌うこと、学校とは違った老若男女と交流する機会は自分のアイデンティティを良い意味で形成したと考えており、子供にも門を開いておきたいと思っています。いざという時の心の拠り所としても知っておいて欲しいなぁと。エゴかなぁ。。
益田先生いつも動画をありがとうございます。私は宗教2世ではありませんが、私自身がキリスト教特にプロテスタントに強い興味を持っているのは、おそらく間違いなくクリスチャンだった祖母の影響があると感じています(ちなみに両親は2人とも宗教には距離をとっています)。私自身はまだクリスチャンではないものの(未受洗です)、キリスト教的な価値観を一定程度は持っているという前提で私自身が感じるのは、「しなやかさ」とか「こだわりのなさ」とか「とらわれのなさ」とかに関する、いわゆる日本社会あるいは日本の精神科医社会でのマジョリティの「プラスの認識」これがかなり気になってしまいます。益田先生も含めて多くの精神科医の方々が、(特に森田療法的な考え方をする方々を中心に)、「とらわれのなさ」とか「こだわりのなさ」とか「しなやかさ」のようなものを重要視されているようですが、部分的ではあれキリスト教的な文化に親しんでいる私自身からすると、これらは「仏教的な無や空や悟りと類似したものなのではないか?」とか、「悟りを得られないことを悟ることが大事、 という極めて仏教的思想なのではないか?」とか、今一定以上の拡がりを見せている認知行動療法にしろ、「西洋にも部分的に広まった禅の精神の逆輸入的なところがあり、すなわち仏教的で」、それ自体がかなり「仏教的という意味においてかなり強い宗教色を持っているのではないか?」と私自身は感じてしまいます。私自身に生まれながらにASD傾向があるのかどうかはおそらくは判断が難しいと思われますが、特に前職の会社を経営危機で退職してから、「あなたはこだわりが強すぎる」とか、「しなやかさが足りない」とか、「とらわれのなさがない」とか、「柔軟性がない」と、批判非難されることが急に増えてしまい、かなり精神的に疲労困憊してしまうように、残念ながらなってしまいました。そしてそのことに今でも非常に強く違和感を感じ続けています。すなわち「とらわれがない方が良いという仏教的な思想」や、「しなやかさがあった方が良いという東洋的思想」や、「こだわりがないない方がよいという認知行動療法的な思想」、これらはおそらくはすべて多かれ少なかれ「仏教」という「悟り」や「空」を大事にする宗教の、その仏教的思想のコアの部分だと思われるのですが、そのことが、私自身に対して周囲の人達が批判非難あるいは「アドバイス」をする原因になってしまっていて、私自身をとても苦しめてしまっている事実があると少なくとも私自身は感じてしまいます。キリスト教はもちろん唯一絶対神を信じる宗教ですし、またキリスト教の母体となったユダヤ教ももちろん一神教です。そしてどちらも伝統的宗教であり世界中に20億人以上の信徒がいます。だから決してカルトではありません。聖書の教えや牧師さんの言葉に心が救われることも、私自身あったりもします。キリスト教は一神教ですから、「とらわれがない方が良い」とか、「しなやかに物事を受け流す姿勢が大事」だとか、あるいは「(特に神様への)こだわりがない方が良い」とは基本的には考えませんし、(宗派間で多少の異なりはあるものの)、キリスト教の基本的な教義のとても大切なことがらは、唯一の神様へのこだわり(信仰)、であり、未来に来る予定になっている「神の国」への希望であり、これが(まだ正式には信者にはなっていない私にとっても)、人類の希望であり、救いであり、生きる力であり、神様との約束であり、一人の人間が人間として生きるにあたっての灯台の光であり、救いであり、苦しみや悩みに耐える力そのものであり、それがまさに神様であり、神様を信じることそのものなのです。だから、「しなやかさが大事」とか、「こだわるのは良くない」のか、「とらわれは良くない」と複数人の精神科医に言われると、私は強く精神的に追い詰められてしまうのです。「とらわれは良くない」「しなやかさが大事」という精神科医の方々自身が「仏教的な考え方や仏教的なしななかさ」に強くこだわっていて、そして完全ではなくともそれなりにキリスト教の宗教観をある程度は理解している私を、「仏教的考え方の集団や仏教的な思想に間接的な影響を受けた人達」に、私自身がマイナスに思われて強く追い詰められてしまうように感じてしまうのです。
従姉妹の家族がカルトと言われる宗教を信仰しています。海外にも支部があるので、行きたい国に出かけて行って、その国の信者に働く場所を探してもらったり、衣食住を助けてもらって生活をしたり、自分自身のお金が無くても、自由に色々な国に行っては暮らしていました。最近ある国で信者とお付き合い始め、結婚もしました。両親も海外旅行が趣味なので、海外の信者を頼って色々な国に旅行に行っています。この家族の場合、宗教を利用して生活をエンジョイしていると思います。年のうち1~2ヶ月を旅行に費やしているために、懸命に働いていないので、お金持ちではありませんし、寄付も大したことはしていないと言っています。こんな強かな家族もいる事を知って下さい。
宗教と虐待の関係について、益田Dr.の考えを聞くことができて勉強になりました。普段は、なかなかピックアップし辛いテーマとは思いますが、このような機会に宗教Ⅱ世について知ることは大事なことだと思います。
毎回学びが多く楽しませてもらっています。精神医学と益田先生としての経験考えを通してのお話、例えも分かりやすく本当に面白い。ご自身がインフルエンサーになる危険性も自覚考慮しながらの活動とのことですが、先生の動画を通して心が軽くなったり自分や人に対する理解が広がる方が私含め多くいると思いますので、感謝と同時にこれからもぜひ発信してほしいと思います。
うちは、祖母が某教団に入信していたので父も私が子供の頃、宗教活動していました。幸いかどうか、父は途中で宗教を辞めたし、私が宗教に巻き込まれる事は無かったです。しかし、なかなか辞めさせてくれないというか未だに家に押しかけてきたり、私の場合だと高校の後輩というだけで、選挙活動中に家に来たり電話をかけてきて、誰々に投票をと推し進めてきます。逆らうと大変なので、言う事は聞きつつ心の中ではあしらっていますが、脅威を感じますね。大きく捉えると宗教三世の苦しみです。宗教を心の拠り所にした事は、あまり無いですが、心の拠り所が何も無いのは辛いのは分かります。人に寄って様々だと思いますが、何か健全な拠り所は求めているのだと思います。考えると苦しいですね。けれど改めて勉強になりました。長文になりましたが、今日も有難うございました。
30分に近い動画でびっくりしました。「コスパが悪い」ということに、あ、そういうこともコスパで考えるんだ…でも確かにそうだよな…という新鮮味が私のなかでありました。
迷いなく叱れてしまうというのがなるほどと思いました。善性が元から欠落しているから?それとも教義や競争によって失われていくのかな。
宗教とは違いますが、男性や食べ物に依存して生きてきた事を家族に話したら案の定全否定されました。生きているだけで苦痛を伴う人がおり、その苦しみや寂しさ、虚しさを埋める為に何かに依存する事は人としておかしい事ではないと伝えたいけど諦めました。どんなに客観的に見て害しかない事も本人にとっては拠り所となっている事があると多くの人に理解して欲しいなと思いながら動画を見ました。
カルトは、答えを提供してくれるので、楽でそこに寄りかかってしまうのも、自然なのかなと思います。精神医療の中でもアドバイスはしますが、それは緊急対応の必要がある時とか、医療者がその人のことを助けたい気持ちがバイアスとして高い場合かなと思います。そういうことはあったとしても、不器用にでもいいから、先生の言葉を使えば、しなやかに悩めるようになることをサポートしていくのが、大切なポイントだと思います。アドラーは色々使えるもの、生きることをサポートするのに有用な考え方を提供してくれています。ただ、共同体意識を育てるとか、思想的な面があり、それを嫌って離れてしまう人が多いのも、確かなのかなと思います。
宗教2世です。自分の子どもを知らないまま3世にされるんじゃないか?と思ってしまい子作りできません。私みたいな不幸な人を生まれて欲しくない。母はかなり熱心で私は幽霊ですが辞めたくても退会方法分からないため幽霊のままいます。
益田先生こんばんは(* . .)))宗教の問題は取り扱いが難しい印象ですね。友人関係や家庭では「宗教と政治の話はするな」と大人に散々言われました💦先生もかなり思い切ったのではないでしょうか。真摯すぎる実直な精神科の先生だと改めて思いました。私の意見ですが、元首相の襲撃事件について、ネットで犯人を崇め奉る?ような書き込みを幾つか目にし、驚き疑問に感じました。犯罪を犯した点を見ず、犯人が過去に発言した内容にだけ注目出来る人が多く居る事に、本当にびっくりしました。神格化!と茶化した書き込みも見ますが、それが現実になり宗教化するのではと、何故か不気味に感じます。自分の思想に取り込みすぎて、自我と同化したら洗脳に近い状態になりそう。今回の事件で、犯人の動機や以前にあった背景を肯定する事は、恐ろしいと感じます。「私の人生にはやはり意味があったのですね。感謝します。」と言う書き込みを見た時は、驚きを隠せなかったし。書き込みした方は確かに救われたかも知れないけど、犯人が一人の人間の命を奪った事実は存在します。たとえ共感しても罪人は罪人、。境界線を越えるのは危険です。今回もズレた話をしてしまいました。すみません。本当に育った環境は人生を大きく変えますね。先生の言葉がとても響きます。今回はかなりずっしりくる動画で、先生の心意気も感じました。今日も本当にありがとうございます☘️
親は宗教が一番だから、学校などで表彰されるようなことが起きても、子供の努力を褒めずに宗教のおかげだと言う。自己肯定感、育たなかったねwよりどころ私もいらないや。
言葉にするのはすごく難しいですが、こういう問題は結局自分が対象とどう向き合うのかということに尽きるのかな、と思いますね。宗教から離れても、別のことでまた同じ壁にぶつかるかもしれないし。距離感というものがみんなわからなくなっているというか。家族だから同じでないといけない、という今までの価値観みたいなものから変わっていく今その途中なのかもしれませんね。ただ一人では生きていけませんから、コミュニティに属する大事さというのもよくわかります。宗教2世より他の2世(歌舞伎含めた芸能人、スポーツ選手、医者、など)はその立場の人達がもっと少ないので、その人たちの苦しさは共感もしてもらえないし関心ももってもらえないし深刻なんじゃないかとも感じますね。私も先生と同じで、音楽は昔の曲しか聴かないです(笑)今の時代は多すぎて追えないんですよね・・・
宗教カルト大国なのに宗教アレルギーもすごい変な国にっほん
ネット上でアドラーの事好きな人はお前もこうしろ!こうしなければならないみたいな感じで苦手でした。動画面白かったです
ん~。昨日、東洋と西洋の宗教観のレポート提出をしたばかり。 医療や科学が発展した中で宗教観って 不要になっているかとも思いますが...。 カウンセリングもですが ある一定の 導きは必要ですよね。 拠り所ですから。
親から譲り受けた元々の性質にDV、酒乱、依存的で盲信的な親とかの環境が合わさったらメンタルボロボロだろうな。益田先生がよく仰るように不運、不幸が重なってる。宗教は強制されるものじゃないよね。皆が自由に選んで、心の拠り所にしたかったら拠り所にできたら良いのに。
今の世の中は、普通の宗教が、カルト宗教に変わりやすい文化らしいです。世の中が変化したからやて。
宗教2世の治療には洗脳を解く大変さとその後を支えるしんどさがありますね。。日本的な企業を身体疾患で退職する際、身を切られるような悲しみと言いようのない不安を覚えました。20年ほど経ているのに今でもうまくやれなかったと悔恨します。代わるものがないんですよ。 #メンタルヘルス大全 #視聴マラソン
先生、こんにちは。毎日子どもとの向き合い方に悩む44歳の女です。今日は本当に学びが多い動画をありがとうございました。私の思う子育てをもうしばらく楽しみたいのですが、身内や何やらと非常に余計な?アドバイスが日々、耳に舞い込んできまして。「子育てには正解は無い」と言う先生の御言葉がものすごく私の思う子育て感と合致しまして、、、楽になりました。私は子育てに悩んでいるはなく、周りの人達の要らない助言に悩んでいるのだと確信しました。呪縛から解放されました。本当にありがとうございます。
私も宗教二世で、子供の頃からほとんどの事を制限されて生きてきました。加えて体罰もあり、今では鬱と摂食障害と自傷癖持ちです。自分がどうしたいのか分からず、自分に自由は許されないと思い込んで何もできない無気力人間ですが、カウンセリングや投薬でどうにか生きてます。宗教は生き方の指針になるもので、拠り所にもなると思うけど、それを押しつけて暴力で他人の自由を奪う事は、人を救うどころか壊してしまうことになるんだと感じました
今回のお話は、すごく実感できました。安倍氏の事件はエセ宗教団体にとらわれた人の子が起こしたものですが、特定の価値観を強要するというのは日本でも普通に行われていることですよね。ムラ社会と呼ばれてきた地域コミュニティがそうですし、それが崩れてきた現代では学校や企業、ママ友やPTA、教育虐待などがそれに該当すると思います。企業が新卒採用に偏るのは、企業文化を刷り込むためとも言われ、転職が難しくなる一因なのではないでしょうか。安倍氏自身も政治家三世としての価値観を押し付けられた人生だったようですし、選択の余地がなかったという点では共通しますね。合わないものを押し付けられて抵抗が困難だから、心を病む人が多いのかもしれません。本当に勉強になりました。ありがとうございます。
宗教2世で、私は幼少期よりうつなど精神的に悩んでいますが、最近発達障害の診断をされました。なのでどちらが先なのか?という疑問があります。しかし教育的虐待も多々ありました。少し逸れますが、私の場合こだわりの強さや好奇心の強さがあったので小学生の頃から反抗し始め中学で辞めたのですが、未だに環境的問題は未解決です。そして親戚と母が信者で父は無宗教なため、機能不全家族(両親より親戚からの教育の強さが大きい)の原因も謎です。うちの場合は、もともと機能不全家族の場合から宗教依存になるケースなのかなと考えると腑に落ちるのですが、やはりどちらも緩和?は環境次第なのでしょうか?自分がループさせてしまわないよう気をつけたいです。
宗教は否定しないが趣味の一環にすぎないと思うアドラーの考え方はすきだけど嫌われない勇気の本は極端すぎてこれ本当にアドラーがいったのかなぁと思ってしまった勝手に編集者がいろいろと着色したのではと思ってしまう
昔親が近所の人から新興宗教を進められて入信したようです。子どものときから当たり前のように教会に行かされてましたが、海外に留学したり働き始めて、信教の自由があることを知り、押し付けられていた事に気づきました。親と宗教のことで喧嘩をすることは毎回ですが、とにかく教会には行かない、お金は一切出さないことだけは譲らないことにしています。それでも親は教会に私の名前でお金を上げています。親不孝だとか言われても聞く耳は一切持ちません。死んでから極楽に行けるとか誰がわかるというのでしょう?そんなの詐欺だと見抜ける人間になってほしいものです。
私にとってこれまでの人生そのものであったためテーマが壮大すぎて、一度のコメントで吐露できるものでないので。少し視点を変えたところからのコメントだけ。させてもらいますが、心の拠り所が益田先生のチャンネルになりっぱなしだと、もしかしたら動画でおっしゃっていた宗教と近くなってしまう、のかな。私がこのチャンネルに出会ったタイミングがあと一踏ん張りでマンホールから地上に出られるぞってとこだったので、今地上に出てマンホール周辺の土壌を確かめたりしながら、出たり戻ったりしてる感覚です。そして出来れば、マンホールには戻りたくないけど、たぶんまた落ちて戻る、出るを繰り返すと思う。その時にマンホールの中で色々確かめて安心してまた地上に上がる、それが益田先生の存在にしたいのです。宗教とは地上に出ることも出たり入ったりすることも、教団によっては認めているような感じですが,実は認めてないのです。だから宗教化はしてないです。それは私の築いたものか、益田先生が創意工夫の中でそうさしめているものか、どちらもかな
ダメッ!母さん!お布施は家族を幸せにしません!逆効果です!ヤメテ!!!
益田先生が椎名林檎とか宇多田ヒカル聴いてるなんて、胸熱すぎる…
なかなか、自分の意志で生きることを選ぶのは、難しいですね。誰にでも起こる試練で人生には選択がつきものですが、私は自分の決めたことや考えに自信がなくて、常に誰かに確認しないと不安です。しかも、相談を切り出すのも苦手です😅イデオロギーの中で生きてきたからなのかな…。今までのイデオロギーからの自責の念や過去の出来事を癒やしながら、私の心の拠り所を新たに見つけていけばいいんですね!私の新しい生き方、人生は新しい心の拠り所を自分で見つけていくことなんですね!😲やっぱり、1から生き直しですね!😅👍それはそれで、自分の人生を歩めるようになるなら、本望です✨🐢💓
叱った後に罪悪感を覚えないとエスカレートしていくだろうなと想像できてしまいますよね…。自分も昔はそうだったという記憶を忘れたくないなと思います
危ない親なら先祖崇拝教の宗教も危ないのでは?キリスト教の海外の方が心の健康は良いもんね
「宗教」をかざして「親の感情のはけ口」の様に「寝せない」「食べさせない」「お金を使わせない」と、なると、働けない子供は生きられない。そういう「宗教」を私は、全否定します。最近のNEWSであった子供が未来を築いていけます様に🍀
益田先生に相談すると結構ブッダの思想めいたものがかえってきて、「?」ってなることもあります(笑)後から意味が分かることもあります。
日本には神仏を信じる人がいるように、諸外国では神様はいないと言うと逆に大丈夫か?と言われる。国により文化や歴史が違いますね。その神様がいて当たり前の方からは、神は人類の親だから足りない自分でも愛され許されている。そう感じると自分も愛で満たされて、困っている隣人も許せるし愛せると言われて納得しています。そんな話しから、人は愛情をもらい、次に与えて生きてるんだと感じてます。愛情と苦労をしつつ育てた子供から生まれた孫は目に入れても痛くないのは、そんな理由なんだろうなぁと自分の中では感じてます。親から愛情を受けられなかった方こそ、そんな大きな愛情に触れられる環境と出会えたらと感じてます😊
益田先生、毎日楽しく拝見しております。🎎この動画の9:47で母狐が「結婚」してとのくだりに思わずニッコリしてしまいました。🦊天気雨のことを「狐の嫁入り」と言っていた事を思い出してしまいその後に想像が止まらなくなってしまいました。🌈動物のペット達は飼い主より先に亡くなった際に虹の橋のたもとで飼い主と再開するのを待っていると信じられています。🏳🌈虹の旗は最近ではLGBT+を意味したりもしますが私の住む英国ではコロナ禍の際に英国国民保険サービス(National Health Service)職員への感謝に虹を書いたりしました。🏥近所にTavistock病院がありフロイト銅像やフロイト博物館もあります。♻私の想像が一周した頃にはきちんと精神科に戻り先生の動画を最後まで見ることが出来ました‼今後も楽しみにしております。
益田先生、ありがとうございます。
動画ありがとうございました!例えば海外のある地域では○○○教の人がほとんどだと思うのですがそれはそれで皆が同じ価値観?で過ごしているから、そこでずっと暮らしている分には居心地が良いのでしょうねイタリアに住んだ友人が宗派が無いことに驚かれると言っていました「信仰があるのは当たり前、信仰があるから偉い」「宗教に熱心な人は胡散臭い、宗教にハマるのはそもそも不幸だから」・・・・むづかしい問題です母が熱心で、母の休み(働いていたため)といえばお寺でした。一緒に居たい私は付いていくしかなく、母にプールに連れて行ってもらった記憶も1回しかありませんまあ、小学生高学年になったら、友達と好きに遊びに行きましたが他の人たちに比べて圧倒的に思い出のバリエーションは少ないですね〜😓
僕も浄土真宗親鸞会というカルトの教団の宗教2世ですでも、今はプロテスタントのキリスト教徒です正直カルトは本当に僕の価値観や子供らしさの事を奪っていきましたなので、イエス様も「許しなさい」と言われましたけどなかなか心のしこりが取れないですね
益田先生、少し興奮気味ですね。私は親が僧侶です。無宗教の家庭に生まれたかったです。
私の親がプロテスタントのキリスト教を信じています。自分が産まれる前から教会に通い、クリスチャンホームで育ちました。狭い空間にたくさんの人がいる、「皆で仲良く」といった空間が苦手で未だに人付き合いは苦手です。教えのひとつで「両親を敬え」とありますが、幼少期から躾と称した虐待があり殴る蹴るは当然、包丁を突きつけられたり夜中に外に裸足で放置されるなどが普通でした。それが普通ではないと気づいたのが17の時だったのでかなり生きずらさはありました。私は神を信じていない訳では無いですが、いるとするならもう助けてくれていてもいいのではと思っています。
中2までの6年間「エ」のつく宗教にどっぷりでしたが、30超えた今でも教えに背いた行為をしようとすると罪悪感を感じます。
家庭も壊れたままです。「生涯付きまとう」というのは本当にそう思います。
私は、宗教2世です。57歳になるのですが子供の頃から信仰をしなさい。信仰をしないと不幸になる。と暴力を受けながら生活してました。私自身は、何度も家出を繰り返し学校にも馴染めず中学校教育も卒業し就職し、24歳で結婚33歳で主人が突然死で、狂ったかのようになり精神科に受診しました。信仰の自由は、良いのですが断る自由もあって良いと思います。今も、トラウマと統合失調症の治療中です。
宗教二世(まっとうなキリスト教)今牧師です。小さいときから根拠を説明できない伝承的こだわりに固執している大人を見て「大人って視野狭いなあ」とひねくれたことを思って育ちました。あれこれコスパ悪く根拠を考えるクセがつきましたが、本来の宗教って人の幸福のためにあるし、それが人を不幸にしてるなら違うんじゃね?聖書読む限り、神様だって人の不幸願ってないよね。という結論に至っています。ちなみに、信仰だけですべてが片付くとは信じていない派です。
天○教の布教所を実家がしてます。子どもの頃は子どもらしく振る舞えず、大人の顔色を伺い、過ごしてきました。だから、周囲にうまく溶け込めず孤立して常に精神的に不安定でした。社会人になってもどう振る舞えば良いのかわからず、精神的に不安定で周囲と対立することが多く人間関係に疲れてしまい、現在休職中です。今は自分の家族と暮らしているので実家からは離れましたが自分のやり直し期間だなぁって思って考え方を少しずつ変えていく作業はすごく私にとって苦痛な時もあり、大変ですが、私の生きづらさは今日の動画を見て納得できるので復職出来るように頑張ろうと思います。
親が会合で夜いつもいない。とか家が拠点になっていると常におじさんおばさんが家に来ていて勝手なイヤな事を言われたり。悩みがあって親に相談してもお題目あげなさいしか返ってこないので誰も助けてはくれないし何があっても自分でどうにかしなければならないという考えをしてきました。何か悪い事があると罰が当たっているんだと考えてしまうのはやめて15年経った今でもあって常に自罰的です。他にも色々書ききれない事がありますが宗教が子供への虐待だという考えが広がって欲しいと思います。
宗教2世です。宗教2世に起きる機能不全について語られたものはなかなか無く、とても貴重です!私は宗教のコミュニティーで生きるように時には虐待を受けながら育ちました。なので、そこから出る時、本当に大変な思いもしましたし、今でも困難があります。2世であることを他人に打ち明けることも難しいですし、親とも疎遠になりますが、それを人に理解されにくいですね。頼れるところをいくつか見つけていかないと、後々大変なのだろうなと思いつつ、それも難しいです。
両親ともに熱心な信者で、自分は小学生のころから強制されてたけど、一度も奇跡話とか信じることができなかったな
母親は自分にはお菓子を作ってくれないけど、宗教の子供部のためのお菓子は真剣に作っていた
母親は遊びに連れて行ってくれなかったけど、宗教のお祭りや出し物だけはよく誘ってきた
テストや部活で頑張っても、神様のおかげ、宗教の本を読んだおかげ
昔は宗教の教えで薬は全面禁止で、自分が飲んでいたサプリも母の宗教仲間に見られたくないからって隠されてたりしたのに
今は何でも飲んでよい教えになったみたいで、子供のころに否定されてきたものを、自分たちは薬が必要だからって平気で飲んでいる
本当に自分にとって何も良いことはなかった。今もコメントを書いていてむなしくなってきた
宗教のことや家庭のこと、病気、災害、性被害といったさまざまな不幸が別に自分のせいだけじゃなかったと気付けたときにはもう手遅れな年齢、取り返すことのできない人生、理解されない人生になってしまっていたりもしますよね。世の中って本当に不公平で不平等だなぁと切なくなります。
私も宗教2世です。両親は同じ宗教同士でお見合い結婚したので熱心な宗教家です。父は良くも悪くも私達兄妹には無関心で宗教に関して色々といいませんが、母が熱心で辛い事もあります。否定しようものなら一気に感情的になります。どうにか私達を宗教の教えで言い聞かせて頷かせる。自分を否定するものは一切受け付けないというワンマンタイプ。こちらの事は知ろうともしませんでした。増田先生のいう、しなやかさの欠如がものすごく分かります。幼い頃に宗教の子供たちが集まった合唱団や鼓笛隊に行かされていた時は、もともと団体人数よりもグループから仲良くなっていくタイプの私には本当に苦痛でした。中学生から部活が忙しくなり離れていました。たまたま成人した時に出会った同世代の2世さん達とは気が合い今でも仲良くしたり2世ならではの悩みを相談しています。唱題などは自分も悩んだ時など不安になるとしたりするのでまったく信じていないわけではないですが、選挙活動をしなさいとかは違うと思います。もう私はこの宗教が当たり前になっているので麻痺していますが、、宗教の中だけの狭い視野で考えていてはダメだなと感じました。
私は職場で人間関係がいつも上手くいかないんです。というのも家庭の中で自分の意見を幼い頃から受け入れてもらえず、いつも宗教の考えが1番。それがトラウマになっていて自分の思った事や気持ちを伝える事が今でも苦手なんです。結局溜め込んで体を壊して辞めるを繰り返しました。今は傷病手当を貰いながら精神科へ通っています。結婚しているのでこれからは適度に親と距離をとりながら自分の頭で考える癖を身につけようと思います。
自分の子供が産まれたら、強要するようなことはしたくないなと反面教師にしてます。
私は宗教2世ではありませんが宗教によって狂わされた1人です。会社の人間に会社の外で勧誘され宗教だとは気付かず入信させられました。それが10年位前です。最初は朝夕祈るだけというのでやってたのですが、ここ何年かはチラシのポスティングや駅前配布の強要的な要素が増えてきて、危うく完全にマインドコントロールされそうになりました。私は宗教を否定も肯定もしませんが、その人達の自己中心的な考えには賛同出来ませんでした。彼女達は自分の考えを私に押し付けてきます。いい事があるとすぐにその宗教と結びつけてきます。私はそれが大嫌いでした。去年までは会社にいたので辞めれませんでしたが、うつになり会社を辞め会社とも縁が切れたので、今は勧誘してきた人とも連絡は絶ってます。宗教は自分だけで信じるのは自由ですが人を巻き込むのはいかがなものかと思います。
私の両親はキリスト教の牧師で、私自身は紆余曲折あって自分の意志で信仰を持つ決心をしています。けど、ヘンな教会に捕まって傷ついたり、虐待まがいのことをされたりするというケースも耳にします。
宗教の問題と、パーソナリティや愛着、家族の問題は複雑に絡みあっていますよね。ある論文では、キリスト教における神さまのイメージは愛着モデルと相関があると言います。またある牧師は、中高生になったら一度教会から離れるくらいの方が健全な信仰を持てるし、残り続けた方が危うさがあるとも言います。
信仰の持ち方は個人のパーソナリティや置かれている状況に左右されるものですが、ときに信仰者は(真面目であればあるほど)それを認められず、その人を傷つけてしまうことが起こりえます。キリスト教会、宗教界全体が、家族や虐待といった問題も含めて、人間理解を深めなければならないと思います。臨床心理学を始めとした対人援助の視点も含めて牧師をされている先生がいますが、その先生の教会には、むしろ宗教2世で傷ついた人が教会に来て心理的・霊的に回復していくケースが度々あります。そのような視点が増えていけばよいと思っています。
母親が信者でお祈りしたら何でも願いが叶うと絶対信じてる人です。(現在進行形)なによりも会館に集まって、家に集まってお経唱えるのが日課。子供育てるお金がなくて養護施設に入れても宗教とパチンコに使うお金はあったみたいで、施設から私を出すのを頑張ってお祈りしてるからっていつも言われて結局卒業するまで家に帰れなかった。もう母を拒絶してます。もう無理。
僕も宗教2世です。親にいろいろあってその宗教を信じていることは否定してないつもりですし、活動してる親はとても生き生きしているので悪いものだとは思っていませんが、それを押し付け方に関してだけは虐待の域だと思っています。
宗教二世当事者です。
宗教の年会費を自分で払えと強要されたので拒否したら地元の偉い長老みたいな人と面談しろと言われ嫌々会ったら
「お金が払えないなら地獄に落ちる」と脅されました。
ずっと幼い頃から祈願しないととんでもないことが起きると親に脅され一日に何回もお祈りさせられ、大人になっても地獄に落ちるなど脅迫され、もうボロボロです。
長年にわたる精神的虐待を受けた子供は大人になっても苦しんでいる
母が宗教に入っていましたが、居場所がない人が傷を舐め合ってる感じというか、宗教に依存して自分の問題に向き合わず逃げているだけな気がしました。
宗教の教えそむくななど、色々言われましたが親が勝手にするのは良いですが子供に押し付けるのは違うと思います。
私は現実主義なので、結局は自分と向き合い受け止め乗り越えるしかないと思います。
押し付けられなければ勝手にやってくださいなんですけど、子供にとっては難しい問題だと思います。
自分の母方も宗教の家系でした。幸い母親は信仰を強制するような人ではなかったので今は無信仰です。身近で宗教を見て育ち、歴史上の神話や宗教を当時の情勢を鑑みて思うことはやはり苦しい人生の中で生きる意味を教えてくれる一つの答え、つまり人生観なんだと強く感じます。それを念頭に置くとそういった人生の依りどころを求めてしまう人間はなにか苦しい立場にあったからこそ魅力を感じてしまうわけで、自分もそうでしたがそうした親のもとではいろいろな側面での親の苦しさの捌け口となるのが子供です。今でも僕は親のしたことを許せませんが、同時に同情もします。宗教は嫌いですがプラスに働く側面もあるので本当に難しいと思います。人はなんのために生きるのでしょう。生きる意味は何でしょう。そこに答えを与えてくれる一つが宗教です。僕は宗教が嫌いでした。すがれませんでした。では僕の生きる意味はなんだろうと考えて悩みました。今は生きる意味なんてないことをいい意味で理解しました。人生なんて死ぬまでいの暇つぶしなので今までの嫌な記憶なんて忘れてあとは前向きに楽しく死ぬまで人生暇つぶしをするのが一番楽しいと思うようになり、今はだいぶ心が安定しています。
創価学会の宗教2世です。私も成人して実家を出るまでは宗教活動の強制が酷かったです。
でも私が実家を出てからは「名ばかり学会員」で、親だけがいまだにどっぷり浸かっています。
今回の動画は非常に勉強になりました。「機能不全家族」「非認知能力」「しなやかさの欠如」など気になる単語も多数出てきたので、今後何度も見返すと思います。
そもそも私の親が宗教にはまったのは・・・、在日韓国人で差別されていたこと、片親を早くに亡くしたこと、そこからくる経済苦等があり、「社会的、精神的な寄る辺の無さ」が理由かなと思います。
また約100年前に日本に渡ってきた祖父母世代と親世代では母語の違いがあり、心の教育も乏しかったと思います。
そんな精神的に飢えた状態のときに出会ったのが宗教で、親にとっての宗教は第2の親のような存在なのかなと考えるようになりました。ですので私は宗教活動はしませんが、親の活動は否定しないようにしています。(実害がない限り)
益田先生いつも気づきの多い動画をありがとうございます。
好きすぎて神格化しないように気をつけねば(笑)!!
めっちゃわかると思った。親が新興宗教に入っていて、小さい頃からそういう施設に通っていました。私は研究者を目指していて科学者的な考えを持っているので信仰はしてません。しかし、他人の心の拠り所を奪うのは違うなと思っているので、親に対してその宗教を否定するということはしないようにしようと決めています。自分の価値観が侵略されそうな時には自分の意見を主張してきたのですが、そういう時に強く意見を否定されるし、親が感情的になるため、精神的にキツいことが多かったです。
信仰を否定したくはないけれど、宗教のような「自分の内から湧いてきた訳ではない、他人が考えた価値観(教え)」を絶対的に良いと思っている人と話しても、価値観の更新が行われにくいので、論理的な会話をするのが難しい。価値観の根拠が神であるので、揺るがないし、疑わないから、子供は親の価値観に疑念を持ち親を信じられなくなります。
益田先生は本当に宗教二世の生きづらさをよく理解してらっしゃるなと思いました。終始頷きっぱなし。
親の価値観の押し付けは不健全な家族関係を作り出すし、健康的な学習体験を奪うし、最終的には長期的な対人関係の問題が生まれてくる。科学が発展してきたのだからそろそろ宗教が縮小していってほしいが難しいですな。宗教に寛容でありながら、自分の価値観を奪われないように頑張りたい。。
ある意味私は科学を信仰していて、心の拠り所にしています。みんな好きなyoutuberやアイドル、インフルエンサーを心の拠り所にしていたりしますよね。
宗教の本性という本をみなさんにお薦めしておきます。
宗教2世です。
思春期だった頃は、家庭を犠牲にしてまでして宗教にどっぷりだった母にうんざりしてました。
ですが、今は否定する気はありません。
自分も母になり、自分と同じ3人兄妹を育てていて
父親は仕事ばかりで育児家事協力はほぼなし。
そんな状態で子育てしていて、急に宗教にハマり出したのって、精神的に相当しんどかったんだろうと
今になって少し理解できた気がします。
ですが、その宗教依存のせいで結局は家族バラバラになりました。
母はそれでよかった、今は幸せと幸せそうにしていますが
子どものわたしにとってはすごく悲しいしいろんなことがトラウマ。
自分も母親みたいになってしまうんじゃないかと毎日怖いです。
わたしも何もかもが嫌になった時、神様に助けを求めるようになるのかなとか考えただけで怖い。
何事にも言えるけど、周りが見えなくなるほどハマるって怖い。
母をそうしてしまった父親すらも憎い。
医学生をしています。
人がものをどういう風に捉え、考えるのかということに漠然と興味があり、勉強の合間に動画を拝見しています。
どういった科に進むのであれ、外来では患者の物理的な背景だけでなく、こういった精神的な背景も考慮して話を伺わないといけないので、特に患者への声のかけ方など参考にさせてもらっています。
応援しています!
宗教二世の問題はとても難しいと思います。
客観的にはとても良い家庭でも子供は葛藤に悩まされます。
そして何より怖いのは、疑問を持たないで大きくなった宗教エリートの存在。
エリート二世の子供の宗教三世は、本当にしんどい。
ヤングケアラーと似ている、というお話に「なるほど!!」と思いました。
父親を見ていると、脳の特性が強すぎて一般社会では生き辛さを抱え孤立して精神的に詰んでしまうから、明解な教義や権威にすがることによってそのコミュニティ内での居場所を求めたのではないかと思います。
「この宗教じゃないとダメで、他の宗教は邪道だ」とは言ってますが、たまたま最初にハマったのがそれだっただけで、他の宗教でもハマる可能性は十分にあったと思います。
ハマる宗教がなければ麻痺させて感じないようにする為にアルコールやギャンブルに依存していたことでしょう。
宗教2世の問題には、どんな人も抱えるような内面の問題もありますが、
実社会を生きるために必要な知識よりも、圧倒的に実社会とは何も関係ない(例えば死後の世界のこと)などを教え込まれる時間の方が長いです。
そこが「コスパの悪い」教育とコンパクトに表現されていて、なんとなくしっくりきました。
生きてるって事はみんな苦しい、ってサラッと言っちゃうのがいいですね。何か特別な事をすれば全て楽になる、って考えてしまうと変な道に進んでしまうのかもしれないですね
30代の宗教二世で、昨年から精神科に通院しています。
不眠や抑うつがつらく通院を始めましたが、初診時は妄信的な両親とともに信仰をバリバリにやっており、宗教二世であるとは自覚していませんでした。主治医に「あー、宗教二世ってやつね」と言われた時、バチが当たる、家族が壊れてしまう、とにかく何か怖くて今まで考えることすらできなかったことをさらっと指摘されて楽になったとともに、衝撃でした。
自分はこれまで膨大な時間や多額の金銭、自分の生活や人生において本当は大切だった人間関係、感情、いろいろなものを犠牲にして宗教や両親に費やしてきたけれど、だけど、自分は本当はとりかえしのつかないほどの不幸を抱えてきたのか、と絶望感と後悔でいっぱいになり、今も混乱しています。
その混乱が自己を損なう行為、傷つける行為に繋がってしまい、しんどい日々をやり過ごしています。
主治医やカウンセラーとは良い関係が築けていると思います。益田先生、松崎先生など、信頼出来るメンタル系の情報に触れることが出来るのも本当に運が良かったと思います。
つらさを共有しあえる兄弟姉妹、友人、恋人、いまある人間関係総出で支えてもらい、寄りかかりつつ、自分の足で立とうと頑張っていますが、本当に道のりは長いのだなと打ちのめされることもしばしばです。
今回の動画を配信してくださり、本当にありがとうございます。また頑張ってみようと思います。
二世です。他人の宗教を否定しちゃいけないとは思うけど、トラウマがあるから宗教の話題自体やそれに関わってる人やモノに対して嫌悪感がすごくて気持ち悪いって思っちゃいます。
しかしこの話題を取り上げて下さったことがありがたいです。
高校大学が仏教系で女子高生の時毎朝数珠をもって念仏唱えてました苦笑。高校の時仏教の基本を学ぶ機会があり、それまで宗教=カルトだと思っていた偏見は無くなりました。ただシンプルに人生とは何か、どう生きればいいのか、と哲学のようなものなのにそれを悪用する集団が悪であり宗教そのものには罪は無いのです。仏教ってめちゃくちゃやる気がなくて「どうせこの世は全部苦しみ」っていう教えはティーンの私には新鮮でしたね笑。
しなやかさの欠如、という言葉がすごくしっくり来たのと、只の自罰ではなく神様的なものが罰してくる、という言葉にとても共感できました。
また、自分の在り方すら良いところと悪いところがある事を強調されていて、とてもバランス感覚を大事にしている先生なのだな、と思います。
今回の動画も大変勉強になりました。
私はようやく無神論者、無宗教者になれました。
変な価値観や献金から解放されました。宗教2世ではなく、違う宗教でしたが高校時代同級生に誘われ断れず、いつの間に洗脳され心の拠り所にしていました。
結婚し精神疾患発症、夢だった大学に行き哲学の授業で池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読み宗教から離れる決心が出来ました。大学はうつの悪化で中退しましたが、大きな収穫でした。
益田先生のフラットな立ち位置が好印象です。
私もこれでいいと思えて嬉しいです。
ありがとうございました。
宗教のことを虐待、機能不全家族といった複数の視点を交えての解説は初めて聴いた気がします。
わかりやすくきけて理解が深まりました。ありがとうございます。
「医者の家系だから医者になれ」と、なりたくもないのに勝手に進路を決められてしまえばそれは虐待ですよね。宗教だと大騒ぎされるけど、医者だとむしろ周りも勧めてきたり。職業も宗教も生き方も、本人が望んでいないことを親や周りが押し付けるのではなく、本人が自分で考えて選べるのが本来の姿ではないかと思います。
『生きる』ということ、『人生』ってそういうことだよね、死ぬまであーでもない、こーでもないと悩みながら、色々な意見や価値観に接し、それも成長ととらえて皆んな人間をやってるということですよね。
脳があるからこそ、時には疲れ、益田先生の動画に支えられている1人です。
本当に何度救われてきたかわかりません。
精神科の主治医以上に支えられています。
ただ、益田先生の医師としての情熱、誠実さが故に、苦しんでいる?悩んでいるのがわかります。
やりきった感、完璧を追い求め過ぎて、先生ご自身の体調を崩されないよう、それだけはファンとして心配してます。
過食症の私がハマったのがたまたま身近にある“食事”だっただけで、成人だったらはけ口はアルコールだったかもしれないし、宗教だったかもしれないし、薬だったかもしれない。不運で弱っている時は何かに依存しがちなので注意したい
いつも有意義な問題提起と貴重な解説をありがとうございます。楽しみに拝見させていただいております。
私は宗教の被害者支援を行っております。
宗教を悪用する人間と組織が問題だと思っています。
宗教を盾に利益を追求したり、欲望を正当化したり、他者をコントロールしています。
機能不全の家族は宗教でなくとも、別の方法で家族を虐待するでしょう。であるにしても、宗教は強力な支配の道具になります。
私は宗教者なので、魂や霊性は人が全人格的な存在として生きるために不可欠なものであると考えています。人の魂を迷わせる教えや宗教者には無念さと怒りを覚えます。
虐待を受けられた方々に、自由と安全があるようにと願います。盲目的な宗教者たちには、天からの処罰が下ることを願っています。
世間と違うものをこころのよりどころにする共同体に属しているって、誰かの引用なのか益田さん自身の言葉なのか分かりませんが、いい言葉・定義・概念ですね。それが世間とのトラブルを起こすこともあれば、特にそうでもないこともあるし、逆にそっちがスタンダードになることも歴史的にはある、ということですね。
政治もそうですが、宗教に関することを身の回りで価値観を語るのはタブー、という謎ルール。間違いなくそれが個人の心を社会的に孤立させてしまう要因だと思います。
私は子供の頃、宗教活動をしていましたが、金銭のトラブルや、悪い活動は全く見受けられませんでした。
私自身は機能不全家庭で育ちましたが、家にいられても面倒だということで、宗教の会場によく放り投げ出されていました。あの場所は私にとって、親や祖父母代わりが沢山いて、いつも甘やかしてくれ、私という存在を受け入れてくれる良い場所でした。
しかし、それを友達に話すのは違うな、と子供ながらに思っていたので、誰にも話しませんでした。
高校の時、偶々会場で同級生と鉢合わせ、ビックリしましたが、やはり話す空気にはなりませんでした。そして仕事が忙しくなったのを機にその宗教からはフェードアウトしました。
なので私にとっては、宗教は可も不可もないような感じです。
しかし私自身、死にたいと思ったとき、何かにしがみつきたいと思ったとき、頭の中にパッと宗教のことを思い出します。
本人が依存して救われるなら良いとは思いますが、日本の新興宗教は、神の前に人が立ち塞がってるイメージで何とも言い難いところはあります。
宗教二世の問題の深刻さは理解しています。ですが、宗教を全て否定するのではなく、宗教をひとつの心の拠り所として生きていくことも尊重すべきだと考えます。
確かに、宗教によって虐待的になってしまったり、視野が狭くなってしまうこともあると思います。しかし、この生きづらい世の中で宗教にすがってしまうそんなこともあると思います。その時に、霊感商法などを行うカルト団体のような悪い宗教に気をつけることは大切だと思います。
自分はゴリゴリの宗教三世ですが、同時に心の病気は教義だけでは解決できないと思い、精神科医を目指して医学部で学んでいる学生です。
正直なところ、先生が指摘されている心の動きに自分も共感する部分はあります。ただ、目に見えないものを信じているからこそ持てる強さもあることを実感しています。
宗教と精神医学、それぞれの優れた点を生かせる方法はないかと考える中で、現実的でありながら誰も否定しない先生のスタンスや考え方、客観的考察はとても参考になりました。トピックとして取り上げてくださって、ありがとうございます🙇♀️
宗教2世です。人生が信仰から成り立っていて、耐えられないような苦難がありました。
他人は、辞めたらどうだ、と簡単に言うけれど、自分の人生の否定だったり、親との離別だったり、信仰から離れると何かあるのではと恐怖もあります。
今考えると自分の親は祖父の面影を追いかけて信仰にいってしまい今もまだ夫婦して行っているので結局未だに自分も信仰に対して抜けてないからきついですが今の家族に誰にも本音は言えない。益田先生の言葉は本当にいつもしっくりくるのでありがとうございます。
だいたい信教の自由って憲法に書いてあるのに
子供の頃からカルト強要するって憲法違反じゃないのって思ってしまったw
奥が深い命題に、ロジカルに切り込んでいて良いと思いました。シェアさせていただいています。
宗教2世ではありませんけれども、親戚・家族みんな全く違う宗教を信じていて、自分も日曜日に親に連れられ、そういう集まりに行ってました。
例えば神といった考え方について、大人によって言うことやることが違う、ある人は肯定し、ある人は否定するといった状況でしたので、私は思春期に何を信じたらいいかわからず葛藤しました。同級生たちにも全く話すことはできませんでしたね。自分のこともドン引きされるのではないかと思ってましたし。
だから先生の「コスパ悪い」という言葉がすごくストンと落ちました笑
人の生き方の根幹に関わってくる上に、その教義などで人を縛り付けてしまうというのは恐ろしいですね……。
抽象的に「自分を傷つける行為」に対して依存症になる人がいるのだろうと思います。そう考えると、多額の献金する事でスカッとして献金に依存症になる人もいるのだろうと想像します。そう考えるとある種の宗教が多額の献金をする信者から献金を受け取る行為は、見方を変えると献金依存症の患者の依存行為を満たす事で、依存行為を強化しているようにも見えます。本来、献金依存症患者がすべきことは、自分の病気に気づき、精神科医に行き、治療する事なのだろうと思いますが、彼らがある種の宗教組織に勧誘され取り込まれ、自分の依存症という病気に気づく機会を奪われ、症状を悪化させられ、精神科医に足を向ける機会を見失わさせられているのではないか?と最近私は考えています。そして、そうであれば、そういう現実に対して精神科医学会は、依存症者の症状悪化を助長しているある種の宗教一般に対して、強い抗議の声を上げても良いのでは無いでしょうか?
小さい頃から自分なりに納得して信仰して来ました。家族も温かく育ててくれたし、私の意思も尊重してくれました。
この一年間、諸先輩から様々言われるようになり、苦しくなって来ました。
私が知っている信仰とは、かなり違うので戸惑っています。
益田先生の動画を観て、すごく納得しました。
もちろん、精神科医の主治医にも相談して、毎日生きています。
自分は5歳の時に母親と生き別れたのですが、それから約25年後に再会する機会を得た時、思っていたよりものすごく小さいと思った記憶があります。
自分の中では母親はとても大きな存在だったのですが。
機能不全家族で過去ああすれば、してくれればよかったなと思うこともあるのですが、最近は過去はいろいろあったのだろうと両親の長命を願っています。
いつもありがとうございます。
今日の動画は自分が観てきた中で1番全部が響きました。
宗教四世です。親戚にもその信仰をしてる人が多いです。
親は本当に幼い頃から躾が厳しくて、信仰に捕らわれた考えに締め付けられてばかりでトラウマがたくさんあります。また、親戚も頭ごなしにいろいろなことを言ってくるのが辛いです。
ただ、信仰で知り合った友達は本当に優しくて仲の良い子が多いので、今でも仲良くしてます。その子たちとの繋がりが私にとっては大切なので、その共同体から抜けられずにいます。信仰をやめてしまったら、その友達とはもう仲良くできないだろうとか考えると悲しいです。
ただ単に信仰心だけで決められないというのは全くその通りだと思いました。宗教を信仰したことが無い人や、全く関心のない人には恐らく理解されないだろう葛藤があることをもっと多くの人に知ってもらいたいです。これが日本でなかったらこんなに苦しくはなかっただろうかとも思います。
最近、人は結局自分の為にしか生きれないのだと強く思うようになりました。だから、親や友達にどう思われようが、自分が生きやすくなるための選択は私が後悔のしないようにしていきたいです。
今回初めてコメントさせて頂きました。益田先生のひとつひとつの言葉で、最近は自分を許せるようになってきました。いつもお忙しい中、動画や配信をして頂き本当にありがとうございます。
なんか共感します。好きな哲学者でもこの理論はいいけど、この理論は私の感覚と違うなとか何か直感的な違和感というのは大切にしたいと思います。食べ物の嗜好とか音楽の趣味とか五感を使う感覚系ってその時の気分や体調、年齢や時代でも変化していくものだと思う。諸行無常的な…それが先生のいうしなやかさなのかなと…
肉体的な自分の受け継いだ資質、容姿などDNAは変えられないし、そういう自分を受け入れて、失敗しながら判断していくんだと…胃腸が弱いのも遺伝的なものだと思うし、コッテリラーメンとか食べれたらと思うけど、味は一瞬美味しいと思っても体質に合わないし…他人のいいというものを受け入れる時、自分にいいかどうかなんて試してみないとわからない事が多い。是か否かジャッジせずに距離を置くって大切だと思う。人によって違うので、正解はないし、多角的視点で自分に合うか探っていく方が確かに楽です。一つの考えを鵜呑みにしない、色んな価値観を拒絶せず色んな情報をフラットにみていく方が縛られず自由な感覚がある。その中で自分に合うか合わないかだけなのかなと…
自分に合うからと言って自分の子どもに合うかというと違うし…一つの考えとして伝えるようにはしている。他人に比べて家族は同一化してしまう部分もあるから、同意してもらえない時は確かに寂しい。でも狐のお話で親子でも子どもが大人になればお互い精神的に自立していく方が健全だと思う。
2世です。ドラマで宗教は悪い物の様に扱われるのに、
何故うちの母達はしてるんだろうと、幼い頃から悩んでいました。
不自由だらけで、幸せな時なんてありませんでした。
でも、母はすぐ怒ってくるので、逆らえませんでした。
宗教を否定して論破できる程の力が無かった自分が情けないです。
仕事も辞め、恋人とも別れ、本部にまで行かされましたが、
未だに、本部に連れ戻される夢をみます。
でも、あの人達、何の役にも立たないんですよ。
不幸に感じる生きづらさの原因。私の双極性障害を見抜いて助けてくれたのは、
精神科の先生方です。
祈りでも献金でもない。化学と医学です!!
当たり前だと思っていた環境もそんなわけではなく、宗教3世として育ちました。今思い返すと我慢や寂しさも多く親元を離れて、宗教にとても嫌悪感を抱きます。と同時に、親にも嫌悪感を抱くようになった自分もまた嫌なのです…。結婚を期に目を背けられなくなり、嫌な気持ちを抱える今日この頃です、、、辛いなあ
個人的にも、タイムリーな話題有難うございます!
私は、生まれたと同時に、父方のお婆ちゃんが、立正⭕⭕会に入信して居て、私の名前を命名させて、名前も、入れてしまいました。そしてお婆ちゃんは、小5で、癌になり、告知が出来なかったので、一時帰宅の時に、治ったと思い込んでしまい、貯金全部上げてしまいました。そして、父に謝りながら、亡くなりました。
興味深く拝聴いたしました。
お話を聴いて感じたことは、「一人ひとりに対して決めつけずにしなやかに向き合う」ことの大切さです。そういう意味で、「宗教二世」のようなカテゴライズも弊害が多いと思います。ある程度の傾向や留意すべきポイントはあるとしても、どこまでも相対するべきは唯一無二の個人なので。
過干渉でなんでもやってしまう子供の仕事を減らしてしまう親の元で生まれた子の環境にも通ずる気がしました
自立しづらいし、自己判断能力が衰える傾向にあるので。
益田先生、診察室から観た機能不全家族の問題として、宗教二世問題を分かりやすく、認知バイアスも考慮した公平な観点で論じてくださり、本当に頭が下がります、有難うございました。
私は一世です。産後うつがキッカケで、かなり激しいせん妄と急性症状に苦しみ、自分自身の未熟さゆえ、長年の他科も含めた「お医者様へのおすがり信仰」に近い精神科の治療に限界と物足りなさを感じて、魂の飢餓感を埋めるが如く「精神の渇きを潤す仏教」に道を求めましたが、周囲からは「弱みにつけ込まれた判断力の乏しい哀れな人」として、アタマのオカシイ精神病者と宗教にハマった可哀想な人間という二重のレッテルで同情されて、差別される側の気持ちをトコトン味わい尽くしました苦笑
躁転し、さすがにこのままではまずいと自覚して医療保護入院した時には、自分が救世主にでもなったかのような錯覚と傲慢さで、「みんなに布教したら精神疾患も何もかも解決する」と信じ込み、単細胞的な思い込みから宗教妄想にまで発展し、入院中の他宗教の方々の多さに面食らい、被害妄想や血統妄想の方々や、話しの通じない、かなり強固な妄想に支配された、さまざまな年代の多種多様な境遇の方々との共同生活の中で、カルチャーショックを受けてようやく自分の浅はかさに気が付き、精神疾患の奥深さを学べました。
世間やマスコミからは、あくまでも「正常な自分達とはどこかが違う」という上から目線で、精神病者も宗教の信者も「心の弱い気の毒な人」と特別視して、十把ひとからげに論じられがちですが、あえて森の外に出て、そこから一人ひとりの今の症状と、まぎれもなく現実に営んでいる、その人の進行形の生活背景にも心を配る益田先生のお話しを聞いて、そのプロとしての気概が患者からは遠い存在でありながらも、なぜかとても心強く感じました。
二世問題を解決する上で、伝統宗教vs新興宗教、政治家との癒着や多額の献金という利権がらみのザックリした分け方では、真実を見誤るような気もしています。
益田先生のスタンスを伺い、社会学者の上野千鶴子さんが、結局は机上論にすぎない人文科学者として、「祈らない」という戒めのようなものを自身に課しているというニュアンスの事をおっしゃっていた謙虚さを思い出しました。
こんばんは。
心の拠り所はスマホができたことで、SNSだったり、TH-camだったり、様々な形で変化していっていると思います。
親の親世代が初めは、宗教に熱心でしたが、次第にテレビを見るようになり、歌に救われ、人生を謳歌していたように思います。
親世代は自分が過去に成し遂げられなかった事を、50代にして仕事にしていたりとか。
私自身、生まれてきてしまった以上、簡単には死ねないのでのらりくらりと生きてますね。
何にもこだわらず、人付き合いもほどほどに会いたい時に人に会う感じですね。
結婚が女の幸せだとか、そういう価値観ももはや古いものだと思います。
普通の幸せだと思って結婚した人の離婚率の高さが物語っているようにか思います。
だったら一人で自立していきた方が、気持ち的にも金銭的にも楽なんじゃないでしょうか?
無理に働いたり、嫌々ながら結婚する生き方は嫌です。
時々周りの人から言われますが、人には人の生き方があるので、それに対して指図したりするのはナンセンスだと思います。
人は自由に生きる権利があるし、それを強制するのはルール違反だと思います。
本当の意味で誰も支配は出来ないと思います。
母が親族ぐるみで宗教に夢中になり 精神的な面で父と不仲になり 父自身にも病気があって結局鬱になり自死しました
子供の私達姉妹も 小さい頃は強制的に信仰させられましたが十数年して大人になると 親子は親子でも信仰は別 と離れることができました
でも母に信仰が必要なようで 遠巻きに姉妹で見守ってます
こんな家族の中で育つと 信仰が必要な人もいる事もわかり それを理解出来ない人もいる事もわかり いい勉強になってます 出来れば強制される宗教には関わりたくなかっです
「宗教はコスパが悪い」というのはそうなんだろうなぁと思いました。宗教によって救われる人もいるんだろうけれど、精神科へ行った方がコスパが良いのだろうと思います。アルコールやドラッグ、スマホ、などの依存先は色々とあるのだろうけども、まずは精神科へ行った方が良い。でも薬だけ出すような精神科へ行っても救われないなと思ってしまって他へ行ってしまうのだろうか?
先生この問題取り上げてくれて有難うございます😇🙏
私はクリスチャンの3世です。両親は教会で出会い、生まれた時から教会というコミュニティに所属していました。実家は信仰の強要も虐待も無く、宗教もいわゆる古い宗教だったので、動画で取り上げられている類型には当たりませんが、いつか子供ができたらたまに教会に連れて行きたいなと考えていたので、今回の動画を見て、やめておくべきなのかなぁと思いをめぐらせています。私自身、今は教会とは疎遠ですし、神の存在は信じていないので、熱心に連れて行くつもりはありませんが、クリスマスの行事や礼拝で讃美歌を歌うこと、学校とは違った老若男女と交流する機会は自分のアイデンティティを良い意味で形成したと考えており、子供にも門を開いておきたいと思っています。いざという時の心の拠り所としても知っておいて欲しいなぁと。エゴかなぁ。。
益田先生いつも動画をありがとうございます。
私は宗教2世ではありませんが、私自身がキリスト教特にプロテスタントに強い興味を持っているのは、おそらく間違いなくクリスチャンだった祖母の影響があると感じています(ちなみに両親は2人とも宗教には距離をとっています)。
私自身はまだクリスチャンではないものの(未受洗です)、キリスト教的な価値観を一定程度は持っているという前提で私自身が感じるのは、
「しなやかさ」とか「こだわりのなさ」とか「とらわれのなさ」とかに関する、いわゆる日本社会あるいは日本の精神科医社会でのマジョリティの「プラスの認識」これがかなり気になってしまいます。
益田先生も含めて多くの精神科医の方々が、(特に森田療法的な考え方をする方々を中心に)、「とらわれのなさ」とか「こだわりのなさ」とか「しなやかさ」のようなものを重要視されているようですが、
部分的ではあれキリスト教的な文化に親しんでいる私自身からすると、これらは
「仏教的な無や空や悟りと類似したものなのではないか?」とか、
「悟りを得られないことを悟ることが大事、 という極めて仏教的思想なのではないか?」とか、
今一定以上の拡がりを見せている認知行動療法にしろ、「西洋にも部分的に広まった禅の精神の逆輸入的なところがあり、すなわち仏教的で」、それ自体がかなり「仏教的という意味においてかなり強い宗教色を持っているのではないか?」と
私自身は感じてしまいます。
私自身に生まれながらにASD傾向があるのかどうかはおそらくは判断が難しいと思われますが、
特に前職の会社を経営危機で退職してから、
「あなたはこだわりが強すぎる」とか、
「しなやかさが足りない」とか、
「とらわれのなさがない」とか、
「柔軟性がない」と、
批判非難されることが急に増えてしまい、かなり精神的に疲労困憊してしまうように、残念ながらなってしまいました。
そしてそのことに今でも非常に強く違和感を感じ続けています。
すなわち
「とらわれがない方が良いという仏教的な思想」や、
「しなやかさがあった方が良いという東洋的思想」や、
「こだわりがないない方がよいという認知行動療法的な思想」、
これらはおそらくはすべて多かれ少なかれ「仏教」という「悟り」や「空」を大事にする宗教の、その仏教的思想のコアの部分だと思われるのですが、
そのことが、私自身に対して周囲の人達が批判非難あるいは「アドバイス」をする原因になってしまっていて、私自身をとても苦しめてしまっている事実があると少なくとも私自身は感じてしまいます。
キリスト教はもちろん唯一絶対神を信じる宗教ですし、またキリスト教の母体となったユダヤ教ももちろん一神教です。
そしてどちらも伝統的宗教であり世界中に20億人以上の信徒がいます。だから決してカルトではありません。聖書の教えや牧師さんの言葉に心が救われることも、私自身あったりもします。
キリスト教は一神教ですから、
「とらわれがない方が良い」とか、
「しなやかに物事を受け流す姿勢が大事」だとか、あるいは
「(特に神様への)こだわりがない方が良い」
とは基本的には考えませんし、(宗派間で多少の異なりはあるものの)、キリスト教の基本的な教義のとても大切なことがらは、
唯一の神様へのこだわり(信仰)、であり、未来に来る予定になっている「神の国」への希望であり、
これが(まだ正式には信者にはなっていない私にとっても)、
人類の希望であり、救いであり、生きる力であり、神様との約束であり、
一人の人間が人間として生きるにあたっての灯台の光であり、救いであり、苦しみや悩みに耐える力そのものであり、
それがまさに神様であり、神様を信じることそのものなのです。
だから、
「しなやかさが大事」とか、
「こだわるのは良くない」のか、
「とらわれは良くない」と
複数人の精神科医に言われると、私は強く精神的に追い詰められてしまうのです。
「とらわれは良くない」
「しなやかさが大事」
という精神科医の方々自身が「仏教的な考え方や仏教的なしななかさ」
に強くこだわっていて、そして完全ではなくともそれなりにキリスト教の宗教観をある程度は理解している私を、
「仏教的考え方の集団や仏教的な思想に間接的な影響を受けた人達」に、
私自身がマイナスに思われて強く追い詰められてしまうように感じてしまうのです。
従姉妹の家族がカルトと言われる宗教を信仰しています。海外にも支部があるので、行きたい国に出かけて行って、その国の信者に働く場所を探してもらったり、衣食住を助けてもらって生活をしたり、自分自身のお金が無くても、自由に色々な国に行っては暮らしていました。最近ある国で信者とお付き合い始め、結婚もしました。両親も海外旅行が趣味なので、海外の信者を頼って色々な国に旅行に行っています。この家族の場合、宗教を利用して生活をエンジョイしていると思います。年のうち1~2ヶ月を旅行に費やしているために、懸命に働いていないので、お金持ちではありませんし、寄付も大したことはしていないと言っています。こんな強かな家族もいる事を知って下さい。
宗教と虐待の関係について、益田Dr.の考えを聞くことができて勉強になりました。普段は、なかなかピックアップし辛いテーマとは思いますが、このような機会に宗教Ⅱ世について知ることは大事なことだと思います。
毎回学びが多く楽しませてもらっています。精神医学と益田先生としての経験考えを通してのお話、例えも分かりやすく本当に面白い。ご自身がインフルエンサーになる危険性も自覚考慮しながらの活動とのことですが、先生の動画を通して心が軽くなったり自分や人に対する理解が広がる方が私含め多くいると思いますので、感謝と同時にこれからもぜひ発信してほしいと思います。
うちは、祖母が某教団に入信していたので父も私が子供の頃、宗教活動していました。
幸いかどうか、父は途中で宗教を辞めたし、私が宗教に巻き込まれる事は無かったです。
しかし、なかなか辞めさせてくれないというか未だに家に押しかけてきたり、私の場合だと高校の後輩というだけで、選挙活動中に家に来たり電話をかけてきて、誰々に投票をと推し進めてきます。逆らうと大変なので、言う事は聞きつつ心の中ではあしらっていますが、脅威を感じますね。大きく捉えると宗教三世の苦しみです。
宗教を心の拠り所にした事は、あまり無いですが、心の拠り所が何も無いのは辛いのは分かります。
人に寄って様々だと思いますが、
何か健全な拠り所は求めているのだと思います。
考えると苦しいですね。けれど改めて勉強になりました。
長文になりましたが、今日も有難うございました。
30分に近い動画でびっくりしました。
「コスパが悪い」ということに、あ、そういうこともコスパで考えるんだ…でも確かにそうだよな…という新鮮味が私のなかでありました。
迷いなく叱れてしまうというのがなるほどと思いました。善性が元から欠落しているから?それとも教義や競争によって失われていくのかな。
宗教とは違いますが、男性や食べ物に依存して生きてきた事を家族に話したら案の定全否定されました。
生きているだけで苦痛を伴う人がおり、その苦しみや寂しさ、虚しさを埋める為に何かに依存する事は人としておかしい事ではないと伝えたいけど諦めました。
どんなに客観的に見て害しかない事も本人にとっては拠り所となっている事があると多くの人に理解して欲しいなと思いながら動画を見ました。
カルトは、答えを提供してくれるので、楽でそこに寄りかかってしまうのも、自然なのかなと思います。精神医療の中でもアドバイスはしますが、それは緊急対応の必要がある時とか、医療者がその人のことを助けたい気持ちがバイアスとして高い場合かなと思います。そういうことはあったとしても、不器用にでもいいから、先生の言葉を使えば、しなやかに悩めるようになることをサポートしていくのが、大切なポイントだと思います。
アドラーは色々使えるもの、生きることをサポートするのに有用な考え方を提供してくれています。ただ、共同体意識を育てるとか、思想的な面があり、それを嫌って離れてしまう人が多いのも、確かなのかなと思います。
宗教2世です。自分の子どもを知らないまま3世にされるんじゃないか?と思ってしまい子作りできません。私みたいな不幸な人を生まれて欲しくない。母はかなり熱心で私は幽霊ですが辞めたくても退会方法分からないため幽霊のままいます。
益田先生こんばんは(* . .)))
宗教の問題は取り扱いが難しい印象ですね。友人関係や家庭では
「宗教と政治の話はするな」
と大人に散々言われました💦
先生もかなり思い切ったのではないでしょうか。真摯すぎる実直な精神科の先生だと改めて思いました。
私の意見ですが、元首相の襲撃事件について、ネットで犯人を崇め奉る?ような書き込みを幾つか目にし、驚き疑問に感じました。
犯罪を犯した点を見ず、犯人が過去に発言した内容にだけ注目出来る人が多く居る事に、本当にびっくりしました。
神格化!と茶化した書き込みも見ますが、それが現実になり宗教化するのではと、何故か不気味に感じます。
自分の思想に取り込みすぎて、自我と同化したら洗脳に近い状態になりそう。
今回の事件で、犯人の動機や以前にあった背景を肯定する事は、恐ろしいと感じます。
「私の人生にはやはり意味があったのですね。感謝します。」
と言う書き込みを見た時は、驚きを隠せなかったし。
書き込みした方は確かに救われたかも知れないけど、犯人が一人の人間の命を奪った事実は存在します。
たとえ共感しても罪人は罪人、。境界線を越えるのは危険です。
今回もズレた話をしてしまいました。すみません。
本当に育った環境は人生を大きく変えますね。先生の言葉がとても響きます。
今回はかなりずっしりくる動画で、先生の心意気も感じました。今日も本当にありがとうございます☘️
親は宗教が一番だから、学校などで表彰されるようなことが起きても、子供の努力を褒めずに宗教のおかげだと言う。
自己肯定感、育たなかったねw
よりどころ私もいらないや。
言葉にするのはすごく難しいですが、こういう問題は結局自分が対象とどう向き合うのかということに尽きるのかな、と思いますね。宗教から離れても、別のことでまた同じ壁にぶつかるかもしれないし。
距離感というものがみんなわからなくなっているというか。
家族だから同じでないといけない、という今までの価値観みたいなものから変わっていく今その途中なのかもしれませんね。
ただ一人では生きていけませんから、コミュニティに属する大事さというのもよくわかります。
宗教2世より他の2世(歌舞伎含めた芸能人、スポーツ選手、医者、など)はその立場の人達がもっと少ないので、その人たちの苦しさは共感もしてもらえないし関心ももってもらえないし深刻なんじゃないかとも感じますね。
私も先生と同じで、音楽は昔の曲しか聴かないです(笑)
今の時代は多すぎて追えないんですよね・・・
宗教カルト大国なのに宗教アレルギーもすごい変な国にっほん
ネット上でアドラーの事好きな人はお前もこうしろ!こうしなければならないみたいな感じで苦手でした。動画面白かったです
ん~。昨日、東洋と西洋の宗教観のレポート提出をしたばかり。 医療や科学が発展した中で宗教観って 不要になっているかとも思いますが...。 カウンセリングもですが ある一定の 導きは必要ですよね。 拠り所ですから。
親から譲り受けた元々の性質にDV、酒乱、依存的で盲信的な親とかの環境が合わさったらメンタルボロボロだろうな。益田先生がよく仰るように不運、不幸が重なってる。宗教は強制されるものじゃないよね。皆が自由に選んで、心の拠り所にしたかったら拠り所にできたら良いのに。
今の世の中は、普通の宗教が、カルト宗教に変わりやすい文化らしいです。
世の中が変化したからやて。
宗教2世の治療には洗脳を解く大変さとその後を支えるしんどさがありますね。。日本的な企業を身体疾患で退職する際、身を切られるような悲しみと言いようのない不安を覚えました。20年ほど経ているのに今でもうまくやれなかったと悔恨します。代わるものがないんですよ。 #メンタルヘルス大全 #視聴マラソン
先生、こんにちは。毎日子どもとの向き合い方に悩む44歳の女です。今日は本当に学びが多い動画をありがとうございました。私の思う子育てをもうしばらく楽しみたいのですが、身内や何やらと非常に余計な?アドバイスが日々、耳に舞い込んできまして。「子育てには正解は無い」と言う先生の御言葉がものすごく私の思う子育て感と合致しまして、、、楽になりました。私は子育てに悩んでいるはなく、周りの人達の要らない助言に悩んでいるのだと確信しました。呪縛から解放されました。本当にありがとうございます。
私も宗教二世で、子供の頃からほとんどの事を制限されて生きてきました。
加えて体罰もあり、今では鬱と摂食障害と自傷癖持ちです。
自分がどうしたいのか分からず、自分に自由は許されないと思い込んで何もできない無気力人間ですが、
カウンセリングや投薬でどうにか生きてます。
宗教は生き方の指針になるもので、拠り所にもなると思うけど、それを押しつけて暴力で他人の自由を奪う事は、
人を救うどころか壊してしまうことになるんだと感じました
今回のお話は、すごく実感できました。
安倍氏の事件はエセ宗教団体にとらわれた人の子が起こしたものですが、特定の価値観を強要するというのは日本でも普通に行われていることですよね。
ムラ社会と呼ばれてきた地域コミュニティがそうですし、それが崩れてきた現代では学校や企業、ママ友やPTA、教育虐待などがそれに該当すると思います。
企業が新卒採用に偏るのは、企業文化を刷り込むためとも言われ、転職が難しくなる一因なのではないでしょうか。
安倍氏自身も政治家三世としての価値観を押し付けられた人生だったようですし、選択の余地がなかったという点では共通しますね。
合わないものを押し付けられて抵抗が困難だから、心を病む人が多いのかもしれません。
本当に勉強になりました。ありがとうございます。
宗教2世で、私は幼少期よりうつなど精神的に悩んでいますが、最近発達障害の診断をされました。なのでどちらが先なのか?という疑問があります。しかし教育的虐待も多々ありました。
少し逸れますが、私の場合こだわりの強さや好奇心の強さがあったので小学生の頃から反抗し始め中学で辞めたのですが、未だに環境的問題は未解決です。そして親戚と母が信者で父は無宗教なため、機能不全家族(両親より親戚からの教育の強さが大きい)の原因も謎です。
うちの場合は、もともと機能不全家族の場合から宗教依存になるケースなのかなと考えると腑に落ちるのですが、やはりどちらも緩和?は環境次第なのでしょうか?自分がループさせてしまわないよう気をつけたいです。
宗教は否定しないが趣味の一環にすぎないと思う
アドラーの考え方はすきだけど嫌われない勇気の本は極端すぎて
これ本当にアドラーがいったのかなぁと思ってしまった
勝手に編集者がいろいろと着色したのではと思ってしまう
昔親が近所の人から新興宗教を進められて入信したようです。子どものときから当たり前のように教会に行かされてましたが、海外に留学したり働き始めて、信教の自由があることを知り、押し付けられていた事に気づきました。親と宗教のことで喧嘩をすることは毎回ですが、とにかく教会には行かない、お金は一切出さないことだけは譲らないことにしています。それでも親は教会に私の名前でお金を上げています。親不孝だとか言われても聞く耳は一切持ちません。死んでから極楽に行けるとか誰がわかるというのでしょう?そんなの詐欺だと見抜ける人間になってほしいものです。
私にとってこれまでの人生そのものであったためテーマが壮大すぎて、一度のコメントで吐露できるものでないので。少し視点を変えたところからのコメントだけ。させてもらいますが、
心の拠り所が益田先生のチャンネルになりっぱなしだと、もしかしたら動画でおっしゃっていた宗教と近くなってしまう、のかな。
私がこのチャンネルに出会ったタイミングがあと一踏ん張りでマンホールから地上に出られるぞってとこだったので、今地上に出てマンホール周辺の土壌を確かめたりしながら、出たり戻ったりしてる感覚です。そして出来れば、マンホールには戻りたくないけど、たぶんまた落ちて戻る、出るを繰り返すと思う。その時にマンホールの中で色々確かめて安心してまた地上に上がる、それが益田先生の存在にしたいのです。宗教とは地上に出ることも出たり入ったりすることも、教団によっては認めているような感じですが,実は認めてないのです。だから宗教化はしてないです。それは私の築いたものか、益田先生が創意工夫の中でそうさしめているものか、どちらもかな
ダメッ!母さん!お布施は家族を幸せにしません!逆効果です!ヤメテ!!!
益田先生が椎名林檎とか宇多田ヒカル聴いてるなんて、胸熱すぎる…
なかなか、自分の意志で生きることを選ぶのは、難しいですね。
誰にでも起こる試練で人生には選択がつきものですが、私は自分の決めたことや考えに自信がなくて、常に誰かに確認しないと不安です。
しかも、相談を切り出すのも苦手です😅
イデオロギーの中で生きてきたからなのかな…。
今までのイデオロギーからの自責の念や過去の出来事を癒やしながら、
私の心の拠り所を新たに見つけていけばいいんですね!
私の新しい生き方、人生は新しい心の拠り所を自分で見つけていくことなんですね!😲
やっぱり、1から生き直しですね!😅👍
それはそれで、自分の人生を歩めるようになるなら、本望です✨🐢💓
叱った後に罪悪感を覚えないとエスカレートしていくだろうなと想像できてしまいますよね…。自分も昔はそうだったという記憶を忘れたくないなと思います
危ない親なら先祖崇拝教の宗教も危ないのでは?
キリスト教の海外の方が心の健康は良いもんね
「宗教」をかざして「親の感情のはけ口」の様に「寝せない」「食べさせない」「お金を使わせない」と、なると、働けない子供は生きられない。
そういう「宗教」を私は、全否定します。最近のNEWSであった子供が未来を築いていけます様に🍀
益田先生に相談すると結構ブッダの思想めいたものがかえってきて、「?」ってなることもあります(笑)後から意味が分かることもあります。
日本には神仏を信じる人がいるように、諸外国では神様はいないと言うと逆に大丈夫か?と言われる。国により文化や歴史が違いますね。その神様がいて当たり前の方からは、神は人類の親だから足りない自分でも愛され許されている。そう感じると自分も愛で満たされて、困っている隣人も許せるし愛せると言われて納得しています。
そんな話しから、人は愛情をもらい、次に与えて生きてるんだと感じてます。愛情と苦労をしつつ育てた子供から生まれた孫は目に入れても痛くないのは、そんな理由なんだろうなぁと自分の中では感じてます。親から愛情を受けられなかった方こそ、そんな大きな愛情に触れられる環境と出会えたらと感じてます😊
益田先生、
毎日楽しく拝見しております。
🎎この動画の9:47で母狐が「結婚」してとのくだりに思わずニッコリしてしまいました。
🦊天気雨のことを「狐の嫁入り」と言っていた事を思い出してしまいその後に想像が止まらなくなってしまいました。
🌈動物のペット達は飼い主より先に亡くなった際に虹の橋のたもとで飼い主と再開するのを待っていると信じられています。
🏳🌈虹の旗は最近ではLGBT+を意味したりもしますが私の住む英国ではコロナ禍の際に英国国民保険サービス(National Health Service)職員への感謝に虹を書いたりしました。
🏥近所にTavistock病院がありフロイト銅像やフロイト博物館もあります。
♻私の想像が一周した頃にはきちんと精神科に戻り先生の動画を最後まで見ることが出来ました‼
今後も楽しみにしております。
益田先生、ありがとうございます。
動画ありがとうございました!例えば海外のある地域では○○○教の人がほとんどだと思うのですが
それはそれで皆が同じ価値観?で過ごしているから、そこでずっと暮らしている分には居心地が良いのでしょうね
イタリアに住んだ友人が宗派が無いことに驚かれると言っていました
「信仰があるのは当たり前、信仰があるから偉い」
「宗教に熱心な人は胡散臭い、宗教にハマるのはそもそも不幸だから」
・・・・むづかしい問題です
母が熱心で、母の休み(働いていたため)といえばお寺でした。一緒に居たい私は付いていくしかなく、
母にプールに連れて行ってもらった記憶も1回しかありません
まあ、小学生高学年になったら、友達と好きに遊びに行きましたが
他の人たちに比べて圧倒的に思い出のバリエーションは少ないですね〜😓
僕も浄土真宗親鸞会というカルトの教団の宗教2世です
でも、今はプロテスタントのキリスト教徒です
正直カルトは本当に僕の価値観や子供らしさの事を奪っていきました
なので、イエス様も「許しなさい」と言われましたけどなかなか心のしこりが取れないですね
益田先生、少し興奮気味ですね。私は親が僧侶です。無宗教の家庭に生まれたかったです。