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懐かしい、急行くずりゅう!良いですね。加越を期待します(笑)
加越も時々アップしていると思います。
米原から金沢まで二時間半、えらい速い急行ですねぇ。
かな?その辺は良く分かりません。
コメントありがとうございます。子供の頃で、小学校の帰り道か何かに一瞬だけ遠目に目撃した覚えがあってなにぶんおぼろげな記憶で申し訳ありませんが、多分客車にディーゼルカーが1両だけつながれて、貨物列車はつながれてなかったと思います。客が乗っていたのかどうかもわかりません。1980年くらいだったと思います。わたしは今でも地元の列車の夢をたまにみるのですが、夢と現実がごっちゃになっているのかも・・?いえ、確かに実際に見ました!(笑)
メッセージありがとうございます。やはり、それは、回送で連結していたのだと思います。同じ時刻に必ず連結されているとするならば、そんな運用だったのでしょう。
初めまして、毎回貴重な画像ありがとうございます。。自分は国鉄型が好きで特に475系や457系、旧形客車が大好きです。そこでリクエスト希望しますが旧形客車の特集画像は堪能しましたが475系の国鉄色時代の特集画像を希望しています。あまり興味ないかと思いますが何卒よろしくお願いします。こちらは急いでいませんし時間をかけてゆっくり探して編集してほしいです。貴重な475系画像楽しみに待っています。
うわ~475系の特集画像ね。これまでにアップしてある画像で475系だけを編集したものになりますが、それでよければお待ちください。
@@HobbyVideos 時間急いでいません。手の空いた時でよろしいので何卒よろしくお願いします。
国鉄の車両の模型を集めていますが、古い映像に映る車両編成は大変参考になります。
それは良かったですね。
鉄道ファンにとってはいい時代の映像ですね 客車列車や急行電車とか今のJRにはない 楽しい列車達がいた時代 楽しく懐かしい映像をありがとうございます チャンネル登録しました
+ほばらたかし さん メッセージ並びにチャンネル登録ありがとうございます。昔は、急行と言う列車があり、特急がかがやいていた時代でした。もっと昔は準急って言う列車もありました。今は、特急が急行のような駅に停車し、ちょっと複雑な気持ちになりますね。北陸本線でも、普通しか停車しない、加賀笠間って言う駅に、新幹線の駅を作ろうと言う構想があります。
けいせんさんメッセージありがとうございます。そうなんです。昨日も会社の人と話をしていたのですが、トワイライトエクスプレスも秒読み態勢に入ったねって。そうなんです。もう最後の夏、最後の秋、そして最後の冬を走ってお別れなんですね。北陸本線の第3セクターは、石川県は石川レイル、これは、IRと言う略になるのですが、「アイアール」と読んで、「愛ある鉄道」と言っています。富山県は、「あいの風とやま鉄道」だそうです。
メッセージありがとうございます。ごめんなさい、少し修正です。富山県は、「あえの風とやま鉄道」のようです。521系は、第三セクター鉄道仕様と言うか、色の塗装自体が全然違っています。また、昼間は、ワンマン運行をしているのですが、このワンマン運行は、JR時代から、始まっていました。また、夜は、3両編成の413系がまだ走っています。413系は、糸魚川の方まで行く列車もあるようなことを聞きました。
よく田村までD D50できてEF70に交換していたのを覚えています。私はEF70の高速ぶりに驚きました。電気機関車がこんなに速いものかとびっくりしたのを覚えています。
DD50牽引列車には、1回しか乗ったことがないのです。なんかDE10に変わってしまって。
2:29~ 「直江津12:14 → 米原22:31」w・・・ユルイ時代でしたねぇ~^^。
メッセージありがとうございますまあ、こんな長距離は特急に乘れって言う事でしょうね。
583系の雷鳥の始発と到着を特定しました金沢行 9号・19号・18号・30号富山行 6号・26号・11号・31号以上4往復が583系の雷鳥です
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。そんなに走っていたのですね。私が高校時代は、白鳥の5分前に走るしらさぎが581系だったのを覚えています。その頃、雷鳥には581、583系は使っていなかったように思います。
2分17秒にチラッと写ってるは光野中学校ですよね?僕はその周辺に住んでるのでビックリですwwそれにしても今より田んぼが多いですねww
工事中の光野中学校みたいです。今は、北陸本線の横に北陸新幹線が出来て、またまた風景が変わってしまいましたね。新幹線の試運転列車は、もう見ることができましたか?私は、今日初めて、松任駅の横を走る列車のパンタグラフだけ、見ることができました。防音壁で、駅からはパンタグラフだけしか、見えなかったのです(笑)
私は国鉄時代の客車や気動車の混結編成が大好きです。旧客普通列車の中にナハ・ナハフが連結されている様に見えますが、どうなんでしょうか?
はい、10系客車も旧型客車と同じように連結されていました。気動車の混結編成ってすごいのがありますよね。昔でしたけど。また、気動車の種類もバラエティーに富んでましたね。
昔は急行列車に乗る時は急行券とか指定席券とか必要だったんですか?
メッセージありがとうございます。今のJRと同じく、必要でした。
国鉄時代の鉄道ファン いくらぐらいだったんですか?
まあ、運賃は徐々に値上がりして行きましたが、1981年2月の時刻表ですと、次の通りです。100キロまで 500円200キロまで 700円201キロ以上 900円でした私の見ている時刻表は、急行の指定席と自由席の金額が明確に書いていません。
国鉄時代の鉄道ファン わざわざありがとうございます。今の普通電車についてるグリーン車のグリーン料金とあまり大差がないですね。201キロ以上が900円と一律なんですか?
メッセージありがとうございます。そうなんです。特急も、在来線特急も801キロ以上は、自由席3000円で均一でした。私が、高校時代は、普通列車のグリーン料金は300円で、たまに利用していました。今は、700円かな?
貨客混合列車?になるんでしょうか?キハ58や10系寝台車が繋がれてますね。多分区所の異動とか工場への入場とかでしょうか?こんな編成を見ることができたのも貨客を同組織で扱っていた国鉄時代ならではだと思います。模型で再現したら面白いでしょう。
メッセージありがとうございます。当時は、何も考えずに、ただキハ58が繋がっているな!って思っていたのですが、改めて珍しいと言われると、そうなのかも知れませんね。
10系ハネは転属車両、キハ58は松任工場への入場車両じゃないかと思います。当時は工場入出場車を回送する列車が予め指定されていたことが多かったようです。旅客取り扱いへの影響が少ない工場最寄り駅に停車する貨物列車や荷物列車が多かったようです。
なるほど、詳しい情報をありがとうございます。
581系は乗ったことはありますか 昭和57年に2往復金沢止まりに変更したことが判明しました わかったら教えてください
メッセージありがとうございます。残念ながら581系は乗ったことがないのです。田舎暮らしだと、どうしても車社会になってしまって、撮影に行くにも車で撮影ポイントまで行くので、よほどこれは乗って撮影しないと・・・・と言うときか、用事があって特急に乗るときしか鉄道は利用していなかったのです。ただ、普通電車に改造された419系には、乗ったことがありますよ(笑)でも、中は、581系の面影が残っていました。
昔の北陸本線と昔の常磐線がにている 急行といい特急といい形式が違えどやはり国鉄色の交直流まで同じ懐かしいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。国鉄時代は、交直両用の急行と言えば、このあずき色にクリーム。直流の急行と言えば、オレンジ色と緑。って決まってましたからね。ですから、多分常磐線と似ているのでしょうね。今、松任駅の横にある金沢総合車両所に、3両だけこの国鉄色に塗られた475系が置いてあります。
やはりサロ2両にサシの付いたフルコンプ12,3両編成の485,9系は最高ですね。
メッセージありがとうございます。当時の国鉄の特急列車としては、ごく普通の編成だったのではないかと思います。
そうですね。当時は共通運用の列車が多かったですよね。朝『日本海』で大阪へ帰ってきた24系がその日の夜、今度は『あかつき』で九州へ向かうとか。だから東北・北陸地方が大雪で『日本海』が10時間とか遅延してしまうと、なぜか快晴の山陽を走る『あかつき』が運休してしまうような不思議な珍事が起こったりしました。国鉄が経営合理化へ転換する以前の485系特急といえば、7両編成の『加越』だけが例外的に短編成でしたね。
日本海があかつきに使われていたのですか?その辺の事は、全然分かりませんが、九州から東北までを走っていたのですね。7両編成の加越は、たしかに食堂車が連結されていた時代で、7両から始まった列車ですね。そもそも、この加越が走り出してから、だんだんと特急らしさが消えて行ったような感じがします。
実際に『あかつき』だったかは記憶がありませんが、大ムコの車両はそういうフル回転の運用をしていました。そんな運用を大前提として開発されたのが581,583系ですね。
なるほどね。581系583系は、昼間の特急でも使われていましたからね。昼間も、夜行寝台にも使うように考えられたのですね。
9:35のEF81-729号機、ヒサシがついてないローピン単色の貨物更新車ですね。結構貴重ですね。
+RGM79JG さん メッセージありがとうございます。あ!そうなんですか?私、普通のEF81だと思ってました(笑)もともとは、久が付いておらず、単色だったと思うのですが、それがもう貴重な存在になっているのですね。
+国鉄時代の鉄道ファン 2014年12月の鉄道ファン‐p48に詳述されており、私も最近読みなおして貴重な存在だと知りました。
+RGM79JG さん わざわざ調べていただいてありがとうございます。昔は、普通だったのが、時代の流れ何ですね。
1度だけでしたが、子供の頃北陸本線で旧型客車とディーゼルカーが一緒に繋がれているのをたしか見た記憶があります。妙な組合せだと思いましたが初めてみたので強烈なインパクトがありました。おそらく貨物扱いで回送か何かだったんでしょうかね?客扱いしていればこういうミスマッチな車両に乗ってみたかったですね(笑)
メッセージありがとうございます。旧型客車とディーゼルカーが一緒につながれていると言うのは、貨物列車ではなく各駅停車だったのでしょうか?。各駅停車の客車の前か後ろに荷物や郵便車が繋がるように、前か後ろにディーゼルカーが繋がっていたのでしょうか? 実は、私は小学生の2年から4年まで、姫新線の沿線に住んでいました。その時、両親と姫路に行った帰りなんですが、C11牽引の旧型客車の一番後ろにキハ20が連結されていた事が良くありました。私は、1回ではなく何回も見ているので、多分その時の列車は、回送かなんかで、客車の一番後ろに連結するダイヤだったのだと思います。
国鉄時代の地方幹線では、主にダイヤに余裕の無い単線区間を中心に回送の気動車が客車列車の後ろにぶら下がるパターンが多く見られたようです。
懐かしい、急行くずりゅう!良いですね。加越を期待します(笑)
加越も時々アップしていると思います。
米原から金沢まで二時間半、えらい速い急行ですねぇ。
かな?その辺は良く分かりません。
コメントありがとうございます。子供の頃で、小学校の帰り道か何かに一瞬だけ遠目に目撃した覚えがあってなにぶんおぼろげな記憶で申し訳ありませんが、多分客車にディーゼルカーが1両だけつながれて、貨物列車はつながれてなかったと思います。客が乗っていたのかどうかもわかりません。1980年くらいだったと思います。わたしは今でも地元の列車の夢をたまにみるのですが、夢と現実がごっちゃになっているのかも・・?いえ、確かに実際に見ました!(笑)
メッセージありがとうございます。
やはり、それは、回送で連結していたのだと思います。
同じ時刻に必ず連結されているとするならば、そんな運用だったのでしょう。
初めまして、毎回貴重な画像ありがとうございます。。自分は国鉄型が好きで特に475系や457系、旧形客車が大好きです。
そこでリクエスト希望しますが旧形客車の特集画像は堪能しましたが475系の国鉄色時代の特集画像を希望しています。
あまり興味ないかと思いますが何卒よろしくお願いします。こちらは急いでいませんし時間をかけてゆっくり探して編集してほしいです。
貴重な475系画像楽しみに待っています。
うわ~
475系の特集画像ね。
これまでにアップしてある画像で475系だけを編集したものになりますが、それでよければお待ちください。
@@HobbyVideos 時間急いでいません。手の空いた時でよろしいので何卒よろしくお願いします。
国鉄の車両の模型を集めていますが、古い映像に映る車両編成は大変参考になります。
それは良かったですね。
鉄道ファンにとってはいい時代の映像ですね 客車列車や急行電車とか今のJRにはない 楽しい列車達がいた時代 楽しく懐かしい映像をありがとうございます チャンネル登録しました
+ほばらたかし さん メッセージ並びにチャンネル登録ありがとうございます。
昔は、急行と言う列車があり、特急がかがやいていた時代でした。
もっと昔は準急って言う列車もありました。
今は、特急が急行のような駅に停車し、ちょっと複雑な気持ちになりますね。
北陸本線でも、普通しか停車しない、加賀笠間って言う駅に、新幹線の駅を作ろうと言う構想があります。
けいせんさんメッセージありがとうございます。
そうなんです。
昨日も会社の人と話をしていたのですが、トワイライトエクスプレスも秒読み態勢に入ったねって。
そうなんです。もう最後の夏、最後の秋、そして最後の冬を走ってお別れなんですね。
北陸本線の第3セクターは、石川県は石川レイル、これは、IRと言う略になるのですが、「アイアール」と読んで、「愛ある鉄道」と言っています。
富山県は、「あいの風とやま鉄道」だそうです。
メッセージありがとうございます。
ごめんなさい、少し修正です。
富山県は、「あえの風とやま鉄道」のようです。
521系は、第三セクター鉄道仕様と言うか、色の塗装自体が全然違っています。
また、昼間は、ワンマン運行をしているのですが、このワンマン運行は、JR時代から、始まっていました。
また、夜は、3両編成の413系がまだ走っています。
413系は、糸魚川の方まで行く列車もあるようなことを聞きました。
よく田村までD D50できてEF70に交換していたのを覚えています。私はEF70の高速ぶりに驚きました。電気機関車がこんなに速いものかとびっくりしたのを覚えています。
DD50牽引列車には、1回しか乗ったことがないのです。なんかDE10に変わってしまって。
2:29~ 「直江津12:14 → 米原22:31」w・・・ユルイ時代でしたねぇ~^^。
メッセージありがとうございます
まあ、こんな長距離は特急に乘れって言う事でしょうね。
583系の雷鳥の始発と到着を特定しました金沢行 9号・19号・18号・30号富山行 6号・26号・11号・31号以上4往復が583系の雷鳥です
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
そんなに走っていたのですね。
私が高校時代は、白鳥の5分前に走るしらさぎが581系だったのを覚えています。
その頃、雷鳥には581、583系は使っていなかったように思います。
2分17秒にチラッと写ってるは光野中学校ですよね?僕はその周辺に住んでるのでビックリですwwそれにしても今より田んぼが多いですねww
工事中の光野中学校みたいです。
今は、北陸本線の横に北陸新幹線が出来て、またまた風景が変わってしまいましたね。
新幹線の試運転列車は、もう見ることができましたか?
私は、今日初めて、松任駅の横を走る列車のパンタグラフだけ、見ることができました。
防音壁で、駅からはパンタグラフだけしか、見えなかったのです(笑)
私は国鉄時代の客車や気動車の混結編成が大好きです。
旧客普通列車の中にナハ・ナハフが連結されている様に見えますが、どうなんでしょうか?
はい、10系客車も旧型客車と同じように連結されていました。
気動車の混結編成ってすごいのがありますよね。昔でしたけど。
また、気動車の種類もバラエティーに富んでましたね。
昔は急行列車に乗る時は急行券とか指定席券とか必要だったんですか?
メッセージありがとうございます。
今のJRと同じく、必要でした。
国鉄時代の鉄道ファン いくらぐらいだったんですか?
まあ、運賃は徐々に値上がりして行きましたが、1981年2月の時刻表ですと、次の通りです。
100キロまで 500円
200キロまで 700円
201キロ以上 900円でした
私の見ている時刻表は、急行の指定席と自由席の金額が明確に書いていません。
国鉄時代の鉄道ファン わざわざありがとうございます。今の普通電車についてるグリーン車のグリーン料金とあまり大差がないですね。201キロ以上が900円と一律なんですか?
メッセージありがとうございます。
そうなんです。
特急も、在来線特急も801キロ以上は、自由席3000円で均一でした。
私が、高校時代は、普通列車のグリーン料金は300円で、たまに利用していました。今は、700円かな?
貨客混合列車?になるんでしょうか?キハ58や10系寝台車が繋がれてますね。多分区所の異動とか工場への入場とかでしょうか?こんな編成を見ることができたのも貨客を同組織で扱っていた国鉄時代ならではだと思います。模型で再現したら面白いでしょう。
メッセージありがとうございます。
当時は、何も考えずに、ただキハ58が繋がっているな!って思っていたのですが、改めて珍しいと言われると、そうなのかも知れませんね。
10系ハネは転属車両、キハ58は松任工場への入場車両じゃないかと思います。
当時は工場入出場車を回送する列車が予め指定されていたことが多かったようです。
旅客取り扱いへの影響が少ない工場最寄り駅に停車する貨物列車や荷物列車が多かったようです。
なるほど、詳しい情報をありがとうございます。
581系は乗ったことはありますか 昭和57年に2往復金沢止まりに変更したことが判明しました わかったら教えてください
メッセージありがとうございます。
残念ながら581系は乗ったことがないのです。
田舎暮らしだと、どうしても車社会になってしまって、撮影に行くにも車で撮影ポイントまで行くので、よほどこれは乗って撮影しないと・・・・と言うときか、用事があって特急に乗るときしか鉄道は利用していなかったのです。
ただ、普通電車に改造された419系には、乗ったことがありますよ(笑)
でも、中は、581系の面影が残っていました。
昔の北陸本線と昔の常磐線がにている 急行といい特急といい形式が違えどやはり国鉄色の交直流まで同じ
懐かしいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。
国鉄時代は、交直両用の急行と言えば、このあずき色にクリーム。
直流の急行と言えば、オレンジ色と緑。
って決まってましたからね。ですから、多分常磐線と似ているのでしょうね。
今、松任駅の横にある金沢総合車両所に、3両だけこの国鉄色に塗られた475系が置いてあります。
やはりサロ2両にサシの付いたフルコンプ12,3両編成の485,9系は最高ですね。
メッセージありがとうございます。
当時の国鉄の特急列車としては、ごく普通の編成だったのではないかと思います。
そうですね。
当時は共通運用の列車が多かったですよね。
朝『日本海』で大阪へ帰ってきた24系がその日の夜、今度は『あかつき』で九州へ向かうとか。
だから東北・北陸地方が大雪で『日本海』が10時間とか遅延してしまうと、なぜか快晴の山陽を走る『あかつき』が運休してしまうような不思議な珍事が起こったりしました。
国鉄が経営合理化へ転換する以前の485系特急といえば、7両編成の『加越』だけが例外的に短編成でしたね。
日本海があかつきに使われていたのですか?
その辺の事は、全然分かりませんが、九州から東北までを走っていたのですね。
7両編成の加越は、たしかに食堂車が連結されていた時代で、7両から始まった列車ですね。
そもそも、この加越が走り出してから、だんだんと特急らしさが消えて行ったような感じがします。
実際に『あかつき』だったかは記憶がありませんが、大ムコの車両はそういうフル回転の運用をしていました。
そんな運用を大前提として開発されたのが581,583系ですね。
なるほどね。
581系583系は、昼間の特急でも使われていましたからね。
昼間も、夜行寝台にも使うように考えられたのですね。
9:35のEF81-729号機、ヒサシがついてないローピン単色の貨物更新車ですね。結構貴重ですね。
+RGM79JG さん メッセージありがとうございます。
あ!そうなんですか?
私、普通のEF81だと思ってました(笑)
もともとは、久が付いておらず、単色だったと思うのですが、それがもう貴重な存在になっているのですね。
+国鉄時代の鉄道ファン 2014年12月の鉄道ファン‐p48に詳述されており、私も最近読みなおして貴重な存在だと知りました。
+RGM79JG さん わざわざ調べていただいてありがとうございます。
昔は、普通だったのが、時代の流れ何ですね。
1度だけでしたが、子供の頃北陸本線で旧型客車とディーゼルカーが一緒に繋がれているのをたしか見た記憶があります。妙な組合せだと思いましたが初めてみたので強烈なインパクトがありました。おそらく貨物扱いで回送か何かだったんでしょうかね?客扱いしていればこういうミスマッチな車両に乗ってみたかったですね(笑)
メッセージありがとうございます。
旧型客車とディーゼルカーが一緒につながれていると言うのは、貨物列車ではなく各駅停車だったのでしょうか?。
各駅停車の客車の前か後ろに荷物や郵便車が繋がるように、前か後ろにディーゼルカーが繋がっていたのでしょうか?
実は、私は小学生の2年から4年まで、姫新線の沿線に住んでいました。その時、両親と姫路に行った帰りなんですが、C11牽引の旧型客車の一番後ろにキハ20が連結されていた事が良くありました。私は、1回ではなく何回も見ているので、多分その時の列車は、回送かなんかで、客車の一番後ろに連結するダイヤだったのだと思います。
国鉄時代の地方幹線では、主にダイヤに余裕の無い単線区間を中心に回送の気動車が客車列車の後ろにぶら下がるパターンが多く見られたようです。