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あたいは、一宮出身。高山懐かしいなぁ。0:20 高山線に夜行急行が、あったなんて、初耳です。北陸線や中央線は普通夜行が有りましたが、高山線にも、とは。ありがとうございました😊
ご視聴とコメントありがとうございます。一宮がご出身でしたら、「岐阜」や「高山」は馴染みがある地名ですね。高山線の夜行急行は、時刻表で発見した時には大変驚きました。当時は本当に色々な路線で普通夜行がありましたね。夜行バスが無い時代ですから、山登りや帰省シーズンは「利用者も結構いたのかな?」と想像しております。
@@tomoyankun 山登りもそうですが、高山線沿線には冬はスキー客が多かったですからね。
懐かしい中部循環準急と呼ばれた「しろがね」が2本運行されてました。逆回りが「こがね」。やがて、急行に統合されて、最後に消滅。列車の行き先も多岐にわたり、運用の都合で途中から普通になったり、国鉄のダイヤを作るのも大変だなと思った。子供時代は、国鉄は編成は長いけど、それ以上に客が乗り、混雑ばかりだとの印象でした。(マイカーが普及して居ないし、高速道路なんかアメリカのものを本とかで知ったくらいだし、中長距離は国鉄利用するしかないから、お盆、は年末の帰省時期は、ニュースになるくらい混みました。)
いつもご視聴とコメントありがとうございます。「しろがね」は2本運転され、「こがね」は1本のみの運転でしたね。様々な事情を考えながら、経路を考えるのでしょうから、当時のスジ屋さんは大変だったでしょうね。指定席券を買うために行列に並ぶ上に、指定席券が買えなければすし詰めの自由席で終点まで行くような事があったようですね。長編成の客車鈍行がのんびりと走っているイメージをもちやすいですが、実際は大変なことも多かったのですね。貴重な情報ありがとうございます。
懐かしいですね 高山本線は子供の頃の通学路沿いでした近くの駅に学校から、タブレット交換を見学に行ったのもお召し列車に旗を振ったのも 特急ひだ号を教室の窓から見たのも全て高山本線 子供の頃の思い出がいろいろとよみがえりました。 ありがとうございました。
@EKご視聴ありがとうございます。思い出がよみがえるきっかけとなり、大変光栄です。ありがとうございます。鉄道には、単なる移動手段としての役割だけではなく、当時の自分が生きていた時代の風景までもを鮮やかに蘇らせる力がありますね。コメントありがとうございました。
美濃太田沿線民ですー。北濃・郡上八幡行など越美南線直通懐かしいですなぁ…遠回りでも需要あったんかな!?多治見行は80年代に一度途絶えたがJR化後にライバルの名鉄を意識し復活ですー(岐阜⇔可児の需要あり)。それにしても優等列車少ないからか普通高山以北への普通列車多いと感じまっせ。
人々に懐かしさを蘇らせてくださるこの動画。行った事も乗った事も無いのに(生まれてない🤗)、皆さんのコメントを読むだけで胸がいっぱいになります。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。皆さんの思い出や思い入れ等についてコメントで頂くと、大変嬉しいです。SA様と同様に、私も生まれておらず、訪れたこともない時代と場所の時刻表がたくさんあります。しかし時刻表片手に何度もいただいたコメントを読み返しながら当時に思いをはせると、自分が体験したような錯覚があり、とても温かい気持ちになります。
加越急行時代は名古屋~金沢の高山本線経由(名古屋~金沢は後の特急ひだが受け継がれていて、現在は大阪、名古屋~高山、富山になった)特急では米原~金沢、富山の新幹線連絡特急として活躍かつては特急列車トップの俊足を誇るスピードランナーだった現在は米原始発のしらさぎになった
@政弘樹いつもご視聴ありがとうございます。私の年齢ですと「加越」は特急時代のイメージがどうしても強いです。最後は683系での「加越」も見ることができましたね。コメントありがとうございました。
懐かしいですね
ご視聴とコメントありがとうございます。懐かしさを感じていただけて大変嬉しいです。昔の時刻表の良さかなと思います。
この頃から岐阜発多治見行きがあったんですね。東濃の方が県庁である岐阜駅に行くのに便利ですもんね。名古屋回りと比べて、速いのか安いのかわからないけど。
ご視聴とコメントありがとうございます。岐阜発多治見行きがかなり昔から走っている歴史のある列車であることがわかりますね。次に乗車する時には今までとは少し違った気持ちになりそうです。
@@tomoyankun さん恐らく、岐阜(高山線)~美濃太田(太多線)~多治見の経路だったんでしょうね。
美濃太田沿線民です。美濃太田経由多治見行は国鉄末期に見かけなくなりましたがJR東海になり復活しました…岐阜⇔可児が乗換ナシかつ名鉄より安いですから。
高崎バージョンも見てみたいです上野へ向かう列車がどういう流れで走ってたのか見てみたいです
@ヤマザキch@gunご視聴ありがとうございます。逆方向ですと、仰るようにまた違った様子になっています。テーマを選ぶ際に是非参考にさせていただきます。リクエストのコメントありがとうございました。
この当時は、客車普通が多かったようですけど、牽引機関車はなんでしょう?まだディーゼル機関車も入って居なかったし、高山線の線路規格を考えると、「C58」か「C56」のような気がするのですが。
@原田寛いつもご視聴とコメントありがとうございます。手元に高山本線のことに対しての記述のある資料がないため、あくまで推測ですが、C58ではないかと思います。お詳しい方からの情報があれば嬉しいですね。
@@tomoyankun 美濃太田沿線民より、C58280の静態保存実績からC58(旅客)あるいはD51(貨物)が主力やと思います。
名古屋に行こうとして名古屋行きのしろがねに乗ると・・・
@ななしうたひとご視聴とコメントありがとうございます。今の時代に大回り乗車をする人も真っ青になるくらいの遠回りですね。
あたいは、一宮出身。
高山懐かしいなぁ。
0:20 高山線に夜行急行が、あったなんて、初耳です。
北陸線や中央線は普通夜行が有りましたが、高山線にも、とは。
ありがとうございました😊
ご視聴とコメントありがとうございます。
一宮がご出身でしたら、「岐阜」や「高山」は馴染みがある地名ですね。
高山線の夜行急行は、時刻表で発見した時には大変驚きました。
当時は本当に色々な路線で普通夜行がありましたね。夜行バスが無い時代ですから、山登りや帰省シーズンは「利用者も結構いたのかな?」と想像しております。
@@tomoyankun 山登りもそうですが、高山線沿線には冬はスキー客が多かったですからね。
懐かしい中部循環準急と呼ばれた「しろがね」が2本運行されてました。逆回りが「こがね」。やがて、急行に統合されて、最後に消滅。列車の行き先も多岐にわたり、運用の都合で途中から普通になったり、国鉄のダイヤを作るのも大変だなと思った。
子供時代は、国鉄は編成は長いけど、それ以上に客が乗り、混雑ばかりだとの印象でした。(マイカーが普及して居ないし、高速道路なんかアメリカのものを本とかで知ったくらいだし、中長距離は国鉄利用するしかないから、お盆、は年末の帰省時期は、ニュースになるくらい混みました。)
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
「しろがね」は2本運転され、「こがね」は1本のみの運転でしたね。様々な事情を考えながら、経路を考えるのでしょうから、当時のスジ屋さんは大変だったでしょうね。
指定席券を買うために行列に並ぶ上に、指定席券が買えなければすし詰めの自由席で終点まで行くような事があったようですね。長編成の客車鈍行がのんびりと走っているイメージをもちやすいですが、実際は大変なことも多かったのですね。貴重な情報ありがとうございます。
懐かしいですね 高山本線は子供の頃の通学路沿いでした
近くの駅に学校から、タブレット交換を見学に行ったのも
お召し列車に旗を振ったのも 特急ひだ号を教室の窓から
見たのも全て高山本線 子供の頃の思い出がいろいろと
よみがえりました。 ありがとうございました。
@EK
ご視聴ありがとうございます。
思い出がよみがえるきっかけとなり、大変光栄です。ありがとうございます。
鉄道には、単なる移動手段としての役割だけではなく、当時の自分が生きていた時代の風景までもを鮮やかに蘇らせる力がありますね。
コメントありがとうございました。
美濃太田沿線民ですー。北濃・郡上八幡行など越美南線直通懐かしいですなぁ…遠回りでも需要あったんかな!?
多治見行は80年代に一度途絶えたがJR化後にライバルの名鉄を意識し復活ですー(岐阜⇔可児の需要あり)。それにしても優等列車少ないからか普通高山以北への普通列車多いと感じまっせ。
人々に懐かしさを蘇らせてくださるこの動画。行った事も乗った事も無いのに(生まれてない🤗)、皆さんのコメントを読むだけで胸がいっぱいになります。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
皆さんの思い出や思い入れ等についてコメントで頂くと、大変嬉しいです。
SA様と同様に、私も生まれておらず、訪れたこともない時代と場所の時刻表がたくさんあります。しかし時刻表片手に何度もいただいたコメントを読み返しながら当時に思いをはせると、自分が体験したような錯覚があり、とても温かい気持ちになります。
加越
急行時代は名古屋~金沢の高山本線経由
(名古屋~金沢は後の特急ひだが受け継がれていて、現在は大阪、名古屋~高山、富山になった)
特急では米原~金沢、富山の新幹線連絡特急として活躍
かつては特急列車トップの俊足を誇るスピードランナーだった
現在は米原始発のしらさぎになった
@政弘樹
いつもご視聴ありがとうございます。
私の年齢ですと「加越」は特急時代のイメージがどうしても強いです。最後は683系での「加越」も見ることができましたね。
コメントありがとうございました。
懐かしいですね
ご視聴とコメントありがとうございます。
懐かしさを感じていただけて大変嬉しいです。
昔の時刻表の良さかなと思います。
この頃から岐阜発多治見行きがあったんですね。東濃の方が県庁である岐阜駅に行くのに便利ですもんね。
名古屋回りと比べて、速いのか安いのかわからないけど。
ご視聴とコメントありがとうございます。
岐阜発多治見行きがかなり昔から走っている歴史のある列車であることがわかりますね。次に乗車する時には今までとは少し違った気持ちになりそうです。
@@tomoyankun さん
恐らく、岐阜(高山線)~美濃太田(太多線)~多治見の経路だったんでしょうね。
美濃太田沿線民です。美濃太田経由多治見行は国鉄末期に見かけなくなりましたがJR東海になり復活しました…岐阜⇔可児が乗換ナシかつ名鉄より安いですから。
高崎バージョンも見てみたいです
上野へ向かう列車がどういう流れで走ってたのか見てみたいです
@ヤマザキch@gun
ご視聴ありがとうございます。
逆方向ですと、仰るようにまた違った様子になっています。
テーマを選ぶ際に是非参考にさせていただきます。
リクエストのコメントありがとうございました。
この当時は、客車普通が多かったようですけど、牽引機関車はなんでしょう?まだディーゼル機関車も入って居なかったし、高山線の線路規格を考えると、「C58」か「C56」のような気がするのですが。
@原田寛
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
手元に高山本線のことに対しての記述のある資料がないため、あくまで推測ですが、C58ではないかと思います。お詳しい方からの情報があれば嬉しいですね。
@@tomoyankun 美濃太田沿線民より、C58280の静態保存実績からC58(旅客)あるいはD51(貨物)が主力やと思います。
名古屋に行こうとして名古屋行きのしろがねに乗ると・・・
@ななしうたひと
ご視聴とコメントありがとうございます。
今の時代に大回り乗車をする人も真っ青になるくらいの遠回りですね。