ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
最後まで耳を澄ませて聞きました。貴方の思っている事を誰遠慮なく話して下さいね。
最後まで見ました、大変勉強になります。これからも応援しております!
「苫野一徳」で検索したら、ネオさんの動画が出てきたので、驚きつつ拝見しました。私が哲学に興味を持ったきっかけが本書でしたので、【本質観取】を盲信しておりしたが、「自分の頭で考え、自分の言葉で語れるようになりたい」と思いました。ありがとうございます。
1万人おめでとうです。ネオさんの動画は自分個人としては失礼ながら哲学より学問への姿勢がとても為になっています。最近は論語を少し読んでて(簡単なの)西洋哲学との相違的な部分にとても関心を持っています現在。これからも動画楽しみにします、頑張ってください。
哲学においては、「原因が何なのか?」という様々な議論がありますが、欲望という現れのみを起点とするのは、確かに面白いアイデアですね。一方、欲望や相互承認、共通理解の限界を考える事も面白いですね。
自分は過去に研究の一貫で哲学対話をしていました。その時にわたしが感じたことをネオさんのご発言と比較しながら書いてみます。まず、こうした貴重で、丁寧な話をTH-camで聴けることに感謝しますし、これからもこうした類の話を期待するところであります。さて、哲学対話にも「なぜそうした発言をしたのか」「どうした経験に基づいていますか」といった質問を大事にするらしいのです。それは苫野さんがいうところの概念と共通しているのでしょう。他方で、ネオさんのいうところの、プラトンの対話編における「バチバチ」した雰囲気について、私の経験した哲学対話ではありませんでした。私自身プラトンの対話編は、6編?ほど読みまして、対話者の雰囲気は否応なく観取したところであります。さて、哲学においては、こうした対立が必要不可欠であるとの見解とお見受けするのですが、私が思うに、なぜ我々はそうした対立に怒りや阻害を欲するのでしょうか、と問うてみてはいかがでしょうか。要するに、ネオさんの発言にも、あの対話編に描かれた対話者の態度や発言を前提にお話が進みましたが、なぜ彼らは、怒りを覚え、最終的にはソクラテスを死刑にまで追いやったのでしょうか。対話の難しさという哲学とは少しずれた話ではありますが、考慮の余地があるのではと思います。いや、最近そうしたことについて、よく考えるのですが、まだ答えもでず。そこで、ネオさんに少しでもご尽力いただきたく、コメントさせていただいた次第です
レベルが高い人もいるネットに上げられるほど学術的に精緻な議論ができるのに敬服します。哲学で学位を持つ人ってやっぱり違いますね。私は哲学の全体集合をウィトゲンシュタインの言う家族的類似のようなものと捉えていて、その要素が共通に持つ性質はないと捉えていたのですが、今回の議論は非常に面白かったです。
ホントに気合の入った良い動画ですね。これこそ「リアルで哲学の営みしてる!」って内容で、刺激的で面白かったです。
面白い面白い。ありがとうございます。あと2回くらい見てノートを取って、ってやろうと思うレベルの内容です。(GWに時間ができたらやる)
面白かった というより勉強になる
爆笑問題が東大や京大に行って、学者相手に太田さんが大暴れした回を思い出しました。太田さんが一般のとこまで降りて勝負しろよ的な喧嘩の売り方がまんま前半部分と一緒でああーとなりました。信念と信念を戦わせるべきではないってすごい納得ですが、過去の哲学者はさらに過去の哲学者をボコボコにぶっ壊して今に至っているし、ネオさんもかなりボコボコにしてて最高 www
哲学:『物事の本質を根本から究明し、それ以上遡れない究極的な原理を思索しようとする営み』なかなか、唸る定義ですね♪第二イザヤですな。孤高なる孤独は、孤立とは違うんですね。
最後の部分はブルーハーツが言っていた「売れているものが1番なら世界で1番うまいラーメンはカップラーメンだ。」
ラーメンを選ぶ時の基準って美味さの他にもコスパだったり手軽さだったりがあるからそれっぽく聞こえるだけで言ってることめちゃくちゃだよね
おめでとうございます🍾🎉🎊ニート🆚高学歴ぐらいから見てました。これからも応援しています
とても勉強になりました
とても面白かったです。苫野さん、興味はあっても読んだことなかったので、これを機会に見てみようと思います。ネオさんのスタンスもよく現れていましたから、その点も面白かった。
半年前に初めて見たときよりも少し言ってることが分かった気がした。コメ欄見てガチ勢ばかりで怯んだことを思い出した。でも一番いいなと思った点は、コメ欄の人たちがちゃんと意見を交わしあっている姿勢だった。「電車男」みたいに思えた。他動画のコメ欄も含めて。なんか真面目さというか誠実さというか。不毛なバトりは全然なかった。この野暮ったさとファニーなスタイルと言ってることの熱さに打たれ、立て続けに他のやつも見るようになった。哲学面白いと思った。この動画を知れて良かった。まじで。自分語り失礼しましたm(_ _)mぺこり良いお年を!😃
一万人おめでとうございます!🎉
最初から、最後まで観ました。
やべぇwめっちゃ面白い…プラトンら辺から凄すぎて笑っちゃった
哲学の時代は来るのでしょうか?それとも今の方が楽観的でいいのでしょうか?日本は
もちろん最後までみました。
すげえ!おめでとうございます
ペッとボトル後ろに2本あるの気になる
なぜ人間には好み(好き嫌い)があるのか、ほんとうに不可解である、と池田晶子さんは言っていました
『数学とは公理系により規定された形式的な演繹体系である』と現代数学体系は確か規定されていますよね。哲学には数学のような予め説明しない『公理』というものは存在しますか? 【社会生活の公理】は【常識】と言ったりしますが!
鋭くて難しい質問ですね。哲学は原理の探究ということだとこの動画では述べましたので、公理をも遡って規定することが哲学の意義なのかなと思います。プラトンも数学や天文学に対する哲学の優位というか、公理からも遡ることが哲学にできることと述べています!
本当の本質観取と言うのは言葉の本質を知ることなのだ。政治とは何か?とは政治と言う言葉の意味とは何か?を探究することだ。言葉の本質を知ることこそが哲学なのだ。それはただただ言葉の本質、つまりイデアを探究することなのだ。だからね。善とは何か?と言う意味は善と言う言葉の本質、イデアとは何かを知ることなのだ。自由とは何か?と言う事は自由と言う言葉の本当の意味するところを知ることなのだ。言葉の本質それをイデアと言いイデアは絶対なのだ。イデアこそが絶対と言えるものなのだ。例えば人間の本質とは人間と言う言葉の本質、イデアとは何かと言う事だ。人間の本質とは「それ」があるから人間と言えて「それ」がないならば人間とは言えないもの、を言う。哲学とは言葉の本質、イデアの探究をすることだけなのだ。そしてイデアの中のイデアである善のイデアを知ることこそが最も大切なものなのだ。だからね、善とは何かを探究するものこそが本当の哲学者と言えるのだ。
素晴らしかったです。とても刺激的でした。特にプラトンの哲学が本質看取では全然ない、というのにはビックリしました。もし本当にそうなのでしたら、自分はこれまでプラトンを全く誤解したイメージでみていました。プラトンは言葉ではない仕方で捉えたイデアを、言葉によって(不完全ではあれ)表現しようとしていたという風に理解すればよいのでしょうか。そうだとすれば、何かの本でプラトンを神秘主義者だと表現していましたが、少し納得できた気がします。何かを定義として(今回は哲学を)表現するとき、それはそのことの本質看取によって為されることのように思えますが、そうではないのでしょうか。否定的に述べられた定義さえも(例えば、「真理は存在しない」というような)、やはり本質の表現ではないのでしょうか。けれど、今回の定義は「…それ以上遡れない究極的な原理を思索しようとする試み」となっていたと思いますし、それは「色即是空、空即是色」のように、定義それ自体が自らの表現内容を無限に転倒していこうとするような性格のものなのかもしれないなと思いました。けれど、人が何かについて真剣に言葉で表現しているまさにその時、その自分の言っていることが相対的なものでしかないと感じながら話すことは可能なのだろうかとも思いました。ある視点から何かを述べる時、同時に別の視点のことも考えることはやはり無理があるように思います。まあ、だからこそ哲学は一旦何かを述べ、すぐその後にそれについて批判的に考えていくという仕方をとるのでしょうが。でもそれは個々の言明について見てみれば、やはり一つの真理や本質を看取したという自負に基づいたものであり、哲学は一回ごとの本質看取に対する無限の転倒の営みという風にも言えるのではないかとも思いました。
お話、勉強になりました。ありがとうございます。(_ _)岡本太郎さんが、コミュニケーションを拒否するコミュニケーション。を主張されてた。また『座ることを拒否するイス』なんて作品が、あったのを思い出しました。
『芸術は爆発だ!』で有名な岡本太郎さんについて、マスコミは表層だけをセンセーションに誇張しがちですが、私は『本物は、確りと地に足の着いた王道と正統性を踏まえた上で、時代の流れに阿ることなく、正当性を主張し続けることが出来る』と、岡本太郎さんを見ていて、そう思います。そこで、岡本太郎さんの『沖縄文化論―忘れられた日本 』を思い出したので、是非、御一読を(^^♪もう、既に、お読みになりました?
@@masai-rl5ry 岡本太郎さんは、ヨーロッパで、東洋人の自分がヨーロッパの絵画▪芸術を、真似るように学ぶのに、疑問を持ったそうですから。一時期、絵を描くのをやめて、哲学、社会学、民族学を学んだそうですね。沖縄文化論は、まだ読んでません。ぜひ、読みたいです(^_^)。『今日の芸術』や『日本の伝統』も名著ですね。
@@無縄自縛のセツナ へぇ~、『今日の芸術』や『日本の伝統』は有名なんですね。教えて下すって、ありがとうございます(^^♪読んでみます♪
楽しい。嬉しい。面白い。興味深い(^^♪
経験を越えたものを考えるのが哲学だと考えるのは正しくもあり、違う気もします。経験とは何か?物自体を人は認識できないので「実際に行う」というのは観念の中から出ていないので経験を越えたものという言い方は成り立たない。思考の全ては意識の経験のような気がします。形而上的なら分かるが、そうなると形而下のものについても哲学は当然考えるのでまた違ってしまう。なので哲学とは普通ですが、本質や原理について考える事だと思います。
1万人本当におめでとうございます。いつも楽しんで見させて頂いています。参考までに1つ述べさせて頂きます。内容はとても良いのでよければもう少し音質向上に目を向けて頂きたいです。よろしくお願い致します。
とても面白い動画でした。面白かったので、感想をつらつらと書いていきます。浅学な身ですのでおかしなところもあるとは思いますが、ご了承ください。1 苫野一徳さんは武田青嗣門下ということで武田青嗣さんの言語ゲームの考えに近そうですね。そして、武田青嗣さんの分厚い『欲望論』に繋がるのかなと思いましたが読んでいないので分かりません。2苫野一徳さんの本を読んでいないのと、少し話がそれではいますが、安心安定について私はちょっとネオ高等遊民さんとは違うことを思いました。安心安定は確かに空間的には当てはまるか微妙だと思いますが、哲学の動機の一面ではないでしょうか。より納得する説明は世のため人のためではなく、自分が納得したくて、そして自分が安心したくて哲学するのではないかと思います。そしてその考えを承認して欲しかったりより良くしたいためにその考えを発表するのだと思います。3欲望を言語化する困難さは私も聴いていて思いました。言葉は人工的道具であり、どこまで信頼をおけるか分からないと思います。言語は多種多様で言語によって思考の仕方まで変わると思うので真の定義は難しい気がします。4苫野一徳さんのシェリングの誤読は世間の『学問のすゝめ』の誤読に近いと思いました。5パルメニデスはについてですが、大学での古代哲学史の授業ではパルメニデスがひとつの転換期となっていて、パルメニデス以降はみんなパルメニデスに影響を受けているというような講義でした。以上が私がこの動画を見ての感想です。まとまりもなく、浅い考えで申し訳ありませんが、とても面白いと思い、衝動的に書いてしまいました。本当に面白かったです。応援しています!
竹田さんのプラトン入門とはじめての哲学史めっちゃ面白かった!
『哲学の責任』を『哲学の義務』として、再認識・再評価する事は重要でしょうね(^^♪貴方には、できるでしょうし、同時に、する運命にある。May the Force be with you ♪
よりよくありたい と思える人間は強い 善も悪もなあ!!
最後まで、観たよ(^^♪カッケー♬”Stay hungry, stay foolish”♪
本質観取とはイデアを探究することと考えればお前と同じことを言ってるんだよ。イデアは絶対的なものだ。美のイデアを絶対美。善のイデアを絶対善だという。○○とは何か?とは○○の本質、イデアとは何か?だ。簡単に言えば言葉の意味を分かり易く言葉で表すことが哲学だよ。
最近、ヘーゲルの弁証法のまとまった話を読んだのですが?ヘーゲルの弁証法をトレーニング方法と考えています!(議論の練習=だから答えがない!)私、先天的精神障害者と本心の精神年齢は、幼稚園児並ですから。PS,西洋兵学も少し学んでいます?これからも、応援していきたいので、お付き合い下さい。ネットというものがあまり?出来ませんので、よろしくお願いします。。
めっちゃ高等遊民ぽいっ家の雰囲気ですね笑 午前中から、鳥のさえずり聞いて、哲学を勉強する。いいすねえ
苫野さんコメントしてくれんかな
大意は掴めたんじゃないかと思いますが、要所要所むずかしかったです。でも、前から漠然と思っていた事を(部分的に)確認出来た気がしました。意見はまだまとまりません。これからも頑張ってください。私も頑張ります。
さすが、大学院で哲学を専攻しただけあって、大変分かり易く、説得的で信念と覚悟が、伝わってくる。感動(^^♪『至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。』『死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。』
この言葉は吉田松陰すかねもしかして?
@@kika4033 ■参考文献 →歴史に観る日本の行く末以下もオススメなり(^^♪■参考文献 →日本人のための憲法原論
@@masai-rl5ry おーありがとう存じます🙏ちっとチェケラしてみます。またネオ民&スケザネさん動画のコメ欄あたりでの邂逅4649ですメタルw
@@kika4033 変わった学者さんですが、参考程度に押し留めるのも有りですし、どっぷりとつかるのも有りです。ただ、学問893ぽい処もあるので、時として、劇薬ともなれば、心地よいゴールデンスランバーも与えてくれるとも言えます。まぁ、好きに解釈してください。
虹の涙を流しながら話してる〜ハハハハハ
アテナイを襲った凶悪な疫病と惨状を見たソクラテスこそが哲学者であると考えたプラトン. ソクラテスは医学でもなく, 政治でもなく, 生き方に答えを見つけようとしたのだろうか?
現在のコロナ・パンデミックも語れない哲学など、ただのオナニー 夢想。
噛み合ってなくて笑いました笑
現象学は存在論的差異を重視するので言葉で語りえるということの解釈は違うのでは?ノエマは可疑的である、というのが現象学の前提です。なので本質観取されたノエマは欠如しているというのが前提ですよ。苫野がいう言語で語りえるというのは、言語と欲望それ自体はズレていて静的には一致しない、ということが前提です。でないとヘーゲル弁証法にならないので自由の相互承認もなりたちませんよね。このように解釈しないと議論が成り立ちません。苫野のいう欲望は、苫野を読んだことのない僕の理解だと言葉が本質からズレている、という現象学的差異が前提です。そもそもそう解釈しないと現象学の理解として成り立たないんですよ。このところを勘違いされてませんか?むしろヘーゲルが表象可能性のみしか見なかったという問題が苫野氏にもあるかもしれませんが。苫野の話を総合的に論じて批評するなら、まず近代主体をめぐる議論を理解してないと話にならないかと。
最後まで耳を澄ませて聞きました。貴方の思っている事を誰遠慮なく話して下さいね。
最後まで見ました、大変勉強になります。これからも応援しております!
「苫野一徳」で検索したら、ネオさんの動画が出てきたので、驚きつつ拝見しました。
私が哲学に興味を持ったきっかけが本書でしたので、【本質観取】を盲信しておりしたが、「自分の頭で考え、自分の言葉で語れるようになりたい」と思いました。
ありがとうございます。
1万人おめでとうです。ネオさんの動画は自分個人としては失礼ながら哲学より学問への姿勢がとても為になっています。最近は論語を少し読んでて(簡単なの)西洋哲学との相違的な部分にとても関心を持っています現在。これからも動画楽しみにします、頑張ってください。
哲学においては、「原因が何なのか?」という様々な議論がありますが、欲望という現れのみを起点とするのは、確かに面白いアイデアですね。一方、欲望や相互承認、共通理解の限界を考える事も面白いですね。
自分は過去に研究の一貫で哲学対話をしていました。その時にわたしが感じたことをネオさんのご発言と比較しながら書いてみます。
まず、こうした貴重で、丁寧な話をTH-camで聴けることに感謝しますし、これからもこうした類の話を期待するところであります。
さて、哲学対話にも「なぜそうした発言をしたのか」「どうした経験に基づいていますか」といった質問を大事にするらしいのです。それは苫野さんがいうところの概念と共通しているのでしょう。
他方で、ネオさんのいうところの、プラトンの対話編における「バチバチ」した雰囲気について、私の経験した哲学対話ではありませんでした。
私自身プラトンの対話編は、6編?ほど読みまして、対話者の雰囲気は否応なく観取したところであります。
さて、哲学においては、こうした対立が必要不可欠であるとの見解とお見受けするのですが、私が思うに、なぜ我々はそうした対立に怒りや阻害を欲するのでしょうか、と問うてみてはいかがでしょうか。
要するに、ネオさんの発言にも、あの対話編に描かれた対話者の態度や発言を前提にお話が進みましたが、なぜ彼らは、怒りを覚え、最終的にはソクラテスを死刑にまで追いやったのでしょうか。
対話の難しさという哲学とは少しずれた話ではありますが、考慮の余地があるのではと思います。
いや、最近そうしたことについて、よく考えるのですが、まだ答えもでず。そこで、ネオさんに少しでもご尽力いただきたく、コメントさせていただいた次第です
レベルが高い人もいるネットに上げられるほど学術的に精緻な議論ができるのに敬服します。哲学で学位を持つ人ってやっぱり違いますね。
私は哲学の全体集合をウィトゲンシュタインの言う家族的類似のようなものと捉えていて、その要素が共通に持つ性質はないと捉えていたのですが、今回の議論は非常に面白かったです。
ホントに気合の入った良い動画ですね。
これこそ「リアルで哲学の営みしてる!」って内容で、刺激的で面白かったです。
面白い面白い。ありがとうございます。
あと2回くらい見てノートを取って、ってやろうと思うレベルの内容です。
(GWに時間ができたらやる)
面白かった というより勉強になる
爆笑問題が東大や京大に行って、学者相手に太田さんが大暴れした回を思い出しました。太田さんが一般のとこまで降りて勝負しろよ的な喧嘩の売り方がまんま前半部分と一緒でああーとなりました。信念と信念を戦わせるべきではないってすごい納得ですが、過去の哲学者はさらに過去の哲学者をボコボコにぶっ壊して今に至っているし、ネオさんもかなりボコボコにしてて最高 www
哲学:『物事の本質を根本から究明し、それ以上遡れない究極的な原理を思索しようとする営み』
なかなか、唸る定義ですね♪
第二イザヤですな。
孤高なる孤独は、孤立とは違うんですね。
最後の部分はブルーハーツが言っていた「売れているものが1番なら世界で1番うまいラーメンはカップラーメンだ。」
ラーメンを選ぶ時の基準って美味さの他にもコスパだったり手軽さだったりがあるからそれっぽく聞こえるだけで言ってることめちゃくちゃだよね
おめでとうございます🍾🎉🎊
ニート🆚高学歴ぐらいから
見てました。
これからも応援しています
とても勉強になりました
とても面白かったです。苫野さん、興味はあっても読んだことなかったので、これを機会に見てみようと思います。ネオさんのスタンスもよく現れていましたから、その点も面白かった。
半年前に初めて見たときよりも少し言ってることが分かった気がした。
コメ欄見てガチ勢ばかりで怯んだことを思い出した。でも一番いいなと思った点は、コメ欄の人たちがちゃんと意見を交わしあっている姿勢だった。
「電車男」みたいに思えた。他動画のコメ欄も含めて。なんか真面目さというか誠実さというか。不毛なバトりは全然なかった。
この野暮ったさとファニーなスタイルと言ってることの熱さに打たれ、立て続けに他のやつも見るようになった。哲学面白いと思った。この動画を知れて良かった。まじで。
自分語り失礼しましたm(_ _)m
ぺこり
良いお年を!😃
一万人おめでとうございます!🎉
最初から、最後まで観ました。
やべぇw
めっちゃ面白い…プラトンら辺から凄すぎて笑っちゃった
哲学の時代は来るのでしょうか?
それとも今の方が楽観的でいいのでしょうか?日本は
もちろん最後までみました。
すげえ!おめでとうございます
ペッとボトル後ろに2本あるの気になる
なぜ人間には好み(好き嫌い)があるのか、ほんとうに不可解である、と池田晶子さんは言っていました
『数学とは公理系により規定された形式的な演繹体系である』と現代数学体系は確か規定
されていますよね。哲学には数学のような予め説明しない『公理』というものは存在しま
すか? 【社会生活の公理】は【常識】と言ったりしますが!
鋭くて難しい質問ですね。哲学は原理の探究ということだとこの動画では述べましたので、公理をも遡って規定することが哲学の意義なのかなと思います。プラトンも数学や天文学に対する哲学の優位というか、公理からも遡ることが哲学にできることと述べています!
本当の本質観取と言うのは言葉の本質を知ることなのだ。政治とは何か?とは政治と言う言葉の意味とは何か?を探究することだ。言葉の本質を知ることこそが哲学なのだ。それはただただ言葉の本質、つまりイデアを探究することなのだ。だからね。善とは何か?と言う意味は善と言う言葉の本質、イデアとは何かを知ることなのだ。自由とは何か?と言う事は自由と言う言葉の本当の意味するところを知ることなのだ。言葉の本質それをイデアと言いイデアは絶対なのだ。イデアこそが絶対と言えるものなのだ。例えば人間の本質とは人間と言う言葉の本質、イデアとは何かと言う事だ。人間の本質とは「それ」があるから人間と言えて「それ」がないならば人間とは言えないもの、を言う。哲学とは言葉の本質、イデアの探究をすることだけなのだ。そしてイデアの中のイデアである善のイデアを知ることこそが最も大切なものなのだ。だからね、善とは何かを探究するものこそが本当の哲学者と言えるのだ。
素晴らしかったです。とても刺激的でした。特にプラトンの哲学が本質看取では全然ない、というのにはビックリしました。もし本当にそうなのでしたら、自分はこれまでプラトンを全く誤解したイメージでみていました。
プラトンは言葉ではない仕方で捉えたイデアを、言葉によって(不完全ではあれ)表現しようとしていたという風に理解すればよいのでしょうか。
そうだとすれば、何かの本でプラトンを神秘主義者だと表現していましたが、少し納得できた気がします。
何かを定義として(今回は哲学を)表現するとき、それはそのことの本質看取によって為されることのように思えますが、そうではないのでしょうか。否定的に述べられた定義さえも(例えば、「真理は存在しない」というような)、やはり本質の表現ではないのでしょうか。けれど、今回の定義は「…それ以上遡れない究極的な原理を思索しようとする試み」となっていたと思いますし、それは「色即是空、空即是色」のように、定義それ自体が自らの表現内容を無限に転倒していこうとするような性格のものなのかもしれないなと思いました。
けれど、人が何かについて真剣に言葉で表現しているまさにその時、その自分の言っていることが相対的なものでしかないと感じながら話すことは可能なのだろうかとも思いました。ある視点から何かを述べる時、同時に別の視点のことも考えることはやはり無理があるように思います。まあ、だからこそ哲学は一旦何かを述べ、すぐその後にそれについて批判的に考えていくという仕方をとるのでしょうが。でもそれは個々の言明について見てみれば、やはり一つの真理や本質を看取したという自負に基づいたものであり、哲学は一回ごとの本質看取に対する無限の転倒の営みという風にも言えるのではないかとも思いました。
お話、勉強になりました。
ありがとうございます。(_ _)
岡本太郎さんが、コミュニケーションを拒否するコミュニケーション。を主張されてた。
また『座ることを拒否するイス』なんて作品が、あったのを思い出しました。
『芸術は爆発だ!』で有名な岡本太郎さんについて、マスコミは表層だけをセンセーションに誇張しがちですが、私は『本物は、確りと地に足の着いた王道と正統性を踏まえた上で、時代の流れに阿ることなく、正当性を主張し続けることが出来る』と、岡本太郎さんを見ていて、そう思います。
そこで、岡本太郎さんの『沖縄文化論―忘れられた日本 』を思い出したので、是非、御一読を(^^♪
もう、既に、お読みになりました?
@@masai-rl5ry
岡本太郎さんは、ヨーロッパで、東洋人の自分がヨーロッパの絵画▪芸術を、真似るように学ぶのに、疑問を持ったそうですから。
一時期、絵を描くのをやめて、哲学、社会学、民族学を学んだそうですね。
沖縄文化論は、まだ読んでません。ぜひ、読みたいです(^_^)。
『今日の芸術』や『日本の伝統』も名著ですね。
@@無縄自縛のセツナ
へぇ~、『今日の芸術』や『日本の伝統』は有名なんですね。
教えて下すって、ありがとうございます(^^♪
読んでみます♪
楽しい。嬉しい。面白い。興味深い(^^♪
経験を越えたものを考えるのが哲学だと考えるのは正しくもあり、違う気もします。
経験とは何か?物自体を人は認識できないので「実際に行う」というのは観念の中から出ていないので経験を越えたものという言い方は成り立たない。思考の全ては意識の経験のような気がします。形而上的なら分かるが、そうなると形而下のものについても哲学は当然考えるのでまた違ってしまう。なので哲学とは普通ですが、本質や原理について考える事だと思います。
1万人本当におめでとうございます。いつも楽しんで見させて頂いています。参考までに1つ述べさせて頂きます。内容はとても良いのでよければもう少し音質向上に目を向けて頂きたいです。よろしくお願い致します。
とても面白い動画でした。面白かったので、感想をつらつらと書いていきます。浅学な身ですのでおかしなところもあるとは思いますが、ご了承ください。
1 苫野一徳さんは武田青嗣門下ということで武田青嗣さんの言語ゲームの考えに近そうですね。そして、武田青嗣さんの分厚い『欲望論』に繋がるのかなと思いましたが読んでいないので分かりません。
2苫野一徳さんの本を読んでいないのと、少し話がそれではいますが、安心安定について私はちょっとネオ高等遊民さんとは違うことを思いました。安心安定は確かに空間的には当てはまるか微妙だと思いますが、哲学の動機の一面ではないでしょうか。より納得する説明は世のため人のためではなく、自分が納得したくて、そして自分が安心したくて哲学するのではないかと思います。そしてその考えを承認して欲しかったりより良くしたいためにその考えを発表するのだと思います。
3欲望を言語化する困難さは私も聴いていて思いました。言葉は人工的道具であり、どこまで信頼をおけるか分からないと思います。言語は多種多様で言語によって思考の仕方まで変わると思うので真の定義は難しい気がします。
4苫野一徳さんのシェリングの誤読は世間の『学問のすゝめ』の誤読に近いと思いました。
5パルメニデスはについてですが、大学での古代哲学史の授業ではパルメニデスがひとつの転換期となっていて、パルメニデス以降はみんなパルメニデスに影響を受けているというような講義でした。
以上が私がこの動画を見ての感想です。まとまりもなく、浅い考えで申し訳ありませんが、とても面白いと思い、衝動的に書いてしまいました。本当に面白かったです。応援しています!
竹田さんのプラトン入門とはじめての哲学史めっちゃ面白かった!
『哲学の責任』を『哲学の義務』として、再認識・再評価する事は重要でしょうね(^^♪
貴方には、できるでしょうし、同時に、する運命にある。
May the Force be with you ♪
よりよくありたい と思える人間は強い 善も悪もなあ!!
最後まで、観たよ(^^♪
カッケー♬
”Stay hungry, stay foolish”♪
本質観取とはイデアを探究することと考えればお前と同じことを言ってるんだよ。イデアは絶対的なものだ。美のイデアを絶対美。善のイデアを絶対善だという。○○とは何か?とは○○の本質、イデアとは何か?だ。簡単に言えば言葉の意味を分かり易く言葉で表すことが哲学だよ。
最近、ヘーゲルの弁証法のまとまった話を読んだのですが?ヘーゲルの弁証法をトレーニング方法と考えています!(議論の練習=だから答えがない!)私、先天的精神障害者と本心の精神年齢は、幼稚園児並ですから。PS,西洋兵学も少し学んでいます?これからも、応援していきたいので、お付き合い下さい。ネットというものがあまり?出来ませんので、よろしくお願いします。。
めっちゃ高等遊民ぽいっ家の雰囲気ですね笑 午前中から、鳥のさえずり聞いて、哲学を勉強する。いいすねえ
苫野さんコメントしてくれんかな
大意は掴めたんじゃないかと思いますが、要所要所むずかしかったです。
でも、前から漠然と思っていた事を(部分的に)確認出来た気がしました。意見はまだまとまりません。
これからも頑張ってください。私も頑張ります。
さすが、大学院で哲学を専攻しただけあって、大変分かり易く、説得的で信念と覚悟が、伝わってくる。
感動(^^♪
『至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。』
『死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。』
この言葉は吉田松陰すかねもしかして?
@@kika4033
■参考文献 →歴史に観る日本の行く末
以下もオススメなり(^^♪
■参考文献 →日本人のための憲法原論
@@masai-rl5ry おーありがとう存じます🙏ちっとチェケラしてみます。またネオ民&スケザネさん動画のコメ欄あたりでの邂逅4649ですメタルw
@@kika4033
変わった学者さんですが、参考程度に押し留めるのも有りですし、どっぷりとつかるのも有りです。
ただ、学問893ぽい処もあるので、時として、劇薬ともなれば、心地よいゴールデンスランバーも与えてくれるとも言えます。
まぁ、好きに解釈してください。
虹の涙を流しながら話してる〜
ハハハハハ
アテナイを襲った凶悪な疫病と惨状を見たソクラテスこそが哲学者であると考えたプラトン. ソクラテスは医学でもなく, 政治でもなく, 生き方に答えを見つけようとしたのだろうか?
現在のコロナ・パンデミックも語れない哲学など、ただのオナニー 夢想。
噛み合ってなくて笑いました笑
現象学は存在論的差異を重視するので言葉で語りえるということの解釈は違うのでは?
ノエマは可疑的である、というのが現象学の前提です。
なので本質観取されたノエマは欠如しているというのが前提ですよ。
苫野がいう言語で語りえるというのは、言語と欲望それ自体はズレていて静的には一致しない、ということが前提です。
でないとヘーゲル弁証法にならないので自由の相互承認もなりたちませんよね。このように解釈しないと議論が成り立ちません。
苫野のいう欲望は、苫野を読んだことのない僕の理解だと言葉が本質からズレている、という現象学的差異が前提です。
そもそもそう解釈しないと現象学の理解として成り立たないんですよ。このところを勘違いされてませんか?
むしろヘーゲルが表象可能性のみしか見なかったという問題が苫野氏にもあるかもしれませんが。
苫野の話を総合的に論じて批評するなら、まず近代主体をめぐる議論を理解してないと話にならないかと。