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ブッチャ−さんは全日が一番㊙似合っていた。
最後の徳山での猪木vsブッチャーは、それなりに良かったよ。あのレッグラリアットを見て、逆に健吾の運動神経の良さと器用さが判ったよね。
ブッチャーの新日時代の名勝負はハルク・ホーガン戦と坂口戦は良かった。
思えば、長州ブレイクのきっかけとなった82.10.8後楽園大会。本当の噛ませ犬は誰あろうブッチャーだ。シリーズ前予告では散々煽っていてあの扱い。日本人抗争が中心となり、TVマッチにはほとんど出なくされた…
新日が全日への攻撃目的のみで団体カラーともあってないのに特に使い道を深く考えずに引き抜いてしまった感じ…
正直言って、猪木とブッチャーでは試合にならない、なぜなら猪木がブッチャー相手に使える技がほとんどないからだ、まず投技系は全て無理、あとブッチャーの短い手足では、コブラツイストや卍固めもきびしい、あと使えるのは、ドロップキックと延髄斬りぐらいになってしまってさすがの猪木でも試合を作るのは難しかったのでは、対する馬場は、脳天唐竹割り似、逆水平チョップ、十六文キックにランニングネックブリーカーと使える技がたくさんある、最初からブッチャー新日移籍は間違えだつたとしかいいようがない
猪木はブッチャーをブレーンバスターで投げてるからやろうと思えばバックドロップとかも行けたんだろうけど…ブッチャーがバックドロップされるのはなんかやだなぁ
新日本移籍(81年5月)から全日本復帰(87年11月)までの6年半、来日回数はガクンと減ったがブッチャーとしては真のホームリングであるプエルトリコWWCで最高ヒールとしての地位を確立して、大満足だったと本人は語っている。新日本にも「ギャラの約束は守ってくれたし何の不満もない」とも。新日本ではやっぱりホーガンとのシングルだな。あれはお互いの持ち味が最高に発揮された、ブッチャーの新日本でのベストバウトだと思う。もう少し2人の抗争を見てみたかったな。
新日本に移籍した時、猪木を倒してIWGPのベルトを巻くとブッチャーは語っていたがIWGPの本線にも参加出来なかった❗
ブッチャーが呆気なく藤原喜明にフォール負けしたのは何とも複雑な気分になった。
確かに新日本時代は最初はアレンとの黒人コンビで暴れまくり、注目されたけど猪木さんはいつも「おもいんだよな-。」とぼやいていたそうです。対戦を嫌がったのは自分がうごかなくてはいけないところですね。やはり全日本の方がひかっています。しかし、猪木対国際軍団の対決が視聴率をあの読売テレビの人気番組「太陽にほえろ!」と争っていたとはほんとだってんですね。凄い!
ブッチャーアンドレ組が見たかった。関西(三重)人の俺より。
新日本プロレスが,ブッチャーを来日させるのは,パターン傾向が,あります。1. 猪木欠場シリーズの興行へのブッチャーの知名度で,損失保険2. 日本人軍団対決が,まだ地方興行で,浸透していない時のブッチャーの知名度で,時間稼ぎ補てん(国際軍団,革命軍→維新軍,マシン軍団)3. ジュニアヘビー級の主役シリーズが,不評だった場合のヘビー級のブッチャーの知名度での損失保険('82年 新春黄金シリーズのタイガーマスク主役,'84年 新春黄金シリーズのWWF ジュニアヘビー級王者決定リーグ戦)4. 大物デビューの保険(谷津義章デビュー戦,ローラン·ボック初来日)5. 維新軍(ジャパン·プロレス)が,全日本に移籍した損失保険(長州力の地元 山口県徳山市で猪木がブッチャーに引導を渡す)
動きの少ないブッチャーは、猪木と好勝負にならない、と早々と猪木が気づいたのでしょうね。でもブラボー戦・ローデス戦・ホーガン戦と、ブッチャーは外人対決では、双方のビジュアルの良さ・とパワー比べで好勝負になったと思います。ブラボー戦とローデス戦をもう一回見たいのでソフト化希望してます。
ブッチャーの新日時代の扱いは気の毒且つ勿体なかった。アンドレ、カーン、バックランドとの対決も見たかった。ホーガンやローデスとの抗争ももつと継続させて欲しかった。ブッチャー移籍同時期に国際歓談が登場したのも運が悪かったと思う。IWGP 参戦名目で移籍したブッチャーが結果的に一回も参加せず。マードックとの兼ね合いも新日のシナリオ通りでブッチャー株暴落。新日時代のブッチャーは本当に気の毒であり残念でならない。
ブッチャーVS坂口って試合は覚えてるな。あっという間に反則試合になってしまってた。
そんな馬場さんですが昭和50年のオープン選手権では2度ほどブッチャーとマードックにタッグ組ませてますよ(笑)新日最後の檜舞台でもあったアレン戦は地元愛知県体育館でしたので生観戦してましたが、ホーガン特別参戦とコブラがキッドにピン勝ちした事で何の印象もなくなったもんでしたがね(笑)
文字の流れが速すぎて標準速度では読めない
ご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。
今考えるとアレンの負傷も怪しい気がする。ブッチャーvsブラボ-の試合に乱入するなど、かなり元気だったけど。(マードックの救援は何故か無かった)
ブッチャーとブロディーは新日本プロレスは合わなかったですね❗ブッチャーも時期が悪く移籍した1年位はテレビに映ってましたがそれ以降は長州がブレイクして日本人同士の抗争がメインになり、テレビに映らない中盤戦あたりに出てた❗
ブッチャーはブロディー同様、新日本はスタイルが合わなかったですね❗特に長州が凱旋帰国してブレイクした後楽園での試合からブッチャーは浮いてしまい、日本人対決に舵をきった新日本では出番なくなりテレビに映らなくなった。
引き抜きまでアングルだったのかもしれない
あーそうだったかな?ラリーシュリーブ(アブドラーザブッチャー)さんは結構、試合に出てたような……❓️。あまり、評価が薄かったんやね❗猪木社長からあまり好かれなかったから、契約切れでまた再に全日本プロレスに戻ったわけだ❗ブルーザーブロディも同じ目で扱われてたよね❗だから、その点が2人仲良く話してたようですよ❗どうやれば、リングを盛り上げれるかとか。
ブッチャーとシンの入れ替わりは大失敗でしたね。
シンは全日での扱いはさほど悪くなく、反則と場外で暴れる昔ながらの悪役外人としてそれなりの評価をされていたと思います。ただリング上では、プロレスがあまり上手くないというかヒールとしての引き出しが多くないことが露呈してましたね。猪木に引っ張られてたんだというのがよくわかった。
試合後観客席を暴れてまわるいつものムーブでブッチャーはもの投げられてたのは可哀想だったな。新日はファンもダメ。
ブッチャーが新日で冷や飯になったのは門茂男さんの著書のインタビューに応じたことが原因だよ。その中で猪木の事をボロクソにけなしてたからね。アレンV.Sブッチャー戦でアレンがいつにないカタい攻撃を仕掛けてブッチャーがタジタジだったこともあったし。新日側の報復だったんじゃないかな。
アレンにビール瓶でぶん殴られてた試合しか新日でのブッチャーは記憶にない。
マードックやワフーも新日では合わない。ただそれだけです。
ワフーは、テレビ中継のない試合では 手抜き試合が多く、それで、新日からバイバイされたそうです。
ブッチャーは、馬場全日のアメリカショーマンプロレスに余りにも長年浸り過ぎていた、ストロングスタイルを標榜していた猪木新日では歯が立たなかったのは当然の帰結であった‼
ブッチャ−さんは全日が一番㊙似合っていた。
最後の徳山での猪木vsブッチャーは、それなりに良かったよ。あのレッグラリアットを見て、逆に健吾の運動神経の良さと器用さが判ったよね。
ブッチャーの新日時代の名勝負はハルク・ホーガン戦と坂口戦は良かった。
思えば、長州ブレイクのきっかけとなった82.10.8後楽園大会。
本当の噛ませ犬は誰あろうブッチャーだ。
シリーズ前予告では散々煽っていてあの扱い。
日本人抗争が中心となり、TVマッチにはほとんど出なくされた…
新日が全日への攻撃目的のみで団体カラーともあってないのに特に使い道を深く考えずに引き抜いてしまった感じ…
正直言って、猪木とブッチャーでは試合にならない、なぜなら猪木がブッチャー相手に使える技がほとんどないからだ、まず投技系は全て無理、あとブッチャーの短い手足では、コブラツイストや卍固めもきびしい、あと使えるのは、ドロップキックと延髄斬りぐらいになってしまってさすがの猪木でも試合を作るのは難しかったのでは、対する馬場は、脳天唐竹割り似、逆水平チョップ、十六文キックにランニングネックブリーカーと使える技がたくさんある、最初からブッチャー新日移籍は間違えだつたとしかいいようがない
猪木はブッチャーをブレーンバスターで投げてるからやろうと思えばバックドロップとかも行けたんだろうけど…ブッチャーがバックドロップされるのはなんかやだなぁ
新日本移籍(81年5月)から全日本復帰(87年11月)までの6年半、来日回数はガクンと減ったがブッチャーとしては真のホームリングであるプエルトリコWWCで最高ヒールとしての地位を確立して、大満足だったと本人は語っている。新日本にも「ギャラの約束は守ってくれたし何の不満もない」とも。新日本ではやっぱりホーガンとのシングルだな。あれはお互いの持ち味が最高に発揮された、ブッチャーの新日本でのベストバウトだと思う。もう少し2人の抗争を見てみたかったな。
新日本に移籍した時、猪木を倒して
IWGPのベルトを巻くとブッチャーは語っていたがIWGPの本線にも参加出来なかった❗
ブッチャーが呆気なく藤原喜明にフォール負けしたのは何とも複雑な気分になった。
確かに新日本時代は最初はアレンとの黒人コンビで暴れまくり、注目されたけど猪木さんはいつも「おもいんだよな-。」とぼやいていたそうです。対戦を嫌がったのは自分がうごかなくてはいけないところですね。やはり全日本の方がひかっています。しかし、猪木対国際軍団の対決が視聴率をあの読売テレビの人気番組「太陽にほえろ!」と争っていたとはほんとだってんですね。凄い!
ブッチャーアンドレ組が見たかった。関西(三重)人の俺より。
新日本プロレスが,ブッチャーを来日させるのは,パターン傾向が,あります。
1. 猪木欠場シリーズの興行へのブッチャーの知名度で,損失保険
2. 日本人軍団対決が,まだ地方興行で,浸透していない時のブッチャーの知名度で,時間稼ぎ補てん(国際軍団,革命軍→維新軍,マシン軍団)
3. ジュニアヘビー級の主役シリーズが,不評だった場合のヘビー級のブッチャーの知名度での損失保険('82年 新春黄金シリーズのタイガーマスク主役,'84年 新春黄金シリーズのWWF ジュニアヘビー級王者決定リーグ戦)
4. 大物デビューの保険(谷津義章デビュー戦,ローラン·ボック初来日)
5. 維新軍(ジャパン·プロレス)が,全日本に移籍した損失保険(長州力の地元 山口県徳山市で猪木がブッチャーに引導を渡す)
動きの少ないブッチャーは、猪木と好勝負にならない、と早々と猪木が気づいたのでしょうね。でもブラボー戦・ローデス戦・ホーガン戦と、ブッチャーは外人対決では、双方のビジュアルの良さ・とパワー比べで好勝負になったと思います。ブラボー戦とローデス戦をもう一回見たいのでソフト化希望してます。
ブッチャーの新日時代の扱いは気の毒且つ勿体なかった。
アンドレ、カーン、バックランドとの対決も見たかった。
ホーガンやローデスとの抗争ももつと継続させて欲しかった。
ブッチャー移籍同時期に国際歓談が登場したのも運が悪かったと思う。
IWGP 参戦名目で移籍したブッチャーが結果的に一回も参加せず。
マードックとの兼ね合いも新日のシナリオ通りでブッチャー株暴落。
新日時代のブッチャーは本当に気の毒であり残念でならない。
ブッチャーVS坂口って試合は覚えてるな。あっという間に反則試合になってしまってた。
そんな馬場さんですが昭和50年のオープン選手権では2度ほどブッチャーとマードックにタッグ組ませてますよ(笑)
新日最後の檜舞台でもあったアレン戦は地元愛知県体育館でしたので生観戦してましたが、ホーガン特別参戦とコブラがキッドにピン勝ちした事で何の印象もなくなったもんでしたがね(笑)
文字の流れが速すぎて標準速度では読めない
ご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。
今考えるとアレンの負傷も怪しい気がする。ブッチャーvsブラボ-の試合に乱入するなど、かなり元気だったけど。(マードックの救援は何故か無かった)
ブッチャーとブロディーは新日本プロレスは合わなかったですね❗
ブッチャーも時期が悪く移籍した
1年位はテレビに映ってましたが
それ以降は長州がブレイクして日本人同士の抗争がメインになり、テレビに映らない中盤戦あたりに出てた❗
ブッチャーはブロディー同様、新日本はスタイルが合わなかったですね❗
特に長州が凱旋帰国してブレイクした後楽園での試合からブッチャーは浮いてしまい、日本人対決に舵をきった新日本では出番なくなりテレビに映らなくなった。
引き抜きまでアングルだったのかもしれない
あーそうだったかな?ラリーシュリーブ(アブドラーザブッチャー)さんは結構、試合に出てたような……❓️。
あまり、評価が薄かったんやね❗
猪木社長からあまり好かれなかったから、契約切れでまた再に全日本プロレスに戻ったわけだ❗ブルーザーブロディも同じ目で扱われてたよね❗だから、その点が2人仲良く話してたようですよ❗
どうやれば、リングを盛り上げれるかとか。
ブッチャーとシンの入れ替わりは大失敗でしたね。
シンは全日での扱いはさほど悪くなく、反則と場外で暴れる昔ながらの悪役外人としてそれなりの評価をされていたと思います。
ただリング上では、プロレスがあまり上手くないというかヒールとしての引き出しが多くないことが露呈してましたね。
猪木に引っ張られてたんだというのがよくわかった。
試合後観客席を暴れてまわるいつものムーブでブッチャーはもの投げられてたのは可哀想だったな。新日はファンもダメ。
ブッチャーが新日で冷や飯になったのは
門茂男さんの著書のインタビューに応じたことが原因だよ。その中で猪木の事をボロクソにけなしてたからね。
アレンV.Sブッチャー戦でアレンがいつにないカタい攻撃を仕掛けてブッチャーがタジタジだったこともあったし。
新日側の報復だったんじゃないかな。
アレンにビール瓶でぶん殴られてた試合しか新日でのブッチャーは記憶にない。
マードックやワフーも新日では合わない。ただそれだけです。
ワフーは、テレビ中継のない試合では 手抜き試合が多く、それで、新日からバイバイされたそうです。
ブッチャーは、馬場全日のアメリカショーマンプロレスに余りにも長年浸り過ぎていた、ストロングスタイルを標榜していた猪木新日では歯が立たなかったのは当然の帰結であった‼