真夏に起きた低体温症による遭難事故、生死を分けた二つの選択肢【乗鞍岳大量遭難事故】

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 29 ต.ค. 2024

ความคิดเห็น • 16

  • @tokyoneotokyo
    @tokyoneotokyo 7 วันที่ผ่านมา

    明治38年!八甲田山の六年後の事故記録なのか😅
    明治時代でもこのような惨事が起こっていたとは驚き…山の天気は変わりやすく、現代のような高機能ウェアも無く、ポンチョ等のビバーク用品も無く、山頂を目指した組と雨宿りを続けた組で、これほど結果が変わってしまうなんて。3000メートル級の山はやはり怖いですね😅

  • @仮面月光-w7h
    @仮面月光-w7h 10 หลายเดือนก่อน +15

    以前は「畳平」までマイカーで行くことができ、山に登る人、ここまでが目的の人達が車で来ていました。それ以外にも私たちは「天体写真」の撮影によく利用しました。重い荷物なのでマイカーで来ることができて大助かりでした。8月のある日の昼間のことです。霧が出ていて天気はあまりよくありませんでした。観光バスから降りてきてトイレに向かう人達が、バスタオルのような物を身体に巻き付けて(下界は真夏なので、油断して防寒具は持っていない)「寒い、寒い」と震えていたのを覚えています。

  • @東島朝日
    @東島朝日 9 หลายเดือนก่อน +1

    何がすごいかって学生服で登山するのがすごい。

  • @雄一今村
    @雄一今村 11 หลายเดือนก่อน +10

    夏にバスで駐車場から登ったことがありますが、頂上は霧が掛かって寒かった覚えがあります。女性や子供は途中で諦めた人も多くいました。

  • @sirufu526
    @sirufu526 10 หลายเดือนก่อน +11

    1905年って・・・よくそんな太古の遭難事故の記録が残ってたもんだな
    解読にも手間かかっただろ古すぎるわ

    • @takakowilliams6207
      @takakowilliams6207 9 หลายเดือนก่อน

      😂私も1905年、は間違いじゃないか、と、驚きました。解読困難でしょう

    • @toshioono1508
      @toshioono1508 4 หลายเดือนก่อน

      ヒッタイトや楔形文字じゃないんだからwww

  • @ogikubo15
    @ogikubo15 10 หลายเดือนก่อน +7

    Aさんは府立一中ということは日比谷高校か。エリートだったんだな。
    待機組は積極的に待機を選んだというより、すでに低体温症で動くのが難しいメンバーだったような感じだと思う。Aさんはすでにその前から具合が悪かったし、地主も高齢で体力が持たなかったのではないかな。

  • @mu1me2mo1
    @mu1me2mo1 10 หลายเดือนก่อน +4

    弱ってる人ほどCさんに付いていくのが良かっただろうに
    体が全く動かない状態だったんだろうか

  • @aruk9341
    @aruk9341 10 หลายเดือนก่อน +22

    正しい判断をしたから助かったのではなく単純に運が良かっただけ。経験豊富な人が正しい判断で生き残れるなら植村直己は日本に戻ってきてるよ。

  • @zi3ytb
    @zi3ytb 10 หลายเดือนก่อน +6

    簡潔だし、対策も挙げられているので良いと思いました。

  • @goro-yoko-teto869
    @goro-yoko-teto869 10 หลายเดือนก่อน +6

    Cさんがいて良かったなあ

    • @haraedonoookami
      @haraedonoookami 10 หลายเดือนก่อน +2

      Cさんいてよかったね

  • @aiuv3n
    @aiuv3n 10 หลายเดือนก่อน +7

    雨天で山頂目指すのは死にに行くに等しい。

  • @KIYO1122
    @KIYO1122 10 หลายเดือนก่อน +2

    1905年w
    風景とかなんも思い浮かばなくて笑ったw