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フランスに住んでアート活動をしています。お話にあった一時住んでいたモンマニーはパリの北にある鄙びた町で、コロナ前までモンマニーの小さなアートサロンに参加していたので、よく行っていました。彼が描いたサン・トマス教会のそば(絵のアングルと同じ位置に看板あり)にモンマニーの市役所やサロンの会場があり、モーリス・ユトリロ大通りがあります。何もない田舎の町で、ユトリロは今も街のヒーローで、静かで寂しい風景とユトリロの人生が重なり、道をとぼとぼ歩いていると胸に湧き上がるものがある時もあります。昔何かの本で、ユトリロは路上でワインの瓶を抱きしめていたかと思うと、突然それを道に投げつけた、という話を読んで泣いてしまったことがありました。彼の描いた下町のパリは、確かに絵葉書になるくらいパリらしいイメージではありますが、表向きの素敵なイメージとは違って汚く暗く貧しく、そのギャップは、ピクチャレスクな風景を描くために叩きつけた汚い白い絵の具で、より強く表現されているように思います。彼の作品が特別に愛されたのは、カンバスに滲み出るユトリロの寂寥ややるせなさ、を見た人が、自らの生きる寂しさに重ね合わせ、深いシンパシーを感じたのではないでしょうか。ゴローさんのおっしゃる通り、作品に魂の叫びを出せるアーチストは稀有で、それは同業者だからこそ強く感じ、敬意を感じずにはいられないのだと思います。ユトリロを紹介頂き、ありがとうございました。
This is one of the most moving comments that reflects Goro- sensei's insight. I really appreciate your upload.
ユトリロがアル中なのは知ってましたが、まさかそんな子供の頃からとは…「貨幣製造機」と呼ばわっていたと聞いてワダさんが「ひどい…」と絶句しているのが とてもよかった。ワダさんは お話にヒドい登場人物や事件が出てくると大変真っ当にドン引きするので、ちゃんとしたお嬢さんだなあー😊 と ほっこり致します
毒親の影響から逃れられなかった辛い人生という切り口の解説、目からウロコでした。自分はただの軽い美術好きで、美術展などで見る何となく荘厳な感じの解説を鵜呑みにする方でした。思うようにならないしんどい人生を一生懸命生きた同じ人間として、急に画家を身近に感じました。絵を見る目をゴロッと変えてくれる(ゴローさんだけに)お話と、聞き手のお二人の自然で素直な掛け合いが大好きです。
初めてユトリロを知りましたがせつなくなりました。五郎さんのチャンネルに出会い、美術が好きだったことを思い出してデッサン体験をしたり、原田マハさんの本をたくさん読んだり、人生がより豊かになりました!美術館にもまた行き始めました。本当にありがとうございます。いつか機会があれば、田中一村を紹介してほしいです✨
唯一の肉親である母親に裏で貨幣製造機って言われてたというのがすごく辛かった。お母さんだけじゃなく、周りの人はユトリロを本当の意味で尊重してた人いたのかな…?ユトリロはあんなにお母さんを大事に思っていたのに。同じ画家の人が彼の作品をイイって言ってくれていたのが救いです。
ユトリロの生い立ちを知ると、ほんとう才能は幸をもたらさないんだなぁと思ってしまいます。英語で才能のことをGiftと言いますが、いったい誰のための贈り物なんですかね。
当時の画家としては特に野心も情熱も感じられない枯れた雰囲気の画家だと思っていました。彼の生涯を聞くと「なるほど、そうだったのか…」と思います。何かを諦めた様な佇まいは日本人好みなのかもしれません。
五郎さんの解説を通して画家を知る中で、なんだか自分の生き方やいろんな気持ちが赦されるというか、解されていくような気持ちにもなります。子どもが大きくなったときに、一緒に色々な美術館や博物館、地元のアートギャラリー巡りができるようになると嬉しいなと思います。
ユトリロ、大好きなので嬉しかったです。観光地なのに人がおらず、空はいつも濁っていて、ユトリロに見えていた世界そのものだったのかなと感じます。
ゴッホが不幸な画家だと思っていましたが比較にならない悲惨さじゃないですかお兄ちゃん大好き弟はウルトラスーパーレアだったんですね
ユトリロのことは知っていたけど、五郎さんに解説してもらうとまた味わいがありますね。大衆受けするパリの風景画だけど、その絵から愛のある生活が送れなかったユトリロの寂しさが伝わるのかもしれません。
とても切ない気持ちになりました。私の母のお気に入りの画家がユトリロです。そこまで人気のあった画家だとは知りませんでした。同じ風景やモチーフも描く人によってそれぞれ違う味が出てくるというのが面白いですね。よくある風景を描いてここまで有名で絵が売れるというのは、一体何が違うのか考えさせられますよね。ユトリロは少なくともただの飲んだくれではなく、アル中の画家ですが、心の闇や孤独を絵にぶつけることができたのであれば、幸せだったのかもしれないですね。
五郎さんとワダさんのやりとりを見るのが金曜夜の楽しみです。歌も底抜けに明るい曲より失恋曲の方がヒットするように人は哀愁があるほうに惹かれやすいのでしょうね。俺の芸術はこうだ!の主張が煩くないので部屋に飾ってインテリアとして秀逸だったのも人気の要素だと思います。ピカソ やゴッホは主張が強過ぎるのと有名過ぎて飾ってあると恥ずかしいけどユトリロだと「あらちょっとお洒落じゃん?」な感じがします。ユトリロ自身は酒と母親の関心を得る為だけに描いていた思うと悲しいですね。
ユトリロ回、何度も見て、しみじみしています。後半生幸せだったセガンティーニよりずっと寂しい。しかしそこから生まれる作品、そこに何かを感じる見る人…。芸術の力ってすごいと思います。
教科書に載ってる画家で一番好きでした。教会の絵は模写もしました。懐かしいです。そんな事情があったなんてまったく知りませんでした。絵はがき→ユトリロ→教科書→俺、という謎の劣化コピーが行われていたと知って複雑な気持ちです。
劣化じゃないかも・・・😉わたしも子ども時代から好きでした。関係ないけど、名前が似ているパタリロ❗も。
40年ほど前にユトリロ展をみてから、ユトリロがずっと一番すきです。自分も、ユトリロの絵を模写したことあるけど、お酒を飲みながらあの精密さを描けるのは、やっぱり天才なんだと思う。漆喰が好きだったらしいけど、絵を描くにあたって、ユトリロなりのこだわりがあったんだろうなぁ。
今回も勉強になりました!ユトリロは良い意味でも悪い意味でもクセがないなあと思うので、だからこそ大衆受けしたし、贋作も作りやすかったのかなあと…自分語りで恐縮なのですが、五郎さんの解説動画で西洋絵画史に興味を持ち、大学の授業を受けてみようと思っています専門ではないし、あくまで自由科目の一つになってしまうのですが、しっかり勉強しようと思っています。学びのきっかけをくださったこと、五郎さんとワダさんはじめスタッフの方々に感謝しています!
モンマルトルの空がとても寂しくて観ていると不安な気持ちになるのは、ユトリロが描いたから?自分の心の奥底に隠した感情を掘り起こされるような感じがしました。なんの主義も主張も持たなくとも作品に人生を映して観る人の感情を揺さぶるのなら、ユトリロは紛れもなく芸術家だと思いました。
「道化師チャーリー・メイヤー」はクリムゾンキングの宮殿感があって、五郎さんが「何だか強い絵で何か好き」と仰った事に、勝手に納得しています笑
ユトリロの絵はなんだか寂しい感じがするなと思っていたのですが、そうか、確かに人物と言うか賑わいというかそう言うのがないんですよね、、、彼の背景を知ると、絵に漂う裏寂しさをより確かに、強く感じる気がします…母ちゃんがもう少し早く他界してくれたら彼の人生も束縛から解放されたのだろうか、何が彼の幸せだったのだろうか、五郎さんの解説を聞くとその絵が違った見え方がしてくるのが本当に凄い!!あとわださんが『貨幣製造機』の下で『酷い…』ってマジなトーンで言っていたのがキュンです、、、和田さんみたいな優しい友達がユトリロにいてくれたらよかったのになあ😭😭
幸せってなんだろう。なんだか人生そのものを考えさせられる回でした。
このハードモードっぷりで自殺も殺しもしないの聖人すぎない?カラヴァッジオはどう思う?
荒んでるから良い作品が生まれる苦しみの昇華
子どもの頃、母の持っていたユトリロの画集が大好きで何度も見ていてコタン小路とか鉛筆で模写してたんですけど、成長するにつれ「なんか構図とかありきたりだしなんで小さい頃好きだったのかな」とずっと思っていました。今回この動画をみて、気持ちが変化した理由がすこしわかった気がします!
「これヴァラドン。業の深い顔になってきてますよ゛」とおっしゃる五郎さんの声がむしろ楽しそうでニヤニヤしてたところに、でてきた道化師チャーリー・メイヤーの迫力にやられました。言語化できないですがすごい。すごく好きですこれ。もしかすると、ユトリロは「私は芸術でこれを成す」みたいな野心や欲望を乗せずに、いや持てずに見えたままを絵にすることしかできなかったのかしら。モンマルトルの絵は前半生を映したのかどこか寂しさを纏い、チャーリーの絵からは彼の活力が溢れていることからなんとなくそう思いました。
酒飲んでボロボロで自暴自棄な状態だけど、作品はとても筆致が理性的で、静かで、美しい街並み。きっと絵を描いてる時だけは、好きな自分でいられたんだろうなと想像してしまいます。
ユトリロ大好きで、取り上げてくださってありがとうございます。ユトリロの展覧会で当時は知らず美術館で監視をしていましたが、すべて風景画なので厳かな雰囲気で落ち着いた気持ちで仕事していたのが懐かしいです。ただ風景を描いているんではない。孤独なユトリロが感じてるモンマルトルなんです。ユトリロが心の安静を求めて描いていたのが伝わってきました。ヴァラドンが真面目で、育児放棄もしない人でちゃんとユトリロと向き合っていればユトリロはアルコール依存性にもならなかったでしょうけど、放蕩ヴァラドンの存在により良い作品が生まれ続けたというのは何とも切ない話です。母から解放されないユトリロは、レジオンドヌール章を戴いたとしても幸せだったのでしょうか。作品の物悲しさを語る迫力には圧倒されます。作家たちはその覇気を感じていたのではないのでしょうか。
“Maurice Utrillo V”の解説を聞いた時に、ユトリロの心中にある複雑さが分かった気がする。「ユトリロは幸せだったのかなぁ…。」率直にそんな気持ちになる考えさせられる回でした。
私の好きなフレーズ「すっかりその気になって」が出ましたが今回は悲しい「すっかりその気」でしたね。ユトリロの境遇と生き方は何か「新宿の殺し屋」真剣師小池重明を彷彿しました。「道化師チャーリー・メイヤー」をなんか好きなんだよ♡と言う五郎さんのテンションが、タモリ倶楽部の空耳アワーで好きな空耳(尼僧侶×2)を聞いてテンション上がるタモさんっぽくて良かったです笑
ユトリロの絵を見て、なぜかアドルフ・ヒトラーの絵を思い出してしまいました。一方、画家からは評価されて、という事は、まさにゴッホのような狂おしい情熱というか魂の悲鳴があるのでしょうね。正直、無難な、建築(Architecture)学校の受験のための絵(ヒトラーは芸術学校でしたが)みたいな印象しか受け取れず、まだまだ絵を見る目が養われていないのかと思い知りました。すごい動画ですね。。。
ヒトラーも人物描けなかった、ところが共通点ですね
十五年ほど前、三鷹市立美術館のユトリロ展で初めて本物?を見ました。どの絵も、人がいないのに、青い建物がまるで泣いているように見え、いっぺんで魅入られてしまいました。風景画にこんなに感情移入してしまっている自分に我ながら驚いています。ユトリロは今でも大好きです。コピーでもいいからぜひ身近に置きたいと願っていますが、まだ果たせないでいます。
「青い建物がまるで泣いているように見え」← ああ、なるほど、おっしゃる通りだと思いました
フランス在住です。いつも楽しく拝見しています。一つ、ユトリロのおばあちゃんが幼いユトリロにお酒を飲ませていた話ですが、昔フランスでは朝赤ワインを一杯飲ませてから登校させたり1956年まで給食でワインが出てたりしてたそうなので、滋養のつもりで飲ませてたのかも?と思いました。程度にもよると思いますが特別珍しいことでもなかったのかもしれません。ついこの間知人に「私のお父さんが子供の頃は給食でお酒飲んで良かったんだよ。」って聞いてびっくりしたところだったので面白かったです。
五郎さんがおっしゃる「画家の評価が高い」ということがすごくわかる気がする。いや実際そうなんでしょう、私の周りの美大出は少なくともユトリロを嫌いな人はいない。なんとも言えん魅力的な物悲しい鈍色の空はどうやらシルバーホワイトを使ってるらしいと聞いて、あのドクロマーク入りの危険なホワイトを使ってたときもありました笑。業の強い母を持ってるのは知ってましたが、壮絶な人生、、、ユトリロは幸せだったのかな?本人に聞いてみたい。そしてここのコメントはみなさんの感性が素晴らしく、五郎さんの動画も然りほんと勉強になります!
画家の人生、みんな壮絶ですね。わかりやすく、面白く話していただきありがとうございます。五郎さんの話を聞いた後だと、絵の見方が変わります。
酷い人生なのに、ずっと売れ続け且つ玄人受けする芸術性をしっかり有するユトリロ凄い❣️教会の絵『ハッ』とする程素敵でした。何処かうら寂しくて...
ユトリロは本当に絵葉書みたいな風景画を描く人だと思っていましたが、実は絵葉書を見ながら書いていたという事ですね。事実を知るというのは大切だと、つくづく思いました。
ユトリロという名前が、フランス人らしくないので、以前から気になっていました。それにしても、こんな悲惨な人生だったとは!!画家の名声、成功とその人個人の人生そのものとが、これほど隔たったいるのを知ると、悲しくなります。母親は、若き頃かなりな美貌なのに、後半生の写真では、いかにも性格が顔に表れていて、こずるくあざとく見えます。画家なのに、絵はがきを見て書いているなんて、とビックリしましたが、アル中故と知り、これまたかわいそうに感じます。
言葉にしがたい良さがある、なにかあるというのが、まさにユトリロがユトリロたる極めて重要な部分ではないか。日本で云うところの「なにごとのおはしますかは~」に通ずるところがある。 ユトリロは母親の愛を求めて、風化した漆喰でできた路地裏を、酩酊というある種の覚せい状態でさまよい育ったのであり、彼を抱擁し、彼の感性を育てたのはあの白い漆喰の情緒だった。 満たされない孤独を抱えているというのはやはり芸術を生み出す源になるのであり、また19世紀末のパリという異邦人集う芸術の都が爛熟していた空気を肌身で感じていたのであり、母親の天稟も含めて、意図しないさまざまな要素が奇跡的にユトリロと言う私生児に結実したとしか言いようがない。 ユトリロの絵は、無垢の魂そのものであり、浅薄な主義主張や思想や近代合理主義と言うものに塗れていない。近代に生まれた芸術家が宿命的に背負う問題を、その苦悩や力みやエゴを、有していないのだ。 他の画家や芸術家が戦っている場所に土俵に、ユトリロの絵はない。ゆえに頭でっかちの評論家には評価のしようが無く、ただただその無垢に戸惑うばかりなのだ。しかし他の芸術家にはとって、ユトリロの絵は近代主義に縛られない、町はずれにある小さな教会のような安らぎを与えてくれるような純粋性を捉え、ある種の芸術の極致を感じていたことだろう。ユトリロの魂と技術が最も冴えて符合した「白の時代」の終わりが、西洋近代合理主義の一つの荒野の果てであるWW1の開戦と重なることは偶然ではないだろう。ユトリロの最高傑作であろう『ドゥイユ村の教会』は、核兵器の使用までつながる西洋近代合理主義の野蛮さえも告発しているかのようだ。 そしてやはり良い絵と言うのは、技術の裏付けが必ずあり、ユトリロの絵は独学ということもあって、マチエールが独特。自然の風化でしか出せないような、モンマルトルの下町のわびた、さびた漆喰の風合いを見事に描き出し、作り出してある。ゆえにあの詩情が生み出されているのだ。しかしその”わびさび”も、やはりしっかり洗練されてあるから美しい。同じくパリの下町を描いたよそ者の佐伯祐三や荻須高徳と比べればそれははっきりわかる。 ユトリロは日本人の肖像も描いてるはず。
ユトリロは名前を知らなかったときから寂しいノスタルジーを感じる雰囲気が好きで、お酒に溺れてたらしいくらいしか知らなかったんですが…、かなり悲しい人生だったんですね…。贋作との違いは割とすぐ分かります。構図や線に特徴は感じないけど淡々としてる中に寂しい色の深さがあるというか。彼に共感するとか言いたくはないですけど、人のそういう部分に触れる作品なのかなあと感じました。
まさに実家に贋作があります‼︎ 白壁に緑色の窓枠の家がぼんやりと描かれた作品。ある日母親がユトリロの作品かもしれないと言い出し、暫く盗難を恐れてしまっていました 😆後に鑑定に出したところ贋作と判明。でも30万円の価値が有るといわれたそうで子供ながらにニセモノなのに⁉︎ と思ったのを思い出しました。後に西洋絵画好きの友人にユトリロの作品がぼんやりなのはアル中でぼんやり見えていたからと教わり、以来ユトリロのアル中を知っていましたが、まさか幼少期からだったとは知りませんでした😢 今回ほど五郎さんのお話が身近に感じたことありません。しかもワダさん宅のノートルダム大聖堂の絵、母が買ってきました🤣
白の時代のユトリロの絵は街を一人で散歩しているような感じがします。一体どうして絵葉書を見て書いた絵に感動したのかはよく分かりませんが出張中の土曜日にオランジュリーでユトリロの絵をずっと見ていたことを思い出しました。
ユトリロは学生時代から大好きな画家だったのでうれしいです。ユトリロの作品を見て、いつかモンマルトルに行ってみたいと思っていて…30年程前初めてパリ、モンマルトルに行った時は感動しました。今も部屋にユトリロが描いたラパン・アジルのコピーを飾っています。
待ってました👏ユトリロ👍
ワダさん「父が買ってきた絵が家にあるような…」五郎さん「父買ってきた!?」←この大喜び加減が最高でしたw
若しももう一度生まれ変わったら、優しいお母様にたっぷり愛されて幸せになるといいなって思います❤️
なんか哀愁漂う絵をかくユトリロ。その人生を知ったら、思ってたよりも、ずっと悲しい人生だった。
佐伯祐三の描く建物は歪んでいて依存症のユトリロが描いた建物は整然としているのが面白く感じました。次回は同じ依存症でも、建物ばかりでなく人物ばかり描いていたモディリアーニを取り上げてくれる事に大期待しております。
ユトリロ❣️嬉しいです❣️有難うございます❣️
ユトリロの生い立ちとか背景とか、はじめて知りました。自分なりに考えたのですが、作品に主義主張があんまり無いので、絵にさほど詳しくない購買者や、作画で奮闘している同業の画家たちには気楽に鑑賞できて良かったのかなと思います。
2:17 ほんまにネタは絵葉書からだったのか、、、ユトリロ・・・切ない。 モディリアーニも気になるので、五郎さんお願いしますm(_ _)m
あんまり好きな画家じゃなかったけど…勉強になりました。
ユトリロに、心から満たされた日々はなかったのかなと思うと、切ない。才能が不遇な環境によって開花するとか悲しすぎるけど、そんな形でも自己を昇華させたことに敬意を表したい。何となくいいと思ってたものの答え合わせができた気がします。
予想を越える角度からのワダちゃんの回答にとにかく五郎さんが楽しそう☺️楽しいというか、可愛いんでしょうね♥ それは観ている私達も同じ気持ちです😄本題ですが、母親が酷いのは勿論だけど、祖母‼️もし目の前にいたらフルボッコにしたいくらい酷い😤
ロートレックに引き続き、取り上げていただいて私的に有難い画家のユトリロ。ありがとうございます!!
今回名前が出てきたましたが、未だ解説されておらず、かつ世界的にも非常に評価が高く、オークションでは常に超高額で落札されており、生き方自体が伝説的で映画化される程の大好きなモディリアーニを紹介して欲しい
ユトリロの人生、こんなに多難だとは知りませんでした。先日の動画といい、贋作に関する話はとても興味深いです。以前お話しされていた、ナショナルギャラリー(でしたっけ…)で開催された贋作展みたいなことを日本でもやって欲しいな…と密かに思っています。
ユトリロの人生を思うと、気持ちが落ち込んでしまいました。作業しながら聞いていたのですが、もう作業所じゃありませんよ。ユトリロの作品が特に好きなわけではありませんでしたが、改めてじっくり鑑賞してみよう思います。いつも大変為になる動画、ありがとうございます。
ユトリロの白い漆喰の壁と街路の風景画が好きです。画面の漆喰の壁が、何処かざらざらとした物語があり、落ち着きます。
モローといい、毒母の存在がその圧力ゆえに子の才能を伸ばし、そしてその一方で人生を、幸せを潰して……悲しい
すごい。最高に面白かったです。ありがとうございます。
ユトリロありがとうございます😭❣️
ユトリロの色彩の時代の絵は、ちょっといいなって思いました。生い立ちを見てみると、ユトリロは自分はこの世に生まれなかった方が良かったのではないかと、自分はこの世では余計な存在なのかと、だから母にも愛されないのかと、そう思っていたのではないかと言う気がします。だから絵もなんか華やかな場所からだいぶ引いている場所から、世界を見て描いたって感じがしました。それでかえってクセのない絵になったのかな。切ない生涯でしたね。勝手な推測ですが。
私がユトリロを観たのは、今から50年前、1970年代でした。白の時代 の作品です。記憶として、強制的に絵を描かせられたという印象を持っています。山田さんの解説を聞いて、なるほどなと思いました。
「父買ってきた!!?」五郎さんの笑いのツボの場所とその表現力が相変わらずのカリスマ唯一無二です何回も見返しちゃったw
いろんな有名画家の名前が出てきたので時代が交差していて面白かったです。アル中仲間のモディリアーニも紹介してほしいです
生涯をきいて、粘り強い人で、強靭な生命力のある人だなとおもいました。こんな辛すぎる出来事の連続のなかで曲がりなりにも絵を描き続ける、それもたくさん描くって出来ないとおもうのです。絵に、肖像にただよう諦念。言われるまま、されるがままの無力さ、味気なさの味わいというか、主張を強く打ち出さない平板さが支持を集めたのかもしれないですね。
親は選べないと言いますが、凄惨な人生ですね…。シュザンヌからの画才と、この凄まじい半生をこそがユトリロを唯一無二の大画家たらしめたのでしょうが、本人はそんな物より(と美術チャンネルでコメントするのも何ですが)優しく自分を愛してくれる母親が居てくれたらと生涯思っていたのでは無いかと、Vの意味を知って、推測ながら感傷的な気分になってしまいました…。
母親も「母」を知らないから、女として生きている。 不幸?の連鎖かもしれないです。 己で人生そのものを方向性を得て生きていかないと「正しい」にはならない。 白から色彩の時代になったとか、人がいないから、人が描かれるようになったは、ユトリロが自分でそれなりに母親から、「妻」という女性の「美徳?」を得たからじゃないでしょうか? 目的はお金でも、名誉でも、自分にしかできないことを言ってみれば、見てて、応援してくれる自分だけの「女性」が必要なのかもしれないのが、女からしか生まれない㊚とうことかな?
ユトリロは、リハビリで絵を描くきっかけを得たけれど、描くこと自体どうかそれなりにでも楽しく描けてたらいいなと願わずにいられません。
ダリは奥さんに利用されたにしろ、ノムさんみたいに奥さんと一緒に人生を歩んだけど、ユトリロは実生活はずっと不幸でしたね、、
2:34 リュスティック通りのサクレ・クール 2004年の冬にモンマルトルへ行った時に アングルや立ち位置を色々思案し、 一枚写真を撮ったのだが、 この作品と同じアングルだというのを知ったのは2018年になってからでした。 なんの因果がそうさせたのかは分かりませんが、 その旅の目的「美術館巡り」がそうさせたのかも知れません。
私はモダニズムの絵はほとんどわかりませんが、ユトリロが晩年に自作の絵を模写をする写真がありました。なんとも痛ましい、一方で立身出世の面では恵まれた作家だったのでしょう。太宰治の小説にも出てきますが、ゴッホなどの強烈な個性の異端者とは違う、彼の理想とする?「人間失格者」のモデルだったのかもしれません。
いちばん共感したユトリロ愛すべし
ユトリロの名前すら知らなかったのですが、白の時代からは物悲しさ、空気の冷たさが伝わってきましたし、色彩の時代のピエロの絵からは生き生きとした生命感みたいなものを感じました。自分もピエロの絵がいいなと思いました。不思議な画家ですね。ユトリロ自身が求めた幸福はなんだったんだろうと考えさせられましたが、まず酒が飲めればそれで良かったのかなあと勝手に思いました。それで当時としては長生きと思われる71歳まで生きたんだから、五郎さんのおっしゃる通り大往生ですね。
中学の時に教育研修で来た大学生の先生が記念に自分の描いた油絵をクラスにくれた。今思うと街角を描いたユトリロのような画風だった。もう40年以上前だけど、それだけユトリロは画家を目指す人に評価されてたんだなと思う。
7:28頃にでてくるロートレックが描いたシュザンヌ・ヴァラドンの絵のタイトルが「二日酔い」。ロートレックもお酒で体を悪くしましたし、ユトリロに至ってはお酒に飲まれてる感じが伝わってきます。だからといって「お酒は止めたほうがいいね」とも言い難い感じが・・・ありますね。
フランスに住んでいますが、ご年配の方がスカートで歩いていると、いつもユトリロの絵を思い出します。。。フランスでは以前、女性はスカートしか穿いてはいけないという条例があったそうです。
ユトリロは10代の頃好きな画家だった。寂しげな街の風景が、孤独感をよく現せているように感じたので。しかし、その後忘れてしまったかのように気にも留めなくなっていたが、改めて白の時代の絵を観て、普通の風景画には感じられない、静かな美を感じた。
オレ達のドガ!というキラーワード。写真見ただけでも目がスワっている子供。そして広告で流れたお酒のCM。周りの環境が悪いけれど楽しかったこの動画に高評価をポチっとしときます。
ユトリロ好きです。嬉しいです。
ありがとうございます!
たいへん興味深く拝見しました。わたしたちが美術作品に価値を感じる要因のひとつは、作品の背景にある作者の人となりを作品から感じ取るからかも知れませんね。そんなことを、山田五郎さんの解説を拝聴しながら考えました。
いつも楽しく拝見させていただいています。すごく勉強になります。ユトリロの絵、画面の上の一膜に作者の様々な想いが詰まっているのかな?それが他の作家にはない手の動きになったのかなと思います。機会があればメダルド・ロッソの回があれば嬉しいです。あの人の作品も一膜あるので。ロッソは意図的にしているので少し意味合いは違うと思いますが基本的な所は共通しているような気がします。ロダンとの絡みもドラマチックで興味深いです。また楽しみにしています。
ユトリロ、、、つらい、、、。描かされていたけどその絵は買い手に愛されていたのかも。
今回もありがとうございました。ユトリロの様にお土産もの画家や路上画家から抜け出した芸術家は他にも多いんですかね。
Watashimo shiritaina. Tomodachiga rojougaka dakedo yuumeini narukana?
山田さんの話は、わかりやすくて楽しいですね~!Instagramでとある画家と友達になって、絵に興味でてここにたどり着いた!その画家もハチャメチャですから笑って見れました!そいつも才能は、ありますよ🤣不思議ですね!
五郎さんが「涙なしには語れない」とおっしゃっていただけあり、聞く側も切ない気持ちになりました。ゴッホの回でも思いましたが、画家自身に葛藤や負の感情がなければ、見る者に訴える絵は描けないのでしょうか?そこら辺もお聞きしてみたいです。
進撃の巨人がしっくりきすぎて笑いましたwユトリロは絵画に興味を持つきっかけになった画家だったので今回めっちゃ嬉しかったです(^^♪
50年前に画集でユトリロ見て、凄くイイと感動したクチ。
ユトリロの絵は筆がたどたどしく、いつも生まれて初めて絵を描いたかのように描く酒の飲み過ぎで記憶障害にでもなっていたんじゃないか?でもこれは簡単そうに見えて誰にも真似出来ない能力だと思う多くの人はパリの絵はがきを見て二三枚描けばすぐ上手くなったと思って飽きてやめてしまうユトリロはそれをほぼ一生涯やった何か自閉症の人の芸術的活動と似ているような気もする人を描けなくても別に問題ないんだ絵だもの描けないものには、描けない理由があるこれは一見技術の問題のような気もするけど、技術って言うのは創造的動機なくしては身に付かないもので、ユトリロは自分の絵に人を描く内的な必然的を持っていなかったんだと思う描くべきものに描くべき理由があるように、描けないものにも描けない理由があるんだ画家はいつも自分に何故それを描くのか、と聞いている色々な形でこの質問に~だから描くと答える理屈で答えてもだめで、本心でその物の形を欲してないといけない
ロートレックの回もう一度見直しました。ユトリロ切ないです。。
哀愁のある絵なのよね。悲しみ。生い立ちかなあ。モディリアーニはユトリロと違い、女が好きだったと思う。ユトリロはもう一人ぽっちね。
静かに感じるなって思ったら、人がいないことに所以するんですね。
昭和20年代生まれの母が持っていた画集の2冊がユトリロでした。ユトリロが大流行画家だったと聞いて納得。絵が好きだとインテリぶるわりに、美術展に行くわけでも詳しいわけでもない母だったのでww
ユトリロの絵ってなんだか哀愁漂う見たこと有るような無いような、そこはかと無い画風だと想ってたらそんな逆境の中の実情だったんですね。それを思うと贋作でも不憫に思えてジーンと来そうです。
自分の生まれ育った街を描いているから〜は同感です。依頼の肖像画もモデルを良く知っていないと納得のいく肖像画にならないそうですね。
今日(令和6年2月4日) 町田市にある西山美術館に 西山館長のユトリロコレクションを見に行ってきたので あらためてこの動画を見てみました。こういう裏話を知ったうえで絵を見ると また違った見方ができて面白いです。
侘び寂びですね😭悲しい絵だなぁ😭私も心が苦しい時代には大好きでした☺️今はそんなでも無い😊
ヨーロッパの街並みって絵として魅力的なんですよねぇ…不思議
最後のワダさんの笑い声に癒された
都会の風景なのに孤独感が出ているのはそんな ウラ事情があるからなんですね。
フランスに住んでアート活動をしています。
お話にあった一時住んでいたモンマニーはパリの北にある鄙びた町で、コロナ前までモンマニーの小さなアートサロンに参加していたので、よく行っていました。彼が描いたサン・トマス教会のそば(絵のアングルと同じ位置に看板あり)にモンマニーの市役所やサロンの会場があり、モーリス・ユトリロ大通りがあります。
何もない田舎の町で、ユトリロは今も街のヒーローで、静かで寂しい風景とユトリロの人生が重なり、道をとぼとぼ歩いていると胸に湧き上がるものがある時もあります。
昔何かの本で、ユトリロは路上でワインの瓶を抱きしめていたかと思うと、突然それを道に投げつけた、という話を読んで泣いてしまったことがありました。
彼の描いた下町のパリは、確かに絵葉書になるくらいパリらしいイメージではありますが、表向きの素敵なイメージとは違って汚く暗く貧しく、そのギャップは、ピクチャレスクな風景を描くために叩きつけた汚い白い絵の具で、より強く表現されているように思います。
彼の作品が特別に愛されたのは、カンバスに滲み出るユトリロの寂寥ややるせなさ、を見た人が、自らの生きる寂しさに重ね合わせ、深いシンパシーを感じたのではないでしょうか。ゴローさんのおっしゃる通り、作品に魂の叫びを出せるアーチストは稀有で、それは同業者だからこそ強く感じ、敬意を感じずにはいられないのだと思います。
ユトリロを紹介頂き、ありがとうございました。
This is one of the most moving comments that reflects Goro- sensei's insight. I really appreciate your upload.
ユトリロがアル中なのは知ってましたが、まさかそんな子供の頃からとは…
「貨幣製造機」と呼ばわっていたと聞いてワダさんが「ひどい…」と絶句しているのが とてもよかった。
ワダさんは お話にヒドい登場人物や事件が出てくると大変真っ当にドン引きするので、
ちゃんとしたお嬢さんだなあー😊 と ほっこり致します
毒親の影響から逃れられなかった辛い人生という切り口の解説、目からウロコでした。
自分はただの軽い美術好きで、美術展などで見る何となく荘厳な感じの解説を鵜呑みにする方でした。
思うようにならないしんどい人生を一生懸命生きた同じ人間として、急に画家を身近に感じました。
絵を見る目をゴロッと変えてくれる(ゴローさんだけに)お話と、聞き手のお二人の自然で素直な掛け合いが大好きです。
初めてユトリロを知りましたがせつなくなりました。
五郎さんのチャンネルに出会い、美術が好きだったことを思い出してデッサン体験をしたり、原田マハさんの本をたくさん読んだり、人生がより豊かになりました!美術館にもまた行き始めました。本当にありがとうございます。いつか機会があれば、田中一村を紹介してほしいです✨
唯一の肉親である母親に裏で貨幣製造機って言われてたというのがすごく辛かった。
お母さんだけじゃなく、周りの人はユトリロを本当の意味で尊重してた人いたのかな…?ユトリロはあんなにお母さんを大事に思っていたのに。同じ画家の人が彼の作品をイイって言ってくれていたのが救いです。
ユトリロの生い立ちを知ると、ほんとう才能は幸をもたらさないんだなぁと思ってしまいます。
英語で才能のことをGiftと言いますが、いったい誰のための贈り物なんですかね。
当時の画家としては特に野心も情熱も感じられない枯れた雰囲気の画家だと思っていました。
彼の生涯を聞くと「なるほど、そうだったのか…」と思います。
何かを諦めた様な佇まいは日本人好みなのかもしれません。
五郎さんの解説を通して画家を知る中で、なんだか自分の生き方やいろんな気持ちが赦されるというか、解されていくような気持ちにもなります。
子どもが大きくなったときに、一緒に色々な美術館や博物館、地元のアートギャラリー巡りができるようになると嬉しいなと思います。
ユトリロ、大好きなので嬉しかったです。
観光地なのに人がおらず、空はいつも濁っていて、
ユトリロに見えていた世界そのものだったのかなと感じます。
ゴッホが不幸な画家だと思っていましたが比較にならない悲惨さじゃないですか
お兄ちゃん大好き弟はウルトラスーパーレアだったんですね
ユトリロのことは知っていたけど、五郎さんに解説してもらうとまた味わいがありますね。
大衆受けするパリの風景画だけど、その絵から愛のある生活が送れなかったユトリロの寂しさが伝わるのかもしれません。
とても切ない気持ちになりました。私の母のお気に入りの画家がユトリロです。そこまで人気のあった画家だとは知りませんでした。同じ風景やモチーフも描く人によってそれぞれ違う味が出てくるというのが面白いですね。よくある風景を描いてここまで有名で絵が売れるというのは、一体何が違うのか考えさせられますよね。ユトリロは少なくともただの飲んだくれではなく、アル中の画家ですが、心の闇や孤独を絵にぶつけることができたのであれば、幸せだったのかもしれないですね。
五郎さんとワダさんのやりとりを見るのが金曜夜の楽しみです。
歌も底抜けに明るい曲より失恋曲の方がヒットするように人は哀愁があるほうに惹かれやすいのでしょうね。
俺の芸術はこうだ!の主張が煩くないので部屋に飾ってインテリアとして秀逸だったのも人気の要素だと思います。
ピカソ やゴッホは主張が強過ぎるのと有名過ぎて飾ってあると恥ずかしいけどユトリロだと「あらちょっとお洒落じゃん?」な感じがします。
ユトリロ自身は酒と母親の関心を得る為だけに描いていた思うと悲しいですね。
ユトリロ回、何度も見て、しみじみしています。後半生幸せだったセガンティーニよりずっと寂しい。しかしそこから生まれる作品、そこに何かを感じる見る人…。芸術の力ってすごいと思います。
教科書に載ってる画家で一番好きでした。教会の絵は模写もしました。懐かしいです。そんな事情があったなんてまったく知りませんでした。絵はがき→ユトリロ→教科書→俺、という謎の劣化コピーが行われていたと知って複雑な気持ちです。
劣化じゃないかも・・・😉
わたしも子ども時代から好きでした。
関係ないけど、名前が似ているパタリロ❗も。
40年ほど前にユトリロ展をみてから、ユトリロがずっと一番すきです。
自分も、ユトリロの絵を模写したことあるけど、お酒を飲みながらあの精密さを描けるのは、やっぱり天才なんだと思う。
漆喰が好きだったらしいけど、絵を描くにあたって、ユトリロなりのこだわりがあったんだろうなぁ。
今回も勉強になりました!
ユトリロは良い意味でも悪い意味でもクセがないなあと思うので、だからこそ大衆受けしたし、贋作も作りやすかったのかなあと…
自分語りで恐縮なのですが、五郎さんの解説動画で西洋絵画史に興味を持ち、大学の授業を受けてみようと思っています
専門ではないし、あくまで自由科目の一つになってしまうのですが、しっかり勉強しようと思っています。学びのきっかけをくださったこと、五郎さんとワダさんはじめスタッフの方々に感謝しています!
モンマルトルの空がとても寂しくて観ていると不安な気持ちになるのは、ユトリロが描いたから?自分の心の奥底に隠した感情を掘り起こされるような感じがしました。なんの主義も主張も持たなくとも作品に人生を映して観る人の感情を揺さぶるのなら、ユトリロは紛れもなく芸術家だと思いました。
「道化師チャーリー・メイヤー」はクリムゾンキングの宮殿感があって、五郎さんが「何だか強い絵で何か好き」と仰った事に、勝手に納得しています笑
ユトリロの絵はなんだか寂しい感じがするなと思っていたのですが、そうか、確かに人物と言うか賑わいというかそう言うのがないんですよね、、、彼の背景を知ると、絵に漂う裏寂しさをより確かに、強く感じる気がします…
母ちゃんがもう少し早く他界してくれたら彼の人生も束縛から解放されたのだろうか、何が彼の幸せだったのだろうか、五郎さんの解説を聞くとその絵が違った見え方がしてくるのが本当に凄い!!
あとわださんが『貨幣製造機』の下で『酷い…』ってマジなトーンで言っていたのがキュンです、、、和田さんみたいな優しい友達がユトリロにいてくれたらよかったのになあ😭😭
幸せってなんだろう。なんだか人生そのものを考えさせられる回でした。
このハードモードっぷりで自殺も殺しもしないの聖人すぎない?カラヴァッジオはどう思う?
荒んでるから良い作品が生まれる
苦しみの昇華
子どもの頃、母の持っていたユトリロの画集が大好きで何度も見ていてコタン小路とか鉛筆で模写してたんですけど、成長するにつれ「なんか構図とかありきたりだしなんで小さい頃好きだったのかな」とずっと思っていました。今回この動画をみて、気持ちが変化した理由がすこしわかった気がします!
「これヴァラドン。業の深い顔になってきてますよ゛」とおっしゃる五郎さんの声がむしろ楽しそうでニヤニヤしてたところに、でてきた道化師チャーリー・メイヤーの迫力にやられました。言語化できないですがすごい。すごく好きですこれ。
もしかすると、ユトリロは「私は芸術でこれを成す」みたいな野心や欲望を乗せずに、いや持てずに見えたままを絵にすることしかできなかったのかしら。モンマルトルの絵は前半生を映したのかどこか寂しさを纏い、チャーリーの絵からは彼の活力が溢れていることからなんとなくそう思いました。
酒飲んでボロボロで自暴自棄な状態だけど、作品はとても筆致が理性的で、静かで、美しい街並み。きっと絵を描いてる時だけは、好きな自分でいられたんだろうなと想像してしまいます。
ユトリロ大好きで、取り上げてくださってありがとうございます。
ユトリロの展覧会で当時は知らず美術館で監視をしていましたが、すべて風景画なので厳かな雰囲気で落ち着いた気持ちで仕事していたのが懐かしいです。ただ風景を描いているんではない。孤独なユトリロが感じてるモンマルトルなんです。ユトリロが心の安静を求めて描いていたのが伝わってきました。ヴァラドンが真面目で、育児放棄もしない人でちゃんとユトリロと向き合っていればユトリロはアルコール依存性にもならなかったでしょうけど、放蕩ヴァラドンの存在により良い作品が生まれ続けたというのは何とも切ない話です。母から解放されないユトリロは、レジオンドヌール章を戴いたとしても幸せだったのでしょうか。作品の物悲しさを語る迫力には圧倒されます。作家たちはその覇気を感じていたのではないのでしょうか。
“Maurice Utrillo V”の解説を聞いた時に、ユトリロの心中にある複雑さが分かった気がする。
「ユトリロは幸せだったのかなぁ…。」
率直にそんな気持ちになる考えさせられる回でした。
私の好きなフレーズ「すっかりその気になって」が出ましたが今回は悲しい「すっかりその気」でしたね。
ユトリロの境遇と生き方は何か「新宿の殺し屋」真剣師小池重明を彷彿しました。
「道化師チャーリー・メイヤー」をなんか好きなんだよ♡と言う五郎さんのテンションが、
タモリ倶楽部の空耳アワーで好きな空耳(尼僧侶×2)を聞いてテンション上がるタモさんっぽくて良かったです笑
ユトリロの絵を見て、なぜかアドルフ・ヒトラーの絵を思い出してしまいました。一方、画家からは評価されて、という事は、まさにゴッホのような狂おしい情熱というか魂の悲鳴があるのでしょうね。正直、無難な、建築(Architecture)学校の受験のための絵(ヒトラーは芸術学校でしたが)みたいな印象しか受け取れず、まだまだ絵を見る目が養われていないのかと思い知りました。すごい動画ですね。。。
ヒトラーも人物描けなかった、ところが共通点ですね
十五年ほど前、三鷹市立美術館のユトリロ展で初めて本物?を見ました。
どの絵も、人がいないのに、青い建物がまるで泣いているように見え、いっぺんで魅入られてしまいました。
風景画にこんなに感情移入してしまっている自分に我ながら驚いています。
ユトリロは今でも大好きです。
コピーでもいいからぜひ身近に置きたいと願っていますが、まだ果たせないでいます。
「青い建物がまるで泣いているように見え」← ああ、なるほど、おっしゃる通りだと思いました
フランス在住です。いつも楽しく拝見しています。一つ、ユトリロのおばあちゃんが幼いユトリロにお酒を飲ませていた話ですが、昔フランスでは朝赤ワインを一杯飲ませてから登校させたり1956年まで給食でワインが出てたりしてたそうなので、滋養のつもりで飲ませてたのかも?と思いました。程度にもよると思いますが特別珍しいことでもなかったのかもしれません。ついこの間知人に「私のお父さんが子供の頃は給食でお酒飲んで良かったんだよ。」って聞いてびっくりしたところだったので面白かったです。
五郎さんがおっしゃる「画家の評価が高い」ということがすごくわかる気がする。いや実際そうなんでしょう、私の周りの美大出は少なくともユトリロを嫌いな人はいない。
なんとも言えん魅力的な物悲しい鈍色の空はどうやらシルバーホワイトを使ってるらしいと聞いて、あのドクロマーク入りの危険なホワイトを使ってたときもありました笑。業の強い母を持ってるのは知ってましたが、壮絶な人生、、、ユトリロは幸せだったのかな?本人に聞いてみたい。そしてここのコメントはみなさんの感性が素晴らしく、五郎さんの動画も然りほんと勉強になります!
画家の人生、みんな壮絶ですね。
わかりやすく、面白く話していただきありがとうございます。
五郎さんの話を聞いた後だと、絵の見方が変わります。
酷い人生なのに、ずっと売れ続け且つ玄人受けする芸術性をしっかり有するユトリロ凄い❣️教会の絵『ハッ』とする程素敵でした。何処かうら寂しくて...
ユトリロは本当に絵葉書みたいな風景画を描く人だと思っていましたが、実は絵葉書を見ながら書いていたという事ですね。事実を知るというのは大切だと、つくづく思いました。
ユトリロという名前が、フランス人らしくないので、以前から気になっていました。それにしても、こんな悲惨な人生だったとは!!画家の名声、成功とその人個人の人生そのものとが、これほど隔たったいるのを知ると、悲しくなります。母親は、若き頃かなりな美貌なのに、後半生の写真では、いかにも性格が顔に表れていて、こずるくあざとく見えます。画家なのに、絵はがきを見て書いているなんて、とビックリしましたが、アル中故と知り、これまたかわいそうに感じます。
言葉にしがたい良さがある、なにかあるというのが、まさにユトリロがユトリロたる極めて重要な部分ではないか。日本で云うところの「なにごとのおはしますかは~」に通ずるところがある。
ユトリロは母親の愛を求めて、風化した漆喰でできた路地裏を、酩酊というある種の覚せい状態でさまよい育ったのであり、彼を抱擁し、彼の感性を育てたのはあの白い漆喰の情緒だった。
満たされない孤独を抱えているというのはやはり芸術を生み出す源になるのであり、また19世紀末のパリという異邦人集う芸術の都が爛熟していた空気を肌身で感じていたのであり、母親の天稟も含めて、意図しないさまざまな要素が奇跡的にユトリロと言う私生児に結実したとしか言いようがない。
ユトリロの絵は、無垢の魂そのものであり、浅薄な主義主張や思想や近代合理主義と言うものに塗れていない。近代に生まれた芸術家が宿命的に背負う問題を、その苦悩や力みやエゴを、有していないのだ。 他の画家や芸術家が戦っている場所に土俵に、ユトリロの絵はない。ゆえに頭でっかちの評論家には評価のしようが無く、ただただその無垢に戸惑うばかりなのだ。しかし他の芸術家にはとって、ユトリロの絵は近代主義に縛られない、町はずれにある小さな教会のような安らぎを与えてくれるような純粋性を捉え、ある種の芸術の極致を感じていたことだろう。
ユトリロの魂と技術が最も冴えて符合した「白の時代」の終わりが、西洋近代合理主義の一つの荒野の果てであるWW1の開戦と重なることは偶然ではないだろう。ユトリロの最高傑作であろう『ドゥイユ村の教会』は、核兵器の使用までつながる西洋近代合理主義の野蛮さえも告発しているかのようだ。
そしてやはり良い絵と言うのは、技術の裏付けが必ずあり、ユトリロの絵は独学ということもあって、マチエールが独特。自然の風化でしか出せないような、モンマルトルの下町のわびた、さびた漆喰の風合いを見事に描き出し、作り出してある。ゆえにあの詩情が生み出されているのだ。しかしその”わびさび”も、やはりしっかり洗練されてあるから美しい。同じくパリの下町を描いたよそ者の佐伯祐三や荻須高徳と比べればそれははっきりわかる。
ユトリロは日本人の肖像も描いてるはず。
ユトリロは名前を知らなかったときから寂しいノスタルジーを感じる雰囲気が好きで、お酒に溺れてたらしいくらいしか知らなかったんですが…、かなり悲しい人生だったんですね…。
贋作との違いは割とすぐ分かります。構図や線に特徴は感じないけど淡々としてる中に寂しい色の深さがあるというか。彼に共感するとか言いたくはないですけど、人のそういう部分に触れる作品なのかなあと感じました。
まさに実家に贋作があります‼︎ 白壁に緑色の窓枠の家がぼんやりと描かれた作品。ある日母親がユトリロの作品かもしれないと言い出し、暫く盗難を恐れてしまっていました 😆後に鑑定に出したところ贋作と判明。でも30万円の価値が有るといわれたそうで子供ながらにニセモノなのに⁉︎ と思ったのを思い出しました。後に西洋絵画好きの友人にユトリロの作品がぼんやりなのはアル中でぼんやり見えていたからと教わり、以来ユトリロのアル中を知っていましたが、まさか幼少期からだったとは知りませんでした😢
今回ほど五郎さんのお話が身近に感じたことありません。しかもワダさん宅のノートルダム大聖堂の絵、母が買ってきました🤣
白の時代のユトリロの絵は街を一人で散歩しているような感じがします。
一体どうして絵葉書を見て書いた絵に感動したのかはよく分かりませんが
出張中の土曜日にオランジュリーでユトリロの絵をずっと見ていたことを思い出しました。
ユトリロは学生時代から大好きな画家だったのでうれしいです。ユトリロの作品を見て、いつかモンマルトルに行ってみたいと思っていて…30年程前初めてパリ、モンマルトルに行った時は感動しました。今も部屋にユトリロが描いたラパン・アジルのコピーを飾っています。
待ってました👏
ユトリロ👍
ワダさん「父が買ってきた絵が家にあるような…」
五郎さん「父買ってきた!?」←この大喜び加減が最高でしたw
若しももう一度生まれ変わったら、優しいお母様にたっぷり愛されて幸せになるといいなって思います❤️
なんか哀愁漂う絵をかくユトリロ。その人生を知ったら、思ってたよりも、ずっと悲しい人生だった。
佐伯祐三の描く建物は歪んでいて依存症のユトリロが描いた建物は整然としているのが面白く感じました。次回は同じ依存症でも、建物ばかりでなく人物ばかり描いていたモディリアーニを取り上げてくれる事に大期待しております。
ユトリロ❣️嬉しいです❣️有難うございます❣️
ユトリロの生い立ちとか背景とか、はじめて知りました。
自分なりに考えたのですが、作品に主義主張があんまり無いので、絵にさほど詳しくない購買者や、作画で奮闘している同業の画家たちには気楽に鑑賞できて良かったのかなと思います。
2:17 ほんまにネタは絵葉書からだったのか、、、ユトリロ・・・切ない。
モディリアーニも気になるので、五郎さんお願いしますm(_ _)m
あんまり好きな画家じゃなかったけど…勉強になりました。
ユトリロに、心から満たされた日々はなかったのかなと思うと、切ない。
才能が不遇な環境によって開花するとか悲しすぎるけど、そんな形でも自己を昇華させたことに敬意を表したい。
何となくいいと思ってたものの答え合わせができた気がします。
予想を越える角度からのワダちゃんの回答にとにかく五郎さんが楽しそう☺️
楽しいというか、可愛いんでしょうね♥ それは観ている私達も同じ気持ちです😄
本題ですが、母親が酷いのは勿論だけど、祖母‼️
もし目の前にいたらフルボッコにしたいくらい酷い😤
ロートレックに引き続き、取り上げていただいて私的に有難い画家のユトリロ。
ありがとうございます!!
今回名前が出てきたましたが、未だ解説されておらず、かつ世界的にも非常に評価が高く、オークションでは常に超高額で落札されており、生き方自体が伝説的で映画化される程の大好きなモディリアーニを紹介して欲しい
ユトリロの人生、こんなに多難だとは知りませんでした。先日の動画といい、贋作に関する話はとても興味深いです。以前お話しされていた、ナショナルギャラリー(でしたっけ…)で開催された贋作展みたいなことを日本でもやって欲しいな…と密かに思っています。
ユトリロの人生を思うと、気持ちが落ち込んでしまいました。
作業しながら聞いていたのですが、もう作業所じゃありませんよ。
ユトリロの作品が特に好きなわけではありませんでしたが、改めてじっくり鑑賞してみよう思います。
いつも大変為になる動画、ありがとうございます。
ユトリロの白い漆喰の壁と街路の風景画が好きです。画面の漆喰の壁が、何処かざらざらとした物語があり、落ち着きます。
モローといい、毒母の存在がその圧力ゆえに子の才能を伸ばし、そしてその一方で人生を、幸せを潰して……悲しい
すごい。最高に面白かったです。ありがとうございます。
ユトリロありがとうございます😭❣️
ユトリロの色彩の時代の絵は、ちょっといいなって思いました。生い立ちを見てみると、ユトリロは自分はこの世に生まれなかった方が良かったのではないかと、
自分はこの世では余計な存在なのかと、だから母にも愛されないのかと、そう思っていたのではないかと言う気がします。だから絵もなんか華やかな場所からだい
ぶ引いている場所から、世界を見て描いたって感じがしました。それでかえってクセのない絵になったのかな。切ない生涯でしたね。勝手な推測ですが。
私がユトリロを観たのは、今から50年前、1970年代でした。白の時代 の作品です。記憶として、強制的に絵を描かせられたという印象を持っています。山田さんの解説を聞いて、なるほどなと思いました。
「父買ってきた!!?」五郎さんの笑いのツボの場所とその表現力が相変わらずのカリスマ
唯一無二です
何回も見返しちゃったw
いろんな有名画家の名前が出てきたので時代が交差していて面白かったです。
アル中仲間のモディリアーニも紹介してほしいです
生涯をきいて、粘り強い人で、強靭な生命力のある人だなとおもいました。こんな辛すぎる出来事の連続のなかで曲がりなりにも絵を描き続ける、それもたくさん描くって出来ないとおもうのです。絵に、肖像にただよう諦念。言われるまま、されるがままの無力さ、味気なさの味わいというか、主張を強く打ち出さない平板さが支持を集めたのかもしれないですね。
親は選べないと言いますが、凄惨な人生ですね…。シュザンヌからの画才と、この凄まじい半生をこそがユトリロを唯一無二の大画家たらしめたのでしょうが、本人はそんな物より(と美術チャンネルでコメントするのも何ですが)優しく自分を愛してくれる母親が居てくれたらと生涯思っていたのでは無いかと、Vの意味を知って、推測ながら感傷的な気分になってしまいました…。
母親も「母」を知らないから、女として生きている。 不幸?の連鎖かもしれないです。 己で人生そのものを方向性を得て生きていかないと「正しい」にはならない。 白から色彩の時代になったとか、人がいないから、人が描かれるようになったは、ユトリロが自分でそれなりに母親から、「妻」という女性の「美徳?」を得たからじゃないでしょうか? 目的はお金でも、名誉でも、自分にしかできないことを言ってみれば、見てて、応援してくれる自分だけの「女性」が必要なのかもしれないのが、女からしか生まれない㊚とうことかな?
ユトリロは、リハビリで絵を描くきっかけを得たけれど、描くこと自体どうかそれなりにでも楽しく描けてたらいいなと願わずにいられません。
ダリは奥さんに利用されたにしろ、ノムさんみたいに奥さんと一緒に人生を歩んだけど、ユトリロは実生活はずっと不幸でしたね、、
2:34 リュスティック通りのサクレ・クール
2004年の冬にモンマルトルへ行った時に
アングルや立ち位置を色々思案し、
一枚写真を撮ったのだが、
この作品と同じアングルだというのを知ったのは2018年になってからでした。
なんの因果がそうさせたのかは分かりませんが、
その旅の目的「美術館巡り」がそうさせたのかも知れません。
私はモダニズムの絵はほとんどわかりませんが、ユトリロが晩年に自作の絵を模写をする写真がありました。
なんとも痛ましい、一方で立身出世の面では恵まれた作家だったのでしょう。
太宰治の小説にも出てきますが、
ゴッホなどの強烈な個性の異端者とは違う、彼の理想とする?「人間失格者」のモデルだったのかもしれません。
いちばん共感した
ユトリロ愛すべし
ユトリロの名前すら知らなかったのですが、白の時代からは物悲しさ、空気の冷たさが伝わってきましたし、色彩の時代のピエロの絵からは生き生きとした生命感みたいなものを感じました。自分もピエロの絵がいいなと思いました。不思議な画家ですね。
ユトリロ自身が求めた幸福はなんだったんだろうと考えさせられましたが、まず酒が飲めればそれで良かったのかなあと勝手に思いました。それで当時としては長生きと思われる71歳まで生きたんだから、五郎さんのおっしゃる通り大往生ですね。
中学の時に教育研修で来た大学生の先生が記念に自分の描いた油絵をクラスにくれた。今思うと街角を描いたユトリロのような画風だった。もう40年以上前だけど、それだけユトリロは画家を目指す人に評価されてたんだなと思う。
7:28頃にでてくるロートレックが描いたシュザンヌ・ヴァラドンの絵のタイトルが「二日酔い」。ロートレックもお酒で体を悪くしましたし、ユトリロに至ってはお酒に飲まれてる感じが伝わってきます。だからといって「お酒は止めたほうがいいね」とも言い難い感じが・・・ありますね。
フランスに住んでいますが、ご年配の方がスカートで歩いていると、いつもユトリロの絵を思い出します。。。フランスでは以前、女性はスカートしか穿いてはいけないという条例があったそうです。
ユトリロは10代の頃好きな画家だった。寂しげな街の風景が、孤独感をよく現せているように感じたので。しかし、その後忘れてしまったかのように気にも留めなくなっていたが、改めて白の時代の絵を観て、普通の風景画には感じられない、静かな美を感じた。
オレ達のドガ!というキラーワード。写真見ただけでも目がスワっている子供。そして広告で流れたお酒のCM。周りの環境が悪いけれど楽しかったこの動画に高評価をポチっとしときます。
ユトリロ好きです。嬉しいです。
ありがとうございます!
たいへん興味深く拝見しました。
わたしたちが美術作品に価値を感じる要因のひとつは、作品の背景にある作者の人となりを作品から感じ取るからかも知れませんね。
そんなことを、山田五郎さんの解説を拝聴しながら考えました。
いつも楽しく拝見させていただいています。すごく勉強になります。
ユトリロの絵、画面の上の一膜に作者の様々な想いが詰まっているのかな?それが他の作家にはない手の動きになったのかなと思います。
機会があればメダルド・ロッソの回があれば嬉しいです。あの人の作品も一膜あるので。ロッソは意図的にしているので少し意味合いは違うと思いますが基本的な所は共通しているような気がします。
ロダンとの絡みもドラマチックで興味深いです。
また楽しみにしています。
ユトリロ、、、つらい、、、。描かされていたけどその絵は買い手に愛されていたのかも。
今回もありがとうございました。ユトリロの様にお土産もの画家や路上画家から抜け出した芸術家は他にも多いんですかね。
Watashimo shiritaina. Tomodachiga rojougaka dakedo yuumeini narukana?
山田さんの話は、わかりやすくて楽しいですね~!Instagramでとある画家と友達になって、絵に興味でてここにたどり着いた!その画家もハチャメチャですから笑って見れました!そいつも才能は、ありますよ🤣不思議ですね!
五郎さんが「涙なしには語れない」とおっしゃっていただけあり、聞く側も切ない気持ちになりました。ゴッホの回でも思いましたが、画家自身に葛藤や負の感情がなければ、見る者に訴える絵は描けないのでしょうか?そこら辺もお聞きしてみたいです。
進撃の巨人がしっくりきすぎて笑いましたw
ユトリロは絵画に興味を持つきっかけになった画家だったので今回めっちゃ嬉しかったです(^^♪
50年前に画集でユトリロ見て、凄くイイと感動したクチ。
ユトリロの絵は筆がたどたどしく、いつも生まれて初めて絵を描いたかのように描く
酒の飲み過ぎで記憶障害にでもなっていたんじゃないか?
でもこれは簡単そうに見えて誰にも真似出来ない能力だと思う
多くの人はパリの絵はがきを見て二三枚描けばすぐ上手くなったと思って飽きてやめてしまう
ユトリロはそれをほぼ一生涯やった
何か自閉症の人の芸術的活動と似ているような気もする
人を描けなくても別に問題ないんだ
絵だもの
描けないものには、描けない理由がある
これは一見技術の問題のような気もするけど、技術って言うのは創造的動機なくしては身に付かないもので、ユトリロは自分の絵に人を描く内的な必然的を持っていなかったんだと思う
描くべきものに描くべき理由があるように、描けないものにも描けない理由があるんだ
画家はいつも自分に何故それを描くのか、と聞いている
色々な形でこの質問に~だから描くと答える
理屈で答えてもだめで、本心でその物の形を欲してないといけない
ロートレックの回もう一度見直しました。
ユトリロ切ないです。。
哀愁のある絵なのよね。悲しみ。生い立ちかなあ。モディリアーニはユトリロと違い、女が好きだったと思う。ユトリロはもう一人ぽっちね。
静かに感じるなって思ったら、人がいないことに所以するんですね。
昭和20年代生まれの母が持っていた画集の2冊がユトリロでした。ユトリロが大流行画家だったと聞いて納得。
絵が好きだとインテリぶるわりに、美術展に行くわけでも詳しいわけでもない母だったのでww
ユトリロの絵ってなんだか哀愁漂う見たこと有るような無いような、そこはかと無い画風だと想ってたらそんな逆境の中の実情だったんですね。それを思うと贋作でも不憫に思えてジーンと来そうです。
自分の生まれ育った街を描いているから〜は同感です。
依頼の肖像画もモデルを良く知っていないと納得のいく肖像画にならないそうですね。
今日(令和6年2月4日) 町田市にある西山美術館に 西山館長のユトリロコレクションを見に行ってきたので あらためてこの動画を見てみました。こういう裏話を知ったうえで絵を見ると また違った見方ができて面白いです。
侘び寂びですね😭
悲しい絵だなぁ😭
私も心が苦しい時代には大好きでした☺️
今はそんなでも無い😊
ヨーロッパの街並みって絵として魅力的なんですよねぇ…不思議
最後のワダさんの笑い声に癒された
都会の風景なのに
孤独感が出ているのは
そんな ウラ事情がある
からなんですね。