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マッドマックスのグースの言葉、『俺様を殺すならバズーカ砲でも持って来やがれ!』を地で行くタフガイ♪あれだけチェーンスモーカーだったのに、肺ガンじゃなくて胃ガンで死ぬとか強すぎる(笑あのシュワンツを鍛えた人でもある。7ヶ国語も話せて、他のライダーがインタビュー受けてるのを通訳してくれたりもする。いつも笑顔のスーパーマンだったなぁ。
オートバイではなく自転車競技でのハナシですが、数ヵ国語を話せるのはアタリマエの様です。アラン・プロストさんもフェラーリに移籍してイタリア語でインタビューに答えているシーンもテレビで見ましたし、フランスではスペイン国境の地域では第2公用語でスペイン語を小学生から習わせる様です。スイスやオランダは第2公用語で英語を習得させる様です
映画ザ・ライダー見に行ったなぁ。 40年近く前、鈴鹿8耐見に行って、夜にホテル内の酒場の丸太小屋に行くとママさんと顔馴染みになるほど常連になってたバリーさんを見掛ける事が数年間続いたもんです。 サインおねだりすると気さくに応えてサインしてくれたなぁ。 ご冥福を祈ります。
忙しくてサインできない時でも、「後できてくれ、サインするから!」と言い、必ずサインを書いてくれる人だったらしいね。
バリー・シーンといえば、TBCビッグロードレースでのプライベーター参戦が凄かった印象(うろ覚えだが)あえてキャストとスポークを前後にはき、1位になってもペースを落とさず最後にクラッシュしたが、誰が勝ったかは覚えていないが、彼がとんでもない走りをした事は後々まで印象深く覚えている。SUZUKIに関しては、横内さん(昨年逝去)の事は尊敬していたようですが、チームとの折り合いは悪かったみたいですね。マシンの欠点を指摘しても応えてもらえず(後に欠点と判明)、「彼等が間違っていて僕が正しくて僕がごめんなさいと言わなきゃならないのかい?そんなのおかしいだろう」といった発言をしていましたね。ランディー・マモラ、ロン・ハスラム、サロン兄弟、色んな意味で色濃いライダーがいっぱいいたなあ。
TBCビッグロードはAKAIスポンサーのTZ500でしたね。新登場したTZ500にはYPVSが採用されたのですが、クリアランスの問題で焼き付きが多発。確かあの時もそんな感じだったかと。しかも原因と対策はわかっていたのに、バリーのチームには伝えなかったという話も。もう記憶が薄れていますが、あの時はコースで取材をしており、リタイヤしてヘルメットを脱いだバリーが「タバコ持ってないか?」と。かっこよかったなぁ^^。
ランディ・マモラの外足外しライディングが懐かしく思い出しましたよくゼッケン2番を付けてましたよねロン・ハスラムは上半身の筋肉が自慢でよくはだけていて毛だらけの胸の印象が強かったが実際スタートの押しがけが得意でロケット・ロンの異名があったと記憶しています
@@moomin_papa ハスラムおじさんは、NR乗ったりelf乗ったりカジバ乗ったりで、なんとなくネタ枠感のある方でしたね。開発ライダーとして優秀だった故らしいのですが。
@@牧田哲朗 レス遅くなりましたが(読んだ時に頭が真っ白になった)あの場に居たのですか!そしてそんな裏話があったとは地元だったのですが、バイクにさして興味ない連中まで話題にしていましたねー後年まさかあんなに早く天に召されるとは・・・かと思えば、日本にトライアル普及させたサミー・ミラーさんとか今でもお元気そうなんですよねwww.youtube.com/@sammymillermotorcyclemuseum昨年、17年ぶりに来日と聞いたポールアンカぐらい驚きですw
片山のモーターホームに夕飯時になるとバリーが現れて飯を食い散らかして行く事が多かったそう。チャンピオンなのに何してくれてんねん。と思いチームスタッフとバリーのモーターホームに突撃して当時の彼女が作った晩飯を食べたら、それは見事な英国料理だったそうな。片山とスタッフの顔を見てバリーが美味しいだろ。もっと食べろよ。と言った話が好き。それ以降バリーが夕飯時に来ても誰も文句を言わなくなったとか。
その話、初めて知りました
ブルタコの名前、数十年ぶりに聞けて嬉しかった。ジベルノゥの事は初めて知りました。バリーがヤマハの250マシンに不満を言っていたとの事ですが80年代中頃までのヤマハ市販レーサーTZ250、125はとても壊れやすく、部品寿命も短く、エンジンセッティングも神経質、特にピストンバルブの古い型は押しがけさえ火が入った瞬間スロットルを少し戻すというコツが要り、何となく納得しました。
まさにこの時代の顔のライダーでしたね。プレートいっぱい入っていて不死身のイメージがあります。
移動の際に金属探知機用にレントゲン写真持ち歩いてた人かな?
不死身のバリーですね。全然関係無いけど、アナウンサーがニール・マッケンジーの名前を言う度に、新沼謙治に聞こえた事を思い出しました。
ドナルド・ダックのトレードマーク、知ってはいましたが、理由を初めて知りました。ありがとうございます。
鈴菌なので普段以上に真剣に動画を観ていました。が・・・まさか、ケニーで二回もボケるとは思っておらず、不覚にも大笑いしてしまいました。これは、やられましたね。(笑)
’76年にF-1チャンピオンになったジェームス•ハントも、バリー•シーンと同様に自由奔放でプレイボーイなレーサーでした🏁 しかも同じイギリス人なので大親友だったそうですね😆🇬🇧
タバコを吸っているシーンがありましたね。教習所のTVでSUGOのTBCビックロードレースを見た。シケインの進入だったか立ち上がりだったか忘れたけど、転倒してしまいリタイヤとなってしまった。 タンカで運ばれる映像が映っていたけど、旗振りの人からタバコをもらって、タンカの上でタバコを吸っていたな。 日本人の某WGPチャンピオンも、ノービスの頃タバコを吸っていたな。 WGPライダーになった時にタバコを吸っていたかどうかは知らない。ただ知っている限り、その昔、レースライダーでタバコ吸いや酒飲みは案外多い。
『どうせ散るならサーキット。』のキャッチフレーズにシビレて、ザ・ライダー観に行きました。この時同時上映の『蘇るヒーロー片山敬純』でケニー、フレディと互角のバトルをしてる片山さんに惚れてポスター買って帰り道チャリでハングオン。派手に転んだなぁ…。
バリーさんはレースの楽しさと怖さを知っているから、より験担ぎをしていたし、ボイコットを呼びかけたりしたのでしょうね。
当然、主催者側はレースを面白くして観客を多く呼びたいしレーサーは安全にレースをしたいマン島がGPレースだったなんて嘘みたいですよね😅高橋国光さんも事故ってますよね😅
バリーシーン素晴らしいライダーでした。
当時はパドックやピットレーン、ポディウムでも煙草プカプカは当たり前でした。バリ―もヘビースモーカーで、映像で煙草吸っているシーンが良く出ていましたね、それがまたカッコ良かった思い出があります。その好きな煙草が、命を縮めちゃうというのがねぇ・・・。
今回の様にライダーの紹介動画作って欲しいっす!阿部典史とか加藤大治郎とか!
高身長の小排気量乗りと言えば、今は亡き、WGP125CCの若井選手を思い出します。
確か、息子さんにフレディと名付けたと記憶しています。
バリーシーンはヘルメットが可愛くて好きだったなぁ😊あれドナルドダックだったんでディズニーと揉めたんじゃ無かったかなぁ…確か😅レプリカヘルネット売ってたし😅映画があって当時乗っていたメーカーのバイクをわざわざ設定の年に乗ってたのメーカーのカラーに塗り替えて撮影してたねケニー・ロバーツのライバルはフレディ・スペンサーだとよく言われるが実際はバリーシーンだという人は多い😊
バリーシーンも印象深い名ライダーですが、イタリアのフランコ・ウンチーニを是非ともお願いいたしますm(_ _)m
ウンチーニは日本人には印象的だったよね名前の響きがかわいそうでしたよね😢可哀想といえば転倒した時後続ライダーに追突された衝撃映像があったと記憶していますアレは絶対死んだと思いました😅
@@moomin_papaその後続ライダーは4年後のチャンピオン・・・。
ケニーは、ケネス、フレディーは、フレデリック。アメリカ系は、読みやすい名前で登録するよね。
当時スタートは押し掛けスタートだったけど、バリーはうまかった!タンクの辺りを胸で押し当ててエンジン始動するのは勉強になった!若くして召されてしまってたんですね。
故・バリー・シーンさんのお陰で2スト全盛期のSUZUKIがレースで強いイメージが着きました\(^o^)/
F750で2ヒート目に乗るマシンがなかった、Jチェコットに、チームの許可もとらずにスペアマシンを貸した。そんな記事を見たような、記憶があやしいですが。あとヤマハの250はTD3です
90年代にオーストラリアでバイクレースを観ていたら解説者として彼が出ていました。彼の英語はバリバリのロンドン訛りでちょっと聞き取りにくかったけどお笑い芸人みたいなトークで面白かったのを覚えてます。スズキのバイクが全盛期の頃大活躍してましたね。スズキのチームの人達は彼との仕事はさぞ楽しかったでしょうね。 6:14 でチラッと写っているのはスージークアトロですかね?懐かしい〜!
オーストラリアの訛りってロンドンの下町訛りが大元だそうですイギリス人からすればコレがenglishなんでお前らが訛ってるんだって思ってるかも🤣
スージーといえば解散フラグがちらついてきた頃のBOΦWYとコラボしてましたね、「C'mon 氷室!!」が懐かしい。
最初に好きになったGPライダーがバリーシーンでした!ドナルドメットにラッキーセブンは、シーンの象徴でしたもんね。ケニーが出て来た時でもねバリーを応援してました。今でこそネットの普及で、最新ニュースが見れるけど、当時は偶にテレビでやるかバイク雑誌での結果しか無かったですからね。
そうでしたね雑誌でもオートバイとかのメジャーではなくてマイナーな雑誌でしたよね
フランコウンチーニの動画もお願いします🙇♀️⤵️
スズキに乗り続けていたら81か82にもう一回チャンプ獲れてたかもなんて思っちゃったりする
80年シーズン後の雨の菅生での激走もお忘れなく。
バイクレース放送で 片山敬済が「へ~イ バリーちゃ~ん」と揶揄いながら近づいて行ったときにバリーシーンが「ちょっとまってくださ~い」と日本語で答えていたことに大笑いした事がある。
バリー・シーン氏にしろV・ロッシ氏にしろ「華のある人」ってこう言う方々の事を言うんだなあとつくづく思う。日本人ライダーでも加藤大治郎氏や阿部典史氏が居られたが、今はいない。ヒーロー達に合掌!
最高です!(^-^)/
サイレンサー着いてない2ストレーサー、格好良かったし音も最高でしたね。 常ちゃんキャツアイ踏んでフロントタイヤパンク、初めて空を飛んで鎖骨骨折、いまだ鉄板でつないでるよ。
このチャンネルに出会えて良かった!・・バリーシーンがGP500でチャンピオン獲った頃は産まれるちょい前ですが、一番好きなライダーなのです。大学生頃にRX-7RR3のバリーメット被ってたなぁ、バイクはGPZ900Rでしたが(笑)
大好きなライダーです!
フットルースと言って欲しかった〜♪この時代は、月曜日の早朝TVでGPの中継を観るのが楽しみででした。
そういうスター選手いたんだと言う感じでした。私の子供の頃の大スターといえば、フレディスペンサーが断トツでした。ケニーロバーツもそうですね。面白い動画でした!😻👏👍
なんつうか、まあ。「命も惜しまぬ情熱」では、あと二人しか知らん。命を削って贖う、をやっていたのは、サーの他には、オーストラリアの英雄と、車椅子の知将だ。まあ、「死なない」レベルで戦うのが、普通だとは思うが。
世界選手権50㏄クラスと500㏄クラス、両方勝ったことがある唯一のライダー。
映画みたよー粋なライダーって感じで好きだったなー
ストロボカラー🤭
ドナルドとナンバー7はバリーのもの。😅
タバコもバリバリ吸つてます。ある意味、すごいです。
青春ど真ん中!
称号付きレーサー
52歳か早過ぎ。
癌に自然治療法が有効とは思えないのだけど…何でそれを選択する有名人多いん?
うんちやないで ウンチーニや
ウンチもよろしく!
一コメ
2本立て映画、当時観ました🎞️バリーはレントゲン写真持ち歩いていたんでしょうか😅
マッドマックスのグースの言葉、
『俺様を殺すならバズーカ砲でも持って来やがれ!』を地で行くタフガイ♪
あれだけチェーンスモーカーだったのに、肺ガンじゃなくて胃ガンで死ぬとか強すぎる(笑
あのシュワンツを鍛えた人でもある。
7ヶ国語も話せて、他のライダーがインタビュー受けてるのを通訳してくれたりもする。
いつも笑顔のスーパーマンだったなぁ。
オートバイではなく自転車競技でのハナシですが、数ヵ国語を話せるのはアタリマエの様です。
アラン・プロストさんもフェラーリに移籍してイタリア語でインタビューに答えているシーンもテレビで見ましたし、フランスではスペイン国境の地域では第2公用語でスペイン語を小学生から習わせる様です。
スイスやオランダは第2公用語で英語を習得させる様です
映画ザ・ライダー見に行ったなぁ。 40年近く前、鈴鹿8耐見に行って、夜にホテル内の酒場の丸太小屋に行くとママさんと顔馴染みになるほど常連になってたバリーさんを見掛ける事が数年間続いたもんです。 サインおねだりすると気さくに応えてサインしてくれたなぁ。 ご冥福を祈ります。
忙しくてサインできない時でも、
「後できてくれ、サインするから!」と言い、必ずサインを書いてくれる人だったらしいね。
バリー・シーンといえば、TBCビッグロードレースでのプライベーター参戦が凄かった印象(うろ覚えだが)
あえてキャストとスポークを前後にはき、1位になってもペースを落とさず最後にクラッシュしたが、誰が勝ったかは覚えていないが、彼がとんでもない走りをした事は後々まで印象深く覚えている。
SUZUKIに関しては、横内さん(昨年逝去)の事は尊敬していたようですが、チームとの折り合いは悪かったみたいですね。
マシンの欠点を指摘しても応えてもらえず(後に欠点と判明)、「彼等が間違っていて僕が正しくて僕がごめんなさいと言わなきゃならないのかい?そんなのおかしいだろう」といった発言をしていましたね。
ランディー・マモラ、ロン・ハスラム、サロン兄弟、色んな意味で色濃いライダーがいっぱいいたなあ。
TBCビッグロードはAKAIスポンサーのTZ500でしたね。新登場したTZ500にはYPVSが採用されたのですが、クリアランスの問題で焼き付きが多発。確かあの時もそんな感じだったかと。しかも原因と対策はわかっていたのに、バリーのチームには伝えなかったという話も。もう記憶が薄れていますが、あの時はコースで取材をしており、リタイヤしてヘルメットを脱いだバリーが「タバコ持ってないか?」と。かっこよかったなぁ^^。
ランディ・マモラの外足外しライディングが懐かしく思い出しましたよくゼッケン2番を付けてましたよねロン・ハスラムは上半身の筋肉が自慢でよくはだけていて毛だらけの胸の印象が強かったが実際スタートの押しがけが得意でロケット・ロンの異名があったと記憶しています
@@moomin_papa ハスラムおじさんは、NR乗ったりelf乗ったりカジバ乗ったりで、なんとなくネタ枠感のある方でしたね。
開発ライダーとして優秀だった故らしいのですが。
@@牧田哲朗 レス遅くなりましたが(読んだ時に頭が真っ白になった)
あの場に居たのですか!
そしてそんな裏話があったとは
地元だったのですが、バイクにさして興味ない連中まで話題にしていましたねー
後年まさかあんなに早く天に召されるとは・・・
かと思えば、日本にトライアル普及させたサミー・ミラーさんとか今でもお元気そうなんですよね
www.youtube.com/@sammymillermotorcyclemuseum
昨年、17年ぶりに来日と聞いたポールアンカぐらい驚きですw
片山のモーターホームに夕飯時になるとバリーが現れて飯を食い散らかして行く事が多かったそう。
チャンピオンなのに何してくれてんねん。と思いチームスタッフとバリーのモーターホームに突撃して当時の彼女が作った晩飯を食べたら、それは見事な英国料理だったそうな。片山とスタッフの顔を見てバリーが美味しいだろ。もっと食べろよ。と言った話が好き。
それ以降バリーが夕飯時に来ても誰も文句を言わなくなったとか。
その話、初めて知りました
ブルタコの名前、数十年ぶりに聞けて嬉しかった。ジベルノゥの事は初めて知りました。バリーがヤマハの250マシンに不満を言っていたとの事ですが80年代中頃までのヤマハ市販レーサーTZ250、125はとても壊れやすく、部品寿命も短く、エンジンセッティングも神経質、特にピストンバルブの古い型は押しがけさえ火が入った瞬間スロットルを少し戻すというコツが要り、何となく納得しました。
まさにこの時代の顔のライダーでしたね。
プレートいっぱい入っていて不死身のイメージがあります。
移動の際に金属探知機用にレントゲン写真持ち歩いてた人かな?
不死身のバリーですね。
全然関係無いけど、アナウンサーがニール・マッケンジーの名前を言う度に、新沼謙治に聞こえた事を思い出しました。
ドナルド・ダックのトレードマーク、知ってはいましたが、理由を初めて知りました。ありがとうございます。
鈴菌なので普段以上に真剣に動画を観ていました。
が・・・まさか、ケニーで二回もボケるとは思っておらず、不覚にも大笑いしてしまいました。
これは、やられましたね。(笑)
’76年にF-1チャンピオンになったジェームス•ハントも、バリー•シーンと同様に自由奔放でプレイボーイなレーサーでした🏁 しかも同じイギリス人なので大親友だったそうですね😆🇬🇧
タバコを吸っているシーンがありましたね。
教習所のTVでSUGOのTBCビックロードレースを見た。シケインの進入だったか立ち上がりだったか忘れたけど、転倒してしまいリタイヤとなってしまった。 タンカで運ばれる映像が映っていたけど、旗振りの人からタバコをもらって、タンカの上でタバコを吸っていたな。 日本人の某WGPチャンピオンも、ノービスの頃タバコを吸っていたな。 WGPライダーになった時にタバコを吸っていたかどうかは知らない。ただ知っている限り、その昔、レースライダーでタバコ吸いや酒飲みは案外多い。
『どうせ散るならサーキット。』のキャッチフレーズにシビレて、ザ・ライダー観に行きました。この時同時上映の『蘇るヒーロー片山敬純』でケニー、フレディと互角のバトルをしてる片山さんに惚れてポスター買って帰り道チャリでハングオン。派手に転んだなぁ…。
バリーさんはレースの楽しさと怖さを知っているから、より験担ぎをしていたし、ボイコットを呼びかけたりしたのでしょうね。
当然、主催者側はレースを面白くして観客を多く呼びたいし
レーサーは安全にレースをしたい
マン島がGPレースだったなんて嘘みたいですよね😅
高橋国光さんも事故ってますよね😅
バリーシーン
素晴らしいライダーでした。
当時はパドックやピットレーン、ポディウムでも煙草プカプカは当たり前でした。
バリ―もヘビースモーカーで、映像で煙草吸っているシーンが良く出ていましたね、それがまたカッコ良かった思い出があります。
その好きな煙草が、命を縮めちゃうというのがねぇ・・・。
今回の様にライダーの紹介動画作って欲しいっす!阿部典史とか加藤大治郎とか!
高身長の小排気量乗りと言えば、今は亡き、WGP125CCの若井選手を思い出します。
確か、息子さんにフレディと名付けたと記憶しています。
バリーシーンはヘルメットが可愛くて好きだったなぁ😊
あれドナルドダックだったんで
ディズニーと揉めたんじゃ無かったかなぁ…確か😅レプリカヘルネット売ってたし😅
映画があって当時乗っていたメーカーのバイクをわざわざ設定の年に乗ってたのメーカーのカラーに塗り替えて撮影してたね
ケニー・ロバーツのライバルはフレディ・スペンサーだとよく言われるが実際はバリーシーンだという人は多い😊
バリーシーンも印象深い名ライダーですが、イタリアのフランコ・ウンチーニを是非ともお願いいたしますm(_ _)m
ウンチーニは日本人には印象的だったよね名前の響きがかわいそうでしたよね😢
可哀想といえば転倒した時後続ライダーに追突された衝撃映像があったと記憶しています
アレは絶対死んだと思いました😅
@@moomin_papa
その後続ライダーは4年後のチャンピオン・・・。
ケニーは、ケネス、フレディーは、フレデリック。アメリカ系は、読みやすい名前で登録するよね。
当時スタートは押し掛けスタートだったけど、バリーはうまかった!タンクの辺りを胸で押し当ててエンジン始動するのは勉強になった!若くして召されてしまってたんですね。
故・バリー・シーンさんのお陰で2スト全盛期のSUZUKIがレースで強いイメージが着きました\(^o^)/
F750で2ヒート目に乗るマシンがなかった、Jチェコットに、チームの許可もとらずにスペアマシンを貸した。そんな記事を見たような、記憶があやしいですが。
あとヤマハの250はTD3です
90年代にオーストラリアでバイクレースを観ていたら解説者として彼が出ていました。彼の英語はバリバリのロンドン訛りでちょっと聞き取りにくかったけどお笑い芸人みたいなトークで面白かったのを覚えてます。スズキのバイクが全盛期の頃大活躍してましたね。スズキのチームの人達は彼との仕事はさぞ楽しかったでしょうね。 6:14 でチラッと写っているのはスージークアトロですかね?懐かしい〜!
オーストラリアの訛りってロンドンの下町訛りが大元だそうです
イギリス人からすればコレがenglishなんでお前らが訛ってるんだって思ってるかも🤣
スージーといえば解散フラグがちらついてきた頃のBOΦWYとコラボしてましたね、「C'mon 氷室!!」が懐かしい。
最初に好きになったGPライダーがバリーシーンでした!
ドナルドメットにラッキーセブンは、シーンの象徴でしたもんね。
ケニーが出て来た時でもねバリーを応援してました。
今でこそネットの普及で、最新ニュースが見れるけど、当時は偶にテレビでやるかバイク雑誌での結果しか無かったですからね。
そうでしたね雑誌でもオートバイとかのメジャーではなくてマイナーな雑誌でしたよね
フランコウンチーニの動画もお願いします🙇♀️⤵️
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80年シーズン後の雨の菅生での激走もお忘れなく。
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バリー・シーン氏にしろV・ロッシ氏にしろ「華のある人」ってこう言う方々の事を言うんだなあとつくづく思う。
日本人ライダーでも加藤大治郎氏や阿部典史氏が居られたが、今はいない。ヒーロー達に合掌!
最高です!(^-^)/
サイレンサー着いてない2ストレーサー、格好良かったし音も最高でしたね。 常ちゃんキャツアイ踏んでフロントタイヤパンク、初めて空を飛んで鎖骨骨折、いまだ鉄板でつないでるよ。
このチャンネルに出会えて良かった!・・バリーシーンがGP500でチャンピオン獲った頃は産まれるちょい前ですが、一番好きなライダーなのです。大学生頃にRX-7RR3のバリーメット被ってたなぁ、バイクはGPZ900Rでしたが(笑)
大好きなライダーです!
フットルースと言って欲しかった〜♪
この時代は、月曜日の早朝TVでGPの中継を観るのが楽しみででした。
そういうスター選手いたんだと言う感じでした。私の子供の頃の大スターといえば、フレディスペンサーが断トツでした。ケニーロバーツもそうですね。面白い動画でした!😻👏👍
なんつうか、まあ。
「命も惜しまぬ情熱」では、あと二人しか知らん。
命を削って贖う、をやっていたのは、サーの他には、オーストラリアの英雄と、
車椅子の知将だ。
まあ、「死なない」レベルで戦うのが、普通だとは思うが。
世界選手権50㏄クラスと500㏄クラス、両方勝ったことがある唯一のライダー。
映画みたよー
粋なライダーって感じで好きだったなー
ストロボカラー🤭
ドナルドとナンバー7はバリーのもの。😅
タバコもバリバリ吸つてます。ある意味、すごいです。
青春ど真ん中!
称号付きレーサー
52歳か早過ぎ。
癌に自然治療法が有効とは思えないのだけど…何でそれを選択する有名人多いん?
うんちやないで ウンチーニや
ウンチもよろしく!
一コメ
2本立て映画、当時観ました🎞️バリーはレントゲン写真持ち歩いていたんでしょうか😅