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からころむ 裾にとりつき……小学校社会科の教科書に載っていたこの一首が私と短歌との出会いでした。表し方は時代とともに変わっても、根底に人のかなしみ、こころ切なさが迫って来る。短歌の力と不思議を感じます。今後も勉強のため楽しみに視聴したいと思っています。
コメントをありがとうございます。小学校の社会科の教科書に掲載されていた一首が、短歌との出会いだったんですね。和歌や短歌は時代が変わっても、そこに流れている人間の心に共感できる点が素晴らしいと思います。これからもいろんな動画をアップしますので、ご覧くださいね。
ありがとうございます。大変勉強になりました。
コメントありがとうございます。大変励みになります。少しでもご参考になれば幸いです。今後もいろいろと作っていきますので、よろしくお願いします。
柿本人麻呂とか宮廷歌人の歌よりも、苦労や苦難、悲哀のにじむ山上憶良の歌風が好きです。
コメントをありがとうございます。山上憶良は唐への留学経験などから仏教思想へ傾倒していたといわれ、死・病・貧しさ・老いなどをクリーズアップした和歌が見られます。こうした山上憶良の歌風やテーマは、いまの時代でも胸をうつものがありますね。
とても良い企画だと、思います。私も短歌をしていますから、ぜひ、令和においても、庶民の歌とその時代背景とを、万葉集として編纂されますように、期待しています。
コメントありがとうございます。令和の『万葉集』ですね。一大プロジェクトとして歌壇が動くと面白いと思います。撰者の責任が重そうですが。現代の『万葉集』はどこまで本家に迫れるか、楽しそうです。家族愛や庶民の思いは昔も今も変わらぬもの。普遍のものであるから今でも感動するのでしょうね。
素晴らしい動画! ありがとうございます🙇 飛鳥奈良朝の庶民の防人の和歌ですね。 万葉仮名の時代に、文字言葉でなく話し言葉の時代に高度な和歌を創作する文化が存在していたことに感動を覚えます🥰
東国の庶民は民度が高いですね✌️ 平仮名は発明されておりませんから、漢字の訓読み音読みで和歌を創作しておりますね🥰
防人は自分の歌をどのように保存していたのでしょうか。
「防人の歌」も一字一音の万葉仮名で書かれています。農民たちの中には教養が高く、地方貴族のような人たちも混じっていたのではないかと考えられています。「防人の歌」は、大伴家持が防人を筑紫に送り出すため難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集し書きとどめたと言われています。家持に進上されるまでの段階で、官人たちの手が加わり、さらに家持の取捨により、洗練された歌ばかりが掲載されているとも考えられますが、現代の私たちが思っている以上に教養があり、文字を書ける人もいたのではないでしょうか。素朴な歌が多いのですが、これだけの歌を作っていることに驚かされます。
専門のチャンネルでも、二句切れの歌も三句切れ調に朗読するのですね。それが正しいのですか?
コメントをありがとうございます。朗読はゆっくり読むことを心がけていたので、区切れは気にせずに読んでいました(・・;)今後の参考にさせていただきますね。まだまだ勉強中なので、これからも和歌や短歌を頑張って学んでいきます。よければまたぜひご覧ください。
@@tankaichigoichie ご返信頂きまことにありがとうございます。私は必ずしも日本文化のファンではなく、むしろピンと来ない事の方が多く、しかも理系(笑)ですので、基本的な知識も無いのですが、これまでの人生で感動した和歌は2つしかありません。しかしそれらは、遠い昔の人のものとも思えず、現代に共に生きる者のように、魂の繋がった思いが致しました。そしてその何れもが二句切れなのです。大むかし学校で、五七の単位を好きなだけ繰り返して最後に七を付けるのが長歌で、そこから短歌が派生したのが和歌であると教わりました。三句切れは後世に発生して優勢になったのだと。しかしみんな読み方は、短歌といえばお決まりの、三句切れ用のフシを付けた読み方をするので、オカシイではないかと密かに思っておりました。教師も全く教えてくれませんでしたが、全く自分流の考えで、(…ということは、タタタタター タタタタタタタタタタタター タタタタタタタ…タタタタター タタタタタタタタタタタタタタタ、と本来は、昔は、読んだのではないか、そう読むとよく読める、そう読んだ筈だ、そう読むべきだ)と勝手に思うようになり、上述の2つの歌も、自分の中では必ずそのような自分流のリズムで読むようにいつしかなっていたのです。あの正月のカルタ取りの読み方が本来の普遍的な正しい読み方だとはどうしても思えない。皇室の歌会始めの動画なども拝見しましたが、あれはまた独特の読み方をしていましたが、あれはあれで、心で味わうには必ずしも適した読み方とは思えないのです。でもあれが最も正統な和歌の朗読の仕方なのでしょうか?
からころむ 裾にとりつき……
小学校社会科の教科書に載っていたこの一首が私と短歌との出会いでした。
表し方は時代とともに変わっても、根底に人のかなしみ、こころ切なさが迫って来る。
短歌の力と不思議を感じます。
今後も勉強のため楽しみに視聴したいと思っています。
コメントをありがとうございます。
小学校の社会科の教科書に掲載されていた一首が、短歌との出会いだったんですね。
和歌や短歌は時代が変わっても、そこに流れている人間の心に共感できる点が素晴らしいと思います。
これからもいろんな動画をアップしますので、ご覧くださいね。
ありがとうございます。大変勉強になりました。
コメントありがとうございます。
大変励みになります。
少しでもご参考になれば幸いです。
今後もいろいろと作っていきますので、よろしくお願いします。
柿本人麻呂とか宮廷歌人の歌よりも、
苦労や苦難、悲哀のにじむ山上憶良の歌風が好きです。
コメントをありがとうございます。
山上憶良は唐への留学経験などから仏教思想へ傾倒していたといわれ、死・病・貧しさ・老いなどをクリーズアップした和歌が見られます。
こうした山上憶良の歌風やテーマは、いまの時代でも胸をうつものがありますね。
とても良い企画だと、思います。私も短歌をしていますから、ぜひ、令和においても、庶民の歌とその時代背景とを、万葉集として編纂されますように、期待しています。
コメントありがとうございます。
令和の『万葉集』ですね。一大プロジェクトとして歌壇が動くと面白いと思います。
撰者の責任が重そうですが。現代の『万葉集』はどこまで本家に迫れるか、楽しそうです。
家族愛や庶民の思いは昔も今も変わらぬもの。普遍のものであるから今でも感動するのでしょうね。
素晴らしい動画! ありがとうございます🙇 飛鳥奈良朝の庶民の防人の和歌ですね。 万葉仮名の時代に、文字言葉でなく話し言葉の時代に高度な和歌を創作する文化が存在していたことに感動を覚えます🥰
東国の庶民は民度が高いですね✌️ 平仮名は発明されておりませんから、漢字の訓読み音読みで和歌を創作しておりますね🥰
防人は自分の歌をどのように保存していたのでしょうか。
「防人の歌」も一字一音の万葉仮名で書かれています。
農民たちの中には教養が高く、地方貴族のような人たちも混じっていたのではないかと考えられています。
「防人の歌」は、大伴家持が防人を筑紫に送り出すため難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集し書きとどめたと言われています。家持に進上されるまでの段階で、官人たちの手が加わり、さらに家持の取捨により、洗練された歌ばかりが掲載されているとも考えられますが、現代の私たちが思っている以上に教養があり、文字を書ける人もいたのではないでしょうか。素朴な歌が多いのですが、これだけの歌を作っていることに驚かされます。
専門のチャンネルでも、二句切れの歌も三句切れ調に朗読するのですね。それが正しいのですか?
コメントをありがとうございます。
朗読はゆっくり読むことを心がけていたので、区切れは気にせずに読んでいました(・・;)
今後の参考にさせていただきますね。
まだまだ勉強中なので、これからも和歌や短歌を頑張って学んでいきます。
よければまたぜひご覧ください。
@@tankaichigoichie ご返信頂きまことにありがとうございます。私は必ずしも日本文化のファンではなく、むしろピンと来ない事の方が多く、しかも理系(笑)ですので、基本的な知識も無いのですが、これまでの人生で感動した和歌は2つしかありません。しかしそれらは、遠い昔の人のものとも思えず、現代に共に生きる者のように、魂の繋がった思いが致しました。そしてその何れもが二句切れなのです。大むかし学校で、五七の単位を好きなだけ繰り返して最後に七を付けるのが長歌で、そこから短歌が派生したのが和歌であると教わりました。三句切れは後世に発生して優勢になったのだと。しかしみんな読み方は、短歌といえばお決まりの、三句切れ用のフシを付けた読み方をするので、オカシイではないかと密かに思っておりました。教師も全く教えてくれませんでしたが、全く自分流の考えで、(…ということは、
タタタタター タタタタタタタ
タタタタター タタタタタタタ
…
タタタタター タタタタタタタ
タタタタタタタタ、
と本来は、昔は、読んだのではないか、そう読むとよく読める、そう読んだ筈だ、そう読むべきだ)
と勝手に思うようになり、上述の2つの歌も、自分の中では必ずそのような自分流のリズムで読むようにいつしかなっていたのです。
あの正月のカルタ取りの読み方が本来の普遍的な正しい読み方だとはどうしても思えない。皇室の歌会始めの動画なども拝見しましたが、あれはまた独特の読み方をしていましたが、あれはあれで、心で味わうには必ずしも適した読み方とは思えないのです。でもあれが最も正統な和歌の朗読の仕方なのでしょうか?