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辻に対して怒りが湧いてくる
私の母のいとこが軍医としてこの作戦に参加しました。母には戦争じゃなきゃ絶対あんなところには行かない、よく行ったもんだ、と話したそうです。後日談ですが捕虜に対するオーストラリア軍の扱いは非常に厳しく将校は問答無用で全員有罪となりました(処刑を含む)。いとこは英語が話せたため通訳として残り日本に帰ってこれたそうです。
もう3:00辺りで兵隊さん達の苦労が頭に突き刺さって辛くなってきた
本当にニューギニア戦役は地獄過ぎる南海支隊の惨劇ですら、序章に過ぎないんだから鬱になる
つくづく辻の野郎が・・・っていう感想になるな。
気持ちはわかるけど、辻1人の責任にするのもおかしいよね。そもそも参謀1人の発言したことで作戦が実行されるとかドイツ軍とかアメリカ軍ではありえない事で日本軍の組織系統がいかにお粗末であったかと言えると思う。ドイツ軍ならば現地軍は電報で確認しただろうし、アメリカ軍なら現地軍の指揮官が吠えて反対しただろう。ロバート・シャーロッド「あらゆるみじめさや失望の中で、日本人は不平を言わないのだ。ジャップは『いったいどうして増援をよこさないんだ』とか『また大失態だ。この凍てつく塹壕の中で食料も毛布もない』とは言わない」「自分の頭で考えられることを示す証拠すら見せない。上官に対して決して声を荒げたりしない。なぜならそれは確立された権威に逆らうことになるからだ」シャーロッドは「ジャップ」という差別的な言葉を用いて、日本人を「だまされやすく、ひたむきな小さな兵士」と表現している。
これで反省して「兵站を無視した無謀な作戦はやめよう」ってなるならまだ死んだ将兵たちも救われただろうけど、むしろさらに悪化するんだもんなあ。
南海支隊は主に高知県出身者を中心に編成されていました。
ポートモレスビーは、遠すぎましたね。飢餓とマラリアで苦しんでいる仲間に、最期にしてあげられるのは、一秒でも早く楽にしてあげる事ですね。
本当に補給がね。顛末を知ると怒りが湧きますね。
>顛末を知ると怒りが湧きますね。だからこそ、補給や兵站の重要性は理解しなければならない。その為にも、大井篤氏の書いた「海上護衛戦」などといった補給と兵站の重要性を説いた本を読むべきだ。
中継地点もろくに作らず航空補給も無しにこんな地形を克復するのは不可能だ……
堀井支隊長の最後は本当の事なのか疑わしいな。実際、当番兵も自分が生き残るために必死であったはずで支隊長の最後などよくわかってないと思う。ただ、支隊長の名誉のためにそれらしい話を説明したのではないか?もしくは当番兵から状況がわからないがほぼ確実に亡くなったと判断した現地上層部がそれらしい話をでっちあげたのではないかという気がする。溺れ死ぬ時に天皇陛下万歳とか叫ぶとは常識的に考えてあまり考えられないし、仮に叫んだとしてもそれは当番兵には聞こえなかったと思う。後、兵士だいたい死ぬ時に叫ぶ声は「おかあさん」です。
5:23、「食糧が届けられた」とあるが、少なかったのは当たり前。それを運ぶのは人間だから、彼等だって食べなくてはならない。だから進撃を続ければ続ける程、前線に届けられる食糧が減っていくのだ。
Googleマップの航空写真ででこの辺りを見てみたけど、現代においてもココダまでは自動車で行けそうだけど、そこから先は道はあれども自動車の通行は出来そうもない。おそらく登山道のようなものと思われます。川に橋は架かっていないし、明らかに山道っぽいところも見受けられる。
食糧や医薬品が無くボロボロ状態の南海支隊が登ってきたオーエンスタンレー山脈を連合軍に追撃されなが下るのは相当大変、更にブナに連合軍が上陸して前後から攻撃され南海支隊は窮地に立たされる最初から最後まで悪戦苦闘が続く悲劇の部隊。
地獄より地獄やん...
ロクな補給路も構築できない山岳進撃で補給が尽きて失敗という多大な犠牲を払って戦訓を残しているのに2年後にインパール作戦という更に酷い愚行を犯す帝国陸軍海軍に比べて合理的という説を散見しますが、とてもそうとは思えないですね、当然帝国海軍も兵站戦略においては陸軍と同じレベルの酷さですけど
当時の無線機は50キロ近くてそれを背負ってた兵士が骨折して運べなくなったんだっけ
そこで仕方無く無線機を麓のココダに置いてきました。
田中部長、服部課長、辻さんは、どれ程の餓死を出している。海軍の補給も最大の責任。
食料は現地調達という考え方が、如何に補給を軽視した考え方であるかを如実に物語っている。
陸軍が用意した地図が古すぎたのはこの作戦の時やったかな。
海軍。
@ そっちでしたか。ありがとうございます。
後先考えない無謀な作戦計画、準備不足、補給軽視、行き当たりばったりの対応。戦争に負けるべくして負けたな、日本は。
長い中国大陸の戦いで地形や気候、環境に対する配慮が麻痺してたのか?とても近代戦を戦える頭脳は無かったとしか思えないな。そのままこんな思考でインパール作戦もやったんでしょうね。司令部の机上の空論を地の果てで実行させられた日本将兵の方々が可哀そう過ぎる。
ポートモレスビー攻略もインパール作戦も、日本軍は根拠地や避難港といった拠点を構築せずに作戦を実行した結果、悲惨な撤退戦に追い込まれている。
日本軍のやってることが完全に何も考えてない攻撃なのかと言うとそれは違うんですよ。そもそも日本陸軍の方針として現地裁量で積極的な攻勢をするような教本を作ってるんですよ。それはなぜかと言うと日本軍が兵站や装備で脆弱なのを何よりも上層部が一番わかってるんです。だから積極的な現地判断の攻勢をかけることで敵に対して優勢に立つと言う思想が根本的にあるんです。この日本軍の教本の方針は硫黄島辺りで防衛方式に変わるまで基本的に変わらず突撃を繰り返す形で犠牲を増やしていくわけです。ただそれも日本と言う国が消耗戦になれば負けると言う。それを理解してるが故の攻撃的な判断だったんですよね。まぁどちらにしても負けるわけですがね。
このBGMのタイトルが知りたい
「ワスレナグサ」という名前のBGMです。
m.th-cam.com/video/NHfopv9no38/w-d-xo.htmlどうぞ!
@@ウィスキーホテル 見つかりました。教えて頂き、ありがとうございます。
うp主さん誤解しないで下さい。最後まで拝見しております。また高砂族義勇隊をリクエストします。
辻に対して怒りが湧いてくる
私の母のいとこが軍医としてこの作戦に参加しました。母には戦争じゃなきゃ絶対あんなところには行かない、よく行ったもんだ、と話したそうです。後日談ですが捕虜に対するオーストラリア軍の扱いは非常に厳しく将校は問答無用で全員有罪となりました(処刑を含む)。いとこは英語が話せたため通訳として残り日本に帰ってこれたそうです。
もう3:00辺りで兵隊さん達の苦労が頭に突き刺さって辛くなってきた
本当にニューギニア戦役は地獄過ぎる
南海支隊の惨劇ですら、序章に過ぎないんだから鬱になる
つくづく辻の野郎が・・・っていう感想になるな。
気持ちはわかるけど、辻1人の責任にするのもおかしいよね。
そもそも参謀1人の発言したことで作戦が実行されるとかドイツ軍とかアメリカ軍ではありえない事で
日本軍の組織系統がいかにお粗末であったかと言えると思う。
ドイツ軍ならば現地軍は電報で確認しただろうし、アメリカ軍なら現地軍の指揮官が吠えて反対しただろう。
ロバート・シャーロッド
「あらゆるみじめさや失望の中で、日本人は不平を言わないのだ。ジャップは『いったいどうして増援をよこさないんだ』とか『また大失態だ。この凍てつく塹壕の中で食料も毛布もない』とは言わない」
「自分の頭で考えられることを示す証拠すら見せない。上官に対して決して声を荒げたりしない。なぜならそれは確立された権威に逆らうことになるからだ」
シャーロッドは「ジャップ」という差別的な言葉を用いて、日本人を「だまされやすく、ひたむきな小さな兵士」と表現している。
これで反省して「兵站を無視した無謀な作戦はやめよう」ってなるならまだ死んだ将兵たちも救われただろうけど、むしろさらに悪化するんだもんなあ。
南海支隊は主に高知県出身者を中心に編成されていました。
ポートモレスビーは、遠すぎましたね。飢餓とマラリアで苦しんでいる仲間に、最期にしてあげられるのは、一秒でも早く楽にしてあげる事ですね。
本当に補給がね。顛末を知ると怒りが湧きますね。
>顛末を知ると怒りが湧きますね。
だからこそ、補給や兵站の重要性は理解しなければならない。
その為にも、大井篤氏の書いた「海上護衛戦」などといった補給と兵站の重要性を説いた本を読むべきだ。
中継地点もろくに作らず航空補給も無しにこんな地形を克復するのは不可能だ……
堀井支隊長の最後は本当の事なのか疑わしいな。
実際、当番兵も自分が生き残るために必死であったはずで支隊長の最後などよくわかってないと思う。
ただ、支隊長の名誉のためにそれらしい話を説明したのではないか?
もしくは当番兵から状況がわからないがほぼ確実に亡くなったと判断した現地上層部が
それらしい話をでっちあげたのではないかという気がする。
溺れ死ぬ時に天皇陛下万歳とか叫ぶとは常識的に考えてあまり考えられないし、仮に叫んだとしてもそれは当番兵には聞こえなかったと思う。
後、兵士だいたい死ぬ時に叫ぶ声は「おかあさん」です。
5:23、「食糧が届けられた」とあるが、少なかったのは当たり前。
それを運ぶのは人間だから、彼等だって食べなくてはならない。
だから進撃を続ければ続ける程、前線に届けられる食糧が減っていくのだ。
Googleマップの航空写真ででこの辺りを見てみたけど、現代においてもココダまでは自動車で行けそうだけど、そこから先は道はあれども自動車の通行は出来そうもない。おそらく登山道のようなものと思われます。川に橋は架かっていないし、明らかに山道っぽいところも見受けられる。
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ロクな補給路も構築できない山岳進撃で補給が尽きて失敗という多大な犠牲を払って戦訓を
残しているのに2年後にインパール作戦という更に酷い愚行を犯す帝国陸軍
海軍に比べて合理的という説を散見しますが、とてもそうとは思えないですね、当然帝国
海軍も兵站戦略においては陸軍と同じレベルの酷さですけど
当時の無線機は50キロ近くてそれを背負ってた兵士が骨折して運べなくなったんだっけ
そこで仕方無く無線機を麓のココダに置いてきました。
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食料は現地調達という考え方が、如何に補給を軽視した考え方であるかを如実に物語っている。
陸軍が用意した地図が古すぎたのはこの作戦の時やったかな。
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戦争に負けるべくして負けたな、日本は。
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日本軍のやってることが完全に何も考えてない攻撃なのかと言うとそれは違うんですよ。
そもそも日本陸軍の方針として現地裁量で積極的な攻勢をするような教本を作ってるんですよ。
それはなぜかと言うと日本軍が兵站や装備で脆弱なのを何よりも上層部が一番わかってるんです。
だから積極的な現地判断の攻勢をかけることで敵に対して優勢に立つと言う思想が根本的にあるんです。
この日本軍の教本の方針は硫黄島辺りで防衛方式に変わるまで基本的に変わらず
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