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ロンメル元帥は置かれた状況、持たされたもの、与えられた兵を最大限活用して責務を全うしようとでき得る限りの事をした軍人だと思う。
でも連合軍には優勢な制海権と制空権があって海上輸送ができるって考えればロンメルの判断も間違いでは無いと思う、時間が経てば経つほど敵の部隊は強化される訳だし
この兵站でこの成果を出している時点で名将。前提で無理をさせすぎている。
・制海権を確保出来てないのに渡海させられた・輸送どころか本国も物資、人員が足りないもう派遣された時点で詰んでるうっかり活躍したから再評価とかされてるけどまぁ負け戦だよね
樹樹ひーらわ 逆にこの状況でよく戦果を上げましたよね、普通は出来ない。さすが天才ロンメル。
早川みかん 素直に守ったら圧倒的な物量を誇る連合軍相手にジリ貧の防衛戦をするしかないので戦況は史実より悪化していたでしょう
@@hayakawamikan 関羽の事かな?
王道から外れる行為は、相手の虚を突く。しかし継続・繰り返しは出来ない。なぜなら、王道では無いから。最後は供給量が消費量を下回ってストックが無くなった方が負ける。少ない供給量でかつ消費を抑えて、戦う(相手に消費させる)部隊を率いる事ができるのが名将であるなら、ロンメルも名将だと思う。
クレフェルトの「補給戦」の中で、一番衝撃的とも云えるのが北アフリカ戦についての記述で、それまで流布されていた、ロンメルよりの要請(彼自身、何度もヒトラーへ「上奏」しているにもかかわらず、補給物資が必要量届かない問題について、ヒトラーによるむしろ優遇と潤沢な補給、兵站部隊の配当という事実を突きつけて、むしろロンメルについて無茶な作戦を強行してドイツを疲弊させた張本人という主張なのですが、港湾と各都市間をつなぐ鉄道が無く、トラック輸送が適している、というよりも動物による輸送が適していない地域での軍隊の機械化比率は高くなります。日本でも太平洋戦争中に機械化師団は過半が南方に配備されていたことから判るように、ある意味、日本の参謀本部での対応と本質的な部分で変わりません。そもそもクレフェルト『補給戦』はロンメル神話の虚飾を剥ぐことが目的とか出版当時でも揶揄されていましたし(彼はユダヤ人で、中東戦争を通じて、対イスラエル戦に燃えるアラブ国家での機甲部隊の中で、ロンメルは軍神のような存在でした)、私も国際軍事史学会で2,3回しか会ったことは無いですが、まあ中々の雄弁家です。(コメント、というよりも私信の感想のようなモノです。割と以前よりのお気に入り登録済みのファンですので、これからも頑張って下さい。応援しています!)
ロンメル批判の半分ぐらいが、これが元になっているように感じます。人は誰でも、その出自や立場からは逃れられないもので、本に書いてあることは、あくまで著者の視点から見たものである、ということを忘れてはならないと思います。
軍事面が派手で興味が持たれがちな、ロンメルや関羽に疑問を投げかけて、このような動画を作るうぷ主や、動画を視聴して兵站に興味を持つ人ができただけでも評価に値するかなと思います。どこまで評価するかは、解釈次第になりますがロンメルや関羽のようにイケメンはやはり人気が出やすいですね。外見はやはり重要になりがちですねw石田三成のような兵站がしっかりできるであろう人が評価されにくいのは、今後の課題でしょう。実際の軍事的評価が分かりやすい前線だけでなく、参謀本部が目立たない、評価されにくいのは、日本や課題でしょうか。
その視聴者の1人が私ですw補給戦も疑問をもちながら読もうと思います。
独ソ戦の方が最優先事項だからなドイツにとり
海軍と陸軍でどの程度足並みをそろえて作戦が取れるかでしょうね。地中海の制海権を取っていたらベンガジは安定して陸揚げ補給基地として使える。でも、そうじゃないなら1000キロを超える陸上輸送は分断が容易なただの鴨にしかならないってところでしょうか。あと地中海の地図を描くならチュニスも入れておいた方が良いかもですね
アフリカ植民地で自由フランス側が優勢だったのはカメルーンと仏領赤道アフリカで北アフリカはヴィシー政権(親ドイツ政権、軍事的には中立)が勢力を維持していましたので1942年6月(ワシントン英米首脳会談、ヴィシー政権領北アフリカへの攻撃決定)或いは米軍上陸の11月までまではチュニスは考慮する必要がなかったと思いますロンメルは43年1月にエルアライメンからチュニジアまで撤退し3月に本国召還されるまで戦闘指揮を続けましたが(現地軍は5月に降伏)この動画の主題のロンメルや枢軸の立場で兵站や補給線を考えるならエル・アライメンまでとそれ以降では状況や意味合いがまったく異なるでしょう
そう考えるとアルスフの戦いで敵から制海権を取った状態で戦いに望んだリチャード一世って流石だ
ロンメル自身は補給要請してるんだよねぇイタリアが地中海でも不甲斐ないばかりに
みつや 東部戦線が最優先なんだよな
そもそも、参謀本部はアフリカ戦線なんておまけ程度の小康状態にする予定だったんだよなぁ(白目)
イタリアに補給する能力があるかどうか見さだめるのも、指揮官の仕事だぞ。
少なくともイタリアは国力の割には頑張ってたんだよな防衛してたほうがまだマシだろ正直ロンメルのせいで無駄に物資使ったんだから
ロンメルが負けた原因は疫病だったはず、排泄物の処理や食料の管理が悪くてハエやらにかなり悩まされたと思ったが
この人、良くも悪くも生粋の戦闘屋なんだなぁ。この辺が対フランス電撃戦での同じ立役者だったグデーリアンとの差だったのかもしれない。
呼んだか?
いつも楽しみにしております。続編が早く見たいです。
わかりやすい動画ありがとうこざいます。そうですね、大きな功績をらあげた人には毀誉褒貶される側面があります。しかしながら、ロンメル氏は戦略の凡才、戦術の天才だと思いました。
前線の都市を抑えればそこを新しい揚陸拠点として前進を続けられると見たんじゃないですかねまあ海上補給ルートを確立できればの話ですが
もともとそのつもりだったようです。ただ肝心要のイタリア海軍が艦隊保全主義で引きこもっていたので、東の海域へ行くほど危険な状態。結局ベンガジやトブルクの港はろくに使えずしまいで、輸送物資のほとんどはトリポリに陸揚げされてました。ドイツ空軍、イタリア空軍はかなり頑張っていたみたいですけどね。
ちょび髭総統閣下「夏は暑いから攻勢にでなくていいよ」ロンメル「よっしゃ進行開始!」
名将と言われる将軍数々居る中で何をやらせても上手な将軍はエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥くらいでほとんどの将軍は其々苦手な分野が有るのですよ後、図面にクレタとマルタ両島も入れておこう地中海の制空海権争いでは重要な根拠地だから。
マンシュタインも有能だったのか?彼を考察した本で読んだが、西部戦線の活躍は優秀だったが、東部戦線、特にクリミア戦役において十万人もの兵士を犠牲にしてしまって優秀と言えるのか?確かに上層部が彼に優秀な兵士を多く与えなかったこともこの犠牲に繋がるだろうが、ゼファストポリ第一総攻撃の時は彼の性格が頑固なゆえに苦戦しつつある部隊を撤退させず壊滅寸前に追いやっていることも考えねばならない。
@@茶聖殿、残念ながら戦争に犠牲はつきものです、ペレコプ地峡とセバストポリ要塞とケルチ半島の戦闘について説明が必要ですか?
特にマルタ島の英軍航空基地の存在は、北アフリカ戦役を語る上ですこぶる重要だよね。こいつのせいで、せっかく港湾を奪取したのに、輸送船団が途中で沈められて貴重な補給がまともに届かないという、ドイツ・アフリカ軍団にとっては目の上のたんこぶ。
要塞攻略自体犠牲は出る上に黒海の制海権が完全にソ連側で沿岸からの砲撃支援は無く、尚且つ陸からのルートがペレコープか鉄道橋しかなくて実質ペレコープ一ヶ所だけで攻略自体が不可能とまで言われる鉄壁要塞を攻略してんのに有能かどうか疑う根拠にはならんでしょ寧ろセヴァストポリ攻略命じたのあんたでしょうに・・・しかもその後マンシュタインに要塞攻略のノウハウを活かすようにって言ってレニングラードに派遣したのもあんたやんけ
皆、すまん…俺はとんでもない過ちを犯してしまった。コメントした後ゼファストポリ戦ではないが、旅順攻囲戦を調べていて自分の意見が大間違いだったことが分かった。本当にマンシュタイン元帥と乃木大将に土下座して謝りたい。要塞戦をなめてましたと。
もしかしたら、ロンメルは後世で戦略を考えてないと批判されること込みで攻勢に出たのかもしれないですね。守りの戦いはどうしても士気が下がりやすい。目に見える戦果を齎すことで、物質的な側面以外の部分で戦いやすくしたかったのでは。
戦場などの戦況は流れると表現されるほど変わります。戦術・戦略・政略の目標が時間の経過で修正するのは避けられないですね前線では人命が関わるので本当にアドリブが求められると思いますロンメルも決して悪意を持っていなかったのではと思ってます。
ロンメルは稀代の名将って信じて疑わなかったのに……。まぁ仕事しとってもいますよね。有能なんやけど勝手に動いて雑務とか事務処理増やす人って……
この話は完璧か完璧では無かったの話で名将ではなかったという視点ではないと思ってみていますどの名将も失策はありますし話すと長いので次の動画楽しみにしてるよ
第二次世界大戦中の地中海はイギリスの海ほぼイギリス海軍がにぎっていたので最初からイタリア半島から輸送や補給は大変だった
ロンメルはスターリングラードに回せばよかったのにと30年以上思い続けている。
そうすれば命令無視で助かっていた?
@@nissy7009 ロンメル軍団を犠牲にスターリングラード落とせていたかも。
@@佐々木公彦-e5pそもそもスターリングラード攻略に手こずったのは前哨戦のカラーチ攻略で第6軍の動きが遅くソ連主力を包囲できずにスターリングラード市内に逃がしてしまったのが要因の一つ。完全に空想ですが、ロンメルが第6軍を率いていれば損害を顧みず突貫していたでしょうし、そうなればホトの第4装甲軍が手薄なスターリングラードを南から一気呵成に落とせていたかもしれませんね。
初期のドイツ・アフリカ軍団は実質二個師団基幹だしOKWも防御に徹してくれて維持できれば御の字程度にしか考えなかっただろうし、兵站もそれ前提だったんだろうね。
マルタ島という英側による補給路・兵站破壊・偵察の要石は不可避の話題だと思う。英海軍は貴重な空母やタンカーを危険にさらしたり犠牲にしてまでマルタの維持を図ったのはなぜか?というのを軽視すべきではないし、イタリアのマルタ無力化失敗(ドイツ空軍参戦後も含む)と不徹底を含めた考察は北アフリカ戦線の兵站については必要ではないかと思います
シチリアの目と鼻の先だというのに、とうとう最後まで潰せなかったんだよな。制空権さえ確保できれば、クレタみたいに空挺で占領するって手もあったんだろうけど。
面白い切り口だー!勉強させて頂きます、ありがとうございます!!
ドゥーチェの兵站判定システム面白い後編で凄い顔になりそうw
太平洋戦域のニューギニア戦線が相似形ですね。敵の海上優勢が確立された時点で、防御拠点の背後に上陸を食らい、海上補給を遮断され、量や質にかかわらず送り込んだだけの兵力が干乾しにされます。そうなる前に日本軍がポートモレスビーを目指したように、ロンメルはアレクサンドリアを目指して「勝ち」にいったといえるでしょう。
途中のマルタ島に連合軍の基地があったせいで輸送船がだいぶ沈められてたらしいし、マルタ島を落とせていればキレナイカ地方で一進一退しなくて済んだんだろうな…
太平洋戦争を補給の視点から考察してみた動画が見てみたいです!
S T ボロクソに言われるに違いない
日本は兵站を重視してたが輸送手段が壊滅的
旧陸軍はちゃんと考えてたけど、旧海軍はダメダメだった。やっぱ、海軍はダメだなw
@@I1I1I-yuyuko-konpaku 海軍も補給は普通に考えてたぞ。陸軍とはかなり性質が違うからそう見えなかったのかもしれないが。そうじゃなくて戦略が馬鹿げてるんだ。ハワイ攻撃したんだから、そのまま占領してミッドウェーへの補給を切れば一瞬で優勢な上陸作戦に移れる。その後は駆逐艦の航続距離では太平洋に干渉できず、軽巡洋艦を駆逐艦の代用品として使うのも生産的な問題でほぼ無理、アメリカは海軍戦略上ほぼ詰みになるはずだった。ハワイ占領すればな。そしてそれは陸軍も同じだ。史実じゃ実行までには至らなかったが、陸軍内では皇道派だけでなく維新派の中でも北進論がささやかれていた。ソ連相手に何をすれば勝てると思ったのか、まったくわからない。しかもその内容が、『北京占領したら中国降伏してくれるだろうからその後ソ連行こう!』だ。単刀直入に言えば無理。実際降伏しなかったし。それを差し引いても、総合的な戦争遂行能力ではアメリカに並ぶバケモノ国家に喧嘩を売ろうとしていたってだけで無謀さは伝わるだろ。・・・まあどちらにしろ日本は負ける運命だったのかも知れないな。
長文失礼
ロンメルが兵站の理解が低いようには思えない。じゃないと、電撃戦などまず出来ないだろう。命令違反の常習者であっても、軍人の本分は自軍を勝利に導く事……。孫子も『将、軍にありては君命をも受けざるところあり』と仰られていますし……。ロンメルは前進基地でチマチマやるより彼我の戦力、補給能力、予備戦力の投入可否等を考えて、速攻で拠点を落とす方が良いと考えたのではないでしょうか?「兵は拙速を貴ぶ」とも申しますし……。
インフラなどが固定費ならば、日数でかかる食費や燃料が流動費用でしょうか。可能な限り短期間で実績出すことも前線の指揮官は考えないといけないのでしょうね。ロンメルやドイツのように国力や経済的に差があるとなおさらですね。
ロンメル将軍は、名将だと思いますよ。元から最低で絶望的な戦場に送られて最大限に活躍した将軍ですよ。1.ドイツにとって戦略的にも利点も利益もないエジプトにイタリアの支援という目的だけで始まった。2.ロンメル将軍は再三上層部に支援物資の要求と拠点の確保を海軍と陸軍に依頼したが却下された。3.味方(本国)に現場指揮官(ロンメル将軍)が兵站の作成を依頼しても計画してくれない4.2と3のため、ロンメル将軍は、従来の方法自体が破綻してるため命令無視、鹵獲作戦に作戦変更5.相手に攻め込む→鹵獲→敵の物資補給→効率的に攻める→また鹵獲→同じことを繰り返す→戦線拡大6.最終的に湾岸まで攻め切った→普通なら勝利確定で交渉に入るのに、味方政府が交渉に入らない7.いつまでもエジプト支配してもドイツに利益がないので撤退イギリスやアメリカでも「あの状況でよくやるわあの将軍 砂漠のキツネだ」と敵国の新聞や首相にまで褒められるんだから、良い将軍だと思いますよ兵站が絶望的でありながら自軍の被害を最小限にして進軍と撤退できてるので病気と飢え玉砕させた日本軍にくらべたら・・・ロンメル将軍は、陸軍将校なので、エジプトに物資送るなら海軍を通した船舶輸送の方が速いでもドイツは、陸軍国家で海軍と合同作戦による兵站は、ノウハウがないそもそもロンメル将軍(現場指揮官)に権限がなく政府や軍本部がやらないといけない仕事をやらなかった。ロンメル将軍は、兵隊や将校や国民や敵国に慕われ、首相にも気に入られていたが、同僚達には、ねたまれて最後は、毒を飲まされて亡くなった。
RON6990 なんだかロンメルの採った方針って、信玄が死んで以後の長篠までの武田氏の方針と似てますね。ロンメルは味方が戦う物資を得るため、武田氏は士気を高める為に必要な味方に分け与える土地を得るために戦いを仕掛け続けなければならなかった。
RON6990 今にして思えばドイツは陸戦が強いのだから、エジプトを攻めるのでは無くリビア領のイタリア軍と共闘してドイツはイベリア半島を占領して(そしてスペインの港湾にUボートを配備する)イタリア軍はリビアの西側を攻めてジブラルタル海峡の陸地部分を抑えた後にエジプトに侵攻すれば、イギリス軍の地中海での制海権を素人の考えではありますが、ある程度は牽制出来た様な気がします。実際ナポレオンもエジプトを侵攻しても兵站を維持できずに結果的に失敗していますし。
@@waldschwarz4620 さんへロンメルは、鹵獲作戦で捕虜や敵の遺体に対してちゃんと記録し埋葬して相手の本国に知らせるなど慕われるような行動をとりました。しかし、武田の場合は、国内紛争戦で略奪作戦または、焦土作戦を繰り返したので、占領した領民や農民から忠誠をもらえなかった。また身内からも裏切られ【妹の旦那】裏切った身内の領土を取り込みましたが、その相手がたの分家との争いで戦後もまた内戦が続きました。撤退もできず争いが止めれなかった武田が内戦や外戦で争いが止められず、領民が不安に陥った時、武田の民を救ったのは、敵方の上杉にもらった塩でした。「敵に塩を送る」エピソードは、有名です。その本質は、争いばかりで疲弊する武田領民に塩を送ることで、上杉が武田の領土を占領しても民心が得られるようにしたのです。歴史や価値観、戦争に対するルール作り、国の文化が違うので、ロンメルと武田は比べるのが難しいですが、武将または、将軍の振る舞い方、人物像が、戦後にも影響されます。勝っているからと、迂闊に横暴な振る舞いを勝利者がしてはいけないということです。
@@綿津見蓮海 さんへ面白い視点です。エジプトやリビアをドイツとイタリアの連合は、アフリカ資源確保と開発の玄関口にすれば歴史が変わったかもしれません。当時ヨーロッパの資源は開発と発見がされ続け、もう限度が見えていました。なので当時未発見が多いアフリカの未開の地で資源確保がドイツイタリアで重要でした。またドイツやヨーロッパでは当時から、自然保護活動が盛んでアウトバーンに森林を植えるなど資源開発における自然破壊を自国でできなかった。ならばアフリカ大陸で好きなように資源を堀出したかったのでしょう。資源開発での難関は、現地の環境保護と労働問題なのです当時イタリアの海軍力は、艦隊が強く、練度も高かった。ドイツの艦隊は練度が低かったのとUボートに頼りきりで、海に対する防衛が甘かった、ドイツとイタリアの連合艦隊でうまく海路を保ち、アフリカの資源開発によりアフリカ戦線は、自給自足で行えるようになりヨーロッパに本土に資源を送ることで、戦争継続ができたでしょう。実際一度戦争に負けたフランス軍は、アフリカの植民地に退避して力をためることで後ろからアメリカとイギリスを援護して再上陸して本土奪還に成功しています。喜望峰周りの海路でフランス亡命政権の兵站は、生きていました。敵の軍隊の兵站を破壊し自分のものにしなければ、フランスのように巻き返されるのです。大陸の多方面作戦による兵站作戦でロジスティクスなどの物流の流れと補給、ジャストインタイムなどの必要な時に必要な量だけという管理では、ドイツは、秀でてました。が、ドイツ政府によるの資源の維持は、弱かった。「上層部がヨーロッパにこもりすぎ」です世界規模の海洋力による兵站の維持と資源地植民地の運営管理保持は、フランスやイギリスの方が上手だった、資源は、イギリスとフランスが確保し、その資源を兵器の開発運用販売は、アメリカに任せることで、資源が豊富になり勝つことができた。ドイツ軍の有名なエピソードで、アフリカでの米軍とイギリス軍とフランス軍の補給基地をドイツ軍が鹵獲した際、その補給基地から、アイスクリームの製造装置やサイダーの製造装置、バーベキューセット、大型冷蔵庫から生乳や生野菜や生肉、多種多様な缶詰などが大量に出てきて、おまけに、大量の兵器弾薬と、シャワーやベット付きのホテルのような兵舎があって、ドイツ軍は、「敵国の輸送路の兵站はどんなけ豊富なんだ、戦争しに来たのではなくキャンプで遊びに来たのではないか」と驚愕し、ドイツ軍の士気が著しく下がりました。だって勝っているドイツ軍が、血まみれ泥だらけ負傷兵だらけ、腹ペコでフラフラになって少ない資源と物資で鹵獲し、やりくり貧乏しているのに負けている敵が、豊富な資源と物資で何度も戦場に戻ってくる。現場のドイツ兵士は、やってられませんよ、だからロンメル将軍は、なんども現場に足を運び兵士に声をかけ続け、やる気を維持するしかなかった。ヨーロッパに帰っている間に味方のドイツ兵士が戦うのをやめてしまうんですよ。だからロンメル将軍は、病気にかかっているのに「ヨーロッパに帰らない」と言い続け、味方の兵士や本国に「病気だろ本国で治療療養しなさい!戦場で病死したら困る!」とやっと、強制的にヨーロッパに戻った。そして帰っている間にアフリカ戦線は撤退した。ドイツの大陸での兵站は優秀ですが、資源確保ができず、一発逆転の兵器開発に凝りすぎたアメリカ連合軍は、互いに協力しあい、戦争を維持し続け、限度があるドイツの兵士の血を流し続けることができて、勝つことができた、
RON6990 ロンメルは名将だが、世間の評価ほどに完璧ではないということでしょうね。
何を持って名将とするかという定義が曖昧なのは置くとして、前方の指揮と後方の指揮を同時に一人の指揮官(司令官)では十分には行えないというところが最大の問題なんだな。
ロンメルとしては、トリポリ付近の持久戦も無理と判断してたのでは?制海、制空圏なしではいずれ詰むし…「そこ」の補給路確保があのヘタリアではね…計算違いはヘタリアがロンメルの想定を超える「ヘタリア」だったという、こんなもん誰にも予想できんやろw
個人的にはドゥーチェは元先生なので慧音、ロンメルは砂漠の狐のあだ名から藍がいいなぁ。
常人が来ないと思う時に奇襲するのは名将の特長では?ロンメルの命令無視はアフリカから始まった事ではないですし攻めなかったら戦力差も増えるでしょう。人選ミスかなあとも思う次第ですね
局地戦での奇襲による勝利は、うp主の動画シリーズでいうところの「戦術レベルでの勝利」ですし、これも主の言うところの我々は後の時代から勝ったという結果で見ているに過ぎず、戦争全体の「戦略レベル」で判断すれば、負ける可能性がある攻撃作戦を立てる指揮官は名将と呼ぶにふさわしくない、というのがクレフェルトやうp主の考えなのでしょうね。
人選ミスは確かに…こういうのは大体ちょび髭オジさんが口出したせいだったりする
続き楽しみにしてます
敵の補給物質の掠奪をしまくってたって話しが伝わってますね。
攻撃が優勢なのは戦術レベル戦略レベルでは防御が優勢
独ソ戦でなにやってた頃かも解説してほしい。そうすればドイツの厳しい状況がわかりやすいと思う
ロンメル将軍を取り上げてくれて嬉しい!学生の頃アーヴィングの狐の足跡を何の本か知らずに読んだら面白すぎて一気に読んでしまった!
地中海から補給すれば良さげに見えるけども、この時点でイタリアは制海権を取れておらず、また北アフリカの港湾能力の貧弱さ、マルタ島からの英国航空戦力が制空権を守りきったこともあって陸上輸送がメインになったと言うのもあります。ジブラルタルとスエズを確保している英国なので……
kyo katayama ドイツ軍がイベリア半島に侵攻してリビア領のイタリア軍もエジプトではなく、リビアの西側を侵攻してジブラルタル海峡の陸地を占領していたら、イギリスも自国から地中海の行き来が難しくなりそうな気がするけど、現実的に見るとどうなんだろう?
綿津見蓮海 フランコ総統のスペインが枢軸参戦しないと無理
たとえ攻勢に出ていなくとも制海権を確保している英国なら海上輸送が使えるので、攻勢側になった英国の補給にどこまでダメージを与えられたか、判断に迷うところですね。
補給と関係ないけどノルマンディーの防御陣地強化したのは頭良い。
要塞にしても、中継地点の仮の城にしても、それよりも時間がかかるが町を作るにしても、結局のところは同じ。無謀な戦いをしないための手だてなんだわな。
多くのドイツ軍の司令官が連合国はノルマンディーには上陸しないと言う見解の中で、ロンメルはノルマンディーに上陸する事を看破してたらしいです。
うぽつです!
戦争って物を突き詰めると、兵站の確保と後方の盤石化なんだよね。
ギリシャも自力で落とせないのに、リビアにまで手を出したドゥーチェの尻拭いなんて、スタートラインが後ろすぎんよ…
個人的にはスターリングラードの時にロンメル→モスクワとモーデルとパウルス→北アフリカ入れ替え出たらモスクワとか落とせてたかもね
連合国側からは名将と称えられたが、敗戦後の国内では当時の配下の将官からの無謀な作戦による犠牲対する批判が沸き起こった
アフリカ軍団長は完全に人選ミス。フリードリヒ・パウルスだったら、言われたことしかしないしそこそこ有能だったからうまく務めたかも。
ロンメルの兵站軽視の根拠は対仏戦の時の後方部隊を置き去りにしての進軍とかもあるからねぇまああの時は相手がフランス本土で物資の現地調達が容易だったのとか気候や地理的問題もあったから多少の無理もごり押せたけど北アフリカは広大な上に補給地点が少なく、尚且つ攻撃側が不利な地形が多かったのが問題かとあとは北アフリカの戦線に守戦の達人モントゴメリーが派遣されたのもロンメルの不運の1つロンメル自信は兵站軽視はしていなかったけど参謀本部と自身が思い描く戦略が違いすぎたのが北アフリカ軍の壊滅の原因じゃないですかねしかし北アフリカ戦線にロンメルを派遣した人事のミスが一番じゃないかな~どう考えても大人しく守備する人じゃないのは当時からわかっていたでしょうに、ケッセルリンクが空軍だけじゃなく陸軍も指揮するか或いはモーデルのような守戦の達人を派遣しとくべきだったと思う
地中海のマーレノストロ化がやっぱ目標でしょうねぇ
ドイツ軍は伝統的に軍隊の独立性が高くて現場の判断で命令違反する事が多かったのよねえ
カン・ユー「そうだそうだ、上官の言うことを聞け!『例外は許されている』とか論外だ!」
なお、損害ガン無視前進すれば死ぬかも知れないが、後退すれば必ず死ぬ事で有名な人が同期にいます。
ソ連?
名称は回顧録の評価もありますが、やはり冷戦期西ドイツ連邦軍でも評価されるほどの撤退戦を成功させたマンシュタイン将軍でしょうね♪(*´ω`)ノ
制海権も制空権も無し。海岸沿いの道路や鉄路は制海権も制空権を握る連合国のヤーボや海軍艦艇にとっては、「ウホッ!いい男…」状態。歩兵は自動車化や騎兵化されていなくて機動力無し、連合国は自動車化や騎兵化されている。エジプトの連合国は喜望峰ルートでも補給されてた。
ベンガジの段階で既に幽々子がキレかかってるじゃないですかwwこれでトブルク制圧して、さらにはエルアラメインまで行くわけだろ、どうなるんだよwww
つまりロンメルさんは補給線いっぱいまで戦線を拡大して初戦の勝利をもぎ取ったんだけど、その後が……ってことなんでしょうかね?でも、某帝国陸軍の○田口さんに比べたら、一応補給のことを考えているみたいなので、後半でロンメルさんのどこが間違っていたか乞うご期待!
牟○口将軍と比べて補給を考えているというのは乙武さんにボクシングで勝てるって言ってるようなものだからむしろ失礼。
初期の「シルテ防衛」の予定が「ベンガジ攻勢」に変わったのはアフリカ軍団総司令官が何を言ったかも調べる必要があると思いますドイツは援軍ですからイタリア将軍が総指揮を執っていた ドイツ司令部はシルテ防衛を打診したがイタリアはそれを拒否 本国と現場の板挟みになったロンメルはやむなく現場の意見に従ったという可能性もあるのではないでしょうか
ロンメルさんは前線での戦術運用は上げた実績を見れば否定できる点が非常に少ないけれど、部隊の管理能力と戦略眼が別(分けていい要素と言ってない)というのはよく言われているわな。確かにこりゃあかんですね。戦って勝つ(戦術)以外に戦えなくすれば勝てる(補給線破壊)という勝利条件をイギリス軍に与えてしまっている。敵の勝利条件増やしてしまい結果的にイギリス軍に利してる
敵将が愚将でないと名将は生れない。敵将が優秀だと快勝は難しい。戦術と戦略はちがうから両方備えている人物は滅多にいない。
逆もある気がします。相手が優秀すぎる場合、あそこまで敵を追い詰めた。と、過大評価された人物も存在はしているかも。
戦術では最高。しかし、戦略に疎い。 戦術と戦略を両立してる名将はなかなか少ない。
第2次世界大戦でのアメリカの陸軍は武勲を挙げる英雄タイプを憧れるパットン、マッカーサーや海軍ではハルゼー見たいな軍人より調整型のアイゼンハワー将軍やニミッツ提督が評価されて居る。
なんか東洋哲学の言葉に合わせてみるとヨーロッパが補給に関してというか"節度"というものがなかったって考えになるな。早すぎるが故に後ろを見ることが出来なくなったって感じかなぁ。
私も補給線を読んだんだけど、この本は兵站専門で戦理に関してはあまり考慮されてない。多分当時のシルテは前線であってここで止めれるならイタリア軍は負けてない。確かリビアの地勢上シルテを抜かれたらトリポリは危なくなるのであり、また枢軸側の地中海の制海権を考慮するとリビアを手放すわけにはいかない。さらにリビアは西のベンガジ東のトリポリって感じだからベンガジまでの進出は政戦略上最低限必要なことだったのではないか。トブルク要塞はキングダムの函谷関、銀英伝のイゼルローン的な存在でありリビアを守り切りたいならあったほうがいい場所だ。このロンメルの行動は軍の状態を考慮しても擁護は可能なように思う。当初彼とともに派遣されたのは1~2個師団であり大部分は負け癖のついたイタリア軍。この状態でシルテを抜かれるなというのは厳しくないか。一か八かの勝負に出るのも悪い選択肢ではないだろう。ただそのあとのエジプト侵攻については擁護の余地はないが・・・
ロンメルは戦術家なんだと思う。パットンと同じカテゴリー。グデーリアンやマンシュタインは作戦家で、アイゼンハワーのような戦略家はドイツ軍には不在だと思う。戦略は全て伍長閣下が取り仕切ってしまうから。
北アフリカ戦線は、「戦略の失敗は戦術で補えない」を地で行っていると言えます。北アフリカ戦線そのものがイタリア軍の尻拭いから始まり、最低限の拠点を防御出来ればそれで良い戦いでした。しかし、ロンメルの天才的な活躍で予定以上に占領地を拡げ、戦争が大規模化しました。エジプト方面まで進撃する大戦果を挙げましたが、兵站が続いていない以上、いずれは兵站切れで敗北するのは必然でした。
独断専行はプロイセン軍人の特権だから…(震え声)
カトリック教徒の南ドイツヴィルテンベルクだから何方と言えばバイエルンやオーストリアハプスブルク君主国側に近いだろ同じドイツでも北のプロイセン王国と違う
うぽつですロンメルもしかして…関羽と同じ失態を…?
おお、的確な例えだと思いました。確かに関羽は三国時代でも有能な軍人として方々から評価されてましたな。現場での戦術指揮が優れているのは関羽、ロンメル両者の美点で、補給可能地域と軍の活動限界の見極めに失敗したというのも関羽とロンメル両者の失敗ですな。
捕虜の扱いも似ているのね。
5分と5分で戦いに勝ちやすいというのは明らかにセールスポイントだけどね。その戦いがその状況まで持っていけるのか。もっと上の連中は、勝つ試合になるように仕掛けるから。
補給から見た戦争は、今までなかったから、是非やりとおしてくれ。というか、むしろ、この視点だけでいいと思う。本当に重要なことでな。過去では言わずもがな、現在でも未来でも、応用の効く話なんだわ。ナゼか、日本のテレビや知識層はここをメインで語っていなかったから。着眼点の評価だけで、優だよ。頑張ってくれ。日本の2000年の歴史でも戦争だらけだから、そっちも見たい。
あと、ロンメルは最期自害してるから、そういう悲劇的な1面も人気のひとつなんだろうなぁ…
このころってインドルートの補給の要のエジプト(スエズ運河)の重要性は低下してたのかな?そういえばナショジオでロンメルのフランス戦について進軍が早すぎて補給線が切れかかってていてフランスが進軍止めてたら壊滅してたかもとかいってたな。上層部がいう狂ってるのではなくて実は兵站を考慮に入れた作戦が苦手?、、、な訳ないデスヨネー
ロンメルは迂回機動をよく使ったのでしばしば優勢な状況にもかかわらず燃料切れで車両を遺棄せざるを得ない羽目にも陥ってるから欧州戦線のように数十万単位の軍がぶつかり集積された物資を効率よく消費させることが求められた地域ではなく第10航空軍団が東部戦線に転出後、マルタ島のUKの部隊によって制空制海権握られて物資がまともに届くかどうかわからない環境下では相性の悪い戦術を多用し、無理な作戦構想を実行しようとした指揮官だったと思うトブルク奪還に手間取り、奪還後すぐアレクサンドリア目指して進軍したのは兵站上の理由からイタリア軍のエジプト侵攻がシディ・バラニ(リビア・エジプト国境から約100km地点)で停滞したことを考えれば無理を続け、無謀な作戦課題を目指したことになるしかし、北アフリカ戦線は彼我ともに配備戦力は十数万で決戦に勝利し軍事的空白を作り出すことがUKのコンパス作戦の時のようにできなくもなくその時、UKが空白を縫ってトブルク・ベンガジを攻略したようにアレキサンドリア・カイロを攻略してスエズ運河を封鎖できればUKの補給線は喜望峰回りを取らざるを得なくなり大きな負担を与えることができるUK・ソ連相手に彼我の国力を考えればその無理や無謀をどこかでやらないと戦勝はおぼつかないから命令無視常習犯を僻地に派遣し、無理のさせどころ、させ時を誤った中央の戦略判断の過誤とその過誤の穴埋めせざるを得なかった前線指揮官の立場の非対称性からくる評価の違いと思う
9:53この距離を本当にトラックと鉄道で運んだの?海路の方が早くて大量に運べそうだけど…
【定跡外れ】考えられる見がちなパターンを研究しておき、そこを少しズラす。← 人狼のゲームメイクや推理小説の書き方も...ry
ロンメルは取ってはいけない所を取っててしまったのか
アフリカ戦線では地中海の制海権はさほど問題ではなく、長すぎる補給路に車両の消耗が耐えられないのが問題だったとのこと
やはり時が経つにつれ制海権が連合国側に有利となることを考えたら電撃的にカイロまでの制圧を優先するのではないだろうか?出来る出来ないかはわからないけど…
事前の計画や予定まるっと無視したら上層部いい顔しないよなあ
ロンメルさんの事詳しくは知らないけどこれはあくまで「補給」の一観点から見てるわけだから、現場の様々な状況を考えると攻めるのが悪手でもやらざるをえなかったのかも?
優秀でありながら、上から嫌われた点から栗林さんと似ているな。
大概充分な補給なんて結局あり得ない。アメリカ軍にしても補給が足りないと言っている。必要なのはその見極めなんだな。
さて、次回も浸透襲撃と地獄に付き合って頂こう。
戦術的には有能、戦略的にはちょっと…
さ、最初の頃はイタリアから補給物資届けてたから・・・一応アフリカ戦線でイタリア活動してたから・・・・(震え結局妨害され撃沈されるようになって護送船団をドイツに要求したりとヘタリアっぷりを発揮してましたが。
イタリア軍は弱いわけじゃないんだよ。全ては鋼鉄条約で43年まで戦争しないと決めてるのに先に戦争を始めたヒトラーと焦ったムッソリーニが悪い。イタリア軍が準備できてるわけないんだから
首領!コマーシャルが!とはいえ、ロンメル将軍は、もともとイタリア勢力下だった都市なら補給も大丈夫と思っていた可能性が、あとは海運が上手く行くって思ってたのですかねぇ。
戦国時代にもこういうのが多々あって勝った勢いで大軍で攻め込んでは大敗してるんですよね。退却して誘い込むことはできなかったのでしょうか。
次回!牟田口は名将だったか!?
迷将ですねw
次回! インパール死す デュエルスタンバイ
名前だけで無能ってわかりますね
牟田口のむは無能のむ♪
名破壊工作員
囲碁でいうと一つの隅で勝っているのに浮かれて、残りで大負けしたみたいな
一戦を交えた相手からはパットンやモンゴメリーも含めて大人気だったが特にヒトラーの側近には嫌われていたようです…悲劇的な最期は源義経とどこか被る気も致します!
ロンメルも優秀だけど、ジョヴァンニ・メッセも優秀だよね。
ロンメルって戦略面で評価されてるとこ見たことないって感じてたから、やっぱり…という感じ占領地の管理に人員と物資が必要になるから、占領したことで逆に捕虜抱え込んだのと一緒の現象が起こったのかな…?地中海はイギリス海軍まだいるし…
日本軍が兵站を軽視したのはどうしてなのか知りたいです。
柴犬神 15年も前にネットで見たやつなんで違うかもしれないんですが日本軍は作戦重視で本来であれば、兵站能力を把握した上で作戦を立てるのに、作戦を立てた後で兵站計画を立案してたらしいです。つまりPDCAのP(計画)とD(計画実行)は得意やけど、C(計画通りか確認)とD(無理そうなら計画変更)が苦手な組織だったらしいです。
日本は兵站を重視してたがその輸送手段が壊滅的
本当は「軽視」ではなく「したくてもできなかった」が正しいです。そもそも陸軍側では英米との交戦を想定しておらず(戦闘機開発においてソ連機がターゲットでしたし、日本から中国の補給分の船舶は確保済み)海軍側も普通に殴り合ったら勝てないトン数しか持っていないので寝てる奴らを殴って判定勝ち狙いですし。つまり補給に必要な船舶がそもそも存在しない。急いで標準船舶作ったけど全く足りていない(戦争時に充足させたのはアメリカだけ)。戦前に必要数満たせないのは不景気による軍事費削減とか国力不足とかそもそもドックが足りない鉄も足りない燃料足りない(今と同じで口の悪い人から給料泥棒とか言われてたのですよ)。そんな中でも弾薬運搬とかに使える豆戦車を購入したり(現地部隊に武装されて補給用から戦闘用に変わっていますが)機関銃部隊の弾薬定数が諸外国よりも多かったり(次の補給まで時間が掛かると予想されたから)トラックフル活用の機械化師団はソ連との戦闘で消滅済み(ノモンハン)船団護衛だって必要性が謳われたのは開戦後しばらく経ってからですし(故にUボートが大暴れ)。チハがしょっぱい戦車とか言われてますがあれでも高すぎて必要数揃わないとか思われてた訳ですし。でも政治的要求でって言われたらノーとは言いにくい(半年がいいとこ、1年で限界って言った海軍大臣は連合艦隊司令長官に左遷されました)だから政治家は軍事的知識を多少は持っておかねばならないわけでして。とはいえ英米との衝突回避は困難どころじゃないから無理ゲーだと思いますね。補給充足させて政治的戦略目標を達成させることが不可能だったから、が結論じゃないでしょうか?
世界で兵站が研究された17、18世紀に日本は鎖国して平和ってのもあったんですかね~開設初年の陸軍大学の参謀訓練で教官メッケルに兵站監役を命令された学生が兵站の意味が分からず「梅干し何個か用意すればいいんじゃね?」と解釈したってエピソードが坂の上の雲にありますね。...つまり、日本の伝統です。
ネコロジーnecorozi 坂の上の雲は所詮小説ですけどね。
彼はアメリカ参戦の前に、スエズ運河を占領すべきだった。
確か、フランス戦のロンメルは、周辺でモタモタしてる部隊から装備と補給品かっさら無いながら突進してるんですよね。まさか、無人の砂漠でそれでなんとかなると思ってたわけじゃないだろうけど…全く新しい時代の戦いですから、機甲部隊の進撃能力を過信していた可能性はありませんかね。一気に首を取るところまで行けると踏んでいたというのは…、出来ないという証明は有るようで無かったわけですし。思えば、ドイツ軍全体、いや枢軸軍全部が、この考えに縋って戦っていた様な気すらします。後から考えれば、そもそも手の届く首なんて無かった…という恐ろしい現実すら有りそうですが。
知らなかったからロンメル調べたわ。敵国であるイギリスのチャーチルをして名将って言われるぐらいだから凄かったのはまず間違いない。やはり浸透さんが今やってる兵站を軽るく見てたって言われてるし。多分ねロンメル平和な世界だったら有能な経営者だったかもね。わからんけど。
牛連れて、それを食料にしろと言った人は、兵站判定なんぼでしょうか?
ken ken 判定するまでもないw
論外w
一瞬距離で言うのならソ連進行のほうが補給やばくねと思ったけどやはりインフラが響いてるか………。
リビア東部をイギリスに押さえられてる時にイタリア軍がしてたのって、砂漠で真水使ってパスタ茹でながらドイツの援軍待ってワイン飲んでたんじゃないの?
ドゥーチェからはすぐアレキサンドリアを目指すようにせかされていましたがリビア国境から100㌔ほど進んだシディ・バラニを物資集積所とし、道路の整備など万全を期したうえでアレキサンドリア目指して進軍予定でドイツの参戦予定はありませんでしたしかし、UKに機先を制されコンパス作戦の一連の戦闘で20万以上いた駐リビアのイタリア軍の過半数が捕虜となり動画解説にあったようなベンガジまでUK軍の進出を許す状況になってしまいました
ドゥーチェ♪ドゥーチェ♪ドゥーチェ♪( *・ω・)ノ( *・ω・)ノ( *・ω・)ノそれにしてもアフリカ戦線って考えれば考えるほど何で始めたの?って思うんだけど…ねぇイタリアさん。
当時の配備戦力(リビアのイタリア軍21万強、エジプトUK軍は急増して9万)からドゥーチェはやれば勝てると思ってた、と思うエチオピアのソマリランド・スーダン・ケニアなどUK植民地に包囲されてた状態をエジプト占領によってリビア・エチオピアの海外植民地を地続きにし解消したかったと思われるついでにスエズ運河封鎖できればUKの補給路がスエズから喜望峰回りになってドイツは通商破壊し放題
スエズ運河をとりたかったんでしょうか
ロンメルの声がちょっと大きい&ひび割れてるかな諸事情で色々加工したとは思うけど、一応報告ね。
WW2ネタで諏訪子の見た目だと一瞬フランス役かと思ってしまう
ロンメル元帥は置かれた状況、持たされたもの、与えられた兵を最大限活用して責務を全うしようと
でき得る限りの事をした軍人だと思う。
でも連合軍には優勢な制海権と制空権があって海上輸送ができるって考えればロンメルの判断も間違いでは無いと思う、時間が経てば経つほど敵の部隊は強化される訳だし
この兵站でこの成果を出している時点で名将。前提で無理をさせすぎている。
・制海権を確保出来てないのに渡海させられた
・輸送どころか本国も物資、人員が足りない
もう派遣された時点で詰んでる
うっかり活躍したから再評価とかされてるけどまぁ負け戦だよね
樹樹ひーらわ 逆にこの状況でよく戦果を上げましたよね、普通は出来ない。さすが天才ロンメル。
早川みかん
素直に守ったら圧倒的な物量を誇る連合軍相手にジリ貧の防衛戦をするしかないので戦況は史実より悪化していたでしょう
@@hayakawamikan 関羽の事かな?
王道から外れる行為は、相手の虚を突く。
しかし継続・繰り返しは出来ない。なぜなら、王道では無いから。
最後は供給量が消費量を下回ってストックが無くなった方が負ける。
少ない供給量でかつ消費を抑えて、戦う(相手に消費させる)部隊を率いる事ができるのが名将であるなら、ロンメルも名将だと思う。
クレフェルトの「補給戦」の中で、一番衝撃的とも云えるのが北アフリカ戦についての記述で、それまで流布されていた、ロンメルよりの要請(彼自身、何度もヒトラーへ「上奏」しているにもかかわらず、補給物資が必要量届かない問題について、ヒトラーによるむしろ優遇と潤沢な補給、兵站部隊の配当という事実を突きつけて、むしろロンメルについて無茶な作戦を強行してドイツを疲弊させた張本人という主張なのですが、港湾と各都市間をつなぐ鉄道が無く、トラック輸送が適している、というよりも動物による輸送が適していない地域での軍隊の機械化比率は高くなります。日本でも太平洋戦争中に機械化師団は過半が南方に配備されていたことから判るように、ある意味、日本の参謀本部での対応と本質的な部分で変わりません。そもそもクレフェルト『補給戦』はロンメル神話の虚飾を剥ぐことが目的とか出版当時でも揶揄されていましたし(彼はユダヤ人で、中東戦争を通じて、対イスラエル戦に燃えるアラブ国家での機甲部隊の中で、ロンメルは軍神のような存在でした)、私も国際軍事史学会で2,3回しか会ったことは無いですが、まあ中々の雄弁家です。(コメント、というよりも私信の感想のようなモノです。割と以前よりのお気に入り登録済みのファンですので、これからも頑張って下さい。応援しています!)
ロンメル批判の半分ぐらいが、これが元になっているように感じます。
人は誰でも、その出自や立場からは逃れられないもので、
本に書いてあることは、あくまで著者の視点から見たものである、
ということを忘れてはならないと思います。
軍事面が派手で興味が持たれがちな、ロンメルや関羽に疑問を投げかけて、
このような動画を作るうぷ主や、動画を視聴して兵站に興味を持つ人ができただけでも評価に値するかなと思います。
どこまで評価するかは、解釈次第になりますが
ロンメルや関羽のようにイケメンはやはり人気が出やすいですね。
外見はやはり重要になりがちですねw
石田三成のような兵站がしっかりできるであろう人が評価されにくいのは、今後の課題でしょう。
実際の軍事的評価が分かりやすい前線だけでなく、
参謀本部が目立たない、評価されにくいのは、日本や課題でしょうか。
その視聴者の1人が私ですw
補給戦も疑問をもちながら読もうと思います。
独ソ戦の方が最優先事項だからなドイツにとり
海軍と陸軍でどの程度足並みをそろえて作戦が取れるかでしょうね。
地中海の制海権を取っていたらベンガジは安定して陸揚げ補給基地として使える。
でも、そうじゃないなら1000キロを超える陸上輸送は分断が容易な
ただの鴨にしかならないってところでしょうか。
あと地中海の地図を描くならチュニスも入れておいた方が良いかもですね
アフリカ植民地で自由フランス側が優勢だったのはカメルーンと仏領赤道アフリカで
北アフリカはヴィシー政権(親ドイツ政権、軍事的には中立)が勢力を維持していましたので
1942年6月(ワシントン英米首脳会談、ヴィシー政権領北アフリカへの攻撃決定)
或いは米軍上陸の11月までまでは
チュニスは考慮する必要がなかったと思います
ロンメルは43年1月にエルアライメンからチュニジアまで撤退し
3月に本国召還されるまで戦闘指揮を続けましたが(現地軍は5月に降伏)
この動画の主題のロンメルや枢軸の立場で兵站や補給線を考えるなら
エル・アライメンまでとそれ以降では状況や意味合いがまったく異なるでしょう
そう考えるとアルスフの戦いで敵から制海権を取った状態で戦いに望んだリチャード一世って流石だ
ロンメル自身は補給要請してるんだよねぇ
イタリアが地中海でも不甲斐ないばかりに
みつや
東部戦線が最優先なんだよな
そもそも、参謀本部はアフリカ戦線なんておまけ程度の小康状態にする予定だったんだよなぁ(白目)
イタリアに補給する能力があるかどうか見さだめるのも、指揮官の仕事だぞ。
少なくともイタリアは国力の割には頑張ってたんだよな
防衛してたほうがまだマシだろ
正直ロンメルのせいで無駄に物資使ったんだから
ロンメルが負けた原因は疫病だったはず、排泄物の処理や食料の管理が悪くてハエやらにかなり悩まされたと思ったが
この人、良くも悪くも生粋の戦闘屋なんだなぁ。
この辺が対フランス電撃戦での同じ立役者だったグデーリアンとの差だったのかもしれない。
呼んだか?
いつも楽しみにしております。続編が早く見たいです。
わかりやすい動画ありがとうこざいます。そうですね、大きな功績をらあげた人には毀誉褒貶される側面があります。しかしながら、ロンメル氏は戦略の凡才、戦術の天才だと思いました。
前線の都市を抑えればそこを新しい揚陸拠点として前進を続けられると見たんじゃないですかね
まあ海上補給ルートを確立できればの話ですが
もともとそのつもりだったようです。ただ肝心要のイタリア海軍が艦隊保全主義で引きこもっていたので、東の海域へ行くほど危険な状態。結局ベンガジやトブルクの港はろくに使えずしまいで、輸送物資のほとんどはトリポリに陸揚げされてました。ドイツ空軍、イタリア空軍はかなり頑張っていたみたいですけどね。
ちょび髭総統閣下「夏は暑いから攻勢にでなくていいよ」
ロンメル「よっしゃ進行開始!」
名将と言われる将軍数々居る中で何をやらせても上手な将軍は
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥くらいで
ほとんどの将軍は其々苦手な分野が有るのですよ
後、図面にクレタとマルタ両島も入れておこう
地中海の制空海権争いでは重要な根拠地だから。
マンシュタインも有能だったのか?彼を考察した本で読んだが、西部戦線の活躍は優秀だったが、東部戦線、特にクリミア戦役において十万人もの兵士を犠牲にしてしまって優秀と言えるのか?確かに上層部が彼に優秀な兵士を多く与えなかったこともこの犠牲に繋がるだろうが、ゼファストポリ第一総攻撃の時は彼の性格が頑固なゆえに苦戦しつつある部隊を撤退させず壊滅寸前に追いやっていることも考えねばならない。
@@茶聖殿、残念ながら戦争に犠牲はつきものです、ペレコプ地峡とセバストポリ要塞とケルチ半島の戦闘について説明が必要ですか?
特にマルタ島の英軍航空基地の存在は、北アフリカ戦役を語る上ですこぶる重要だよね。
こいつのせいで、せっかく港湾を奪取したのに、輸送船団が途中で沈められて貴重な補給がまともに届かないという、ドイツ・アフリカ軍団にとっては目の上のたんこぶ。
要塞攻略自体犠牲は出る上に黒海の制海権が完全にソ連側で沿岸からの砲撃支援は無く、尚且つ陸からのルートがペレコープか鉄道橋しかなくて実質ペレコープ一ヶ所だけで攻略自体が不可能とまで言われる鉄壁要塞を攻略してんのに有能かどうか疑う根拠にはならんでしょ
寧ろセヴァストポリ攻略命じたのあんたでしょうに・・・しかもその後マンシュタインに要塞攻略のノウハウを活かすようにって言ってレニングラードに派遣したのもあんたやんけ
皆、すまん…俺はとんでもない過ちを犯してしまった。コメントした後ゼファストポリ戦ではないが、旅順攻囲戦を調べていて自分の意見が大間違いだったことが分かった。本当にマンシュタイン元帥と乃木大将に土下座して謝りたい。要塞戦をなめてましたと。
もしかしたら、ロンメルは後世で戦略を考えてないと批判されること込みで攻勢に出たのかもしれないですね。守りの戦いはどうしても士気が下がりやすい。目に見える戦果を齎すことで、物質的な側面以外の部分で戦いやすくしたかったのでは。
戦場などの戦況は流れると表現されるほど変わります。
戦術・戦略・政略の目標が時間の経過で修正するのは避けられないですね
前線では人命が関わるので本当にアドリブが求められると思います
ロンメルも決して悪意を持っていなかったのではと思ってます。
ロンメルは稀代の名将って信じて疑わなかったのに……。
まぁ仕事しとってもいますよね。
有能なんやけど勝手に動いて雑務とか事務処理増やす人って……
この話は完璧か完璧では無かったの話で名将ではなかったという視点ではないと思ってみています
どの名将も失策はありますし話すと長いので次の動画楽しみにしてるよ
第二次世界大戦中の地中海はイギリスの海
ほぼイギリス海軍がにぎっていたので最初からイタリア半島から輸送や補給は大変だった
ロンメルはスターリングラードに回せばよかったのにと30年以上思い続けている。
そうすれば命令無視で助かっていた?
@@nissy7009 ロンメル軍団を犠牲にスターリングラード落とせていたかも。
@@佐々木公彦-e5pそもそもスターリングラード攻略に手こずったのは前哨戦のカラーチ攻略で第6軍の動きが遅くソ連主力を包囲できずにスターリングラード市内に逃がしてしまったのが要因の一つ。
完全に空想ですが、ロンメルが第6軍を率いていれば損害を顧みず突貫していたでしょうし、そうなればホトの第4装甲軍が手薄なスターリングラードを南から一気呵成に落とせていたかもしれませんね。
初期のドイツ・アフリカ軍団は実質二個師団基幹だしOKWも防御に徹してくれて維持できれば御の字程度にしか考えなかっただろうし、
兵站もそれ前提だったんだろうね。
マルタ島という英側による補給路・兵站破壊・偵察の要石は不可避の話題だと思う。英海軍は貴重な空母やタンカーを危険にさらしたり犠牲にしてまでマルタの維持を図ったのはなぜか?というのを軽視すべきではないし、イタリアのマルタ無力化失敗(ドイツ空軍参戦後も含む)と不徹底を含めた考察は北アフリカ戦線の兵站については必要ではないかと思います
シチリアの目と鼻の先だというのに、とうとう最後まで潰せなかったんだよな。
制空権さえ確保できれば、クレタみたいに空挺で占領するって手もあったんだろうけど。
面白い切り口だー!勉強させて頂きます、ありがとうございます!!
ドゥーチェの兵站判定システム面白い
後編で凄い顔になりそうw
太平洋戦域のニューギニア戦線が相似形ですね。敵の海上優勢が確立された時点で、防御拠点の背後に上陸を食らい、海上補給を遮断され、量や質にかかわらず送り込んだだけの兵力が干乾しにされます。そうなる前に日本軍がポートモレスビーを目指したように、ロンメルはアレクサンドリアを目指して「勝ち」にいったといえるでしょう。
途中のマルタ島に連合軍の基地があったせいで輸送船がだいぶ沈められてたらしいし、マルタ島を落とせていればキレナイカ地方で一進一退しなくて済んだんだろうな…
太平洋戦争を補給の視点から考察してみた動画が見てみたいです!
S T ボロクソに言われるに違いない
日本は兵站を重視してたが輸送手段が壊滅的
旧陸軍はちゃんと考えてたけど、旧海軍はダメダメだった。
やっぱ、海軍はダメだなw
@@I1I1I-yuyuko-konpaku 海軍も補給は普通に考えてたぞ。陸軍とはかなり性質が違うからそう見えなかったのかもしれないが。
そうじゃなくて戦略が馬鹿げてるんだ。
ハワイ攻撃したんだから、そのまま占領してミッドウェーへの補給を切れば一瞬で優勢な上陸作戦に移れる。
その後は駆逐艦の航続距離では太平洋に干渉できず、軽巡洋艦を駆逐艦の代用品として使うのも生産的な問題でほぼ
無理、アメリカは海軍戦略上ほぼ詰みになるはずだった。
ハワイ占領すればな。
そしてそれは陸軍も同じだ。
史実じゃ実行までには至らなかったが、陸軍内では皇道派だけでなく維新派の中でも北進論がささやかれていた。
ソ連相手に何をすれば勝てると思ったのか、まったくわからない。
しかもその内容が、
『北京占領したら中国降伏してくれるだろうからその後ソ連行こう!』だ。
単刀直入に言えば無理。実際降伏しなかったし。
それを差し引いても、総合的な戦争遂行能力ではアメリカに並ぶバケモノ国家に喧嘩を売ろうとしていたってだけで無謀さは伝わるだろ。
・・・まあどちらにしろ日本は負ける運命だったのかも知れないな。
長文失礼
ロンメルが兵站の理解が低いようには思えない。
じゃないと、電撃戦などまず出来ないだろう。
命令違反の常習者であっても、軍人の本分は自軍を勝利に導く事……。
孫子も『将、軍にありては君命をも受けざるところあり』と仰られていますし……。
ロンメルは前進基地でチマチマやるより彼我の戦力、補給能力、予備戦力の投入可否等を考えて、速攻で拠点を落とす方が良いと考えたのではないでしょうか?
「兵は拙速を貴ぶ」とも申しますし……。
インフラなどが固定費ならば、日数でかかる食費や燃料が流動費用でしょうか。
可能な限り短期間で実績出すことも前線の指揮官は考えないといけないのでしょうね。
ロンメルやドイツのように国力や経済的に差があるとなおさらですね。
ロンメル将軍は、名将だと思いますよ。
元から最低で絶望的な戦場に送られて最大限に活躍した将軍ですよ。
1.ドイツにとって戦略的にも利点も利益もないエジプトにイタリアの支援という目的だけで始まった。
2.ロンメル将軍は再三上層部に支援物資の要求と拠点の確保を海軍と陸軍に依頼したが却下された。
3.味方(本国)に現場指揮官(ロンメル将軍)が兵站の作成を依頼しても計画してくれない
4.2と3のため、ロンメル将軍は、従来の方法自体が破綻してるため命令無視、鹵獲作戦に作戦変更
5.相手に攻め込む→鹵獲→敵の物資補給→効率的に攻める→また鹵獲→同じことを繰り返す→戦線拡大
6.最終的に湾岸まで攻め切った→普通なら勝利確定で交渉に入るのに、味方政府が交渉に入らない
7.いつまでもエジプト支配してもドイツに利益がないので撤退
イギリスやアメリカでも「あの状況でよくやるわあの将軍 砂漠のキツネだ」
と敵国の新聞や首相にまで褒められるんだから、良い将軍だと思いますよ
兵站が絶望的でありながら自軍の被害を最小限にして進軍と撤退できてるので
病気と飢え玉砕させた日本軍にくらべたら・・・
ロンメル将軍は、陸軍将校なので、エジプトに物資送るなら海軍を通した船舶輸送の方が速い
でもドイツは、陸軍国家で海軍と合同作戦による兵站は、ノウハウがない
そもそもロンメル将軍(現場指揮官)に権限がなく
政府や軍本部がやらないといけない仕事をやらなかった。
ロンメル将軍は、兵隊や将校や国民や敵国に慕われ、首相にも気に入られていたが、
同僚達には、ねたまれて最後は、毒を飲まされて亡くなった。
RON6990 なんだかロンメルの採った方針って、信玄が死んで以後の長篠までの武田氏の方針と似てますね。ロンメルは味方が戦う物資を得るため、武田氏は士気を高める為に必要な味方に分け与える土地を得るために戦いを仕掛け続けなければならなかった。
RON6990 今にして思えばドイツは陸戦が強いのだから、エジプトを攻めるのでは無くリビア領のイタリア軍と共闘してドイツはイベリア半島を占領して(そしてスペインの港湾にUボートを配備する)イタリア軍はリビアの西側を攻めてジブラルタル海峡の陸地部分を抑えた後にエジプトに侵攻すれば、イギリス軍の地中海での制海権を素人の考えではありますが、ある程度は牽制出来た様な気がします。
実際ナポレオンもエジプトを侵攻しても兵站を維持できずに結果的に失敗していますし。
@@waldschwarz4620 さんへ
ロンメルは、鹵獲作戦で捕虜や敵の遺体に対してちゃんと記録し埋葬して相手の本国に知らせるなど
慕われるような行動をとりました。
しかし、武田の場合は、国内紛争戦で略奪作戦または、焦土作戦を繰り返した
ので、占領した領民や農民から忠誠をもらえなかった。また身内からも裏切られ【妹の旦那】裏切った身内の領土を取り込みましたが、その相手がたの分家との争いで戦後もまた内戦が続きました。撤退もできず争いが止めれなかった
武田が内戦や外戦で争いが止められず、領民が不安に陥った時、武田の民を救ったのは、敵方の上杉にもらった塩でした。「敵に塩を送る」エピソードは、有名です。その本質は、争いばかりで疲弊する武田領民に塩を送ることで、上杉が武田の領土を占領しても民心が得られるようにしたのです。
歴史や価値観、戦争に対するルール作り、国の文化が違うので、
ロンメルと武田は比べるのが難しいですが、
武将または、将軍の振る舞い方、人物像が、戦後にも影響されます。
勝っているからと、迂闊に横暴な振る舞いを勝利者がしてはいけないということです。
@@綿津見蓮海 さんへ
面白い視点です。
エジプトやリビアをドイツとイタリアの連合は、アフリカ資源確保と開発の玄関口にすれば歴史が変わったかもしれません。
当時ヨーロッパの資源は開発と発見がされ続け、もう限度が見えていました。
なので当時未発見が多いアフリカの未開の地で資源確保がドイツイタリアで重要でした。
またドイツやヨーロッパでは当時から、自然保護活動が盛んでアウトバーンに森林を植えるなど
資源開発における自然破壊を自国でできなかった。
ならばアフリカ大陸で好きなように資源を堀出したかったのでしょう。
資源開発での難関は、現地の環境保護と労働問題なのです
当時イタリアの海軍力は、艦隊が強く、練度も高かった。
ドイツの艦隊は練度が低かったのとUボートに頼りきりで、海に対する防衛が甘かった、
ドイツとイタリアの連合艦隊でうまく海路を保ち、アフリカの資源開発によりアフリカ戦線は、自給自足で行えるようになりヨーロッパに本土に資源を送ることで、戦争継続ができたでしょう。
実際一度戦争に負けたフランス軍は、アフリカの植民地に退避して力をためることで
後ろからアメリカとイギリスを援護して再上陸して本土奪還に成功しています。
喜望峰周りの海路でフランス亡命政権の兵站は、生きていました。
敵の軍隊の兵站を破壊し自分のものにしなければ、フランスのように巻き返されるのです。
大陸の多方面作戦による兵站作戦でロジスティクスなどの物流の流れと補給、ジャストインタイムなどの必要な時に必要な量だけという管理では、ドイツは、秀でてました。
が、ドイツ政府によるの資源の維持は、弱かった。「上層部がヨーロッパにこもりすぎ」です
世界規模の海洋力による兵站の維持と資源地植民地の運営管理保持は、フランスやイギリスの方が上手だった、資源は、イギリスとフランスが確保し、その資源を兵器の開発運用販売は、アメリカに任せることで、資源が豊富になり勝つことができた。
ドイツ軍の有名なエピソードで、
アフリカでの米軍とイギリス軍とフランス軍の補給基地をドイツ軍が鹵獲した際、
その補給基地から、アイスクリームの製造装置やサイダーの製造装置、バーベキューセット、大型冷蔵庫から生乳や生野菜や生肉、多種多様な缶詰などが大量に出てきて、
おまけに、大量の兵器弾薬と、シャワーやベット付きのホテルのような兵舎があって、
ドイツ軍は、「敵国の輸送路の兵站はどんなけ豊富なんだ、戦争しに来たのではなくキャンプで遊びに来たのではないか」と驚愕し、ドイツ軍の士気が著しく下がりました。
だって勝っているドイツ軍が、血まみれ泥だらけ負傷兵だらけ、腹ペコでフラフラになって少ない資源と物資で鹵獲し、やりくり貧乏しているのに
負けている敵が、豊富な資源と物資で何度も戦場に戻ってくる。
現場のドイツ兵士は、やってられませんよ、だからロンメル将軍は、なんども現場に足を運び兵士に声をかけ続け、やる気を維持するしかなかった。
ヨーロッパに帰っている間に味方のドイツ兵士が戦うのをやめてしまうんですよ。だからロンメル将軍は、病気にかかっているのに「ヨーロッパに帰らない」と言い続け、味方の兵士や本国に「病気だろ本国で治療療養しなさい!戦場で病死したら困る!」
とやっと、強制的にヨーロッパに戻った。
そして帰っている間にアフリカ戦線は撤退した。
ドイツの大陸での兵站は優秀ですが、資源確保ができず、一発逆転の兵器開発に凝りすぎた
アメリカ連合軍は、互いに協力しあい、戦争を維持し続け、限度があるドイツの兵士の血を流し続けることができて、勝つことができた、
RON6990 ロンメルは名将だが、世間の評価ほどに完璧ではないということでしょうね。
何を持って名将とするかという定義が曖昧なのは置くとして、
前方の指揮と後方の指揮を同時に
一人の指揮官(司令官)では
十分には行えないというところが
最大の問題なんだな。
ロンメルとしては、トリポリ付近の持久戦も無理と判断してたのでは?制海、制空圏なしではいずれ詰むし…
「そこ」の補給路確保があのヘタリアではね…
計算違いはヘタリアがロンメルの想定を超える「ヘタリア」だったという、こんなもん誰にも予想できんやろw
個人的にはドゥーチェは元先生なので慧音、ロンメルは砂漠の狐のあだ名から藍がいいなぁ。
常人が来ないと思う時に奇襲するのは名将の特長では?
ロンメルの命令無視はアフリカから始まった事ではないですし
攻めなかったら戦力差も増えるでしょう。
人選ミスかなあとも思う次第ですね
局地戦での奇襲による勝利は、うp主の動画シリーズでいうところの「戦術レベルでの勝利」ですし、
これも主の言うところの我々は後の時代から勝ったという結果で見ているに過ぎず、
戦争全体の「戦略レベル」で判断すれば、負ける可能性がある攻撃作戦を立てる指揮官は
名将と呼ぶにふさわしくない、というのがクレフェルトやうp主の考えなのでしょうね。
人選ミスは確かに…
こういうのは大体ちょび髭オジさんが口出したせいだったりする
続き楽しみにしてます
敵の補給物質の掠奪をしまくってたって話しが伝わってますね。
攻撃が優勢なのは戦術レベル
戦略レベルでは防御が優勢
独ソ戦でなにやってた頃かも解説してほしい。そうすればドイツの厳しい状況がわかりやすいと思う
ロンメル将軍を取り上げてくれて嬉しい!
学生の頃アーヴィングの狐の足跡を何の本か知らずに読んだら面白すぎて一気に読んでしまった!
地中海から補給すれば良さげに見えるけども、この時点でイタリアは制海権を取れておらず、また北アフリカの港湾能力の貧弱さ、マルタ島からの英国航空戦力が制空権を守りきったこともあって陸上輸送がメインになったと言うのもあります。
ジブラルタルとスエズを確保している英国なので……
kyo katayama ドイツ軍がイベリア半島に侵攻してリビア領のイタリア軍もエジプトではなく、リビアの西側を侵攻してジブラルタル海峡の陸地を占領していたら、イギリスも自国から地中海の行き来が難しくなりそうな気がするけど、現実的に見るとどうなんだろう?
綿津見蓮海
フランコ総統のスペインが枢軸参戦しないと無理
たとえ攻勢に出ていなくとも制海権を確保している英国なら海上輸送が使えるので、攻勢側になった英国の補給にどこまでダメージを与えられたか、判断に迷うところですね。
補給と関係ないけどノルマンディーの防御陣地強化したのは頭良い。
要塞にしても、中継地点の仮の城にしても、それよりも時間がかかるが町を作るにしても、結局のところは同じ。無謀な戦いをしないための手だてなんだわな。
多くのドイツ軍の司令官が連合国はノルマンディーには上陸しないと言う見解の中で、ロンメルはノルマンディーに上陸する事を看破してたらしいです。
うぽつです!
戦争って物を突き詰めると、兵站の確保と後方の盤石化なんだよね。
ギリシャも自力で落とせないのに、リビアにまで手を出したドゥーチェの尻拭いなんて、スタートラインが後ろすぎんよ…
個人的にはスターリングラードの時にロンメル→モスクワとモーデルとパウルス→北アフリカ入れ替え出たらモスクワとか落とせてたかもね
連合国側からは名将と称えられたが、敗戦後の国内では当時の配下の将官からの無謀な作戦による犠牲対する批判が沸き起こった
アフリカ軍団長は完全に人選ミス。フリードリヒ・パウルスだったら、言われたことしかしないしそこそこ有能だったからうまく務めたかも。
ロンメルの兵站軽視の根拠は対仏戦の時の後方部隊を置き去りにしての進軍とかもあるからねぇ
まああの時は相手がフランス本土で物資の現地調達が容易だったのとか気候や地理的問題もあったから多少の無理もごり押せたけど北アフリカは広大な上に補給地点が少なく、尚且つ攻撃側が不利な地形が多かったのが問題かと
あとは北アフリカの戦線に守戦の達人モントゴメリーが派遣されたのもロンメルの不運の1つ
ロンメル自信は兵站軽視はしていなかったけど参謀本部と自身が思い描く戦略が違いすぎたのが北アフリカ軍の壊滅の原因じゃないですかね
しかし北アフリカ戦線にロンメルを派遣した人事のミスが一番じゃないかな~どう考えても大人しく守備する人じゃないのは当時からわかっていたでしょうに、ケッセルリンクが空軍だけじゃなく陸軍も指揮するか或いはモーデルのような守戦の達人を派遣しとくべきだったと思う
地中海のマーレノストロ化がやっぱ目標でしょうねぇ
ドイツ軍は伝統的に軍隊の独立性が高くて現場の判断で命令違反する事が多かったのよねえ
カン・ユー「そうだそうだ、上官の言うことを聞け!『例外は許されている』とか論外だ!」
なお、損害ガン無視
前進すれば死ぬかも知れないが、後退すれば必ず死ぬ事で有名な人が同期にいます。
ソ連?
名称は回顧録の評価もありますが、やはり冷戦期西ドイツ連邦軍でも評価されるほどの撤退戦を成功させたマンシュタイン将軍でしょうね♪(*´ω`)ノ
制海権も制空権も無し。海岸沿いの道路や鉄路は制海権も制空権を握る連合国のヤーボや海軍艦艇にとっては、「ウホッ!いい男…」状態。歩兵は自動車化や騎兵化されていなくて機動力無し、連合国は自動車化や騎兵化されている。エジプトの連合国は喜望峰ルートでも補給されてた。
ベンガジの段階で既に幽々子がキレかかってるじゃないですかww
これでトブルク制圧して、さらにはエルアラメインまで行くわけだろ、どうなるんだよwww
つまりロンメルさんは補給線いっぱいまで戦線を拡大して初戦の勝利をもぎ取ったんだけど、その後が……ってことなんでしょうかね?
でも、某帝国陸軍の○田口さんに比べたら、一応補給のことを考えているみたいなので、後半でロンメルさんのどこが間違っていたか乞うご期待!
牟○口将軍と比べて補給を考えているというのは乙武さんにボクシングで勝てるって言ってるようなものだからむしろ失礼。
初期の「シルテ防衛」の予定が「ベンガジ攻勢」に変わったのはアフリカ軍団総司令官が何を言ったかも調べる必要があると思います
ドイツは援軍ですからイタリア将軍が総指揮を執っていた ドイツ司令部はシルテ防衛を打診したがイタリアはそれを拒否 本国と現場の板挟みになったロンメルはやむなく現場の意見に従ったという可能性もあるのではないでしょうか
ロンメルさんは前線での戦術運用は上げた実績を見れば否定できる点が非常に少ないけれど、部隊の管理能力と戦略眼が別(分けていい要素と言ってない)というのはよく言われているわな。確かにこりゃあかんですね。戦って勝つ(戦術)以外に戦えなくすれば勝てる(補給線破壊)という勝利条件をイギリス軍に与えてしまっている。敵の勝利条件増やしてしまい結果的にイギリス軍に利してる
敵将が愚将でないと名将は生れない。敵将が優秀だと快勝は難しい。戦術と戦略はちがうから両方備えている人物は滅多にいない。
逆もある気がします。
相手が優秀すぎる場合、
あそこまで敵を追い詰めた。
と、過大評価された人物も
存在はしているかも。
戦術では最高。しかし、戦略に疎い。 戦術と戦略を両立してる名将はなかなか少ない。
第2次世界大戦でのアメリカの陸軍は武勲を挙げる英雄タイプを憧れるパットン、マッカーサーや海軍ではハルゼー見たいな軍人より調整型のアイゼンハワー将軍やニミッツ提督が評価されて居る。
なんか東洋哲学の言葉に合わせてみるとヨーロッパが補給に関してというか"節度"というものがなかったって考えになるな。早すぎるが故に後ろを見ることが出来なくなったって感じかなぁ。
私も補給線を読んだんだけど、この本は兵站専門で戦理に関してはあまり考慮されてない。多分当時のシルテは前線であってここで止めれるならイタリア軍は負けてない。確かリビアの地勢上シルテを抜かれたらトリポリは危なくなるのであり、また枢軸側の地中海の制海権を考慮するとリビアを手放すわけにはいかない。さらにリビアは西のベンガジ東のトリポリって感じだからベンガジまでの進出は政戦略上最低限必要なことだったのではないか。トブルク要塞はキングダムの函谷関、銀英伝のイゼルローン的な存在でありリビアを守り切りたいならあったほうがいい場所だ。このロンメルの行動は軍の状態を考慮しても擁護は可能なように思う。当初彼とともに派遣されたのは1~2個師団であり大部分は負け癖のついたイタリア軍。この状態でシルテを抜かれるなというのは厳しくないか。一か八かの勝負に出るのも悪い選択肢ではないだろう。ただそのあとのエジプト侵攻については擁護の余地はないが・・・
ロンメルは戦術家なんだと思う。パットンと同じカテゴリー。グデーリアンやマンシュタインは作戦家で、アイゼンハワーのような戦略家はドイツ軍には不在だと思う。戦略は全て伍長閣下が取り仕切ってしまうから。
北アフリカ戦線は、「戦略の失敗は戦術で補えない」を地で行っていると言えます。
北アフリカ戦線そのものがイタリア軍の尻拭いから始まり、最低限の拠点を防御出来ればそれで良い戦いでした。
しかし、ロンメルの天才的な活躍で予定以上に占領地を拡げ、戦争が大規模化しました。エジプト方面まで進撃する大戦果を挙げましたが、兵站が続いていない以上、いずれは兵站切れで敗北するのは必然でした。
独断専行はプロイセン軍人の特権だから…(震え声)
カトリック教徒の南ドイツヴィルテンベルクだから何方と言えばバイエルンやオーストリアハプスブルク君主国側に近いだろ同じドイツでも北のプロイセン王国と違う
うぽつです
ロンメルもしかして…
関羽と同じ失態を…?
おお、的確な例えだと思いました。確かに関羽は三国時代でも有能な軍人として方々から評価されてましたな。現場での戦術指揮が優れているのは関羽、ロンメル両者の美点で、補給可能地域と軍の活動限界の見極めに失敗したというのも関羽とロンメル両者の失敗ですな。
捕虜の扱いも似ているのね。
5分と5分で戦いに勝ちやすいというのは明らかにセールスポイントだけどね。その戦いがその状況まで持っていけるのか。もっと上の連中は、勝つ試合になるように仕掛けるから。
補給から見た戦争は、今までなかったから、是非やりとおしてくれ。というか、むしろ、この視点だけでいいと思う。本当に重要なことでな。過去では言わずもがな、現在でも未来でも、応用の効く話なんだわ。ナゼか、日本のテレビや知識層はここをメインで語っていなかったから。着眼点の評価だけで、優だよ。頑張ってくれ。日本の2000年の歴史でも戦争だらけだから、そっちも見たい。
あと、ロンメルは最期自害してるから、そういう悲劇的な1面も人気のひとつなんだろうなぁ…
このころってインドルートの補給の要のエジプト(スエズ運河)の重要性は低下してたのかな?
そういえばナショジオでロンメルのフランス戦について進軍が早すぎて補給線が切れかかってていて
フランスが進軍止めてたら壊滅してたかもとかいってたな。
上層部がいう狂ってるのではなくて実は兵站を考慮に入れた作戦が苦手?、、、な訳ないデスヨネー
ロンメルは迂回機動をよく使ったので
しばしば優勢な状況にもかかわらず燃料切れで車両を遺棄せざるを得ない羽目にも陥ってるから
欧州戦線のように数十万単位の軍がぶつかり集積された物資を効率よく消費させることが求められた地域ではなく
第10航空軍団が東部戦線に転出後、マルタ島のUKの部隊によって制空制海権握られて物資がまともに届くかどうかわからない環境下では
相性の悪い戦術を多用し、無理な作戦構想を実行しようとした指揮官だったと思う
トブルク奪還に手間取り、奪還後すぐアレクサンドリア目指して進軍したのは
兵站上の理由からイタリア軍のエジプト侵攻がシディ・バラニ(リビア・エジプト国境から約100km地点)で停滞したことを考えれば
無理を続け、無謀な作戦課題を目指したことになる
しかし、北アフリカ戦線は彼我ともに配備戦力は十数万で
決戦に勝利し軍事的空白を作り出すことがUKのコンパス作戦の時のようにできなくもなく
その時、UKが空白を縫ってトブルク・ベンガジを攻略したように
アレキサンドリア・カイロを攻略してスエズ運河を封鎖できれば
UKの補給線は喜望峰回りを取らざるを得なくなり大きな負担を与えることができる
UK・ソ連相手に彼我の国力を考えれば
その無理や無謀をどこかでやらないと戦勝はおぼつかないから
命令無視常習犯を僻地に派遣し、無理のさせどころ、させ時を誤った
中央の戦略判断の過誤と
その過誤の穴埋めせざるを得なかった前線指揮官の
立場の非対称性からくる評価の違いと思う
9:53この距離を本当にトラックと鉄道で運んだの?海路の方が早くて大量に運べそうだけど…
【定跡外れ】考えられる見がちなパターンを研究しておき、そこを少しズラす。← 人狼のゲームメイクや推理小説の書き方も...ry
ロンメルは取ってはいけない所を取っててしまったのか
アフリカ戦線では地中海の制海権はさほど問題ではなく、長すぎる補給路に車両の消耗が耐えられないのが問題だったとのこと
やはり時が経つにつれ制海権が連合国側に有利となることを考えたら電撃的にカイロまでの制圧を優先するのではないだろうか?出来る出来ないかはわからないけど…
事前の計画や予定まるっと無視したら上層部いい顔しないよなあ
ロンメルさんの事詳しくは知らないけどこれはあくまで「補給」の一観点から見てるわけだから、現場の様々な状況を考えると攻めるのが悪手でもやらざるをえなかったのかも?
優秀でありながら、上から嫌われた点から栗林さんと似ているな。
大概充分な補給なんて結局あり得ない。アメリカ軍にしても補給が足りないと言っている。
必要なのはその見極めなんだな。
さて、次回も浸透襲撃と地獄に付き合って頂こう。
戦術的には有能、戦略的にはちょっと…
さ、最初の頃はイタリアから補給物資届けてたから・・・一応アフリカ戦線でイタリア活動してたから・・・・(震え
結局妨害され撃沈されるようになって護送船団をドイツに要求したりとヘタリアっぷりを発揮してましたが。
イタリア軍は弱いわけじゃないんだよ。全ては鋼鉄条約で43年まで戦争しないと決めてるのに先に戦争を始めたヒトラーと焦ったムッソリーニが悪い。イタリア軍が準備できてるわけないんだから
首領!コマーシャルが!
とはいえ、ロンメル将軍は、もともとイタリア勢力下だった都市なら補給も大丈夫と思っていた可能性が、あとは海運が上手く行くって思ってたのですかねぇ。
戦国時代にもこういうのが多々あって勝った勢いで大軍で攻め込んでは大敗してるんですよね。退却して誘い込むことはできなかったのでしょうか。
次回!牟田口は名将だったか!?
迷将ですねw
次回! インパール死す デュエルスタンバイ
名前だけで無能ってわかりますね
牟田口のむは無能のむ♪
名破壊工作員
囲碁でいうと一つの隅で勝っているのに浮かれて、残りで大負けしたみたいな
一戦を交えた相手からは
パットンやモンゴメリー
も含めて大人気だったが
特にヒトラーの側近には
嫌われていたようです…
悲劇的な最期は源義経と
どこか被る気も致します!
ロンメルも優秀だけど、ジョヴァンニ・メッセも優秀だよね。
ロンメルって戦略面で評価されてるとこ見たことないって感じてたから、やっぱり…という感じ
占領地の管理に人員と物資が必要になるから、占領したことで逆に捕虜抱え込んだのと一緒の現象が起こったのかな…?
地中海はイギリス海軍まだいるし…
日本軍が兵站を軽視したのはどうしてなのか知りたいです。
柴犬神
15年も前にネットで見たやつなんで違うかもしれないんですが
日本軍は作戦重視で本来であれば、兵站能力を把握した上で作戦を立てるのに、作戦を立てた後で兵站計画を立案してたらしいです。
つまりPDCAのP(計画)とD(計画実行)は得意やけど、C(計画通りか確認)とD(無理そうなら計画変更)が苦手な組織だったらしいです。
日本は兵站を重視してたがその輸送手段が壊滅的
本当は「軽視」ではなく「したくてもできなかった」が正しいです。そもそも陸軍側では英米との交戦を想定しておらず(戦闘機開発においてソ連機がターゲットでしたし、日本から中国の補給分の船舶は確保済み)海軍側も普通に殴り合ったら勝てないトン数しか持っていないので寝てる奴らを殴って判定勝ち狙いですし。つまり補給に必要な船舶がそもそも存在しない。急いで標準船舶作ったけど全く足りていない(戦争時に充足させたのはアメリカだけ)。戦前に必要数満たせないのは不景気による軍事費削減とか国力不足とかそもそもドックが足りない鉄も足りない燃料足りない(今と同じで口の悪い人から給料泥棒とか言われてたのですよ)。そんな中でも弾薬運搬とかに使える豆戦車を購入したり(現地部隊に武装されて補給用から戦闘用に変わっていますが)機関銃部隊の弾薬定数が諸外国よりも多かったり(次の補給まで時間が掛かると予想されたから)トラックフル活用の機械化師団はソ連との戦闘で消滅済み(ノモンハン)船団護衛だって必要性が謳われたのは開戦後しばらく経ってからですし(故にUボートが大暴れ)。チハがしょっぱい戦車とか言われてますがあれでも高すぎて必要数揃わないとか思われてた訳ですし。でも政治的要求でって言われたらノーとは言いにくい(半年がいいとこ、1年で限界って言った海軍大臣は連合艦隊司令長官に左遷されました)だから政治家は軍事的知識を多少は持っておかねばならないわけでして。とはいえ英米との衝突回避は困難どころじゃないから無理ゲーだと思いますね。補給充足させて政治的戦略目標を達成させることが不可能だったから、が結論じゃないでしょうか?
世界で兵站が研究された17、18世紀に日本は鎖国して平和ってのもあったんですかね~
開設初年の陸軍大学の参謀訓練で教官メッケルに兵站監役を命令された学生が兵站の意味が分からず「梅干し何個か用意すればいいんじゃね?」と解釈したってエピソードが坂の上の雲にありますね。
...つまり、日本の伝統です。
ネコロジーnecorozi 坂の上の雲は所詮小説ですけどね。
彼はアメリカ参戦の前に、スエズ運河を占領すべきだった。
確か、フランス戦のロンメルは、周辺でモタモタしてる部隊から装備と補給品かっさら無いながら突進してるんですよね。
まさか、無人の砂漠でそれでなんとかなると思ってたわけじゃないだろうけど…
全く新しい時代の戦いですから、機甲部隊の進撃能力を過信していた可能性はありませんかね。一気に首を取るところまで行けると踏んでいたというのは…、出来ないという証明は有るようで無かったわけですし。
思えば、ドイツ軍全体、いや枢軸軍全部が、この考えに縋って戦っていた様な気すらします。
後から考えれば、そもそも手の届く首なんて無かった…という恐ろしい現実すら有りそうですが。
知らなかったからロンメル調べたわ。
敵国であるイギリスのチャーチルをして名将って言われるぐらいだから凄かったのはまず間違いない。
やはり浸透さんが今やってる兵站を軽るく見てたって言われてるし。
多分ねロンメル平和な世界だったら有能な経営者だったかもね。わからんけど。
牛連れて、それを食料にしろと言った人は、兵站判定なんぼでしょうか?
ken ken 判定するまでもないw
論外w
一瞬距離で言うのならソ連進行のほうが補給やばくねと思ったけどやはりインフラが響いてるか………。
リビア東部をイギリスに押さえられてる時にイタリア軍がしてたのって、砂漠で真水使ってパスタ茹でながらドイツの援軍待ってワイン飲んでたんじゃないの?
ドゥーチェからはすぐアレキサンドリアを目指すようにせかされていましたが
リビア国境から100㌔ほど進んだシディ・バラニを物資集積所とし、道路の整備など
万全を期したうえでアレキサンドリア目指して進軍予定でドイツの参戦予定はありませんでした
しかし、UKに機先を制され
コンパス作戦の一連の戦闘で20万以上いた駐リビアのイタリア軍の過半数が捕虜となり
動画解説にあったようなベンガジまでUK軍の進出を許す状況になってしまいました
ドゥーチェ♪ドゥーチェ♪ドゥーチェ♪
( *・ω・)ノ( *・ω・)ノ( *・ω・)ノ
それにしてもアフリカ戦線って考えれば
考えるほど何で始めたの?
って思うんだけど…ねぇイタリアさん。
当時の配備戦力(リビアのイタリア軍21万強、エジプトUK軍は急増して9万)から
ドゥーチェはやれば勝てると思ってた、と思う
エチオピアのソマリランド・スーダン・ケニアなどUK植民地に包囲されてた状態を
エジプト占領によってリビア・エチオピアの海外植民地を地続きにし解消したかったと思われる
ついでにスエズ運河封鎖できればUKの補給路がスエズから喜望峰回りになって
ドイツは通商破壊し放題
スエズ運河をとりたかったんでしょうか
ロンメルの声がちょっと大きい&ひび割れてるかな
諸事情で色々加工したとは思うけど、一応報告ね。
WW2ネタで諏訪子の見た目だと一瞬フランス役かと思ってしまう