一度救われたら何をしても大丈夫か?  ヘブル人への手紙10:26〜39

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  • เผยแพร่เมื่อ 18 ม.ค. 2025
  • 一度救われたら何をしても大丈夫か?   ヘブル人への手紙10:26〜39
    【今日のメッセージ要旨】    
    【序 前回のおさらい】19-25
    10章19節から「実践編」
    23 希望を告白し続けようではありませんか。
    24 愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
    25 集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。
    人を成長させるためには、愛と励まし、厳しい訓練が必要。
    【Ⅰ 救いは神様の恵み】ルカ15章
    一度洗礼を受けたら「神様から・教会から離れても大丈夫か?」
     『放蕩息子』のたとえ話
    私たちはイエス様の十字架ゆえに救われた。
    その救いの恵みに、どう応え、どう生きるのか。
    【Ⅱ 一度救われたら何をしても大丈夫か】26-31
    では「救われた後に、ことさらに罪を犯し続けても大丈夫か?」
    「もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。」
    影にすぎない「モーセの律法」ですら、それを「拒否する者は、二人または三人の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死ぬことになります。」
    「まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。」
    イエス様が、私たちの罪の為に、尊い血潮を流してくださった。それを知った上で、復活の主を再び侮り続け、罪を犯し続けるのなら、その罪の為の赦しの方法はもはや「残されてはいません。」
    それは「復讐はわたしのもの、わたしが報復する」と言われる「生ける神」のさばきを引き起こす。「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」
    この警告は、「ことさらに罪を犯し続ける」(第3版)ことや、「神の御子を踏みつけ」「恵みの御霊を侮る」ことのないように、自己吟味し、悔い改めるようにとの勧め。
    (Ⅰヨハネ5:16-17)「だれでも、兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば、神はその人にいのちを与えてくださいます。これは、死に至らない罪を犯している人たちの場合です。しかし、死に至る罪があります。これについては、願うようにとは言いません。不義はすべて罪ですが、死に至らない罪もあります。」    
    (ルカ12:10)「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されません。」
    「復讐はわたしのもの、  わたしが報復する。」(ローマ12:19、申命32:35)
    一度救われても「進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。」
    【Ⅲ 約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐】32‐39
    今の時の試練や迫害を、忍耐することを勧める。
    「あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。」
    「迫害」に対して  (マタイ5:11,12)
    「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きい。」
    私たちも「嘲られ、苦しい目にあわされ、見せ物にされたこと」があるかもしれない。
    家族から反対され迫害される・・・学校や職場で馬鹿にされる時だってあるかもしれない。
    「自分の財産が奪われ」、身体が痛めつけられたり、生命が奪われる場合も。
    それは「侮辱された者」「砕かれた者」として歩まれたイエス様ご自身の姿。
    日本:キリシタンの迫害。太平洋戦争中に、ホーリネスの牧師たち「牢につながれ」た。
    彼らの信仰の姿勢「もっとすぐれた、いつまでも残る財産があることを知っていた」からです。
    その上で「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」
    【結語】37-39(ハバクク2:3‐4)
    「しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
    私たちも忍耐をもって、イエス様を信じ続け、神様の祝福のうちを歩み続けよう。

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