熱かった北九州の蒸気機関車たち~Hot!Hot!Hot! Steam Locomotive in Kita-Kyushu
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
- 北九州の蒸気と言えば、門司、若松そして直方の機関区の多くの蒸気機関車を思い浮かべます。それはD60、9600であり、何処にでも居たD51とC11、レアなD50、そしてパシフィックのC55です。あっ、8620も居ましたね。
それらが網の目のように込み入った炭鉱や鉱山の路線を縦横無尽に走り回るばかりでなく、大幹線を疾走するハドソンC61、C60の栄光の姿も忘れられません。
九州の鉄道は門司から始まります。ターミナルの門司港駅は重要文化財に登録される駅舎が残っており、走る列車こそ違いますが50年前と同じ風景を見せてくれるそうです。
今回は門司から南は鹿児島本線の原田までの北九州の中で、優等列車の紹介を交えて、日田彦山線、筑豊本線を中心に取り上げました。
最後に廃車を目前とした脱線・転覆事故を起こしたナメクジD51のため息を聞いてあげるパートを設けています。
様々な機関車の魅力ある姿をできるだけ引き出すような構成にしましたので、ぜひお楽しみください。
#蒸気機関車
#D60
#D50
#D51
#9600
#C55
#C57
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#天草
#夜行列車
#博多
#日豊本線
懐かしい動画をありがとうございました。筑豊本線の複々線区間のD60セラの大編成の写真の場所は子供の頃よく行ったところです。その後日豊線の南小倉駅の近くに転居したので日田英彦山線に入るD51を良く見かけました。1970年頃です。また若松の8620は、鹿児島本線の遠賀川駅から出ていた室木線の牽引に使われていました。
確か、筑豊本線若松方面と鹿児島本線博多方面とを結ぶ折尾駅北側の短絡線を、室木線用の回送列車が走っていた、という話を聞いたことが有る気がします。🙄
シロくん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。8620は北九州の写真のところに小さく紹介しているものがその若松の8620です。あれこれ機関車が走ってくるので、中間の四線区間が好きでしたねぇ。直方も駅撮り魔理沙にはたまらない場所でした。
お疲れ様です。
期待通りの素晴らしい動画配信ですね。
繰り返し視聴させて頂きました。
デゴマル.デロクマル.キューロクと、力強い走りが格好いいですね。
特に冷水峠のスナップは、萌え捲りです。
キューロクは、ずんぐりむっくりして、如何にも力強い貨物機関車でしたね。
次回の動画配信も、楽しみにしております。
ありがとうございました。
河野さん、ご視聴いただきありがとうございます。繰り返し見ていただきとても嬉しいです。これからもよろしくご指導をお願いします。
私の父は若松機関区で機関士をしていました。若い頃はお召し列車の機関士として抜擢され、筑豊本線最後のSL三重連の先頭車両の機関士としても仕事をしました。活気に溢れていた若松の町を思い出します。懐かしい動画をアップしていただきありがとうございます。
私は今、故郷の佐賀県嬉野市に住んでいます。81歳になりますが、昭和36年4月に若松機関区に就職しました(高卒18歳)。機関助士として49年12月まで若松機関区に在籍し後、佐賀機関区に転勤しましたが、23歳の時に高瀬 満機関士と乗り組んだのを覚えています。父上は最高の機関士でしたよ。あまりにも思い出がありすぎて今、一度に書くことができません。それでは又、返信します。
ご視聴頂きありがとうございます。素晴らしいご返信を拝読しました。
ご視聴頂きありがとうございます。
筑豊での鉄道100年記念D51の3重連ですね。
九州は良く動画アップしていますので是非ご覧ください。
@@340tomi お久しぶりです。3年前にメールをいただき、父と乗務した機関助士の方ということでビックリしました。父は定年退職する前に門司鉄道管理局で功績賞を受賞しました。退職後は毎日若松の海岸に魚釣りに出かけていたようです。添田さんを誘って魚釣りをしたこともあったようです。在職中、若松機関区は400名くらいの職員の方が働いていたようで、いろんな話を母から聞きました。340tomi さん、返信ありがとうございます。いつまでもお元気でいてください。
@@evw0120 今でも若松のことを思い出すと涙が出るほど懐かしいです。36年から西本町1丁目の鉄道寮(名称は何故か古前鉄道寮)に入っていました。199号線の洞海湾側でその反対側には弁天市場がありました。よく行ったものです。高瀬さん宅も近くでしたね。中原酒店にもよく行きました。23歳の時に高瀬機関士と乗組みました。1年ほど一緒だったと思います。父上の運転される列車で貴方が二島駅で降りて通学されている後姿を高瀬さんから教えてもらったことを覚えています。若松商業高校でしたね。返信ありがとうございました。元気でいてください。又、何か思い出したら返信したいと思います。
貴重な写真ありがとうございます。
直方機関区の転車台は跨線橋で再利用されて現在も残ってます。
鳥栖機関区は転車台が2つあったとか…西日本一の規模だっただけありますね…
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございました。
直方のもう一つの転車台は駅の外れにまだ残っていますね。
北九州は鉄道情景は合理化され面影も少ないですが、活気は昔以上にあって、北海道のような憐れを感じることが無くて良かったなとは思っています。動態での蒸気機関車運転継続何とかして欲しいです。
転用された転車台、7:49~で確認できます。
再利用された跨線橋は石炭記念館に行く際見ました。登り口に鳥居がありました。直方機関区にあった3台の転車台の1つだったかと。残り2台の内、気動車区にあった転車台は今も現存しています。扇形庫の転車台は現存せず残念です。動画の写真は御館橋か多賀陸橋から撮影されたと思います。
おお!?👀
D60と12系客車の組み合わせは初めて拝見しました!😲
観光列車以外の、数少ないSLと12系客車の組み合わせですね。🧐
他には、自分も臨時急行但馬で、C57牽引の12系の写真を見たことが有ります。🙄
3:38 左側留置線の客車、もしかしたらノーヘッダー、シル付きのオハ35試作車ではないでしょうか?👀
手前側隣りの客車はヘッダー付きなので、比べて見ると違いがわかります。🧐
様々な条件が重なり、大都市近郊なのに遅くまでSLが残ったレアな地域だったと思います。🤔
バリエーションも豊かでしたね。👍
あいうえおさん、ご視聴頂きありがとうございます。
オハ35試作車のお問い合わせの件、オリジナル写真を切り出してコミュニティにアップしたのでご判断ください。私にはわかりませんでした。
@@Yukkuri-Lab様、
返信ありがとうございます。
早速コミュニティー拝見します。👀
北海道と九州の石炭列車、共に魅力的ですね。九州の9600型と専用貨車の統一されたデザインが美しいです。沿線には常磐炭鉱がありましたが、無蓋車へ雑に積み込まれていましたね。石炭でテラテラしたトラ無蓋車が思い出です。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そういえば、常磐炭鉱の石炭輸送貨物列車ってあまり気にしたことなかったです。
海上輸送が多かったのかな?確か常磐炭はカロリーが低かったような。
@@Yukkuri-Lab おはようございます。9600型やD50型の記事や資料には少なからず興奮を覚えます。石炭列車の街直方を出てゆく貨物列車写真は幾つも目にしますが、線路や側線、住居に至るまで煤を吹き付けたような印象。石炭の香りに付いてですが、各地に個性があったのでしょうか。石炭のお香が発売されていますね。月刊誌付録を試して、九州の強い酸味、北海道の(針葉樹を燃やしたような)が所感です。常磐線や磐越東線の(いかにも石炭臭い)のは何処の石炭を用いていたのか。懐かしいです。
直方は駅撮りには最高でした。機関区はセキュリティが厳しくなってから週一回公開日しか入れなくなりましたが、駅に居るだけで楽しかったです。常磐線のハドソンは優等列車の場合はカロリーの高い別のところの石炭を使っていたそうで、夕張炭ではなかったかな?その他は地元の石炭ではないでしょうか。
石炭の香りが漂ってくる分には良いのですが、北九州や夕張では、真っ黒な機関区すずめと言いますが、機関車の多い場所はかなりしんどいですし、煙で写真撮るのも中断したりします。梅小路の開園当初もそうでした。
動画内で小海線の石炭の香りと言いましたが、空気が綺麗なところで、一輌しかいないから際立ったのかもしれないです。
@@Yukkuri-Lab
Twitterでもお世話になっておりますが、写真家としては鉄道写真もカラー、モノクロのどちらでも魅力的と思います。蒸気には不思議にモノクロが似合いますが記録的にカラーである必要もありますね。一度見たいのは街の赤いネオンを背景に大都会を出発してゆく蒸気機関車とかカラーで見たかった。何より、作り手側が(これは面白い)と考える内容や話をであると思います。
北海道から九州の私鉄蒸気、背景のボタ山。旧型客車を牽引して峠を超えてゆく蒸気。機関区や駅ホームに集う人々とテーマは尽きないはずです。
戦前から乗り越えてきた罐達に、いつまでも時代を走って欲しいと願っています。
石炭輸送華やかし頃の北九州の鉄路、複雑怪奇に敷設された路線のあちこちから列車が行き来しさぞかし賑やかだった事でしょう
本や映像でしか知り得ない年代なので今回も大変興味深く拝見しました。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですか、ご覧になったことが無い方が視聴者様の半数以上になっているとTH-camのレポートにありますが、私は間がぽっかり抜け落ちているので、まだ行けば走っているような気になります。
門司辺りまで行けば1台ぐらいいそうだよな、っていう感覚です。
九州は、セラと「濃度チャート」
北海道は、セキ黄帯に「道外禁止」。
地方の特色がありますね。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
濃度チャート、かつて動画にしたことがあり、リンゲルマンですね。
唱和47年頃までは九州にはほぼみんな付いていましたが、組合問題だったのでしょうか?急速に取り外しています。ステイだけになると逆にみっともないですよね。
城野で日豊線と日田彦山線が分かれる近くに住んでいました。石灰石を運ぶ日田彦山線のD51と苅田の火力発電所に石炭を運ぶ日豊線の9600では家のきしみ方が違うのでどちらが来たか、すぐにわかりましたw
バッタバイクさん、ご視聴頂きありがとうございました。
門司の周りは鉄道がごちゃごちゃしていて、電車走るわ、蒸気が走るわ、楽しいのですが、凄いところでした。
すごく色々な蒸気が出てきて、お得感が会って楽しかったです😂
くりたろうさん、ご視聴頂きありがとうございます。
筑豊はまだいろいろあり、折を見てご紹介していこうと思います。
いやー煤まみれの機関車の姿がどれもこれも格好良すぎますね。当時のファンが大興奮で北九州へ向かっていった姿が思い浮かびます。D60がD51と共存していた様子は以前の動画で拝見しましたが、D60へ改造されなかったままのD50も少数ながら同時に奮闘していたことは知りませんでした。今度神保町へ行ったら九州蒸気の写真集を買いたくなってしまいました。
あと、他の方のコメントで鳥栖機関区の跡地がサガン鳥栖のホームスタジアムとなっていることを知りました。
昔はC59、C60、C61ら急客機が集結し、今はJリーグ出身のサッカー選手が欧州各地で活躍・・・これも何かのパワースポットなんでしょうか?
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。たしかD50が無くなったのは昭和46年の末で、D50-140が小倉で整備され梅小路に向かいました。でも翌年の春ごろになると、筑豊の機関車が足りなくなって、急遽梅小路から駆り出され直方に半年ぐらいいました。
迫力ある貴重な写真ばかりで大満足!うぷ主さんは写真がお上手ですね😃話は逸れますが前立腺がん手術後の尿漏れに悩まされている私にとっては雲外蒼天を思い出す動画でした有難うございました。
ミーくん、ご視聴頂きありがとうございます。私も女性なのに前立腺肥大で10年位まえから治療中です。もうすぐ大きくなるのが止まる年だから放っておきましょうと言われています。
@@Yukkuri-Lab そうでしたか、どうぞ御自愛ください。うぷ主さんが女性とは意外でした!
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!急行天草の定期列車を冷水峠で昭和47年3月ダイヤ改正まで後部補機としてD60型が運用されていました。まさか後日日豊本線の宮崎都城間で日南3号をC57型が牽引するとは思いませんでした。
初めてコメントさせていただきます。
祖父が若松機関区の機関士として勤務していた頃、梅小路に転出する前にD50 140 のさよなら運転をさせて頂いたみたいです。
数十年後の同じ日に生まれた私も運命を感じてしまった気がします。
1度でいいので140号機に会いに行ってみたいですね。
米倉さん、ご視聴頂きありがとうございます。D50-140は興味深い機関車で昭和46年春に、おじい様の運転でD50お別れ運転をやり、これで日本からD50が消滅したんです。その後梅小路に行きおそらく開館準備だったんでしょう、しばらく在籍したのですが、筑豊で機関車が足りなくなったことで、中間検査を受け、なんと翌年47年5月に直方で復活したんですね。そして梅小路が開館するまで筑豊本線で活躍しました。若松のサヨナラ運転の時の煙室戸の取輪と復活した際の取輪の形状が違うので、写真見るとどの時代のか分かります。
梅小路ではしばらく走行していましたが、すぐに備品扱いになってしまいました。
D50 140のさよなら列車の機関士は渡辺さん、機関助士は佐藤さんです。
南小倉駅の先の米軍の弾薬庫に入線していた9600は。何故か、行橋の9600が担当でした。
福生の米軍基地にはD51が。今もハイブリッドの機関車がジェット燃料変わらずに運んでいます。
鳥栖機関区は現在鳥栖のサッカースタジアムになってます。
松尾直さん、ご視聴頂きありがとうございました。
そうなんですか。鳥栖は九州No.1の名門機関区でした。
@@Yukkuri-Lab そうだったんですか?知りませんでした。
サガン鳥栖の本拠地
駅前不動産スタジアム。
C5513のお写真拝見させて頂き大変うれしく思います。
実はナンバープレートを当時の鉄道記念日に小倉で手に入れました。
C553 C556 C5511 C5512 C5513と有りまして、実機を知らずに数字の並びが気に入りまして手に入れました。
C5546さん、ご視聴頂きありがとうございます。ナンバープレートお持ちですか。すごいです!
13号機の門デフは格好良いですよね。
碓氷峠鉄道文化むらでEF30を間近で見ましたが、ステンレスの車体は今も異彩を放っていました。それにしても建築ブームの時代にダンプカーと列車の衝突って多発していたようですが、実際に衝突、脱線転覆したSLの写真とは貴重ですね。無残の一言ですが…。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございました。
大野城市の友人から連絡貰って、ついでに見に行ったんです。
廃車体の撮影はほとんどしなかったんですが。今になって物語のネタで登場してきっと成仏できたことでしょう。
北九州も北海道と並んで石炭ですものね。美唄で生まれた私の父親の会社は長崎にも炭鉱がありましたから東京の社宅では同級生に北海道と九州出身が大勢いました。
私はNゲージで父親の会社の名前が入った黄色の帯に道外禁止のセキが大好きです。
今回の出発点の門司港駅、大規模改修の後のセレモニーに鉄道好きのタモリさんが招待されていたのをニュースで見ました。
北九州の蒸機に関してのコメントでなくてすみません。 魔理沙さんは住みたくないと仰っていましたが体のことを考えずに直方で蒸機に浸りたかったです。
東京から転勤で移った札幌の社宅は石炭ストーブでしたので石炭の匂いは大好きですが北海道と九州では匂いが違うのですね。。。
Kei Ito さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
鉄道が町の風景になるのって蒸気に限らず良いですね。ただ線路があると意外に揺れるんですよ。私は望遠鏡で星を見たり写真撮っていた時期があって、シビアな写真撮る時は離れたところに持ち出す必要があったことを思い出しました。
北九州の話をありがとうございます。現役の時代に生きていた訳では無いですが、北九州は保存蒸気がそこそこあり、いつも色んなところを回っています、直方の近くには戦時型特有の角張った砂箱と普通の丸いヤツが共存してるc11が居たり楽しいです。直方にはかなりいい状態の9600が保存されてたりするので、ぜひ見てほしいです。
デイバゴン さん、ご視聴頂きありがとうございます。
九州はC59-1ですよね。是非行きたいとおもっていて行かずじまいになっています。
JR九州は儲かっているんだから、なんとか動態運転は継続して欲しいです。できれば一部蒸気牽引する夜行列車やってくれたらすぐ駆けつけるのですが。
@@Yukkuri-Lab あんだけ台枠作り直したりやる気があったJR九州は何処へって感じですなよね…💦
金の亡者状態かな?
北九州にはいろんなカマがいて見るのには
嬉しいけど
乗務員からしたら
その日によってカマが変わるし
旅客や貨物も通る線区が違うことも
あるから乗務員泣かせだし
整備もカマが多いから
部品もいろんなのを ストックして置かない戸いけないし
とにかく苦労が多いのがよくわかります
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
おっしゃる通り、いろいろな機関車があるとそれだけ人も経費もかかるでしょうが、DL配備が出来るまで持たせたという感じですね。
D50140号機が京都鉄道博物館に静態保存されている。
筑豊炭田の煙を知る直方機関区のカマ。
D50が一台でも残ってよかったです。
@@Yukkuri-Lab さん、よかったです。
D50140号機は若松機関区です。
Ef30が世界初の交直流機というのは、実は交流20000V60Hzに限った話だったりします
欧州では交流の周波数は50Hzが中心で、東日本ではドイツから発電機を買ったことで50Hzになりました
一方で西日本はアメリカから発電機を買ったので、周波数が60Hzになったそうです
九州は他の地域とは違い、基本的に追加改造のない蒸機が楽しめる地域ですね
また、門デフなどご当地の変形デフが楽しめるのも魅力的ですな
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
EF30そういう事だったんですね。勉強になりました。
筑豊の機関車は昭和47年まではとても綺麗でしたが、昭和48年終り頃にはかなり手抜きだなぁと思うことが多かった記憶があります。
他地域では変形デフと言っていますが、九州は門デフと言えて良いなと思います。
9600、D50、D60、C11
スタイリッシュC55
水掻きスポーク動輪
がたまらなく美しい
C51が居た頃も少し
ギリで覚えています
ご視聴いただきありがとうございます。
吉松のC51は独特な格好でしたね。
C57のキャブになっているのもありました。
若松のC51も私が小学生に
なる1年前の1963年に全て
退役したのが残念です。
D50って美しいですよねD51はカッコいいになるかな。スポークで両端が乙字のランボード。動輪はスポークで運転台の窓は丸くて少し武骨なリベットがテンダーに。9600の後釜にふさわしい機関車だと思います。
駿さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。動画の中のD50を車窓から写したものはD60の客レからのものです。テンダーのリベットがごつく写っていてちょっとお気に入りです。D50、60はキャブがデカいですね。
@@Yukkuri-Lab D51は全長を短くするためにキャブを小さくしましたから運転士には不評だと聞きますね。
お疲れ様です、4年前まで石炭輸送されてたんですね😮21世紀まで残ってたのが、驚きですね🙇
まやまさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
北海道は石炭掘りやっていますね。九州は全滅でしょうか。
都内でも輸入炭で火力発電していますが、船から即積み下ろしてボイラーにくべています。鉄道輸送でもできそうだなぁと昨日首都高から見ていて思いました。
10:53 D51のナメクジだったんですね!可哀相に。安静にしてね。
2度も事故で脱線転覆なんて運が悪いですね。
4:05 ひ、左の青も常磐線車両です!おそらく二度ここに常磐線カラーがきてます!
サハシ165さん、ご視聴いただきありがとうございます。
そうですか、常磐線にいたものと同じなんですね。
かつては筑豊炭田から産出される石炭輸送を意図して網の目のように張り巡らされていた北九州・筑豊界隈の鉄道路線、然し石炭輸送に特化し過ぎて旅客輸送の点では必ずしも連携が取れていなかったせいか、国鉄末期にかなり整理されてしまいました(添田線・上山田線・漆生線・室木線・勝田線・香月線…間をおいて宮田線。ほぼ完成していた油須原線は未成線のまま[流産]。伊田線・後藤寺線は平成筑豊鉄道として現存)。
面白いのはかつて存在したC11を背中合わせにして間に客車編成を挟んだ列車。途中の接続駅で分割し別方向へ行く為の方便だった由(分割にはいいけれど折り返しの併結時には?普通列車なので必ずしも上下ペアである必要はないので折り返しは併結しなかったのかも?)
門司港駅、赤13号塗装の421系の向こうにいる客レ、ノーヘッダーのオハ35は国鉄工場の試作車の様ですね。民間車両メーカー以外にも国鉄工場で試作したオハ35があり、張り上げ屋根車やノーシル・ノーヘッダー車など異彩を放つ変形車が色々ありました。大井川鉄道のオハ35149はその生き残りです。
(尚オハフ33にはこの手の変形車はありません。ただ、後年オハ35から緩急車化改造されたオハフ33の中には戦後生まれの絞り折妻=オハフ33新製車には存在せず=から改造されたものがあります)
あの当時
[国鉄最後の19形式と言われながら何処に行ってもD51かC57…ホントに19形式もあるの?]
なんて素人どころか多少[其の筋の素養]もある御仁すらのたまっていたそうですが、筑豊に来れば車種・機種のバラエティに納得して貰えたのでは?
隣県とは言え当時の小学生には遠隔地でありおいそれと見に行くことは叶わず中学時代やっとこさ室木線を訪ねた時にはタッチの差で8620は引退、DE10に置き換わっていましたorz
SleeperExpressJNRさん、いつもご視聴いただきありがとうございます。
貴重なコメントいつも嬉しいです。
室木線の8620は動画内の地図に被せている8620がそうです。朝は若松から運用があったと思いました。
今回も俺の大好きな車両ばかりでめちゃくちゃ嬉しいよ、11月3〜5日の鉄博行きたいけど神戸で仕事だから行けないやぁ〜・・・
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
C55と特急さくらを出すと視聴率がめちゃ悪いというジンクスがあって、今回ひやひやしてます。
C55好きだからもっと伸びて欲しいよ
冷水峠は、キハ40形が行き交うさみしい筑豊本線桂川ー原田間。
篠栗線電化で、博多駅へのルートが篠栗線経由に変わってしまった。
ボクも小学校低学年だった昭和51年辺り迄鹿児島線での蒸気機関車の活躍を目の当たりにしている。
尤も上熊本駅隅で灰色に汚れた蒸気機関車は本線運用からは退き、上熊本駅に居る貨車入換の為に待機していた可能性が高いだろう。
んにょんにょ礼子さん、ご視聴いただきありがとうございます。
九州の蒸気は日豊本線のC 55xC57のお別れ列車の昭和50年3月24日が最後で全てなくなっています。熊本の高森線はその一年ぐらい前までありました。新幹線博多開業が50年3月15日ですので、かろうじて新幹線と蒸気はオーバーラップしたのです。
小学校低学年の社会化見学での上熊本駅隅で灰色になりながらも煙を出しつつ待機していた蒸気機関車の形式が何だったのか、当時のボクには判らなかった。それでも当時、現役の蒸気機関車を目の当たりにした驚きは未だ鮮烈な記憶として今に繋がっている。
昔は蒸気機関車の周囲にはツンとした石炭の揮発性?
の匂いがしていたと思います
梅小路のスチーム号用給炭場にある外国産の石炭はほとんど匂いがしないです
産地や炭化の度合いなどで匂いも随分違うのでしょうね🤔
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございました。
釧路のC11はその石炭の刺激を楽しみにしたのですが、煙はともかくにおいはしませんね。動態機はおしなべてがっかりです。
私は当時C62-2の石炭(豆炭)をいくつか持ち帰ってきて、今でも一個残っていますが、50年以上経って揮発分が無くなっても昔を思い出す香りがします。小海線のC56は強烈でしたね。きっと質が悪い石炭なんでしょう。
鹿児島本線の電化区間、当時は、421系と423系。
現在は、811系と813系と817系と821系。
ただし、813系は座席が減って、立ち席の割合が高くなった。
大坂さん、駅で電車と蒸気列車がやってくるのって面白いですよ。
@@Yukkuri-Lab さん、懐かしい。
@@Yukkuri-Lab さん、415系鋼製車も全車引退して、ステンレス製の415系1500番台だけになってしまいました。
筑豊の9600は段付きランボードのいわゆる九州タイプがどちらかと言うと好きです。
具体的には田川石炭記念館の59684。ここのは正面のナンバープレートの高さが変ですが。
ランボードは一直線じゃなくなるけど、バランス的にエアタンクの設置高さがちょうど良いと思います。
Naruo Kusugawaさん、ご視聴頂きありがとうございます。
もともと8620、9600はランボードがまっすぐで後年ブレーキのタンクを付けたときの改修手順の都合でまっすぐか段付きになると思っています。前者が圧倒的に少ないのも好きなところかなと思います。
大好きなD50 140…京都鉄博へ行って拝み・撮り鉄したいが、(どのみち金銭的に)無理…。
アリエル&エリックTV プラレールアリエリループライン【本線チャンネル】さん、ご視聴頂きありがとうございます。夜行バスの往復でどうかな?と考えたりしています。
動画を見て改めて思いますが蒸気晩年の北九州に何回か行きましたが日田彦山線/上山田線のD51/C11の思い出がありません。他線区のD51/C11はよく覚えているのですが。それだけ北九州は蒸気の密度が濃く魅力のある蒸気が多くいたのかなと思います。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございました。久大本線の夜明駅に行ったことがあり、そこで日田彦山線のC11を見ました。
日田彦山線のD51を撮りに行くと言ったら、友人に変な顔されたのを覚えています。一回だけでした。あまり印象泣く、けやき坂橋梁もずっと後年知ったものでした。
そういえば、山口県の博物館にD60形蒸気機関車かD61形蒸気機関車があったような…………。
今日(11月1日)は、キティちゃんとミミィちゃんの誕生日なのでハローキティ新幹線に乗って尾道市まで行って来ました。
ハローキティ新幹線の、車内アナウンス(広島駅発車後、東広島駅、三原駅、帰りの三原駅、帰りの東広島駅、広島駅)と、尾道市に展示しているD51 422号蒸気機関車の動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、ご視聴いただきありがとうございました。
D61は集煙装置つけていますね。
後でお邪魔しますね。
複々線の区間もあり、次々と列車がやって来て退屈せずに済んだ。D60は九大本線からの転属車もあって直方機関区は大賑わい!ここではD60>9600>D51でD51だとカメラを向けない人もいた。その陰で香月線の8620も軽快にとばしていた。
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。
直方、若松、門司港みんな賑わっていました。C55は少し早くに引退してしまいましたが、南九州に行っただけですから、かなりの種類の機関車を見ることができて良かったです。
D50とD51会話、悲しい😭
首藤さん、ご視聴頂きありがとうございました。
D51は年金貰っていないとぼやいていましたが、アップした後に年金貰っているけど、少なくて生活できないという内容にすべきだったなぁと思いました。
門デフ装備機のC55型もいた。
大坂さん、というか私は若松で見たC55はすべて門デフでした。
@@Yukkuri-Lab さん、若松機関区のC55は、全て門デフ装備機だったんだ。
戦時形でもD51等は凄味があって格好良いけど、C11の戦時形は不格好極まりないですね。
ご視聴いただきありがとうございます。
そうですね。カクカクしてますが、戦争の影響をあまり感じないのは数多いかかな?
夜行急行列車天草上り列車は、博多駅を通らず、飯塚・直方を経由して、折尾、小倉へ向かった。
大坂さん、筑豊本線は栄えていましたから1,2本は優等列車を通さないと格好着かないんですよね。
@@Yukkuri-Lab さん、急行天草は、唯一博多駅を通らない列車だったが、寝台特急あかつき佐世保行も、博多駅を通らない筑豊本線経由の列車だった。門司駅で、長崎行と佐世保行に分割した。
田川後藤寺線と日田彦山線は、石灰石を運ぶ為に、ホキ5000形が多数いた。
現在トラック輸送になってしまった。
添田ー日田間が豪雨災害で廃止されてBTR化された。
キハ47形が添田までの運用。
大坂さん、バス輸送と鉄道ですが、線路があるというのはやはり心強いんですね。
@@Yukkuri-Lab さん、確かにそうです。
5年前の九州北部豪雨災害で日田彦山線の添田ー日田間は、壊滅的な被害を受けて、復旧不可能となって廃止バスBTR化された路線になった。
肥薩線八代ー人吉間もBTR化で復旧、残りは、全廃バス転換案が出たが、鉄道復旧への道筋が見えてきた。
10:21 D50はミカドをバークシャーに改造してまで現場から好まれていたとも言えるのではないかと思われます。ゆえにD50とD60はほぼ同じととらえてもいいような気もいたします...
exp. m.k. さん、ご視聴頂きありがとうございました。D60は改造機の中で最も成功した機関車だったと思っています。Dの後の5が6になると、なんか偉そうに見える錯覚を昔から覚えていて、C62の6に被るからなんでしょうね。ただの戯言です。
昭和30年代、交直流電気機関車EF30形が門司機関区に配置された。塩害対策の為にステンレス製車体が特長。
昭和48年には、ステンレス製車体のEF81形300番台が配置された。
現在は、JR貨物門司機関区として、EF81形300番台と450番台、EH500形とEF510形300番台が配置されている。
大坂さん、私はEF81のステンレス見たことありません。
@@Yukkuri-Lab さん、無いですか。
4両製造されて、一時期2両が水戸機関区に転属してピンク塗装されたカマがいました。
EF81って今では相当レアなんですね。
@@Yukkuri-Lab さん、新型交直流電気機関車EF510形やEH500形がJR貨物で、勢力を強めてきた。
何か資料在ればC61の九州での活躍もやって欲しい
塚越さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうですね、九州のハドソンとかやりたいですね。
D51や9600形に変形デフ(門デフ)装備車が多かったかな❔
九州の門デフD51は少ないです。9600は行橋に波千鳥のマークの入った門デフが居ました。
@@Yukkuri-Lab さん、波千鳥の模様が入った門デフを装備した9600形がありましたか。
C58形にも、波千鳥模様の門デフ装備機がいたはずですが。
行橋の79686の門デフにあって、その前にはC50-58のでした。
@@Yukkuri-Lab さん、行橋機関区の9600形だけではなく、C50形にも波千鳥模様の門デフ装備機がありましたか。
C50-58のデフから79686に移植されたんですよ。
九州鉄道記念館のC591号機と宇都宮副館長のエピソードも聞きたい。
ヒントありがとうございます
@@Yukkuri-Lab さん、九州鉄道記念館宇都宮副館長親子は、月刊鉄道ファンや鉄道ジャーナルに写真撮影の以来を受けて、取材活動をしています。
ちなみに、宇都宮副館長は、元日本食堂の元料理長で、寝台特急の食堂車で勤務していました。
梅小路…遠い…
矢鳴芽吹さん、ご視聴頂きありがとうございました。
私も行きたいですが、夜行バスだと疲れますよね。新幹線じゃ高いし。
松本零士(🚂銀河鉄道999作者)さん、亡くなりましたね…📚️五木寛之さん(作家)や👨⚖️麻生太郎元首相(以上3名とも北九州に縁あり)も、現在かなりの高齢…🚂筑豊炭田の数々の🛤️引き込み線を走っていた機関車や貨車達を見てきた筈…!←現在殆ど廃線。
秀記 さん、ご視聴頂きありがとうございました。
北九州が石炭産業や鉄鋼業、セメント産業、そして輸送で賑わっていた時は、住みにくい場所であり、時代だったと思います。怖い人も一杯いましたし。
鉄道を含め北九州は良い形に発展したと思います。
松本清張さんも北九州市出身。
傷だらけのD51ナメクジ。
テンダーが残り、ボイラーが転覆したようですね。
@@Yukkuri-Lab さん、ダンプカーとの衝突事故の激しさを物語る。
8:34
コンプレッサーから出る配管の処理に拘りを感じる🥺
読み上げもうちょっとゆっくりしてほしいデス😢
びゅーん さん、ご視聴頂きありがとうございました。
読み上げスピードですが、以前より20%落としているのですね。
分析データから、多くの方が25%~50%早回ししてご覧いただいていると思っており、これ以上遅くするともっと早回しされるのではと思います。でも一度遅くしてやってみたいと思います。
一コメ!😊
萩野優さん、ご視聴頂きありがとうございました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
@@Yukkuri-Lab こんばんは。今回の動画もとても楽しめました!
日田彦山線は、BRT化されてしまいましたが、他の線路は、蒸気機関車時代の名残があるので、ぜひ九州に行けたら探してみたいと思います
夜明駅まで鉄道だと遠くなりました。